歪な視界で、自分がどこにいるのかを認識した。
寝具の中で冷えた身体。
実は死んでいるのではないか、なんて冗談にもならない馬鹿げた考えはベッドの中に残して、目覚めていない身体を奮い起こし、上半身だけで伸びをする。
なんとも幸いで、不便なものだ。
人は、簡単には死ねない。
強くそう望み、行動しない限りは。
「――お兄様」
行動したあなたは、ここにはいない。
Promise
応接テーブルを挟んで向かい合い、シャーリーが勢い込んで話し始めたのは30分前のことで、ルルーシュから補足的な質問を受けながら語り終えたのが、たった今のことである。
思案顔で腕を組むルルーシュを前に、シャーリーは目頭が熱くなるのを感じた。実のところ、話している最中も涙ぐんでいたのだが、ルルーシュからも今日ばかりは指摘がなかっただけである。
「――これで、私の話はおしまい。伝えたいことは、まだたくさんあるけどね」
シャーリーは、ルルーシュの選択が愚かだとは考えていない。
ナナリーに見せてもらった場景は辛く、哀しいものだったが、ルルーシュが出したその答えを糾弾するつもりはない。正しかったとは思わないし、納得もしていないが、批難はしないと決めた上で、シャーリーはナナリーが見せてくれたそのままを語って聞かせた。
「ルルはさ、どう思った……?」
「……シャーリーが嘘をついているとは、考えてはいない。ロロの話とも、食い違う点はない」
問いかけの趣旨とはずれていたが、ひとまず「頭でも打ったんじゃないのか」と思われなかったことに安堵する。
ありのまま話したのは、誠意とは違うのだろうが、そもそも「私は死んで、未来から来ました!」などという自分でも理解できていない突飛な事態を、脚色までして説明する自信はなかったからだ。
「確認しておくが、君は、俺がギアスを使ったことを覚えているんだな?」
「そうだよ。でも、それは今の話とは別に、今日のデートの前にはもう思い出してたことだよ」
恋人が深く溜息をつく様を見ると、心が痛む。
今日一日、上の空で様子がおかしかったシャーリーに、彼が気付かないはずはない。それを問いたださないのは気遣いのつもりだったのだろう。記憶を取り戻して恐慌状態だったとまでは、推察できなかっただろうが。
記憶の復元とは、「ルルーシュのことを忘れる」という命令からの解放だ。
ルルーシュのギアスーー絶対遵守の命令権。
「返しておく」
ルルーシュが拳銃を懐から取り出して、テーブルの上を滑らせて寄越した。シャーリーから取り上げたものだ。シャーリーの手元まで滑り、銃口がルルーシュを向いて止まった。
恋人の顔はもう俯いてはいない。深い紫の双眸には、シャーリーの知らない光が満ちていて、取れと告げている。
「いらない。私のものじゃない。……許すって、言ったよ」
「別に、使わなくてもいい」
目が熱くなった。恋人の末路が、今も瞼の裏に張り付いて離れない。
それを今度はシャーリーの手で招けとでも言うのか。
「君にかけたギアスは消えた。……もう一度、忘れさせることもできる」
「っ……! そんなことしたら、本当に許さないからっ!」
そんな言葉には何の意味もないと、身をもって分かっている。この男に言い聞かせるには、強引な手しかないのかもしれない。
机を強く叩いて、手元の銃をつかみ取り、勢いよく立ち上がった。不意を突かれて動きが遅れたルルーシュが立ち上がるより先に、シャーリーは銃口を自らのこめかみに当て、目の前のわからず屋には体を張って主張した
「ルルを忘れるなんて、もう絶対いや。私は、そんなことのために帰ってきたんじゃない」
「馬鹿な真似はよせ!」
「それなら約束して。ちゃんと生きるって。死んだりしないって、約束、しなさい!」
約束にも意味はない。ルルーシュは不誠実ではないが、必要と感じれば反故にする人間だ。
