何度か見たことがあった。
グランドを駆け回る姿。
小さな白いボールを追いかけて、屈託に笑う男。
他人には得られないものを持ち、天性の非凡な才能を秘めるバカ。
怪我をしただけで全部投げ捨てようとする、そんな彼に一言添えさせてもらおう。
------死にたければ死ねばいい。
------飛びたければ飛べばいい、ヒーロー。
------だが、"彼"を連れていくのは違うだろう。
◇ ◇ ◇
憂鬱、その一言が脳内に過った。
「今日は早いな」
朝食の準備をしていた彼が驚いていた。
何時もなら周囲の人達が登校している時間帯を狙って行くからだろう。
理由はA組といえば察してくれるだろうから以下略す。
今日は日直だと言えば納得してリビングへ戻った。
今日の朝食は出来立てパンらしい。
「そっちこそ、仕事は大丈夫?」
時々海外出張をする彼が最近していないことに不思議に思った。
この瞬間も彼が何をしているのかさえ把握していない。
会社との契約上で家族に話せないこともある。
本人に直接聞いても、具体的には話してくれなさそうだ。
「暫くは出張がない。上の人達が掛け合ってくれたんだ」
私の中学校入学時点で何となく理解していた。
彼の仕事は一応心配しているが、実際はあまり心配もしなくても良いようだ。
なんせ色々と人間離れした規格外過ぎて心配するのも馬鹿々々しくなる。
彼よりも仕事先の同僚か上司、はたまた後輩辺りの体調面が心配だ。
あの規格外にちゃんとついていけるメンタルを持たねば、胃薬を常に持ち歩かなければならない始末だ。
「今日の夕食は何かリクエストはあるか?」
「......豚の生姜焼き」
「夏バテ対策か。しかし肉ばっかりではつまらないな......こっちでサラダを考えておこう」
平凡的な日常会話だというのに、これからのことを考えると気が重くなるのは決して気のせいではない......なぜ家でも疲れなければならないのだろう。
安息の地が荒らされていく気分になった。
学校に着けば、朝練をしているグランド予備軍以外いないので静かだった。
校舎内は早朝から仕事する教師以外殆どいない。
部活を入っていないため、日直の係さえなければこんな早くに来ていない。
日直係が早めの登校を義務付けられたのは、主に雲雀恭弥とうちの担任が原因だ。
良くも悪くも愛校家な"彼"は毎日学校を綺麗さ・清潔さを保つため、厳格な担任は遅刻者の増加阻止と片付けられていない雑務を手伝わせるためにこの決まりを作ったらしい。
周囲からすればとてつもなく有難迷惑な内容だ。
職員室に行けば案の定教室のカギと共に大量のノートをプレゼントフォー・ユーである。
ついでに配っておいて、という伝言を残してそのまま机に向かい合い、コーヒーを飲みながら事務作業を始めてしまったので、一言告げて職員室を出た。
入学式の自己紹介時、コーヒー好きを公言していたが、本当にコーヒーが好きなんだな。
コーヒーを淹れるための機器が机の上にさも当たり前かのように置いてあったことにあまり驚きを感じなかった。
後でわかったことが、それを雲雀恭弥を始めとした風紀委員会から咎められてたという話もないから驚きを通り越して最早気にしていない。
あの担任も彼と同じ「規格外」の分類なんだろうなぁ、とこっそり思った。
規格外といえば雲雀恭弥やリボーンも同様だろう。
.....いや、考えるはやめよう。
自らフラグを立てたくない。
それにしてもノートの癖して重い。
いやクラス分あれば重いのは当然だろう。
重たいのを「女子だから」という理由で押し付けないという選択肢がない担任は良くも悪くも生徒を平等に接するところが気に入った。
個人情報はあまり教えたり、生徒のプライベートにはよほどのことがない限り介入したり、暇だとしても自分から接触してこようとはしない。
それでも担当する生徒のことはちゃんと見てあげている。
......良く分からない先生だ。
慎重に階段を昇り切って教室のある階に辿り着いた。
