※オリジナルキャラクターが登場します。
※原作設定の大きな改変があります。
暗闇の向こう側で誰かが喋っている。
意識の次に蘇った感覚は聴覚であった。
遠くで誰かが喋っている。
その更に遠くでは、雨が降っているような音がする。
何かの電子音が、ゆっくりと一定のテンポを刻みながら、自分の近くで鳴り響いている。
それぞれ多様に聞こえる音達の所在は、まだはっきりとは分からない。
遠くではないかもしれないし、もしかしたらすぐ隣かもしれない。
昏睡から辛くも目覚めたばかりの聴覚は、音の明確な遠近さえも掴めず、その持ち主に明確な情報を伝えることなどできなかった。
最も、ようやく蘇ったその本人の意識も、未だに酷く酩酊し、混濁したかのように不安定で、風が吹けば消え去る霧のようなものだった
ここはどこで、どうなったのか、私は確か……。
姫海棠はたては、覚醒したばかりの意識で考え始めた。
自分は今どこで何をしているのだろうか。
少なくとも時間は、体内時計頼りでは、夜になっているかもしれない。
まだ意識だけが復活したものの、肉体に備わる耳や目、肌と言った感覚器官が完全に目覚めるまでは、宙を漂っているような虚無の感覚に身を任せるしか無かった。
しかし、意識の覚醒に続いて肉体の各所も徐々に目覚め始めると、自ずと自分がいまどのような状況に置かれているかを、はたては理解し始めていた。
自分は柔らかい布団に寝かされ、口には何やら硬い被せ物がしてある。
話し声に続いて耳に入り始めたのは、断続的に続く電子音。
助けられた。
自分は誰かに助けられて治療を受けたことを、まだ混濁気味な意識の中で、はたては確信した。
会話の発生源は、自分のすぐ傍らだった。
すぐ傍らで二人の男性が何かを話している。
「ありがとう先生。流石、外の世界で本格的な医療を学んだだけはある。」
「いやぁ、僕の能力だけではないよ。竹林の八意先生がびっくりするほど薬剤や人工血液を用意してくださったしね。」
「それでも、病院に運ばず、こんな部屋で数時間の集中治療を一人でこなせるような医者は人里では貴方ぐらいのものさ。」
「いやぁ、ハハハ……。」
やや低い青年の声と、少年のような、まだあどけなさの残る声が聞こえる。
はたては、目覚めたばかりの覚束ない意識を二人の会話に集中させていた。
その話の限りでは、青年が自分を助け、少年のような声の医者が、私を治療してくれたのだろうとはたては理解した。
そしてここは人間の里であることも。
はたては、目が覚めたからには、それを二人に示して、感謝の言葉を述べなければと思った。
だが、肉体の感覚が目覚めたからと行って自由に動かせるはずもない。
奇跡的に無傷だった首ですら岩のように重い。
辛うじて、瞼と目線だけが、ゆらゆらと頼りないながらもある程度動かすことができそうな程度だった。
丁度左目の視覚も、ぼんやりとだが戻り始めている。
だが右目は完全に…。
はたては僅かな力で可能な限り声の方向に視線を倒すと、その先には二人の男性が楽にした姿勢で向き合っていた。
こちらに背を向けている青年と、その向こう側には背の低い、白衣を着た人物が居る。
白衣の医者は、よく見ると少女のような顔つきで背も低い。声を聞かなければ男性だとわからないだろう。
「それと……すまない博貴(ヒロキ)。もしかしたら君をとんでもない面倒事に巻き込んでしまうかもしれない。」
「いや、もしそうだとしても構わないよ。僕には傷ついている人を治すこと意外に選択肢はないから。それに、僕達は人助けをしたんだ。何も懸念することなど無いさ。」
「そうだな……。」
人徳のあるお方だと、はたては思った。
