暗い夜。草木も眠る時間に、俺と小町は向かい合っていた。
「なあ、小町…。本当にお前はそれでいいんだよな…?」
「くどいよ、お兄ちゃん。小町だって、その……」
ほんのりと頬を朱に染め、上目遣いで。
「…おとなになったんだよ?」
「……時間って怖えなあ」
昔はまるで影のように俺の後ろをついてきていたはずなのに、気付けばもうこんなことを言えるようになっていたのか。なら、俺も覚悟を決めなきゃな。
「よし、小町。一緒に寝るか」
そう言って、俺の視界は暗転した。
◇◇◇
「朝だよ!お兄ちゃん!!」
小町のけたたましい声で叩き起される。いまだ眠気の取れない目をこすりながら、状況把握をしていく。
「…ん?なんで小町?」
昨晩のことがあまり思い出せない。そのことに疑問を覚えていると、急にズキッと頭が痛んだ。
「くっ……。もしや昨日のことは封印されているのか…」
「なんか思い出そうとしたの?あと頭痛は単に二日酔いなだけだよ」
茶番を一蹴される。周りを見渡すと、確かに昨日は酒を飲んでいたようでゴミ袋に空きビールが2本ほど放り込まれていた。
「ビール2本だけで記憶がなくなるレベルに酔うとか俺どんだけ酒弱えんだよ」
これは当分飲めないな。何をしでかすかわかったもんじゃない。
「あれ、本当に覚えてないの?ビールだけじゃないよ?ほら!」
そういって冷蔵庫を開ける小町。中には開封済みの日本酒が3本立てられていた。
「ああ、だんだん思い出してきたわ。そういや飲み比べとかしたな」
「そうそう!………その後のことは?覚えてる?」
「あー…、どうだったか。………、ダメだ。思い出せん」
俺がそう答えると、小町はパッと顔をほころばせて
「そっか!よかったぁ」
と、気の抜けた顔で返事をして台所に向かった。朝飯でも作ってくれるのだろうか。
そのまま寝てても何も起きそうにないので、とりあえず顔を洗いに洗面所へ。出したてほやほやの冷水を手で顔にぶつけ、眠気の残り香も全て洗い流す。そういや顔を洗う時に冬場だと温水でやるやつがいるらしいのだが、俺はその行為は邪道だと思う。冷水で顔を洗うから眠気が覚めるのであって、温水だとそれは甘えに成り代わる。それじゃただ単に顔を洗ってるだけ……、あれ?あってるのか?
その後はいつも通り歯ブラシを持ってそばに置いてある歯磨き粉を付けて歯を磨く。しゃこしゃこ、と子気味の良い音が
なんでピンクの歯ブラシ?
順当に考えて小町のだろうが、使い捨てならなんで捨てないんだ?それに仮に家からの持ち寄りだとしても歯ブラシ入れに入れておくのは少しおかしく思う。もちろん考えすぎだろうが、気になるものは気になる。無駄だとは思いつつも思考を巡らし、しかし答えは出そうにないので一旦考えるのをやめて部屋に戻る。
「朝ごはんできたよ!」
部屋に戻るなり、甘い匂いが鼻腔を刺激した。
「ホットケーキか。家にはちみつなんかあったっけ」
「ご心配なく!はちみつも家から持参してきてるからね!」
そりゃ結構。用意周到な小町を心の中で褒めながら、床に置いてあるちゃぶ台のようなテーブルへ。出来上がったホットケーキは一切の型崩れがなく、一目で美味しそうだと思える。
「ん?はちみつ『 も』?」
「え?はちみつ持ってくるのはおかしかった?」
「いやいや、はちみつ以外にもなんか持ってきてんのか?」
「何言ってんのお兄ちゃん…。ここに住むのにはちみつだけしか持ってこないとかどこのプーさんなのさ」
「うん?ここに住むのか?」
「昨日言ったじゃん!!……って、覚えてないんだっけ。なら昨日のこと思い出しながら朝ごはん食べよっか」
§
「だからお父さん、もう決めたんだしいい?」
お昼すぎの1時半、小町はお父さんと話し合っていました。
今後の住む場所について。
「う〜ん、けどなあ……。今までは家でやってこれたんだし、やっぱり行かなくていいんじゃないか?」
「ちょうど1学期に入ったとこだから、節目としてもいいと思うんだよね」
「節目……」
どうやらお父さんは小町に家を出てほしくないみたいです。普段あれだけお兄ちゃんをぞんざいに扱ってたのに、いざお兄ちゃんが家を出たってなった時は少し寂しそうな顔してたもんね。
「お願い!まずは1年だけだから!」
なんて、それから実に2時間ほど話し合った末に許しをもらえました。最後には半泣きのお父さんを振り切ってまで家を出ていったのはまずかったかなあ…。
桜並木を大荷物で通る。大きなリュックに左手には酒瓶の入った袋。酒瓶はお父さんがせめてもの
行く前にお兄ちゃんに知らせとくべきだったかな、と重い荷物を一人で持つことに後悔を覚えつつ歩みを進める。
