「ちょっとよろしくて?」
彼女がそう此方に──正確には一夏に───声をかけてきたのは二時間目の休み時間に入ってすぐだった。
「へ?」
席を離れること無く、再び参考書を開き読み耽る──フリをして先の授業での大失態に頭を抱えていた
一夏の視線に早々に辟易していた俺は声の主にこっそり感謝の念を送り、視線はあまり動かさず、彼女に意識を向ける。
そこで堂々と腕を組み、一夏を値踏みするのはわずかにロールがかった金砂の髪を持つクラスメイト、イギリスの代表候補生にして、入試首席合格の才女セシリア・オルコットだった。ちなみに代表候補生だの首席合格だのは本人が自己紹介の時に(頼みもしないのに)言っていた。
「聞いているのかしら? お返事は?」
「あ、ああ。聞いてるけど、何か用?」
「まあ! なんですの、そのお返事。
「……」
オルコットの仰々しくもふざけた物言いに一夏が固まる。どうやらまたまた主義者のご登場らしい。参考書を持ってきた教師、
「それとそこの貴方。この私、セシリア・オルコットがわざわざ声をかけてあげたというのにその態度はなんですの?」
こっちにまで来たよ……。何この娘、目につく物すべてに絡まないと気が済まないの?
「悪いな。俺、君が誰だか知らないし」
SHRで自己紹介したはずなんだけどな。そして、一夏の態度はオルコットのような『周りが自分を知っているのは当然、いや、必然!!』などと平気で思考できるタイプには失言でしかない。
「私を知らない? このセシリア・オルコットを? イギリス代表候補生にして、入試首席のこの私を!?」
「ああ、初めて聞いた」
いや、そこは形だけでも済まなそうにしておけよ。SHRの自己紹介、聞いてなかったんだから。
「あ、質問いいかな?」
注意した方が良いかと口を開く前に、空気が読めない
「ふん。下々の要求に応えるのも貴族の務め。よろしくてよ?」
「代表候補生って何?」
ああ、オルコットが崩れ落ちた。仕方無い、仕方無いさオルコット。俺ですら気を抜いていたら君のように崩れ落ちるか、周りで聞き耳を立てていたクラスメイトたちのようにズッコケていただろう。
「……一夏、『代表候補生』という言葉を《音》ではなく《文字》で思い浮かべてみろ」
「は? 何で?」
「いいからやれ。思い浮かべたらその文字とお前が持つISに関する知識と照らし合わせて考えてみろ。織斑先生にも関係が無かった訳じゃないから答えは出るはずだ」
オルコットが回復する前に
「あ、国家代表の候補者のことか? ……へぇ、セシリアってエリートだったんだな?」
「そう! エリー──」
「一夏」
復活したオルコットの声を遮り、低い声で一夏を睨む。自身の演説を遮られたオルコットに親の仇のように睨まれるがあえて無視。
「少し考えれば答えが出るようなことを何で人に聞く。知らないことを正直に明かすのは美徳かもしれんが、お前のそれは単なる思考放棄の末の反射だ。人間だというなら
思考放棄はしちゃいけません、なんて偉そうに言うつもりはない。しかし一夏のそれは参考書の件といい今回の件といい少々度が過ぎる。矯正はできるならしといた方が良い。バカの引き起こす面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。
「話を遮ってすまない。君の用件を聞かせてくれないか、オルコットさん?」
「……まあ、いいでしょう。私は入試で唯一試験官を倒したエリートの中のエリート、貴方たちが泣いて教えを請えば……まあ、教えて差し上げてもよくってよ?」
「試験官を、倒したのか?」
いえ、結構ですと返す前に思わず問い返していた。おそらく俺は今珍しく呆けた顔をしているに違いない。そんな確信があった。
「ええ、私とても優秀ですから。当然の結果ですわ♪」
そんな俺の表情に虚栄心を満たされたのか先程までとは打って変わってイイ笑顔を振りまくオルコット。普段ならイラッとする態度だが、今はほとんど気にならなかった。
「試験官なら──」
「いや、凄いな。賞賛と謝罪を贈らせてほしい、セシリア・オルコット。代表候補生の癖に傲慢すぎると思っていたんだが、そんなことは無かった」
一夏が何かを言いかけたが無視して賛辞を贈る。最初はふざけた主義者の類いかと思ったが
ん? ギャラリーにまじっていた本音が苦笑いを浮かべているが、どうしたんだアイツ?