しかし、聞こえのいい理由付けも、押し付けがましい思いやりも、シャーリーの求めるものではない。一過性の感情論でしかないかもしれないが、もう一度を願って、仮にもそれが叶ってしまった今、悔いの残る選択肢は選ばないし、選べない。
後悔はした。もうたくさんだ。
後はない、今がそうなのだから。引き下がる場所なんてどこにもない。
「なんで迷うの? なんで、こんなことも約束できないの?」
「守れないかもしれない約束を、軽々しくするものか。これは誠意だ」
ルルーシュがすり足でテーブルを回り込んで少しずつ近づこうとしている。片手をそろりそろりと伸ばして、銃を奪い取るつもりなのだろうが、そうはいかない。
テーブルを思い切り蹴り飛ばしてやると、ルルーシュは向こう脛を打ち付け、痛みにうめきながら尻餅をついた。
「ナナちゃんとはしたくせに……」
「なっ……なにを」
「ずっと一緒とか、嘘はつかないとか! 指切り、っていうの? それまでして約束したって聞、き、ま、し、た!」
「……はぁ!?」
脛の痛みとは別に赤面する目の前の恋人と、恥ずかしがりながらも嬉しそうに話していた綺麗な女性――ナナリーが重なるのは、やはり2人が兄妹だからだろう。少しだけ羨ましく思うのも、いつもどおりのことなのだ。
たまらなくなって、右手の拳銃を放り出し、ルルーシュの両肩を掴んで押し倒す。派手な衣装で大きく見せていても、実際には女のシャーリーと比べてもほとんど変わらないほど線の細い身体は、思いの外あっさり床に落着した。勢いそのまま、ぶつかるように接近させた顔同士、口付けは荒々しいというよりも乱雑で稚拙すぎて、歯がぶつかってしまうほどだった。
「っ……ナナちゃんとの約束も、私との約束も守る! それで、ちゃんとした皇帝陛下になる! 決まりね! はい、決定!」
「勢いだけで決めるな! 俺はっ……ん、んっ!?」
また、歯がぶつかった。こんなことなら、初めてのほうが余程マシだった。最低な気分だったが、もっとうまくできていたのに。
「お願い、生きて。ルルーシュに、死んでほしくない。一緒に生きよう。やり直そうよ」
三度目にして、漸く。
そっと肩を押されて身を起こし、互いに床に座り込んで向かい合ってから、気恥ずかしさが乙女を襲った。顔を覆っても足りないような顔面の発熱に耐えかねて、視線が彼の顔とあらぬ方向を行ったり来たりと飛び回って定まらない。
その間に、ルルーシュの表情は優しげなものから再び真剣なそれに転じていた。目元にやっていた左手が除けられた瞬間、その瞳に映った鳥の印章が目についたが、すぐに瞼で覆われてしまう。
「シャーリーも約束してほしい。絶対に死なないと……どこを見ているんだ、ちゃんとこっちを見ろ」
「……あの、うん、分かった。分かったんだけど、ごめん。今、ちょっと顔見れない……かも……」
駄目だ、と耳元で囁くのはあまりにも卑怯だ。少女漫画が鍛えた乙女の感性に容赦なく直球で突き刺さる上、顎まで持ち上げられてしまえばもう敵わない。視線が絡み合うと、先程とは違う理由で目が潤む。完全に攻守が逆転してしまった。
吸い込まれそうな深い紫色に頭がくらくらする。ただし、片方だけだ。左目はきっちりと瞼に隠されている。
「目を見ていろ。いいな、シャーリー。一方的な約束は、対等じゃないだろう?」
「や、あの、ルル……心の、準備とか、えっと、されるのは、違うっていうか、え、待って」
「シャーリー、思いは受け取った。だから、キミは……」
今日のことのような、昨日のことような、もっと前のことのような、時系列だけは複雑な記憶の中で、その言葉を聞いた。嘆きにしか聞こえないその命令を何度も聞いた。
何も言えなかった。返せる言葉がなかった。数分と待たない結末が分かっていたから。
けれど、今なら。
