女神官逆行   作:使途のモノ

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第二十話

 知識神の文庫

 

 そこは既にゴブリンの手に落ちていた。

 

 すい、と目配せで仲間と意思を通じ、《沈黙》から次の奇蹟の行使へ移る。

 

 戦端はまさに開かれんとするところで、の呪文使いの一押しはまさに戦局を決定づけるものになりうる。

 

「GOOBUGOGOGO!!」

 

 小鬼達が醜悪な顔を更に歪め、それぞれの手には汚らしく作り上げられた毒の刃がねとねととした光を放っている。

 

 しかしそれも、無為に終わる。

 

「《慈悲深き地母神よ、どうかその御手で、彼の汚れをお清めください》」

 

「便利よね、毒にやられる危険がぐっと減るんだもん」

 

 敬虔な信徒の祈りに応え、天上より伸びた見えざる手が、この凶状を清める。

 

 かつてであっても広範な水域を浄化せしめ、神からの勧告こそあれ、体内の血液すら水へと変えるその奇蹟を持ってすれば、神殿内のゴブリンの手にある毒で汚れた刀身を清め、ただの粗末な刃にすることなど造作も無いことである。

 

「GOGOA!?」

 

 戦場の毒刃という利を潰えさせる、《浄化》とはとかく術者の想像力次第で猛威を振るう奇蹟であるのだ。

 

 毒刃の危険性は、言うまでもないことであり、そのリスクを潰すことが出来るならば、潰した方が良い。

 

 呪文や奇跡ならではの仕事、というやつだ。

 

 かつての未来では私の側近や友人たる宰相の彼女の近くには絶えず浄化や防護の専門神官が近くに侍っていたものだ。

 

 祭壇へたどり着いた私はそのまま少女を癒す。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 陵辱の傷跡深い少女の息がととのいゆくのを確認しながら戦況を見渡す。

 

 自分を抜きにしても、銀等級の冒険者が四名、わけてその一人はゴブリンスレイヤーだ。

 

 もはやゴブリンどもの進退はここに窮まっていた。

 

 

 

 むわとした夏の風が水面に鎮められて爽やかに頬を撫でる。

 

 慣れ親しんだ辺境の街とは違う風を感じながら、女神官は仲間の少女達と共に水の街を歩いていた。

 

 土産物やおしゃれ、といった平素は馴染みのない、でも心躍る品々を女四人で姦しく見て回る。

 

 件の古文書は前回と同様剣の乙女にゆだねられることとなった。

 

 知識神の神殿に預けるのが筋なのかもしれないが、この国において政治力があり中央への要請がもっとも早いのは彼女をおいて他にはない。

 

 そもそもあの文庫自体単立(宗派内の特定派閥に属していない事)のもののようだったようで確たる伝手も碌にないようであった。

 

「あら」

 

 ふらと本屋に訪れたのは船旅が長くなると聞いた受付嬢が手慰みとして書籍を求めた故である。

 

 魔術書などはない、あくまでの教養図書や物語が記された伝記、無論そういったものでもそれなりに高くつく。

 

「何か面白そうなものでもありましたか?」

 

「ええ、ちょうど今から向かう先の話でして」

 

 森人と交流が途絶えた時期が数百年、あるいは数千年と途絶えることはままある。

 

 深い山中にある森人の里は只人からすれば何千年と隔絶すれば完全に歴史から消え去った知られざる秘境だ。

 この本は彼女の故郷を"発見"した学者教授達一行の冒険譚である。 

 

 森人からすれば"たかが"数千年の断絶であろうが、男達は前人未踏の地を行くが如くその冒険心をもって森人と只人との交流の再開をもたらしたのだ。

 

 堂々たる体躯とどっしりした顔つき、まるで牡牛を無理くりに人にしたようなとかく自分の研究や発見には邁進する挑戦的な只人の教授。

 

 恋人が誇らしく歌い上げることの出来る武勇伝を求めてその教授の探索行へ同行することとなった鳥人の記者の青年。

 

 彼らがいまだ竜の営み続く南の密林へ乗りだし、森人とともに協力して戦う話がそこに記されている。

 

 本のタイトルが私の国が出来てからは宰相たる彼女の「いつ私の故郷が失われていたのよ」という言葉により改題されることとなったが、それにしてもロングセラーの名著である。

 

 道行きは整備され平穏な(ゴブリンの襲撃が確実なものではあるが)船旅での手慰みにはちょうどいいように思い、その本に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 年かさの待祭、随行(高位の神官などの側仕えの従者)長とともにゴブリンスレイヤーは至高神の神殿の中を行く。

 

 他の神官等も随行長が連れている客と言うことで自然道を譲る。

 

 無論ゴブリンスレイヤーの風采にぎょっとするものは多いが、それに気を止める男ではない。

 

 年若い随行神官達が、「あれが、あの……」とヒソヒソと秘やかに言葉を交えているあたり、それなりに話に登ることが多いのであろう。

 

