わするばかりの恋にしあらねば   作:なんじょ

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 ――藍の色をしたその瞳はいつも、ここではない何処かを見つめているようにとらえどころがなく。

 ――いずれ跡形もなく消え失せてしまうのではと、らしくもなく不安に駆られ。

 ――そうして、私は過ちを犯したのだ。

 

* * *

 

 夜も更け、騒々しかった街中がようやく寝静まる頃。

 海の方から鳴り響いた船の汽笛は、しじまに吸い込まれて消えていく。

「……今日のところは何も無いようですね。街は静かなものです」

 窓辺に立って彼方を眺めていた女が、ふと口を開いた。

 先ほどから書き物に集中していた九葉が顔を上げると、特務隊の制服に身を包んだモノノフが、静かに窓を閉めるところだった。

 そのようだな、と最後の署名を終えた書類を片付け、九葉も腰を上げる。

「だがこのところ、鬼の動きが予想以上に活発化している。おそらく近日中に、異変は起きるだろう。その時に我らが対処できるように、ゆめゆめ油断するな」

「分かっていますよ、軍師九葉。そう念を押されると、逆に不安になります」

 言葉とは裏腹に、からからと笑う様には緊張感がない。変に気負って失敗するよりはいいが、気を抜きすぎではないか、と呆れてしまう。

 九葉は彼女に歩み寄ると、その肩を軽く押して、扉の方へ向けさせた。

「重々理解しているというのなら、今日はもう休め。明日は周辺の哨戒任務のはずだろう」

「あなたは? まだ休まないのですか」

 ちらり、とその視線が向いた先では、これから手を付けようと思っていた報告書の束が机の上に鎮座している。致し方あるまい、と九葉は肩をすくめた。

「徹夜は慣れている。お前に今更気遣われるまでもない。私を労わるのなら、鬼を一匹でも多く狩ってくるのだな」

「そろそろ夜更かしも辛いお年頃でしょうに、頑張りますねあなたは」

「煩い、いいからさっさと自分の部屋に帰らんか」

 彼女から年の事を言われると、大人げないと思いつつ苛立ちを覚える。できればそういう事を言わないでほしいと思っているのを自覚して、情けなくなる。

 その苛立ちのせいか、つい力を込めて彼女を部屋の外へ押し出してしまったが、

「!」

 不意に彼女が振り返りざま、かすめるように唇を重ねてきたので、一瞬硬直してしまった。相手は凍り付いた九葉を、小悪魔めいた憎らしくも可愛らしい表情で見上げた後、

「ではおやすみなさい、九葉。あまり無理をしないでくださいね」

 にっこりほほ笑んで歩み去っていった。

「…………」

 その後ろ姿を見送った九葉は、周りに人の目がなかったか確認してから、我知らずため息を漏らしてしまった。

 ……これだから、嫌なのだ。良い歳をして年下の女に翻弄されるなど、みっともないにもほどがある。

 

* * *

 

 九葉と彼女の出会いは、今から数年前に遡る。

 今も当時も九葉は己の配下たる特務隊を率いて、鬼との戦を続けて各地を転戦していた。

 人目を避けてひそかに戦い続けるさなか、とある幽谷に入り込んだ際、その場で行き倒れている彼女を見つけて保護した。

 彼女の来歴は、分からない。

 身元が分かるようなものは何も身に着けていなかったし、本人は記憶の大半を失っていた上、一体何があったのか、体の内も外もずたずたに傷ついて、虫の息だった。

 それを手当てして何とか回復する頃に唯一、自分はモノノフだったと言ったことだけが、身分を証する手がかりだった。

 半信半疑でその力を試してみた九葉は、すぐその異能に驚くことになる。

 彼女は普通一人一つしか宿せないミタマを、その身に複数宿す事が出来た。

 更にその戦闘技術は目を瞠るものがあり、粗末な装備であっても大型鬼を圧倒するほどの力量を備えていたのだ。

 これは使える。

 九葉は拾い物をモノノフとし、配下の特務隊に組み込んだ。そして相手もまた、その期待に応えた。

『鬼を討つ。私がすべきことは、それだけです』

 瀕死の状態からようやく生きかえった折、彼女はそう告げた。

 その目的以外はどうでもいいとさえ言いきる彼女にとって、九葉の思惑は都合が良かったのだろう。新人モノノフは精鋭ぞろいの特務隊の中でめきめきと頭角を現し、やがてその筆頭にまで成り上がった。

 今や、モノノフで彼女の名を知らぬ者はいない。

 あまりにも突出した才と数限りない武功をさして、皆は英雄と呼びたたえるようになった。

 そうして勇名をとどろかせるようになった彼女は、しかし今も昔も驕ることなく、己の任に忠実であり、九葉に対してもゆるぎない信頼を寄せてくれている――否、信頼といっては足りない。

