シクラメンと新米団長   作:泉絽

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第4話

 俺は今、応接室のような所で、一人思いにふけっていた。

 先程までここで、俺に対してこの世界の在り方を説明してくれていた、あの壮年は、今席を外している。

 

 異世界人。

 

 その言葉を聞いた時、俺の心に浮かんだのは、「ああ、やっぱりな……」と言う諦めにも似た理解だった。

 

 俺の生きて来た世界に、あんなデカい虫はいない。

 俺の生きて来た世界に、あんな鎧を身に纏った、筋骨隆々の壮年は闊歩していない。

 そして……俺の世界には、あんなに可憐で華やかな()()()()()をした女性など……いなかった。

 

 ここは、俺の知っている世界とは別の世界だ。

 それを漸く、心から認めるに至り、次に俺の胸に落ちて来たのは、圧倒的な絶望感だった。

 

 誰も俺の事を知らない世界。

 俺の常識が殆ど通用しない、異世界。

 生活基盤の欠片も無いこの地で、俺が生きていくビジョンが、どうしても浮かばなかった。

 

 そんな俺の胸中を見透かしたかのように発せられた壮年の言葉を、俺は思い返す。

 

「異世界人である君には二つの選択肢がある。一つは、異世界人であることを隠しつつ市井(しせい)に降り、一般人として暮らしていく方法。そしてもうひとつが……」

 

 軍人として、戦いに身を投じる方法。

 

 そう。この世界は、戦いに満ち溢れている。

 それも、聞いてびっくりしたが1000年以上前からだそうだ。

 

 1000年前、この世界――春庭(スプリングガーデン)と呼ばれているようだ――が、外世界から侵攻した害虫の脅威にさらされ、滅亡の危機に瀕したらしい。

 その時、この世界を救ったのが異世界の勇者と、その勇者に導かれたフォスと言う初代花騎士(フラワーナイトガール)だったとか。

 

 以降、1000年にも長きにわたり、この世界の人々は、害虫の脅威と戦い続けて来たらしいのだ。

 

 俺のいた世界も、戦乱の歴史は数あるが、全て同族との戦いであった。

 多くの国同士が、いがみ合い、騙し合う事で、俺のいた世界は成り立っていたように思う。

 結果、不信感と善性がせめぎ合い、個人主義が台頭する、空虚な世界となっていた。

 

 しかし、この世界の人々は、外敵の脅威から身を守る為、今なお一丸となって戦い続けているのだから、その違いも納得である。

 隣人を信じられなければ、そもそも戦えないのだ。

 その脅威から身を守る為に、隣人同士が手を取らざるを得ない世界。それが、この世界だった。

 

 しかし例外もやはりある様で、ごく一部の国は閉鎖的な国政を敷いているようである。

 ロータスレイクと呼ばれるその国は、幻の国と言われるほど、他の国と国交がなく、その正体もベールに包まれたままでいるようだ。

 また、ベルガモットバレーと呼ばれる国も、閉鎖体質で有名らしく、その国の全容は、見通す事が出来ないらしい。

 そんな危ういバランスの中、手を取り合っている各国同士が、今この瞬間も、害虫達の脅威と戦っている。

 

 そんな世界が、この春庭(スプリングガーデン)であると、説明を受けた。

 

 俺が襲われた、あの大型の虫の様な怪物。

 あれが説明に出て来た害虫と呼ばれている脅威で、そいつらは大抵の場合は、無差別に人を襲うらしい。

 

 基本的には獰猛(どうもう)な種が多く、狂暴な物ほどその体躯が大型になると言う。

 大きい物だと、軽く家数軒分にもなるそうだ。そんな物、どうすればいいんだろうか?

 

 更には、大昔の伝承によれば、山の様に大きな害虫とも戦ったと言われている。

「流石に、おとぎ話レベルの話だから、眉唾物ではあるのだがな」と苦笑しつつそんな言葉を口にした壮年の表情は、どこか苦いものではあった。だが、そんな害虫が居るかもしれないと言われても、納得できてしまう下地が、この世界にはあった。

 

 そんな脅威と互角に対峙し、人々の生活を守る存在。

 それが、花騎士(フラワーナイトガール)であると言う。

 

 花騎士(フラワーナイトガール)達は、不思議な力をその身に宿し、超常的な力を持って、害虫と戦う事が出来るらしい。

 その力は、世界花と呼ばれる、この世界を支える存在から与えられると聞いた。

 

 知徳の世界花 ブロッサムヒル

 深い森の世界花 リリィウッド

 常夏の世界花 バナナオーシャン

 風谷の世界花 ベルガモットバレー

 雪原の世界花 ウィンターローズ

 

 それぞれの国の名を冠した世界花が、その国の中心にあり、そこから祝福を得て力を与えられるとの事だ。

 

 ちなみに、ここは、ブロッサムヒルであるらしいと、先程、話の合間に説明された。

 そして、ここは、そんな世界花の祝福を受け、花騎士(フラワーナイトガール)を志す者達が集う騎士団学校なのだそうだ。

 

