デモンズ要素を突っ込んでみたハリポタ風味作   作:たか等

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6-5やってて遅れた。
今後の下準備回。内容はぐだぐだしてきましたなぁ。


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 入学してから2ヶ月、早いものであと1ヶ月もすればクリスマス休暇である。大多数と同じく帰宅する予定ではあるものの、ホグワーツで過ごすクリスマスというのも結構魅力的である。在学中に一度くらいは体験してみてもいいかもしれない。

 

 さて本日、寮対抗クィディッチ杯の第一試合グリフィンドール対スリザリンの試合が終わった。勝者はスリザリンであり、グリフィンドールも肉薄していたが結局のところクィディッチというのは良いシーカーがいなければ勝てるものではない。試合内容もそれを証明するような典型的なもので、イーブンで移行していた両チームであったが、最後はシーカーの得点で決着であった。

 

 シーカーの実力差を埋めようとするならばスニッチ獲得までに150点差をつけろということになるが、しかしこれは両チーム間に相当な実力差がなければ難しい。ましてや学生チームであるのだから余程のことがなければそれほどの実力差など生まれない。むしろ総合的には拮抗してくるものであり……やはりシーカーに頼らなければ無理と、いうことになるのだろう。

 

 しばらくしたらレイブンクロー対ハッフルパフの試合もある。

 チームの総合力、更にはシーカーの差でレイブンクローが勝つだろうというのが大方の予想であるが、以上の理由、つまりシーカーの働き次第で状況がひっくり返るので油断はできない。とはいえハッフルパフ相手に負けはしないだろう。我が寮レイブンクローの打倒目標はいつものごとくスリザリンであり、彼らに勝たなければ優勝などできるものではない。

 

 ……と、おおよそここまでが先輩の話の受け売りである。彼によるとレイブンクローの戦績は最終的に二着に落ち着くことが多く、これは畢竟スリザリンに敗北することが多いからだそうだ。稀に勝利してレイブンクローがクィディッチ杯を獲得する年もあるのだが……不思議なことにそれでもスリザリンが寮対抗杯を獲得するという話も聞いた。

 嫌な話であるが、それはつまりスリザリン生ほど優秀かつ善良な存在もいないということになるのだろう。

 

 ともかく各寮クィディッチには真剣に取り組んでいる。

 マクゴナガル教授が自寮の優秀な人材に常に目を光らせているという話は有名であり、またクィディッチの話になるとスリザリン(というかスネイプ教授)への対抗心を隠さないという話も聞く。温厚なスプラウト教授だって自寮のクィディッチチームのためであれば多少の贔屓はするだろうし、フリットウィック教授だってそれは変わらない。

 

 まあ要するに、みんなクィディッチが大好きなのである。

 僕としては未だにそれほどの熱意を獲得できていないし、応援するのだって同寮の生徒が頑張ってるからである。少なくとも"クィディッチだから"と熱を入れているわけではない。たぶんスポーツ競技におけるワンオブゼムという程度の扱いだ。

 

 これはきっと、父に連れられてサッカーの試合をよく見に行っていたというのもあるのだろう。近場に熱中しすぎている人を見ると逆に冷静になってしまうという現象だ。ついで言うと母についても似たようなものである。こちらはクィディッチこそスポーツであるという態度を崩さないわけであるが……僕としては別に空を飛び回らないことに違和感は感じない。

 

 ……そういえばクィディッチと言えば我が寮には少々不思議な制度が存在するということも書いておこう。

 この制度は寮生にとっては公然の秘密となっているものであり、しかし当然他寮の生徒に明かす類のものではない。これというのも「一年生が箒を所持するのは禁止されているが箒と親しむことは禁止されていない」というフリットウィック教授の発言が発端らしい。呪文学の補習と称して、日夜選別された一年生が"箒に親しむ"レクリエーションを行うというわけだ。

 僕は既にその選別から零れているのでどういった訓……おっと、レクリエーションを行っているのかは不明である。ただ、こうした事前準備段階というのはチームの世代交代をスムーズに執り行う上で一定の役割を果たしているのだろうなぁとそれなりに納得しているというだけの話だ。

 

