シクラメンと新米団長   作:泉絽

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第3話

「で? つまり、この貴族様を保護した後、のんきに草原の真っただ中で、日向ぼっこをしていたと?」

 

 目の前で腕を組み、静かに目を閉じながら、そう口にしたのは、元の世界ではお目にかかる事の無い金属鎧を着こんだ壮年の男性であった。

 腰には、ただでさえ丸太の様な太さをしている腕より、更に一回り大きい剣をぶら下げている。見ただけで、素人の俺でもわかる程、歴戦の者という言葉がしっくりと来る風貌と、雰囲気を纏っていた。

 そして、その口調は淡々としている物の、有無を言わさない迫力がある。

 

「うっ……は、はぃ……。その、団長さんの気分が優れなかったようなので、つい……」

 

 そんな押しつぶされそうな雰囲気を纏う言葉に、意外にも、彼女は尻込みしながらも、しっかりと受け答えしている。

 

「団長?」

 

「あ、はい。団長さんだそうです」

 

 その言葉を受けて、鋭い視線が俺に飛ぶ。

 まるで突き刺さるかのような目力を感じ、それだけで踏鞴(たたら)を踏みそうになるも、それを堪えた俺は、思わず頬を掻きながらどう返答した物かと、迷う。

 その一瞬の迷いを読み取ったのだろう。その壮年は、一つ溜息を吐くと、それでも良く通る声で、現実的な提案を口にした。

 

「まぁ、なんだ。まずは、街へ帰るか。詳しい話はそれからだ。おい、クフェア、殿(しんがり)は任せるぞ」

 

「ああ」

 

 今迄、気配すら感じなかったが、ふと声のした方に目を向ければ、一人の赤い女が、木にもたれかかったまま、こちらを横目で睨んでいた。

 その視線が俺と交錯したその瞬間、冷気が背筋を伝い、本能に基づいて、反射的に体が強張る。

 

 なんて目をしていやがる……この女。

 

 例えるなら、飢えた獣の様な、そんな目だった。服は黒と赤で統一されており、仄暗き夕日を連想させる。

 また、ネコ科を連想させる細い瞳の奥底には、まるで燃え盛る炎の様な、凶悪な感情と、隠し切れない激しい衝動が宿っているのを俺は感じた。

 手には壮年が腰に掛けていた物とは、比べ物にならない程大きな一振りの大剣。

 それを大地に突き刺したまま、こちらの様子を伺っていた。

 

 そんな女は、声も出せずただ喘ぐ事しか出来ない俺の様子を見て、一瞬、ニヤリと口元を歪ませると、そのまま視線を外し、森へと消えた。

 対して俺はと言えば、女が姿を消した方を、放心しながら、見つめる事しかできない。

 心臓が激しく鼓動し、その拍動が俺の耳を痛い程、叩き続ける。

 まるで、全ての血液が俺の身体から飛び出してしまうのではないかと、錯覚してしまう程だった。

 

「……団長さん、行きましょう?」

 

 ふと、優しい声が響いた事で、そんな呪縛から解放される。

 控えめで小さいが、何故か心に響く、そんな不思議な声だった。

 

 見ると心配そうに俺を見上げる澄んだ1対の瞳がそこにあった。

 ……俺の命の恩人であり、壮年にシクラメンと呼ばれていた子だった。

 

 そうだな。ビビっている場合じゃない。

 俺は静かに目を瞑り、心の中でゆっくりと三秒数えて、目を開く。

 

 ここぞという時、落ち着きを取り戻す方法。

 自己流だから、詳しい事は不明だが、自己暗示の一種なのかもしれない。

 ただ、これは、社会人になってから身に着けた、数少ない俺の特技だった。

 

 視界がクリアーになる。先程まで耳奥で暴れていた鼓動音が、徐々に熱を失ったかの様に、落ち着いていった。

 

「すいません。ちょっと驚いていました」

 

 そう自然に口を突いて出た言葉と、微笑みを確認して、彼女は少しホッとした様に、表情を緩ませる。

 

「クフェアさん、ちょっと雰囲気が……その……と、特殊ですもんね。けど、凄く頼れる方なんですよ」

 

 敢えて、恐ろしいとは言わない所が、この子らしいと言うか。

 そんな事を思いながら、「そうなんですか」と相槌を打ちつつ、彼女に従って歩き始める。

 

 そんな当たり前の様に俺の横に並ぶ彼女を見て、ふと、俺は、彼女からまだ名前を聞いていないと思い至る。

 なんかドタバタしてたしなぁ。俺の名前は伝えたけど、変な形で理解されているみたいだし。

 

 それに……。

 

 前を歩く壮年の背中へと視線を移す。

 その背中は、まるで壁の様だった。纏う雰囲気は、正に頼れる男をそのまま体現しており、現代に生きる俺とは全く別の生き物だと、理解させられる。

 

 そんな男が、何も考えずに、得体の知れない俺と言う存在を野放しにするのか?

 しかも、見た感じまだ素人っぽいこの子に任せる事が、とても不自然に思えてならない。

 となると、彼の中で、何か意図があり、この状況は、それによって作り出された……そう考えるのが妥当だろうか?

