東方高次元   作:セロリ

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グロ注意。本当に注意。


84話 縁の下の力持ち……

いやもう本当にありがとうございます……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この般若湯はいかがですか?」

 

すでに復活祝いという名の宴会が始まってから、1時間が過ぎようとしている。

 

鍋物や、天麩羅。山菜ごはんなどといった俺の好きなメニューであり、他の人にも一応好き嫌いが分かれにくい物を選んで出している。

 

偉そうに出したなどと言っているが、所詮は即席で創造した食品達。時間が無かったというのもあるが、白蓮達には申し訳なく思う。

 

「これは……美味しいさ……般若湯ですね」

 

と、白蓮が目を丸くしながら、グラスに目を向けて唸る。

 

透明なグラスに入ったと無色透明の液体に当初驚いた白蓮だが、その異様さとは真逆の爽やかさと飲みやすさに程無くして称賛の言葉を向けるほどになった。

 

とはいっても、最初は透明なガラスのコップに、金剛石でできている器だ、と驚きの声を上げていたころに比べれば、大したことではないのだが。

 

そして白蓮が酒を飲む様子を眺めながらも、彼女の舌に合ったという事を知ると、どこかホッとした安堵感と僅かな高揚感が生まれてくる。つまりは嬉しい。

 

主賓ともあろう彼女の舌に合わない酒を提供していたら、この場の空気が逆転していただろうから。

 

また、どれも彼女らにとっては初めての料理であったが、やはり味が良かったせいか、何なく受け入れられた。一輪や村紗も料理共に満足げに食べてくれているし、俺としては何とかこのお祝いは成功しそうだなと思った。

 

ふう……と溜息をつきながら、グラスの酒を飲み、手前にある椎茸のバター焼きを食べて行く。

 

ソレをおかずに、飯を口に運んでいくと、グラスをおいた白蓮がおもむろに口を開いた。

 

「耕也さん……、まだ私は村紗達から聞いてはいないのですが、仙人と評判だった貴方が一体何故この地底にいるのですか?」

 

酔いが少し回ったからであろう。宴会を始める前と同一人物とは思えないほど、饒舌に鋭く質問してくる。

 

酒という物は恐ろしいもので、普段は空気を読んで言わない、この話題は相手を不快にさせてしまうだろうという話題も簡単に吐露させてしまうものなのだ。

 

とはいっても、この程度の話題で俺が不機嫌になるかと言えば、全く無く。それとは別に、何て答えたらいいかなあ……? と、言い訳を考えさせる羽目になっている。

 

白蓮の性格からすれば、嘘は嫌いだろう。映姫ほどではないが、この真面目さは下手な嘘を吐けば、へそを曲げさせてしまうだろう。

 

おまけに彼女はアルコールが回っているのだ。感情の起伏も通常より変化しやすくなっている。

 

さあて、どうすんべ。なんて、危機感の欠片も持たずにのほほんと言い訳を考え始める。

 

 

「嘘は言わないでくださいね?」

 

ニッコリと言われたら話すに話せなくなってしまう。顔は笑っているが、目は笑っていないというのはまさにこれ。

 

ああ恐ろしいと思いながら、目を輝かせながら興味深々でお零れに与ろうとしている一輪と村紗を後目に、白蓮に話し始める。

 

「ええ……流石に今はお祝いなので、この話は後日改めてという事にしませんか?」

 

その無難なというよりも、この場の状況を借りた逃げという選択肢を使った事により、白蓮は酒を呷りながら少々眉を顰める。

 

「そうですね……じっくり聞かせていただきますから。覚悟なさい」

 

ああ、この人に酒飲ませたらだめだ……何て思いながら俺は彼女の消費した酒の量を見てみる。

 

その量何と2升。

 

俺が素で飲んだら、というかそれよりもずっと少ない量で天に召されるであろう。

 

何と言うか……酒豪なんだろう。流石東方。開いた口がふさがらない。

 

何時になくふわふわとした頭で思考しているせいか、彼女に対する評価もいい加減な気がしてきた。

 

「はあ、まあ……機会があればそのうち……ですかね」

 

いかんいかんと思いながら、無難とは言い難い返答をする。

 

俺の答えに、フンと鼻を鳴らしながら、またもやグイッとコップ一杯の酒を一気飲みする。

 

ああ、もう俺にはこの人を止められない……。

 

そう思いながら、チラリチラリと一輪と村紗の方を見て助けを求める。

 

しかし何とも悲しい事に、彼女らは黙って目を閉じて横に顔をフリフリして諦めろと言わんばかりの表情をする。

 

こんちくしょう薄情者めと思いながら、俺は黙って酔いざまし用の水を飲む。

 

大粒の氷が数個浮き上がってキンキンに冷えた水が喉を通ると、先ほどまでの軽い酔いが吹き飛んだかのように、脳がクリアになる。

 

そして胃の中におさめられた、低温の水に身体が反応したのか、ブルリと震える。

 

またもや軽い溜息を吐きながら、彼女ら三人を見やる。

 

やはり嬉しいのだろう。一輪達は、今までどんなに頑張ってきたのかを白蓮に報告し、また白蓮はそれを嬉しそうに聞きながら、礼を言い、褒め、表情を更に綻ばせる。

 

完全に俺は蚊帳の外ではあるが、この光景を見ていて不満に思う事など何一つない。

 

むしろ、もっとこの微笑ましい光景を見ていたいとさえ思うのだ。彼女らがどのような生を築き、そして家族同然のように過ごしてきたのだろうか?

