女神官逆行   作:使途のモノ

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第十九話

「何かいいことあった?」

 

 ふと気づいた、というようにこちらを見る森人に、ええ、ちょっと、と女神官が応える。

 

 ころり、と手にしたグラスには大きな氷。

 

 いつもはその小さく可愛らしい口でちびちびとワインを舐めて周囲を眺めながら飲むのが常だ。

 

 火の酒を氷だけで味わう、彼女らしくない飲み方だ。

 

 だが自分との二人っきりの酒では、彼女は懐かしそうにそうする。

 

 だから、それはそれでいいのだろう、と思う。

 

「そ、か、うん、よかった!」

 

 快活に森人らしく返し、自分もまた酒をちびり。

 

 女二人のちょっとした贅沢。

 

 ギルドの酒場は使わない、密やかな酒宴。

 

 みんなで大いに騒いでのんでというのも楽しいが、こういう時もあってもいい。

 

「何とかなって良かったわね」

 

「ええ」

 

 滑り出しがよければ、後もまたうまくいくものらしく。

 

 弟魔術師は剣士一党、というか剣士への姉を盗られたような嫉妬などもなりを潜め仲良くやっている。

 

 圃人の少女とも円満にやっているようで、訓練場できゃいきゃい騒いでいるのを見かける。

 

 後はまぁ、訓練所への襲撃の件を前もってこちらから攻め込めれば一通りめでたしめでたし、というところか。

 

 姉の術士としての威厳ということで、鉱人道士に同一真言重複詠唱の伝授を受けて、それをまた弟に披露していたので、後々の彼の技術向上の礎にもなってくれたように思う。

 

 最初にこちらに丸投げをするように泣きついてくれて、一党が積極的な協力体制に傾いたので、話が全体的にスムーズに進んだのが大きい。

 

 同一真言重複詠唱による多彩で独創的な魔力活用や《遅延》による魔術の同時起動、無詠唱起動などは彼の戦い方の基礎であるので、前の通り同一真言重複詠唱をここで覚えていってくれないと、どこで命を落とすか分からない。

 

 彼が育てた後進達が様々な魔術研究を支える人材になっていくことになる。

 

 将来的に皇都が月や世界各地との《門》の常設にこぎ着けたのは彼らの研究に依るところが大きい。

 

 利害関係だけで話をするわけで無い、長い付き合いとなる友人であり師でもある彼に死なれるのは単純に悲しい。

 

 とまれ、諸々の杞憂も過ぎた。

 

 昇級のタイミングはずれるかも知れないが、犠牲者の少ない方が、いいだろう。

 

 《看破》に関しては、監督官の彼女には悪いが《二枚舌》なり《幻聴》なり、かいくぐる方法はいくらでもある。

 

 私が嘘を言わず、相手が不審に思わない声が耳に入ればよいからだ。

 

 大規模国家の樹立には魔術や精霊、奇跡の詳細な解析が必要不可欠であったからだ。

 

 剣の乙女の協力やそれ以後の研究検証により、私一人が、不意を突かれていなければ、ではあるが、ちょこっと問答をくぐり抜けるぐらいどうとでもなる。

 

 しかし技術でくぐり抜けるのはどうしてもどこまで行っても運頼りになるので、水の街の彼女直々の見逃し免状でも監督官の彼女宛にもらえれば楽なのだが、現状そういう訳にもいかない。

 

 とりま黒曜等級に昇進した時のようにいけば問題なかろう。

 

 さて、とふと空を見上げる。

 

 双月がまるでオッドアイの巨人のように地上を見下ろしている。

 

「ままならないものですね」

 

 ーーなった。

 

 勇者になった。

 

 英雄になった。

 

 王者になった。

 

 歴史になった。

 

 伝説になった。

 

 数多の神代の武具を授け、数多の英雄に数多の邪悪を討滅させた。

 

 国という国を下し、竜に膝を突かせ、巨人を駆逐し、悪魔を狩り、世界を救った。

 

 隠された遺跡を探索させ、世界の神秘を研究させ、その真実を力に国を盤石なものとした。

 

 見渡すほどの忠臣、民衆に慕われ、万雷の拍手と喝采の声を浴び、世界の頂点に上り詰めた。

 

