ところでハリーたちがいないからあんまり話題がない。でも平和なホグワーツっていいよね!
※今回は純血主義の方にとって非常にショッキングな内容の考察が含まれております。予めご了承下さい。
ハロウィーンといえば魔女、魔女といえば箒、そして箒といえば乗り物。
しかし箒といえば本来掃くものだろうに。そもそもいったいなぜ魔女が箒を持つようになったのだ。最近、その点が妙に気になり始めた。
なおこれは同級生にやたらと飛ぶのが上手い生徒がいるからといって論点をずらしているわけでは断じてない。まあとっとと白状しておくが、僕は箒など嫌いだ。できないから嫌いなんじゃない、必要ないから時間を割くのが嫌なんだ。
いったいどうして姿現しが全盛を占めるこの時代に伝統に乗っ取って魔法使いが箒にまたがる必要がある。そうとも、箒などそもそもどうでもいいのだ。プロでも目指さない限り、箒乗りの腕前など大したことではないからな。
さて、そういうわけでもうすぐハロウィーンだ。仮装パーティとしてのそれはまだしも、本格的な催しというのは初めて体験する。今から楽しみだけれども、それが雰囲気による影響だというのもたぶん事実だ。
とりあえず目に付く範囲ではレイブンクローの先輩方が盛り上がっている。先日談話室で盛り上がっていた話題は、サプライズで仮装ではなく本当に何かしらの魔法生物でも登場しないかという予測である。その後はじゃあ何が登場するだろうかという話題であった。
冷静に考えてみると実に中身のない議論である。しかしそれでも盛り上がるのだから先輩たちの期待のほどがわかるというものだ。
ちなみに、この議論では例の双子の件も結構注目されている。彼らがハロウィーンに何かを仕出かすか予測しようというわけだ。まあ、彼らの場合はイベント時に限らないが。
個人的には、イベントそのものよりグリフィンドールの例の双子の行動を眺めている方が楽しい。ハロウィーンが近づくにつれ日に日に増す反体制的主張の数々は見ていて飽きない。
なお教授陣、とくに寮監のフリットウィック教授も大層張り切っている。どうやら彼はこうした催し物が好きなようで会場の盛り付け等々率先して行っている。でもあんま無茶すんなよというのが寮生一同の率直な願いである。
近況としてはこんなものであるが……ああ、そういえば先日ついにホグワーツの厨房への入口っぽいところを発見した。やたらとエクトプラズムが出入りする絵画が怪しいと思い、その絵の話題で友人にカマをかけたら当たりであった。
ただ、残念なことに発見しただけであり、厨房への入り方は未だに不明である。もう少しエクトプラズムの動きを観察して試行錯誤するか、あるいは友人に教授願うかのどちらかである。どうしたものかな。
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さて、そろそろ本題に入るとしよう。
以前ゴーストについてまとめてからしばらく経った。その後もゴーストたちに時折話しかけているのだがめぼしい成果は得られない。というか最近は煙たがられている気もするのでそろそろ引きどきかもしれない。
調査の結果を総評してみると『ゴーストという対象への理解が深まったことは確かだが自身の持つ問題は何ら解決できていない』といったところだ。わかったことと言えば、せいぜい例のエクトプラズムがたぶん生徒であるということくらいだ。
『ホグワーツの生徒っぽくしかしゴーストでもないような気がする』。これが入学してからの成果であるというのだから少し悲しくなる。
しかし、だとするとあのゴーストではない精神体(というのが妥当な呼び名だ)はいったい何なのか? いやそもそもゴースト以外の精神体とは存在するのか? などと疑問が次々と並ぶものの、そもそも精神体の詳細なぞは調べなければわからない。一つだけアストラル体というのをどこかで聞いたことがあるが詳細は忘れた……というかたぶん読んでいない気がする。今度暇がある時に手広く探してみよう。
ともかくそうした精神体の話は今後の課題として、とりあえず今は手持ちの情報でできることをやってみようと思う。どういう風に考えていこうかと悩んだが、今回は魔法族の視点ではなく別のアプローチ、つまりマグル側の考え方というやつを参考にしてみることにした。マグルが考えたことということで一般的でもないし、また過去に読んだ内容なので少々忘れがちだが……まあ内容をバカにして考慮しないよりかはいいはずだ。
今回参考するのは、過去にエクトプラズマの名称と共に学んだ「残留思念」という考え方である。この考え方はつまり「強烈な思念は空間中に焼き付く」という類のもので、これを幽霊に適用すると「未練という強烈な思念が何かに焼き付いてゴーストという存在が誕生している」ということになる。魔法界においては一般的な考え方か否か、また、思念が焼き付く"対象"とは一体何なのか等々、細かな点で疑問は尽きないけれど、とりあえずそこは見逃してひとまず考えを進めよう。
