東方高次元   作:セロリ

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88話 遅れてすまない……

ありがとうございました……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヤマメさ~ん、いらっしゃいませんか?」

 

紫達との契約もどきの一件から数日経った現在、俺は今まで行こう行こうと思っていたのに中々行けなかったヤマメの所に来ている。

 

地底に来てまだ間もないころに散々助けてもらったのにも関わらず、その御礼に行く機会が巡って来ず、現在まで引き延ばされてしまったのだ。

 

妖怪は陽気な奴が多いから、この遅れてしまった事について咎めてくるような事は少ないかもしれないが、俺としては何ともむず痒く気持ち悪いのだ。人間の性というものかもしれないが。

 

地底と地上を結ぶ縦穴の中間に住むヤマメ。地底の中でも随一の人気を誇り、その性格、美貌、容姿も相まって多くの者を魅了する。

 

此処の巣に来る途中に少々気に掛かる事があった。

 

何故か今日も橋姫ことパルスィの姿を見かけなかったのだ。上空から橋を見下ろしていたので、俺の見落としという可能性も無きにしも非ずだが。

 

そんな事を考えながら、ヤマメの返事を待っているのだが、中々返ってこない。

 

はて、留守だろうか? 酒も持ってきたのにいないのはなあ……。

 

そう俺は負の予想と僅かばかりの焦燥感を抱きながら、再度声をかけてみる。

 

「ヤマメさん? いらっしゃいますか?」

 

先ほどよりも幾分か大きめである。

 

恐らく、洞窟内部に居ても俺の声は十分に届くであろうと思われる大きな声。これなら聞こえているだろうし、返ってこなかったらいないという事の他ならない。

 

発せられた声は、瞬時に洞窟内深部にまで到達してエコーが掛かる。

 

何度も何度も洞窟内の複雑な形状をした岩に音が当たり、内部の空気をしっちゃかめっちゃかに掻きまわしていく。

 

すると

 

「はいはいいるわよ…………って耕也じゃない」

 

何時もと違う声が聞こえてくる。ヤマメの声よりも少々高く、女性特有の気品さがある声。

 

最初は洞窟の暗さゆえに、姿が見えなかったが、そのエメラルドのごとく光る緑色の両眼を見た瞬間に、姿と声が合致した。

 

「パルスィさんですか?」

 

そう俺が答えていくと、洞窟内部から薄らと顔が分かる所にまで歩いてくる。

 

薄らと光る苔に照らされて見えるその相貌は、まさしくパルスィその人であり、少々不機嫌そうな顔の中に驚きを混ぜた表情を浮かべているのが、何とも以外で俺は笑ってしまいそうになる。

 

「ええその通りよ耕也。……ああ、ヤマメならいるわよ。着いてらっしゃい」

 

そう言いながら、俺に来いとハンドサインをしてくる。

 

無論、そのハンドサインに反抗する理由など俺には無く、はい、と返事をして中へと入っていく。

 

洞窟に入り、完全な暗闇になった瞬間、生活支援が働き普段と変わらぬほどにまで視力が回復する。

 

しかし、どうしても落ち着かない。これを使ったのは履甲と闘った時以来であるが、やはり懐中電灯の方が落ち着く。

 

何と言うか、暗闇の中でこの吸血鬼の夜目に似たようなモノを使うのは人間ではありえないため、素直に文明の利器に頼った方が安心するのだ。

 

とまあ、そんな無駄な事を考えていると、前を歩くパルスィが口を開く。

 

「そうそう耕也、まだ聞いていなかったけど、どうしてここに来たのかしら?」

 

と、何とも力の抜けそうな声で言ってくる。まあ、大体理由は分かるわよとでも言いたそうな抑揚で。

 

「ええとまあ、御礼ですかね……地底に来て間もないころにかなりお世話になりまして、それで御礼がまだ済んでいなかったものですから」

 

そう言うと、やっぱりとでも言いたそうなため息を吐きながら、パルスィは俺に返答してくる。

 

「全く人間は……律儀なものね本当に……本当、変な所で気を使うんだから……」

 

「いや、受けた恩は返さないといけないですし……」

 

「こっちの話しだから気にしないで頂戴。……それにしてもまあ、あなたみたいな人間が地底に来るだなんて、本当に変な世の中ね」

 

それは褒めているのか貶めているのか。いや、多分どちらでもないのだろう。彼女は表面上の性格等で今の事を述べているにすぎない。

 