 

俺が此処に来た経緯などよりも、ずっと興味深い事であるし、何より透き通った話でもある。

 

「白蓮、魔界にいた時は、どんな感じだったのですか? 痛くありませんでした?」

 

「魔界で封印されていた時ですか……いえいえ、痛くなど―――――――――」

 

村紗の言葉に応えようとした白蓮が、突然電源が切れてしまったロボットのように机に突っ伏してしまう。

 

突然の事態に、俺が声を出せないままでいると、一輪が

 

「姐さん! 姐さん!? っ――――――」

 

と、大声を上げながら揺らそうとすると、そちらもまるで事切れたかのように動かなくなってしまう。そして同時に村紗も同じように机に突っ伏する。

 

「え、ちょ、ちょっと皆さん!?」

 

やっと驚愕からの金縛りから解放された俺は、彼女達の身体を揺らして呼びかける。が、全く反応が無い。

 

「おいおいどうなってんだよ……」

 

ぽかんと口を間抜けに開けながら、そう呟くことしかできない俺。

 

しかし、見る限りでは呼吸は安定しているし、飲んだ量も2升とはいえ、ほろ酔い程度にまでしかなっていなかったので、問題は無いはず。

 

素人判断は非常に危険だが、現状ではそれしか判断ができない。

 

とりあえず、3人をそれぞれ平行に寝かせ、回復体勢を取らせてやる。

 

一体何が起きているのか、さっぱりわからないが、とりあえず、何かが作用して彼女らを眠りに誘ったのだろう。

 

家の中は安全だと思っていたのだが……。

 

相手がいるのならば、何とも間抜けな姿を曝していると思いつつ、俺は周囲に敵がいないか、見渡してみる。

 

無論、この狭い部屋なら必要のない行為なのだろうが、それでも見回しておかないと精神的に落ち着かない。

 

首の捻じりを補助に、身体ごと1回転させる。

 

すると、一瞬だが開かれている襖の部分に違和感を感じる。

 

「……なんだ?」

 

そう呟きながら、その違和感の原因を探ろうと、近寄って見る。

 

すると、そこには紫色の布がチラチラと見え隠れしている。

 

何とも見覚えのある色。この日の本に少ない紫色。

 

ソレを見た瞬間、彼女らを眠りに落とした犯人が、明確に頭の中に浮かんでくる。そしてその答えを知った俺は、何の抵抗も無くその人物の名を呟いた。

 

「紫さん………………?」

 

それなのにも拘わらず、どこかその答えが合っているかどうか不安になったのか、思わず語尾が上がってしまう。

 

すると、その紫色の布は、ひらりと風に舞うような動作をして、玄関方向へと消えて行った。

 

(紫か…………しっかたねえなもう……)

 

なんだって気絶なんかさせたんだ、と思いながら、俺は立ちあがり襖を抜けて玄関方面を見やる。

 

「やっぱり紫さんでしたか……」

 

俺の視線の先には、怒っているのか喜んでいるのか分からない笑みを浮かべている紫がそこに立っていた。

 

あまり見る事のない紫色のドレス。南蛮風の服装とは違い、女そのものの色気を垂れ流すかのように胸を強調した服。

 

左手には傘を。右手には扇子を。帽子は何時も通り。

 

「耕也、解放の成功おめでとう……」

 

と、そんな事を考えていると彼女が口を開きそう言葉を放つ。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

突然の言葉に驚きながらそう言うと、まるで着いて来いと言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら、俺に背を向けて玄関へと歩き出す。

 

俺は、それに何となくではあるが、着いていかなければならない気がして、足が前へと出て行く。

 

一歩ずつ、一歩ずつ。紫の足音に合わせるように足を静かに前へと出していく。

 

彼女に話しかけたいが、何とも話しかけづらい。着いて来いというオーラと同時に、話しかけるなとでも言うかのように。

 

自分で作ってしまった幻影だろうが、それに黙って従って後ろを着いていく。

 

紫が、玄関の扉に手を掛け、ゆっくりと横にスライドさせていく。

 

開け放たれた玄関からは、地底特有の生温かい風が、冷房によって冷やされた屋内の空気を外に追い出しつつ、侵入してくる。

 

この足元は冷たく、ソレより上が生温かいという奇妙な空気に気持ち悪さを感じ、身体が思わず震える。

 

「耕也、外で話をしましょう?」

 

と、外に出た紫が俺に話しかけてくる。

 

「分かりました紫さん……」

 

そう無難に返答しながら、俺も玄関を抜けて行く。抜けた瞬間に、紫は此方を向いて口を開き始める。

 

「耕也、まずは改めて。依頼完遂おめでとう」

 

紫の表情は、先ほどまでのオーラを放っていた人物とは、思えないほど柔らかく朗らかで慈愛に満ちていた。

 

その顔は、もうこれを見られるのなら依頼料なんて取らずに遂行しましょう、とでも言いたくなるほど魅力的な笑顔で。

 

「紫さん、ありがとう。やっぱり見ていてくれたんだね」

 

そう言うと、目を細めてコロコロと笑いながら

 

「当たり前じゃない。私だって頑張っていたのだけれども……ね?」

 

と、意味ありげな言葉を同時に言ってくる紫。

 

はて、これはどちらの意味を表しているのだろうか? そんな疑問が頭の中を駆け巡り、それに考えを集中させる事にした。

 

彼女の言っている頑張り。それは、此方の依頼に介入していたという事なのだろうか?