 

 ま、もしかすると、何も考えてないという事もあり得るだろうし、そこまで俺を不審人物と考えていない可能性もある。

 或いは……俺如きが何をしても、彼女を害する事すら出来ない……と、思われているのかもしれない。

 

 まぁ、いずれにせよ、ここで彼女と話をしておけば、後で色々と話す手間も省けそうだというのは間違いなさそうだ。

 彼女の口から伝わるにせよ、背中はむけているが、俺達の会話に耳を傾けているにせよ、情報は多い方が良いだろうし。って言うか、当たり前の様に、彼女を俺に着けたのは、そういう意図があるからかもな。

 そう考えると、全く、なかなかどうして、食えない人である。

 

 じゃあ、何にせよ、この時間を有効に使わせてもらうか。

 そう決めた俺は、早速、隣を歩く彼女に声をかけた。

 

「えっと、ちょっと良いでしょうか?」

 

「は、はぃ。何でしょうか?」

 

 若干、どもりながらも、しっかりと答えた彼女を一瞬見て、前を歩く壮年の様子を確認した後、俺は、話を切り出す。

 

「実は、どうしても、聞きたい事があって……いいですか?」

 

「あ、は、はははい! わ、私で、その、宜しければ……ですが」

 

 何故、そこまで緊張する。そう思ったが、この子は俺の立場を誤解している事に思い至り、まずは、そこから訂正する事にした。

 

「いや、えっと、まず、さっき、貴女は、私の事を貴族とか、団長って呼んでいましたけど、それ違いますから」

 

「へ?」

 

「実は、私、何の地位も持たない、ただの一般市民なんです。なんだか、誤解させてしまい、申し訳ありません」

 

「え、あれ? けど、先程、団長と」

 

「それは、私のあだ名……えっと、通り名みたいなものなのですよ。本名は、(だん) 長人(ながと)と申しまして、別の読み方をすると、ほら、団長って読めますから。昔からそんな風に仲間内で呼ばれていただけなんです。紛らわしくて申し訳ない」

 

 そんな俺の言葉を聞いていたのだろう。一瞬、前を歩く壮年の肩が、大きく上下に揺れた。

 きっと、溜息でも吐いたんだろうな。そして、心の声まで聞こえる気がする。

 そんな事だろうと思ったよ。ってね。

 

「え、えぇええええ!?」

 

 そして、こちらはやはりと言うか、思った通りに、パニックを起こしていた。

 まぁ、得体の知れない俺を、貴族様や団長様と誤認したまま、上司に報告してしまったんだから、そりゃそうだよな。

 

 うーん、本当は報告する前に、止められれば良かったんだが、そんな暇なかったからなぁ。

 

 それに、勘違いするにしても、裏も取らずに報告したのは、きつい言い方にはなるが、職務怠慢だ。

 少なくとも社会人なら……それが重要な情報である程、思い込みで報告とかする前に、確認位するしなぁ。

 とは言え、俺も人の事は言えず、社会人1年目には、彼女と同じような事をやらかしているしな。こればっかりは、経験して痛い目見ないと身につかないし。結果的にはこれで良かったのかもしれない。

 

「シクラメェン!!」

 

 そんなちょっと薄情にも思える事を考えていた俺の思考を、背中を向けたままである壮年の一喝が吹き飛ばす。

 こちらを向いていないのに、この声量。……化け物か。

 

「は、はぃい!」

 

 対して半ば反射的に返事を返す、彼女の姿が、酷く痛々しく感じられた。

 

「帰ったら、報告書と反省文、提出な」

 

「はぃ……」

 

 低いが良く通る声で、そう指示された彼女の返事から、哀愁が漂っていた。

 そして、気になって横を向けば、ただでさえ小柄な彼女が、更に一回り縮んだように見えた。

 

 おう、何か居たたまれない。

 

「えっと、何か、本当にごめん」

 

 思わず、素でそう口をついて出た言葉に、しまったと、慌てて口を噤むも遅かった。

 そんな俺の身勝手な言葉に、彼女はすぐに顔をあげ、首を振る。

 

「いえ、私の方こそ、ごめんなさい。……いっつも、こうなんです。私、どんくさくて……」

 

 まぁ、そりゃ、こういう話にしかならない訳で。

 俺の馬鹿。今までのこの子の言動を見ていれば、こう返すに決まってるだろう!

 少しでも俺が楽になりたくて、思わず出てしまった謝罪など、彼女の足しになるどころか、邪魔にしかならないだろうに。

 社会に出て、本当に思い知った事だ。その経験を、活かす事の出来なかった自分に、腹が立つ。

 

 何とか俺の不用意な言動で傷付いた彼女の心を、少しでも癒したかった。

 

「いや、そんな事は無いです。貴女は……右も左も分からない私を、命がけで救ってくれた! この世界に来て、不安で一杯だったこの私を、心も含めて救ってくれたんですよ」

 

 そんな俺の本心であり、思いの全てを彼女にぶつける。

 俺の言葉を受けて、呆然としながら、彼女は顔を俺に向けた。

 

「訳も分からない世界に突然放り込まれて、あんな訳の分からない物に襲われて……諦めかけていた私を、救ってくれたんです。……私にとって、貴女は、一条の光のように見えたんです」

 

 歩みを止めた彼女の目を見ながら、俺はそう声をかけた。本心でしかない、その心を晒した。

 そんな彼女が何かを口にしようとした時、

 

「なぁ、あんた……今、()()()()って言ったよな?」

 

 何時の間にか、俺のすぐ横に立っていた壮年の声が頭上より降り注ぐ。

 視線を彼女から外し、声のした方へと向けると、吸い込まれそうな二つの穴が、俺を見下ろしていた。

 

「あんた……異世界人か?」

 

 その問いの意味を理解するまで、俺は身動き一つ取る事も出来なかったのだった。

 




お読み頂き、ありがとうございました。

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