ゼロからのシンデレラ   作:powder snow

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第三十七話

「おはようございます。――あ、川島さん、早苗さん。もういらしてたんですね」

 

 プロジェクトルームの扉を開いて楓が中へと入って来る。そんな彼女の姿を見て、待ってましたとばかりに、先に来ていた瑞樹と早苗が彼女を取り囲んだ。

 

「おはよう、楓ちゃん」

「楓ちゃんっ! ねえ、ねえ。昨日あれからどうなったの? プロデューサー君とはうまくいった?」

 

 結果が気になって仕方ないのだろう。早苗が食い入るような視線を楓に向けながら、今か今かと報告を待っている。そんな二人へはにかんだ笑顔を向けながら、楓がちょっぴり控えめなピースサインをしてみせた。

 

「はい。おかげさまで、無事にプロデューサーとお付き合いできることになりました」

「――――っ! よっしゃああああああああっっ!!」

 

 楓の報告を聞いた瑞樹と早苗が、ガッツポーズを取ってから両手でハイタッチを交わす。勝利を確信していたとはいえ、やはり本人の口から聞くまでは安心はできないものだ。しかしこれで僅かばかりの懸念もなくなったことになる。

 

「良かったわねぇ、楓ちゃん。本当におめでとう」

「ありがとうございます、川島さん」

「いやぁー、私は全然心配してなかったんだけどね、早苗ちゃんが気になって仕方ないって言うから、こうして朝から待ってたのよ」

「なに言ってるのよ。瑞樹ちゃんが先に行って楓ちゃんを出迎えようって言ったんじゃないのっ。まあ、なんにしても良かった、良かった!」

 

 早苗が満面の笑みを浮かべながら、楓の肩をぽんぽんと叩いている。瑞樹も楓に寄り添いながら、嬉しそうに微笑んでいた。そんな風にまるで我が事のように喜んでくれる二人の姿を見て、楓は心がふんわりと温かくなるような心地を感じていた。

 

「川島さん、早苗さん、昨日は本当にお世話になりました。このお礼は、いつか必ず」

「そんなの気にしないで。それよりも楓ちゃん、今晩は飲みに行くわよ~! 祝杯を上げるんだからっ」

 

 早苗が乾杯をするジェスチャーを交えながら、優雅に右手を掲げる。そしてそれを合図にしたかのようなタイミングで再び扉が開いた。

 

「おはようございます。……あ」

 

 中に入って来たのはスーツ姿の綾霧。彼は真っ先に視界の中に楓の姿を認めると、少し照れたような表情を浮かべながら、目線を合わせていった。

 

「おはようございます、楓さん」

「はい。おはようございます、プロデューサー」

 

 彼に微笑みで応えてから、楓が綾霧に向かって歩みを進める。しかしそんな彼女よりも先に、早苗と瑞樹が彼を取り囲んでしまった。

 

「来たわねプロデューサー君っ! いい? 今晩飲みに行くわよ! 残念だけど今日に限り拒否権は認めないわ」

「え? いきなりなんですか、片桐さん?」

「もう、とぼけちゃって。ネタは上がってるんだからねっ!」

 

 このこのっという感じで肘で綾霧をつつく早苗。

 そんな彼女の言葉と反応から、楓とのことが伝わっているのだと察した綾霧が、もう話しました? と視線で楓に訴えかけた。それに対して彼女がこくんと頷く。

 あまりおおっぴらにすることでもないが、早苗と瑞樹は当事者なので、出勤してから話そうと楓と話していたのだ。

 

「えっと……」

「フフ。私も興味がないわけでもないし? 質問攻めに遭うのは覚悟しておいてね、プロデューサー君」

「質問攻めって……」

「やっぱり昨日あれからどうなったのかとか知りたいじゃない? まあ、答えられる範囲はあなたが決めてくれていいから。祝杯も兼ねて飲みにいきましょ」

「ははは……」

 

 瑞樹が綾霧の肩をぽんと叩きながら、可愛くウインクしてみせる。それに対して彼は苦笑を浮かべながら曖昧に返すことにした。来る前からこういう流れになるだろうとは予想していたが、実際に攻められると返事に困ってしまうものである。 

 そんなふうに戸惑う綾霧の姿を見て、楓が楽しそうに目を細めていた。

  