 現実という金床と憎悪という炎と宗教という水と正義という鎚で、人類をゴブリンを殺す刃へと打ち換え、手に取った。

 

 磨きに磨いた術で覇を唱え、その振るう錫杖には何千万という兵が一心に従い、後々にまで語り継がれるであろう武名をほしいままにした。

 

 志ある人たればかくあれ、と呼ばれる者になった。

 

「あぁ」

 

 ため息一つ、空を見上げる。

 

 双月が、こちらを見下ろしている。

 

 空の彼方のその向こう。とてもではないが手の届かないその高みの光を、手に入れた。

 

 天上天下、おおよそこの世界ができて、最も多くのモノを手に入れた女なのだろう、自分は。

 

 最も、強欲な女なのだろう。

 

 そんな自分が、彼を、取り逃がした。

 

 そんな自分が、この時に舞い戻った。

 

 まだ、彼は手に入らない。

 

 ゴブリンを滅ぼした世界を捧げれば、彼は手に入るだろうか。

 

 それは、今回分かる。

 

 

 

 ゴブリンどもは、慎重に、彼らなりに、ではあるが事を進めてきた。

 

 周到に伸ばしたトンネルは、四つに分岐し、多方面から冒険者達の作る“巣”を襲える。

 

 彼らの親玉である上位種はその“巣”を自分の城におあつらえ向きだ、と考えたのだ。

 

 どこに襲いかかるにもよし、おあつらえむきに武器も道具もしっかりある。

 

 その頭脳には訓練所を簒奪し、周囲の村々を好き勝手に脅かす、邪悪で陰惨な欲望だけがあった。

 

 別段防衛用に作られたわけで無い訓練所を占拠したとて、いざ人間達が討伐に乗り出せばたちまちに退治されてしまう、そんなことはゴブリンの頭が思い当たるはずも無く、襲撃と蹂躙の未来にその頭は占拠されていた。

 

 元気そうな女が多かった、男もそれなりに食えそうだ。

 

 楽しみな未来に、胸は躍る。

 

 だから、無造作に《隧道》でもって討ち入りされるとは夢にも思わなかった。

 

 流し込まれる毒煙に《呼気》の指輪を付けた冒険者達に頭を射貫かれ、腹を刺され、首を切られ、ゴブリン達は討伐されていく。

 

 なぜ、この隧道がばれたのか、正確に把握されたのか。

 

 《透視》の術に、ゴブリンが思い当たることなどついぞなかった。

 

 

 

 首元には鋼鉄製の認識票。

 

 久しぶりのそれを首元に街を歩く。

 

 向かう場所は駅馬車の乗り場、常であれば女魔術師の仕事場だ。

 

「手紙だすからさ、卒業したら追っかけてきてよね」

 

「あ、ああ」

 

「じゃ、また後で!」

 

 からり、と風のように圃人の少女は旅に出る。

 

 名残惜しげな彼を見るに学院を中退するのは、認められなかったようだ。

 

「卒業まであと少しなんだし、いっそ飛び級じゃ無いけど成績さえよければ繰り上げの卒業だってあるしね、女の子待たしてるんだから頑張るのよ」

 

「わ、わかったよ……うん、頑張る。父さん達には姉さん凄く頑張ってたって伝える」

 

「うん、お願いね、私も……前よりは手紙出すようにするからさ」

 

 彼女の一党が馬車で飲め食べろとあれこれと弟魔術師に土産を押しつけ、目を白黒させている彼に女神官もどうぞ、と砂糖菓子を渡す。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「竜、倒せると良いですね」

 

「うっ、ま、まあ」

 

 まさかいじられるとは、という苦笑いにそっと、言葉を添える。

 

 それは世界を駆け抜けた大魔道士の物語のほんの一端。

 

「《赤毛の魔術師、巧みの術士、圃人の少女と人狼と、西へ東へ大立ち回り、竜を討つか、巨人を討つか、圃人の忍びの助力を得ては真祖の吸血鬼を師と仰ぎ、弟子をとりて果ては月への門を開いたり》」

 

 その言葉に、弟魔術師は大きなハテナを浮かべた。

 

「それ《託宣》?」

 

 聖女が瞠目し、女神官へ問いかける。

 

「わかりません、ただ、お伝えをせねばと。ちなみに忍びの人は根性見せるのが大事なようです」

 