 変身術の件についても……、いや……もう前置きはこれくらいでいいか。我ながらなんともグダグダと本題をごまかし続けるものだ。今回書きたかったのはこんなことではないだろうに。

 

 

――――――――――――――――

 

 

 最近考え続けていたことがある。

 それはあの血痕のことであったり、エクトプラズムのことであったりもするが、どちらかというともっと一般的な内容だ。

 勿論、ああした光景を目の当たりにしてそれに恐怖したということは自分でもわかっているし、それを今でも引きずっているということも理解している。今尚あの光景、それが唐突に自分の身に降りかかるかもしれないと思う時があるくらいだ。授業を受けている最中、眠りに就くふとした瞬間、突然そうした恐怖に襲われることがあるのだ。

 

 しかしそれ以上に僕はきっと……あのような光景を生み出す存在に対して恐れを抱いたのだと思う。

 

 未だあの現象の原因については不明である。あれが何かの魔法による結果なのか、あるいはトロールにでも引き裂かれたか、その辺りの判断はつけようがない。ただ、あの光景が森で遭難した結果などではなく……本当にあの教室で起こったことだと仮定すると、どうしたってあれは魔法族の誰かが作り出した光景だと考えざるを得なくなる。

 

 僕が抱えるこの恐怖という感情。

 それは目撃したような無残な被害者になるかもしれないということに対してであり、また一方でそれを行った誰かに対するものでもある。

 

 考えるに魔法族というのは、その潜在的な力によってあのような光景を簡単に作り出し得る。それは悪意を以ってなのかもしれない。あるいは何かの間違いによってなのかも知れない。しかし両者に共通して言えることは、そもそも魔法族という存在はそうした暴力性を常に抱えているという点である。

 

 魔法族が杖という道具を常に持ち歩いているということ、それは自衛のためかもしれないし利便性のためかもしれない。しかし使用者の意図とは無関係に杖の持つ機能として、凶器という一面があることに違いはない。手に持つこの26センチの木の棒を振るうだけで対象があのようになるかもしれない。それはきっと事実だろうし、となると魔法族とは何か間違えるだけでああも簡単に他人を殺しうる存在だ。

 

 もちろん誰もがそれを望んで行うようになるわけではない(というか、そうした傾向を持つ存在はわかりやすく闇の魔法使いというジャンルに一括りにされる)。そして潜在的な力と言っても制御不能なものではなく、結局のところ刃物で人を殺せるといった類の話であり、結論は使い手次第ということになる。

 

 そうした暴力性をも併せ持つ杖の使い方を学ぶのがここホグワーツということになる……わけだが、この点はどうも表立って説明されなかったような気がする。魔法の取り扱いは危険を伴うとは言われたものの、まあ流石に「お前たちは危険だから教育する」なんてこと直接言わないか。

 闇の魔術に対する防衛術(DADA)という授業があるにしても、それはあくまで敵対者への対応に留まるし、そもそも杖を持つ理由、そしてそれを振るう際の理念なんてものはそれほど深く教えてくれない。強いて言うなら、マクゴナガル教授が授業開始当初に語った厳重な注意と危険性に対する説明くらいだが……それでもやはり人に対する場合の危険性というものには触れていない。

 

 ……まあ確かにそういったことは教えるまでもないことなのかもしれない。あるいは自身がマグル寄りの視点で物事を考えているだけなのかもしれない。

 しかし僕は、今回の件で良くも悪くもそうした自身の持つ暴力性との付き合い方を考える必要性を感じたのだ。そしてそれは恐らく、手段として魔法を取り扱う以上、誰しも考えなければならない問題であるはずだ(もっとも、これは単純に一年生が習うにはまだ早いというだけのことなのかもしれないが)。

 

 

――――――――――――――――

 

 

 一昔前であれば、学校で学ぶこととはつまり自分の身は自分で守るということであったはずだ。母方の祖父がよく口にしていた言葉は「備えよ常に」であり、それは僕に杖が与えられた際にも母の口を通して伝えられた。

 

 いったい何に対して備えるか? ……殺されるということに対してだろう。思いを馳せるのは、かつて人が人を殺すために、またそれを防ぐために杖を振るった時代が存在するということだ。僕の祖父や母はそうした時代に生きた人間である。

