ナツノウタ   作:夏草

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始まりはある春の日に 3

西に落ちていく太陽によって赤くそまった海岸際を歩く。昼でも夜でもない黄昏時、昔からこの時間が大好きだった。色のコントラストも、何処からか漂って黄昏時特有の昼とも夜とも言えない香りも、遊んでいる子供たちの楽しそうな声も全部が全部好きだった。

 

東京の夕暮れは何処かもの物寂しげだった。ビルとビルの間から申し訳なさそうに沈む夕日にはどこか悲壮感に似たものを感じられた。しかし、この内浦の夕暮れは少しばかり違う。東京よりもその人口は遥かに少ないが、ここの夕暮れは実に堂々としている。海の向こうに沈む夕日は山も人も街も、その全てを自分の色に染める。もしも、この落ち行く夕日を、染まり行く山々を、紅く変わる人々を一枚のキャンパスに収めたのならきっと素晴らしい絵が出来るに違いない。何分絵は専門外だが、きっと名画と呼ばれるものはこんな日頃の何気ない風景から生まれるものと古今東西相場が決まっているのだ。

 

芸術関係は専門外なので分からないが、この素晴らしい黄昏時の世界を言葉に書き記したらどうなるだろうか。人に感動を与える自然は翻訳できる、とは某名作の登場人物の言葉だと記憶している。自然は翻訳するとすべて人間に化けてしまうそうだ。例えば崇高、例えば偉大、そして例えば雄壮。

 

なら、俺の眼前に見えるこの風景を翻訳すれば何という言葉が当てはまるだろうか。

 

雄大、荘厳、幽玄、崇高、飄然、絢爛……。

 

色々な形容詞が浮かんできては消えていく。そのどれもが当てはまる気がするし、そのどれもが当てはまらない気もする。少しの時間歩きながら色々と考えて、そして辞めた。

 

有史から人類が作り出してきた形容詞がどれほどの数になるのか無知な俺では分からない。しかし、その量は那由他にもあの大蔵経にもインドのラーマ―ヤナともその量を競うかも知れない。でも、この幽玄で荘厳で尚且つ雄大でも絢爛でも崇高でもあるこの風景を現すのは無理だと思う。無難なところに落とすことは出来る。でも、この風景を落とすのはもったいない。凄いものはただ凄いものと見れば絵にもなれば句にも読まれる。言葉に出来ないほどの素晴らしい光景ならば言葉にしなければいい。雄弁は銀、沈黙は金。そして沈黙は詩的だ。

 

そんなことを考えながら足を進めていた時だった。俺の住む下宿先まで後少しと言う所で、目の前の桟橋に一人の少女が立っているのが目に入った。紺のブレザーに同じ色のスカート、首元には大き目のリボン。海風で長い髪がたなびいているのが見えた。遠目だが、一目で浦の星ではないことは分かった。

 

――あの制服って。

 

俺がそう思うのと同時にその少女は徐に制服のスカートを下す。

 

――え?

 

そして、そのままカッターシャツとブレザーも脱ぎ捨てる。その下は水着。

 

――おいおい、ちょっと待てよ。

 

少女は桟橋を走り出す。初めから全力疾走だ。

 

季節は四月。ここ数日は暖かくなって来たとは言えそれでも水温は大分低いだろう。

 

そんな中でまさか海に飛び込もうとするなんて、馬鹿なのか、死にたいのか、どっちにしても真面ではないのは確かなことだ。

 

慌てて手に持っていたカバンをそこらに放り投げ走り出す。人の人生にとやかく言うつもりも言う資格もあるとも思わんが、目の前で何かあったら事だ。寝つきも大変悪くなるだろう。

 

「やあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「ちょっと待て! まだ四月だ。泳ぐにはまだ早い!」

 

俺の叫びが届いたのか、届いていないのか、それは分からないが少女は走る足を止めるつもりも緩めるつもりもないようだ。いくら俺が男で相手が少女だとしても、流石にここからでは距離がありすぎる。どうやっても数秒ばかり間に合いそうになかった。

 

 

「ちょっと待って! 死ぬから! 死んじゃうから!」

 

少女の後ろから抱き着くようにして動きを止める人影が現れた。

 

「高海、よくやった!」

 

ここ毎日顔を合わせている彼女は高海千歌。俺が副担任を務めるクラスの女子生徒だ。

 

「せ、先生!?」

 

後ろから少女の腰に手を回し抱き着くような形で彼女の動きを止める高海がこちらを向く。その顔には少しの驚きが見て取れる。

 

「離して! 私は行かなくちゃ行けないの!」

 

数秒あれば十分だ。

 

二人に追いつくと少女の手を掴もうと手を伸ばす。

 

その瞬間だった。

 

もみ合うように動いていた二人の足が堤防の窪みに躓いた。

 

傾いた姿勢。一瞬少女と目が合った。少女の大きな瞳に俺の間抜けな顔が映る。

 

少女は何故か伸ばしていた俺の手を掴む。いくら俺成人男性でも女の子二人に引っ張られれば体制を崩す。普段から運動でもしていればそんなことはなかったのだろうが、生憎俺は不健康を素でいくダメ男子だ。筋力何て高校時代に比べれば全くと言っていいほどなくなっていた。

 

もう少し大学時代に勉強しておけば良かったなぁ――なんて反省をする暇もないまま――

 

「へっ?」

 

「はっ?」

 

「ほっ?」

 

三者三様の声を出し。

 

――ボッジャン!

 

最後に四月の海はとても冷たかった、とだけ記しておこう。

 

 

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