東方高次元   作:セロリ

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こちらもぶつ切り状態です。


記念ss……隔離(上)

当たり前だと思う事が一番大切だった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああ~…………意味不過ぎる」

 

そんな事を呟きながら、耕也は憂鬱な顔を浮かべながら、ゴロゴロと畳みの上を転がる。

 

人間として、この地底に封印されてから早数ヶ月。

 

彼も最初の内こそこの環境に慣れなかったものの、次第に自分の生活に対する新たな方針を構築する事より、彼なりの稼ぎと交友関係を築き上げていた。

 

紫や幽香とは今までよりは会う回数がかなり減ってしまったものの、それでもこの辺境にまで態々来てくれる彼女達の事に感謝していた。

 

そして封印されてからこの布団を巻き込んで転がるまでの間、最も印象に残った事件と言うのが白蓮の救出であったと耕也は自負する。

 

無論、映姫や小町、更には地霊殿の主である古明地さとり等の間にあった出来事は、非常に色があったり身の危険が迫ったりすることもあったが、それでも彼にとっては非常に白蓮との出会いは衝撃的であった。

 

「いや、なんだろうこのモヤモヤ感は……」

 

彼の頭の中は有るモヤモヤとしたモノが渦巻いていたのだ。それは、彼の持つ力に関係し、尚且つ白蓮にも非常によく関係している事である。

 

そのモヤモヤとは、表現するならば三角台の頂点に立っており、どちらかに僅かな力が加えられてしまえばコロッと傾いてしまう位の微妙さ。

 

耕也自身、そのモヤモヤの原因が何なのかは分かっているし、ソレが何時までも燻っているのは良くないというのも重々承知している。

 

モヤモヤの原因。

 

ソレは

 

「封印解いてしまって……本当に良かったのだろうか?」

 

白蓮の封印を解いてしまった事についてだ。

 

彼の頭の中に燻り続けているこの嫌な考え。今では彼女と立派な交友関係を築いているのに、それが本当に正しかったかどうかというものなのである。

 

いくら悩んだ所で、疾うに封印は解いてしまったのに、再封印等出来る術が耕也にある訳も無いし、有ったとしてもソレを実行する勇気も、度胸も、また意志も無い。

 

ただ、それでもだ。彼が人間だという立場からの考えと、妖怪と広く交友しているという立場からの考えがぶつかり合い、見事なバランスで拮抗しているのだ。

 

だから、彼の頭の中からこの考えが出ていかない。まるで排水溝がセメントで堰き止められてしまったかのように出ていかない。消去されないのだ。

 

耕也は、布団で簀巻き状態になりながら、枕の元へとゴロゴロと転がって頭を乗せる。

 

もぞもぞと自分のお気に入りの位置にまで後頭部を持って行き、ふうっと溜息を吐く。

 

その顔は、自分の感情に顔を若干顰めさせ、もう考えたくないという嫌そうな表情と、まだ考えたいという未練たらたらな表情が織り混ざっている。

 

また彼自身、ソレが良かったのかどうかという考えの中では、必死にそれで良かったはず。ソレが正しい道だったはず。という思い込みにより無理矢理押し込めようとしているのだ。

 

だがそれは有る一定の効果しか見せず、完全には押しこむ事が出来ないのだ。

 

「いや……俺も人間に封印されたのだし、妖怪側の意見が……いやいや、それでも俺は人間でだな……」

 

自分の気持ちとしては彼女を助けた事が正しかったと信じたい。白蓮と言う存在を解放した事により、星輦船のメンバーにとっては非常に喜ばしい出来事であったに違いないし、その姿を見ていて俺としても助けて良かったと思っている。

 

だが、耕也も考えている通り、その封印が解かれた事により多くの人間が迷惑を被っている可能性も無きにしも非ずなのだ。

 

万が一にでも白蓮の封印が解かれたという情報が出回れば、すぐにでも日ノ本を駆け巡るだろう。

 

人間達は、誰が封印したのかを調べ、ソレが耕也だと分かれば確実にこの地底を蹂躙しようと軍を結成させる筈だと。そう耕也は常日頃からこの不安を心の片隅に潜ませていたのだ。

 

だが、ソレを誰かに打ち明けるわけにはいかない。白蓮達になどもっての外である。

 

ただただ自問自答を繰り返し、答えの無い問題に答えを求めようと無駄な努力をしていくばかり。

 

ソレが自分の意志の弱さが元になっているというのも耕也は認めてはいた。そして、妖怪と人間の立場の中間気味に位置している自分の曖昧さと踏ん切りの付かなさに苛立ちを覚えているのも確かなのだ。

 

自分の考えが纏まらない事を悟り、一回打ち切ってしまおうと耕也は目を瞑る。

 

メンドイ問題に膨れ上がったと溜息を吐きながら、またゴロゴロと転がって布団から身を解放する。

 

よっこらせと何とも爺臭い掛け声とともに、耕也はスッと立ち上がり、台所に向かって歩き出す。

 

「飯……作るか…………」

 

そう言えば何も食べていなかったな、と耕也は考えへの集中が切れたのか、朝食を食べていない事に漸く気が付いた。

 

耕也は少し考える素振りをした後、やっぱ面倒くせえと言いながら卓袱台にドッカリと座る

 

そして、卓袱台に両手掌を翳し、少し微笑みながら

 

「はいよっと……」

 

そんな軽い掛け声とともに手に力を込める。

 

すると、一瞬の空間のブレと共に親子丼が姿を現した。

 

耕也の中では、最早寝過ごしたり二度寝などをしてしまった時は、自炊ではなく創造での飯にシフトする様であった。

 

彼自身、その横着もいけないという事については良く分かっていたのだが、この創造という力の利便性を熟知しているためか、そのインスタント性という泥沼から中々抜け出せないでいた。

 

「頂きます……」

 

手を合わせてから、箸を手にとって黙々と食べ始める。

 

空腹と言う現象が彼には消失してしまっていたが、彼にとって必要だと思う事で生活支援が空腹にしてくれ、ソレを最高の調味料にしてくれる。

 

そんな事に少々嬉しさを感じてしまいながら、耕也は頬を緩ませる。

 

が、その幸福な時間も

 

「こんにちは耕也さん」

 

卓袱台の反対側に転移してきた白蓮によってかき消されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い匂いですね……?」

 

その言葉に、肩をビクリと震わせながら耕也は

 

「ええ、そうですね……?」

 

と、白蓮を見上げるように恐る恐る声を返す。

 

白蓮は、何時もの柔和な笑顔を浮かべてはいるものの、その背後からは何とも言えない威圧感を感じるのだ。

 