まず残留思念という概念を適用できそうな現象を考えてみる。
残留思念、つまり焼き付きとは、本人以外には抽象的概念であるはずの"思念"というものが具現化することである。このわかりやすい例はまずゴーストであるし、思念に限らず、魔法使いの思考や似姿が写し出される絵画や写真などにも適用できそうだ。
注意すべき点は、こうした残留物、つまり絵画や写真に映り込む人物は本人のようでいて本人ではないということだ。これは言うならば"本人のようなもの"である(なおゴーストについては
絵画についてはホグワーツのそこかしこに飾ってあるので例には事欠かない。彼らは少なからず本人っぽいし、たぶん本人っぽい仕種をしているんだろうなと見る側は理解できる。しかし決してそれを本人と呼ぶ人はいないだろう。というのも絵画はあくまで誰かに作られたものであり、ゆえにそれが本人に取って代わるなどとふつう人は考えないからだ(ちなみにこのモデルと作られたものという関係性が、生前とその後のゴーストという両者に当てはまる)。
絵画に似た性質のもの、そしてより身近なものとしてはカエルチョコの景品カードが思い浮かぶ。このカードに描かれる人物らもまた、絵画と同様に枠外へと移動することがある。ただしその違いは、絵画のように必ずしも別の絵へと移動しているわけではないというところだ。これは同一種類のカードを二枚並べるとわかりやすい。例えば、ダンブルドアAのカードから彼が移動したところで、ダンブルドアBのカードに現れるというわけではない。そしてダンブルドアAがマーリンのカードに顔を出すということもない。
絵画とカエルチョコカードを比較した場合、内部人物の活動領域に差があるようだ。こうした活動領域の違い、これは更に写真の場合を考えてみるとよりわかりやすい。最も単純な、たとえば集合写真であれば内部に収められた人物の活動領域はせいぜい写真枠内での移動だけである。
活動領域の差、つまりこうした自由度の差というのはその利用目的に対応したものが与えられてる。写真という媒体を用いる際の状況を考えてみるとわかりやすい。一般的な写真に求められることとは誰かを(あるいは何かを)留めておくことである。そのため枠外へ移動する自由度は与えられない。
制作現場を見たことがない絵画はもちろんだが、僕にはカエルチョコのカードに用いられている魔法もどういったものなのかはわからない。また写真についてもどのような魔法、あるいは技術が用いられているのかは専門家に聞かなければわからない。
ただ、それでも予想できることはある。
まずフィルムに関する技術(これはカメラであってもフィルムであろうとも)、それらはあくまで受動的な働きしかしていないということ。
カメラ本来の機能はあくまでも『入射する光にフィルムが感光し像が完成する』という単純なものであり、逆にカメラやフィルムが被写体に対して何らかの影響を及ぼすと考えるほうが難しい。せいぜいがフラッシュを炊くくらいだろう。仮にフィルムに仕掛けをするとしても……何かできるだろうか? 正直、双子が採用しそうなイタズラぐらいしか思いつかない。
フィルムやカメラに対する知識不足感は否めないが、ともかくこう考えていくと写真に映り込む"本人のようなもの"の基盤となるものは、どうも被写体側にありそうだということになる。このフィルムに焼き付きうる"なにか"、これがフィルム上に再現される"本人のようなもの"を作り出す手助けをしているようである。
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さて、ではこの"なにか"とは一体どういうものか。
写真の例からわかること、それはシャッターが押される一瞬程度であっても被写体の仕種を真似るくらいの記憶を有している"なにか"が照射されているということだ。つまりフィルムは光を介して彼らの像を映し出すだけでなく、彼らの記憶を再現する何かすらも取り込んでいるということになる。これはフィルムに存在が焼き付くという言い方が妥当だろう(ところで仮にマグルと魔法族が共に写真に収められた場合どうなるのか少しばかり興味深い。父と母の写った写真でも見ればわかるだろうか? 今度探してみるとしよう)。
以上の「残留思念」という見方から見えてくるものは、魔法族とはマグルの持たないなにか――それはフィルムに取り込まれ得るもの――を撒き散らしながら日々を過ごしているのではないかという仮説である。
