ナツノウタ   作:夏草

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始まりはある春の日に 2

「失礼します」

 

そう言って図書室の扉を潜る。高海が職員室を訪れて一週間後、俺はホームルームが終わると図書室を訪れていた。理由は単純、よく分からない内に押し付けられてた図書委員会監督教師といういまいちピンと来ない役職の職務を全うする為である。

 

俺の上司であり大先輩の滝本先生曰く、図書委員会の監督とは月一度の生徒主催の図書委員会に出て、そして暇な日の昼休みや放課後に図書室を訪れて図書委員の働きぶりを見れいればいいという事らしい。

 

なので、俺もその例に習い、時間が空いた時はこうしてちょくちょくと図書室を訪れたりしている。

 

学生の人数も少ないのと、俺がまだ新米で仕事をそこまで割り振られていないと言うことも相まって基本的に放課後になると暇になることが多いため、こうして図書室を訪れる機会もそれなりにあったりしたりする。

 

「あっ、先生。こんにちは」

 

図書室に足を踏み入れた俺に声が掛けられる。ここ暫くで大分聞きなれた声だ。

 

落ち着いた声の主の方角を見ると、図書室のカウンターに見慣れた顔。

 

少し丸みを帯びた健康的な輪郭に、日本人にしては少し大きめの目、肩甲骨辺りまで伸びる茶髪は絹の様に光をよく反射し、手入れがされているのが分かる。全体的に大人しく印象を受ける少女だった。

 

「こんにちは、国木田。今日は国木田が当番か、お疲れさま。俺もホームルームが終わって直ぐに来たんだけどな。先を越されたなぁ……」

 

「ウチの担任の先生ホームルーム終わるの早いから、早く来れるんですよ」

 

彼女の名前は国木田 花丸。内浦女学院の一年生にして図書委員。非常に本が好きらしく委員会の仕事があろうがなかろうがよく図書室で見かける生徒だ。

 

「そうかそうか。そして、国木田がいるっていう事は……」

 

少しばかりキョロキョロと辺りを見渡すと探し物は直ぐに見つかった。

 

窓側から一つ内側の本棚の列、そこまでゆっくりと忍び足で近づく、

 

「よう、黒澤。こんにちは!」

 

「び、びぃぃぃぃぃ!? こ、こんにちは!」

 

そこにいたのは国木田と同じく小柄な少女。ショートヘアをサイドで留めた髪型に国木田に負けず劣らずの大きめの瞳。その見た目からはどことなく幼さを感じられ、黒澤本人は悪いが中学生やら小学生やら言われてもどこかしら納得できる雰囲気が感じられた。

 

彼女の名前は黒澤 ルビィ。国木田とは親友の関係らしい。

 

「そ、そんなに驚かなくても……」

 

びいぃぃぃぃ、と謎の叫び声を上げてすっ飛ぶように本棚の後ろに隠れてしまった黒澤。目尻には涙が浮かんでいる。

 

別に何も卑しいことも、悪いこともしていないのだが、何も知らない第三者から見ると涙を浮かべている美少女と冴えない男。どちらが悪いかなんて火を見るよりも明らかだ。ほんと町中ではなくて良かった。外なら通報されても可笑しくないレベルだ。俺が第三者なら間違いなく通報する。

 

そして、通報されてみろ。こんな静岡のど田舎だ。噂が巡り巡るのは早い。直ぐにPTAなり教育委員会なりが飛んでくるのが想像に難くない。そうなってしまえば俺の教師生活はわずか二週間で幕を閉じてしまう。

 

「まぁまぁ、先生。ルビィちゃんは人見知りで特に男性とは話したことも無いんですから、ゆっくりと馴れてもらいましょう。初めよりも随分マシになってじゃないですか」

 

国木田は落ち着いた笑みを見せると手に持っていた単行本にしおりを挟み、それをポンと机の上に置く。

 

「まぁ、確かにな」

 

一週間ほど前、初めて黒澤にあった時を思い出す。まだ一言たりとも言葉も発していないのに俺の顔を見るなりに悲鳴を上げて図書室から出て行った黒澤。正直にいってあれほど心が折れそうなことはなかった。高校時代に無敵艦隊とまで呼ばれた俺があそこまでダメージを受けることなど、恐らく後にも先にもこの出来事以外にないだろう。それほどの衝撃だった。

 