耕也はそれを本能で感じ取って彼女の機嫌を損ねない様に返していく。

 

が、それでも彼女の威圧感は全く消えず

 

「良い匂いですね……?」

 

それに耕也は何とも言えない寒気を感じながら、ただただ同じような言葉を返すことしかできない。

 

「え、ええ……そう……ですね……?」

 

すると、ますます白蓮は笑顔を強く強く深く深くしながら、耕也に言葉を返してくる。

 

その言葉の中に、彼女なりの要望があったりするのだが、耕也はただ眼の前の恐ろしい女性に素直にうなずく程度のことしかできない。

 

「美味しそうですね……?」

 

もしかしたら、彼女の言葉の中には嫉みも少々含まれていたりはするのかもしれない。

 

なぜなら、魔法使いといえど曲がりなりにも彼女は尼公なので、肉の類を食べることはできないはずなのだ。

 

だから、耕也の親子丼を見てちょっと不機嫌になっているという事もあるかもしれない。だが、それは耕也からすればあんまりにも理不尽な事である。

 

突然押し掛けてきて、自分の丼を見て嫉みを炸裂する人がいたら、速攻でお帰り願いたい。そう誰もが思うだろう。

 

だが、今の耕也にはソレを考える余裕など無く。

 

「お、美味しいですよ…………?」

 

阿呆な事に、まだ繰り返すことしかできない。

 

そして、そのようなやりとりが繰り返される事数回。

 

白蓮が耕也の言葉に返そうとした瞬間に、その時は来た。

 

「あっ!?」

 

白蓮が驚きの声を上げると同時に、腹から地響きのようなくぐもった音が断続的に響き渡る。

 

それは、胃の不機嫌さ、怒りを表しているようで普段聞いている時よりも随分と大きい。

 

「う~~…………」

 

その音が鳴り終わったと同時に、白蓮は顔を真っ赤にして顔を俯かせ、悔しそうな、恥ずかしさに堪えるかのような声を上げる。

 

余程彼女にとっては恥ずかしい事であったのか、赤い顔を更に赤くさせながら目を僅かに逸らしている耕也に向かってジト目で見る。

 

耕也は、その視線に何とも言えない居心地の悪さを感じたのか、少しの間虚空に視線を漂わせて、軽く溜息を吐く。

 

「はぁ……。分かりました。分かりましたってば。どうぞ此方で御昼ご飯を食べていってくださいな」

 

と、呆れたように言う耕也ではあったが、飯を食う仲間が増えたのが嬉しいのか、少しだけ口角がつり上がっている。

 

促された白蓮は昼飯にありつける事が嬉しくなっているのか、嬉々として席に付いて親子丼が出現するのを待つ。

 

「はい、どうぞ」

 

耕也がその言葉を述べた瞬間に、白蓮の目の前には親子丼が現れる。

 

耕也は提供しながらも、僧が肉類を食っていいものなのかという考えも湧きでたりもしたのだが、彼女が嬉しそうに箸を操る様を見て、東方の世界だしなと自己完結してしまった。

 

だから、彼は特に彼女の食べている事に気を使う事も無く、自分の丼に残っている飯を口に放り込んでいく。とはいっても残り一口なので、そこで彼の昼食は完了してしまったのだが。

 

(さってさて……どうしようかなっと)

 

そう思いながら、彼は白蓮の様子をチラ見してみる。

 

彼女は余程空腹であったのか、彼にも勝る勢いで次々と口に米とその他もろもろを放り込んでいく。

 

大凡平均的に5回ほど咀嚼した段階で嚥下していく。

 

その何ともいえない微妙な少なさに、耕也は胃を壊さないだろうな? 等といった心配をしながら、立ちあがって居間を出ようとする。

 

ゆっくりと歩いて襖を開けようとした段階で、ようやっと白蓮が耕也が正面からいなくなった事に気が付いたのか、眼を少し開け、クルリと振り向く。

 

そして急いで口の中にある物を飲み込んで、口を開いた。

 

「何処に行くんですか?、耕也さん?」

 

その顔は、まるで1人にしてほしくないとでも言いたそうな不安げな表情を作り出しており、耕也から外出と言う選択肢を取っ払いそうになった。

 

が、彼としてはどうしてもしなければならない事があるので、心苦しくもその事を白蓮に伝えるため、少しだけ笑いながら手を振って答える。

 

「ああ、大丈夫ですよ。少しだけ外に出て警戒をするだけですから」

 

これは言い訳以外何でも無いのだが、これから行う事はそれもついでにできるであろうという事を考えながら、答えたのだ。

 

すると、白蓮はそれでも少々納得がいかなかったのか

 

「警戒……ですか?」

 

と耕也に聞いて行く。

 

耕也にとってこれから外出するという事は、周囲の状況を把握できるという事は勿論の事、自分の欲望を満たす事が出来る。

 

とはいっても、一応白蓮の事に付いてはそこまで心配する必要はないのかもしれない。彼女が耕也の家に来る際には、必ず内部に転移するようになっているため、他の妖怪にばれる事等一切ないのだ。

 

が、彼としてはそこが心配なのである。もし、この生活サイクルに慣れて、様々な事がゆるくなってしまった場合、どこかしらで彼女の存在が周囲の無関係な妖怪にばれるかどうかが分からないのだ。

 

もし、ばれてしまえば確実に耕也達は危険にさらされる可能性が高いだろう。そして、何よりも彼や命蓮寺の関係者だけではなく、彼と友人関係にある古明地さとり等といった地霊殿の関係者も危険にさらされる可能性がある。

 

そんな事を耕也は常に考えていたのだ。常に最悪の状況を。常に緊張感を少しだけ持って。

 

だから、彼は白蓮の顔を少しだけ見て言う。

 

「まあ、白蓮さんに感づいている輩がいないかどうかをちょっと見てくるだけですよ」

 

そう言って、彼女の返事も待たないまま、そそくさと襖を閉めて玄関にまで歩いて行ってしまう。

 

「そんなに焦らなくても良いではないですか……」

 

その後には、寂しそうな声を出した白蓮と、盛んに湯気を出している親子丼という酷く対照的なペアが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シュッという鑢を擦る音。そしてその後に気体が漏れだすような音が当たりに木霊し、耕也の顔を明るく照らす。

 

元々遠く離れたマグマのせいで、薄暗く鈍いオレンジ色に染まった耕也の顔が、その明るさによって輪郭を明瞭にし、彼の口にくわえる細長い紙製の嗜好品に引火する。

 

「すう…………はあ~………」

 