なお、撒き散らしている何か(仮にこれを拡散物質xとでも名付けておくとして)、こうしたものが存在することは母の所属する魔法不適正使用取締局で"におい"と称されるものがあるらしいことからも確かなようだ。どうせすぐにばれるから家で魔法なんて使わないようにとはよく言われたものだ(目の前に担当者がいるのだから当然である)。
拡散物質xを周囲に放ち続けていること。それは即座に魔法使用の根拠にはなりえないけれども、少なくともカメラのフィルムに対しては影響を及ぼしていることは確かである。また、こうした物資を魔法族の力の源などとは当然言い切れないが、しかしマグルの持ち得ないこうした拡散物質xを魔法族が持っているということを些細なこととも言えないだろう。
ところで魔法族が持つ力とは何か? ……それはつまり魔法を使えるということである。そして魔法とは何かと考えると、端的に言うと、それは環境に作用する力である。
一般的に魔法とは、周囲に影響を及ぼすものよりも、自身に何らかの作用をもたらすもののほうが難しい。
対象によって難度が異なるということ、とくに行使者自身に影響を及ぼすことが最も難しいという事実を一体どう解釈すべきか。……これはつまり、間接的にしか自身の輪郭を捉えることができないからではないだろうか? 対象物の不鮮明さとでもいうか……自分以外を対象としていた今までの魔法の行使に対し、自分という対象は最も不鮮明でかつ認識が難しいものだ。なにせ自分の顔を直接見ることはできない。それゆえ些かばかりの不具合というか、認識の不足が生じるのだろうか? 結果、魔法の行使が上手くいかないと。
……謎を解決しようとしたら謎が増えたな。まあいいや、とりあえずそうした事柄の是非は置いとこう。どうせまだまだわからないことだろうし。
ともかく仮説として、魔法族が何かを発しているのはどうも事実のように思える。そしてそれがマグルと魔法族の違いだと考えることもできそうだ。
また、あるいはこうした拡散物質はゴーストの発生とも関連しているのかもしれない。絵画におけるキャンパス、写真におけるフィルムのようなものが環境中に存在しており、そこに焼き付いた本人っぽいもの、これがゴーストのはないかという仮説である。……まあこれは突飛な思いつきなので微妙なところである。しかし環境中に満ちる何かという考えは、ホグワーツ内で機械が利用できない理由とも関連しているのかもしれない。
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ところで、根本的な問題として「ではこの拡散物質xとはいったい何なのか?」という点が残っている。
しかし……これがなんなのかは不明である。ちょっと検討がつかない。
たぶん既に判明しているんだろうけど、あいにく僕は聞いたことがない。ホグワーツで学ぶものはどちらかというと理論よりも実技の面が強いからこれは仕方ない(とはいえ、なぜ使えるのかという理論を先に教えるよりも、できることを増やすほうを優先するのは納得できることである)。
あるいは魔法省に存在するという神秘部のどこかで研究されているのかもしれない。もしくは世間一般の常識なのかもしれない。個人的に実験して検証しようにも、魔法族にとってあまりにも普遍的なものすぎてどうにも手がつけられない。最低限、マグルが数人必要である。
結論としては「基本的な知識が足りていないのでこれ以上の詮索は無理」ということになる。ちなみに一時期、自分にはこうした類のものが見えるのではと期待した頃もあったが、まあそんなわけはなかった。
なお、こうした想定から思い浮かぶちょっとした疑問としては、果たしてマグルであっても魔法薬作成ができるか否かというものがある。この点、気になったのでそれとなくスネイプ教授に聞いてみたのだが、答えは得られなかった。……いや、この場合は聞き方が悪かったのかもしれない。彼の好みそうな皮肉っぽく聞いたのだがそれが間違いだった。「指示も聞かずに失敗を繰り返す生徒よりも有能なマグルの方がまだ良い」という旨の評価なんだか侮蔑なんだかよくわからないものを遠回しに聞けただけである。……ちがう、欲しかった解答はこれじゃない。
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まあ以上のように、拡散物質そのものについてはわからない。
しかし最後に少しだけ、「ではどこにその源があるのか?」ということを考慮してみることにしよう。これはすなわち魔法族とマグルの根本的な違いを考えてみようということでもある。
拡散物質xが何に由来するものなのか。これは態度の大きい連中が言うところでは血に宿るというが……これは本当だろうか?