会話どころか顔を見ることすら出来なかったあの時と比べると今では大分マシになった。未だにいきなりこのように挨拶をすると悲鳴は上げられるが、それでも挨拶は返してくれるし、

 

「ほら、ルビィちゃん。先生だから安心して大丈夫だよ」

 

「う、うん。せ、先生、こんにちは」

 

それに、国木田が一緒ならこうして少しぎこちないが俺の前に立って挨拶までしてくれるようになった。

 

「あぁ、こんにちは」

 

今はまぁそれで充分だったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、何の本を読まれているんですか?」

 

図書委員会の仕事は本の貸し出しや、返却された本を元の本棚に直したりする返却業務がほとんどを占めており、基本的に人が来なければ暇なことが多い。まだ四月も中旬、学校も始まったばかりでテストも何もないこの時期に放課後図書室を訪れる人は殆どと言っていいほどいなく、基本的に時間を弄ぶ事が多かったりする。

 

それは監督教員たる俺もであり、基本的に暇なときは図書室にて適当な本を読むのが日課となっていた。

 

「あぁ、これか」

 

そう言って少し古ぼけた表紙を見せる。色々と図書館の本を物色していた時に出てきた本だ。

 

「トリストラム・シャンディ……ですか」

 

「とりすとらむ、しゃんでぃ?」

 

国木田の言葉に黒澤は小首を傾げる。まぁ、国木田も黒澤も知らなくても仕方がない。何せ大分前の小説だし、それもイギリスの作家が書いたものだ。今どきの高校生でトリストラム・シャンデーを読んだことがある高校生がいたらそいつはよっぽど本が好きなのか、よほどの変わり者なのか、その二つに一つだろう。

 

「そう、イギリスの作家ローレンス スターンが書いた小説だよ」

 

「おもしろいんですか?」

 

「うーん、どうだろうね。話の内容的には兎も角としてこうして適当に読む分には楽しい本だと思うよ」

 

「適当に……」

 

「読む?」

 

顔を合わせて小首をかしげている国木田と黒澤。まぁ、確かに適当に読むなんて言われても普通なら理解できないよなぁ。

 

「そうそう、例えば――」

 

そう言って、栞も挟まずに本を閉じると、中ごろの適当なページを開く。

 

「こうやって適当なページを開いて適当な行から読み始める。もともと、このトリストラム・シャンディと言う本が、最初の一行以外は神に念じて書かれているらしいからね。なら俺は読むときには神に念じて適当なページから読むことにしてみたんだよ」

 

神に念じている分、面白くなくても神のせいにすればいいだけ気が楽だ。普通の小説の読み方では出来ない気軽さがそこにはある。世の中に洒落な読み方があるとすればまさにこれである。

 

「適当に読んだら話しが理解出来ないんじゃ……」

 

「話なんて読まなくていい。筋なんて読まなくても良い。初めから読んだんじゃあ仕舞まで読まないといけないからな。たまには適当なページから読むことがあってもいいんだよ」

 

そう黒澤に語り掛けた時、

 

「そうか分かったずら! 非人情な読み方ずらね!」

 

そんな国木田の言葉に少しばかり狼狽した。まさかこんな片田舎で、しかも生徒からこんな言葉出るとは思っていなかったからだ。

 

「まさか、これだけの話で分かるなんてね。さすが国木田、よく本を読んでいるよ」

 

よく本を読んでいるなぁとは思っていたが、まさかここまで読み込んでいるとは……。下手をすると俺よりも本を読んでいるんじゃないだろうか……。いや下手をしなくてもそんな気がして来たぞ。

 

「いえいえ、先生もよく本を読んでいると思います。流石現代文の先生ですね」

 

「まぁ先生だしな」

 

ほぼ間違いなく国木田の方が本を読んでいるとは思うが、俺はもう教師なのだ。なので、精一杯の強がりとしてこうしてほほ笑んでおこうと思う。

 

「花丸ちゃんも先生も何の話をしてるの?」

 

「まぁ、気にしないでくれ。それよりも黒澤はさっきから何の雑誌を読んでいるんだ?」

 

本を読まない人からすれば先ほどの俺と国木田との会話を理解できないだろうし、面白くとも何ともないだろう。

 

「あ、あ、あのこれです」

 

少し恥ずかしそうにして出されたその雑誌の表紙、そこには、

 

「スクールアイドル特集?」

 

表紙に書かれた大きな見出し。

 

「はい」

はいでは少し足りなかったが

 