先端から紫煙を燻らせ、開けた口から白い煙が出そうになるがすぐに彼の口に吸いこまれ、空気によって希釈された煙が吐き出される。

 

この時代には一切存在しない形態を持つ嗜好品。チャコールフィルターによって喫煙者に吸いやすい水準にまで濃度を下げる紙巻タバコ。

 

ソレが、彼の求めていた嗜好品であった。

 

「やっぱ効くなあ……」

 

そう言いつつ、数秒に一度というハイペースさで吸っては吐いてを繰り返す彼。

 

見回り、警戒のついでに彼が吸いだすそれは、大凡健康的とは程遠いが地底に閉じ込められた彼の癒しの一つにもなっていた。

 

「今日も特に問題は無い……な……?」

 

と、ニコチンがある程度脳に回っている心地よい状態のまま、彼はふと呟く。

 

白蓮の姿がこの地底の住人に見られるのは余り宜しくない。それは確定事項であり、今後もその事を順守していかなければならないだろう。

 

だが、もう数百年経てばどうだろうか? そんな事を考えながら、起るであろう未来の事を考えていく耕也。そして、次々とその考えから白蓮の未来について派生していった。

 

この地底と地上を繋ぐきっかけとなった事件。

 

お燐がお空の暴走を止めるために大量の怨霊を噴出させ、ソレを霊夢達地上の連合が解決に来たあの異変。

 

アレさえ来れば多少なりともこの地底との交流が始まり、白蓮も段々とではあるが地底に出ても問題が生じる事は少なくなっていくのではないだろうか?

 

安易な考えではあろうが、ソレが希望の一つであろうと彼は考え、またタバコを口に付ける。

 

紫煙を口から吹き出した瞬間に、彼の脳裏にある事が光った。

 

(やばい…………うちに来るメンバーの中に白蓮達の事知らない奴が1人いた……)

 

そう、その妖怪は勇儀である。人間達に騙し打ちなどをされた結果、正々堂々としか勝負ができない鬼が人間を諦め、地底に下ってきたあの鬼である。

 

彼女達とのイザコザもあったりはしたが、地底においてはそこまで問題になるような勝負は無かった。

 

あるとすれば唯の腕相撲のみ。ソレも耕也達は直接関与していない案件によって生じた勝負のみである。

 

だからこそ、今日に至るまで鬼達との関係は非常に良好……とは言い難いが、それなりに交流はあるようになった種族の1つになったのだ。

 

耕也はそこまで考えた結果、少しやっちまったなと自分の行動を反省し、独りごちる。

 

「後日紹介するかな……。あの性格じゃあ口外しないでくれと言ったら、その通りにしてくれるだろうし……あーでもまだ早いか。反感買いそうなことも考えなければならないし……隠し事は嫌いだろうし」

 

と、鬼の性格を鑑みて、まだ時期ではないと判断する耕也。

 

そうして、鬼への対策は酒一本でも上げれば何となるかなあ……と変な事を考えた矢先に、背後からガラリと大きな音が立つ。

 

「うおっ!」

 

それは玄関から発せらられたと瞬間的に耕也は判断できたが、いかんせん予想外の大きな音に吃驚してしまい、肩と脹脛、背筋が引き攣る。

 

そして、それは確実に腕へと影響を及ぼし、あろうことか人生で初めてタバコを指から滑り落としてしまったのだ。

 

だが、彼にそんな事に気を配る余裕はなく、その発生源に向かって身体の向きを変える事が精一杯であった。

 

「耕也さん……」

 

彼の視線の先には、先ほどまで親子丼をかっ食らっていた白蓮が佇んでいた。

 

その表情は今まで見た事が無いほどの満足感に満たされており、今にも酒を飲みましょうとでも言いたそうな歓喜の表情を浮かべていた。

 

が、ソレも数秒で真反対の物へと変貌を遂げようとしていた。

 

「何ですかこれ……?」

 

ビシリとでも音が付きそうな勢いで白蓮が指を指した方向……つまりは煙草が転がっている地面にである。

 

ゆっくりと耕也がその方向に視線を向けると、そこにはまだ吸ってほしいと今にも言い出しそうな程赤く爛々と輝きを放っている煙草がある。

 

「あ~…………誰かが捨てたんでしょうね。ええ……捨てたんでしょう。そうに違いません」

 

と、咄嗟に誰でも分かるような嘘を吐く耕也。

 

その言葉がいけなかった。全くもっていけなかった。

 

その言葉を受けた途端に白蓮の顔が、沸騰寸前から、獲物を見つけた肉食動物のようにニンマリと、そして眼が爛々と輝き出したのだ。

 

「ほう……。誰かが捨てたと……?」

 

そう言いながら、耕也に一歩一歩と近づいて行く白蓮。その近づきから一刻も早く逃れたいように後ずさって行く耕也。

 

が、ソレを阻止するかのように、白蓮が耕也の腕を掴んで顔をグッと近づける。

 

「うあ……」

 

余りにも近くなってしまった白蓮の顔に、耕也は思わず声を上げてしまう。

 

ソレも当然であろう。耕也、いや男性にとって白蓮の顔は非常に美人であると言わざるを得ない。

 

二重瞼、大きくクリクリとした目。スッと高い鼻。むしゃぶりつきたくなるほどの艶のある唇。顔の全てを構成するパーツがまさに黄金比で組み合わさっているのだ。

 

大凡彼女を醜女と罵るものはいないだろう。だからこそ彼は驚き、引いてしまったのだ。

 

だが、そんな事を許す白蓮ではなく、近づいたかと思えば、耕也の顔を両手で挟みこんで更にグググッと近づけてくる。

 

「うっく……」

 

そんな声を出した耕也を後目に、白蓮は鼻をスンスンとさせて嗅ぎ始める。

 

「ふう……まったく、貴方という人は……」

 

そう言いながら、白蓮は耕也に説教を始めようとする。

 

無理も無い。元々彼の身体からは副流煙による煙草の焦げくささが滲み出ており、彼の顔付近から漂う臭いもまた、彼女の考えを更なる確信へと導くモノであった。

 

「煙草は身体に悪いから駄目だと言ったでしょう?」

 

そう言いながら、白蓮は眉を顰めながら身体をクルリと軽快に回し、地面に落ちている煙草を拾い上げる。

 

煙を吐き出し続けている煙草を地面に押しつけて、完全に消した後、耕也が近くに用意した灰皿に投入する。

 

「確かに煙草は、貴方の言う癒しの一つにもなっているとは思いますが、身体をおかしくしますよ?」

 

そう言いながら、再び耕也の方を振り返って忠告をしはじめる白蓮。

 

