女神官逆行   作:使途のモノ

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第六話

 

 

 

 暖かな日差しと、涼やかな水辺の風。

 

 人々の楽しげなざわめき。賑やかな市場。

 

 異邦人や多種族が集う街にあって、冒険者風情は珍しくもない。

 

 だが、年若い神官の娘と、昼日中の街中にもかかわらず鉄兜で顔を隠した男。

 

 二人が連れ立って歩いているとなると、また話は変わってくる。

 

「晴れて、良かったですね!」

 

「ああ」

 

 わずかに頬を上気させ、ゴブリンスレイヤーと並び、女神官は歩く。

 

 気遣わし気に、ゴブリンスレイヤーの持つ包みをちらちらと眺めながら、おずおずと切り出す。

 

「……持ちますよ?」

 

「いや、いい」

 

 そっけなく言われ、ううん、と声を漏らす女神官。

 

 鉄兜を見上げ、様子を窺う。

 

 それはまるで、初めての散歩に喜ぶ、小さな子犬のような仕草だった。

 

 ちら、と牧場で飼っている牧羊犬を思い出し、芋づる式に先日の一件を思い出してふるふると首を振る。

 

 その不思議そうな視線から逃れるように、つい、と空を見る

 

 すると、皮袋が丸く縫われたものが空に浮かんでいるのが見て取れた。その下には冒険者向け、実際安い! とやたら勢いと説得力のある売り口上が書かれていた。

 

「あ、気球……というかバルーンですね」

 

「バルーン?」

 

「皮袋とか、獣の内臓をしっかりと閉じて……多分あれは錬金術師が水を分解して作った燃える気体が入ってますかね? ともかくそれは空気より軽くて、それを袋に詰めると浮かび上がるんです」

 

 結構危険なんですよ、と得意げに薄い胸を張る少女に、そうか、と返し、今度は視線を下に下げる。

 

 他の一党は地下だ。

 

 血になりますから、と濃厚で臭みのない、舌で押すだけで潰れるような、柔らかく煮られた仔牛の肝臓と葡萄酒の炒め煮を山盛り二皿も平らげた女神官が、止めとばかりに治癒の水薬を二本あおり、平然と次の日の探索に復帰するのを見て取った四人が、総がかりでベッドに押し込み、お目付け役として頭目たる彼が残される形となった。

 

 まだ、お前の方が言うこと聞くだろ、ということであるらしい。

 

 そんわけはないのだが、と内心ため息をつきつつ、道を歩く。

 

 今歩いているのは、ただの散歩ではない。

 

 女神官の鎖帷子の修理である。

 

 水の街の冒険者ギルド支部の工房は顧客が多いせいか、急ぎの修繕などの横入りはできないのだ。

 

 買い換えればいいではないか、と言うとものすごい目でにらまれ、「褒めてくれたじゃないですか」

 

 と、ぼそりと、寂し気にベッドで鎖帷子をかき抱く様子に他の一党の視線が突き刺さった。

 

 仲間しかいないはずなのに、彼に味方は居なかった。

 

 「男にとって、百点満点の出来は、女の子からすれば、十点が、いいところ、よ」とは、かつて受付嬢にすげなく扱われる槍使いを眺めながらつぶやいた魔女の言葉だったか。

 

 そういう訳で、体の調子を戻しがてら、武具屋を探すことになったのだ。

 

 

 

 そして、訪れた武器屋は、相応に繁盛しているらしかった。

 

 店の奥では釜が焚かれ、鎚振るう音が響き、薄暗い店内には雑然と武器に甲冑が並ぶ。

 

 そのいかにも! といった風情は、ギルドの工房にはないものだ。

 

「わぁ……」

 

 と女神官が目を輝かせてあれこれと武器を手に取る。どれもこれも、それなりに手馴れた様子であった。

 

「あ」

 

 と言いながら連接棍を手に取り、何か思い出したくないことを思い出した様子で、おずおずとまた棚に戻した。

 

「忘れてた……」

 

 と肩を落として、よっぽどな様子である。

 

「いいか?」

 

「あ、はい」

 

 話を変えよう、と店の店員を示し、若い男に気付いた女神官はととと、と店員らしき男へ向かった。

 