その地底に封印されてしまった理由まで彼女は知らない。幽香達が一度此処に来たから、それとなく知ってはいるのだろうが、それでも詳しくは知らないのだろう。

 

此処は無難に返しておくべきか。

 

「まあ、考えは千差万別ですから、それに足る理由という物があったのでしょう」

 

ソレを聞いたパルスィは、此方を振り返りながらニヤリと笑い

 

「まあ、話したくないのなら話さなくてもいいわ。八雲達が下りてきたことと関係しているのは私も分かってるし、それ以上深入りはしない。まあ、頑張りなさいな。それと、敬語と敬称は要らないわ」

 

「ありがとうござ……ありがとうパルスィ」

 

そう俺が言いなおして彼女に返答すると、満足げな笑みを浮かべて奥に向き直し、声を大にして呼びかける。

 

「ヤマメ! 耕也が来たわよ!」

 

そう言うと、はいはいと中から声が聞こえ、パタパタと足音が聞こえてくる。

 

「耕也かい? 久しぶりだねえ」

 

と、笑顔を見せながら、ヤマメが近寄ってくる。

 

相変わらずの妖艶さ。一挙一動がエロく感じてしまうのは一体何故なのだろうか? やはり俺が変態だからだろうか? いやいや男は皆変態。

 

すると、俺の考えが分かってしまったのか、ヤマメが途端に顔をニヤニヤさせながら、近づいて肘でツンツンつつく。

 

「耕也あ、もしかしてお姉さんの容姿に見とれたのかい? 全く変態だねえ耕也は」

 

そんなオヤジ臭い返答に、俺は少々ゲンナリしながらも、彼女の答えに否定の言葉を入れる。勿論嘘の返答ではあるが。

 

「いや違いますって。俺はただヤマメさんと久しぶりに会ったなあと思っていただけでして」

 

「ほほう、それじゃあ私の身体は貧相ってことかい? 酷い男がいたもんだねえ……」

 

「え、ええ? ち、違うってヤマメさん。確かに……ああ、あー……勘弁して下さい」

 

そう俺が返答に困っていると、ヤマメはそれが可笑しかったのか、ケタケタと笑ってくる。

 

「あっははっははははははは! 冗談だって、分かってるよ耕也……さ、着いてきな。ソレと敬語は要らないからね?」

 

全くこの人はもう……何て思いながら、俺は彼女の後に着いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間てなあ不思議な生き物だねえ、義理堅いのかお人好しなのか分からない時があるよまったく……」

 

顔を少々赤らめたヤマメがそう言ってくる。

 

御礼を言って、酒を差しだし、卓袱台を創造して飲みを始めたのはいいモノの、彼女らは水を飲むかのようにごくごくと酒を飲み始め、今の有り様である。

 

そして

 

「全くね……妖怪はそんな気にしちゃあいないわよ? 長く時を生きるのにも拘らず、そんなに一々気にしていたら双方の身が持たないわ」

 

と、パルスィも赤ら顔でヤマメの意見に賛同する。

 

そして、俺の方を向きながら、説教をするかのように助言をしてくる。

 

「耕也、貴方は人間だろうけど、もう少し余裕を持ちなさいな。妖怪ではないとはいえ、貴方も相当な年月を生きているのでしょう? だったら、耕也も妖怪のように呑気に生きてみたらどうかしら?」

 

そう言って自分の言葉が正しいものなんだと言わんばかりに、ウンウンと頷くパルスィ。

 

確かに彼女の言い分も合っているっちゃあ合っている。

 

人間は妖怪よりも精神的な意味では強いとはいえ、それでも精神に凹みなどは必ず生じる。その状態が続けば確実に精神を蝕んでいき、どこかしらでしわ寄せが来るのだ。

 

妖怪はソレを防ぐために、この数千年数万年とも言える生を謳歌するため、自然とそういった防御、あるいは回避法を持っているのだ。

 

だからこそ呑気、欲に忠実。本能が優先されがちなのである。そう、あの紫の時みたいに。

 

ソレを思った瞬間、身体がブルリと震えてしまう。

 

酒を飲み、身体が火照っているこの状態で、だ。この状態でブルリと震えてしまったのだ。

 

思わずグラスをおいて両腕を擦って摩擦熱を起こさせてしまう。

 

未だに完全に抜けないあの生々しさが、ふとした拍子に飛び出てくるのだから性質が悪い。

 

ふう、と小さくため息をついて、俺はまた酒を飲む。

 

