わするばかりの恋にしあらねば   作:なんじょ

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 ――そしてまた、時は流れる。

 

 軍師識によって蘇った災厄の鬼、トキワノオロチを見事討伐してから一か月後。

 二年前の戦役でお頭を失ったマホロバの里において、イツクサの英雄・紅月がその跡を継いだ。その彼女が初めて下した勅令は、対立していたサムライと近衛を解体し、統合する事だった。

 それまでの歴史を顧みれば互いの憎悪は深く、その溝は決して埋まる事はなかろうと目されていた鬼内と外様はしかしこれに同意し、一つの隊として再編成され、新たな歴史を刻むこととなる。

 

 そして記念すべき日の夜、お頭任命式が終了した後の岩屋戸では、里をあげての宴が催される事となった。

 神垣の巫女たるかぐやを上座に、お頭詮議を行った軍師九葉、新たなお頭の紅月が左右を埋め、一段下がって近衛の八雲、サムライの刀也、カラクリ使いの隊長が座す。

 その前には、端も見えぬほどの広間に新討伐隊の隊員全員と里人が祝い膳を前にずらりと並び、開始を今か今かと待ちわびてざわついている。

 それを受けて初めの挨拶を受け持ったのは紅月だった。

「……皆、務めを終えてご苦労様でした。日々の疲れを今日の宴で癒し、新しき友と共に過ごして新たな活力としてください。それでは、乾杯!」

 乾杯、と皆が唱和して空気が揺れる。

 隣近所のものと盃を重ね合わせるもの、一気に干しておかわりをねだるもの、この日の為にと贅を尽くした色鮮やかな膳にさっそく箸をつけるもの。皆が思い思いに語り始め、宴は和やかに始まり――

 

「……何だと、この私の酌が受けられんというのか、カラクリ使い!」

 数刻後、どうしてこうなった。

「い、いや八雲、私はもうそろそろ、酔いが回ってきそうだから……」

 ずいずいと突き出される徳利を何とか押し返そうとするのだが、完全に酔っぱらっているらしい八雲はお構いなしに、

「隊長たるもの、この程度の酒に飲まれてどうする。いいか、お前は今日からこの討伐隊の隊長となったのだ、隊長としてどうあるべきかを常に念頭に置き、それに相応しいふるまいをだな……」

 注いでいるのかこぼしているのか分からない怪しい手つきで猪口に酒をつぎながら、長々と説教をしている。

 先ほどからこの調子でずいぶん飲まされているので、こちらとしてはそろそろ勘弁していただきたいのだが。

(刀也は何処かへ逃げてしまったし、紅月は焔にお説教してるし、かぐやはもう遅いからと途中で下がってしまったし)

 頼みの網の椿はと見れば、何やら神無と向き合って、いやにらみ合って? いるから、また何か勝負でもしているのかもしれない。

 他の面々もそれぞれ楽しそうに過ごしているから、邪魔をするのは忍びない気がする。

(困ったな……もう八雲と私のどちらかが酔いつぶれるまでの勝負にするしかないのかな)