 

 だからこそ誰しも杖を持つことは自分を守ることであり、そして敵対するものへ対抗するための手段であった。そして自衛のためには時として魔法を他者への暴力として使うことも必要だったのだろう。生死がかかっているのだ、さもなくば殺されるという状況であれば致し方ないことだったある。ためらっている余裕なんてない。

 かつての魔法界、僕より数世代上の人々、彼らが学んだことは世界で生きていくための手段であった。そして現実問題として、そうした対処を学ばなければならない時代でもあったはずだ。

 

 ……しかし、その考え方は今となってはどうなのだろうか?

 杖を振るう一人の魔法使いとして、僕の実感は少なくとも自衛のためではないと思わざるを得ない。それは単に勉学のためであり、あるいは生活の利便性のためのようにさえ感じられる。本来、考えていかなければならないはずの、自身の持つ潜在的な暴力性になど僕は今まで気づきもしなかった。時代が変わったといえばそれまでのことだが、しかしそれは杖を持つ理由までも変わってしまうものだろうか?

 

 ……いや、杖を用いる人間という存在が変わるわけがない。

 全ての人間が善良である、などという無邪気な発想を僕は信じられない。そしてその時点で想定しなければならないことは多いはずだ。

 ただこれはなにも明日、教室に凶悪な魔法使いが現れることを想定しろというわけではないだろう。考えるべきは、自身が知らぬうちに暴力を振るうかもしれないということ、あるいはそれが自分に振るわれた時にどう対処するのかということだ。

 

 しかし、果たして僕は実際に誰かと敵対した時にそういったことが為せるだろうか? 承認できるのだろうか? あるいは自衛のためとはいえ、人を殺すかもしれないということを。

 ……わからない。

 当然だ。そんなこと、その状況になってみないとわからないことだ。今できると言ったって、そんな薄っぺらい言葉に何の意味がある?

 

 しかし、ではどうするのか? こうして、わけも分からずに自分の持つ力に怯えるだけか? 人を殺すのは嫌だと言って自衛の手段をも投げ捨てるのか?

 

 ……そんなこと、きっと現段階で判断しきれるものではないのだろう。けれども同じく目を逸し続けることはできない。またこうした恐怖を抱え続けることもできない。ではどうする? 何もかも嫌だと言って何も考えないようにするのか?

 

 そうとも、何も考えないというだって一つの選択肢ではある。それは最も簡単な手段であり、つまり時代の雰囲気に流されることでもある。実際、僕は今まで杖を持つ理由、そしてそれを振るう理由など考えたこともなかった。

 

 ……しかし、僅かばかりの気づきを得た今、かつてのそうした無知の状態へ戻ることなどもはやできないだろう。恐怖だってそうだ。目を瞑ってもそれは失われないのだから結局のところ立ち向かうしかないのだ。

 

 僕の持つこの恐怖を解消するためにはどうすればよいのか?

 立ち向かうとは言ったものの、それは具体的に何をすべきなのか?

 

 何をすべきか……少なくとも考えるということはできそうだ。……思うに恐怖とは、つまるところ不明瞭な感情のことであるはずだ。それは対象への無理解から始まり、その後は自身の持つ再現のない想像力の膨張によって恐怖という感情が発生する。

 となると必然、恐怖に立ち向かうとは対象を理解し、自身の裡のものとして所属させることである。知らないことこそ恐怖であるわけで、恐怖を乗り越えるためには、対象を知る努力を続けなければならない。

 

 ……なんだ、そんなの今までと変わりないじゃないか。することと言えば変わらず、あるとも知れない真実というやつを追い求めるだけのことだ。

 

 

――――――――――――――――

 

 

 さて、色々考えてみたわけだが、結局のところやることは変わらないようだ。対象としてあの血痕が増えたというだけのことだ。少し間が空いてしまったわけだが、以前のような調査を再開するとしよう。もっとも、できることと言えば相変わらず聞き取り調査であり、こればかりは杖を振るうことで解決するものでもない。足を使わなければ終わりはしないだろう。

 

 血痕についてもそうだ。必要なことはまず例の教室に関する情報を集めることであり、彼の死の原因を推測することでも血痕の存在理由を考えることでもない。

 そして仮に、ああした"死の記憶"(とでも呼ぼう)がホグワーツに存在するのだとしたら、まずあの場所だけに限定した現象なのか、あるいは各地に存在しているものなのかを調べなければならない。ホグワーツ以外の土地にも存在するかどうか、これは今は検証できないから保留するとして、ともかく「ホグワーツにおける死者」という観点から調査してみる価値はあるだろう。仮にホグワーツで死亡した場合、ああした血痕が残るのだろうか?