こんな自分の身元を引き取るなんてことをすれば、面倒事を連れてくるに決まっている。
なぜ自分があんな謂れのない暴力を受けたのかは分からない。
心優しく、穏やかで、愛嬌のある人柄だった友達が、なぜあのような魔物に取り憑かれてしまった事も。
しかし、あの行為の裏には、相当な闇に包まれた事情が隠れていることは明白だった。
「そうだ、この天狗、こんなものを持っていた。」
と、青年が傍らの文机の上に手を伸ばし、何かを取り上げた。
「これを見てくれ。彼女が持っていた。」
そして彼は手に掴んだ何かを医者に差し出した。
「これ……携帯電話だ。幻想郷にもあるんだ。もう随分古そうなやつだね。」
「今時人里じゃあり得ないがこう見えて妖怪の山じゃ高級品なはずだ。河童や山童と仲が良くてもタダじゃくれないだろう。」
何の話をしているのか、最初はたては分からなかったが、間もなくすぐに理解できた。
自分が持っていた念写用の映写機の事を言っているのだろう。
ただ、あの二人は携帯できる電話の事と間違えている。
それは自分にとってとても大切なものだ。
そう言えばあの時どうなったのだろう。
ポーチに入れたままだったか、それとも衝撃で堕ちたのか、何か大きな損傷をしていないか心配だった。
「変わったストラップがついてるね。」
「このプレートか。 描いてあるのは三叉の槍のようだが……どういう意味かな。変わった趣味だ。」
それは……私の……。
その時、青年と向かい合った医者と、二人の様子を伺うはたての視線が重なった。
二人の会話に耳を傾けている間に、首もわずかに動いていた。医者がその変化に気付かないはずはなかった。
「あ、雅世(マサヨ)、彼女が……。」
「何?」
医者が言うと、今まで背を向けていた彼がこちらを塗り向いた。
彼は端正な顔つきで、耳を覆う程度の髪もあって中性的な容姿で、女性にモテそうな感じはするが、その眼差しは冷淡で無表情で、あまり多くのことに歓心が無さそうな、そんな印象を受けた。
「ちょっといい?」
雅世と呼ばれた彼の隣から、先程の博貴と呼ばれた医者が現れて、はたての顔を覗き込んだ。
「目が見えてますか? 聞こえてますか?」
博貴がはたてに問いかけた。
改めて見ると、やはりこの医者は雅世と違って人が良さそうである。
しかしはたてに出来ることは、包帯の巻かれていない自由な左目とその瞼を、後は首を微かに動せる程度だった。
その程度では、相手にしっかりとした意識があることを伝えるのは難しいかもしれないと、はたては思った。
「首は、動かせますか? 良ければ一度、頷いてください。」
博貴にそう言われても、それは難しいとはたては思ったが、今は若干首の感覚も戻りつつある。
まだ信じられないほどに重くなった自分の首を、はたては枕の上で転がそうとした。
口にあてがわれた酸素マスクが、思いの外動きを邪魔してくれる。
口に絶え間なく酸素を送り込んでくるのも少しこそばゆく感じていた。
横を向いている首を、上下に動かして頷きの動きを取ろうとしたが、結果は先程よりは自分の意志通りの動きに近づけた程度だった。
「うん、意識は戻ったみたいだ。驚いたな、あれからまだ二日経ってないのに。」
「本当かよ……とんでもない回復力だな。」
二日間昏睡していたことを告げられ、はたては、自分が突然姿を消したことで、いつも行動を共にしている仕事仲間や友人が、心配しているのではないかと、不安で仕方がなかった。
はたては次に発声をしようとしたが、それは叶わなかった。
声帯も肺もまるで動いてくれない。
まだ首から下の感覚はほとんど戻っていないのだ。
とは言え、既に視界も聴覚も正常に戻っている。
そして、自分が置かれている状態の深刻さを理解することも。