「死ぬな、シャーリー」
「ひゃい……っ」
鳥が羽撃いた。今度こそ、行く先を見据えて。
/
「おはよう、ナナリー。良い目覚めかな」
「おはようございます。早いのですね、今日も」
望んでも死ねない女が、今日も一番最初に挨拶を交わす相手になった。
その手の中にはやはりコーヒーカップ。芳しい香り。
細い身体を包むのは、いつも通り、上半身はボタンも留めないワイシャツ、下半身には下着のみで、異性がその肢体を見れば、きっともっと違う感情が湧き上がるのだろうが、ナナリーにとってはだらしないの一言である。
「シャワーを浴びてきます。朝食はいつもの時間に」
半裸を惜しげもなく晒す魔女の横をすり抜けて、バスルームに向かう。シャワーで身を清め、身だしなみを整えながら、今後、あるいは変わるはずの過去のこと が思考を占める。
ロロは特別製だ。好ましくはないが、ルルーシュへの好意と忠誠に嘘はない。彼を守るためなら、もう一度と言わず何度でも、文字通り必死の働きを見せてくれ るだろう。
ギアスを惜しげもなく使い、命を費やしてくれるだろう。
ナナリーが期待するのは、そういうものだ。献身を期待している。自身にではない、愛しい兄への献身。
「嗚呼、お兄様……今夜が待ち遠しい……」
触れることは、今は叶わない。
話すことも叶わない。
この不満はきっと遠くない未来に満たされるのだろうが、今はただ切なく心を疼かせるだけだ。
肌のケアを済ませ、バスルームを出る。寝て起きただけなのに空腹を感じるとは、何とも平和な身体になったものだ。
しかし、異変は直後だった。
「あら……?」
突然全身の力が抜けた。手から滑り落ちた杖が足元に転がるのが早かったか、倒れ込むのが早かったか。受け身も取れずにうつ伏せに倒れて、額をいささか強めにぶつけてしまった。
体調がいいと思っていた矢先の事態でも、ナナリーは動揺しなかった。咲世子に病状を伝えているとおり、今日明日でなにかが変わるほど臥せってはいない身体だ。脱力発作の症状は初めてだったので少しだけ驚いたが、打ち付けた各部が痛むだけで、また身体は動くように戻っている。
頼りなく震える左手で絨毯を押して身体を半回転させ、仰向けになる。大きく深呼吸をして、呼吸を整えていく。声を上げれば咲世子や使用人たちが慌ただしく駆けつけるだろうが、気が進まない。心配をかけるなどとは思わないが、つまらないプライドと意地の問題だ。
「二度寝ならベッド。でなければ朝食だ。しゃんとしろ、ナナリー」
「……これはまた、嫌な相手に」
視界の端からぬっと顔を覗き込ませた女が、小憎たらしく笑っている。頬を小突く指が煩わしい。
「ふむ。ただの体調不良か?」
「そのようです。朝食は少しだけ待ってください」
頬をなで始めた手を払いのけると、C.C.はしゃがみこんでいた姿勢から、そのままナナリーの頭の直ぐ傍に腰を下ろした。
「無茶をしているな。2人目か。ルルーシュを盗られても知らないぞ?」
「なぜ知ってるんです」
「私はC.C.だからな」
答えになっていない。全身の空気が抜けてしまうのではないかというような深い溜め息を大げさに吐き出してみても、魔女は悪びれる素振りもなかった。
ナナリーは、ギアスを使うために、発動条件と効果をつかむことが最低限の条件と考えている。それらを満たし、現に行使できたことは、異常ではあったが、重要ではない。問題は、それ以外が未だにはっきりと分からないことなのだ。
「過去を捻じ曲げて、未来を歪ませる――そうでしたね」
「随分と棘がある物言いだな。お前が望んだとおりだろう?」
「どうやって、ですか?」
なんて素晴らしい。
すべての悲劇をやり直し、兄との幸福を紡ぎ出す。そこには失くしたものが居並び、今在るものもきっとより良い形で揃うだろう。
「今の、この世界はどうなるんでしょう」