 そう言い切られては、それ以上問いかけることもできない。

 

 託宣はぶつぎりで分かったような分からないようなモノが多いからだ。

 

「凄いじゃないの! 竜に巨人に月! 大冒険よ大冒険!」

 

「わっ、ちょっ、姉ちゃん」

 

 弟の未来の勇姿に姉がはしゃぎ回る。

 

 姉をなんとかなだめて、弟の出発を見送る。

 

 弟の姿が見えなくなったところで、姉はこらえていた目元の涙をぬぐった。

 

「それじゃ! 姉としては弟に負けないような冒険しなくちゃね!」

 

 そう決意を新たにする女魔術師にあきれ顔を向ける一党達は、

 

「そうだな」

 

「でもまぁ」

 

「とりあえずは」

 

「お疲れ様で」

 

「一杯飲みに行きますか!!」

 

 剣士の締めの言葉で六人は酒場へ向かうこととなった。

 

 

 

 珍しい姿だ。

 

 くたり、と赤い顔でうつらうつらと正体をなくす彼女など、ゴブリンスレイヤーは見たことが無かった。

 

 いつも穏やかな笑顔を浮かべているか、凜としているか、ともあれ腑抜けている彼女は珍しい。

 

 年齢層も人種もまるでちがう一党での宴と同期飲みはまた違うといったことだろうか。

 

 こうみると、年相応な少女だ。

 

 剣士も聖女も相方の介抱ということで部屋に運ぶべく、ここに姿は無く、守りを頼まれた形だ。

 

 剣士に聞くに、何から何までたすかりました、と女魔術師は言っていたらしい。

 

 この娘の事だ、十全にやり抜いたのであろう。

 

 何か、してあべるべきだろう。

 

「うみゅ、ぁう、ん、ふふぅ」

 

 あどけない寝顔と寝言に、丸まるように添えられた手に指輪の銀光がチラリと光る。

 

 ふと、それを見て。

 

 全く以て彼らしくない衝動がわき上がってきた。

 

「ありゃ、めずらしいわねこの子が」

 

 それを見つけた森人が店に入るなり寄ってきて、はて、毛布でも持ってこようか、部屋に連れて行こうかと思案している。

 

 姉貴面できるまたとない機会に、その顔は静かに浮ついている。

 

「同期で飲んで潰れたらしく、守りを頼まれた」

 

「あぁ、まぁ同年代だとなんか気安いのかしらね、私達の時だとどうしてもみんなに気を遣ってて、まぁそれが楽しそうだからいいっちゃいいんだけど、それでどうするの?」

 

 部屋に連れて行くか、起きるまで待つか、そう聞いたつもりであった。

 

 だから、まるで童心に返ったような悪童そのものの声色のその返答に虚を突かれ、そして、しばらく彼女はこの件を大いに語り草にすることになる。

 

「驚かせるから一枚噛め」

 

 

 

「よ、っとと」

 

 ゆらり、ゆらり、昇っていく。

 

 自分の足では無く、誰かの足によって。

 

「う?」

 

 そして、ベッドに自分の体が沈む。

 

 うっすらと目を開けると姉のような穏やかなまなざしで自分に毛布を掛ける友人。

 

「ありゃ、おこしちゃった?」

 

「あ……ごめんなさい」

 

 慌てて起き上がろうとするも、押しとどめられる。

 

「いいのいいの、ほら、起き上がらなくて良いから、そのまま毛布にくるまって寝ちゃいなさい、ね」

 

 そう言って、肩までしっかり毛布を掛けて、そう念押しする。

 

 そのいたずらっ子のようにつり上がった口元を、女神官は気付けない。

 

 完全に心を許した相手には、彼女のガードはダダ甘なのである。

 

 とろけるように、再び襲ってきた眠気に、友人の言葉に甘えて、意識を手放す。

 

 それを見届け、森人はするりと部屋を出る。

 

「どうだ?」

 

「うん、バッチリ!」

 

 声を抑え、共犯者の笑みを密かに待っていたゴブリンスレイヤーに向け、そそくさと二人は立ち去る。

 

 部屋の中で眠りに落ちた少女。

 

 朝目覚めて、彼女は気づくだろう。

 

 己の指の指輪に輝く、彼女の瞳のように蒼い蒼いサファイアの輝きを。


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