 

もし、ソレだとするのなら、彼女の頑張りというのは俺が間抜けにも気絶してしまった後の事だろうか?

 

彼女が俺の気絶した後、白蓮、一輪、村紗にばれる事なくあの膨大な妖怪達を処理したのだろうか?

 

それとも、彼女の頑張りとは、彼女自身の処理しなければならない問題を処理していた事なのだろうか?

 

次々と疑問が浮かび上がり、ソレを一気に聞きたいという気持ちに襲われる。

 

が、グッと堪え、その中でも最も近いと思われる考えを言う。

 

「気絶した後の事でしょうか?」

 

そう言うと、紫は扇子を広げながら、口元に持って行き目を細めながら

 

「そうそう、正解よ耕也」

 

と言ってくる。

 

「ありがとうございます紫さん。助けて下さり本当にありがとうございます」

 

勿論素直に俺は頭を深々と下げ、紫に礼を言う。

 

「いえい……い、いえ、大したことではありません……わ?」

 

と、俺の言葉に対しての返答がおかしい。声が一瞬震え、ドモり、何時もの紫とは思えないほどの口調。

 

突然の変化。その変化と共にグラつき崩れる紫の身体。

 

「紫!?」

 

俺はそう大きく口に出しながら、慌てて紫の肩を掴んで支える。

 

普段なら敬語が常なのだが、今回ばかりはそんな物どこかへ吹っ飛んでしまった。まあ仕方ない。

 

「な、何でもありませんわ」

 

抱きかかえた瞬間に紫は少し切羽詰まったような口調で早口に言うと、掴み支えている俺の手をはねのけるかのように素早く退ける。

 

紫の突然の変化に驚いてしまった俺がいたが、紫が撥ね退けるように振りほどいたという事についても驚いてしまう。

 

「紫…………? 大丈夫か?」

 

何時もならこんな慌てたように手を退けるはずはないのだが、今日の紫はどうしたというのか。

 

彼女が病気にかかったという感じではないし、そもそも顔色も良好。むしろ大妖怪の彼女が病気にかかるのか不思議なくらいである。

 

むしろ此処は俺が深く詮索することなく、流してしまう事が一番ではないだろうか。

 

そんな事を思いつつ、先ほどから紫に聞きたくなった事を聞く。

 

「あの……紫さん、なぜ白蓮さん達を眠らせたのですか?」

 

包み隠さず、そのままの疑問を彼女に投げつける。

 

 

「貴方と2人きりで酒を飲みたかったのよ」

 

まるで呼吸するかのように、軽く返してくる。

 

妖怪は元々こう言った事に罪悪感などはあまり感じないのだろう。欲求に素直と言えばいいのだろうか。

 

やはり俺は紫ではないので、彼女の気持ちがどうなのかは分からないし、倫理観なども人間とは違っているということぐらいしか分からない。

 

「そうですか……ああ、ところで話がそれてしまったので戻しますが、自分が気絶した後の妖怪の群れは、紫さんが対処してくれたという解釈で良いのですよね?」

 

そう俺が、紫の反応を待たずに先ほどまで聞きたかった疑問を投げかける。

 

すると、持ち直しつつあった彼女が、今度は顔を少々赤くしながら息を荒くする。

 

まさか本当は重い病気にかかって無理をして此処まで来たのだろうか? だとしたら早く帰ってゆっくりと治療に専念していただきたいものだ。

 

そう思いながら、質問の回答をそっちのけで紫に言おうとする。

 

「大丈夫だから……耕也、安心なさい」

 

が、そんな考えは彼女にとっては筒抜けだったようで、先回りされて解答されてしまった。

 

「ふう……。まず貴方の質問に答えるわ。答えとしては、合っているわ。貴方がジャンプを使用した反動で気絶した後、空へ吹き飛ばされた妖怪達は無傷。そこまでは貴方の考えにもある通り、事実よ。そこで私は、迫る妖怪達のあれほどの数に対抗できる戦力を白蓮は持っていないと判断し、隙間を使ってはるか遠くへと移送。……これで満足かしら?」

 

淡々とした説明口調で、此方の質問に答える紫。やはり推測して礼を言った事は合っていたようだ。

 

その事にホッとし、再び頭を下げて礼を言う。

 

「ありがとうございました紫さん」

 

それに紫は、赤い顔のままゆっくりと口角を釣り上げて柔らかな笑みを浮かべながら、此方に返答してくる。

 

「ええ、介入するといったのだら当然よ? ……はあ…はあ」

 

が、顔は上気したように赤く、呼気は荒い。

 

そして、その顔が赤くなったまま、喉を大きく動かす。

 

