シクラメンと新米団長 作:泉絽
やってしまった。
脳裏に素敵なしましまが
いや、違う。あれは、不可抗力だ!!
心で俺は誰にともなく、言い訳をするも……次に浮かんでくるのは、耳まで真っ赤に染め上げて、遠ざかるしましま……ではなく、シクラメンだった。
はぁ……なんで、またあんなタイミングで、彼女は近づいてきたのだろうか。しかも位置的に、どう考えても俺を跨いでいるんだが。
いや、違う。彼女は悪くない。そもそも悪いのは周囲を良く確認せずに無理に起き上がろうとした俺で。
「あだぁ!?」
突然、額を撃ち抜かれたかの様な激しい衝撃に、俺は思わず声を上げて仰け反る。
いてぇ、超痛い。
涙を目の端に浮かべながら視線を向けると、そこには、張り付いたような笑みを浮かべた妙齢の女性が一人。
「あらぁ、団長さん? 私の講義、そんなに面白くないかしら? ねぇ?」
前言撤回、般若がそこにいた。
「今、良からぬことを考えてましたね? 例えば、そう。私がおば、おばさんだとか」
「いえ!? ち、違います。ヤグルマギク先生は、お若いですし、お綺麗ですから。間違っても、俺がおばさんとか考える訳ありませんよ!?」
「あ、あら、そう? そうよね、私もまだまだ、
「ええ、も、もちろんですよ! 私の世界なら先生みたいな、若くて綺麗な先生を生徒が放っておきません」
そんな俺の過剰とも取れる言葉を聞いて、「そんな、それは言いすぎよ」と口にしつつも満更でもない表情を浮かべる。
良かった。ようやく、般若……もとい、ヤグルマギク先生は、落ち着いてくれたようだ。
彼女にとって歳の話は、戦略級の地雷である。しかも、なぜだか自分からその地雷を踏みに行くという癖があるのを、この数日の授業で嫌という程、体験してきたのだ。
そして、今は彼女が講師をする座学の時間だった。しかも、授業を受けているのは、何故か俺だけである。
ちなみに、歳の話は上手くフォローできないと、その後は、鬱モードに入ったヤグルマギク先生を、励まし続けるという苦行が待っている。そうなると、授業は必然的に無くなり、俺の教育は遅れていくわけだ。
そんな過去数日のトラウマを回想していた俺だが、
「では、何故、私の授業を上の空で聞いていたのかしら?」
そんな彼女の言葉に、俺は意識を引き戻された。
見れば先程までではないにせよ、その目に厳しさを
一瞬、俺はどう答えようか迷う。だが、考えてみればこれは、良い機会なのかもしれない。
彼女は教師であり、花騎士達の事をよく知る人物である。
ここは恥を
「実は……ある花騎士との関係で悩んでおりまして」
「か、関係!?」
「あ、いや、関係と言っても男女のものではなく」
「男女!?」
「いえ、だから……」
それから、数分間、俺は背中に変な汗を浮かべながら、ヤグルマギク先生へ弁解のような相談をすることになったのであった。
「……団長さんも、大胆ねぇ」
「それに関しては、申し開き用もなく」
事の顛末を語った俺は、改めて小さくなりつつも、彼女の言葉を待つ。
「謝ることはできたのよね?」
「一応……ですが、すぐに逃げてしまいまして、逃げる背中に声をかけるのが精一杯といいますか」
そうなのだ。実はこの数日間、なんとか謝罪をしたくてシクラメンを探しては、エンカウントした瞬間的に逃げられるという状態を繰り返している。
顔ばかりか耳まで真っ赤に染めつつ「す、すすすみませぇえーぇ……」と、ドップラー効果を起こしつつ去っていく彼女には、「ごめん」の三文字すら届けるのが至難の業な状態だったりするわけで。
正直、ちゃんと向かい合って、謝罪をしたいのだが、この状況ではそれすらままならない。
せめて手紙を書こうと思ったのだが、そもそも文字が違っていて既に挫折した。さすが異世界。
ちなみに、文字の勉強は後回しにされている。とりあえず、その辺りは追々でも何とかなるというのが上の判断らしい。
一応、自分でも勉強はしているのだが、訓練で限界まで追い込まれている日々では、一向に
だからこそ、ヤグルマギク先生への相談に期待したのだが、帰ってきた言葉は、俺には意外なものだった。
「そうね、それならば良いのではないかしら?」
「良いと、言いますと?」
「もう、これ以上、団長さんから何かしなくても良い、と言うことよ」
「それは、不味いのではないでしょうか?」
「そうかしら? むしろ、団長さんがシクラメンさんを追い回す方が、色々と問題になると思うのだけれど」
「うっ、確かに」
考えてみれば今、俺がやっている事を傍から見れば、逃げるシクラメンを追い回すストーカーみたいだし。
それに、謝罪したいというのは、あくまで俺側の都合だ。それを逃げる彼女に押し付けることは、単なる自己満足でしか無いのではないか?