が、耕也にとっては楽しみの一つなので、やめたいとはこれっぽっちも思っていないのが現状。

 

注意されては吸い、怒られては吸い。この繰り返しなのである。

 

そして、先ほどの短い言葉では言い足りないのか、彼女は耕也に対して更なる説教を加えようとした。

 

「ですから、貴方はですねえ―――――」

 

が、言おうとした瞬間に、周囲に強大な気配が振りまかれる。

 

この感覚は、白蓮にとっても初めてのものであり、耕也にとっては段々と慣れてきた気配でもあった。

 

そして、彼とっては同時に懸念していた案件が現実化してしまったという危機感が首を擡げたという事でもあった。

 

「お~い、耕也~?」

 

そう言いながら、現れたのは鬼の四天王である勇儀その鬼である。

 

その瞬間、耕也の頭が一瞬にして赤信号を灯し、白蓮の方を見て駆け寄る。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

彼は白蓮がこの時点で勇儀に知られるのは拙いと考えたのか、そう声を掛けながら背中を両手で押して玄関の中に無理矢理入れて行く。

 

「こ、耕也さん!?」

 

突然押されてしまった白蓮は、状況が全く掴めず、何が何だか分からないまま玄関の中に追いやられていく。

 

2人の足踏みにより、砂埃が多少舞うが、耕也はそんな事を気にも留めずただひたすらに勇儀の視界から彼女を隠す事に専念する。

 

そして、2人の身体が入り切った瞬間、ぴしゃりと小気味の良い音を立てて、玄関の引き戸が閉められる。

 

「ど、どうしたというのですか!? わ、訳を――――――」

 

と、耕也の突然の行動に眼を白黒させながらも抗議をする白蓮だが、耕也は口元に人差し指をやってシッと黙るように促し

 

「後で聞きますから、とにかく中へ」

 

そこまで言われては仕方が無いと、白蓮は渋々了解しながら、パタパタと居間へと足を運んでいく。

 

そして、2人が入って襖を閉めた途端、耕也が

 

「ちょっと待ってて下さいね? 今、さっき来た鬼への対応してしますから」

 

「へ? あ、あの!」

 

未だに状況を説明されていない白蓮が、困惑の表情と声を出すものの、耕也はそれを聞かずにドタドタと玄関の方へと向かって行ってしまった。

 

「まったく……一体何が何だか……」

 

そう、紫がかった髪を撫でながら、白蓮は溜息を吐く。

 

がしかし、白蓮の頭の中には大体の推測は付いていた。

 

恐らく耕也が最も気にしているのは、私の姿がこの地底の妖怪達に曝されるという事態。である事。

 

だから耕也はあそこまで慌てて私を部屋の中に押し込んだのだろう。少ししか眼には入ってはこなかったが、恐らくあの鬼は四天王の星熊勇儀。

 

彼女の力は日ノ本に住んでいる者なら一度は聞いた事のある名前だろう。

 

圧倒的な力で勝負を挑んできた者を捩じ伏せ、後に挑戦する者に対して畏怖と無力感、絶望感を抱かせる頂点に君臨する鬼。

 

だが、耕也はその鬼に対して全く恐怖を抱いているような事は無く、ただただ私を隠す事のみに終始していた。

 

なれば……彼はあの鬼と友人関係にあるのだろうか?

 

と、そんな事を彼女は思っていたのだ。

 

彼女自身、無粋な勘繰りと知ってはいたが、あの様子だと耕也と勇儀は親しい関係にありそうだ、と。

 

その瞬間に、彼女の気道が一瞬だけ狭まり、何とも言えない息苦しさを作りだす。

 

(何でしょうかこの感覚は……)

 

そう思いながらも、聡明な彼女にはこの感覚が何なのかは分かっていた。

 

僅かばかりの嫉妬。そして女としての、独占欲のようなモノが首を擡げているのだ。

 

今まで親しくしていた相手が、全くの赤の他人と親しそうな関係にあったという事が。おまけにそれは、彼女が彼と出会うよりも前に親しくなっていたという事他ならない。

 

だから、白蓮は思わず嫉妬してしまったのだ。今まで遊んでいた玩具を他人に盗られ、更にはその他人が自分よりも上手く玩具を扱うのを唯ひたすら眺めているだけのような感覚。

 

下衆と言われても仕方が無いと彼女は思いつつも、その考えを止める事が出来なかった。

 

「くっ…………!」

 

どうしたものかと、このジリジリと熱せられるような感情に白蓮は戸惑いながらもソレを解消できる手段が見つからず、首を左右に振るしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、どうしたんだ耕也? いきなり入ってしまって……」

 

玄関で出迎えた耕也を少々頬を膨らませながら咎める勇儀。

 

その表情は、仲の良い友達に置いてきぼりにされてしまったかのような虚無感によって作りだされるモノに近かった。

 

それは確かにそうだろう。彼はこの地底で唯一の人間であり、地上の者達とは違い、純粋な力を持って先の決闘を行ってくれた信用のある人間。

 

だからこそ、彼が何かを隠すような事をしたのは、鬼にとっては何とも言えない猜疑の念が湧きあがってくるのだ。

 

自分に隠して、何か企んでいるのではないだろうかというこの感覚は、鬼にとっては非常に好ましくないモノであり、サッサと消し去ってしまいたい感情なのだ。

 

「いや、ちょっと部屋の片づけをしようと思いましてね……」

 

そう耕也は答えるしかできなかった。まあ、事実とは程遠い上に白蓮という現時点では知られてはいけない者を連れ込んでいるのだ。慌てるのは無理も無い。

 

ただし、この答えが鬼を満足させられるかというと……

 

「鬼に嘘はいけないよ? 分かってるね……?」

 

そんな訳も無く。ただただ追及の度合いを増すばかりになってしまうのだ。

 

他に何か良い考えが無いかと耕也が考えをめぐらそうとすると、先に勇儀が口を開いて耕也に意見を述べる。

 

「ああ、そうだ……今日はこんな下らない事を話しに来たんじゃないんだよ……」

 

と、怒り顔に変わりそうだったモノを一瞬で真逆の表情に変えてしまう。

 

それは、大凡数千年を生きてきた鬼とは思えないほどの可愛らしさ、艶やかさを備えた、頬を桜色に染めし勇儀の笑顔。

 

「は、話し……かい?」

 

この表情の変化に耕也は付いて行けず、その半死についての疑問を述べることしかできない。

 

だが、彼の表情は戸惑いというよりも驚きの表情の方が占める割合が大きかった。

 