そうして出来上がる理想郷は、一体どこに存在するのか。
過去が変わり、未来が変わるなら、必然として現にある「今」はどこにもなくなるのではないか。
「そのとき、私はお兄様の隣りにいるのですか?」
結果さえ残れば、過程は問わない。
ナナリーとルルーシュが再び一緒に入られる世界さえ手に入れば十分だ。ナナリーの世界は、それだけで完結できる。10年前は、そんな簡単で当たり前のことを忘れていた。
しかし、だからこそ、新たな世界、あるべき世界にいるナナリーとは、いったい誰なのだ。
「バカで、愚かな、ナナリー・ヴィ・ブリタニア。お兄様が生きていることが、どんなに幸せなことなのか。当たり前すぎて、向き合えていなかったんですから。――私は、もう間違えない」
「……、さて、な……。だが、少なくとも、ギアスはお前の望みが形になったもの。お前が、お前の願いのために必要とする力だよ」
ナナリーは、ゆっくりと身体を起こした。
気怠い感じは残るが、動くだけなら支障はないと判断して、杖を支えに頼りない足を震えさせながら立ち上がる。一歩踏み出してふらついたところを、C.C.に手を取られ、抱きつくような格好になりながら寄り掛かってしまった。
「C.C.さん。お兄様の隣にいるのは、私です。今の、この私です。他は、どうでもいいんです」
「ああ、分かったよ、ナナリー。伴侶に向かってとんでもない言い草だがな」
「認めていませんと、何度も言っているでしょう。しつこい人ですね」
それはお互い様だ、と笑って、C.C.がナナリーの肩を支えながら、2人でゆっくりと歩き始めた。
ナナリーにとっては、本当にどうでもいいことなのだ。ルルーシュを捨てた他人のことなど知ったことではなく、彼を思うほんの僅かな人たちにだけはそれぞれの幸福があってもいいと思うだけ。
世界を変えるのが、今いない者であるというのは素晴らしいとナナリーは思う。
ナナリーを含む生者達がこの世界を選んでしまった。兄を捨て、踏み躙り、残してくれたものすら駄目にしてしまうような世界で生きている。
――どうでもいい。
どうでもいいけれど、どうせなら、こんな世界ごと消えてしまえばいいのに。
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この数日、シャーリー・フェネットが登校していない。理由は明らかにされていない。
品行方正とは言わないが、真面目で明るく友人も多いスポーツ少女の不登校は、所属クラスに留まらず、アッシュフォード学園高等部内で取り沙汰されることになった。
ゼロの再来以降、治安への不安が高まっている中で、エリア11からブリタニア本国への帰還者が数を増やし始めていたところ、ついに生徒の中から行方不明者が出たと噂まで立ち、怯えと心配の声は生徒、保護者問わず大きくなり、火消しに回る教職員の手はとても足りない。
その他流れた噂は様々ながら、そのうち数例は以下の通り。
「テロに巻き込まれたんだって」
「この前のショッピングモールの? 軍が動いてたとか」
「大怪我して入院中らしいよ」
「撃たれたとか?」
「……死んだって聞いたけど」
「他にも来てない男子いるんだって」
「ルルーシュくん!? ヤバい、私が倒れそう……」
「2人でショッピングモールにいたらしいね。副会長は大丈夫なの?」
「駆け落ちしたんでしょ、知ってる。2人で本国に帰ったんだ」
「愛の逃避行」
「本国に帰ったんだ。学園が隠してるだけ」
「今更そんなの隠す意味ないでしょ。隠すってことはやっぱり……」
「マジで亡くなったの?」
「うそでしょ……やだよ、ほんとに……」
「いや、2人で駆け落ち……」
「ない! 心配してくれるのはいいけど、駆け落ちは、ないでしょ! 頭おかしいんじゃないの、みんな?」
叫んだ。