そんな簡単なことにすら気づけなかったとは、思った以上に俺も、焦っていたのだろう。
「それに……」
ふと、言いよどむ彼女の言葉を待つように、俺は視線を向ける。
「女は、追いかけ回されるより、追い回したいものなのよ」
そんな風にちょっとだけ茶目っ気を出しつつ、微笑む彼女を見て、一瞬、心臓が小さく跳ね上がった。
「って、ちょっとふざけ過ぎたわね」
俺の表情を見て何かを察したのか、彼女まで一瞬で顔を赤くする。
それを取り繕うように、「柄にも無いこと言ったから、恥ずかしいわ」と、手で顔を仰ぐ仕草が、妙齢の女性の雰囲気と相まって、何とも言えない魅力を引き出していたのだが、俺はその事実を心の中に留めておく。
「と、とにかく」
そんな風に、場の雰囲気を無理やり切り替えるように、彼女は少し大きめに声を張ると、咳払いを一つ。
「団長さんは、暫くシクラメンさんの事は忘れて、目の前のことに集中すること。いい?」
人差し指を立てつつ、完全に教師の雰囲気をまとった彼女からそう言われては、俺の返答は、一つしか無い。
「はい、わかりました!」
「よろしい。では、授業に戻ります」
そうして、俺は、暫くの間、シクラメンとの接点を自主的に断つことにしたのだった。
あれから、一週間が経った。
俺は心の端でモヤモヤを残しつつも、日々の訓練に明け暮れていた。
それ程に、訓練は苛烈であり、実際、雑念など抱いている暇すら無いのが現状だ。
「ほら! もう一発!!」
どう考えても人間が為せるものでは無い速度で、剣が振り下ろされる。
グレッグ騎士団長は、相変わらず俺につきっきりで稽古をしてくれていた。
それを弾く。角度を少しでも間違えると、次の瞬間には、地面を舐めることになる。
最初こそ命を削るような一合であったが、最近、慣れてきたせいか、少しだけその剣筋が見えてきたように感じる。
「ほう? それ、これはどうだ!」
この角度、ならば……こう!
響く金属音。すぐさま、次が来る。
「そら、そら!」
更に甲高く響く音が、徐々に間隔を
その状況が楽しくて仕方ないように、場違いな笑みを浮かべつつ尚も剣を振るうグレッグ騎士団長。
このやろ、こっちは精一杯だっちゅーの!
一瞬でも対処を間違えれば、俺はこの剣に打ち据えられて、意識を失う。
それは、戦場では死を意味する。
そして、俺の死は、即ち、部隊の壊滅を意味する。
「団長くんは、部隊を率いて戦わなくてはならないの。つまり貴方は、花騎士達の命を担う存在なのよ?」
ヤグルマギク先生の言葉が、俺の脳裏に
俺の失敗で、俺一人の命が潰えるなら、まだそれは良い。
だが、他の人の命を背負っているとなれば話は別だ。
だから俺は、絶対に死ぬことができない。それを、俺自身が許容できない。
ならば、強くならねばならない。いずれ俺のを支えてくれる人達のためにも。
一瞬、脳裏に浮かぶ彼女の姿。儚げに微笑む彼女を幻視し、
「俺は、死ねない!!」
思わず声が出た。
「良い気迫だ!!」
その一瞬で、更に速度が上がる。
立ち位置を間違えるな。
体制を崩すな。
呼吸を合わせろ。
しっかりと、剣筋を感じろ。
全てを無心で、しかし冷静に行なえ。
一合打ち合うごとに、その速度は増し、重さも増す。
それをその時、その瞬間に対処する。
切り込む必要はない。ただ、いなす。
呼吸を乱さず、ただ、そこに存在すればいい。
そうすれば、花騎士達が来てくれる。
異世界から来た俺には、特別な力はない。だから、生き残るために死力を尽くさねばならない。
その為の訓練。その為の技術。全ては、1分1秒でも戦場で生き残るための力を得るために。
そうして、幾瞬か続いた剣戟は……一際、甲高い音が響いた瞬間に、
「見事だ」
天から降ってきたその言葉と共に、俺の意識を刈り取り、終わりを告げたのだった。
間が空きましたが、とある方のとある支援により続きを書きました。
これからもマイペースに続けていければ良いなと思っています。
少しでも興味を持ってくださった方は、是非、感想や評価を頂けると嬉しいです。
では、次回も宜しくおねがいします。