 それほどに剣の乙女の様相は健やかに好転しているのだ。 

 

 大司教に永く仕える彼女にとってそれは何よりも喜ばしいことであった。

 

 祭壇の前で祈りを捧げる美しい女

 

「……ああ」

 

 その漏れる喜悦の声は女にまで成熟した、しかして少女の魂の声だ。

 

「来て、くださったのですね……?」

 

 しゃなり、と人間離れした滑らかな所作は蛇の蠕動に似ている。

 

 溢れると吐息は熱を帯び、隠された眼帯の奥には常に見慣れぬ浮ついた色が見える。

 

「大事はなさそうだな」

 

「はい。……おかげ様で」

 

 手で退席を促され、随行長はしずしずと退出する。

 

 待ち望んだ時を思う存分満喫してほしい、娘の恋路を見守るような暖かさを胸に抱えたまま随行長は席を外した。

 

 

 

 

 —―すごかった

 

 牛飼い娘は漠然とそう思った。

 

 いつもとは違う彼もそうだ。

 

 そして彼女。

 

 ゴブリンの襲撃を逃れ、一段落しての野営地で野営の準備も終わって水着姿のまま先程の戦闘をぼんやりと思い返す。

 

 ゴブリン達の投げ込む瓦礫により窮地に陥った一党の筏を救ったのは地母神の神官の彼女が行使した奇蹟であった。

 

 守りの奇蹟は傘が雨粒をはじくが如く石や棒きれをはね除け、しゃん、と錫杖と祝詞が響けば水面は晴れ渡る。

 

 人々が神官様、と自然敬称を添えるのはあの様を見れば誰もが納得するところであろう。

 

 だが、そのゴブリンを見据えるあの様相は、彼だ。

 

 兜に隠された彼の瞳と同じ錬鉄の重さと鋭さと深さ、いや、ともすれば更に深く淀んだその瞳は、彼女の脳裏に妙にこびりついたまま離れなかった。

 

 

 

 錫杖を手に、女神官は思索と祈念の海に沈んでいた。

 

 《浄化》

 

 かつての後悔が、今もなお頭をよぎる。

 

 神から賜った奇蹟を誤った行いに使ったあの背信と喪失感は今でも彼女の中に残る傷跡である。

 

 故にこそ、魔道に手を伸ばしたのだ。

 

 戦いの矛、それを魔術を学ぶことによって穴を埋めたのだ。

 

 そもそも《浄化》とはただ汚れを清めるだけの奇蹟であり、それ故に絶大な利用価値がある。

 

 《聖光》、《小癒》、その次となれば《聖壁》ではなく《浄化》を選ぶものの方が多い。

 

 俗な表現になるが地母神神官としての出世街道(キャリアパス)として《浄化》の取得はほぼ避けて通ることは出来ない。

 

 それは冒険者としての神官というより、社会や国家から求められる神官の奇蹟の事情がある。

 

 水の浄化の優位性はいうに及ばず、国家や地域が《浄化》を仕える地母神神官を相当数抱える利点は何よりに原因不明の疫病対策の面が大きい。

 

 地母神神官による浄化部隊を組織することが出来れば自国民と街を焼き殺し灰燼に帰する必要性が減る。

 

 村一つ、そこに住む住人、それらを焼き払い、そして再興するにかかる時間やリソース、焼却実働部隊、つまりそれなり以上に高度な軍事行動の出来る者達、の精神的苦痛を考えれば浄化部隊による強制的な正常化の能力はどのような為政者でも喉から手が出る程に欲しいものである。

 

 浄化部隊がある地域や国ではなにをか疫病が流行ったとしても問答無用で殺され、焼き払われる恐怖から免れることが出来る。

 

 その安心は人口の流入にも直結し、つまりは経済成長を大いに後押しする材料なのだ。

 

 国を栄えさせるには不潔よりも清潔、というのは単純でありながら達成するのは難しいものだ。

 

 故に、神殿でも取得は奨励されるところである。

 

 また他にも宗教儀式で奇蹟の行使を必要とする神事というものはそれなりにある。

 

《聖光》による照明を請け負う配役、《聖壁》だって使う儀式はあるし、《浄化》もまた場の清め役として使える者は儀式に出仕することが多くなり、つまりは神殿組織内で活躍しやすくなる。

 

 魔神の首級をあげるだけが神官の出世では、もちろんないのだ。

 

 前回はほぼほぼ善意で選択した奇蹟であるが、結果としてそれが最善手でもあったのだ。

 

 そうこうする内に表が騒がしくなり、それをかつての記憶と照らし合わせ、荷物を詰めた枕代わりの布袋をひょいと持ち上げ。

 

「星風の娘よ、いるぶぁっ!?」

 

 そう言いながら虫除けを引きはがしてきた婿殿の顔面に投げつけもんどりうたせることにより、女性陣の尊厳は保たれた。


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