「ああ、落ち着いて。まだ首から下は麻酔が掛かってる。気胸の治療……右の肺に大きく開いた穴を直したばかりなんだ。いくら君の回復力が驚異的でも、まだ言葉を発するのは一週間は控えたほうがいい。」
「ただ、こちらから話せることだけは話しておこうか。」
博貴の後に雅世が言うと、はたての間近で見下ろしていた博貴は、雅世の隣に戻った。
雅世は文机に片腕を置いて寄りかかると、ようやくその冷たい顔に表情を宿した。
それはちょっと不気味な笑みであった。
「ここは人間の里の、里長の家。俺は里長家の長男、天寺雅世(アマデラ マサヨ)だ。朝散歩をしていたら、遠くから銃声が聞こえた。その後不審な二人組が飛び去って、もしやと思って二人が飛び立った場所を探したら、血塗れのあんたが居た……。」
「雅世が、ここまで君を運んできてくれたんだ。本当は最新の設備がある医院に収容したかったけど、いきなり烏天狗の女の子を里の医院に収容すると騒ぎになるかもしれないから、雅世君はこの家に君を匿い、僕にこっそり治療を依頼してくれた。申し訳ないと思ったけど、最善は尽くしたよ。もう帰っちゃったけど、永遠亭の優曇華さんにも薬剤や人工血液の手配をお願いしたんだ。」
ああ、やはりとはたては思った。やはり人間に助けられた。
しかもよりにもよって、里の長の家だなんて。
これは、大変な迷惑を掛けてしまうだろうと、はたては後悔した。
博貴の言っていたとおり、厄介事が舞い込んでくるに決まっていると。
こんなことになるならあのまま見捨てられて、そのまま死んでいればよかったと。
いや、死ぬのは嫌だけども……。
「ああ、これか? お前の携帯電話。」
はたての表情がどう伝わったのか、雅世はふと先程から手の上で遊ばせていた、はたての映写機を差し出してみせた。
はたては、携帯電話ではなく映写機だと伝えたいのだが、今の状態では喋ることは勿論、そんな意志を伝える術は持っていない。
「申し訳ないんだが、お前を担ぎ上げた時、うっかり水たまりに落としてしまってな。ショートしたのか…電源がつかない。」
はたては動揺して大きく目を見開いた。
それと同時に、はたての四肢と胸部に、ケーブルで接続されていた心電図のテンポが上昇した。
それは、自分の半身とも言える仕事道具であり、また大切な人から貰った大事な宝物であるからだ。
それに、故障したらとても自分で直せるものではない。
自分の理解が到底及ばない精密機械なのだから。
彼女の同様が雅世に伝わったのか、彼は苦笑しながらも申し訳無さそうな顔をした。
「あー、本当にすまん……これは俺が責任を持って弁償させてもらう。幸い、里には今直せそうなやつが何人か居るんだ。明日は仕事も午前中で終わるし、帰りがけにそいつらのところに寄ってみるよ。」
はたては、映写機を直してもらえることに安堵したが、人間の里に映写機のような精密機械を直せるような者が何人も居ることに驚きを隠せなかった。
しかし、問題はそれだけではなかった。
明らかに不穏な事情を持つ自分の身柄をここにおいておくことで、一体どんな厄介事が、この恩人達に降り注いでしまうのか。
個人的には、自分の仕事に欠かせない道具であり、また大切な人からの贈り物も大事なことであったが、そんなこととは比べ物にならない問題が起きようとしているのだった。
「……だいぶ動揺しているね。」
博貴は、はたての心境を一発で見抜いていた。
たとえ首から下が動かなくても、心電図ではたての抱く緊張感は筒抜けであり、目が何よりも明確に動揺を物語っていた。
「君を取り巻いていた事情は分からないけど、少なくとも君が受けた仕打ちは絶対に許されない。だから、僕も雅世も君のことを守るし、山に戻った後もきっと誰かが君のことを守ってくれるよ。だから、今は安心してね。」