 今に至ってそれは、愛情とも言うべきものに、変わってしまっている。

(私が、悪いのだろう)

 と九葉は後悔している。

 えこひいきをしたつもりはないが、秀でた才の部下を得た事に喜び、九葉は何くれと目をかけた。

 用心深く人と距離を置きたがる自分にしては、彼女に対してはかなり馴れ馴れしく接してしまったように思う。

 そのせいなのか、ある日二人きりになった時、ふと妙な雰囲気になり――気づいた時には、彼女と口づけを交わしていたのだ。

 九葉はすぐさまそれを無かった事にしようとしたが、しかし以来、彼女は憚ることなく、悪戯めいたちょっかいを出してくるようになった。

(気の迷いにもほどがある)

 こんな関係は不適切で、元に戻さなければと思う。

 だが、九葉とて男だ。

 手塩にかけて育ててきた部下から無邪気に好かれること自体は不快でもなく、思い切って突き放す事が出来ず、心中葛藤がつきない。

(あやつが鬼を討つ以外の生きる目的を見つける事自体は、いい)

 記憶を失った天涯孤独の身、女一人で生きていくには、この世界は非情に過ぎる。

 いつ果てるとも知れない鬼との凄惨な戦いの中でのみ生きるよりも、人の世で寄り添える相手を見つけ、生きがいとするのなら、それもよしと思う。

(だが、その相手がよりによって私では)

 とても甲斐などない、と思う。

 いくつか正確に分からないが、彼女はおそらくまだ三十にも届かぬ年で、四十を迎えた自分とは随分年の差があるだろう。器量よしの彼女なら、同じ年頃の適切な相手はいくらでもいるはずだ。

 それに九葉自身が、寄り添う人間を必要としていない。

(私の行く道に、付き添いは不要だ)

 どれほどの犠牲を出そうと、どれほどの非難を浴びようと、九葉は鬼と戦い続けると決めている。

(私がなすべきは鬼を討ち、人の世を取り戻す事。それ以外の些末事に関わっているいとまはない)

 人並みの幸せなど望んではいない。鬼を討つ鬼に、そんなものは必要ない。

 ましてや、これまで何人も犠牲を強いて己だけ生き延びてきた九葉に、どうして人を愛する事など許されよう。

 ゆえに九葉は、決断を下す事にした。

 

* * *

 

「……転属……ですか?」

 茫然とした声が返ってくる。その顔を見るに堪えず、九葉は手元に視線を落したまま話を続けた。

「そうだ。この横浜での任をもって、お前を特務隊から外す事にした。次の任については、霊山に帰ってから話すことになるだろうが……」

「……何故です? 私が何か、不手際をしましたか?」

 九葉の言葉をさえぎって、彼女が机にだんと手をついた。戸惑いと憤りを含んだその声が耳に刺さる。九葉は顔を背け、

「いいや、お前は十二分にやってくれている。ただ、この任務でお前の役割が終わった、というだけの事だ」

 淡々と告げる。机につかれた手が、ぎゅっと拳を形作った。納得できません、と震え声。

「私を拾ってモノノフにしたのはあなたでしょう、九葉。なぜ急に放り出すような真似をするんです」

「放り出すわけではない。次の場所でも不足なきよう手を配ろう」

「次の場所なんて……私の居場所は、ここだけだと思っているのに」

 九葉、と名を呼ばれて、つい顔を上げ、そして後悔した。彼女は碧眼を潤ませ、今にも泣き出しそうな顔で九葉を見つめている。

「……、」

 何か言おうとして、しかし言葉は喉につかえて出てこない。だが、彼女がすがるように伸ばしてきた手が自分の手に触れた時、九葉はびくっと反射的に身を引いてしまった。

「っ……、九葉……」

 それで、悟ったのだろう。彼女は息を飲み、それから不意に身をひるがえして背を向けた。

「……分かりました。あなたが決めた事なら従います」

 凛とした声で答え、そのままツカツカと出口へと歩を進めた。その背中は一切を拒絶するように強張り、震えている。

「……っ」

 思わず、口を開く。名を呼ぼうと、喉が動く。

 だがそれを果たす前に、彼女は扉を開けて出て行ってしまった。バタン、と無慈悲な音が部屋の中に響き、九葉をその場に釘付けにする。

(――これで良かったのだ)

 いつの間にか椅子から腰を上げていた九葉は、凍り付いたように扉を凝視しながら思う。

(私の傍にいては、お前の為にならぬ。お前はもっと、自由に生きるべきだ)

 言い聞かせるように繰り返すのは、彼女の為ではなく、自分の為だ。自分の選択が誤っていないのだと、思いたいからだ。

 九葉は机の上で拳を握りしめ、歯を食いしばった。

(今はこんな事に思い煩っている時ではない。鬼に、備えなければ)

 未曽有の危機が迫っているのだから、そちらに意識を集中せねば。そう気持ちを切り替えるべく、どさりと座り込んで、たまった書類に視線を投げかける。ため息をついて、再度筆を手にしたところで、

 バタン!!

