東方人心変   作:黄泉風 誠

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Chapter01:4月20日 part1

 『——間もなく、新宿。新宿。本日は人身事故により大幅にダイヤが乱れ、ご迷惑をお掛けしました』

 

アナウンスが終わると、数人が椅子を立った。皆口々に、事故に遭った被害者への悪口を呟いている。腕時計を見ると、時刻は午前零時近くを指していた。三時間の遅延だ。文句が言いたくなるのも分かる。

 

 『イジメ? 彼が弱いのがいけないんだろう』

 

……転校前の記憶が蘇る。

 

『しかしイジメを認知してしまった以上、何か対処を——』

 

『小御門先生。貴方も、我が校の人間なら分かっている筈だ。加害者は、我が校へ多額の寄付をなさっている大企業の御曹司。……転校手続きは、私がしておこう。彼も、イジメられるくらいなら転校を望む筈だ』

 

『しかし……』

 

『小御門先生。これ以上の口出しは御免です』

 

 ——どうでも良い。忘れる事にしよう。引っ越した先では、両親の友人である女性の世話になる事になっていた。確か、八雲紫と言っただろうか。

 

 改札の前で、女性が手を招いている。彼女が八雲紫だろうか。

 

「……新島 拓君だね? 私は八雲 藍。紫様の部下のようなものだ。……悪いが、紫様は手が離せなくてね。今日のところは、私が迎えに来た」

 

「よろしくお願いします」

 

「ああ。……一身上の都合、だったか。深くは聞かないが、あま目立つ事はするなよ?」

 

……視界が歪む。疲れているのだろうか。

 

「どうした? 早く車に乗りたまえ」

 

ダメだ。立っていられない。そんな根性も気力も無い。

 

「お、おい、どうした!?」

 

——————

————

———

——

 

 

 「……おや、お客人かな?」

 

——!?

 

部屋だ。小さな、薄暗い部屋。唯一ある窓には鉄格子が嵌められていて、其処から青い光が流れ込んでいた。まるで取調室の様だ。その部屋の中央に、長い鼻の老人が座っていた。その前に置かれているテーブルの上には、奇妙な柄のカードが置かれている。

 

「ようこそ、ベルベット・ルームへ。ここは夢と現実、精神と物質の狭間の空間。この部屋では、無意味な事は起こりません。……お座りになって下さい」

 

老人とテーブルを挟んで対面する様に置かれたパイプ椅子に腰を下ろすと、老人は低い声で笑った。

 

「私の名はイゴール。ベルベット・ルームの管理人でございます。……占いはお好きですかな?」

 

そう言うと、イゴールは卓上のタロットへ手を伸ばした。どうやら、此方が占いを信じるかどうかは関係無いらしい。イゴールがテーブルの上をひと撫ですると、カードが均一に並べられる。手品か、あるいは。

 

「……」

 

イゴールが指を鳴らす。数枚のカードが、空中に浮遊した。

 

「……おや、これは」

 

わざとらしい声を漏らす。結果はとうに分かっていたらしい。

 

「……どうやら貴方は、大きな災いに巻き込まれるらしい。その結果によっては、貴方の未来は永久に閉ざされる事になるでしょう」

 

「……!」

 

たかが占いとは言え、そんな事を言われて良い気はしない。しかし、イゴールはニヤリと笑ってみせた。

 

「……大丈夫。そうならない様にサポートするのが、私の役目でございます。……おや、そろそろ時間の様だ」

 

ぐにゃりと視界が歪む。まだだ。まだ訊きたい事がある。

 

「そう急いではなりません。いずれまた、お会いする時が来るでしょう。どうか、その時まで——」

 

だめだ。もう意識を保っていられない。——意識が、プツリと途切れた。

 

 ——浮遊感。目を覚ました俺が初めて感じたのは、猛烈な浮遊感だ。そして、誰かに抱えられていると言う安心感。

 

「……おや、目を覚ました様だね」

 

藍だ。彼女は柔和な笑みを浮かべながら、空中を浮遊していた。……どう言う事だろうか。まだ夢から覚めていないのだろう。

 

「混乱している様だね。だが、もうすぐ目的地だ。其処まで耐えていてくれ」

 

遥か下に、緑の大地が広がっている。その中に点々と、藁葺きの屋根が見えた。俺の目的地は新宿の筈だ。しかし、少なくとも足元には高層ビルは見当たらない。——あれは、夢では無かったのだろうか。大きな災いに巻き込まれているのだろうか。

 

 やがて藍は、大きな古民家の前に着地した。

 

「着いたぞ。紫様がお待ちだ」

 

藍の後に続いて、縁側から上がりこむ。穴一つ無い障子を開けると、一人の女性が正座していた。——彼女が、八雲紫だろう。

 

「ようこそ、新島 拓様。まずは、突然此処に連れて来た非礼を詫びさせて頂きます」

 

怪しい。その言動こそ詫びの言葉を口にしているものの、その目は何処か、俺を嘲笑っている様だった。

 

「此処は何処なんですか?」

 

「……此処は幻想郷。現世から隔離された、忘れ去られた者の住まう世界」

 

忘れ去られた者。その言葉の真意が、俺には分からなかった。

 