博貴は優しい顔で、優しい声を掛けた。この人達の意志と言葉だけには何も懸念することはなかった。
「お前のことはまだ山に伝わっていないし、人里でもこの家の者と博貴しか知らん。烏天狗の……それも中々身分の高そうな女を預かったなどと広まったら、大混乱になる。」
やはり……とはたては表情を曇らせた。
突然自分が転がり込んだせいで、この人達に神経を使わせてしまっている。
たったそれだけのことでも、神経質な性格のはたてにとっては、不安の材料であった。
「……明日は、毎週、烏天狗の新聞記者達が人里に降りてくる日だが、その中でも信頼のおける者だけに報告する。」
雅世がはたてに告げた。
信用のおける烏天狗……少なくとも、あまり記者仲間との交友関係のないはたてに取って、こういうときに、事情を打ち明けられる相手は一人しか居なかった。
「お前さんの体はまだ立って歩くことなど出来ん。当分はここで世話見てやるよ。安心しな。万一、あんたを殺そうっていう烏天狗やら、あの白狼天狗の女が現れても、適当なウソでもついて追い返してやるよ。」
雅世は軽い笑みを浮かべながらはたてに告げた。
なぜ、あの二人のことを知っているのか、それは大きな疑問だった。
しかし今、はたての胸中には、「白狼天狗の女」という一言の方が、楔のように痛々しく引っかかっていた。
あの人は、あの子は誰かに暴力を振るうような人ではなかった。
あの男に脅迫され、強要されて仕方なく引き金を引いたに違いない。
はたては、あの子、犬走椛の象徴である陽気さ、優しさを信じた。
それとも、あの子の顔に浮き出た、醜い怪物こそが椛を狂わせた犯人なのかもしれない。
はたては、あの凶行が椛本人の意志であることは、断固として認められなかった。
ただ、椛の手によって、自分が半死半生の目に遭ったという動かぬ証拠は、否定しようのない事実としてはたての胸を締め付けた。
目の前には、目を背けたい現実ばかりであった。
知らぬ間に、はたては涙を流していた。
つい最近まで平和だった自分の日常が、項も残酷な形で崩され、また新たな混乱の引き金にも成りつつあることに、はたては胸を痛め、涙した。
「どうした?」
はたての涙に気づき雅世が問うたその時には、はたての意識はまた、ゆらゆらと左右に揺れながら闇の中に引きずり込まれていった。
凄まじい銃撃に晒され、更に数時間に及ぶ治療を施された肉体的、精神的負担は、意識を長く留めることすらも難儀なほどであった。
はたては、不安と悲しみの重圧に堪えきれず、その意識は闇の中へ逃げた。
「また寝たか……。」
眠りについたはたてを見下ろしながら、雅世は呟いた。
彼もまた、胸の中に一抹の不安を抱いていた。
今まで保たれてきた日常と平和が、いつか、どこかで破綻すると薄々感じ取っていたからである。
そしてそれは、ほんの小さな綻びから端を発するものだと、彼は感じていた。
凶弾に倒れ、傷つき、血の池に沈んだ烏天狗を纏って見た時、危うい均衡の上に成り 立っているかもしれないこの社会が、崩れ始める発端になるのではと危惧していた。
もっとも、絶対にそうさせてはない内容にするのが、自分達の役目ではあるが……。
「……それじゃあ、雅世。僕はそろそろ医院に戻るよ。彼女のことをよろしく。お薬や、食事のことについては、これを参考にしてね。次目覚めたら、心電図は外していいよ。」
そう言うと、博貴は雅世にメモを渡した。
「分かった。世話になった、先生。」
博貴が荷物を纏めて玄関に向かっていくと、雅世も続いて彼を見送ろうとした。
博貴が玄関の扉を開けると、強めの雨が降りしきっていた。
