シクラメンと新米団長   作:泉絽

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この話は導入部となります。
本格的なお話は二話以降となりますので、ご了承ください。


第1章 出会い
第1話


 電話から響く、無遠慮な音が、俺はあまり好きでは無い。

 

 そして、目の前で、発せられるその不快な音は、誰かが引導を渡すまで、延々と鳴り続ける事になるのは、この場にいる誰もが知っているはずだった。

 だが、そんな当たり前のことを知っているはずの皆は、机に向かい、自分の作業をこなす事で精一杯です……と言った姿勢を取り続ける。

 

 そうだな。面倒な事はしたくない。

 嫌なものはなるべく、誰かに押し付けたい。

 だからこそ、それをしてくれる誰かが現れるまで、自分は手を出さない。

 

 そうして、その不快な音が、何度も繰り返される中で、俺の精神力はゴリゴリと音を立てて削られていく。もし、俺の精神力が視覚化できるなら、それはもう、景気よく減っているだろう事は、想像に難くない。

 結局、そんな状況下に置かれた時、その誰かは、こんな不快な音を無視し続ける事の出来ない、俺だったりするわけで。

 

「はい。お電話ありがとうございます。○○商事です」

 

 その無意味なチキンレースは、今日も俺の一人負けだった。

 

 

「だんちょー、んで、何だって?」

 

 電話が終わると、当たり前のように軽い調子で声をかけて来た上司と言う名の無能を、俺は一瞥する。

 率先してあんたが取れよ。と、口元まであがって来た台詞を俺は、強引に飲み干した代わりに、嫌味が込められ先方さんの言葉を伝えた。

 

「もっと早く電話に出ろ、だそうですよ」

 

「あ、そう。じゃあ、次からよろしくね」

 

 あんたがな。

 そう心で毒づきつつ、俺は、電話で受けた要件を、上司に伝えた。

 

 駄目だ、心がすさむ。こんな事ではダメだ。

 

 心の底から湧き上がる、負の感情を自覚し、俺は、ひっそりと首を振った。

 最近、特にこの衝動的な感情が沸き起こる事が多い。

 前は気にならなかったことが、やけに腹立たしく感じる。

 嫌だ。こんな気持ちに支配されたままなのは、嫌だ。

 再度、俺はその嫌悪感を伴った重い感情を吐き出す様に、長く溜息を吐いた。

 だが、まるで粘性の高い液体の様な、その感情は、そんな事では落とす事が出来なかった。

 

「なんだ? だんちょー。お疲れか?」

 

「いえ、すいません。何でもありません」

 

 俺のそんな様子を見て、上司は俺のあだ名を呼びながら、首を傾げる。

 ちなみに、俺の本名は、壇 長人(だん ながと)。昔から、諸星やら、蜜やら、色々とあだ名をつけられたが、最も多かったのが、この『だんちょー』と言う呼び名だった。

 察しの良い人は分かるだろうが、単に苗字と名前を繋げただけである。

 この職場に配属になった時に、うかつにも飲み会でそんな事を話してしまったから、それからは見事に定着している。

 ま、親しみを込めてくれていると思えば、悪い気もしない。

 

 実際、目の前の上司だって、悪気がある訳ではないのだ。

 なるべく自分の仕事を減らして人にやって貰おうとしているだけ。

 たまたま、それが俺にとばっちりが来ているだけ。

 そう、社会人なら、そんなもんだよな。

 巧く立ち回れない馬鹿が、損するだけなんだよな?

 自分で自分をそう、納得させようとする。だが、そう心で言い訳すればするほど、虚しさは心に降り積もって行った。

 

 何で俺、こんな事やってんだろ?

 

 報告をしながら、俺は、心の片隅で、そんな事を漠然と思っていたのだった。

 

 

 

 この零細企業の入っているビルには屋上庭園がある。

 午前中に抱えてしまった澱を降ろす為、俺はその庭園へと足を運んでいた。

 

 幸いな事に、空は抜けるように青く、吹き抜ける風は、爽やかな気持ちと、一滴のやる気を、俺に齎してくれる。

 

 ふと、腰かけたベンチの横にそよぐ草が、視界の端に映り込んだ。

 その草は、植物特有の鮮やかな緑色を全身に纏い、ハート形の可愛らしい突起物が、その身を飾っている。

 

「へぇ、珍しいな」

 

 確か、春の七草として知られ、その特徴的な形から、皆に親しまれている……ぺんぺん草だ。

 今はもう、すっかり、見る機会が失われたように思う。

 

 そんな、思わず漏れ出た俺の声をさらうかのように、風が吹く。

 柔らかな風にのって、そのぺんぺん草は、ゆらゆらと揺れた。

 その様子は、まるで返事でもしているかのようで、俺の心に優しい明かりを、そっと灯してくれる。

 

 ――さま。

 

 ふと、声が聞こえた。

 辺りを見渡すが、人はいない。

 見ると時計は、昼休み終了5分前を告げていた。

 

 その数字に急かされ、俺は立ち上がる。

 

 ――ちょうさま。

 

 まただ、また聞こえた?