ゴクリとでも聞こえてきそうなほど、大きな音。唾液を呑み込んだのだろう。

 

「ふう……はあ………はあ……はあ」

 

更に荒い息を吐くのみである。これで健康に問題は無いとか言っている紫だが、俺にはどうしても信じる事ができない。

 

普段の余裕を持った冷静な紫とは大違いであり、明らかに身体が異常をきたしていると言っても過言ではないだろう。

 

さすがに俺がこれをこのまま無視し続け、倒れられたりでもしたら、目も当てられない状況になるのは間違いないだろう。そして、何より俺が後悔する。大切な人が倒れたら誰だって心配するであろう。

 

「耕也、私は大丈夫だから……。ほら、そこの岩場で酒を飲み交わしましょう?」

 

ふうふうはあはあ荒い息を吐きながら、震える指で向かい側の岩場を指差す紫。

 

普通なら岩場を見るが、俺は今回は紫の指に視線を向けていた。理由としては当然のことながら、指が震えているという事であろう。

 

特に何かに怯えているわけでもなく、プルプルと震えている。

 

紫の言葉を信じることなどできない。そう思ったのはこれが初めてであろう。

 

こんな見れば分かるようなレベルの不健康体。

 

だがそんな状態を見ても、俺は彼女の持つ雰囲気に押されてしまい、肯定の意を示すことしかできなかった。

 

「…………はい」

 

その返答に、紫は満足げに微笑み、岩場まで大股で歩いていく。

 

先ほどまでプルプルと震えていた人物とは思えないほどしっかりとした足取りで。

 

「耕也、ほら此処に来なさいな」

 

そして、岩に座るために振り向いた紫の顔色は、驚くほど普通に戻っていた。

 

思わず、え? と声を上げてしまいそうになるが、その言葉を飲み込み、彼女の顔を少しだけ観察する。

 

上気した赤い顔ではなく、何時もの余裕を見せる時、平常時の顔色である。

 

では先ほどの荒い息をした、あの何かを必死に耐えているような顔は一体何なのだろうか?

 

話すたびに艶やかな瑞々しい唇を震わせて俺に話しかけていた紫。だが、今ではその唇を震わせることなど無く、しっかりと上下に開き、何の音のブレも無く言葉を正確に伝えてくる。

 

おかしい……まるで病気の発作が起こったかのように感じてしまう。

 

「はい紫さん」

 

全くもって不可解な事になってはいるが、今の俺の知識の中では紫の症状などを診断することなどできない。

 

仕方なく俺は、返事をして彼女の横まで歩いて座る。

 

「さて、座ったところで、酒でも飲みましょうか?」

 

そう言って、紫は扇子を振って隙間を作り、白く鈍く輝く陶器を引っ張り出してくる。

 

紫が軽く振ると、チャプチャプと液体が揺れる際に発生させる特有の音が聞こえてくる。

 

音の鈍さから察するに、たんまりと入っているようだ。

 

「はい紫さん」

 

と、俺は素直に返す。

 

そう言うと、紫はニッコリと微笑み、杯を渡してくる。

 

ソレを受け取り、酒が注がれるのを待つだけ。

 

「…………ありがとう」

 

白濁液がトクトク注がれるのを見ながら、淵まで液面が上昇するのを待って、ストップを掛ける。

 

紫は、俺が注ごうとするのを手で制し、自らの手で酒を注いでいく。

 

「……乾杯」

 

そう静かに紫が呟くように言うのをきっかけに2人だけの飲みが開始された。

 

濁酒は、あまり飲んだ事が無いので、喉越しの悪さや味にくせが強い部分などで驚かされてしまうが、これも紫が用意してくれた酒だと思いながらコクリコクリと飲んでいく。

 

まあ、この現代よりも数百年前の時代に製造されている酒にそこまで期待を寄せているという訳ではないが。

 

実際のところ、人間の作る濁酒よりも、鬼の酒虫によって製造された酒の方がずっと美味しいのだろう。清らかに透き通った水に、サンショウウオのような、ドジョウの拡大版のような生物を長時間入れてやればそれで完成となる。

 

一度でもいいから飲んでみたいというのが本音だが、あいにく鬼とは苦い過去があり、それは叶いそうにないというのが一番近いであろう。

 

「あら、耕也には少しきつかったかしら?」

 

と、俺の考えを見透かしていたかのように、紫はほほ笑みながら、言ってくる。

 

「私が毎日見てる限り、貴方はこう言った濁酒は飲まない様だし……」

 

「あの、紫さん?」

 

俺がその言葉に非常にいやな言葉が混じっていた気がして、思わず聞いてしまったのだが、紫はそれをまるで聞いていなかったかのように続けて行く。

 

「あのガラス瓶って言ったかしら? あの透き通った瓶だけれども、本当に美味しいわねあの酒の類は…………ねえ?」

 

無理矢理俺の言葉を封じるかのようにかぶせてきたその言葉。

 

まるで今さっきとってつけたかのような言葉で、何とも紫らしくない。

 

毎日見てる限りといったか。つまりは、俺は知らない所で紫に毎日生活を見られていたという事なのだろうか。

 