と、そこで俺の異常を察知したのか、ヤマメが俺の事を訝しげな目で見て質問してくる。

 

「どうした耕也? 酒がまずかったのかい?」

 

「いやあ、そういう訳じゃあないけれども……妖怪と人間の差は大きいなあって思ってね」

 

そう言うと、ヤマメはグラスを置いて神妙深げに頷きながら、一つの意見を言ってくる。

 

「ああ、そりゃあ妖怪と人間じゃあどんなに歩み寄ったとしても壁は打ち破れないさね。でもそれは仕方が無い。人間と妖怪じゃあ存在理由も違うし、寿命が元からして桁違いだからね」

 

そう一息で言った後、ヤマメは残りのグラスを口に傾け、空にしてまた話す。

 

「でもまあ、ソレを我慢することは不可能じゃあない。現に、お前さんだって此処で暮らせているのだから、問題は無い。違うかい?」

 

確かに我慢できなくはない。現に俺は此処で暮らしている。

 

 

(あんな事が起きたんじゃあそれも考えづらくなるんだよなあ……まあ、紫の場合は力が枯渇してた故っての理由であるが……あの事を今ここで話す必要もないし、話したところで何か進展があるわけでもない。逆にこの場の空気を乱すことになりかねない……)

 

そうなのだ。此処でこんな事を言っても何の意味も無さない。

 

だから、俺は此処では肯定しかする事ができないのだ。

 

「まあ、そうだよね。確かに俺は此処で暮らせていると思うよ」

 

だが、それで終わるわけではなかった。

 

「そう、確かに暮らせているのは事実さね。でも、大体の妖怪は思っているんじゃないかな? 無論私も含めて。……耕也は今までに見たどの人間よりも美味しそうだって。パルスィもね?」

 

分かってはいた事だが、かなりきついのは仕方が無い。

 

俺がどんなに頑張って仲良くなった所で、この体質が改善されるとは到底思えないし、これからもずっとこのままであろう。

 

慣れなければ。アレが起こるまで大して気にしていなかったのだ。今度はその状態にまで、軽く受け流せるまで慣れなければならないのだ。

 

そう思いながら、俺は彼女に返答をしようとする。

 

 

「はいはい、そこら辺までにしておきなさい。酒がまずくなるわ」

 

と、パルスィが止めに掛かり、話題を強制終了させる。

 

流石に言い過ぎたと思ったのか、ヤマメも酔っ払いながらも眉をへの字にさせて俺に謝ってくる。

 

「いやあ、ごめんよ耕也。配慮が足らなかったね」

 

「いえ」

 

そう無難に返して、俺は酒を飲み続ける。

 

しばらく沈黙が訪れる。

 

先ほどの空気がまだ残っているのか、口を開きづらいのだ。どんな話題を出していいのか、いま話し始めてもいいのか、彼女達が出すのを待つべきなのか否か。

 

この空気が迷わせてしまう。残っている酒は後半升もない。

 

なんというか、この無駄に消費されていく酒の残りが、この集まりの終了時間を表しているようで、何とも言えない焦燥感を湧き起させてくる。

 

が、何とか意を決してヤマメ達に話しかけてみる。

 

「そうだねえ、最近は何かこう……活気と言うかなんというか、祭り、大事件のようなモノってなかったかい?」

 

そう俺が言うと、何か面白かったのか、パルスィがプッと吹き出して笑ってくる。

 

「あははははは! そんなの無いわよ。地底は何時も平和よ……最近と言えば、耕也の事を追ってきた風見幽香とか言う妖怪じゃないかしら?」

 

その言葉を聞いた瞬間、何故かヤマメが背筋をピンと伸ばして赤ら顔を青くする。

 

そして、少々乱暴にグラスを卓袱台に置いたかと思うと、身体を小刻みにブルブルと震わせながら、パルスィに聞き返す。

 

「その妖怪って…………どんな奴?」

 

その顔は、半泣きとまではいかないが、かなり困惑している表情であり、できればその質問の予測が当たらないようにと願っているモノであった。

 

対するパルスィは、酔っているせいか、そのヤマメの表情と声を気にも留めず、スラスラと特徴を述べていく。

 

「ええと確か……そうそう、短くて少し癖のある緑髪で、シマシマ? 模様の上着に日傘を――――」

 

「駄目駄目! それ以上は言わないで!」

 

と、パルスィの言葉を途中で遮りながら、蹲る様に両手を頭に乗せてウンウン唸り始める。

 

余程嫌な事があったのだろうか? と、愚行してみる。

 

しかし、ヤマメが幽香達と何か接点があったようには思えないのだが、彼女の身に何が起きたのだろうか?

