女神官逆行   作:使途のモノ

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幕間 あるべき場所にあれ

「物を持つことのできる者、道具を使うことのできる者の繁栄の要訣、これは運搬にあります」

 

 女神官が海藻交易にあたって、交易神の神殿へ向かって対応に出てきた交易神の女性神官は女神官の話を聞いてそう返した。

 

 ちなみに酒神へ行ったら「美味しい新商品扱えるんですか! お酒に合うんですか! やった――!」とほぼ即決であった。

 

 首に下がったのは細鎖で結ばれた金の車輪。

 

「食料、物資、それらを運ぶことで、人は本来済むことができない場所に定住するこをと可能にしました、食料を取ることのできない鉄の山で鉱夫が採掘できるのは、鉄を売り、食料を買うことが、物流あってこそです。そして、鉄の無い地域に鉄がもたらされ、それは様々なことに使われます」

 

 己の足で歩き、はたまた馬を乗って駆ける交易神の神官の下半身は健康的に引き締められていた。

 

「求められるものを、求められる場所へ、無論、運ぶべきでないものを運ばないことも、とても大事です無節操な氾濫と適切にいきわたることは全く別のものであるからです」

 

「仰る通りです」

 

「今回の新薬は妊婦の安産や家畜の育成などに有意な効果がある、と伺いました」

 

「はい、育て作ることは我々で出来ましても、それをはるか大陸の彼方へ安定的に、となりますとやはり交易神の御力無しには」

 

「そちらの薬学の確かなるを今更疑うわけではありません、その効用は確かなのでしょう」

 

 その言葉は断定に近い。

 

 守り、癒し、救う、それを標榜する地母神が栽培を含む薬草学に一切関係が無いことなどあろうはずもなく。

 

 他の教団や魔術師などもそれなりに研究をしているのは分るが、ウチとでは母数と年期と体制のレベルが段違いだ。

 

 薬草作りのための土地改良から実際の人間や家畜への投与まで一気通貫の全てのノウハウ蓄積を自弁出来るのはウチの強みだ。

 

 

「一応、試供品として樽一つ粉にしたものをお持ちしました、検証は海から遠ければ遠いほどよろしいかと」

 

 交易神も酒神も手元の利権に物流がある教団であり、現代の陸上輸送は畜力が占める割合が大きい。

 

 現代で船と一部の魔術器具を除けば馬車が最速かつ最大の積載量を持つ。

 

 畜力の安定が陸上物流の安定につながると言ってもいい。

 

 それはつまり、彼らの利権がより確かなものになるということだ。

 

 かつても、最初の大口顧客は彼女たち両教団であった。

 

 もとより点である村々とそれらをつなぐ線である物流にそれぞれ勢力を持つ地母神と交易神そして酒神は仲が良い。

 

 ともすれば、どちらかが吸収されて従属的になることすらありえたであろう。

 

「……行き渡るべき薬を届けるべきところへ届ける、それは我々の信仰に殉じるものであります、喜んで、協力させていただきます」

 

「末永く、良い関係を築きましょう」

 

 そうして、互いが差し出した手は堅く握られた。

 

 

 

 

 

 時に、世には義賊の浮き名が流れていた。

 

「ふーん、あくどい商人の金庫がすっからかんね……いい事じゃない!」

 

 吟遊詩人の語りに、うんうんと頷く森人。

 

 わかりやすい懲悪はウケがいいのか彼女以外にも小銭を投げる者は居る。

 

「だぁほ、こっれだから森人は……その金が闇から闇へじゃ意味なかろうが」

 

「そりゃまそうだけどさ、悪人の手元にあるよかいいじゃない。悪人が悪事に使うんだったら善人から奪った方が一挙両得でしょ、そうじゃないんだから何か良いことに使われているわよ」

 

「……そらま、そのほうがええがの」

 

「暴虐な簒奪は、まぁ拙僧としては悪とはいきますまいが、巧みな簒奪も、また悪ではありますまい」

 