 耳をすませば、遠くから微かに甲高い声が聞こえてくる。

 それは、元の世界の学校の喧騒を思い起こさせる物ではあったが、彼女達と元の世界の学生とは、いずれその身を戦果に投じると言う一点において、その未来が決定的に違っていた。

 

 なんて所だと思う。

 

 時間が経てば経つほど、その恐ろしさが、実感を伴って染み渡り、俺の心を徐々に冷やしていく。

 如何に自分が平和というものを、当たり前のように享受していたのか、今更ながらに思い知った。

 

 唐突に、先程のあの害虫と呼ばれる存在を思い出し、息を詰まらせる。

 恐ろしかった。あの強靭な顎を持ってすれば、俺の命など容易(たやす)く吹き散らされるだろう。

 

 市井に下れば、最低限の援助を受けながら、暮らすことは可能なようだ。

 だが、それでは……。

 

 ふと俺は、シクラメンと呼ばれていた、あの可憐な女性を脳裏に描いた。

 そうだ、彼女も、戦っているんだ。

 

 自分の意志に反して、身体が勝手に震えた。

 

 そう。文字通り、あんな虫も殺せ無さそうな子が、戦いに身を投じる。そういう所だ、ここは。

 市井に下るということは、彼女のような子達に、守ってもらうということだろう?

 彼女たちが傷つき戦い続ける中、俺はのうのうと人生を謳歌するのか? いや、そもそもそんな事できるのか?

 

 できる訳がない。冗談じゃないぞ。

 

 何故か、今度はやり場の無い怒りが湧いてきた。

 敢えて言うなら、その怒りの矛先は、この世界自身のあり方に対してであり、何よりも本当に一瞬、『それでも良いかもしれない』と思ってしまった自分自身に対してだ。

 

 ダメだ。俺は、ここで背を向けたら、もう前を向いて生きていけない。

 

 どんなに言い訳を並べても、俺は俺自身を許せないだろう。

 そういう面倒くさいところがある奴だというのは、自分自身が一番知っている。

 

 考え込む内に、いつの間にか、俯くように下がっていた視線をあげる。

 そして、深呼吸を一つ。立ち上がり、部屋に一つだけある窓へと、俺は近づいた。

 

 外は快晴。空を見れば抜けるような青空だ。

 視線を移せば、グラウンドの様な広場で、まだ女と呼ぶには抵抗があるくらい可憐な乙女たちが、声を上げ鍛錬に励んでいる姿が飛び込んできた。

 

 そんな乙女たちの中で、一瞬、桃色の髪が揺れるのを、何故か認識できたような気がした。

 髪の色など認識できないほど、離れているはずなのに、それが彼女であると、何故か確信できた。

 

 彼女の命を、少しでも永らえることができるなら、戦うのもありかもしれない。

 本当にごく自然に、そう思える。本当に、不思議だ。こんな静かに激しい思いを、俺は今まで生きて来て感じたことは無い。

 これが、本当の恋と言うものなのだろうか? それとも、自暴自棄になった心が見せる、単なる幻想なのか?

 

 だが、いずれにせよ、あの時、彼女に拾われた命だ。ならば、この生命……彼女の為に使うのも、悪くはないだろう。

 

 そう心の底から静かに湧き上がった決意を、俺はすんなりと受け入れたのだった。

 

 

 

「そうか……戦うことを選ぶか」

 

「はい。私には、何の力もありませんが……ここで背を向けたら、私は私自身を許せそうにありません」

 

 暫くして戻った壮年の男に、俺はそう告げる。

 俺の目を射抜くように見つめるその瞳には、探るような色が見て取れた。

 

「半端な正義感など、この世界では簡単に潰されるぞ?」

 

 俺を試すように、そう、ゆっくりと吐き出された言葉に、感情は無かった。

 ただただ、事実を述べている。俺にはそう感じられたのだ。だから俺も、嘘偽り無く、当たり前のように口にする。

 

「そんな大層なものではありませんよ」

 

 俺のそんな軽い言葉に、壮年は眉をひそめるも、そのまま続き促すように口を閉じたままだった。

 

「ただ、私は……可愛い女の子達に守って貰って震えて過ごすぐらいなら、守る側になりたいってだけです。男ってそんなものでしょ?」

 

 続く俺の言葉を聞いて、壮年は口の端を静かに持ち上げる。

 

「馬鹿だな、お前」

 

「ええ、自覚はしてます」

 

 俺のさらなる言葉に、壮年は思わずといった感じに、軽く鼻を鳴らすと、

 

「だが、嫌いじゃない」

 

 そう言いながら、立ち上がり、手を差し伸べてきた。

 それを一瞬見つめ、俺も立ち上がり、しっかりと握りしめる。

 

「ようこそ、この滅びかけた世界へ」

 

 そんな言葉とともに、俺はこの世界に改めて迎えられたのだった。

 




お久しぶりです。
お読み頂きありがとうございます。

本当に若干ではありますが、進められたので、短いですが投稿します。
次から本編を進行していく予定ですが、いつになることやら……。

お暇な方は、お付き合いしてやって下さい。
それでは、今後共、宜しくお願い致します。

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