 

と、そんな事を思うと俺の中の好奇心が首を擡げ始める。その好奇心は認識したと同時に爆発的に膨れ上がり、ついには抑えきれなくなってしまった。

 

だから、ついつい口から彼女に質問の言葉が出てしまう。

 

「ええと、もしかして、幽香と何かあった?」

 

という言葉が出てくる。

 

その言葉にびくりと身体を大きく震わせ、俺とパルスィを見て大きくため息を吐きながら話し始める。

 

「いやねえ、耕也が地底に来てまだ数日ぐらいかなあ……何時も通りの生活をしていたのさ。ところが……」

 

そう言って一度言葉を切って、またもため息を吐く。

 

そのヤマメの姿を見かねたのか、パルスィがヤマメに優しい口調で進言する。

 

「話したくないのなら、話さなくなくてもいいのよ?」

 

まさにパルスィの言う通りである。

 

妖怪は妖怪。精神的なモノに弱い。剣でばっさり切られた程度では死には至らない。だが、ソレを補って余りある攻撃力を誇る現代兵器。又は精神的要素の高い破魔の札等にめっぽう弱くなってしまう。

 

そしてその精神的なモノは勿論トラウマだって該当する。だからパルスィも声をかけたのだ。

 

無理する事は無い。ヤマメ自信に外が降りかかる可能性があるのだ、と。

 

そんなパルスィの言葉を受けたヤマメは、一瞬ありがたそうな微笑みを浮かべたが、首を振って

 

「いや、話すさ。酒の席だものねえ……」

 

そう言いながら、更に言葉を吐きだしていく。

 

「そうそう、それでいつも通り生活してたんだけど、本当に突然だったよ……上から強大な力を纏った奴等が三人。見れば一人は九尾、一人は胡散臭い奴、そして最後はさっきの風見幽香ってわけだ。……そこで運が悪かったのか、眼が合ってしまってね。風見幽香とやらに耕也はどこにいるか? と聞かれてしまってね……」

 

と、本人が聞いたら激怒しそうな事を言ってくる。まあ、聞こえはしないだろう。

 

そして、グラスの酒を注いで口に入れて一息つく。

 

グラスを置き、片手を肩から腕へと撫でつけながらまた話す。

 

「とまあ、後は大体分かるだろうけれども、殆ど殺すつもりだったよあの眼は。言わなきゃあ私の命が無かった……」

 

いや、俺の所為と言う訳ではないだろうが、確実に身内が迷惑をかけたのは事実、あの時は涙がボロボロ出てくるほど嬉しかったが、今となっては少々かすれてしまう物もあり、更には知らない所で被害を被ってしまっている者もいたのだ。

 

何とも申し訳ない気持ちになってくる。

 

だからついつい

 

「ああ……すまない。身内が迷惑をかけてしまったようで」

 

と、謝ってしまう。

 

多分彼女達はヤマメの事などこれっぽっちも気にしてなどいないだろう。何しろあの時は彼女達にとっても緊急事態だったのだろうから。

 

だから、俺が代わりに謝るのだ。

 

だが

 

「耕也あ……いらないよ謝罪なんて。笑って飛ばせば済む話なのさこんなモノは。酒の肴にでもなれば万々歳。悪いことなんて何にもないじゃないか……パルスィもそう思うだろう?」

 

「ええそうよ耕也。ヤマメが話すといったのだから、ソレを唯聞いていればいいだけの事。謝罪なんて必要ないわよ。ヤマメも笑ってればいいと言っているのだから、笑えばいいの」

 

と、パルスィとヤマメにそこまで言われては、此方も謝罪の言葉を引っ込めなければならなくなる。

 

「まあ、それもそうだね」

 

そして後の話は特筆して何かヤバいものでもなく、人生の中であった面白い事を三人で語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええとそれで、何でここにいるのヤマメ……」

 

良く分からないが、俺がヤマメ達と別れを告げて自宅に戻ると、何故か玄関の前にヤマメがいた。

 

特に寄り道をしたわけではないのにも拘らず、何故此処にヤマメがいるのだろうか?