とはいっても、その事を此処で咎めてもはぐらかされるだけだろうし、口で彼女に勝てるわけもない。

 

俺は溜息を吐きたくなるのを我慢して、紫に一言返す。

 

「ええ、確かに……ですが、この濁酒は他のよりもずっと飲みやすいと思いますよ」

 

そう俺が返すと、紫は満足そうに笑みを浮かべながら深々と頷き返してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして特筆して何か大きなことも起らず、談笑しながら酒を飲む事およそ30分。

 

段々と時が過ぎるごとに白蓮達の身を案じる気持ちが増大していったのだが、紫が言うには、白蓮達は8刻ほどで起きるらしく、私が見てるから心配いらないとのこと。

 

その事を聞いてしまった俺は、紫との飲みをダラダラと過ごしてしまったのだが、また後日やり直せばいいかなと安易に思ってしまった。

 

注がれている濁酒を飲みつつ、紫を見る。

 

酒によるものだろう。顔を赤くしながら、時折フラ……フラ……と頭が揺れる。

 

「耕也、もう耐えられないわ……」

 

そう言いながら、頭をコクリコクリとさせて今にも眠たそうにする紫。やはり飲み過ぎだろうか?

 

人間と同様、妖怪も飲みすぎるとそれ以上の摂取を拒否しようとするのか、眠気が襲ってくるようだ。

 

そろそろ、引き上げた方がよさそうだな。

 

と、俺は判断し、紫の肩を揺らして酔っている紫にも聞こえやすいように顔を近づけて話しかける。

 

「紫さん……家に戻りましょう。風邪をひいてしまったら大変ですし」

 

そう言いながら、俺は紫の腕を反対側の肩にまわし、立ちあがるのを補助する。

 

紫は黙って頷きながら、此方に体重を傾けて立ちあがる。

 

そして、ゆっくりと歩みを進めながら、紫を家に連れていこうとする。

 

ゆっくり、ゆっくりとだ。彼女の体調をこれ以上悪化させないために、紫の歩ける速度に合わせて歩みを進めて行く。酔っている際の歩きから生ずる僅かな振動ですら、時として大きな嘔吐感を生む事がある。

 

ソレを考慮してだ。

 

舗装されていないゴツゴツとした砂利道。マグマからの光に中てられた黄色い砂の中に、小粒の石から大粒の石まで飛び出るように露出している歩きにくい道。

 

紫の平衡感覚では、ソレを避けるのは難しいであろう。だから、俺はそれを踏まないように何とか避けられるように配慮しながら道を選んでいく。

 

「大丈夫ですか? 紫さん」

 

そう時折声を掛けながら。

 

しかし、紫から出てきた声は、俺の期待していた物とは正反対のモノ。

 

首をフルフル振りながら

 

「耐えられないわ……もう無理よ……」

 

そう言いながら、紫は足を一歩前に出す。

 

足を一歩前に出した事により、俺と紫の身体の角度が90°となり、俺が紫を横から見る形となる。

 

「耕也、……ごめんなさい、耐えられない…………」

 

そう言うと、ほんのりと赤くなっていた顔がさらに赤くなり、呼吸も乱れ始める。

 

浅くゆっくりとした穏やかな呼吸だったのが、段々と荒くなっていくのが分かる。

 

それはまるで、走り終えたマラソンランナーの有酸素運動特有の息遣いのような呼吸。

 

紫は額に手を当て、脂汗を滲ませる。体温は上がり、身体全体から妖力が溢れ出す。

 

「ごめんなさい耕也……大丈夫よ」

 

と、ソレを一定間隔に呟くだけ。全く大丈夫とは思えない。

 

「紫さん……椅子を用意しましょう。あと、エチケット袋も必要ですね」

 

そう言いながら、紫にビニール袋を渡そうとすると、紫はそれを叩き落とす。

 

「いらないわ……ごめんなさい耕也。耐えられないの」

 

先ほどと同じような事を言う紫。一体何が耐えられないのか? 紫が耐えられないと言っていたのは、吐き気や悪寒ではないのか?

 

体調があまりに悪く、歩く事すらままならないという事ではないのか?

 

そんな事を考えながら、紫の言葉を解釈しようとする。

 

 

「ごめんなさい……」

 

そう言った紫が、足をふらつかせ、バランスを崩すように此方に倒れてくる。

 

そのまま紫は何の準備態勢もできていない俺の胸へと飛び込み、脇の下から両手を回し、ガッチリとしがみついてきた。

 

その力強さに、ウッと空気を肺から漏らしそうになるが、気道を閉じて漏らさないようにして紫を急いで抱きとめ

 

「大丈夫ですか、紫さん?」

 

咄嗟にその言葉を発する。

 

だが、紫にはその言葉が聞こえていなかったのか、全く返事をする気配が見られない。

 

「紫さん? 紫さん? 大丈夫ですか?」

 

徐々に声を大きくしながら、紫に声を掛け続ける。

 

が、それでも何の反応も無い。今度は肩を揺らしてみようと思ったのだが、紫がしっかりと密着して抱きついてくるので、肩に手を掛けても揺らす事が全くできない。

 

仕方なく俺は紫の背中に手を回して、ポンポンと優しく叩いてやって返事を求める。

 