 

「誰か、いるのか?」

 

 俺は、自然と小さくなった声で、そう問いかける。

 しかし、返事は無かった。

 

 疲れでも、溜まっているのだろうか?

 そういや、最近、ずっと残業続きだしな。

 そんな風に、俺は理解できない現状から目を逸らすかのように、そう自分に言い訳を始めた。

 

 ――団長様。

 

 しかし、その努力は何の意味も無いようだった。

 今度は、耳元で、その声が、聞こえた。小さいながらも、ハッキリと、女性の声が。

 

「だ、誰だ!? 俺を呼んでいるのか!?」

 

 俺は振り返ると、つい、声を荒げて叫んでしまう。だがそこには勿論、誰もいない。

 再度周りを見渡すも、視界には人っ子一人いやしない。

 

 なんだこれは? 俺は、どうにかなってしまったんだろうか?

 しかし、これは、幻聴にしては、生々しすぎる様な気が……。

 

 そんな俺の不安を体現したかのように、突然、俺の足元から光が沸き立つ。

 複雑な幾何学模様の様な物が絡み合い、光を放っていた。

 

 何だよ、これ。

 思わず後ずさろうとするも、足が動かない。

 そんな風に、無様に動揺する俺に、静かに語り掛けられたその声は、誰のものだったろうか?

 

「団長様……どうか、スプリングガーデンを……お救い下さい」

 

 懇願するかのような、今にも泣いてしまいそうな、そんな悲痛な声がはっきりと聞こえた。

 その声がした方向に、俺は慌てて振り返る。

 視界の端にはあのぺんぺん草、そしてその横に立つ白い女性……。

 その儚い存在を認識した瞬間……俺の意識は、暗闇へと落ちたのだった。

 

 

 

 風が頬を撫でる感覚が、俺の意識を呼び起こした。

 目を開くと、雲一つない真っ青な空。

 

 恐々としながら、指を動かし、ゆっくりと拳を握りしめる。

 うん。動く。大丈夫だ。

 

 身体の状態を確かめた所、どうやら痛みも無く、動く様だ。

 そうわかった俺は、ゆっくりと上体を起こす。

 掌には、草と土の柔らかな弾力が伝わって来た。

 

 視界に広がるのは、草原。

 

 遠くに霞む山脈と、その裾野を縁取る様に広がる広大な森が見える。

 その雄大な光景に、暫しの間、俺は心を奪われ立ち尽くした。

 

 遥か彼方より、掠れたような鳥の囀りが耳に届く。

 そよぐ風は、都会では嗅ぐ事の出来ない程、雑多な匂いと、命の息吹を含んでいた。

 

 突然、視界に影が差した。

 怪訝に思い、見上げるとどう考えても小型飛行機に迫る大きさの鳥が、優雅に頭上を通り過ぎて行く。

 長過ぎる尾羽が、残光を放ちながら、空気中を泳ぐように揺れ、燐光を放ち、余韻を残す。

 

 草が揺れる。

 俺は、思わず身をすくませ、視線を向けた。

 そんな草葉の陰から、何とも形容のしがたい生物が、顔を見せる。

 それは、全長30cmにも満たない、人型の生物で、何故か葉っぱをかざしており、フードまで被っていると言う、突っ込みに困る出で立ちだった。雨の日ならば、完全防備だろうが、空を見れば間違いなく快晴である。

 いや、そもそもそれ以前に、その背丈で人型の生物と言う時点で、もうこれは、何だ? という事になるのだが。

 そんな極小の二足歩行生物と目が合う。

 

 しばし見つめ合う。

 

 しかし、謎生物は、突然震えだすと、正に脱兎のごとく、姿を消した。

 うーむ、声をかければよかったと、今更ながらに後悔する。

 ちなみに、フードの色は赤かった。保護色ですらない。

 彼――いや、もしかしたら彼女かもしれないが――が強く生きて行けるよう、何となく祈っておいた。

 

 ふと、何か耳障りな音が遠くより響いてくる。

 それは音と言うより、振動と言っても良いほどだ。

 その聞き覚えのある不快な音の正体に、俺が気づいた時、視界に信じられない物が飛び込んで来た。

 

 ハエだ。

 

 いや、ただのハエならば、俺もそう驚く事も無い。

 造りはやや雑な様な気もするが、姿形は俺の知っているハエに酷似している。

 だが、問題はその大きさなのだ。そのハエは、この距離からでもその正体が分かる程、大きい。

 恐らく、大人の頭を二回り程大きくしたら、丁度いいのではないだろうか?