 八雲はもうすっかり酔っているし、こちらもそこまで酒は強くない。このままでいけば遠からず終わりを迎えるだろう、それまでの我慢だと腹をくくったその時、

「……おい、何をしてるんだ? 助手二号」

 ひょい、と背後から博士が顔を覗き込んできた。至近距離に現れたので思わずのけぞり、

「おっと危ねぇ。おいおい、だいぶフラフラしてんじゃねえか。そろそろ仕舞にしたらどうだ」

 その背中を時継が支えてくれる。ありがとう、と振り返って礼を言ったが、頭がくらくらするし、汗をかくほど体が熱くてたまらないし、確かにもう危ない気がする。

「なんだお前たちは、邪魔をするな。私は今、カラクリ使いに隊長としての気構えを……」

「あー分かった分かった、いいから落ち着けよクジャク頭」

「クジャ……!? カラクリ人形がこの私を侮辱するか! そこになおれ時継、今日こそ貴様の性根を叩きなおしてくれる!」

「うぇっ? おいおい冗談よせよヒヨッコ……って、何でこんなところに双刀持ってきてんだよ!?」

「私はかぐや様の近衛、いついかなる時も御身をお守りするのが役目だ!」

「かぐやはもう引っこんでんだろうが、おいちょっとマジでよせって!」

「……バカは放っておいて、だ。大丈夫か、確かにずいぶん酔ってるみたいだな」

 バタバタと暴れはじめた八雲と時継をしり目に、博士が自分の前にあぐらをかいて座る。それに応えて、うん、と火照る顔を扇ぎつつ、

「本当はあんまり飲めないんだけど……この場で、皆の祝い酒を断る訳にも、いかないでしょう」

「ま、それはそうだな。何といっても里の英雄が新部隊の隊長になったんだ。皆、我がことのように嬉しいんだろう。

 もちろん私も助手の出世は嬉しいぞ。今後は研究所の予算増大をよろしく頼む」

「……さすが、抜け目ない。まぁ、出来る範囲で頑張ります」

「何だ、日和見な事を言う奴だな。そこは限界ぎりぎりまでぶんどると宣言してほしいものだ。……ところで」

 水の湯呑を差し出してきた博士が、ふと声を落とした。それを有難く受け取って口をつけると、博士が広間の一角を指さして、

「あっちの方で、軍師九葉を見かけたぞ」

 と言う。ぴくっと反応して上座へ視線を走らせれば、確かに九葉の姿がいつの間にか消えている。

「一人で月見酒を楽しんでいるようだったな。お前も積もる話があるだろう、酔い覚ましも兼ねて行ってみたらどうだ」

「い、……いいのかな、行っても」

 躊躇ってしまったのは、一応曲がりなりにも自分が主賓の一人として開かれた宴で、席をはずすことが失礼でないのか気にかかったからだ。博士は肩をすくませ、

「もう誰もかれもどんちゃん騒ぎで、ただの宴会と化してるんだ。お前がいなくなったところで誰も気にしないさ。

 それにお頭詮議が終われば、軍師はこの里にいる理由がなくなる」

「!」

「その前に話す事は山ほどあるだろう? 四の五の言わずに行ってこい。痴話げんかの一つもしてきていいんだぞ」

「け、けんかはしたくない……けど、ありがとう、博士。行って来るね」

 博士の後押しを受けて、ふらりと立ち上がる。

 確かに今日をおいてほかに、彼と話す機会などもう無いかもしれない。それなら思い残すことのないようにしなければ。

 

 示された方向へ足を運んでみると、人気の少ない濡れ縁の所に一人、九葉が腰を下ろしていた。

 勾欄に軽く寄り掛かるその手元には、黒の盃と徳利がある。どうやら博士の言う通り、手酌で月見と洒落込んでいるらしい。

 騒々しかった宴の場とは一転、岩屋戸のしんとした空気の中、黙然と酒を進めている姿はどこか凛とした雰囲気を漂わせている。

 涼やかな月光がその頭上に柔らかく降り注ぐ中、長く伸びた髪が純白のせいか、九葉はほのかに輝いているようにも見えて、

(綺麗……)

 声をかけようとしたのに、思わず足を止めて見入ってしまう。が、足元で床板がぎしっと鳴ったので、

「……お前か。惚け面で何をしている」

 先に向こうが気づいてしまった。

(う、変な顔してたかな)