鬼の勇儀が、此処まで女の表情を出してくるとは、全く持って予想外だったのだ。いや、それは仕方のない事でもあった。何せ、彼は今まで鬼とは勝負という世界でしか接する機会が無かったのだから。

 

あったとしても、それは勇儀が快活に、豪快に笑ったりする鬼其の物の表情、イメージだったのだから。

 

だからこそ、耕也は驚いたのだ。

 

が、その耕也の驚きを知ってか知らずか、勇儀は目の前にいる男の顔を見て、微笑んで一言

 

「と、とにかく耕也。い、家に入れてくれはしないかね?」

 

と、股をもじもじと。両手を組み合わせて所在なさげに手を動かし、放った言葉に自信が無いのか、耕也の顔を見る事も出来ずにチラチラと斜め上や下を見る勇儀。

 

鬼とは思えない余りの可愛らしさ、しおらしさに耕也は思わず抱きしめたいという気持ちがフッと湧きあがってくるが、ソレを心の中に押しとどめ、ゴクリと唾を飲み込む。

 

普段とは違って粘度の高い唾液。ソレが何とも自分の浅ましさを表しているように感じられ、嫌悪感もググッと首を擡げてくる。

 

が、それら全てを押しとどめて、耕也は努めて明るく彼女を招く。

 

「もちろん歓迎するよ。でも、ちょっと待っておくれ。少し片づけてくるから。すぐ戻るから!」

 

そう言って、勇儀の返事を待たずに耕也は玄関から居間へと駆けていく。

 

その場に残されてしまった勇儀は、何とも言えない苛立ちを覚える。

 

「勇気出したってのに……少しくらい反応見せてくれてもいいじゃあないか……」

 

内心非常に感情が起伏していた耕也。だがしかし、恥ずかしさからか読み取る事ができず、勇儀はぶつくさと文句を垂れることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「やべえやべえ……うっかりそのまま招き入れるところだった……。これじゃあバレたら一大事だ……」

 

耳の良い鬼にすら聞こえないような声で、小さく呟く耕也。

 

そして、呟きが終わるか終らない内に居間へと繋がる襖の前にまで到着し、耕也は静かに開けていく。

 

「あ、耕也さん……」

 

開けたすぐ先に白蓮がいる事を感知した耕也。そしてまた逆に耕也が入ってきた事を感知した白蓮。

 

その双方がお互いを認識して、笑顔を浮かべる。

 

 

「白蓮さん。すみません。今から鬼が入ってきますので、ちょっと今日は……」

 

そう耕也が白蓮に言うと、何とも不満げな表情を前面に押し出してくる。

 

それは、先ほど湧きあがっていた嫉妬等も合わさってしまったのだろう。尼僧らしからぬ狭量さを出してしまっている。

 

が、ソレを反省すべきと思っている心と反省せずとも更に邁進すべきと促してくる心が拮抗してしまっているのだ。

 

だが、それは女という部分が勝ってしまいそうだ。だから、少々悪い考えの方が優勢になってしまっている。

 

そして、ついに口から言葉が出てしまったのだ。

 

「私の方が先に来たのですよ? それは分かっているのですか?」

 

非常に理に適った言葉。もちろん、この言葉に反論できるようなモノは持ち合わせてはいない耕也。

 

どちらが正しいのかは一目瞭然であった。

 

だが、耕也としては勇儀を怒らせたくは無いという気持ちもあり、突然の訪問をしてきた白蓮に対して何かしらを含みたいのが、耕也の考えであった。

 

が、ソレを言う事は余りにも憚れるため、耕也はただひたすらに謝り倒す。

 

「ごめんなさい白蓮さん。この後必ず埋め合わせしますので……」

 

そう言いながら、耕也は白蓮に頭を下げる。

 

すると

 

「お~い、耕也? まだかい?」

 

玄関方面から、声が聞こえてくる。勿論、その声の主は勇儀であり、退屈さを前面に押し出している声であった。

 

聞こえた瞬間に、耕也は苦々しい顔をしながら、白蓮の方を懇願するかのような表情で見やる。

 

白蓮も流石にこれ以上揉め事を大きくして、勇儀に自身の存在をばらしてしまうのは拙いと判断したのか、一瞬だけ迷った挙句、渋々と頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

そう言った耕也の表情は、安堵に満ちているモノがあり、それは彼女の心を更に締め付けるものであった。

 

何とも言えないこの焦燥感。勇儀と話すのがそんなに嬉しいのかという女ながらの嫉妬。

 

だが、一度了承してしまった事を覆すのは流石に気が引けるし、私の矜持が許さない、と。

 

だからこそ、彼女は耕也に帰還を告げようとする。

 

 

「入るぞ耕也。流石に待ちくたびれた!」

 

と、彼女の耳に勇儀の声が届く。その声は、何とも快活さを前面に押し出しているように感じられ、また早く耕也に会いたいという意志も込められている様に感じられた。

 

白蓮は、彼女の行動を何とも図々しいと感じながらも、耕也に言おうと口を開く。

 

「では、私は此処から転移をすれば?」

 

と、言ったところで耕也が焦った顔をして口早に答えていく。

 

「いや、ちょっと時間が無いので……あ!」

 

そう言って、耕也は大股で押し入れに近づき、襖を開ける。

 

仲は、少量の布団があるが、大人1人が入った所で窮屈にはならない程度の広さを持っていた。

 

「此処へ!」

 

努めて小声で、耕也が白蓮に入るように指示する。

 

大人1人が入れるとはいえ、白蓮に対してかなり窮屈な思いをさせる事は事実であった。しかし、ソレも現時点では致し方ないのだ。なにせヒト1人を転移させるという事は、それなりに集中もいるし、おまけに自分ではないのだから通常よりも更に気を使わねばならない。

 

だからこの状況においては、白蓮を押し入れに入れる事が最善だと彼は判断したのだ。

 

勿論、彼女をこんな所に入れるという事に対しては、かなりの忌避感を持ってはいるが、それは白蓮も感じ取ってはいた。

 

だから、コクリと頷いて素直に入って行く。

 

そして、スッと閉められた襖からおよそ3秒後、勇儀が居間へと入ってきた。

 

「待ちくたびれたぞ耕也……?」

 

その表情は、勝手に入ってきた事を後悔するような苦々しい表情ではなく、むしろこれから耕也という男と会話するという事に関して喜びを感じているようにすら感じる。

 

ただ、彼女とは対極的に、耕也の内心は非常に焦っていた。

 

(あぶねえ……あと少し遅かったらバレるところだった……)

 