 

 穴だらけの仮説であるが、ともかく思いつきでもなんでも書けることは書いておこう。しかし、この死亡後の仮説が正しければ、少なくとも僕が目にする各地や施設にも血痕があるはずだ。それが見当たらないのはなぜか? ……まあ、その辺りは流石に時期尚早か。今は調査を進めて情報を集める方を優先しよう。

 

 ……ところでホグワーツ生の死者という条件に当てはまる例を僕は偶然知っている。更に言えばその人物は現在ゴーストとして存在しており、ついでにいうと僕の寮の先輩でもある。なんともお誂え向きの好例である通称『嘆きのマートル』と呼ばれる人物について今後調査する予定であるものの……これには少しばかり問題がある。

 

 なにせ彼女の住処は、利用者が少ないとは言え女子トイレなのだ。したがって本格的に調査するにしても何かしらの隠れ蓑というか、明示すべき目的というものが必要になるだろう。それがなければ下手を打つと社会性を捧げなければならない。もしくは目眩まし術というものを学ぶといった手もあるが……使う理由があまりにもしょうもなさすぎる。あるいは誰か女生徒に聞き取り調査を依頼することになるが、いったいどうやって依頼するというのか。

 

 今まで調査と言ってもゴーストに話を聞く程度だったので人目など気にしていなかったが、流石にそろそろ何か考えておかなければならないだろう。気にしなくとも調査自体は可能であるが、しかしその姿を傍から見たらどう映るだろうか? ……まあ柔らかく言っても変人に見られることだろう。

 今後調査を行う上で、名目というか、調査する姿を見た人が納得できる何かが必要になるはずだ。妙な場所で、妙なことを聞きまわっても違和感のない名目……何かあるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 ……そうだ、新聞作ろう。

 




流石に前回のケアが必要かなということで立ち直り回。
書いちゃいないけど、主人公は授業中に情緒不安定になったり具合悪くなって医務室行ったりもしていた模様。そして武装解除呪文を習う以前に人死にを目にしちゃったからこういう考えに至る。

個人的には、杖っていう道具は本来そういうことも考えつつ使うものだろうなあとは思う。
その利便性とか許されざる呪文だけに目が行きがちだけど、人を殺し得る方法なんて他にも存在するわけであるからして。それは例えばレダクトで生じた破片だったり、(たぶんピーターの行った)コンフリングによる二次的被害、あるいはカエル婆さんの件で学んだ失神光線でも人は死に得るということ。

……と、そんなことを考えながら書いていたらご覧の通りぐだぐだした文章になりましたとさ。

まあともかく、それらを乗り越えて問題解決のための手段――その隠れ蓑を探していたら主人公、新聞を発刊することになったの巻。レッツジャーナリズム(笑)今後動きやすくするためとはいえホグワーツで新聞作りというよくわからん展開に。真実を求める新聞記者というと……なんとなく全身に火傷を負ったり頭が妙に尖るフラグが立ったような気がしますね。

なお冒頭の試合結果に関しては、グリフィンドール対スリザリン戦と近い時期に残りの二寮が対戦しているであろうという予想(というか三巻見るとそんな感じかな?)。
しかし原作前年の試合結果なんてものはスリザリンとの『Last match』で(たぶん去年のこの時期の試合で)グリフィンドールが敗北しているってことくらいしかわからんので捏造。
なんとなく安定して強いのがレイブンクローという印象であり、それとフリットウィック教授のお茶目な性格及び一巻の試練内容を加味してこうした裏話を妄想。いずれも根拠なんてないよ!

次回予告
主「キャロルのなる頃に」
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