 

いや、妖精とか妖怪は瞬間移動みたいな術を使う事が出ると言うのは知っているから、多分それを使ったのだろう。

 

と、そんな事を考えていると、ヤマメがニヤニヤした笑みを浮かべながら、俺に話しかけてくる。

 

「まあまあ、お酒を持ってきてくれたんだ。今日は私が手料理を御馳走してあげようじゃあないか耕也……どうだい?」

 

嬉しいのか悲しいのか分からないこの感情は一体何だろうか?

 

まあ、特に気にする必要はないか。

 

「別にお返しなんて良いのに……第一俺が御礼に向かったのだからお返しも何も……」

 

と、俺が言ったところで、ヤマメは退散するわけでもなく。

 

ちっちっちと指を振りながら、俺の背後へ素早く回り込み背中を押してくる。

 

「さあさあ、友人の為に鍵を開けておくれ耕也。いい女が手料理を馳走してあげると言ったんだ。受けないのは男の恥だよ?」

 

随分と勝手なことを言ってくれる。

 

が、まあ来てしまったのは仕方ないし、此処で拒否して返してしまうのも忍びない。

 

だから俺は、鍵を開けて中に招いた。

 

 

 

 

 

 

「まあちょっと待ってなよ。すぐに美味しい物を作ってやるからさ……」

 

そう言って早5分。一通り器具の使い方などを教え、補助はいるかどうかを訊き、断られてどっかり卓袱台の前に座り込む俺。

 

すでに米は冷や飯があるからソレを食べればいいとして、彼女は一体何を作るのだろうか?

 

普段彼女が食べている物を知らない俺からすると、若干の不安を感じてしまう。

 

できれば人間の食えるもの……とはいっても、人間と同じようなモノを食っていると言うのは分かるから、そこまで心配する必要はないか。

 

食材も冷蔵庫の中にある物から使っていいといったし、鶏肉とかを使って無難なモノを出してくれればいいなあ。なんて失礼な願望を頭の中に浮かべていたりする。

 

そして待つ事20分。

 

「おまたせ~」

 

何て言いながら、陽気な表情でヤマメが盆に乗せてやってくる。

 

 

「で、でかい卵焼きだな……」

 

そう俺が思わず呟くと、ヤマメは照れた表情で頬を掻きながらホワッと表情を崩す。

 

「いやあ、だって……希少価値の高い卵がいっぱいあったもんだから……腹いっぱい食べたくてさあ。あ、味は保証するよ?」

 

まあ、俺も食べるけれども、大きさを見てみると大体……卵10個は使ったのではないだろうか? いや、もっと使ってるかもしれない。

 

そんな印象を受けるほどの大きさ……匂いはとても良いし、味もヤマメが自信を持って言うのだから美味いのだろう。

 

しかし、俺にはトテモじゃないがこれは消費しきれない。つまりは

 

「まあ、食べ切れなかったら私が多めに食べるからさ……」

 

少々笑いながら、眼を空へと逸らしながら言ってくる。

 

「さ、さあ食べておくれよ。卵美味しんだからさ!」

 

いやまあ、確かにそうなんだろうが、鶏肉を甘辛く焼いたのは良いし、味噌汁も美味しい。それでも、この卵焼きの大きさに圧倒されてしまうのは仕方のないことだと思う。

 

俺はガツガツと卵焼きを食べるヤマメが何だか輝いて見えてしまい、良く分からない気持ちになったのだが、とりあえず卵3個分ぐらいの卵焼きは食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、お休みヤマメ……」

 

そう言って耕也は別の部屋へと去っていく。

 

まあ、確かに男女が一つの部屋で寝ているのはあまり宜しくないと言うのが、彼の中にある一つの考えなのだろう。

 

しかし、私の中では別の考えが浮かびあがっていた。

 

それは

 

(妙に血の匂いがするね耕也から……)

 

そう、濃厚。余りにも濃密な血の匂い。

 

彼に何かあったのだろうか? あのような濃厚な血の匂いを振りまかれては気にしないようにしようとしても、気になって気になって仕方が無い。

 

本当に何があったのだろうか? 彼があんなにも血の匂いを振りまく原因となった出来事。事件。

 

彼が傷を負った? いやいや、そんなことはあり得ない。

 

耕也は私に会っても領域とやらの障壁を展開し続けていた。

 

現に、私が耕也を後ろから押した時も、力が一気に入らなくなったというのが何よりの証拠である。

 

彼の身に一体何が……。

 

私は耕也の身体から振りまかれる血の匂いに身体が火照り、どうにも落ち着かなくなっていた。

 

