にとりよ、置いていくな……
ただいまにとりの部屋は険悪な空気で満たされている。
それもそのはずだ。幻想郷ができるまで再会しないと思っていたのに、まさかの俺と文が再会してしまったからだ。しかもにとりの部屋で。
「あなたが何でここにいるのかしら? 弱小人間さん?」
端から友好的じゃない態度だな。
でもまあ、第一印象がとんでもなく酷いものだったから仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
そんでもって文の眼はギラギラと光っており、今にも襲いかかってきそうだ。なんとかせねば。
「お、お久しぶりです文さん。いやぁ、先日はお世話になりました。はははっ。」
と当たり障りのないように挨拶をしておく。
しかし俺の取り繕った言葉が、決してこの鬱屈した状況を良くするという事とは限らないわけであり、俺の嫌な予想に沿って文が言いだした。
「あんたねぇ、一体どの口がそんな事をほざくわけなの?」
こめかみに血管を浮かせながら文が笑顔で近づいてくる。拳の骨を鳴らしながら。
俺怒られるようなことは何も言ってないんだけど……。
そうだ、文の友人のにとりなら何とかしてくれるはず。
にとりの方をチラッと見やり
(にとり助けてくれ。)
そう思いながらにとりにアイコンタクトを送る。
しかしにとりは、俺に諦めろと言わんばかりの苦笑と憐みの視線を送ってくる。
お前は人間の盟友じゃなかったのか? ひどい…
そんな感想を抱きながら再び文の方を見る。
なかなかに良い笑顔です。普通の人間だったらチビるだろうな。
それにしても、まさかこいつの怒っている事って、……あの剣をへし折ったからか?
俺はあの時の戦闘を思い出してみる。
(たしかにあの時剣は折れたけど、完全に修復したぞ? ならなんで…? 良く分からない。一応聞いてみるか?)
頭の中で短く考えると俺は文に尋ねた。
「あのぉ、なんで怒っているのでしょうか?」
すると文が、拳の骨を鳴らすのをやめ、さらに良い笑顔で
「何を言ってるのよ貴方。私ほどの温厚な鴉天狗が怒ってるわけ無いじゃない。耕也との再会が物凄く嬉しくて、身体が勝手に舞い上がっているだけよ?」
と、殺気を垂れ流しにしながらのたまう。
いえ、文さん。あなたの行動を人は怒ってると言うのですよ?
そんな些細な突っ込みを言う事も出来ないほど威圧感に圧倒されてしまった俺は、再度にとりを助けを求めるように見やる。
しかし彼女は
「部屋の中は荒らさないでおいてね。私は火の妙薬を取りに行って来るから。じゃ、ごゆっくり。」
俺をさらに憐れむかのような視線を向けながら、ゆっくりと玄関から姿を消していく。
いやいやいやいや、置いてかないでよ! 俺をこんな空気に置くのが盟友とやらの接し方ですかい。
勘弁してくれと思いながら突発的に、にとりに話す。
「よし! 俺も行こう!」
そう言いながら、文との間隔をあけつつ玄関へと足早に向かう。
しかしあと少しの所で俺は文に襟首をむんずりと掴まれ引き込まれる。
「あんたは、私を無視する気かしら?」
「いやいや、滅相もない。自分はただ河童の盟友としてですね…ああっ! ちょっとにとり置いてかないでくれ! この阿婆擦れを何とかしてくれ!」
咄嗟に口に出してしまったが、俺は言った後に後悔した。
やべえ、やっちまった。
後に起こるであろう悲劇を想像しながら、俺は後ろを振り返る。
文は相変わらず良い笑顔を俺に振りまいていた。ただし、殺気の量は比べ物にならないほど大きくなってしまっていたが。
「あの、文さん? どうかお願いですからその襟首を掴んでる手を離していただけませんか?」
実際には怖くは無いのだが、何か従わなければ、そうしなければならないような強迫観念が俺をそうさせてしまう。
俺が頼むと文はあっさりと手を離してくれた。
何だろう、この嫌な予感は。
そう思っていると文がぽつりと一言俺に言い放った。
「耕也。やっぱり食べてあげる。」
そう言った直後に俺に飛びかかり見事に組み伏せられてしまった。
だが、ただ組み伏せられただけではなく、俺も文の手を掴んで対抗している。
「ちょっと待ってくれ! 食うのは勘弁!」
「良いじゃないの! 私に初めて食べられる人間なのよ! 誇りに思いなさいよ!」
「そんな誇りは埃よりも価値ないわボケ! しかも人間食うのは未だに俺がはじめてかよ! 人間側としては、食わない方がうれしいのだけれど!?」
上が文で、俺が下になりながら力比べをしている状態である。
いくら俺に対する過剰な力が減衰され、人間の女性と同じになっても、重力と体重に任せた力に対抗するのはなかなか厳しいものがある。
何とかこの状況を打開しようと策をめぐらすが全く浮かんでこない。
「いい加減諦めたら…どうだ…くぅっ! さっさと俺の上からどかないと…ジャンプして逃…走するぞ!」
「ううううううっ! 何でこんなに力あるのよ! 人間ごときが…それに、逃げたらあん…たの家まで…押し掛けてやるわよ!」
俺の家まで来た事無いのに何で知ってるんだよ文は。
不思議に思いながら口に出して問う。
「何で知ってるんだよ! やばっ! 腕痺れてきた~っ! それに、俺に攻撃は効かないぞ!」
「ふんっ! これが運の尽きね。それに、いつかは効くかもしれないじゃない!」
「にとり! 早く帰ってきてくれ~!」
そうして俺たちは、ゴロゴロと入れ替わり立ち替わり上になったり下になったりしながら、取っ組み合いを続けていた。
取っ組み合いの後、いい加減疲れてしまったので、俺たちは肩で息をしながら横たわっていた。
「いい加減諦めろよな、このじゃじゃ馬女。」
「なによ、この餌人間!」
すでに取っ組み合いをする気力もないので、口で言いあいにシフトしていた。
まるで子供のような稚拙なレベルで。
しかし、周りを見渡してみれば、取っ組み合いをやってしまったせいで随分部屋を荒らしてしまった。片づけなければ。
「文、掃除を手伝え。にとりが帰ってくる前に片づけるぞ。」
俺の言葉に文も賛成のようで
「耕也に言われるのは癪だけど、片づけはするわよ。」
一言余計な事を言いながらも素直に了承する。
まったく、俺に対するこれさえなければスタイル抜群の美人さんなんだけどな~。
そう思いながら散らかってしまった陶器類や木の皿などを片していく。
そして片しているうちに、今日の鬼が現れた。
「何をしているの二人とも? 部屋は荒らさないでねと言ったよね?」
俺たちが掃除をしていたため帰宅に気付かなかったのだが、玄関に無表情のにとりが立っていた。
そして俺たちは二人して仲良く正座して3時間ほど説教された。
その説教の内容は言いたくない。なぜなら一言一言が、俺たちの心に傷をつけていくからだ。
もう勘弁。部屋は荒らしません。それに俺今回被害者なのに……。
怒ったにとりは怖い。そう俺の頭の片隅に記録された。