雨雲に閉ざされた人里は不気味に青く、そして暗かった。
「それじゃ。」
「ああ。」
傘を差し、蒼い暗闇の中に溶け込んでいく博貴の後ろ姿を見送りながら、彼は、いつの間にか手にしていた、はたての映写機をまじまじと見つめた。
映写機から垂れるストラップに刻まれた、三叉の槍の紋章が妙に気に掛かった。
◆◇◆◇◆◇
四年前、人間の里のある商人が、外の世界との貿易を確立させた。
幻想郷と外の世界を隔離する博麗大結界に、穴を開けることに成功したのである。
当時、里に済む人間が生活に求める食料や物資は、賢者、八雲紫の指揮する流通ルートでのみ幻想郷に送られ、里に配給されていた。
そうでなければ、自ら生産する以外に無かった。
しかし、彼が確立した貿易ルートにより、これまでの幻想郷ではあり得なかった、様々な物品と情報が人里に流れ込む様になり、人々の生活と人里の文化に驚異的な転機が訪れていた。
無論、それは幻想郷の管理者達にとって安々と看過できるものではなかった。
八雲紫の式神達と、里長を含む人里の代表者達の間で、幾度となく議論が繰り広げられた。
管理者にとっては牧場で飼われる家畜のような存在だった人間が、自力で博麗大結界に穴を開け外の人間に接触し、流通網と情報網を構築した。
これだけのことが管理者達にとってどれ程衝撃的だったかは想像に難くない。
堂々巡りを繰り返す議論は何度も続いたが、新たな文明の入り口を目の前にした人間が、安々とその歩みを止めるはずもない。
管理者達の焦りを歯牙にも掛けず、外の世界との交流は更に深まった。
最初は単なる物資のやり取りに始まった貿易は、やがては次第に高度な科学技術や人材も幻想郷に流入させることになる。
外の世界と同等の、快適な生活環境に、便利な道具、豊かな娯楽と情報源……。
一度手にしてた人類がそれを手放せるはずなど無い。
有り余る土地には、外の世界から訪れた「企業」と呼ばれる組織が次々と巨大な工場を建設していく。
人里が瞬く間に変貌し、発展していく様に、管理者達の焦燥は限界に達し始めていた。
しかしある日、管理者達は突然、人間の前に姿を現さなくなっていた。
何度も人里を偵察し、警告していた式神達は、それ以降二度と人里姿を表わすことはなかった。
その突然の消失を訝しんでいたのも束の間、遂に人里の人間は禁断の領域に足を踏み入れることとなる。
外の世界からもたらされた、比類なき科学力、工業力を自らの手中に収めた人里の人間は、それを利用し、それまで自分達を拘束していた檻を壊し、里の外部へと進出を開始した。
自分達の力を途轍もなく増強させる、外の世界の武器兵器の輸入と独自開発も際限なく行われた。
人間の増長は留まることを知らず、外の企業の莫大な資金による後援も得て、それは果てしなく続いていった。
そして九ヶ月前、遂に人間は取り返しのつかない領域に足を踏み入れてしまった……。
◆◇◆◇◆◇
電波塔の頂上から彼方を見下ろすのは気持ちいい。
どこまでも広がる緑の水平線に、驚くほど青々とした空のコントラストが映える風景と、心地よいそよ風が体を常に撫でている。
まだ日光も心地よく、万が一寝転びようものならあっという間にウトウト微睡んでしまいそうな、ご機嫌な幻想郷の午前だ。
少し視線を回すと、遥か彼方に人間の里の建物が僅かに見える。
数本の電線に、工業地帯の煙突が数本。
向こうからこちらまで距離は約5キロメートル程だろう。
雅世は塔の屋上を、円を描くように、ゆっくりと歩を進めた。
そして屋上の縁に立ち、眼下を見下ろす。
そこには、強固なコンクリートの要塞に守られた、二つ並んだ巨大な円形の施設が広がっていた。
