わするばかりの恋にしあらねば   作:なんじょ

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 さらさらと涼やかに、透き通った川の流れは続く。心を安らげるような清らかな音の中で、けれど先ほどからどうしてもそわそわしてしまう。

(……ど、どうしよう。やっぱり帰るべきかな。いや、こちらから呼び出しておいて、すっぽかすなんて失礼よね。けど、とても冷静に話せる気がしない……)

 思考は同じところをぐるぐる回り、一向に落ち着く気配がない。

 川べりを行ったり来たりしていたら、それを気にかけたサムライにどうかしたのかと声をかけられてしまったので、とりあえずじっと立ってはいるが、本当に帰りたい。

(でも、今逃げ出したところで、どうせ気になって他の事が手につかなくなりそうだから、聞かない訳にはいかないし……ああ、でも、でも、でも……)

「……待たせたな」

「!!」

 頭を抱えたくなる心境で考え込んでいたところに聞きなれた声がかかったので、思わずびくっと飛びあがってしまった。

 おそるおそる振り返ると、待ち人――軍師九葉が緩やかな坂を下ってこちらへ歩いてくるところだった。

(……き、来てしまった)

 これでもうどうしようもなくなった。今すぐ脱兎のごとく逃げ出そうとする足を精一杯踏ん張り、

「ぐ、軍師九葉。お忙しい中、お時間を取らせてすみません」

 緊張のあまり、固い口調で応じる。自分の前で歩を止めた軍師は軽く眉を上げ、

「……わざわざ手紙で呼びだすくらいだ、よほどの事と見たが……用件は何だ?」

 さっそく切り込んできたので、う、と言葉に詰まり、視線を泳がせてしまう。

 彼が来るまでにどう話そうか散々悩んだくせに、いざ目の前にすると、喉に引っかかったように何も出てこなくなってしまった。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 不自然な沈黙を、清流と木々の葉擦れ、鳥の澄んだ鳴き声が埋めていく。その間がしばらく続いた後、

「…………用件は何だ、と聞いているのだが。呼び出しておいて、お前はなぜ黙り込んでいる」

 いい加減焦れたらしい軍師が、苛立ちを声に乗せ、重ねて問いかけてきた。

 す、すみません、と謝りつつ、まだ顔が見られない。

 さっきから心臓が爆発しそうな勢いで飛び跳ねている、これはマホロバで軍師九葉と初めて会った時からの事だが、いつもより更に鼓動が早くて息が詰まりそうだ。

(お、落ち着け私。ま、まずは当たり障りのないところから、話を始めよう)

「あ、あの、ですね。あなたにお聞きしたい事があるんです。その、特務隊について、教えて頂けないかと思って」

「……特務隊?」

 訝し気に声が低くなる。これまで過去について尋ねる事はほとんど無く、無関係だという態度をとっていた元部下からの要望としては、奇妙に響いたのかもしれない。

 一瞬話してはくれないかと思ったが、短い間を置いた後、軍師九葉はさらに歩を進め、自分と並ぶ位置に立った。

 川面に向かって語り掛けるように、静かな声音で話し始める。

「……特務隊は、まだ表の世界に鬼の存在が知られていなかった頃、秘密裡に鬼と戦うために私が選り抜いたモノノフで作った部隊だ。

 隠密行動ゆえ小部隊ではあったが皆が皆、一騎当千といっていいモノノフ達ばかりだった」

 その中でも、と相手がこちらへわずかに体をずらす。思わず顔を上げると、軍師九葉は自分に向けてじっと視線を注ぎながら、

「お前はとびきり優れたモノノフだった。

 表立っての戦いを避けねばならぬ故、人知れず命を落としたモノノフは数多い。だが、お前は誰よりも先んだって戦線に立ち、鬼を狩り、どれほどの怪我を負おうとも、数多の戦から必ず生きて帰ってきた。