知りたい。耕也に何が起きたのか。物凄く知りたい。

 

でも今は駄目だ。もう少し時間を置いてから。後数刻はこのままでいなければ、耕也は眠らないだろう。だからもうしばらく待つのだ。

 

そう思いながら、布団の暖かさに感謝しながら、赤橙色の淡い光に視線を移しながら、安心感からのため息を吐く。

 

ふう、と。

 

しばらく待つ。数刻待つ。

 

大体この辺が頃合いであろうと思いながら、ゆっくりと布団から這い出る。

 

どうにも、布団の暖かさに依存していたようで、外気温に身体が一瞬ブルリと震えてしまう。

 

「ああ、何か肌寒いねえ……」

 

そう小声で独り言を呟きながら、私は襖とやらを開けて耕也のいる居間へと向かう。

 

夕食の時とは全く違う空気。静けさ。先ほどまでの活気が嘘のようである。

 

就寝時とはいえ、此処まで静かなのは中々ない。まあ、私の洞窟内だと風の音が多少あるためでもあるが。

 

そして少し歩き、私は居間と廊下を隔てる襖を開けて、中へと入る。静かに。耕也が起きないように。

 

入った瞬間に、むっと血の匂いがきつくなる。

 

瞬間的に思った。まるで媚薬だと。

 

耕也から血の匂いが発せられているのではなく、耕也に血の匂いがまとわりついていると言うべきか。血が出ていないのだから発せられているのはおかしいであろう。

 

この匂いに身体がぞくぞくするのを感じながら、耕也の側にまで近づいて座る。

 

血の匂いが強く、頭がくらくらしそうになる。

 

どうやら、その血の匂いは耕也の一部分にまとわりついているようにも感じた。それは

 

(他の場所から血の匂いがしない……?)

 

そう、匂いを嗅いでみると、耕也の腹や腕からは血の匂いが全くしないのだ。だが、肩からは

 

(かなりきついねこの匂いは……身体が火照って仕方が無い……)

 

麻薬か媚薬か。きつい匂いがしてくるのだ。それに引かれてしまったせいか、私は思わず手で触れてしまう。

 

その瞬間、まるで刺されたかのように身体をビクッと強く跳ねさせて、眉をしかめて呻く耕也。

 

まるで寝ているとは思えないほどつらそうな顔。これでは寝ているふりをしていると捉えた方が正しいと言えるのではないだろうかという、そんな顔。

 

「何でそんなに苦しそうな顔をしているんだい……耕也? 痛い事でもあったのかい? それとも……寂しいのかい? 地上に……帰りたいのかい? お前のいた世界とやらに……」

 

そう小声で呟いてしまう。

 

私は少しでも安心させてやろうと、耕也の寝床に入り、抱きしめてやる。

 

「ほらほら、お姉さんが此処にいてあげるから安心してお眠りよ……」

 

とは言っても、そう簡単に彼の表情が安堵すると言う訳でもなく。殆ど気休めにしかならない。

 

だが、それでも私は抱きしめ続ける。

 

久しぶりに見た人間に対する物珍しさか。それとも今まで会った人間とは違う反応、生活をしているからか。

 

そしてその中で八雲紫の言葉を思い出していた。耕也と再会した後、顔見知りの私に交渉を仕掛けてきたあの八雲紫の言葉を思い出す。

 

「耕也を堕とせ……か。八雲はお前が違う世界から来たと言っていたよ……。お前を情欲の無間地獄に落とすためだと。依存させるためだと。……確かにお前さんは魅力的だよ色々な意味で」

 

まあ、私も妖怪なのだろう。良くも妖怪悪くも妖怪。

 

寝ている耕也の頭、身体をより一層強く抱きしめる。耕也が決して悲しまぬように。

 

「全く……今は親しい友人関係だと言うのに八雲とやらは無茶を言ってくる……。でもまあ、珍しい人間だしねえ……堕とすというのも面白そうだねえ……。そうだろう……耕也?」

 

蜘蛛が巣に掛かった獲物を糸で包む様に。ゆっくりと。ゆっくりと。

 

徐々に徐々に締め上げて逃げ場が無くなる様に。私達しか見えなくなるように。

 

そして、溶解液を相手に注入して中からじっくりと溶かしていくように。心の奥まで浸透するように、ドロドロに溶かして抗う気を無くさせるまで。

 

 

 

 

 

 

「まあ、妖怪は欲に忠実ってね」

 

 

 

 


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