「ルビィちゃんはスクールアイドルが大好きなんです」

 

その説明を本人にとって代わって国木田がしてくれた。

 

「へぇー、スクールアイドルねぇ」

 

今大流行のスクールアイドル。好きな学生はそれほど星の数ほどいるだろう。

 

「先生はスクールアイドルはご存知ですか?」

 

「あぁ、一応な」

 

今でこそ、静岡県は沼津にいるが俺は東京生まれ、東京育ちの江戸っ子だ。それもスクールアイドルの聖地秋葉原の近くに長年住んでいた。いくら俺が流行に疎いとはいえ、これだけ騒がれば流石に知っている。

 

「へぇー流石です。何か好きなアイドルグループは居ますか?」

 

さて、困った質問がきた。ここで、教師としてどんな答えを用意すればいいのか。

 

一番いいのはこの浦の星女学院にスクールアイドルがあったら一番いいのだが、何せこの内浦にはスクールアイドルはまだ存在しない。

 

前高海が持ってきた部活動設立届には部員が一人しかいなかった。当然、そんな部活が設立出来る筈もなく、俺の初顧問の話は流れた。いくら俺が教師でも学校の決まりなんてそうそうに変えれん。帰れるとすれば理事長辺りだが、生憎理事長は不在で新しい理事長が就任するまではどうしようも出来ん。

 

まぁ、新しい理事長が来たところで部員が一人ではどのみち厳しいだろう。せめて三人、ユニットが組めるくらいになれば許可もどうにかなりそうだが……。

 

まぁ俺も色々と手伝ってはやりたいのが、何分今の俺の立場は顧問でもなのでもないただの副担任……なのでその辺りの役職上上手く手伝えない面があったりする。教師と言う立場も何かと面倒なのだ。

 

まぁ万が一にも部活として申請が通れば顧問になると高海に約束させられたので、暫くは様子を見ておこうと思う。また何か進展があれば報告させて貰うよ。

 

まぁ、愚痴はこの辺りで置いといて、今は黒澤の質問に何と返答するか、だ。

 

「もしかして、μ’sですか?」

 

「あ、あぁ」

 

考えの途中で振られた言葉に思わず頷いてしまった。

 

そんな俺の頷きに、

 

「――やっぱり!μ’sいいですよね! 誰が好きですか!?」

 

予想外に食いつかれた。ガバりと机の上に乗り出すと唖然としている俺の手を掴みシェイク。まさ黒澤がμ’sにここまで食いつくとは思っていなかった。

 

「や、矢澤かな……」

 

動揺からだろうか口から出た名前に後悔した。よりによって九人もいるμ’sの中で矢澤の名前が出るとは……。知り合いがいなくて本当に良かった。滝本先生辺りにばれると死んでも死にきれなくなる。

 

「矢澤! 矢澤にこさんですね! 私も勿論大好きです!」

 

「あ、あぁ……」

 

そしてまた激しくシェイク。黒澤ってこんなキャラだったのか、意外な一面が見れて嬉しいが、これって本人がトリップが終わったら……。黒澤の横で大人しい笑みを見せていた国木田に助けの視線を送る。

 

「ルビィちゃん、嬉しそうずら……」

 

しかし、返って来たのはそんな保護者のような言葉と満足げな笑み。ものの見事の生徒に裏切られた。

 

「μ’sやっぱりいいですよね! 私は小さい時からμ’sが大好きで、よくお姉ちゃんと真似したりしていたんです! キラキラしてて一生懸命で輝いていて……。先生もμ’sが好きだったんて感激です! 感動です!」

 

「そ、そうか黒澤もμ’sが好きなようで、先生も嬉しいよ」

 

「はい、ルビィも先生と話があって嬉しいです!」

 

興奮が収まらない黒澤はさらに力を入れて俺の右手を激しく振る。

 

そして、

 

「ルビィちゃんその辺りにしないと先生も迷惑だよ……。マルは先生とルビィちゃんが仲良くなって嬉しいけど」

 

そう遅すぎる国木田の仲介が入った時には、

 

「え……え、えええ」

 

先ほど国木田が紹介してくれたように黒澤ルビィという少女は人見知りで特に男性とは父親以外とは話したことも無いシャイな女の子だ。そんな少女が我に返るとどうなるか――。

 

「び、び、びぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 

――願わくばこの悲鳴が誰の耳にも届いていないことを祈るばかりだ。

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