女神官逆行   作:使途のモノ

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幕間 蜥蜴のグルメ

 

 香りが、キラキラと輝いていた。

 

 鼻腔が、幸福を感じている。

 

 小さな、肉片である。

 

 皿には、ささやかな野菜と小さな肉片があった。

 

 ほぅ、と吐息が漏れる。

 

 美しい肉だ。

 

 皿にしたたる肉汁を見て、あぁ、と声なき声が漏れる。

 

 それすら、惜しい。

 

 さて、と思わず背筋が伸びる。

 

 その肉をつい、とつまめば恐ろしいほどはかなく蜥蜴僧侶の爪を受け入れるように裂ける。

 

 こうも、従順な肉がこの世にありえるのか、静かな驚愕が胸を占める。

 

 恐る恐ると、その肉を口に含む。

 

 舌で押しつぶすだけでほどけるように崩れていく。

 

 肉はただただ磨き上げられた妖艶なまでの美味を献ずるように蜥蜴僧侶の舌を楽しませる。

 

 ――贄

 

 極上に磨き上げられた贄。

 

「おぉ……」

 

 戦きに近い声が漏れる。

 

 竜が美しい純潔の乙女を求めるのは、これゆえにか、と思わせる感動が蜥蜴人の胸を満たした。

 

 ふと、気づけば手を合わせていた。

 

 感謝。

 

 自ずから自然と手が合わさる、これを感謝というのだろう。

 

 それを、味を以て味わえるとは、思ってもみなかった。

 

「美味、也」

 

 それ以上の言葉は無粋だ、と分かる。

 

 余韻すら、かみしめ、感じ入る。

 

 それを、楽しげに少女二人が眺めていた。

 

 

 

「私もご一緒してよろしいでしょうか!」

 

 さて、ちょっと休日の食べ歩きに行こう、と蜥蜴僧侶と酒神神官の少女が待ち合わせの相談をして居たところに鳥人記者の少女が名乗りを上げた。

 

 先日の狩人のような装いではない、豊満な乳房のシュルエットがよくわかる、大きく背中の開いた柔らかなドレスの姿で歩く様は天使の如き幻想的な美麗さだ。

 

 ほのかに赤らんだ、頬が愛らしさすら感じさせる相貌に周囲の男共がうらやましそうな視線を蜥蜴僧侶に向ける。

 

 どちらも、呼んだわけでは無い。

 

 とはいえ、拒む理由も無い。

 

 いいですかな?

 

 いいですよ。

 

 そういうわけで、三人での食べ歩きとなったわけである。

 

 

 

 異文化の僧形の蜥蜴人、それが両手に花、となれば当然であるが目立つ。

 

 すれ違う者達がちらちらと三人に視線を向ける。

 

 しかし、三人とも他人の視線など知ったことでは無いかのように、気ままに街を歩く。

 

 ――舌を洗いますかな。

 

 それまでの高級店で浮ついた舌を落ち着かせる事ができる場所を探し、ちらちらと周囲を見やる。

 

 食とは戦、広い視界が

 

 酒、よりは茶。

 

 口の中をリセットしてくれるような、次の食事へ旅立てるようなもの。

 

 さてはて、と周囲を見やる。

 

 ふと目についたのは小洒落た喫茶店であった。

 

 黒く落ち着いたドア、店の看板は丁寧で精緻な木工、それこそ森人の手による物かも知れない。

 

 ――中々、良さそうですな。

 

「ここで、一服としましょうぞ」

 

「はい」

 

「わかりました」

 

 チリンチリンと可愛らしいドアベルの音が響き、店の奥から「はーい」と鈴のような声と共に半森人の女給服の少女が駆けてくる。

 

「三人、よろしいですかな」

 

「わ、はい、こちらにどうぞ、蜥蜴人の方は……」

 

「あぁ、拙僧は床に座らせていただいてよろしいか」

 

 ええと、と何か座れそうな物が無いかと見回すのを蜥蜴僧侶がとどめる。

 

 その方が他の二人と視線もまだ合う。

 

 たらり、と回された尾が少女二人を取り囲むように床を回り、その様子を見て半森人の少女がふふ、と笑みを漏らす。

 

「何にします?」 

 

「そうですねぇ」

 

 こじゃれたメニューを前にきゃいきゃいとはしゃぐ二人を見やり、「拙僧は何か茶を」と頼み少女達に「何か食べましょうよ」と誘われどれどれとメニューを二人の間からのぞき込む。

 

「甘みモノにはとんと勘働きが……何か良い物はありますかな?」

 

「うーん、となるとブルーベリーのタルトなどいかがでしょう? 甘みと酸味、タルトの土台の重量感なども食べ応えがありますよ?」

 

「いいですねぇ、となると私からは……ふむ、王道の苺のショートケーキで、スポンジにクリーム、フルーツ、何事もまずは王道を踏みませんと」

 

「なるほど、なるほど、目移りしてしまいますな……さて、はて」 

 

 奨められるがままに、というのもいいものではあるが、己で選ぶのもまたよし。

 

 食道楽は選ぶのもまた楽しみだ。

 

「……チーズ?」

 

 ふと、メニューの一行が目に飛び込んできた。

 

 どれどれ、と二人がのぞき込み、あぁ、と声が漏れる。

 

「チーズケーキですね、あれ、これ聞いたことの無いような……」

 

「あぁ、それはウチのオリジナルなんです、店長が凝り性で最近の氷菓子っていうか冷やすのから思いついたらしくって」

 

「ほう! では拙僧はこれを」

 

「では私達も折角ですし」

 

「そうしましょうか」

 

「はぁい、かしこまりました」

 

 パタパタと揺れる尻尾をニコニコと見やり半森人が裏に消える。

 

 機嫌よさげな堅物の様子に二人は笑みを浮かべ顔を見合わせた。

 

 

 

「お待たせしました!」

 

 白

 

 すらり、と優美さすら覚える扇情的な佇まいのソレ

 

「これが……ケーキですか?」

 

 どこから切り崩すべきか、途方に暮れるような静の形。

 

 だが、そこに途方も無い獰猛さを蜥蜴僧侶は感じ取っていた。

 

「レアチーズケーキって店長は言ってます」

 

「なるほど、なるほど、見れば竜の牙の如き冴え冴えとした美しさ、して、味は……」

 

 それを、口へ含む。

 

「!」

 

 こう、来たかぁ

 

 それは、閑寂とした感動であった

 

 太陽の日の出を見て、涙するのに近い

 

 口の中で、春が訪れた

 

 豊穣な春だ

 

 雪解けの様に、チーズがやってくる

 

 舌を休める? 洗う?

 

 何たる蒙昧!

 

 その美しい牙は容易く蜥蜴人の魂にドスリと深く刺さった。

 

「甘露!」

 

 幸福な完敗の叫びと共に残りが瞬く間に平らげられる。

 

 かくして、僧侶に新たな地平がもたらされた。


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