シクラメンと新米団長 作:泉絽
俺は今、応接室のような所で、一人思いにふけっていた。
先程までここで、俺に対してこの世界の在り方を説明してくれていた、あの壮年は、今席を外している。
異世界人。
その言葉を聞いた時、俺の心に浮かんだのは、「ああ、やっぱりな……」と言う諦めにも似た理解だった。
俺の生きて来た世界に、あんなデカい虫はいない。
俺の生きて来た世界に、あんな鎧を身に纏った、筋骨隆々の壮年は闊歩していない。
そして……俺の世界には、あんなに可憐で華やかな
ここは、俺の知っている世界とは別の世界だ。
それを漸く、心から認めるに至り、次に俺の胸に落ちて来たのは、圧倒的な絶望感だった。
誰も俺の事を知らない世界。
俺の常識が殆ど通用しない、異世界。
生活基盤の欠片も無いこの地で、俺が生きていくビジョンが、どうしても浮かばなかった。
そんな俺の胸中を見透かしたかのように発せられた壮年の言葉を、俺は思い返す。
「異世界人である君には二つの選択肢がある。一つは、異世界人であることを隠しつつ
軍人として、戦いに身を投じる方法。
そう。この世界は、戦いに満ち溢れている。
それも、聞いてびっくりしたが1000年以上前からだそうだ。
1000年前、この世界――
その時、この世界を救ったのが異世界の勇者と、その勇者に導かれたフォスと言う初代
以降、1000年にも長きにわたり、この世界の人々は、害虫の脅威と戦い続けて来たらしいのだ。
俺のいた世界も、戦乱の歴史は数あるが、全て同族との戦いであった。
多くの国同士が、いがみ合い、騙し合う事で、俺のいた世界は成り立っていたように思う。
結果、不信感と善性がせめぎ合い、個人主義が台頭する、空虚な世界となっていた。
しかし、この世界の人々は、外敵の脅威から身を守る為、今なお一丸となって戦い続けているのだから、その違いも納得である。
隣人を信じられなければ、そもそも戦えないのだ。
その脅威から身を守る為に、隣人同士が手を取らざるを得ない世界。それが、この世界だった。
しかし例外もやはりある様で、ごく一部の国は閉鎖的な国政を敷いているようである。
ロータスレイクと呼ばれるその国は、幻の国と言われるほど、他の国と国交がなく、その正体もベールに包まれたままでいるようだ。
また、ベルガモットバレーと呼ばれる国も、閉鎖体質で有名らしく、その国の全容は、見通す事が出来ないらしい。
そんな危ういバランスの中、手を取り合っている各国同士が、今この瞬間も、害虫達の脅威と戦っている。
そんな世界が、この
俺が襲われた、あの大型の虫の様な怪物。
あれが説明に出て来た害虫と呼ばれている脅威で、そいつらは大抵の場合は、無差別に人を襲うらしい。
基本的には
大きい物だと、軽く家数軒分にもなるそうだ。そんな物、どうすればいいんだろうか?
更には、大昔の伝承によれば、山の様に大きな害虫とも戦ったと言われている。
「流石に、おとぎ話レベルの話だから、眉唾物ではあるのだがな」と苦笑しつつそんな言葉を口にした壮年の表情は、どこか苦いものではあった。だが、そんな害虫が居るかもしれないと言われても、納得できてしまう下地が、この世界にはあった。
そんな脅威と互角に対峙し、人々の生活を守る存在。
それが、
その力は、世界花と呼ばれる、この世界を支える存在から与えられると聞いた。
知徳の世界花 ブロッサムヒル
深い森の世界花 リリィウッド
常夏の世界花 バナナオーシャン
風谷の世界花 ベルガモットバレー
雪原の世界花 ウィンターローズ
それぞれの国の名を冠した世界花が、その国の中心にあり、そこから祝福を得て力を与えられるとの事だ。
ちなみに、ここは、ブロッサムヒルであるらしいと、先程、話の合間に説明された。
そして、ここは、そんな世界花の祝福を受け、
耳をすませば、遠くから微かに甲高い声が聞こえてくる。
それは、元の世界の学校の喧騒を思い起こさせる物ではあったが、彼女達と元の世界の学生とは、いずれその身を戦果に投じると言う一点において、その未来が決定的に違っていた。
なんて所だと思う。
時間が経てば経つほど、その恐ろしさが、実感を伴って染み渡り、俺の心を徐々に冷やしていく。
如何に自分が平和というものを、当たり前のように享受していたのか、今更ながらに思い知った。
唐突に、先程のあの害虫と呼ばれる存在を思い出し、息を詰まらせる。
恐ろしかった。あの強靭な顎を持ってすれば、俺の命など
市井に下れば、最低限の援助を受けながら、暮らすことは可能なようだ。
だが、それでは……。
ふと俺は、シクラメンと呼ばれていた、あの可憐な女性を脳裏に描いた。
そうだ、彼女も、戦っているんだ。
自分の意志に反して、身体が勝手に震えた。
そう。文字通り、あんな虫も殺せ無さそうな子が、戦いに身を投じる。そういう所だ、ここは。
市井に下るということは、彼女のような子達に、守ってもらうということだろう?