教室のカギを開けようとするも両手に持ったノートが邪魔で鍵穴が遮られている。
手探りで見つけ出して鍵穴に差し込みドアを開けた。
.....一度カバンかノートのどっちかを床に置いてから開けるべきだった。
今更だが。
ノートを配っていると一つ余っていることに気付いた。
クラス分は全部配ったので他クラスのものだろうか。
珍しいこともある。あの先生が間違えるなんて......。
首を傾げながら名前とクラスを確認するためノートを見た。
名前は聞き覚えもないが、クラスは........A組だというのは分かった。
タイミングがあり得ない。
なぜ今日なのだ。
別の日にしろよと内心で担任と、一向に姿を現さない同じ日直係に苛立ちを覚えた。
仕方がないので渋々A組まで向かうことにした。
さっき通りがかった時もう誰かが教室にいたのは確かだ。
その人物にノートを渡してさっさと戻ってこよう。
山本武に鉢合わせしたら碌でもないな。
そもそもA組の担任が誰なのか把握していない。
ぬかった、と反省しながらドアを横にスライドさせた。
「しつ-------ノート、置いておきます」
.....よし、戻ろう。
任務は完了した。
今日の日誌はこの間に来なかった相方にでも押し付けてしまおう。
名前は忘れたが、出席番号順で日直は回されているから後で確認しよう。
速足で立ち去るとC組へ逃亡した。
閉めた時派手な音を立ててしまったが、誰もいないから別にいい。
今日何が起こるも知っていた。
だが、この時間帯にいるとは思わないだろ!?内心で逆切れするほど動揺したらしい。
彼のことだからもう少し遅い時間に来ると思っていた。
.....いや、原作知識だけで判断するのは良くないな。
知識だけなら行動パターンが読めると思っていたのがそもそも間違いだ。
分かりやすい人なら予測できるが、重要キャラなら尚更予測出来にくくなる。
原作を知っていること=フラグ回避に繋がると思ってた。
実際違うらしい、と今実感した。
原作を知っているだけで行動パターンが読めるとか、随分と楽天的な考え方をしたものだ。
クラスが違うという前提で迂闊過ぎた。
この調子では本当に巻き込まれそうである。
「.......バカだな」
本日何度目かのため息を吐いた。
暫く現実逃避するため机の上で突っ伏することにした。
周囲が騒がしい。
瞼をゆっくり開けて、辺りを見回した。
教室には私以外誰もいなかったが、カバンが置いてあったのでいつの間にかクラスメイトが登校してきたのだろう。
どのくらい意識を飛ばしていたのだろうか。
時間帯も何時も登校する時間帯だったのでうたた寝してしまったことを理解した。
ガラ、とタイミング良くドアが開かれた。
「.......他の人達は?」
入ってきて早々眉間にしわを寄せながら言ったのは、担任の白澤匠だった。
山本を知る生徒は全員屋上に向かっているので、このクラスは私以外いなかった。
屋上だろうと返せば、彼はこちらに訝しげな視線を送ってきた。
説明した方がよさそうだ。
「ついさっきA組の山本武が屋上から自殺するって話を聞いた人達が止めようとして屋上に向かいました」
嘘ではない。
さっき騒がしかったのは十中八九山本武の自殺を聞きつけたからだろう。
私はこのまま原作通りに進めば未遂で終わるはずなので向かわなかっただけだ。
行ったところで屋上の階段で立ち往生するだけだろうし、行っても見たことにはならない。
無駄足になるだけなら、担任に事情を説明した方が効率がいい。
「そうかい。なら、屋上へ行ってC組の生徒は教室に戻ってこいと伝えてきてくれないか?あの人数だと、自殺する山本を確保出来ないし二次被害が起きてからでは遅い」
「わかりました」
やはり屋上行きは実行するしかないようだ。
席から立ちあがって教室を出ると屋上に繋がる階段へ駆け足で向かう。
注意されなかったのは緊急事態だからだろうか、それとも単に余裕がないためか通り過ぎても声をかけられなかった。
屋上につくと案の定人でごった返し状態だった。