「信じたくは無いが……確かに、都内にこんな場所はありませんね」

 

「あら、戸惑わないのね。『どうして俺が?』……って」

 

「思っていますよ。でも……」

 

「でも?」

 

「俺は親に見放されて、貴女に拾われた。俺には、疑問に思う権利すらありません」

 

「……ふうん」

 

紫が、目の前に置かれた湯飲みから、茶を一口含んだ。

 

「素直なのね。卑屈だけど。……それじゃ、手っ取り早く用件だけを伝えるわ。……現在、幻想郷に異変が起きています。貴方の役目は、その異変が幻想郷中に蔓延する前に阻止する事。……選ぶ権利は無いわ。貴方は、その特別な力を駆使しなければならない」

 

「特別な……力?」

 

ベルベット・ルームにいた、イゴールの手助けだろうか。

 

「……住人の性格が急変してしまう、不可解な現象。私は、心身異変と呼んでいるわ。……あら」

 

紫が、突然声を漏らす。その視線は、俺の頬へと向いていた。

 

「頬、汚れてるわよ。倒れたでしょ。……藍。洗面所へ案内してあげなさい。話は後」

 

「……はい」

 

藍に促されて、彼女の後に続く。薄暗い廊下に出ると、藍は申し訳なさそうに振り向いた。

 

「……済まないね。巻き込んでしまって」

 

「……いえ。これからお世話になるんですから。……それで、洗面所は?」

 

「ああ、此方だ」

 

藍が扉を開けると、其処には古い洗面所があった。この家の豪華さと比べると、些か違和感がある。

 

「さぁ、私は先に戻っているよ」

 

そう言うと藍は、さっさと先程の部屋へ戻ってしまった。……顔を洗おう。

 

 鏡の前に立つと、確かに自分の頬には、薄っすらと汚れが付いていた。倒れた時に付いたのだろう。

 

「……?」

 

違和感。鏡が、波立った。

 

「……」

 

ゆっくりと手を伸ばす。

 

「……!」

 

指先が鏡面に触れると、波紋が浮かび上がった。更に手を伸ばす。ズブズブと、鏡の中へ手が伸びて行く。

 

「……!」

 

右の手首まで入った所で、ぐいと手が引っ張られた。耐え切れない。俺は、そのまま鏡の中へと入り込んだ。

 

——————

————

——

 

 一本道だ。目の様な模様が宙を彷徨っていた。一本道の先には、黒い扉がある。その前に、大きな甲冑が置いてあった。

 

「……?」

 

手を伸ばす。指先が甲冑に触れた。

 

「……!」

 

甲冑が、その刀を抜いた。

 

 『……』

 

暫し、甲冑と睨み合う。此方には武器が無い。あったとしても、武士相手に敵う筈もない。

 

『汝は、巻き込まれた』

 

甲冑の中から声が漏れる。

 

『我は汝。汝は我——』

 

甲冑の隙間から、白い光が漏れた。その光が、自分の中へ吸い込まれて行く。やがてその光が止まると、甲冑は跡形も無く消えていた。

 

『我が名はムサシ。共に行こう』

 

……いつの間にか、手に何かを握っていた。——刀だ。一本の刀が、いつの間にか其処にあった。

 

——刀を構える。一太刀振り下ろすと、その剣先は扉の鍵を捉えた。南京錠が、音を立てて落下する。

 

「……」

 

扉を開く。その先には、小さな空間が広がっていた。

 

『小手調べだ』

 

心の中に、低い声が響く。

 

「!」

 

部屋の中央に黒い靄が浮かんだと思うと、その中から、得体の知れぬ化け物が姿を見せた。

 

『さぁ、我を呼べ』

 

「……ペ」

 

『必ず、汝の力となろう』

 

「……ル」

 

緑色の其奴が、動き出した。——スライムとでも呼べば良いのだろうか。ゲームの中では雑魚敵として出てくる様な其奴さえ、今の自分には強敵である。

 

「……ソ」

 

スライムが、ガパリと口を開ける。その中は、メラメラと炎が燃え滾っていた。

 

「……ナ!」

 

——スライムの身体が、二つに裂ける。その裂けたスライムの向こうに、ムサシの姿があった。

 

『次だ』

 

再び、その場に黒い靄が現れる。その靄は次第に形を成し、やがて巨大な『目』となった。『眼球』と表現する方が正しいのだろうか。

 

「……ブフ!」

 

ムサシの剣先から放たれる氷結魔法。それは確かに眼球へ直撃した。——しかし。

 

『動くぞ!』

 

ムサシが叫ぶ。——目蓋だ。ただの眼球だったそれに黒い布が被さり、瞬きをする様にゆっくりと下降している。

 

『逃げろ!』

 

——間に合わない。あと数センチ。

 

「……アギ!」

 

——背後から、声が響いた。火球が拓の肩スレスレを抜けて、眼球を捉える。その小さな炎は目蓋を焼き尽くし、眼球だけが其処に残った。……助かった。何が起きるのかは分からなかったが、ろくな事では無かったに違いない。

 

「ありがとう。助か……」

 

礼を言おうとして、振り向いたその先には。

 

——1匹の柴犬が、ちょこんと座っていた。

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