女は、本を着ていた。
後で誰かに彼女の印象を聞かれれば、まずその言葉がよぎるだろう。
それなり以上の美貌、よくよく見れば豊満な肉体、付けている聖印は知識神のものだし、観察すればまとう衣も盛大に改造されてこそいるが神官服だ。
しかしそれ以上に印象に残るのが、隙あらば、とばかりに至る所のポケットに差し込まれた本の数々だ。
大小何冊あるやら、他に何か持つ物は無いのかと不思議に思うほどに衣類が本棚のついでに服をしているような状態であった。
「失礼ね、本だけじゃ無くて筆記用具にノートもあるわよ」
つまり、彼女が着ているのは書斎らしい。
「それで、ええと、神代文献の研究でしたか、その学会発表で王都へ行く、その護衛を頼みたい、ですね」
通りがかった地母神の女神官の彼女が珍しくはしゃいだ様子でサインをねだっていたのだからこの街では実は知る人ぞ知る人なのかもしれないが、剣士達はとんと聞いたことの無い人物である。
「半分はそうなのよ」
「半分?」
彼女の視線が女魔術師と聖女、そして女武道家へと写り、そのあと剣士と戦士をなぞる。
「読み書き出来る人ってそちらの二人以外で他に居るかしら?」
女魔術師と聖女以外のメンバーに視線を送る。
「簡単な文章なら」
一党の頭目として文盲はだめだと一念発起して女魔術師に文字を教わった剣士が答え
「私もあんまり難しい文章は」
「おれも同じくそんぐらいかなぁ」
戸惑い気にそう続く二人の答えに、学者神官はにんまりと笑みを浮かべる。
求めていたモノ以上のものに浮かべる、穏やかで決して逃がす気のない笑みだ。
具体的に言えば貸しのある暇な友人が絵描きのアシスタントを出来る程度の腕前であると知った締め切り間近の絵描きの笑みに、それは似ていた。
「いえいえ、ありがたいわ、本当、ありがたいわ」
「……それで、その、結局護衛の仕事なんですよね?」
妙に報酬も良いが知識神の神殿からの依頼の体裁をとっているし、変な裏もないだろう、と引き受けた仕事だ。
王都など女魔術師以外行ったこともないし、帰りがけになんかの護衛の仕事を受ければちょっとした王都観光もできるんじゃないか、と仲間内でも好評で依頼人と会うことになった。
もしかして、早まったかも知れない。
「実は学会で発表するものなのだけど、頭の中では整理されているのよ」
「は、はぁ?」
ふぅ、と切なげに声を漏らす彼女に戸惑い気な声を上げる。
女魔術師辺りはなんとなく察しがついたのか、戦場に臨む顔立ちになっていく。
「王都に向かう道中の馬車で、あと着いてからもしばらく、私がしゃべることをひたすら書き上げてもらえないかしら?」
締め切りは刻一刻と迫っていた。
筆記係は剣士達三人いずれかが書いたモノを女魔術師と聖女のどちらか清書するという体制だ。
元々辺境の街と水の街、王都をつなぐ西方の大街道は治安もよく、単身荷物を担いで歩く行商人もいるほどだ。
神官様が何か重要なモノを運ぶのかなぁ、と剣士達はある意味気楽に構えていた。
そんな彼らも容赦なく放り込まれた修羅場にずいぶん精悍な顔つきになっていた。
朝に馬車に乗ってから夕方になるまで、学者神官はひたすらに己の論文をその着る書斎のあちこちから本を引っ張り出しては話すという芸当で話し続け、それを剣士達はひたすらに書き上げていく。
それを受けて女魔術師か聖女が走り書きではあるがまだ見れなくはない文章に整えていく。
「でも、もっと堅い文体じゃなくていいんですか?」
食事時にそう女魔術師が文献を見ながら言う。
剣士達でも書き上げられる、というのはつまり非常に平易な表現で語られているということだ。
学会、という話なら正直場にそぐわないモノだろう。
「いいのよ、後々出版して売るつもりだし。文字の読める庶民でも読める神代を扱った書って無いから……開拓地が広がって定住する人が増えて、人口が増えれば本を読む人も増えていく。だからこそ今、発表して出版にこぎ着けたいのよ」
「あー、じゃあ発表自体は箔付けみたいな?」
「聞こえは悪いけど、そうね。ここで先んじて他の学派に差を付けなくちゃいけないわ」
そう情熱に燃える彼女の数少ない持ち物であるペンには銀の彫金で円と六芒星が描かれている。
六面派の証だ。
この世界は神の遊戯盤であり、神々が骰子を振っていることは広く知られていることだ。
自分たちの命運を決めるモノだ、故に神の振る骰子はどのようなモノであろうか、という論議は四方世界で尽きることは無い。
四面、六面、十面、二十面、百面、この世界でも様々な骰子はあり、各学派が我こそ真理に近い! と気炎を吐いているのだ。
「空に浮かぶ星々も球体、つまり円、円をその半径でコンパスで分割すればちょうど六分割できるの、そこから描くことが出来る形は六角形であり六芒星、ミツバチの巣だって六角形だし、氷が溶けるときもチンダル像が形成されるの、他にもこの形は世界に色々あって、つまり六という数字は世界を形作るにもっとも自然で整った美しい数、だから神の振るわれる骰子も自然と六面であるはずなのよ」
「は、はぁ……?」
「それなのに他の奴らは! 何よ四面派は最小の面の数で作れるからスマートだとか! 四面骰子は踏んだら痛いじゃない! 百面骰子だって手に入りづらい割に球体と大して変わりないし、コロコロどこ転がってくか分からないし! 二十面なんて二つあれば百まで表現できますって優等生面しちゃって! 六面が一番普及しててお求めやすくて親しまれてるんだから!」
若干学者慣れしている女魔術師はあぁ六面派の人だなぁと懐かしげだが、その他の面子としては珍獣を見る視線だ。
まぁまぁ、と女魔術師がとりなし、串焼きを一つ差し出し、学者神官はそれにガブリと噛み付く。
体力が無ければ研究というのも難しいらしく、前にお願いをした神官仲間には今回の
旅としてはかなり順調だ。
一回ゴブリンの襲撃こそあったが、学者神官が重装丁の本をベルトで縛って即席の鈍器にして「時間無いのよ!」と憂さ晴らしのように撲殺して剣士達が出るまでも無かった。
最初は面食らったが、文章を書いて、勉強させてもらってお金をもらうなど、自分たちからすればメリットしかない話だ。
この移動する修羅場を経て剣士達は前はつっかえつっかえ恐る恐る読んだり書いていた文章がスラスラと書けるようになっていた。
旅程は結局王都まで何の問題も無く進み、剣士達は学者神官の論文と商品の間のようなナニカを完成させるべく何日か拘束されたらしい。
そこには姉からの手紙によってホイホイとつり出された弟の姿もあったという。
とまれ、現物はできあがり学者神官は己の戦場へ向かっていった。
これが彼女が神代研究の権威へと上り詰める序章であり、手伝った論文の中身を聞いた女神官が盛大にうらやましがることとなる、後世における神代関連の鏑矢にして金字塔とも言われる名著の誕生の経緯となることを剣士達は知るよしも無かった。