「聞こえてますか、紫さん」

 

が、それでも反応が無い。

 

もう少し強く叩いてやる。先ほどよりは強く、だ。よもや意識を失ってはいやしないだろうな? という僅かな不安が胸を過りながら。

 

「返事をしてください紫さん……」

 

今度は、耳元で呼びかける。

 

「紫さん」

 

その時であった。紫が俺の言葉に被せてきたのだ。

 

「耕也、実を言うと、貴方と会うたびに感じていたのよ……」

 

何を? という疑問が浮かんでくるが、ソレを飲み込み、紫の口からどのような言葉が出るかという不安が湧きおこる。

 

紫は俺の返事を待たずに、さらに言葉を続けて行く。

 

「耕也……私は貴方に愛しいと同時に、食べてしまいたいという感情も湧きおこっていたの」

 

紫の腕が、クロスするように背中で重ね合わされ、此方が決して抜け出せないように拘束してくる。

 

それに僅かばかりの抵抗感があったのか、自ずと腕に力を込めてしまうが、此処は人間と妖怪の差。全く敵わない。

 

「だんだんだんだんだんだん…………私の身体の内から侵食するようにねっとりとした欲望が首を擡げたの」

 

紫の息がどんどん荒くなってくる。身体が少し熱くなり、更に締め付けが強くなる。

 

肩に僅かな痛みが走る。

 

「耕也、どうして貴方はこんなにも美味しそうに見えるの? 他の人間を見ても全く湧かない食欲が、一体何故貴方だけ強烈に湧いてくるのかしら……?」

 

抱きしめてくる紫の吐息が首筋にあたり、背筋が凍るような感覚を覚える。

 

肩の痛みが更に大きくなる。

 

そろそろ。そろそろだ。今はオフにしている内部領域だが、まだ発動しはしないが、もっともっと強くなると危険と判断して発動してしまう。

 

だが、そこまで来ても紫がやめるとは到底思えない。ならば此方で何とか説得するか、血が出ても発動しないように此方で抑え込むかのどちらか。

 

この激しく痛み始めている両肩を気遣いながら、紫に言う。

 

「紫さん、いっつ……肩が、肩が痛いです……うあっ!」

 

放してくれと懇願しようとした矢先であった。紫の手から伝わる力が一層強まり、肩が外れるかと思うほどの痛みが走る。

 

その痛みは、俺の神経を沸騰させるには十分だったようで、眼頭が思わず熱くなってしまう。

 

紫に握り続けられるせいで発生する肩の痛み。ソレが続くのだ。延々と。だから流れてしまう。

 

痛みが全く収まらないので、流れてしまうのだ。涙が大量に。

 

少しだけ余裕がある。もう少しだけ余裕がある。内部領域が発動するまで。

 

だが、顔を見ていない紫はお構いなしとばかりに話を続ける。息を荒げながら。

 

「耕也、貴方を本当に愛しいと思っている自分がいるのは事実。でも……」

 

スゥッ、そんな息を吸う音がすると、紫は肩に爪を立ててくる。

 

それは人間のように丸みの帯びた爪ではなく、尖り日本刀のように切れ味の良い妖怪の爪。

 

駄目だ駄目だ。絶対に発動させるな、決して発動させるんじゃない。血が出たとしても発動させるんじゃない。

 

そう必死に領域に懇願するように、命令するように脳内で言葉の羅列を浮かべながら爪の行く先を見つめる。

 

そして

 

「あっつ…っ――――っ!!」

 

一気に食い込んできたのだ。その鋭利な爪が。

 

まるで短距離走の選手がグリップ力を増大させるために使用するスパイクのように。

 

自動車の氷上におけるスリップを防止するために履かせるスパイクのように。

 

獲物を逃がすまいと牙、爪を突き立てる肉食獣のようにしっかりと。

 

深く、ゆっくりと食いこみ、肉を切り裂き、毛細血管を切断し、身体内部へと突入してくる。

 

「かふっ!」

 

あまりの突然の痛みに、肺から空気が抜けてしまう。

 

頭の片隅で領域の発動が免れた事に安堵をおぼえる一方、爪が深々と刺さり、血がダラダラと流れ服を汚していくのに恐怖を覚える。

 

命が抜けて行く。まさにそんな感覚であった。

 

それと同時に身体が痛みから解放されたいと訴え、反射的に身体が紫から離れようとする。

 

「ぐっがっ!! いっづうああああ!」

 

自分でも何を叫んだか分からないほどの痛みが襲ってくる。当然だ。態々爪が深く刺さり込む方向に身体を進めてしまったのだから。

 

血と肉が爪によって引っ掻きまわされ、グチャグチャと音を立てる。そして進んだせいで、爪は容易に肉をかき分けて行き、骨にまで突き刺さる。

 

涙がボロボロと出てくるが、紫は荒い息を首に吹きかけるだけで、力を緩ませることはない。

 

神経が鑢に掛けられたように摩耗していくのが分かる。それと同時に、視界が明と暗を繰り返して行う。

 

それは寿命間近の蛍光灯の荒い点滅のようであり、もうすぐ痛みで意識が切れてしまうのではないかと錯覚するほど。

 