ここ、そういえば退院の時に初めて一人で歩いた場所だよね。桜吹雪が凄かったのを今でも思い出せる。あの時は感極まってひとりで泣きそうになったっけ。今思うと恥ずかしいなあ。
「あれ?小町ちゃん?」
「はい?」
不意に後ろから名前が呼ばれ、脊髄反射のごとく返事をして振り返る。そこにいたのはとっても綺麗な人だった。
「私だよ、覚えてない?お花見の時一緒だった…」
「ああ!桜内梨子さん!」
そう!と名前を思い出してもらえた桜内さんは顔を破顔させて嬉しそうにした。
「こんなところで奇遇ですね!どうされたんですか?」
「私は大学の帰りだよ。ここ前に比企谷君が言ってたんだ。桜が綺麗だから全部散ってしまう前に見ておけー、って」
そこで桜内さんは少し意味ありげな顔を浮かべた。
「ここ、
「そうなんですか!はえー、そんな人がいるんですねえ」
お兄ちゃんにもそんな人がいるなんて驚きです。あのひねくれ者にそんなふうに思ってもらえるなんて、すごいなあ。
「ふふっ、小町ちゃん顔真っ赤」
「そ、そんなことないですよー!最近あったかくなってきたからですよ!!」
───だから、この顔の熱は気のせいだって。
小町は必死にそう言い聞かせました。
そんな折。
「ヨオヨオヨオ、姉ちゃん達。俺、渋井丸拓男。略してシブタク。俺たちと遊ばね?」
男の人3人が小町と桜内さんを囲んできました。お世辞にもかっこいいとはいえる風貌ではなく、その目には下心しか感じることが出来なかった。
「すいません、私たち今から予定があって…」
桜内さんがそう言って断ろうとする。無論この後に予定なんてものはないが、断る文句としては充分だろう。
「え?それなら俺たちと遊ばね?」
「いえ、ですから」
「じゃあ予定しながら遊ばね?」
次第に桜内さんの
「ですから!お誘いは断ってるんです!!」
と、ついに桜内さんが爆発しました。その剣幕に初めは驚いたシブタク一行ですが、こちらも徐々に苛立ちを見せつけてきました。
小町?小町は怖くて何も言えてないよ?桜内さんの服の端っこを掴んでるだけ。
「おいおいおい!!せっかく俺たちが誘ってんのに断んのかよおおおおおおお!!!!!」
逆上して桜内さんの腕を掴んで上にあげる。吊られる形になった桜内さんはさっきと比べて少しおののいている。
「おっ?い〜いおっぱいじゃん!でっかいねえ!シブタクパイって名前をつけてやるよ!」
形勢が相手優勢になったからか、シブタクが訳の分からないことを言って余韻に浸る。が、このままでは何をされるかわかったもんじゃないのも事実。
だから。
「や、やめてくださいよ!桜内さん嫌がってるじゃないですか!!」
あ?とシブタクの取り巻きが小町を囲む。
「調子乗ってんじゃねえよ!!」
そう言われて肩の辺りを押される。バランスを崩された小町は立つことが出来なくなり、尻餅をついてしまった。
「ぎゃはは!!!女の子柔けえー!!もっと触りたいなあああああぁぁ……あん?」
別の男も訳の分からないことを言ったと思うと、肩を叩かれた方向へ顔を向ける。
「おい、てめえ何してんだコラ」
そこにいたのは、他でもない小町のお兄ちゃんでした。
……なぜかサングラスをかけて。
「は?何勝手にはいって………ヒッ!?」
サングラスをとって濁った目で睨む。その形相に男は思わず萎縮した。
「シ、シブタクさん!こいつやべえよ!!絶対カタギじゃねえ!」
お兄ちゃんから距離をとって、今もなお桜内さんの手を掴んで笑っているシブタクに言う。お兄ちゃんただの大学生なのになあ。
「はぁ?んなわけねーだr…『prrrr』…誰だ?」
着信音はお兄ちゃんの方から鳴っており、すまんと断りを入れて電話に出る。
「はい。………ああ、すいません。今威勢の良いやつに俺の女に手出されてるんすわ。ですから、
そう言い残して電話を切る。ただならない会話に小町は少し怖くなり、自分の知らないところであんなコネクションが出来ていると考えるとすっかり恐怖に駆られた。
「な、なんだコイツ!もしかして……」
「カタギのもんに名乗る名前はねえよ。……さて、人の
「「「ヒィ!!??」」」
3人は軒並みビビっており、お兄ちゃんからじりじりと後ずさる。
「ねえ比企谷君。この大っきい人の名前、渋井丸拓男って言うんだって。
「へ?……ああ、それもそうだな」
今日何度目かの恐れを見せたシブタクへ、お兄ちゃんが顔を向ける。
「おい。今なら見逃してやる。どうするんだ?」
声にもならない震えを3人ともしており、足もガクガクになって逃げることすらままならない。
そこでお兄ちゃんが獰猛な笑みを浮かべて。
「なあ?