 突然扉が勢いよく開き、先ほど立ち去ったばかりの部下がドカドカと足音荒く入室してきた。

「な、何事だ?」

 まさか戻ってくるとは思わなかったので、口ごもりながら立ち上がる九葉。対して彼女は、

「転属せよとのご命令を受けたので、宿舎を変えます。長らくお世話になりました軍師九葉、今日を限りにさようなら!!」

 目にいっぱい涙をためているくせに、大声で勢いよく宣言した。その手にはまとめた手荷物一切合切を抱えており、出て行こうとしているのは本気らしいのが見て取れる。待て、と九葉は慌てて駆け寄った。

「話を聞いていなかったのか、転属はここの任務が終わってからだと言っただろう」

「任務はこなします、場所を変えたいだけですっ」

「特務隊は所定の位置に配置するよう決まっている、お前だけ単独行動を許すわけにはゆかぬ」

「どこで何をするかは全部頭に入っています、皆の足手まといになったりしません、ただっ」

 大きくかぶりをふった時、瞳から涙の珠が落ちる。流れ落ちる涙をぬぐいもせず、

「……ただ、今だけでも、あなたの居ないところに行かせてください……」

 消え入るような小声で囁く。その言葉が耳に届いた瞬間、

「……っ」

 九葉は何も考える余地もないまま、彼女の手をつかみ――その体を自分の腕の中へと引きよせていた。

 

* * *

 

 頭が、おかしくなっている。

 こんな時にこんな事を、この相手にしてはいけないと理性は盛んに警鐘を鳴らしているというのに、自分はそれに逆らおうとしている。

「……本当に、良いのか」

 恐る恐る問いを発したのは、灯りを落とした部屋の中、互いの呼吸を奪い合うような口づけを重ねた後。

 かすれた声で問いかけると、彼女は乱れた呼吸を整えるように唾をのみ込み、

「……何がです」

 小さく呟いた。その瞳が潤んでいるのは、先ほどの涙とは異なる理由からだ。白い頬はほんのり赤く染まり、唇は口づけの跡を残して艶やかに輝いている。

 今まで見た事のない、女の顔。

 それに触れる事が恐ろしく思えて、九葉は今一歩踏み出せずにいた。

(私の居ないところへ、行くな)

 反射的にそう考えて彼女を抱きしめ、気づけば二人して床の上にいる。自分のなしたこととはいえ俄かには信じがたく、九葉自身が事態についていけていなかった。

 ましてや彼女にしてみれば、青天の霹靂と言うものだろう。ゆえに、問いかけずにはいられない。

「嫌がるものを無理強いする趣味はない。まして今は危急の時だ、このような……遊興に割いている時間も、ない」

「……遊びなんですか? これは」

 湿った藍の瞳が九葉の目を間近から覗き込む。その唇から漏れた吐息が顔に触れて、九葉は瞬きをした。応と言うわけがなく、かといって否とも即答しがたく、言葉に詰まる。

「……お前が嫌なのであれば、私は」

 かろうじて吐き出すと、彼女はふ、と笑った。

「私の答えは決まっています。今更言うまでもありませんけど」

 こちん、と九葉の額に自身の額を当てると、優しく問いかけてくる。

「……あなたは、九葉? あなたは――私を欲しいと思ってくれている?」

「っ……」

 今度こそ二の句が告げられず、九葉は奥歯を噛んだ。

 それは、本当に今更。そうでなければ、そもそもこんな暴挙に出ていない。

「……後悔を……することになるかもしれん」

 そっと、柔らかな頬に触れる。長い黒髪が指に絡まり、下に撫でおろしていくと、するりとほどけて肩の上に落ちた。九葉の素直な不安の露呈に、彼女はふっと目を細め、彼の手を包んだ。大丈夫と囁きながら、その掌に唇を寄せる。

「大丈夫、九葉。後悔なんて、しないから」

 ……だから、あなたと共にいさせて、と。

 優しく、柔らかく語りかける彼女の言葉に、最後の理性が解かされる。

「――っ」

 九葉はその名を、恐れるように、愛おしむように口にして、彼女と共に床の上に身を横たえた。

 

 

 そうして、忘れられぬ一夜を過ごした後。

 横浜の地はオオマガドキによって、跡形もなく壊滅し――九葉は大勢の部下と、唯一無二の存在たる彼女を、失ったのだった。

 

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