 故に、皆がお前を英雄と呼んだ。

 いつ果てる事のない戦いの中でお前という存在に勇気を得て、共に鬼討つ使命に燃え、死に瀕してさえ、お前に希望を見た。

 ……隊の性質上、特務隊は馴れ合いを善しとしなかったが、それでも多くの者達が、お前に未来を託して逝った」

 横浜でもそうだった、と語る表情は影がさして、やはり悲しそうに見える。

 それは戦の領域で見たものと同じで、やはり見間違いではなかったのだと確信する一方、胸が急に締め付けられるように痛んだ。

(……ごめんなさい)

 謝罪を口にしようとして、やめる。

 今の自分に特務隊の記憶はない。自分に事後を託した隊員たちの事も、おぼろげにしか覚えていない。

 それが申し訳ないと心から思うのだが、謝ったところで何の意味があるのか。

 横浜の最前線まで出向き、皆の死にざまを見聞きしながら、ひとり生き抜いたこの人の前で、中身のない謝罪など、侮辱といってもいいのではないか。

(私は彼ら一人一人を覚えてはいない。でも……覚えていない事を理由に、彼らの思いを無かった事にしてはいけないのだろう)

 紅月が言っていた事を思い出す。あなたが思っている以上に、皆はあなたを気にかけているのだと。

 それは現在のマホロバしかり、過去の特務隊しかり。

 周りの人々の思いはその時々で、自分と言うあやふやな存在をその場にしっかりと結び付けてくれている。それ故に今、自分はこうしてここに立っているのだと、改めて思う。ゆえに、

「……ありがとうございます、軍師九葉」

 自然と漏れたのは、感謝の言葉だった。

「私は、自分がなすべきことをなすだけ。それはきっと今も昔も変わりません。でも、先に亡くなっていった彼らの分も、戦い続けなければならないのだと、思います」

 正直に言って、後を託されたと言われても実感はない。自分は本当にほとんどの事を忘れてしまっているから。けれど今、それを惜しく思う。

(思い出したい)

 使命さえあれば他はどうでもいいと考えていたのに、切に思う。

(私が誰と、どんな風に生き、どんな風に戦い続けてきたのか、知りたい)

「……そうだな。千年続く鬼との戦で多くの者達が命を落とし、我々はその屍の上に生きている。

 彼らの死を無駄にしないためには、鬼を討ち、人の世を取り戻す戦いを続けなければならない。亡くした命に報いなければ、流した血の意味を失ってしまう」

 淡々と語る軍師の言葉が、体にしみ入るようだ。目を伏せて悲しげに、けれど決意を込めて語るその表情に視線を引き寄せられて、見入ってしまう。そして、

(思い、出したい)

 さらに強く思った。

(私はこの人と、どんな時を過ごしたのか。どんな思いで、共にいたのか)

「……九葉」

 そう思ったら、名を呼んでいた。過去の追憶から引き戻された、というように九葉がこちらへふわりと視線を向ける。その眼差しを真っ向から見つめて、

「私は、あなたとつき合っていたのですか」

 何のてらいもなく、するりと質問を口にした。途端、

「……ぐっ!?」

 九葉が突然息を飲み、一歩後ずさった。沈痛な面持ちは焦りのものに塗り替えられ、思い切りあからさまに顔を背けられる。ごほっ、と咳払いを一つして、

「……何か、思い出したのか」

 落ち着こうとして、明らかに動揺している声音で逆に問い返してきた。その様子に、あっこれは本当に、本当なのだと確信した瞬間、

(う……は、恥ずかしい)

 とても顔が見ていられなくなって、自分も明後日のほうを向いてしまった。その、と口ごもりながら応える。

「あの、昨日急に、思い出したんです。えっと……その。よ…………よ、横浜での事、を」

「……どこまで思い出した」

「どっ……こまで、というほどでは! こ、細かい事は全然。ただ……えっと、その、わ、私とあなたが、……そ、そういう雰囲気だったのを……何となく……」

「そう、か。…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 また、長い沈黙が落ちる――先ほどよりもさらに気まずい沈黙が。

(……ど……どうしよう……やっぱり言うべきじゃなかった気がする……!!)