自分のいる手前には風力発電、奥のもう一つの円の中には、太陽光発電用の設備と、巨大な発電施設が敷き詰められている。
自然環境から得ることの出来る再生可能エネルギーを用いて発電を行うことが出来る、最新鋭の複合型発電所である。
里が提携している中でも群を抜いて巨大な、外の世界の企業「Jエナジー」との提供と、妖怪の山の河童の協力を得て建設されたこの施設は、人間の里に本格的な電気の恩恵をもたらすと共に、外の世界から訪れる様々な調査団の拠点となっていた。
そして、幻想郷に足を踏み入れる外来人の護衛を務める人里の武装組織、「用心棒衆」の前線基地としての役割も持っている。
施設内では、施設の内外を警備を担当する自分の同僚を含め、様々な作業員が目まぐるしく動き回り、それぞれの仕事に従事している。
今雅世が立つ場所は風力発電用のローターが並ぶ区域、その端にある電波塔兼監視塔である。
外の世界や人里との通信を受け持っており、同時に二十四時間体制で外部からの侵入者に備え、多数のレーダーやソナー、カメラによる監視を行っている。
それらとリンクし、高度な光学照準装置と20ミリ機関砲、そして赤外線誘導ミサイルを備えた対空防御システムも常に快調を保たれている。
二つの円の敷地の間には変電施設が挟まっており、大量の変圧器が並び、多数のケーブル類が鉄塔を伝い、人間の里まで伸びている。
雅世はまた、ぐるりと広大な施設を行う見渡した。
下が慌ただしい。
人々が太陽光発電施設の中にある、管理棟に集まっている様子だ。
雅世は、おもむろに腕に嵌めた黒いカシオ・エディフィスの針に目を通した。
そして時刻を確認すると、彼は右の耳に装着されたマイクロホンのスイッチを入れた。
「警備班長から各警備班員へ。予定時刻だ。警備任務一時中断。訪問者を迎えるために、各員服装を正し、正面ゲート前に集合。銃からバッテリーは抜くように。」
<<副班長了解。各員直ちに行動に移れ。>>
耳のスピーカーの部分から、同僚の返事が帰ってきた。
すると雅世は、ベルトで背に負っていた、長大な黒い金属質の物体を取り出した。
体内のエネルギーを弾丸に変換し、電磁力で加速させて打ち出す、一種の銃である。
これも外の世界がもたらした科学の一つであり、それを里で独自に改良したものだ。
雅世は、銃に電磁力を供給するバッテリーを抜き取り、凶悪な威力を持つ武装をただの黒い鉄塊にした。
「雅世より監視所へ。一時任務中断。正面ゲートに向かいます。」
<<はい監視所了解しましたー>>
足元の真下にある塔の監視所と短く連絡を取り合うと、雅世は屋上の縁からフワリと飛び降りて素早く地面近くまで降下し、太陽光発電施設の方へ加速した。
他にも何人か飛行している者が居るが、外界から来た企業の人間に能力は無い。
綺麗にアスファルトで舗装された敷地の奥には、物々しく強固な様子を呈した、巨大な門がそびえ立っている。
その周囲は、ゲートの左右を固める関所に加えて、監視カメラと赤外線センターで万全の警備体制だ。
最もこれらは、空中を飛行できる幻想郷の者にはほとんど意味を成さない。
どちらかと言えば、この施設内で働く者達を監視するためである。
あえて従業員用のセキュリティが強固にされているのは、彼らなりの、身の潔白と慎みを示す方法なのだろう。
正面ゲートから一番遠い場所の電波塔で、各警備設備や警備班の動向を管理していた雅世は最後の到着だった。
発電所の管理や警備隊の詰め所がある正面ゲート付近には、既に発電所内で働く従業員達が、ゲートから伸びるアスファルトの道路を囲って賑やかな人集りを作っていた。
「今日のお偉いさんって、どこから?」
「妖怪の山の神様だってよ、なんでも物凄く美人だとか。」