渦中の人、シャーリー・フェネットが抗議の声を上げたのは、噂が広まってからさらに1週間後のことであった。当然ながら、手遅れだった。
生徒会室に集まった面々の前で、ショッピングモールの事故の折にけがをして入院し、携帯電話が壊れてしまって連絡もできていなかったことを謝り、漸く復帰の挨拶を終えた後、巷間で囁やかれた憶測の数々に対して、シャーリーは顔を赤くしながら叫んだのである。
全員が揃うまで挨拶を待っている間も、散々喚き散らす騒音被害を引き受けていたリヴァルが、呆れ顔で肩をすくめた。
「いや、まあさあ、ある程度は仕方ないんじゃないの? 黒の騎士団のせいで、身近なところで犠牲者がー、なんて考えたくないじゃん。多少は茶化したくもなるって。まあ、駆け落ちはないけど。俺もそこまでは言ってない」
「リヴァルまで! 何言いふらしたの!?」
「まあまあ。許してやれよ、シャーリー。みんな、本気で心配していたのは本当さ。もちろん、私やアーニャも、スザクだって」
快活に笑うジノを盾にして、そうだそうだとリヴァルが頷いている。ムッとしながらも振り上げた拳を下ろして、シャーリーは席に座った。リヴァルに当たってどうなるものでもないのはその通りだし、ロロが真面目に説明してくれるはずもない。きちんと正確な情報を公表しなかった学園側が不誠実だったのがそもそもの原因とも言える。
「ごめん、シャーリー。あの後、キミがそんな怪我をしていたなんて。保護だけ頼んで安心していた僕の責任だ。本当に、ごめん」
斜向いに座っていたスザクが立ち上がり、机に頭をぶつけそうなほど深々と頭を下げた。
シャーリーの所在不明は、スザクにとっても心穏やかではいられない関心事だった。ナイトオブラウンズとして現場指揮を執っておきながら、すぐ傍にいた友人1人を満足に保護することもできなかったという自責の念は両肩に重くのしかかった。
その実態は、シャーリー自ら望んで再びビルに飛び込んだことであり、シャーリーには彼を責めるつもりは毛頭なかったのだが、スザクの認識では、やはりそれは現場指揮官だった自身の責任であるらしい。
「あ、頭上げてよ、スザクくん。私は別に……」
「いや、僕の責任だ。迂闊だった。一歩間違えば、もっと大きな怪我で取り返しのつかないことに……!」
「好きにさせてやれ、シャーリー。そういうやつだ」
「……キミもだ、ルルーシュ。よく無事で……よかった」
生徒会メンバー。
退学してしまったニーナや卒業したミレイを除けば、全員が揃い、それぞれの席についている。会長席は空座のまま、副会長席にルルーシュ・ランペルージは腰掛けていた。
アッシュフォード学園に、ルルーシュはいる。
「お前が謝ることじゃないだろ? それよりも、この数日で山積した書類の申開きでもしてもらおうか」
トントン、と指で突くルルーシュの手元にはおよそ数センチの書類の山。電子決済はまだまだ進んでいない実情は当然ながら、紙の現物が存在すると事務量は実に明らかだった。
ばつが悪そうに頭を抱えて呻き、額に手を当てながら大仰に点を振り仰ぐリヴァルの後ろを駆け抜けて、ジノが動く。怠慢な部下を詰る上司さながらの副会長の後ろに回り込み、その両肩をガッチリと力強く掴んで揉み解した。
「それは私たちじゃあなく、リヴァルに言ってもらいたいな、ルルーシュ先輩。彼の指導能力の欠如に、問題がある! 優秀な現場指揮官に、陣頭指揮を委ねたいなあ、私としては!」
「俺のせいにするのはなしだろー!? ただでさえ人手不足だったっていうのに!」
「期限が近いものから分担しよう。今日は残業だな」