「プロデューサー。今晩、頼りにしていますからね」

「あの……他人事のように言ってますけど、楓さんも当事者なのわかってます?」

「もちろん、わかっていますよ。でも今の私に怖いものなんてありませんから、どんな質問でもどんと来い。ですね」

「……」

「あ、そうそう。当事者と言えば夜が一番長くなる日があって――」

「……それ冬至ですよね、楓さん」

「あら。じゃあ卒業式なんかで学生が――」

「それは答辞」

「ふふっ。最近突っ込みの速度が早くなってきてますね、プロデューサー。良い傾向です」

「誰の所為ですか、誰の……」

「私の所為ですよね」 

 

 綾霧の返しを受けた楓が、クスクスと笑いながら彼の隣に並び立った。

 最近は同じような言葉を並べるダジャレ以外にも、こういう感じの言葉遊びをすることが楓の中で増えてきていた。いつもすかさず綾霧が返してくれるので、それが楽しいのだ。

 傍から見ているとじゃれているように見えるが、こういうところは付き合う前から変わらない光景である。

 そんな二人の様子を眺めながら、早苗と瑞樹が嬉しそうに口元をほころばせていた。

 

 

 

 凪ぎの期間というわけでもないが、一つの大きな仕事を終えて、プロダクション全体が少し落ち着いた雰囲気に満たされていた。新たに大きな取り組みとしてシンデレラプロジェクトを開催するなど、次の目的へ向けて舵を取る時期という感じだろうか。

 綾霧の部署にもそういう風は吹いていて、楓にはCMの出演が、瑞樹は愛梨と組んでのレギュラー番組、早苗はユニットを組んでの活動など、次の仕事に取り組みつつある。

 文香も当初に比べればかなり地力がついてきていて、そろそろミニライブでも行おうかと綾霧は考えていた。また新たに彼の担当アイドルとなった幸子も、相変わらずバラエティ番組に引っ張りだこである。

 

「最近なにか良いことでもあったんですか、プロデューサーさん」

「え?」

「なんだかとても良い表情をしていますから。エネルギッシュっていうんですか? 気力に満ち溢れているような感じを受けます」

 

 プロデューサーデスクに着いている綾霧に、ちひろが持参した資料を差し出しながら話を振った。

 

「そう見えます?」

「見えますよ。お仕事の調子も良いみたいですし」

「……まあ、最近は色々と充実してて、プロデュース業にも自然と力が入るっていうか、漲ってるかもしれませんけど」

「それは良かったです。なら、一つくらいお仕事頼んでも大丈夫ですよね?」

 

 そう言ったちひろが資料のページを開いて綾霧に見せる。どうやら表題に書いてある“地下アイドル”について話したいことがあるらしい。

 ちなみにプロデューサーオフィスの中にいるのはちひろと綾霧の二人だけである。楓たちは雑誌社の取材を受けている最中で、文香や幸子は学生らしくまだ学校にいる時間帯である。

 

「プロデューサーさんは地下アイドルってご存知ですか?」

「地下アイドル……インディーズなんかで独自にアイドル活動している人たちのことですか?」

「ええ。メディアへの露出を控え、主にライブ活動などを軸に頑張っている人たちを指すことが多いですね。事務所に所属していない人もいますし、メジャーデビューを夢見ての下積みだと捉えていらっしゃる方も少なくありません」

 

 先日綾霧が出会った島村卯月のように、アイドルという職業を目指し、養成所に通いながらオーディションを受けるという方法を選択する人がいる一方で、独自にアイドル活動をしながら上を目指すという人も多くいた。

 地下アイドル、ライブアイドルなど幾つか呼び名はあるが、共通してファンとの距離が近いということがあげられるだろう。年齢層や芸風も多岐に渡り、個性的な人物も多い。

 そう前置きしてから、ちひろが開いていた資料の一部分を指し示しながら、綾霧に目を落とすように促した。

 

「今私たちのプロダクションでは、多くの人材を求めています。シンデレラプロジェクトもそうですが、将来的に幅広いジャンルで活躍できるようにと、多方面へアプローチを広げているところなんですよ」

「シンデレラプロジェクト、かなり大規模に展開するみたいですよね」

「ですね。オーディションも二回行いますし、スカウトにも力を入れています。ただあちらは十代の女の子が中心になってしまいますから、その枠から外れたところにも手を伸ばしたいんです」

「それで地下アイドルですか?」

「はい」

 

 返事をしたちひろが資料のページを捲る。そこには地下アイドルたちの現在の活動状況などが写真付きで描かれたいた。

 

「実はこちらで何人かピックアップしているんですが、プロデューサーさんに一人、サポートをお願いできたらなと思いまして」 

「サポートですか?」 

「はい。新人アイドルと違ってある程度の下地は出来ていますからね。あと年齢的にもこちらの部署が一番馴染むかなと」

「ああ、そういう事情が……」

 