彼女たちが傷つき戦い続ける中、俺はのうのうと人生を謳歌するのか? いや、そもそもそんな事できるのか?
できる訳がない。冗談じゃないぞ。
何故か、今度はやり場の無い怒りが湧いてきた。
敢えて言うなら、その怒りの矛先は、この世界自身のあり方に対してであり、何よりも本当に一瞬、『それでも良いかもしれない』と思ってしまった自分自身に対してだ。
ダメだ。俺は、ここで背を向けたら、もう前を向いて生きていけない。
どんなに言い訳を並べても、俺は俺自身を許せないだろう。
そういう面倒くさいところがある奴だというのは、自分自身が一番知っている。
考え込む内に、いつの間にか、俯くように下がっていた視線をあげる。
そして、深呼吸を一つ。立ち上がり、部屋に一つだけある窓へと、俺は近づいた。
外は快晴。空を見れば抜けるような青空だ。
視線を移せば、グラウンドの様な広場で、まだ女と呼ぶには抵抗があるくらい可憐な乙女たちが、声を上げ鍛錬に励んでいる姿が飛び込んできた。
そんな乙女たちの中で、一瞬、桃色の髪が揺れるのを、何故か認識できたような気がした。
髪の色など認識できないほど、離れているはずなのに、それが彼女であると、何故か確信できた。
彼女の命を、少しでも永らえることができるなら、戦うのもありかもしれない。
本当にごく自然に、そう思える。本当に、不思議だ。こんな静かに激しい思いを、俺は今まで生きて来て感じたことは無い。
これが、本当の恋と言うものなのだろうか? それとも、自暴自棄になった心が見せる、単なる幻想なのか?
だが、いずれにせよ、あの時、彼女に拾われた命だ。ならば、この生命……彼女の為に使うのも、悪くはないだろう。
そう心の底から静かに湧き上がった決意を、俺はすんなりと受け入れたのだった。
「そうか……戦うことを選ぶか」
「はい。私には、何の力もありませんが……ここで背を向けたら、私は私自身を許せそうにありません」
暫くして戻った壮年の男に、俺はそう告げる。
俺の目を射抜くように見つめるその瞳には、探るような色が見て取れた。
「半端な正義感など、この世界では簡単に潰されるぞ?」
俺を試すように、そう、ゆっくりと吐き出された言葉に、感情は無かった。
ただただ、事実を述べている。俺にはそう感じられたのだ。だから俺も、嘘偽り無く、当たり前のように口にする。
「そんな大層なものではありませんよ」
俺のそんな軽い言葉に、壮年は眉をひそめるも、そのまま続き促すように口を閉じたままだった。
「ただ、私は……可愛い女の子達に守って貰って震えて過ごすぐらいなら、守る側になりたいってだけです。男ってそんなものでしょ?」
続く俺の言葉を聞いて、壮年は口の端を静かに持ち上げる。
「馬鹿だな、お前」
「ええ、自覚はしてます」
俺のさらなる言葉に、壮年は思わずといった感じに、軽く鼻を鳴らすと、
「だが、嫌いじゃない」
そう言いながら、立ち上がり、手を差し伸べてきた。
それを一瞬見つめ、俺も立ち上がり、しっかりと握りしめる。
「ようこそ、この滅びかけた世界へ」
そんな言葉とともに、俺はこの世界に改めて迎えられたのだった。
お久しぶりです。
お読み頂きありがとうございます。
本当に若干ではありますが、進められたので、短いですが投稿します。
次から本編を進行していく予定ですが、いつになることやら……。
お暇な方は、お付き合いしてやって下さい。
それでは、今後共、宜しくお願い致します。