どのくらいかというと、誰が誰なのかわからないほどのぎゅうぎゅう詰め。
とりあえず人混みを掻き分けるように潜り抜けて、見覚えのあるC組の男子生徒達に声をかける。
「うおっ、何だ!?」
「『C組の生徒は今から教室に戻ってこい』」
「はぁっ?」
「先生の伝言」
「
予測通りの返答が返ってきた。
だが、あの先生の判断は一理ある。
止めようとして不用意に近づき二次被害が起きては遅いのは事実だ。
......そんな目で見ながらブツブツ文句言うな。
あくまで私は伝言係でしかないのだ。
頼んだ、と言えば声をかけた男子は他のC組に声をかけてくるため近くにいるC組に手分けして話しかけていった。
彼は沢田綱吉ほどではないが断れない性格らしい。
要件の済んだため教室に戻ることにした。
私がいたところで山本武が助かるわけでもない。
原作が変わるわけでもない.....変わってしまうのはダメだな。
私もそうだが、原作キャラにが死亡フラグを立たせてしまう。
モブより原作キャラが重要なのだ。
死んでもらっては本末転倒である。
階段を下りながら、ふと疑問に思った。
山本武の腕の骨折は原作と同じなら大したほど重症を負っていない。
骨折はちゃんとリハビリをすれば、今の医学でも全快だって不可能ではない。
だというのに、彼は屋上にいる。
彼だってわかっているはずだろう.....野球ができないことへの絶望で冷静さを失っているのだろうか?
........いや、それはあり得ない。
彼の持ち味は「何事も楽天的思考」で物事を受け止める柔和な頭の持ち主。
その程度で死ぬならリボーンがわざわざ目をかける逸材ではないだろう。
原作では『野球の神に見捨てられたから』という結論で自殺未遂を実行させた。
私からすれば野球を捨てようとしているように見え......なくもない。
こちらのほうがしっくりくるな。
彼は『【野球】が好きなのか』?
それとも『【野球をしている格好いい自分】が好きなのか』?
もし後者だったらとんだ自惚れか自己中心的な人間になる。
しかしこの日が起こるまでの間、そんな噂は一つも聞こえてこなかった。
今朝みた彼の顔は間抜け面の一言だ。
確証はないがそれはないだろうと思っている。
では、彼が一番守りたかったものは何だろう。
『野球』か、『周囲から期待される"ヒーロー"としてのプライド』か。
「...........どうでも良いな」
そう、考えたところで
私は彼等とは顔を合わせたこともない、赤の他人も同然だ。
顔を覚えていても精々同年代で済まされる関係。
彼等に関わらなければフラグは立たない、彼等が死ねばこちらに死亡フラグが立つ。
私の選択肢次第で状況が変わる、とても壊れやすく薄く脆い関係だ。
現状維持が今の目標だ。
彼等と関わる勇気や度胸は生憎と持ち合わせていない。
私は自分の安全を最優先にする自己中な女だ。
友人より家族と自分を選ぶだろう。
彼等が何をしようと、私はフラグを立てたくないから彼等に干渉しない。
私が教室に戻ってから数分後に屋上から悲鳴が上がり、聞き覚えのある雄叫びが聞こえてきた。
原作通りに進んだことを確認できたからか、心身ともに疲労が蓄積されていたのを実感した。
窓側に集まっている生徒に紛れて、下着一枚の姿をした沢田綱吉と何か吹っ切れた表情をする山本武の姿を確認すると、アスカは自身の席に戻った。
◇ ◇ ◇
ヒーローは、ヒーローとしてしか見られていないことに"ストレス"を感じていた。
ある日、それは自分の中で爆発し、何もかもがいやになったヒーローは死のうとした。
それを止めたのは、不本意な渾名をつけられ虐められていた劣等少年。
自分とは正反対の立場にいる少年は、ヒーローに憧れ、好きなことに熱中できるヒーローを羨ましく思っていた。
だからこそ好きな野球を諦めて死んでほしくなかった。
そして、『ヒーロー』は死んだ。
助かったのは、『野球馬鹿』だった。
今日はヒーローが死んで、野球馬鹿が助かった日となった。