いや、むしろ切れて欲しい。いくら紫を傷付けたくないからといって、領域解放を我慢しているといっても、俺は人間である。

 

人間であるからには勿論、生命の危険を促すための痛覚は正常に作動する。

 

「暴れないで耕也……でもね耕也、貴方を食べてしまいたいという気持ちになるのよ。ソレをきちんと自分の中で確信すると、もう止まらない。貴方を食べたくて仕方ないの。抑えられないの……」

 

そう言うと、紫は血が流れ止まる気配のない肩から右手を引き抜き、その血を舐める。舐めつくす。此方の視界に映るようにわざと身体を捻って。

 

「ぐあっ!」

 

引き抜かれた際の痛みに俺が悲鳴を上げるも、紫は何の反応もしない。

 

じゅるりじゅるりと舌が指を這い、唾液と血が混じり合う。

 

混じり合った液体をさも美味しそうに飲み込みながら、人指し指を口の中に入れてしゃぶり始める。

 

丹念に丹念に舌と唾液をニチャニチャと混ぜ合わせ、コクリと喉を鳴らして飲み込んでいく。

 

ちゅぽんっ……、と空気音がしたかと思うと、紫は名残惜しそうに人差し指を口から離しているのが見える。

 

しかし、中指、薬指、小指に血がべっとりとこびり付いているのを見ると、まるで菓子を与えられた子供のように嬉々とした笑みを浮かべる。

 

ふふ、と喜びを声に表しながら、次々に残りの指を口に含んでいく。

 

まるで俺の命そのものを吸い取るかのように。いや、この表現は間違ってはいないだろう。現に彼女は俺の命から派生した血を飲んでいるのだから。

 

ひとしきり右手に付着する血を舐めとった紫は、付着する血の口紅をぬるりと舐めて艶やかな笑みを浮かべる。

 

「―――――――――ふぅ……美味しい……最高よ耕也。貴方の血は本当に私を昂らせるわ」

 

と、短い感想を述べた後、思い出したように右手を傷口に差し込む。

 

またもや神経が沸騰する。

 

ひゅるひゅるとした声しか出なくなった俺は、崩れ落ちそうになる足に力を込め、紫を支えにすることしかできなくなっていた。

 

「血も美味しいなら、貴方の肉も骨もさぞ美味しいのでしょうね……」

 

紫は邪魔だと言わんばかりに肩付近に纏わる服を妖力で破き、素肌を露わにさせる。

 

地底の生温かい空気が血と触れ合い、血を蒸発させ、身体の熱を奪う。

 

また、素肌に触れた生温かさ、紫から発せられる獲物を委縮させる空気がいやに気持ち悪く感じられ、身体がブルリと震える。

 

「耕也、もう私には我慢が効かない……もう抑える事ができない。妖怪として当然よね、人間の血肉を貪るのは自然な行為よね? だから……」

 

まるで自己を正当化させるように、自分が願望に素直に従えるように、口に出し、己と俺の認識を一致させようとしてくる。

 

点滅する視界の中で、俺は何とかこれを収められないかと考えるが、領域を使う事ができない今の俺に成す術は無い。

 

使ったら紫の指、身体が吹き飛ぶ。最悪紫が死ぬ可能性もあるのだ。此処まで害を与えておきながら身体を密着させているのだ。

 

領域がそれを許すわけが無い。今は俺の命令で矛を収めているが……。

 

ジャンプも使う事ができない。あんまりにも痛いので集中が全くできないのだ。

 

つまりは……万事休す。

 

ぼーっとそんな事を考えながら、紫の言葉をひたすら待つ。大凡予想できてはいるが。

 

「頂きます……」

 

肌を洗うかのように舌をゆっくりと這わせ、唾液まみれにした後、歯を突き立て始める。

 

「ぐっ……! ぐっがあ…………!」

 

それは何時も見せる歯からは全く予想できない鋭利さ。

 

容易く肉を貫通していく。先ほどの爪よりは鋭利さが無いが、それでも十分に肌を貫くには適している歯。

 

思わず込められる肩の力が、更に歯の侵入を後押しする。

 

隆起した筋繊維が、歯に対して食いこませるように進んでしまったからだ。

 

十分痛かったのにも拘らず、更に燃えるような痛みがビリビリと広がって行く。

 

溢れでる血を啜りながら、上顎と下顎を器用にすり合わせるように動かし、筋繊維を切断した。

 

「ご……があっ……あ、ああ……ひゅっ、かひゅっ」

 

徐々に紫に侵食されていく痛み。啜られていく命の薬液。

 

ろくに声を上げられなくなった俺は、やめてくれ、出ないでくれ、やめてくれ、出ないでくれ。と、惨めに脳内にその言葉を浮かべるのみ。

 

脳が焼き切れる感覚というのは、まさにこの事なのかと実感する。そして死への秒読みという概念も。

 

だがしかし、次に来る衝撃と痛み、神経の沸騰は、その実感とやらを軽く吹き飛ばすものだった。

 

バツン、そんな音がした。

 

肉が高速で切断される鈍い音、同時にガチリという硬い者同士が接触したような音も同時に。

 

神経が一瞬静まる。まるでそれは、何かを抑えているような、台風の目の中にいるような感覚。

 