「あの、すいません」

 

「あン?」

 

 じろり、と見返してくる男にニコニコと愛想よく言葉をつづける。

 

「防具の修理をお願いしたいんですが、ここでしていただけますか」

 

 横からずい、と銀等級の冒険者から出された鎖帷子を、やや鼻白んだ店員は無造作にじゃらりと広げた。

 

「あ、これもう穴あいちゃってますね。買い換えた方がよかないッスか?」

 

 どこかけだるげに、そして無遠慮な視線を女神官に向け、その視線を改めてゴブリンスレイヤーが塞ぐ。

 

「修繕だ、急ぎで頼む」

 

 じゃらりと重たい音を立てて、落ちた袋の形が崩れる。金貨。

 

「修繕だ、いいな」

 

「あっはい」

 

 男はとことこと奥へと入っていった。

 

 

 

 店を出て、くすくすと機嫌よさげに『あいすくりん』を手に歩く女神官の横を歩く。

 

 食べながら歩くという非日常を楽しんでいるようであった。

 

「みんな、誰も、この足元にゴブリンがいるなんて、思ってない……」

 

「ああ……」

 

「ゴブリン、滅ぼしましょうね」

 

 ニコニコと決意も新たに語る少女に、何を返すべきか、迷った。

 

 ああ、とも、いや、とも言葉は出なかった。

 

「……手伝ってくれるのは、ありがたいと思っている」

 

 ゴブリンスレイヤーは、淡々とした、努めていつも通りの平静な声で言った。

 

「しかし、手伝う必要はないんだ」

 

 彼女の表情が、ぴたりと止まり、感情の色が抜ける。

 

 その青くがらんどうな瞳を見つめられると、今自分が本当に地面の上に立っているのか、不安になる。

 

 何かを間違えれば、真っ逆さまに落ちる場所で、長く、遠いところを目指して歩かされているような気になる。

 

「……私は、好きで、好きにしています」

 

「そうか」

 

 返答の声を上げるのが怖い、何かを間違えば、彼女が掻き消えてしまいそうで、喉の自由が奪われる。

 

「そうですよ」

 

「……」

 

「……ホント、仕方のない人ですね」

 

 安堵と懐かしさの苦笑であった。

 

 ようやく、呼吸が、出来る。

 

 大きく息を吐き、出すべき言葉を青空に求めるように、空に目を向ける。

 

 結局、彼が選んだ言葉は短い一言だった。

 

「すまん」

 

「そういうの、聞きたくないです」

 

 ぷい、と背けられる顔には、それでも少女らしく、拗ねた表情があった。

 

「……すまん」

 

 安堵と謝罪、どちらが濃いか、それを知るのは彼女だけだ。

 

「……べつに、良いです」

 

 ――あなたが、いるなら。

 

 その呟きは、彼の耳には届かなかったであろう。

 

「それじゃあ、行きましょうか。ゴブリンスレイヤーさ――……」

 

「ゴブリンスレイヤー、そこかぁっ!!」

 

 きょとん、と視線を向けた先には聞き覚えのある彼の声、青い甲冑に槍を携えた、精悍な顔立ちの冒険者――槍使いの姿。

 

「てめえ、人をわざわざ手紙で呼びつけといて……。受付嬢さんに言いつけるぞ!」

 

「何をだ」

 

「この子と遊び歩いてたことをだ!」

 

「買い物だ」

 

 辺境の街同様、ぐわっと食って掛かる槍使いを、ゴブリンスレイヤーは面倒そうに払いのける。

 

「ふ、ふ、ふふ」

 

 するり、と近づいてくるのは槍使いの横にいた魔女だ。

 

「あ、えと……」

 

「顔色……あまり良くないわ、よ」

 

 するり、と顎に手を当てられて、目を合わせられる。

 

 とろりと蠱惑的に細められた目にさらされ、所在なさげに視線がゆれる。

 

「無茶しちゃ、だめ、よ」

 

「あ、はいっ」

 

 そうしゃんと背を伸ばして返事をする様子を、何とも言えない様子でゴブリンスレイヤーは眺め、舌打ちした槍使いが何やら詰まった麻の袋を渡す。

 