 只人の法と正義からややズレた彼らとしては単純なものであった。

 

 簒奪したものが、簒奪された、ただそれだけ、ということだ。

 

「ねぇねぇ、見て! 怪盗!」

 

 そう言って指さすのは己の美貌をぐるぐると適当な布で巻いた顔。

 

 覆面のつもりなのだろうが、適当が過ぎて架装の域を出ていない。

 

「そんな騒がしい怪盗がおるもんか」

 

 疲れたような鉱人の声が風に溶けた。

 

 

 

 

 

 闇夜を、影が走っていた。

 

 その足音が猫の如く静かであるのは、熟達の技であるのだろう。

 

 薄暗い、闇夜に溶けるための絶妙な衣を影は纏っていた。

 

 その引き締まった足が更に静かに速く稼働する。

 

 とん、と跳躍して、とんぼを切り、またすたりと、屋根に着地する。

 

 眼下に辺境の街の明かりを見下ろしつつ、その足が止まることは無い。

 

 影は、ある建物へたどり着いた。

 

 中庭のあるロの字型の建物であり、三方を別の建物にかこまれたその建物は前面からしか入ることのできないものである、本来であれば。

 

 猫の如く跳躍した影が中庭を見下ろす屋根の縁へ至る。

 

 そこからの動きも、まるで水が流れ落ちるかのようであった。

 

 するり、とまるで何でもないことの様に影は中庭へ身を投じた。

 

 壁を、手すりを、まるで自宅の階段でも下りるように、すたすたと足が、手が音もなく触れたかと思えば落下のスピードを制御され、やはり殆ど音もなく着地する。

 

 その様を見て居なければ誰も人一人が屋根から飛び降りたなどと信じることは出来なかったであろう。

 

「《巡り巡りて風なる我が神、我が旅路を示し給え》」

 

 ふわりと、風が巡り、影の脳裏に己が進むべき経路が啓示される。

 

 影は、音もなく屋敷へと入っていった。

 

 

 

 

 

 来た時の様に、影はするりと当然の如く屋根へ上った。

 

「見事なものですね」

 

 かけられた言葉に、投じるは貨幣。

 

 三枚の硬貨が声の下へ一切の遅滞なく投じられたのだ。

 

 どこに持ち歩いていても、落ちていたとしても、不審に思われない飛び道具としてこれ以上のものはそうそうない。

 

 迎えるも影。

 

 当然予測していた、とばかりにぬらりとした、速さではなく先読みでの避けの動きだ。

 

 自分の盗みを補足した相手に通じると思っていなかったのか、動揺した様子もなく右手には薄く長い刃が抜かれている。

 

 その刀身には墨をまぶしたのか、暗闇ではよりその間合いを図ることは難しいだろう。

 

 それを、無造作に真っ直ぐにつき込む。

 

 突きというのはわかりにくい技だ。

 

 そして、すぐさまに足切り、そして掲げるように刃を上げて

 

「シッ」

 

 はるか下の左足が魔性の蛇のように相手の膝を狙った。

 

 受けねば壊れる、そういう殺意があった。

 

 手厚い治療を受けねば杖無しの人生を送るのは難しい、といういった一撃である。

 

 熟達の者であればこそ、受けるか、避けるか、せねばならない攻撃である。

 

 だからまさか、平然と枯れ木を折るようにその膝を蹴り潰せるとは思っていなかった。

 

 ペキペキと骨を折り、体勢が崩れる。

 

 だというのに、相手はお構いなしにこちらをつかんで来た。

 

 掴む力は、強い。

 

「!?」

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうか我が傷に、御手をお触れください》」

 

 青い目が、こちらを射抜いている。

 

 即座に足を癒やした影が絡みついてくる。

 

 その首に腕が回り、交易神に仕える盗賊神官は意識を断たれた。

 

 

 

 

 

「魔法の袋、というのは便利ですねぇ」

 

 しげしげと、懐に収まる程の倉庫一つの容量を持つ魔法の袋を眺める。

 