だがそれは俺の予想通りで、思い過ごしなどではなく、れっきとした事実であって。

 

その静まりは、ほんの少しの時間を開けてから、激烈な反応を見せ始める。

 

神経の沸騰などという温い言葉では言い表せない、むしろ爆発といったほうがより近い気がした。

 

その爆発は、簡単に俺の脳を侵食し、痛みという危険信号を送り出す。

 

「――――――――っぎゃああああああああああああああああああああっ!!」

 

これが脳が焼き切れるという感覚なのだろう。あれほどろくに声を出せなくなっていた俺が絶叫を上げたのだ。

 

この想像を絶する痛み、血が噴き出すように溢れて行くのが分かる。

 

まるで熱油を肩に掛けたかのよう。

 

俺の絶叫をよそに紫は真っ赤に濡れた口を動かして、咀嚼している。

 

血が噛むごとに唇からはみ出し、肉が切り裂かれ、磨り潰される音が自分の耳に届く。

 

肩から血が溢れ、止まる気配が無いその様は、まるで泉のようだと感じてしまう。激烈な痛みのせいでついに頭がおかしくなってしまったのか。

 

この気が狂ってしまいそうな痛み、それとは真逆な肉を嚥下する毎に花のような笑みを浮かべる異様な状況に、もういっそのこと殺してくれとさえ思ってしまう。

 

「おいしい……ほんとうにおいしい…………貴方ってこんなにおいしかったのね……今まで食べた料理よりもずっと……」

 

そう言って一度口を閉じ、削られた肩に口を近づけていく紫。いや、肩よりももう少し内側であろう。

 

そして、何か硬く脆いものが割れてしまったかのような音、そして二度目の肉を噛み千切られる音が自分の耳に響き渡る。

 

「がああああああああああああああああ…………ああ……!!」

 

感覚で分かる。鎖骨をかみ砕かれ、肉と一緒に食われたのだと。

 

バキリバキリ……、といとも簡単に骨をかみ砕き、グチャリグチャリと肉が咀嚼される音が同時に響き渡る。

 

紫は、咀嚼し嚥下した後、まだ足りないとばかりに肩付近に顔をうずめて、肉を貪っていく。

 

「美味しい……ふふふ、とっても……」

 

咀嚼と嚥下。肉を咀嚼し、血を啜り、骨をかみ砕く。ゴリゴリと大事なモノが身体から離れ、それと同時におぞましい音が耳に響いてくる。

 

まるで紫は、バケットホイールエクスカベーターが、露天掘りをするかのように、周りの肉を削ぎ、さらに奥を啜っていくのだ。

 

それは最早同じ人型がしているような行為とは思えないモノ。人間と妖怪が如何に違う存在か。如何に近いようで遠い存在なのかを、食われながら確認する。

 

あんまりにも惨めで、嗚咽すら出てきそうだ。

 

ああ、もう何をされているのか分からなくなってくる。自分が死ぬのか、食われているだけで生かされているのか。

 

何もかもグチャグチャとなって行く。

 

ふと、その中であの焼けるような痛みが無くなってしまった事に気が付いた。

 

脳が痛覚を遮断してしまったのだろう。もう骨を削られる感触と、大事な血肉が身体から千切られていく感覚しかしない。

 

ブツンブツンと筋繊維の剥がれて行く音。骨がまるでささくれの様に剥離していく様。

 

荒くなっていた視界は段々と明暗の切り替わりが遅くなり、段々と暗のほうが長くなっていく。

 

美味しい美味しい、と紫が

 

その時であった。

 

「………………あ、あら……? 私は……?」

 

その声と共に、咀嚼する音が止み、ゆっくりと肩から爪が引き抜かれていく。

 

ゾブリという何とも耳にしたくないグロテスクな音を後に残して。

 

ああ、やっと正気に戻ったんだ。と、俺は血を失い過ぎてボヤける頭の中でそう思った。

 

「あ…………ああ……」

 

か細い、今にも泣きそうな声を紫が発すると、ゆっくりと、怯えるように後ずさって行く。

 

視界が霞み始めているせいか、紫の顔を確認する事ができない。ああもう……。

 

そして、視界が暗くなった瞬間だった。

 

「ぐっ……」

 

そんなくぐもるような声が聞こえた瞬間、俺の視界が一瞬でクリアになり、紫が吹き飛んでいくのが目に入る。

 

内部領域が発動してしまったのだろう。紫は少し離れたからそこまでダメージは無かったのか、すぐに立ちあがっている。

 

保護しにかかっている。ソレが分かる。肩からまるで青白い炎のような、光を帯びたガスのようなモノが噴き出している。

 

領域が頑張って修復でもしてるのかな。

 

そんな感想を持ちながら、背中から地面に倒れる。

 

眠い。失った血肉、骨など全てを修復してれるのだろうが、それよりも、身体的に、精神的にも疲れた。

 

紫がが俺の揺すっている。

 

紫が大きな震えた声で、泣きながら何かを必死に伝えようとしている。

 

が、もう意識が切れる寸前の俺には全く分からず。

 

そのまま電源を落とすかのように、ブチリと、意識を落した。

 

 

 

 

 

 

 


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