彼らが言う通り、潜在的に血統が重要だということは両親から子へ魔法的素質が受け継がれる時点で疑いない。"純血"と呼ぶくらいなのだから、血液に何か魔法的な素質が宿っているのかもしれない。
ただし純血でなくとも――僕のように魔法族とマグルのハーフであっても――問題なく魔法を行使できるという事実は、どうも魔法族とは純血である必要はないということの証拠であるようだ(まあこれは言うまでもないことであるが)。
また、魔法族の両親から(あまり使いたくない言葉だが)スクイブが生まれることもあり、その逆にマグルの両親から魔法族が誕生することもある。これはつまり、潜在的に人に宿っている能力が発現するか否かの違いでしかないのではという疑念が浮かぶ。もしかしたら将来マグルから魔法族が誕生することだってあるかもしれない。それも先天的ではなく後天的に。
純血主義のように、何を誇りとするのかは個人の自由である。しかし、私的には非理論的なものはナンセンスである(もちろん純血を保つのは自由だ。こうした主張は社会的な椅子取りゲームに有利だろうから。純血を保つことは同時に社会的地位をも保ってきたという証左である)。
ただ、純血であろうとなかろうと、魔法族がマグルの両親から誕生するという事実はある一つの仮説を示している。すなわち、魔法族のアダムとイヴがマグルだったかもしれないということだ(もちろんこんなことは表立って主張しない。どう考えても面倒事に巻き込まれるだけである)。そしてこれは当然、純血主義者の祖先に対しても当てはまる。純血の一族として自身を誇るのは勝手だが、それは祖先までもが純血であることを示しているわけではないのだ。
しかし、この点を指摘したところで結局こうした純血論争は鶏が先か卵が先かという話に結論付けられるのであり、考えるだけ無益というものだ。それにそもそも、血液だけに拘っていてはゴーストの存在を説明しきれない。当然のことながら彼らには血が通っていないわけで……となると(実に強引な仮定だが)魔法の行使そのものには血液が必要なのかもしれない。まあこの辺りの確認は今後の課題である。
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さて、最後は少し脇道に逸れたものの、それなりに有意義な考察ができた気がする。
まずは今回の内容をまとめてみることにしよう。
想定として「残留思念」という考え方を採用したこと。そしてこれによると魔法族は拡散物質xと称される何かを常に放射しているようであるということ。
また、実際にこうした物質に似た性質のものが存在するということ。だたしこの拡散物質xについては不明であるということ……まあこんなところか。なお最後の血液仮説に関しては「血液に宿るような気がする」という程度の認識に留まるだろう。
ゴーストを起点にして考えを進めていったのだけれども、結局、疑問はそもそも魔法族とは何なのかということへ至る。
魔法族の詳細については知識を蓄えなければ分からないことであり、今後すべきこと……資料を読み漁ることであろう。それはいつものように魔法史の時間、ビンズ教授の発するBGMを聞きながら勉学に励むとして、問題は未だに掠りもしないエクトプラズムの存在をどう考えるかである。
正直なところ、魔法族の話題は時間がかかりそうであるが、関連書籍や先人の知識に頼れるだけマシである。一方の(というか肝心の)自身のよくわからない体質という問題はヒントなしである。実に難題である。エクトプラズムはどうも魔法界で言うところのゴーストではなさそうであるが……「じゃあなんなの?」となる。わっかんね。
実は生徒であるか否かという点は最近の……その、箒の授業で判明している。あまり思い出したくはないことであるのだが、あの連中、箒に跨って空中にまで突っ込んでくるのである。透過するとわかっていても足場がないので実に心臓に悪い。もうやめてくれ。
ともかく、今までの件に加え、さらに箒に乗っている姿まで確認したのだから生徒であることはおそらく確定である。ホグワーツで箒に乗っているのだから多分そうであろう。教授陣のうち箒に搭乗している姿なんてフーチさんしか見たことがない。
エクトプラズムはゴーストでないにせよ、いずれかの精神体であることに違いないと思う。そして「残留思念」という見方からすると、エクトプラズムとは、とりあえずホグワーツ生の何かが焼き付いて再現されたものだと考えられる。
こうした再現機能、つまり過去に存在するホグワーツ生を再現する虚像こそがエクトプラズムであるというのが僕の現段階での推論である。
……しかし、その再現に利用される"何か"のことなど当然予想できるわけもなく、また再現される生徒の共通項も未だに不明である。再現されるという性質上、あの生徒たちは過去の存在であるはずだが、彼らの行動や姿を見てそれがどれくらい昔っぽいなどとは判断できないだろうなぁ、たぶん。
まあ、こうやって推論できるのはたぶん前進なんだろうとは思う。ただ、肝心な点が未だ解決できていないので進捗度などは心持ち次第で反転する。
すなわち再現するという行為の前提として、再現する主体が必要であり、それが誰かということ。そして……なぜ再現しているのかということ。この二点である。
……もう眠いんで寝る。疲れたよ。わからないもの。
誰かが再現している……まあいいや、とりあえずゴーストに話しかける必要はないってことは前進だろう。そうだなぁ……もうホグワーツ自身とか魔法省自身が歴史を再現しているとかでいいんじゃね、うん。……まあこれだとホグワーツとか建物とかが意思を持っているってことになっちゃうけどそういうこともあるんじゃない? あるんじゃない?