外で声を掛けられた時も、白蓮の存在については気が付いていない様にも感じられ、ソレについては少々安心する。

 

が、いずれは彼女の事を離さなければならないという現実を突き付けられているのもまた事実であり、ソレについて耕也は気を引き締めていく所存ではあった。

 

「ごめん、勇儀……思ったより作業が遅れてしまってさ……」

 

その言葉に大した疑問を持つ事無く、勇儀は持ってきた酒瓶と盃を机の上に置いて、ドッカリと座り込んでしまう。

 

そして、耕也に振り返って手を伸ばし、手招きをし始める。

 

「ほら、こっちにきな耕也」

 

向かい側に座れと、勇儀が促す。その表情は先ほどとは違ってどこかしら恥じらいを出すような表情に遷移している。

 

耕也は、その表情の変化から、どんな話が飛び込んでくるのか分からない。だが、座れと言われたからには諏訪らねば失礼だと思い、勇儀の対面に座った。

 

その様に勇儀は満足したのか、少々堅くなっていた表情が柔らかくなったように耕也は感じた。

 

「さて……と。ええと、話ってのは一体?」

 

そう言いながら、耕也は腕を少し振って熱いお茶を出そうとする。

 

「ん……?」

 

一度振っても出てこない。

 

訝しげに右手を見るが、全く持って違和感が無かったため、唯単に力を込め忘れてしまったのだろうと自己完結し、もう一度腕を振るう。

 

「ああ、できたできた」

 

そう言いながら、茶が創造された事を確認する耕也。

 

自己完結しながらも、前の結果がほんの少しだけ脳の片隅に引っ掛かり、後で検証すべきかどうかを考える。

 

が、今はそんな事をしている暇は無いと即座に判断し、思考を中断する。

 

そして、耕也に尋ねられた勇儀は更に顔を赤くし、汗を少々垂らしながら、耕也の方を見て一言。

 

「さ、最近はどうなんだ、耕也……?」

 

話題の核心的部分をぼかして言ってくる勇儀に、何とも言えないもどかしさを感じた耕也は、率直に言ってほしく尋ねる。

 

「最近って……?」

 

そう言うと、勇儀は鬼らしからぬ非常に大きく手をばたばたわたわたさせながら、耕也の質問に応えていく。

 

それはまるで男を前にして慌ててしまった年頃の乙女のような様子にすら見え、耕也の心を跳ねさせる。

 

「さ、最近って……そりゃあ……」

 

そう言いながら、次の言葉に困ってしまったのか、勇儀は少々恨めしそうに耕也を見ながら、モゴモゴと口ごもる。

 

しかし、やがてその言葉が見つかったのか、慌てて彼に述べ始める。

 

「そ、そう! この地底で御前はただ一人の人間だろう? だから、だからその……馴染みづらくは無いのか?」

 

そう言いながら、勇儀は本気で耕也の事を心配する口調で言ってくる。

 

が、それは決して薄っぺらな上辺だけの言葉で言っている訳ではないのだろう。

 

それは、鬼と接した事のある者なら確実に分かる事。鬼という種族は正直者が非常に多く、そしてその言葉も殆どが本心をさらけ出しているのだ。

 

相手を信頼し、また自分も信頼してほしい。その言葉の中にどれだけの言葉が込められているか、ソレが鬼にとっては非常に重要なのだ。そして、ソレが非常に良くこもっている確信したのならば、何よりの嬉しさとなる。

 

そして、特に相手が人間とならばそれは当然だ。何せ彼女達はこれから殆ど人間という種族とは接する事ができないのだから。

 

だからこそ、彼女は耕也と話す時には此処まで嬉しそうな表情をするのかもしれない。

 

ただ、ソレが鬼と人間の関係だったらの話ではあるが。

 

そして、彼女の言葉の中にどれだけの意味があるのかという事を耕也は数秒考えた後、答えを返してく。

 

「まあ……当初に比べれば随分と良くなってい入ると思うよ。 最初は人間だからという事で俺を攻撃しようとしてきた輩もいたぐらいだし。でもまあ、地霊殿の皆に協力を仰いだりできたし、そのおかげもあって今の俺があるのかなとは思う」

 

そう耕也は、実に嬉しそうに勇儀に述べる。

 

一体どれだけ自分が彼女らに助けてもらったのか。ソレが勇儀の言葉によって噴水のように湧きでてくるのだ。住居を探してもらったり、ソレを基に自らの生活をより良くしたり、自分から近づきづらかった商店街への解山車なども援助してもらった。

 

そういった様々な助けがあって、彼の今が成り立っているのだ。

 

そして、もう一つだけ彼には伝えなくてはならない事があった。それは

 

「勿論……勇儀達ににも感謝してるよ」

 

耕也の言葉を満足そうに微笑みながら聞いていた勇儀だったが、まさか自分の名前が出てくるとは思わなかったらしく、思わず

 

「え!?」

 

と、驚きの声を上げてしまう。

 

無理も無い。彼女達はつい最近地底に降り立ってきたのだ。彼と関わる事等、この地底にいた時間から比べればほんのわずかであろうという事。

 

だからこそ、彼の言っている事が良く分からない。どうして私にも感謝しているのだろう? と。何かしら勘違いをしているのではないのかという考えも浮かんでしまっていた。

 

だが、その言葉を疑問として口にする前に、耕也が理由を話し始めた。

 

「それはね……勇儀達が俺の地上での事を話すだろう? ソレを聞いた妖怪達が劇的に俺への認識を変えてくれたのさ。勿論、それはいい方向でね」

 

そう、彼と戦った事のある妖怪達。そして、何よりも最強クラスと名高い鬼達との決闘は、地上のみならず地底の妖怪に対しても大きな影響を及ぼしていた。

 

それは、噂ではなく、現実の鬼達が現れてから効果は発揮されたのだ。そして、何よりも耕也達が先に行った決闘によって、鮮烈な印象を彼らに与える事に成功したのだ。

 

だからこそ、耕也がこの地底におけるヒエラルキーの底上げを可能としたのだ。

 

ゆえに、耕也は勇儀、鬼達に感謝しているのだ。

 

また、勇儀がこの家に来る事を歓迎しているのだ。自らの恩人を快く招くために。

 

そしてその話を聞いた勇儀は、耕也の考えを完全に理解したのか、一気に顔を赤くしてしどろもどろに返してしまう。

 

「な、何言ってんだい耕也……それはただの副産物であって、私達が直接関与した訳じゃあ……」

 

確かに、そこに鬼達の明確な意志があったわけではない。むしろ耕也とのリベンジ、正々堂々と勝負を楽しみたかったという事他ならない。

 