 ――あ、そういえばここでしたね。

 

 小麦粉の袋を雑嚢に仕舞いこみ、槍使いの農へと鉄兜を向け、淡々と言った。

 

「すまん。助かった」

 

「……ぐ」

 

「俺の知っている限り、一番身軽で信用できる冒険者は、お前だからな」

 

「ぐぬぬぬぬ……!!」

 

「……ふ、ふ、ふふ」

 

 魔女が笑い声を転がすと、槍使いはじろりとそちらを睨む。

 

 それを柳に風と受け流した魔女に諦めた様子で視線をゴブリンスレイヤーへ戻す。

 

 その様子は、はるか未来でも、ずっとそのままだ。それが懐かしい。

 

 その時の視線が向けられる先は、自分であったが。

 

 そうでないことが、何よりうれしい。

 

「……手は足りてんのか? 報酬があるなら、やってやらなくもねえぞ」

 

「いや。何とかなる、これの出番は無くなってしまったかもしれんが」

 

「おい、ふざけんな、絶対使え!」

 

「わかった、使おう」

 

 ふふ、と魔女のように頬を緩める。

 

 男たちのじゃれあいを魔女と視線を通わせながら苦笑する。

 

 思うことは同じだろう。

 

 ほんとうに、仕方のない人達だ。

 

 

 

「こら、いかんわ!」

 

 地下墳墓のさらに奥の奥、礼拝堂のような場所。

 

 そこには名前を言ってはいけない大目玉が鏡を守っていた。

 

 大目玉の、その小瞳から放たれた、強力な《分解》を這う這うの体でしのぎ、一党は一旦退く。

 

「これはしたり、《解呪》に加え《分解》の邪眼とな!」

 

 蜥蜴僧侶も間合いをはかり、様子を見守るばかりだ。

 

 堂外へ逃げ出たところでぴたりと攻勢を止めて、またふわふわと漂い出した。

 

 さて、どうする。というところで口を開くのはこの男だ。

 

「試してみたい方法がある」

 

「……言っとくけど、火攻めとか、水攻めとか、毒とかはダメだからね」

 

「そういう約束だ、水は使うが、水攻めはしない」

 

 どうだか、とにらむ妖精弓手へ、ゴブリンスレイヤーは平然と言った。

 

 その謎掛けのような言葉に好奇心が刺激されたのか策を聞く体制になる。

 

「確認するが、ここはもう街の外でいいな?」

 

「と、思うがの」と、鉱人道士が聞き耳を立てるように小首をかしげた。

 

「結構歩いたし、感じとしてもだいぶ離れとるじゃろ」

 

「あと、術で水を玉なり槍なりにして打ち出す技はあるか」

 

 それには術者三人が顔を見合わせ、鉱人道士が手を上げた。

 

「魔法で作ったもんならともかく、自然の水ならいくらでもやれらぁ」

 

「……なら問題はない」

 

 そう言って雑嚢から取り出したのは《転移》のスクロールである。

 

「このスクロールで海水を出す、とにかく大玉を作って、投げつけるようにぶつけろ」

 

「投げつけるように、か、任された」

 

「頼む」とゴブリンスレイヤーは頷き、妖精弓手へと兜を向ける。

 

「水の大玉が大目玉に《分解》されたら、とにかくその辺りに火矢を打ち込め、出来るか」

 

「そりゃ、そんなの寝ててもできるけど……」

 

「頼む」次に見るのは女神官だ。

 

「火矢が射かけられる前にあちらの視界にかからないように《聖壁》を張る、出来るか」

 

「はい、でもその前に皆耳栓つけた方がいいです」

 

 何をするか察した女神官がそう提案し、適当に布切れを耳に詰め、他の者も同じく耳に詰める。

 

 この二人が以心伝心なのだ、何か起こるに違いない。

 

「よし、やるぞ」

 

 スクロールを無造作に解き放つと、どう、と磯の香があふれ、大海嘯が巻き起こる。

 

 それを待ち受けるのは鉱人道士だ。

 

「《渦巻け渦巻け海の精、転がって転がって、丸まって、ずっと向こうへ駆けていけ!!》」

 