 少し恥ずかしい思いをしながら近づき、

「お邪魔してもいいですか、九葉。……お頭詮議のお役目、お疲れさまでした」

 まずは型通りの挨拶をする。

 相手は鷹揚にうなずき、ちらりとこちらの手元へ視線を向けてきた。自分が盃を持っていれば酌の一つでもしようと思ったのかもしれない、慌てて手を振る。

「あっ、お酒はもう結構です、ずいぶん飲まされましたから。これ以上飲んだら、倒れてしまいます」

「そのようだな。……あまり無理はするな。元より酒には弱いだろう」

「そう、なんですか? やっぱり、昔もこうでしたか」

 徳利を挟んで前に座ると、九葉はふっと口元を緩めた。

「ああ、そうだな。お前が特務隊に入って間もないころ、菓子に入った微量の酒で酔いつぶれた事があった。その後少しは飲めるようになったようだが、然程強くはなかったな」

 なるほど、その昔から弱かったのであれば、今も同様なわけだ。今後は酒の付き合いをよく注意しよう。そんな事を思いながら話を続ける。

「お頭詮議が終わって、あなたの務めもこれで完了ですね。この後は……どうするのか、決まっているんですか」

 一瞬九葉の手が止まり、すぐに盃が口元へ運ばれる。

「次の任地はまだ決まっていない。今すぐどうという事はないが、戦力を遊ばせておく余裕もない。いずれどこかへ赴くだろう」

「……西へ東へ、あなたも忙しい人ですね。いい御歳なんですから、少しは落ち着かれたらどうです」

「鬼どもの跳梁を抑える事が出来るのならば、私はいくらでも老骨に鞭打つ。ひとところに安穏としていては、新たな犠牲を生むだけだ」

 淡々と語る言葉は固い信念をひしひしと感じられて、ああやっぱり、と寂しさと同時に納得してしまう。

(この人はマホロバにとどまってはくれない)

 少し、ほんの少し期待していたのだ。

 マホロバで生きていくと決めた時、九葉もまた、自分の傍にいる事を選んではくれないかと。

 決戦を前にしたあの告白と口づけで互いに思いあっている事を確信したから、そんな未来があってもいいのではと、夢想した。

(でも、それはきっと九葉の生き方じゃない)

 オオマガドキで多くの犠牲を強いた、血塗れの鬼。話に聞いているだけでも、九葉が歩んできた道は苦難に満ちている。

 救える命は救え、自分たちに出来る事はそれだけだと無念をにじませる声音で命じる姿は、欠けた記憶の中にまだ残っていた。

 九葉は命を軽んじはしない。それどころかきっと誰よりも、多くの人を救いたいと願っているのではないかと思う――素直に表しはしないが、優しい人だから。

 そんな人が、自らの命令で数多の命を犠牲にしなければならかった事を、どうして悔やまずにいられるだろう。その犠牲を無駄にして、己だけ平穏に暮らしていこうなどと、どうして考えられるだろう。

「……あなたは変わりませんね、九葉」

 頭がふらつくのは酔いのせいか、近い将来訪れる九葉との別れを思ったせいか。

 ぽつりと呟くと、九葉は盃を床に置いて、こちらを見つめてきた。その口元が苦く笑う。

「お前に言われると、皮肉にしか聞こえぬな。老けたと言ったのはどの口だったか」

「それは、見かけの話です。だって仕方ないでしょう、

 少し前まで十年前の姿を記憶していたのに、目の前に現れたのは今のあなたなんですから。九葉だって逆の立場ならそういったでしょう?」

「そのような不用意な事を私が口走ると思うか。

 女に老けたなどと言えば、十倍百倍になって仕返しが来る。それが口だけならまだしも、お前は手も出そうだからな」

「なっ、そんな事しませんよ! ……そりゃ、ちょっとは怒るかもしれませんけど」

 他愛のない会話が、今は楽しい。心から安らぐ、そんな思いがする。

 たぶん自分は、特務隊時代もこうして九葉と軽口を叩いて笑っていたのだろう。

 命をすり減らすようにして生きてきた中で九葉と過ごすひと時はきっと、渇いた心を水で潤すような、大切で大事な時間だったに違いない。

(ずっと、こうしていたい)

 別れに思いをはせるほど、より強くそう願ってしまう。そして九葉もそう思ってくれていたらいいのに、と思う。

 切実な祈りを胸に抱いたまま、表面上はごく普通の態度で、話を続ける。

 内容はどうという事もない。

 マホロバに来てから起きた様々な出来事、仲間の話、鬼との戦の事。静かに耳を傾けてくれている九葉もまたぽつりぽつりと、こちらが望むままに特務隊時代の話を口にする。時にはおぼろげな記憶と合致する話題に行き当たる事もあり、話は尽きない。