「神様ぁー? なんかカルト宗教的な?」
「なんか変なこと企んでんじゃないだろうな。」
Jエナジーの職員は、赤いラインの入った白いジャージという出で立ちである。
従業員達より一歩手前には、道路の路側帯に添って、雅世の部下達が両手を囲って腰の後ろで組み、直立不動の姿勢を保っている。
精強な人里の用心棒達である。
人並み外れた頑強さに、上級の魔法や仙術を体得し制御できる才能を兼ね備えた肉体を、強固な革と特殊合金を組み合わせた戦闘装束で包み込んだ精鋭、その名も用心棒衆。
野良妖怪程度なら腕力でねじ伏せる事もできる程の、人間を超越したような者達ばかりである。
しかし、この発電所の警備は比較的経験の浅い若年層が多い。若手では一番の経験者である雅世は、ここで若手に警備の任務を任せ、定期的に武器や戦術の訓練を施している。
「雅世さん。」
その時、雅世の背後から若々しい少年の声がその名を呼んだ。
振り返ると、そこには雅世達と同様に用心棒の装束を身に付け、銃を携えた少年が立っていた。
まだうら若き純朴な少年という顔つきだが、その眼は精悍であり、かつ清廉である。
身長は雅世より頭一つ小さいが、用心棒の装束を身に纏う以上は、人々を魔の手から守護するための力を持っている事は言うまでもない。
「忠(タダシ)か。間もなくお客さんだ。」
「はい。心しております。」
「何事もなければ、単に施設をぐるっと見て帰るだけだ。緊張しなくていい。」
「分かりました!」
忠という少年は鈴の音のように澄んでおり、かつ力と張りのある声で答えた。
若手の中でも最年少の彼だが、雅世の信頼は篤い人物でもある。
容姿端麗で頭脳明晰、人格も高潔で現場での臨機応変さも優れている。
正直なところ、強烈な曲者ぞろいで頭痛の種となることも多い若手の中では、清涼剤とも言える存在で、兄弟の居ない雅世にとっては弟のような存在でもあり、つい家族のように親身に接してしまう。
しかし、彼の才能は本物であると信じるからこそ、雅世は忠に細かい仕事の指揮を任せるている。
彼より年上の部下達も、そう思っているからこそ一部を覗いて不服を表すことはない。
「すまないが俺は朝礼どおり、見送りが済んだら上がらせてもらう。あとを頼むぞ。」
と、雅世は忠の肩に手を置いた。
「はい。しかしどのような任務も、全力で遂行させていただきます。こちらのことは気兼ねなく、ごゆっくりされてください。最近、土曜も出勤だったでしょう。」
「はは、相変わらず気の利いたセリフが回るな、忠は」
良き部下と談笑していると、関所の者から雅世の無線機に連絡が届いた。
<<外部関所から警備班へ。到着しました。ゲートを開きます>>
「了解した。いつでもいい。」
雅世が短く答えると、ゲート前を閉ざす金網のシャッターが左右に開かれ、その上にある黄色いランプが点滅を始めた。
鳥肌が立つような仰々しい警告音を鳴らしながら、正面ゲートが上向きに折りたたまれながら、開かれていく。
何度見ても大袈裟な光景ではあるが、その様子を見守る従業員は、固唾を呑んでゲートが開かれていく様を見つめていた。
そしてゲートが開かれた先からは、関所の警備員に敬礼されながら、外の世界の企業が賓客や要人の送迎用に使用されている自動車、銀色のレクサス・LSが、微かなモーター音を発しながら緩やかに発電所の敷地に乗り込んだ。
そして、皆が見守る道路の上で一度静止した。
そして一人、忠がゆっくりと、しかし一歩一歩、その歩みに緊張を帯びて自動車の横へと歩み出た。
