ゆかりさまとほのぼのしたいだけのじんせいでした 作:織葉 黎旺
「やっ──やめてください」
「ふふ、そう言われて大人しく聞くと思うかしら? えい」
「うえっ!? ちょ、そこは……」
「弱いんでしょ? 手に取るように分かりますわ」
「っていうか手で触ってるじゃないですか!」
「あら、揚げ足を取るような人にはこう」
「あっ──ははははははははははははは笑い死ぬのでやめてくださいっ!!!」
──急に水無月という呼称に即したように、やけに雨の降らない梅雨の、とある昼下がり。私は腹筋を彼女にまさぐられていた。というのも、ふとした事が発端だった。
「貴方、最近ちょっと逞しくなってきてない?」
お煎餅をつまみながら、紫さんは私を見て不思議そうな顔でそう言った。その言葉に思わず、「あ、わかります?」と声高らかに語り出す私。
「実は最近筋トレを始めたんですけど思いの外ハマっちゃいまして! で、そこそこ筋肉がついてきたところなんですよ! いやー、一発で見抜いてくれるなんて流石紫さんですね! 次は藍さんの協力も仰いで、食事制限も意識し出そうかなと思っている次第です!」
「──ちょっと待って。私、筋トレを始めたなんて聞いた覚えはないのだけれど」
「ええ、言ってませんでしたもん」
「いつから始めてたの?」
「えーっと……ひと月くらい前から?」
「脱ぎなさい」
「……え?」
「今すぐ服を脱ぎなさい」
朗らかながらも底冷えするような声に、ぞーっと背筋に悪寒が走るのを感じた。これはアレだ、永い時を生きてきた、力の強い妖怪故のオーラとか威圧感だとかそういった何かだ。そういった技術を無駄にここで使ってきているのだ。困惑しながらもその言葉に従い、渋々上裸になる。
「ふむ……」
ぺたぺたと品定めするように、彼女は全身を触り始めた。鍛えだしたといってもまだ一ヶ月、しかも専門的知識は何一つ持っていない。故に、正直に言ってしまえば今の私の体は大したことがない。二の腕は多少力こぶが浮き出るくらいだし、胸筋はよく分からないし、腹筋は少し筋が入って割れ目が見えだした程度だ。足に至ってはまだほとんどプニョプニョである。最早、多少イキった回答をしてしまったことを後悔するレベル。
「え、えーっと、如何でしょうか?」
「…………」
中途半端な沈黙に耐えかね、思わず口を開く。が、彼女からの返答はない。尚も体を触り続けるだけであった。そのうちそれは、検分から擽りへと体を変えていき──
──そして冒頭に戻る。
「はあ、はあ……笑い死ぬかと思った……」
「中々だったわよ」
「それならよかったです……」
「ええ、なかなかの反応だったわ」
「筋肉のことじゃなくて!?」
「そんなの私にはよくわかりませんわ」
紫さんは口元を扇子で隠して、素知らぬ顔をする。やられたな、と思った。
「私にわかるのは、中途半端に筋肉がついているせいで角張って不味そうってことだけよ?」
「食品的目線やめていただけます? 芸術品的観点からの評価をお願いします」
「そうねえ、鏡を見て誇れる自分になってから出直した方がいいと思いますわ」
「的確なコメント……! それでいて茶を濁した回答……!」
辛辣なコメントから、ようやく彼女の心に気づく。
「え、もしかして拗ねてます? 私の陰ながらの努力に気づけなかったことに拗ねてます?」
「陰過ぎて目に入らなかっただけじゃないかしら?」
「陰キャで悪うございましたね!」
と舌戦を繰り返している間に、ふと降り立つ閃き。
「私の体を散々に言ってくださいましたが紫さん、貴方の方はどうなんですか? 人に誇れるようなお腹をしておられるんですか?」
そう口にしてみたが、紫さんは口元を歪めて笑う。
「私の体が見たいって言うのかしら?」
「えっ──ええ、見たいです」
何か語弊がある言い方にすげ変わった気がするが、四の五の言っていられない。一ヶ月鍛えた以上、私にも多少のプライドはある。ここで退くというのはそれらを投げ捨てることに他ならない。少し張りつめた空気の中、向かい合う私と彼女。「いいでしょう」の一言と共に、捲り上げられる白ニット。チラリと見えた黒から視線を下げると、引き締まりすぎず、それでいて余分な肉がついている訳でもない、言うなればその境界線上にあるようなお腹が顔を出した。別に初めて見るものでもないはずなのに、負けた、と、確かにそう思わされた。よく分からないが、そう思わされる魅力があった。
「そもそも妖怪だから、人とは肉の付き方が違うのよね、多分」
「うわ、ずるい! 卑怯ですよ! 言うなれば太りやすい人の前で『私、どれだけ食べても太らないんですよねー』ってドカドカ肉を食べるくらい卑怯ですよ!」
心なしか女子みたいなツッコミをしてしまったがしょうがない。この一ヶ月間、酒と間食をほんの少し制限していた故に、理想の肉体を求める彼女らの気持ちを理解してしまったのだ。というか、極論
「負けました。大人しく筋トレしてきます」
「お待ちなさいな」
突如開いたスキマから、投げつけられたのはジャージだった。お日様の香りが鼻腔をくすぐった。
「走るわよ」
「それは願ってもないお誘いですが、え、紫さんも走るんですか?」
「ええ。知らない間に置いていかれるなんて、嫌ですもの」
気丈な言葉に小さく笑い、「ペースを落としたりなんてしませんからね?」と挑発するように呟く。縁側から見上げれば、今日も雲一つない、憎たらしいくらいの快晴だった。