ダメだこりゃ、もう寝よう。ハロウィーンは頭空っぽにして楽しむとしよう。おやすみ。
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※
ゴーストに関しては「それが本人であるか?」という問いは極めて微妙な問題である。本人かどうかなど、実際のところ確かめようがないからだ。
ゴースト自身を本人と呼ぶことはもちろんできる、しかし同時に死体として既に失われた方を本人と呼ぶことだってできる。そして残留思念という考え方に従うと、ゴーストは「本人が残した"未練"という単なる思念そのものである」と定義できるし、そんな単なる思念を果たして本人と言い切れるのかは……どうだろう?
これはたぶん「そもそも何を当人とするのか?」という妙な定義付けをしなければこの疑問は解決できなさそうだ。そしてこの話題はなんだか泥沼に入りそうなのでここらで打ち切る。
しかし……仮にゴーストを本人であるとするなら、それはきっと魂と呼ばれる未だ未解明の存在のことを指すのかもしれない。思念がその正体だというのはなんだか……うーん。
編集にめっちゃ手間取った。
今回は拡散物質x→血液関連のところが切りたくなかったためとはいえやたらと長い。そして眠い。
見やすさを考慮してダッシュ連打による区切りを追加しました。
仮説に仮説を重ねて書きたいことは書けた。しかし、肝心なところが進んでいない気がするっていうオチである。
追記
ちょっと細かいところの言葉不足とかを修正。でも読み直すほどの修正じゃないよ。
以下補足情報。
・箒
「そうやっていやなことからにげているのね」→「嫌なことから逃げて(ry
もっとも「魔法界における箒の需要なんてそうそうないからいいんじゃね」っていう考え方はあながち間違いでもない気がする。生徒の大多数は単なる観客状態であるからして。
・カエルチョコカード・ユニヴァース。
マーヴェル・ユニヴァースのように絵の中に別世界があると考えるか、あるいは写真のように何らかの本人っぽい動きを再現するだけなのか。
たぶん後者なんだろうとは思う。前者だと世界中の子供達にプレゼントを配るためにはサンタクロースの数が足りないみたいな現象、つまり「カードが当たったけど中身がいるところ見たことがない」みたいな状況に陥りそう。
そんなわけでこういう設定になった。もっとも単なる推論なんでタグに独自設定追加しておく。今さらだけど。
・写真の自由度云々
写真の枠外移動のところは書いておいてなんだが、若干怪しい。独自設定臭いというか。
絵画やカエルチョコのカードでは枠外に移動しているところは見た覚えがあるけれど、一般的な集合写真等でそういうことがあったっけ? っていうくらいの弱々しい根拠。
本文でも書いた通り、せっかく集合写真撮ったのにその対象者が枠外に出る意味が全く存在しないわけで……でも反例は映画のシーンとかにたぶんあるんだろうなぁ。見つけ次第ちょっと修正するかもしれない。
それか本文になじまないからこっちの説明にしたけど、あるいはあれは動画を撮っているような感触なのかもしれない。ぐぬぅ頭が固くて魔法使いらしい発想ができぬ。
……ただ、コリンとバジリスクの見つめ合いという例を見ると、焼き付きという考え方はなんだか正しく思えてくるけど……うーん、まあいいかこれで。
・血液云々
偶発的に「穢れた血」さんが誕生する環境下で純血を誇る理由ってなーんだ?
主「新興貴族に対する既存貴族によるいびり」
考えたことをそのまま書いた結果がこうなった。主人公さんったら思考内容が異端すぎる(純血主義視点)
……でもこれはアンチ・ヘイトと呼ばれるもの? 場合によってはタグ変更するけど、誰もが思うことだよねこれって。
・ソウル体まだ?
アプローチはもうちょいかかりそう。気長に待ちましょう。でも書いてて、はよ手がかりつかめや主人公と思わないでもない。
次回予告
主「ケッコンカッコカリ(白目)」