 

 そんなハエ型未確認生物が、3匹。

 まるで編隊を組むかのように、羽音を響かせ地面の上1m付近を、ゆっくりと飛んでいるのである。

 

 その光景は、何処をどう見ても、俺の知っている場所では見る事が出来そうにない。

 だが、価値観を根底から覆す様な、今迄、経験した事の無い体験が、次から次へと襲ってくる中で、完全に思考が停止した俺は、その光景が持つ意味を、考える事が出来なかった。

 

 だが、それも、ハエがこちらに気付き、進路をこちらに向けた事で、終わりを迎える。

 

 不味い。あれは、ヤバい奴だ。

 

 本能的な嫌悪感と、心に響く警鐘がない交ぜとなって、俺の足を強制的に動かした。

 俺はハエに背を向け、全力で逃げる。

 

 だが、背後より聞こえる羽音は、徐々にその音量を増していた。

 駄目だ、相手の方が早い。

 

 何か、武器になる物は!?

 

 焦りながら視線を巡らせるも、武器になりそうな長物も、石も視界には入って来なかった。

 それもその筈で、ここは草原だ。

 ゲームの様に都合よく、倒木なんてある訳無い。

 そんな現実に、軽く舌打ちしつつ、俺は逃げる事しか選択できなかった。

 

 せめて、視界を遮るものがあれば、やり過ごせるかもしれないが。

 そう思うも、無常にも目の前に広がるのは、ただただ、背の低い草が伸びる、広大な草原だ。

 どうにもならず、俺は歯ぎしりしながらも、足だけは動かす。

 

 だが、デスクワーク中心のサラリーマンが、都合よく超常的な力を発揮できるはずも無く、脇腹の痛みと、疲労によって足を取られ、無様に地面を転がる。

 

「っ!? はぁはぁはぁ……」

 

 肺が酸素を求めて、呼吸を激しく乱す。

 汗がしたたり落ち、視界を塞ぐ。

 そんな中、羽音が俺の耳元へと迫り、その嫌悪感から咄嗟に身を転がす事で躱した。

 

 耳を庇った俺の左腕に熱さを伴った痛みが走る。

 見るとスーツを切り裂き、ワイシャツをも引き裂いて、俺の肌を浅く削る様に傷が付いていた。

 それを見て、俺は頭に血が上る。

 

「ふざけんな……。ふざけんなよ……」

 

 そんな俺の怒りをあざ笑うかのように、3匹のハエは俺の周りを取り囲むように、ゆっくりと回る。

 いきなり超展開。見知らぬ場所で、ご都合主義の様に、いきなり襲われると言うこの仕打ち。

 それならばご都合主義宜しく、眠れる俺の力が目覚めるのかと思えば、そんな王道的な事も無い。

 

 けど、そんな、夢物語はどうでも良い。

 それよりも何よりも、俺にはどうしても許せない事がある。

 

「このスーツ6万したんだぞぉおお!! この馬鹿ムシがぁあ!!」

 

 俺は魂の叫びを迸らせながら、目の前のハエに体当たりをかました。

 どうやら、こちらが反転攻勢するとは思っていなかったようで、そのハエは俺ごと地面へと勢いよく転がる。

 背中から落ちたハエが、もがいている間に、俺は起き上がると、恨みの全てを込めて、ヤクザキックをかました。

 

「6万だぞ! ろっく、まん!! それだけ、あれば! プレ○テ4、買えるんだぞ!! 課金ガチャ、何回、引けると、思ってんだぁぁあ!!」

 

 何度も魂を込めた蹴りを入れている内に、徐々に熱が冷めて来た。

 見ると何度蹴られ、動きを止めたハエから、何か黒い靄のような物が立ち上り、そして俺が息を整えている間に、形を崩し、黒い靄と共に宙へと拡散し、消え去る。

 

 なんだ、こりゃ。

 

 でかいハエが、襲って来るのも驚きだが、溶けてなくなるのも驚きだった。

 もう、驚きすぎて、一周回って、笑えて来る。

 そして、そんな隙を、残った2匹が見逃すはずが無かった。

 

 迫る羽音に俺は思考を戻すも、目の前には鋭いナイフの様な口顎があった。

 

 あ、これ死んだ。

 

 そう思った次の瞬間……爆音と共に、目の前から横合いに吹っ飛ぶハエ。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 こちらに駆け寄りながら、声をかけて来た美少女の声を聞いて、俺は意識を失ったのだった。

 




お読み頂きありがとうございました。
機会がありましたら、続きを配信いたします。
宜しくお願い致します。

9/23 表現修正

・会話文末尾の句読点を削除いたしました。
ご指摘ありがとうございました!

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