 二人だけで静かに語り合う中、吹き渡る夜風が火照った頬を心地よく撫でていく。時々ふと落ちる沈黙も、不思議と居心地が良い。いや、居心地が良すぎた。

「――こら。そこで寝るな」

「あっ……す、すみません」

 注意されてハッと頭を持ち上げる。どうやら気づかない内に居眠りをしてしまったらしい。九葉が眉根を寄せて、

「宴で疲れているのだろう。ここでは体を冷やす、今宵はもう休め」

 そう告げた。

「でも……いえ、分かりました。そうします」

 本当は朝までこうしていたいが、確かに体が重く、体温が上がっているのか汗をうっすらかいている。

 このままでは九葉の前で失態を犯しかねない。名残惜しい気持ちはあったが、仕方なく腰を上げた。

「では九葉、お付き合いありがとうございました。お休み、……っ!」

 ぺこり、と頭を下げた途端、眩暈に襲われて視界が回る。咄嗟に足を踏み出して耐えようとしたが間に合わず、

「!」

「わぷっ」

 そのまま均衡を崩して、あろうことか九葉に倒れ込んでしまった。勢いよく飛び込んだせいで相手の胸に鼻がつぶれるほど顔をぶつけてしまい、くらくらと目が回る。

「わ、う、す、すみませ、くよう」

 失態を恐れた傍から何をやらかしているのか自分は!

 更にどっと汗が出る勢いで焦りながら慌てて離れようとした時、不意に九葉の腕が動いて腰に回った。そのままぐっと抑え込まれ、

「その有様では、無事に家路を辿れそうにもないな。

 ……私のところで、休んでいくか」

 胸にうずめた顔のすぐそばで、低い囁き声が耳に注ぎ込まれて、一瞬硬直した。

(え。え……え? 休んで、って……えっ!?」

 最後は声に出して驚き、ぱっと顔を上げた。至近距離で目が合った九葉が真面目そのものな表情をしているので聞き間違いかと思い、

「あの、九葉、えっと……それって」

 まさかと思いながら問いを発すると、九葉はわずかに視線をずらし、

「……二度はいわん」

 答えを拒絶しながら、否定はせず、腕の拘束も外さないままだ。その態度が意味するものを察した途端、体が火を噴きそうなほどカッと熱くなってしまった。

(あなたがそんな事を言うなんて)

 予想だにしなかった誘いに、声を失う。

 思いがけず密着したおかげで、服越しに九葉の温もりや鼓動が伝わってくるから、余計に恥ずかしくてたまらない。頬どころか耳まで熱を放つ自分の顔を俯かせて隠しながら、

(で、も……でも、嫌じゃ、ない)

 そう思ってしまうのが我ながら驚いてしまう。いや、驚くようなことではないのか。

(だって私、九葉に好きだと、愛してるとまで言ってしまったんだし)

 あそこまで言われてしまえば、九葉だってそれはその気になるだろうし――自分も期待をしていなかったなどと、言えるはずもない。

(……ああ、そうか。私、待っていたんだ)

 九葉が自分の言葉に応えてくれる事を。ほとんど失ってしまったあの一夜の記憶を、今の九葉が埋めてくれる事を。

 ――ゆえに。

「あの……九葉……」

 そろりと視線を上げると、九葉は答えを待って自分を見つめている。その眼差しを受け止めて、震える声で囁き返す。

 ……連れて行ってください。あなたのところへ、と。

 

* * *

 

「よぉ博士、おはようさん。隊長は……ここにもいねぇか」

「なんだ、時継。二号は来てないぞ」

 お頭任命式のあくる日。いつものように研究所で仕事を始めようとしていた博士は、戻ってきた時継の問いかけに答えた。そうか、と時継は笠を上下させて頭をかく。

「あいつの武器によさそうな素材を見つけたんで、さっそく何か作ってやろうと思ったのに」

「家にいないのか?」

「いねぇな。寝床も上がってるみてぇだから、起きちゃいるとは思うんだがな」

(…………ああ)

 ふと思い出した。昨日の宴会で、軍師九葉と話をしてこいと焚きつけた事を。あの後どうなったかは知らないが――朝になっても家に帰っていないのならば。

「……いずれふらっと帰ってくるだろう。どうせ今日は休みだ、そっちの用事が急ぎでないのなら、待っててやれ」

 色々と察して言うと、まぁ別に俺はいいんだがな、珍しい事もあるもんだと首を傾げ傾げ、時継は再び研究所を出ていく。

 その後ろ姿を見送った博士は、手元の本に視線を戻して、

(これは貸しにしておくからな、隊長。後で倍にして返してもらうぞ)

 不穏な事を考えながら、ふっふっふっと魔女じみた笑いを漏らしたのだった。

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