その後、作業は暗くなっても続き、ルルーシュが最後の書類を「決済済み」と絵文字で飾られた付箋が貼り付けられた箱に放り込んで、終りを迎えた。それぞれ中座しながら飲料やファストフードを買いに出て夕食代わりとしたので――ジノは特に喜んだ、普段からもっと良いものを食べているだろうに――いたので、気づけば卓上には空の袋や箱がいくつか転がっている。途中、アーニャは例のごとく「記録」と称してメンバーの写真を撮って回り、どうやってやってきたのか、アーサーまで乱入したことで、殊更に賑やかしさを増した時間だった。
現場指揮官を務める身としては労働管理に頭を悩ませるところではあったが、給金が発生しない学生の活動だ、目を瞑ることにして、ルルーシュも柔らかい椅子に背中を預けた。機能性にこだわりつつも、学生が使用する備品の常識の範囲内でミレイが選んだ品だけあって、長時間の仕様にも耐える座り心地だ。無論、それはその分働けという暗黙の命令でもあったのだろうが。
「みんな、お疲れさまー! 飲み物買ってくるから、屋上で休憩して帰ろうよ! スザクくんたちもちょっとだけ、時間あるかな?」
シャーリーが財布片手に立ち上がり、帰り支度を始めていたラウンズの3名に問いかけた。スザクが困り顔で応じる。
「いや、悪いんだけど僕達はそろそろ帰らないと……」
「いいじゃないか、スザク! ここにいる限り、俺達は学生だ。花の学生生活! アフタースクール、部活の後の語らい、それでこそ庶民の学生生活ってやつだろ?」
「ジノ、そうは言っても、政庁に誰一人待機していないというのは……」
「平気平気。あちらにはギルフォード卿がいるし、何かあったらここからでもすぐ対応できるようにしているじゃないか」
満面の笑みで帰り支度を放り出したジノが、その長身から来る長い手足を広げて、スザクの眼前に立ちふさがった。呆れて視線を向けた先のアーニャもアーニャで、すすっと移動してルルーシュの後ろに控えて、しっかりと椅子の背を握りしめている。無言の視線と合わせて、動かないぞと主張しているらしい。
趨勢は決したな、とルルーシュが笑って口を開く。
「付き合えよ、スザク。シャーリーの快気祝いなんだ。それとも、ゼロが今日いきなり政庁を占拠するとでも思ってるのか?」
「……いや。まさか。悪い冗談だ」
「そう、悪い冗談だよ。ならいいだろう? さあ、先に行っていてくれないか。俺はシャーリーと飲み物を買っていくから」
言うが早いか、財布を持ったルルーシュは、シャーリーを引き連れてさっさと生徒会室を出ていってしまった。帰ったら許さないぞ、との捨て台詞のおまけ付きだ。その上、待っててね、と手を振っていったシャーリーの追撃。ロロは去っていくルルーシュの背を視線だけで追うばかり。最後の1人、リヴァルはウィンクまでして、親指で屋上を指し示した。
どうやら負けは最初から決まっていたらしい。
5人と1匹で連れ立って屋上に上がって10分ほど経った頃、ルルーシュとシャーリーが両手に缶飲料を携えて上がってきた。手渡す飲料はそれぞれの好みぴったりのものが選ばれているあたり、そつがない。
「はーい、これ、全部ルルのおごり! みんな、お礼言ってあげてね!」
「労をねぎらうのも管理職の勤めだろ。対価にしては随分安いがな」
「はい! そして、さらに今日は特別ゲストが来てくれてます! どうぞー!」
妙にテンションが高くなっているシャーリーの声に合わせて、屋上の扉が勢い良く開けられ、何者かが飛び出してきた。
ビシっと決めたタイトスカートのスーツ姿にピンヒール。だというのに、無闇に大仰なふりを振って、ビニール袋を持ったその手で星空を指差し、人影は名乗りを上げた。都合よく月の光がスポットライトのように降り注いで整った美貌を照らし出すあたり、天性の強運らしきものさえ感じさせる。
「ミレイ・アッシュフォード! カム、バーーーーーッック!!」
「会長ーーーーーっ!!」
「はろはろーん! みんな、おっつかれー! あ、リヴァル、お触りは禁止。シャーリーはこっちおいでー」