 波が形を変えて大玉となり、それはそのままごろごろと転がる岩のように大目玉向けて、一跳ねして突進する。

 

「BEEHOHOHOOOOOLL!!」

 

 それを迎え撃つは《解呪》、しかしそれで魔法が溶けたとて、海水の質量は健在。それを見てとり《分解》の瞳が光を放つ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 入り口から少し横へ退いたところで《聖壁》を張る。そして、そこからでも火矢を容易く射るのが上の森人、妖精弓手である。

 

 その様子を全て見たのは大目玉だけである。

 

 自分へ飛び掛かってくる水の塊、それを《分解》で原子のチリと霧散させ、鏃を燃やした矢が一本飛び込んで来て、

 

 世界が、光に包まれた。

 

 

 

「っ、ぅ……」

 

 部屋の中が爆炎で満たされ、《聖壁》越しでさえ肌を焼くような熱風が通路を駆け抜けていき、遺跡全体が揺れ動くさまは、地上の者が地震と勘違いしたであろう。

 

 視界の端では妖精弓手が、長耳を必死になって抑えるのが見えた。

 

 やがて、もうもうと立ち込める煙が、いささか薄らいだ時、

 

「……見ろ」

 

 ぼそり、というゴブリンスレイヤーの声。身を屈めただけで、彼は平然としている。

 

 言われて妖精弓手が覗きこむと、礼拝堂の中に、果たして大目玉の姿は――あった。

 

 上だ。

 

 天井へと吹き上げられ、叩きつけられたのだろう。

 

 焼け焦げた怪物が、すでに息絶えているのだろう、ぐらり、と天井から剥がれ落ち、ぐしゃり、と。

 

 礼拝堂の中央から、文字通り、肉がつぶれる嫌な音が響く。

 

 焼け焦げた肉塊は粘液を飛び散らし、それで最後だ。

 

 混沌の怪物、異界より呼び出された『見つめる者』の、それが最期であった。

 

「――――……なにが、おこったんじゃ?」

 

 呆然と、鉱人道士が声を漏らした。自分が撃ち込んだのは水の玉であったはずだ、間違っても火球ではない。

 

 のそのそと身を起こした彼に手を貸しながら、蜥蜴僧侶が舌をちろちろと覗かせた。

 

「小鬼殺し殿は海水と言っていたが……何をしたのかね」

 

「女神官から聞いた」

 

 その視線が耳栓を取って辺りを見回す少女に向き、頷き返す。

 

「水は分解すると燃える、と」

 

 水素と酸素の混ざった気体、爆鳴気とも呼ばれる混合気体で礼拝堂は大目玉の目によって充満したのである。

 

 そこに火矢が飛び込めばどうなるか、それこそ火を見るよりも明らかだ。

 

 これほどとは、正直思っていなかったがな、という言葉を女神官が引き継ぐ。

 

「水と閉所、それと《分解》の魔法に松明一本があれば一網打尽にできます」

 

 立てこもる相手とかに、便利なんですよ、山ごと崩せて、と何事もないように語る。

 

「で、だ」

 

「はい」

 

「ゴブリンだ」

 

「ゴブリンですね」

 

 地の奥底から甲高い唸り声があがる。

 

 安置されていた鏡の様子をあれこれと調べていた三人が、またかという顔をする。

 

「迎え撃つかの?」

 

 そう聞いた鉱人道士に雑嚢から麻袋を取り出し、示す。

 

「使うんですか」とは女神官の言葉だ

 

「約束したからな、使うと」

 

 その日、二度目の爆発により水の街近くの一角が大規模に陥没した。

 

 そこにはいくつもの支流から水が流れ込み、小さな湖となった。

 

 

 

「終わった」

 

「わかりました、帰りましょう」

 

 剣の乙女の元から帰ってきたゴブリンスレイヤーを、女神官はただそう微笑んで頷いた。

 

 今は、辺境の街へと戻る馬車の上だ。

 

 女神官の手の中には錫杖と、鳥かごが一つ――金糸雀だ。

 

 新たに増える"同居人"に囁く。

 

「よろしく、お願いしますね、危なっかしい人なんです」

 

 金糸雀が、薄く目を開けてチチチと歌った。

 

 

 

 


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