そこで生じた副産物等、鬼達からしてみれば気に留めるような事でもないだろうし、礼を言われてもただただ困ってしまうだけなのだろう。

 

しかし、ソレが勇儀にとっては棚から牡丹餅にすら思える。

 

そして、何よりもこんな人間と接してみたかったという願望が叶ったという瞬間でもあった。

 

正々堂々と勝負に応じてくれた人間。そして奇抜ながらも私達に辛くも勝利した人間。もちろん、背後に強大な力を持った妖怪達を従えての勝負ではあったが、それでも私にとっては満足のいく勝負であったと。

 

そう彼女は思ったのだ。

 

だからこそ彼女は決心が今この場でより強く、そして決して変わらぬモノへと昇華した。

 

顔が燃え盛るように熱いのを我慢しつつ、耕也の方をしっかりと見て身を乗り出す。

 

「え、ちょ……」

 

と、耕也が突然の行動に驚きの声を上げるも、ソレを気にも留めず更に身を乗り出し、彼の両手を自らの両手で包みこむ。

 

「決めた! きょ、今日の話の……ほ、本題に入る!」

 

そう言った勇儀の顔は、もう後戻りはできないと感じているのか、自然と熱が引きそして

 

「は、はい……」

 

耕也の茫然とした返事に対して

 

「わ、私の為に毎日味噌汁を作ってくれっ!!」

 

何処で得たか分からない知識を基に、耕也へと求婚をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

白蓮は押し入れに入ってから全く持って気が気ではなかった。

 

自分の姿が鬼にバレてしまう事以外の恐怖が圧倒的に大きかったのだ。

 

それは、彼が一体勇儀とどんな関係なのか? ソレの一言に尽きた。ただ、彼がどこか遠くへと行ってしまいそうになったからという訳ではない。

 

唯何と言うのだろうか? この親しい関係を壊されてしまいそうな予感がしてしまったからというちょっとした懸念だったのだ。

 

憶測、妄想と言われても仕方がないと彼女は自分の考えを否定されてもおかしくは無いと思っている。

 

だが、彼女は理詰め以前に、女としての勘が優先されるのではないかと彼女は考えていたのだ。

 

何時もの白蓮らしくない。それは誰の目から見ても明らかであった。

 

だが、ソレも致しかないのかもしれない。何せ、彼女は彼と出会ったのは数百年も前。

 

しかもそれは誤解によって生じてしまった出会い。そして、戦闘。

 

だが彼女の行動を彼は決して咎めるような事はしなかったのだ。だからこそ、彼女にとっては印象深い人物の一人になったのだ。

 

更には、彼女の秘密を何故か知っていた人物でもあり、ソレを口外する事は決してなかった。だが、彼の約束によって成された平穏は脆くも崩れ去り、近くの住民によって彼女は封印されてしまった。

 

もっと時代が進めば。そう、もっと時代が進みさえすれば、必ずや自分の理想を叶えられる日が来ると信じて魔界に封印され続けた。

 

鬱屈した空間。強力な魔が蔓延り、大凡人間の住める場所ではない魔界。

 

だが、そこは彼女の身体にとっては好都合な場所でもあった。魔力が満ち満ち、己の身体を更なる高みへと昇華させてくれるモノだった。

 

とはいえ、それだけでは彼女の気が狂いそうだったのだ。人間が全く来ない場所。孤独という状態は長い時を掛けて精神を蝕んでいく。

 

村紗達に会いたかった。一度でも良いから、健康な姿を見たかった。

 

気が狂う。そう思った矢先に、彼女の前に現れたのが、耕也を引き連れた村紗達であった。

 

その時からであろう、彼を強く意識し出したのは。一体どれほどの労力を掛けてこの魔界にまで来たのだろうか?

 

そしてどうして一切の報酬などを受け取らず、自分を救いだしたりなどしたのだろうか?

 

そんな疑問等が彼女の頭に次から次へと湧きでてくるのだ。

 

だが、それ以上に彼に対する感謝と信頼、そして強い強い親しみを覚えている白蓮は耕也を信じて、ただただ眼の前にいる勇儀達の事を見ることしかできない。

 

襖の僅かな隙間から、差し込んでくる光と、それに伴って見えてくる勇儀の嬉しそうな顔。

 

ソレが余りにもまぶしく、そして自分がそこにいるべきものなのにという感情が湧きあがってくるのだ。

 

(ああ…………私も何時か堂々とそこにいられるように……)

 

説教してばかりだなと自分の行動を反省しながら、会話を聞いて行く。

 

勇儀の声は、先ほどとはまるで違って聞こえる。女の声だ。艶やかな声だ。男を誘惑する声だ。

 

そう自分の心が囁いてくるのを彼女は感じた。あの音を何としてでも止めたい。やめさせたい。口をふさいでしまいたい。

 

ああ……。と白蓮は心の中で呟きながら、勇儀に対して激しい嫉妬心を覚えてしまう。

 

(あんなに楽しそうに、そして親しそうに……………………アレではまるで……恋び―――――っ!!)

 

そこまで思った瞬間に、激しい怒りと、どうしようもない不安感が溢れてくる。

 

彼女の醸し出す雰囲気は、まさに愛の告白をする前の女そのもの。発情した雌以外の何ものでもない。

 

そこまで考えた瞬間に、彼女はグッと口を噛み締め、ギリリと歯軋りをしてしまう。

 

エナメル質が削れようとも彼女にとっては関係ない。ただ眼の前の耕也と話す勇儀に対して怒りを覚えるのみ。

 

(もし、もしこのまま何もしなければ私の居場所が……!)

 

そう、彼女にとって居場所がとられてしまう事は何よりの恐怖であった。

 

駄目だと思っても、時間は進んで行き、彼女らの会話は進んでいく。

 

これ以上は駄目だ。ああ、これ以上は駄目なのだ。と、そう思いながら震える手で口元を押さえる。

 

そして同時に

 

(――――――あ?)

 

ポタリポタリと何かが落ちていくではないか。どうしようもない不安の先に出てきたのは、悲しみか怒りのどちらとも付かぬ大粒の涙。

 

ソレを認識した瞬間、白蓮は涙を止める手段を失い、そしてまた探すこともできなくなる。

 

ボロボロと毀れていく涙。大粒の涙。パタパタと床に垂れ、木へと染み込んでいく感情の結晶。

 

思わず声を上げて泣いてしまいそうになってしまう。だが、存在がバレてしまっては元も子もないという考えが最後の防壁を果たし、押し殺す事に成功する。

 

(私の居場所が……! 私の居場所がああああっ!!)