 自分も自前の収納空間はあるが、出し入れに呪文を使うためそう頻繁に使うことは出来ない。

 

「……ずいぶん分厚い猫被ってたんだね」

 

「大して隠していませんよ」

 

 そう平然と言う狩人姿の彼女にため息をつき、出された水袋の酒をあおる。

 

「……で、衛士にでも突き出すかい?」

 

 盗賊神官の瞳に、怖いものが宿った。

 

 氷の刃の中に、青白い炎がどろどろとうずまいていた。

 

「まさか」

 

 そんなことなどどうでもいいと、けろり、と女神官は答える。

 

「取引を持ち掛けるにあたって、そちらの神殿を少し調べさせていただきました」

 

「あぁ、そうか、大分羽振りが良くなっていたろうね……分からないようにゃ、気を付けたんだがね」

 

「ちょっとした、ズルのようなものですよ、今の所他が気付くことは無いでしょうが、いずれは、でしょうね」

 

 未来での知人であったことなど、インチキもインチキだ。

 

「そうかい」

 

「個人的欲求で?」

 

「私情半分、信仰半分」

 

 自分の中で答えが出ている者の声色である。

 

「悪人の金庫にとらわれた、血と涙と怨嗟に塗れた財貨を救い出す。ハメられて売り飛ばされる世間知らずに掛けられた鎖を断ち切る。悪徳商人が気に入らないのはもちろんさ、でもそんな気概ってのもあるのさ、交易神の信徒にゃ」

 

「信心と行動力があふれていると、中々面倒なものですね」

 

「多分アンタにゃこの世界の誰にだって言われたくないんじゃないかね。勘だけどさ、神官の勘は当たるだろ?」

 

「そうですね、たまに働いてくれない時があるのが玉に瑕ですが、さて、では」

 

 どさり、と魔法の袋が二人の間に落ちる。

 

「このまま持ち帰っても、いずれは突き止められますよ」

 

「つまり、なんとかする方法があるってんだろ? もったいぶるねぇ、さっさと言っとくれよ」

 

「簡単なことですよ」

 

 すい、と親指と人差し指が輪を作る。

 

 金貨のように、円環のように。

 

「海藻交易が本格稼働すれば、後々元来の薬草栽培も増産を進言する予定です。そこで動く額はゆくゆく膨大なものとなります、そこまで話が育てば、義賊働きのお金の動きがちょこっと混ぜ込んでもほんの端数の誤差で誰も気づかない……ただ、そうするには元手が必要でしてね」

 

 令嬢剣士からの寄進はあくまで産婆の育成への金であり、そこから好き勝手に引っ張ることができるモノではない。

 

 海藻を栽培して、それで人に仕事を行き渡らせられるわけではない。

 

 神殿に入っているゴブリン被害者も全員産婆にさせることも現実的に難しい。

 

 だが、薬草園で薬草栽培と読み書きを教えれば、世界どこででも引く手あまただ。

 

 私の国で培った世界を収める為の書類編纂技術を持っていれば文官としてもどこでだってやっていけるであろう。

 

 社会が大きくなればなるほど、貧困と病と飢えはより狂暴な牙をむくのは嫌という程経験している。

 

 少しでも打てる手は早目にうっておきたい。

 

「なるほど」

 

 大体商売の青図面を書いたのだろう、盗賊神官に飲み込めた笑みが浮かんだ。

 

「ところで、地母神は()()()()()を、広く、広く受け入れております。実名でも、匿名でも、もちろん、そんな善意を一々疑って間者を放ったりなんか、しませんよ、はい」

 

「降りるなってか」

 

「義賊が救い出した血と涙と怨嗟に塗れた財貨が、つつがなく大手を振って世の人々を癒すために使われる。大規模な薬草園が運営され、それを運ぶのはあなた方……教義にもとりますか?」

 

 差し出された手に、にやりとした笑みを向ける。

 

「大歓迎だ」

 

「末永く、良い関係を築きましょう」

 

 そうして、改めて互いが差し出した手は堅く握られた。


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