 事務所内の共通認識として、綾霧の部署は所属アイドルの平均年齢が比較的高いというイメージが持たれてしまっていた。文香が加わったりもしたが、やはり楓、瑞樹、早苗といった面々のインパクトが強く印象に残ってしまうためだろう。

 そういう関係で、こういった頼まれごとには慣れてはいたのだが。

 

「面談のようなものをしていただいて、よろしければ力を貸してあげてください。詳しいプロフィールは冊子の一番最後にまとめてありますから」

「承知しました、千川さん。一度会って話をしてみます」

 

 資料の最後に付箋が貼ってあり、そのページが該当者なのだろうと当たりをつけた綾霧が、さっと指でページを捲ってそこまで開いてみた。

 

「あ……」

 

 そこにあったのは見慣れた顔写真と、安部菜々というこれまた聞きなれた名前だった。

 

 

 

「わー! ひっさしぶりだねぇ綾霧に楓ちゃん。元気そうでなによりだ!」

 

 某月某日。クラシカルで瀟洒な雰囲気の喫茶店。その奥まった一角に元気な女性の声が響いていた。そんな声の主とテーブルを挟んで対面側に、綾霧と楓の姿があった。

 

「お久しぶりです、社長さん」

「ご無沙汰してます。社長もお元気そうでなによりです」

「アハハ。もう社長じゃないってば。そだねー、美咲さんと呼びなさい」

 

 あっけらかんとした調子でそう言った社長――以前の事務所で綾霧たちがお世話になった――彼女が、目の前にある紅茶に手を伸ばしていく。

 小さな身体と明るい雰囲気、そして比較的幼い容姿のためか、年齢よりも随分若く見えてしまうが、もちろん綾霧や楓よりも年上である。

 

「最近の調子はどう? ってメディアで楓ちゃんの名前を見ない日はないってくらい大活躍だし、聞くだけ野暮ってものかな」

 

 口をつけたカップをテーブルに戻しながら、社長が快活な笑顔を浮かべる。実際に彼女の言った通り、テレビ、ネット、雑誌などのメディアで高垣楓という名前を目にする機会は随分と増えていた。

 実際に彼女の歌を聴いたことがなくても名前は知っている、聞いたことがある。そういう層も着実に増えている。

 

「すっごい頑張ったんだね、綾霧も楓ちゃんも。アタシも自信を持って送り出した甲斐があるってものだよ。まあ、シンデレラガールの件はちょっと残念だったけどさ」

「……頑張れたのは、楓さんやみんながいたからです。俺だけだったら、ここまでの成果は出せていませんよ」

「良い仲間に巡り合えた?」

「はい」

「そっか。良かったなあ、綾霧」 

  

 即答した綾霧の姿を満足気に見つめながら、社長が大きく頷いた。それから、彼の隣に座っている楓に目を向ける。

 

「ねえ楓ちゃん。瑞樹ちゃんは元気?」

「はい、とても元気ですよ。というか元気さで言えば私たちの中で一番かもしれません。川島さん、若い子には負けないわよーっていつもはりきってますから」

「なにそれー。瑞樹ちゃんだってまだまだ若いのにねぇ。でも彼女らしいなー」

 

 にひひと表情を緩めながら、社長が可笑しそうにお腹を抱えている。彼女からすれば瑞樹も年下なわけで、そのあたりがつぼに入ったのかもしれない。 

 

「みんな元気にやってるようで嬉しいよ。活躍してるのは知ってるし見てるけど、こうして直に聞くと安心する。こないだのライブも見に行ったんだよ、アタシ」

「え? 社長来てくれてたんですか?」

「行ったよー。凄かったね、感動しちゃったよ」

「……っ。事前に言ってくれたら、チケットくらいはご用意できたと――」

「めちゃくちゃ忙しい時期でしょ? それに手を煩わせたくなかったしさ。楓ちゃんや瑞樹ちゃんの姿を通して、アンタの活躍も見れた気がして、行って良かったって思った」

 

 アイドルとプロデューサー。その関係性を知っているからこそ得られた感動もある。そう社長が控えめに付け加えた。 

 

「それで綾霧。アタシに話したいことってなあに? なにか大切な用件があるんでしょ?」

 

 一旦、間を作るために紅茶に口をつけてから、社長が本題に入ってきた。今日は話したいことがあるという名目で、彼女に時間を作ってもらっていたのだ。

 