 

村紗達の他に手に入れる事の出来た自分の居場所。決して手放したくはない居場所。

 

ソレが今まさに奪われようとしている。次に勇儀の口から出てくる言葉はおそらく……。

 

そう白蓮が予想した瞬間であった。

 

(―――――――――――っ!!)

 

思わず絶叫を上げそうになってしまう白蓮。

 

勇儀の取った行動は、白蓮にとっても遥か上を行く行動であった。

 

あろうことか、彼女は身を乗り出して耕也の両手を覆い一言。

 

「わ、私の為に毎日味噌汁を作ってくれっ!!」

 

そう言ったのだ。

 

聞いた瞬間、白蓮は勇儀が何を言っているのか分からなかった。

 

一体この女は、この発情した雌は何を言っているのだろうか? と。

 

だが、この頭が真っ白になってから数秒後、漸く彼女にも理解が及んできたのだ。そしてそれは激烈な怒りと共に。

 

余りにもふざけた言葉。余りにも愚かしい言葉。決して許してはいけない言葉。

 

そして同時に彼女は理解してしまったのだ。この言葉によって、私の居場所が崩壊してしまうという事に。

 

耕也の一言……いや、首の縦振り一つで全ての決着がついてしまう事に。彼女は気が付いてしまったのだ。

 

もうどうしようもないほどの悲しみが、身を焼き尽くすほどの怒りが。身体の全てが崩壊していくような絶望感が。

 

頭に血が上りすぎ、ぐらぐらしているこの状態で彼女のもとに出て行ったら、白蓮は確実に憤死してしまうほどである。

 

耕也の性格の事は白蓮も熟知している。彼は優しい。否、優し過ぎるのだ。

 

だからこそ、白蓮は怒り狂ってしまいそうだったのだ。彼がこの求婚を受けてしまうのではないだろうかという事を。

 

だが、此処で勇儀の元へと出て行って、この会話を邪魔しなおかつ自分の姿をばらしてしまえば、彼の面子を潰すことになり、そして彼の地底での居場所が無くなってしまう。

 

その彼女の考え、理性が彼女をこの場に踏みとどまらせているのだ。

 

しかし、その理性が彼女にとっては最も居場所を確保するためのヒントとなった。

 

(あら…………?)

 

まさに閃きであった。閃光とでも言った方が良いだろうか? 一瞬の眩い光が脳全体を焼き尽くすような閃き。

 

だが、それこそが彼女の今後の行動の全てを決定づけていく最大の指針にもなった。

 

(ああ…………、簡単な事だったのね……)

 

涙をボロボロ零し、そして怒りによってほんの少しだけ赤らんでいた彼女の顔には、確かに答えを見出した瞳があった。

 

そして、ニンマリと。

 

先ほど煙草の件で見せたような笑顔とは比較にならないほどの笑み。

 

猛禽類すらもショック死してしまうかのような、強烈な笑み。

 

耕也が見たら裸足で逃げ出してしまうであろう、圧倒的な恐怖を与える笑み。

 

縦一筋の光の中で、彼女の考えは徐々にチェックメイトまでの計算が完了しようとしていた。

 

「こ、答えは後日、暫く後で良いから!」

 

そう言って、ドタバタと慌ただしく帰って行く勇儀の声を聞いても。

 

隙間から見える、勇儀の言葉に茫然としてしまった耕也の顔が見えたとしても。

 

これから彼女が行おうとしている計画は、耕也にとって酷く甘く、そして激痛を伴う猛毒でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

あれから、耕也は十秒程呆然とし続け、一体何を言われたのか把握できなかった。

 

だが、ようやっと言われた事を把握した瞬間に驚き、戸惑い、そしてそれらの奥に潜んでいた歓喜というものが湧きあがっていた。

 

一体どうしてこんな美人が俺を? という疑問もあったが、とにかく彼女の言っていた事は自分にとって、まず不利益な事にはならないだろうという確信だけは持てていた。

 

だが、自分が白蓮を襖の中に押し込んだままだという事にやっと気が付いたのか、駆け足で押し入れに近づいて開けてみるものの、そこに白蓮の姿は一切なかった。

 

代わりにあったのは、ポタポタと何かが垂れたような跡と、ほんのりと漂う白蓮の芳しい香りと、少しだけ暖かくなっていた空気のみであった。

 

「そのまま帰ってしまったのか……」

 

その言葉を呟いてから、早数週間。

 

白蓮は毎日のように彼の家に来ていたのにも関わらず、此処最近は全く顔を出さない。

 

一輪達に聞いても要領を得ない答えしか帰ってこず、結果として白蓮の行方を知る事ができなくなっていた。

 

つまりは手詰まり状態でもある。もちろん、彼としては姿を見せないでいる程度で此処まで心配するのは、心配性と言われても仕方がないなと自省する。

 

また、もう2つ気になる事が出てきてしまったのだ。

 

それは商店街の異変と、勇儀からの求婚の取り消しであった。

 

取り消しについては、突然の事で頭の整理がつかず、更には勇儀から理由が聞けなかった事があって、何とも言えないモヤモヤ感が残っってしまった。

 

だがこれについては耕也自身が、勇儀の気まぐれで言ってしまっただけなのだといった苦し紛れの結論を出して自己完結にする事にした。

 

というよりも、元からあれほどの美人を嫁にもらえる等と思っていなかったので、傷もかなり浅かったというのも理由の一つでもある。

 

が、彼にとってはもう一つの方が全く理解ができない。

 

取り消しの同日に、ちょっとした違和感があったのだ。

 

いつもなら、耕也が歩いている時はその大衆に溶け込んでいるというか。そこに居ても全く違和感がない状態になる事が出来るのだが、ソレが一変してしまったのだ。

 

地底に来たばかりの頃の、あの違和感。ジロジロと見られ、人間だと蔑まされているようなあの感覚。

 

微妙に違うかもしれないが、彼はあの時明らかに大衆の中から浮いてしまっていた。

 

そこにいるだけで害をなしているかのような扱い。

 

水の中に一滴の油を垂らした状態のような疎外感。

 

また、ある者は露骨に耕也を無視し始める始末。

 

一体どうしてここまで変わってしまったのか全く心当たりがないのだ。

 

だから、今日も耕也は商店街に出向く。そして、その原因を少しでも知りたいがために、毎日のように通う。

 

何も買う必要が無くとも。何もする事が無くとも。ただひたすら商店街の中を歩き、道行く妖達に話しを持ちかける。

 

「さて……行ってきますか」

 

そう言いながら腰を上げた耕也の顔は、少々やつれているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 


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