 夢うつつに思い出した記憶は曖昧で、確かな事は分からない。けれど自分は九葉と、明らかに親密な雰囲気だった。

 ――視界に映る九葉は見た事のない、熱を帯びた瞳で自分を見つめ、名を呼び、優しく触れてきた。

 ――そして夢の中の自分は、生きてきて初めてなのではないかと思うほどの多幸感に包み込まれていた。

 ――九葉、と呼び返す声も、本当に自分のものか驚くような愛情に満ち満ちていた。

(いやだ、部分的に戻ってくるの、やめてほしい!)

 頬に手を当てると、汗をかくほど熱くなっている。多分耳まで真っ赤になっているだろう、これは見られたら恥ずかしくて死ぬ、そんな事を考えて両手で顔を覆っていると、

「……確かに」

 長いしじまを破って、九葉が口を開いた。

「確かに、私とお前は……関係を持ったことが、ある」

「!」

 改めて認められると、恥ずかしさがいや増してしまう。

 ……いや、この場合より恥ずかしいのは九葉の方だろう。こちらがほとんど覚えていない一夜の事を、わざわざ説明しなくてはならないのだから。

(も、もしかしたら今、九葉も赤面しているかもしれない)

 と思ったが、顔を見る勇気はない。その時、

「だが、それはもはや昔の事だ」

 九葉の声が冷静さを取り戻した。つい、指の隙間からちらりと視線を向けると、九葉は川に顔の向きを固定したまま続ける。

「私にとっては十年も前の事。お前にとっては、失われた記憶の一部にすぎぬ。

 今更それを掘り起こしたところで、何の意味がある。無用の悶着を引き起こすだけだろう」

「そ……、れは。……そう、ですが」

 頭から冷水をかけられたかのように、動揺が押し流されて、体の力が抜ける。

 確かにその通りだ。いくら過去に互いを思いあうような事があったとしても、自分はまだ実感できていないし、九葉は九葉で十年の時を過ごしてしまっている。

 心を通い合わせたとしても、それはもはや昔の事。それは本当に、その通りなのだ。だが、

「……私は」

 夢の中で九葉が触れた頬に手を当てたまま、小さく呟く。

「私は、確かな事は忘れてしまっています。なぜ、あなたとああなったのか、思い出せない」

「…………」

「でも……でも、これだけは間違いないと思う。私は、過去の私は、あなたの事を愛していた」

「!」

 鋭く息を飲む音がする。視界の隅で袂が揺れたのは、九葉がこちらへ体を向けたからだろう。けれど目を合わせる勇気はないまま、続ける。

「あなたと共にいられる事を、私は心から望んでいた。あなたに名を呼ばれるだけで、あなたに見つめられるだけで、これ以上ないと言うほどの幸せを感じていた」

 短い夢の逢瀬でさえ、かつての自分はあふれんばかりの歓喜に満ちていた。あれほどの喜びを一人の人に対して抱けるものかと思うほどに。

(私は九葉を愛していた)

 それもまた、記憶を失ったとしても、無かったものとしてはいけない事実だ。九葉が今いったように、失われたもの故に無意味だと切り捨ててはいけないのだと、思う。

 だから、と震える声で、問いかける。

「九葉、教えて下さい。……あなたは、私の事を、どう思っていたのか」

「………………――」

 間を置いた後、九葉が小声で漏らした言葉は聞こえなかった。

 聞きのがしてしまったかと、顔を上げる。と、口を半ば開いたまま、凍り付いた九葉と目が合う。

 彼は瞬きし、視線を落とし、何かを振り払うように小さくかぶりを振った後、言った。

 

 ――今のお前には、関わりのないことだ、と。

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