憧れの先輩登場の感激に目と声を潤ませて飛びついたリヴァルを、すげなくデコピン1発でいなし、シャーリーに向かって、指先を丸めてネコの手のようクイクイッと手招きする。呼ばれるまま近付いたシャーリーを力いっぱい抱きしめて、ダンスでも踊るようにくるくると回り出した。
まさしく自由奔放、引っ掻き回すだけ引っ掻き回すのに、思いやりもリーダーシップもあるものだから、とにかく好かれる人気者体質。新人お天気キャスター兼、デビュー早々タレント枠にまで食い込もうとしている、季節外れの卒業生こと、ミレイ・アッシュフォードが仕事終わりに駆けつけていた。
「まあ卒業したばっかりだし、カムバックはちょーっと早いかなとは思ったんだけど、シャーリーのリクエストを受けちゃった以上はねえ? ちゃーんと、ご所望の品も用意してまいりました。特大のやつもね」
「何の話だ? シャーリー。会長を呼び出したのは知っていたが、一体何を……」
「んん! ルルはいいから、みんなと向こう行ってて」
背中を押されて他のメンバーの方に追いやられ、首を傾げて待つこと数分。
2人がしゃがみこんでコソコソと何かしていたと思った次の瞬間、甲高い音が尾を引いて夜空に登った。炸裂音、そして。
「……っ」
「……花火」
見上げていたアーニャが、ルルーシュの隣で、綺麗と小さくつぶやいた。
続けてもう1つ、2つと夜空に花が咲く。記録、と囁くような声があって、短く電子音が鳴った。
後方では、懐かしい祭りの文化でも思い出したのか、スザクから掛け声が起こり、ジノがそれに続いている。
「『みんな』は揃ってないけど、今日はこれで我慢してね」
「シャーリー。これは……」
「ルルにとってはあんまり時間経ってないかもしれないけど……って、私もそうか。その辺りはなんかよく分かんないけどさ、とにかく、前に言ったじゃない? みんなでまた花火を見ようって」
いつの間にかルルーシュの隣に立っていたシャーリーがそっと囁いた。視線は次々上がる花火を見上げたまま、大胆にも乙女から手を取って、お互いの温もりが伝わる。
「会長にはね、無理言ってきてもらった。こないだしたばっかりじゃない、って言われちゃったけど、仕事の後にわざわざ付き合ってくれるんだから、本当に面倒見いいよね」
ルルーシュが目を向けると、夜空の花の下、シャーリーを送り出してひとまず打ち上げ役を引き受けてくれたらしいミレイがひらひらと手を振った。冷やかすような笑顔をしている。
他のメンバーには聞こえないよう、さらに身を寄せてーー舌打ちが聞こえたーー内緒話は続く。
「これも約束だよ。新しいのだけじゃなくて、全部守っていくの。2人の約束も、みんなの約束も」
約束をした。
また『みんな』で花火をしよう。
ルルーシュがその言葉に込めた意味を、そのときは誰一人知る由もなかった。実のところ、今のシャーリーにとっても、その言葉は言葉通りの意味でしかない。ルルーシュが歩んできた道を、そこから溢れた溜息のような約束の意味を、誰が理解できるだろう。
ルルーシュとともに歩み、理解し、必要とし、必要とされ、寄り添いながら、近付きすぎない誰か。
それは、シャーリーの理想像ではなく、現実の姿でもない。きっと、その椅子は別の誰かのために設えられたものだろう。彼女が腰掛けるべきは、別の椅子だ。
シャーリー・フェネットのあり得なかったはずの未来が、ルルーシュの未来にどれだけ関わるのか、それはまだ分からない。
ナナリーは未来のことを教えてはくれなかった。ルルーシュ亡き後、世界がどう変わっていったのかを、シャーリーは知らない。
知らなくてもいいと思う。
だって、そんな未来はウソなのだから。
コードギアス 反逆のルルーシュⅠ 興道
公開おめでとうございます。
まだ見れていませんが、楽しみです。