「はい。実は、その……」

「ん?」

「えと……」

 

 いざ喋りかけたものの、その途中で言葉を止めた綾霧が、相談するような感じで隣の楓を見やった。すると楓も綾霧のほうを見ていたので自然と視線がかち合ってしまう。

 暫し、沈黙しながら見詰め合う二人。

 そうやって、まるで目線で会話するような仕草をする綾霧と楓を、社長が怪訝な表情で眺めていたのだが――

 

「……あの社長。実は……俺たち正式に付き合うことになって、今日はその報告に――」

「ええええええっっっ!?」

 

 驚いたという風に声を上げ、社長がテーブルに手を付いて席を立った。といっても彼女はかなり小柄なので、椅子に座っている時とあまり背格好に大差はない。

 

「お付き合いって、楓ちゃんと綾霧が?」

「そうです……ね」

 

 答えたのは綾霧。次いで社長は楓の方へ目を向けて

 

「恋人同士になったってこと?」

「……はい」

 

 照れたように俯き加減になりながら答える楓。

 アイドルとしてもプロデューサーとしても駆け出しの頃から知られている相手なので、こういう報告をするのはやはり気恥ずかしいものがある。

 

「綾霧の彼女が楓ちゃんってことだよね?」

「……俺の彼女が楓さんってことです」

「いやー、これは目出度いねえ! っていうか実はそういう話が来るんじゃないかって内心思ってたんだけどさ。いざ聞くとやっぱり驚いちゃうよ!」

 

 太陽のような笑顔を浮かべながら、社長がぐいっと身を乗り出してくる。興奮しているのも伝わってくるが、それ以上に喜んでくれているのが強く感じられた。 

 

「いずれはくっつくんだろうなって感じてはいたんだけどね」

「……社長、俺が楓さんのこと好きなの知ってたんですか?」

「気付くでしょー! 楓ちゃんもアンタのこと好きみたいだったし。ただ綾霧が楓ちゃんに告白するって結構ハードルが高そうだから、時間はかかるかなって思ってたけどさ」

 

 座りなおしながら社長がまくし立てる。やはり彼女も女の子なので、こういう話題への食いつきには凄いものがあった。

  

「そっかー。遂にかー。じゃあそのあたりの話をじっくりと聞かせてもらっちゃおうかな。あ、こっちから質問してもいい? そっちのほうが話しやすいんじゃない?」

 

 そんなこんなで、これから一時間ほど、社長のトークに付き合わされる二人であった。

 

 

「あのさ、楓ちゃん」

「はい、なんですか?」

 

 会計を済ませるために、綾霧が伝票片手にカウンターまで足を運んでいる。それを少し離れた位置で楓と社長が見守っていた。

 

「綾霧は不器用だけど、根は真面目で頑張り屋だし、長い目で見てやって欲しいんだ」

「え?」

「んと……この先さ、失敗もするかもしれないし、挫折を味わうかもしれない。でも楓ちゃんが傍にいたらアイツは頑張れる。だから……見捨てないで、末永く付き合ってやって欲しいなって」

「そんな、私の方こそプロデューサーに見捨てられないようにしないと」

「アハハ。そんなことは天地がひっくり返ってもありえないよ」

 

 絶対にありえない。そう聞いた楓が優しい声音で社長に返す。

 

「なら、安心ですね。だって私が彼の傍を離れることも絶対にありえませんから」

「……そっか。ありがとう、楓ちゃん」

 

 二人の見つめる先で、綾霧が会計を終えるのが見えた。

 程なく二人のところまで戻ってくるだろう。

 

「楓ちゃん、ちょっとだけ耳を貸してもらっていい?」

「え? はい」

 

 ちょいちょいと手招きする仕草をつけて、社長が楓にお願いをする。それを受けて彼女が屈むようにして姿勢を下げた。そんな楓の耳元で社長が小さな声音で囁く。

 

「あのね、結婚式には絶対呼んでよね」

「っ!?」

 

 そんなタイミングで綾霧が二人の元まで戻ってくる。だが楓が微妙に表情を赤くして突っ立っていたので、怪訝そうに小首を傾げた。

 

「なにかあったんですか?」

「ん、別にぃー。女同士で内緒話をしてただけだよ」 

「え? 内緒話って……え?」

「まあ、いずれわかるって。時期は……アンタ次第かな?」

「はあ……」 

 

 社長から全く意味不明の言葉で返されてしまった綾霧は、こちらも曖昧な返事をするしか答えようがなかった。

 

 

 


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