そして後部座席の窓が下へと引き下げられると、そこには、目玉の付いた大きな帽子を被った金髪の少女が、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「おーおー、可愛い警備隊さんだ。今日はよろしく~。」
「お待ちしておりました。守谷諏訪子様。本日諏訪子様の護衛を担当させて頂く、岡田忠(オカダ タダシ)であります。管理棟で所長と副所長がお待ちです。これよりお車を先導致します。」
「うむ。頼むよ」
忠は本職の接客業のような慇懃な態度で一礼し、彼女を一瞥した。
妖怪の山に社を構える守矢神社の一柱、洩矢諏訪子に。
雅世は遠目に、送迎車の後部座席に向けてさり気なく視線を送り、その来客の姿を確認しようとしていた。
東風谷早苗は……当然居ない。しかし、諏訪子と並び守矢神社の神の一柱として知られる、八坂神奈子の姿がないのは疑問だった。
フロントウィンドウから見える前部の座席には、運転手である、背広を着た中年のJエナジーの従業員が運転席に収まっているだけである。
一方で諏訪子の隣には、見慣れない顔の、耳の長い青年が、無愛想な顔で座していた。
禰宜のような格好をしていることから、早苗の開いた立場に収まった巫であろうか。
雅世が車内を確認していると、後部座席の窓がせり上がり、外部からの視線を遮断した。
そして緩やかに動き出す送迎車の周囲には、忠は数人の部下と共に付き添い、管理棟へと向かっていった。
雅世は、最初忠実に仕事をこなす忠や若手達を何気なく見送っていたが、チラとだけ見えたあの二人の姿を思い出すと、何やら良からぬ予感が浮かんでくるようで、あまり良い気はしなかった。
【用心棒衆】
人里の外部にて活動する、対妖怪を専門とする戦闘部隊。
主に商人や外界の企業関係者の護衛、および懸念対象となる妖怪を先行して撃破することを主任務とする。
その発祥は幻想郷の誕生以前、時の支配者の命により世間の裏で暗躍する妖怪や悪鬼を殲滅することを使命とする異能集団とされているが、正確な活動の記録が残っているのは幻想郷の誕生の後からである。
幻想入り以降の歴史では、表向きの守護者である博麗の巫女の華々しい活躍の陰で、「弾幕ごっこ」に代表される幻想郷の掟が通用しない怪物を秘密裏に処理してきた「影の守護者」である。
隊員は仙術による高度な肉体・頭脳強化を施すことで妖魔に対抗する力を獲得しており、現在ではさらに外界より輸入された最新の兵器や電子機器で武装し、極めて高い戦闘能力と情報処理能力、そして連携能力を有するに至っている。
隊員は前提として志願制であり、魔法や仙術への適性が高い事や、外来の機械に対する理解力などを考慮し採用の合否が決められる。
基本的には人里の者の他に、外来人もある程度存在しているが、その殆どは特別な事情を心境を抱え、真っ当な仕事を選ばなかった者達ばかりである。
仙術による影響か、個性的で自己主張の激しい者が多い。
一方でその強大な力故に、八雲紫を始め幻想郷の有力者達による厳重な監視下に置かれており、任務内容や武器装備の管理に関しては、里長や各運営者、部隊長が各勢力との協議を説明して行い、事細かに定められた範囲でのみ許されている。
しかし、大きな問題に発展しない程度なら黙認されていることも多い。
また、「幻想郷は博麗の巫女によってのみ守護されなければならない」という不文律を護るために、博麗の巫女が出動した際、その行動には絶対に干渉してはならないという鉄則を、幻想郷の有史以来厳守し続けている。
当然、見えない場所で巫女と同様に幻想郷の平和を守り続けたにも関わらず、その事実を公表し、人里の守護者を名乗ることも許されていない。
表向きには里の外で働く商人や外来人の護衛とされているが、得体の知れない武装集団とも言われ、良からぬ噂が絶えない。