「「「す、すいませんでしたああああ!!!!」」」
3人は各々に逃げ、見えなくなったところでお兄ちゃんが口を開く。
「っはあああああぁぁぁ……………。びびった……」
その様子を見て、桜内さんは少し笑みを浮かべた。
「お疲れ様。ナイス演技だったね」
「え、演技!?お兄ちゃんヤクザじゃないの?」
「いくら最愛の妹とはいえその認識は容認しかねるぞ。てか泣くぞ」
「だ、だって電話……」
「あれはアラームだ。ここに来る前にセットしていい感じのとこで鳴らしたんだよ。俺が3人相手に勝てるとも思わねえし、つか1人でも勝てる気がしない」
なるほど…、と理解したようなしてないような曖昧な返事をした。でも実際いきなりあれを理解するのは無理だと思う。自分が気付かなかったから、とかじゃなくて普通にあんな切羽詰まった状況だとわかるものもわからない。
急に桜内さんはいたずらっぽい顔をしてお兄ちゃんを見る。
「リストには入れる?」
「お前の足よりは細かったよ」
「……私のリストに名前刻んだからね?」
「正直すまなかったと思ってる」
「え?え?なに?」
「「何が?」」
声を揃えて疑問に疑問を返す2人。いや、何が?じゃなくて……。
「今の会話は何?なんかの暗号?」
「ああ…。あんま解説すんのも恥ずかしいんだが、とりあえず桜内がリストに入れる?つったろ。あれは私の演技はどうだったって感じだろ」
「うん。それでお前の足よりは細かったよって比企谷君が言ったのは大根足より細い。つまり大根じゃなかったっていうので大根芝居じゃなかったよってこと」
「リストに入れるってのはさっきの演技の時にあった感じで怒ってんのを表してるわけだ。…やっぱこれ解説すんのは恥ずかしいな」
「へえ…」
要は内輪ノリということで片付く話なんだけど、それをよくあの短時間で思いつくよね。そんな思いが頭を駆け回る。
それに、ちょっとだけ桜内さんが羨ましい。
「あ、そういえば比企谷君はどっちのことを俺の女だって言ったの?」
言ってたなあ、そんなこと。ここで桜内さんと答えるといろはさんに悪いと思うはずなので、多分お兄ちゃんは小町って答えるんだろうな。
「あれか。俺の中では2人ともって認識だったが…」
「「最ッ低!!!」」
「すまんすまん、ちょっと待て。てか言うまでもないだろ」
そう言って少し前に出て、小町の目の前に立った。
「『俺の女』は小町に決まってんだろ?」
そしておもむろに頭を撫で始めた。撫でられてる小町は初めは振り払おうかと思ったが、やめた。
少し震えてる。やっぱ怖かったんだよね。
「あれ?小町ちゃん顔真っ赤だよ?またなの?」
「また?」
「へっ!?…も、もうお兄ちゃん!頭撫でる時間は終わりだよ!!」
手を振り払って2人に背を向ける。2人の表情は見えないけど、多分笑っているんだろう。
───なら、なおさらこの顔は見せられないな。自分でもわかる、真っ赤っかだもん。
顔の熱の正体が何かわかってしまいそうなところで、しかしその思考を中断する。それは考えちゃダメなことだ。
………俺の女は小町に決まってんだろ、か。ニュアンスは理解出来てるんだけど、やっぱり音だけだと変な風に聞こえちゃうよ、バカ。
八幡(さっきの俺割とヤクザできてたよな?相手びびってたし、結構かっこよかったのかもな)ニヤリ
梨子(なにあの顔めっちゃ変!)フフッ
小町(笑ってるんだろうなぁ)カオマッカ
モノローグは二部構成ということで。これ以上は長いなと判断した結果です。あときりがいい。