「あら、仕方ありませんわね。よろしくてよ、謝罪を受け入れてあげますわ」
「ありがとう! それでもし、不快でなければどのように撃破したのか訊いても良いだろうか? 後学のためにも是非聞かせてもらいたい!」
俺の賞賛に大変満足したのだろう。オルコットのイイ笑顔は、まったく違う慈悲深くも、しかし気恥ずかしげな微笑みへと変わった。
「先程も言いましたが下々の要求に応えるのも貴族の務め。詳しくは話せませんが、それでも宜しければお教えしましょう」
「ありがとう、感謝する! では早速──」
その手並みを聞かせて貰おうとしたのだがいきなり待ったがはいる。恐る恐るといった風にこちらに問うのは一夏だった。
「その……試験官倒すのってそんなに難しいのか」
思わず舌打ちをした俺は悪くない。絶対に悪くない。ていうか考え無しもここまで来るといっそ清々しく思えてくるから不思議だ。
「あのなぁ、いくら手を抜いていただろうとはいえあの
思わず素の口調になってしまった。でもコイツなら「知らん」と言ってももう驚かない。
……あれ? なんか空気おかしくね?
周囲を見渡すとオルコット、一夏を含めたギャラリー全員が、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で固まっていた。変わらないのは苦笑いを浮かべる本音とおそらくこの空気を生み出してしまったのだろう俺だけだ。
どうしたんだ一体……? ん、ア、ああああああああああああっ!!
……正直、ノイマンの思考能力がこんな時は怨めしい。しかし、そういうことならこの状況に説明がつく。ついて、しまう。
「なあ一夏」
先程までの高揚が嘘のように消え去り、凪いだ海のように静かな声。
「な、なんだ?」
「お前も一応入試受けたよな? 試験官誰だった? 俺は
「……俺の時は山田先生だった」
一夏が視線だけでオルコットに問えば、返ってくる反応から彼女の時も山田先生らしい。周囲の反応から少なくとも織斑先生と試合をした人物は俺以外いないようだ。
そしてさらに理解した。本音の苦笑いの理由を。《織斑先生との地獄の入学試験》をプロデュースしたのは
「な、なあ八雲? お前本当に千冬姉と戦ったのか?」
俺は力なく椅子に座り込み力なく項垂れる。気分は明日の○ョーのラストシーンだ。いや違うか。
「やったよ、打鉄装備の織斑先生と十分間一本勝負をな。……あれは地獄だ二度とやりたくねぇ……」
というか
「そっか、大変だったんだな……」
弟として姉の恐ろしさは骨身に染みているのか一夏に労るように肩を叩かれた。正直振り払いたかったがそんな気も湧いてこない。
「そう言えば一夏、さっき何か言いかけてなかったか?」
「え? ああ、試験官なら俺も倒したぞって言おうとしたんだよ」
「な、何ですって!? 私だけと聞きましたが?」
「女子ではってオチじゃないのか?」
「あるいは正規の試験では、か?」
一夏の尻馬にのるように呟いてしまうとオルコットの表情が固まった。
やべ、余計なこと言っちまった。
「つまり、私だけではないと……?」
オルコットは俯き呟く。その肩は震えていた。彼女を上機嫌にさせた俺とのやり取りはある意味勘違いによるもの。その上での一夏の発言だ。期せずして『上げて落とす』を実践する形となってしまった。道化役を演じてしまったオルコットの怒りは如何程か。
「貴方! 貴方も試験官を倒したって言うの!?」
ちなみに俺は倒してない。倒されてもいないが。だが先程の言い方なら負けたと勝手に誤解してくれるだろう。
故に(なのか?)オルコットの怒りは『唯一試験官を倒した』という称号を無意味にした一夏に向けられた。
「うん、まあ。たぶん」
「たぶん!? それってどういう意味かしら!?」
「ちょ、落ち着けって。な?」
「これが落ち着いていら──」
オルコットの絶叫は最後まで放たれることは無かった。授業開始を告げるチャイムが鳴り響いたからだ。彼女は淑女らしからぬ舌打ちをすると──
「……またあとで来ますわ! 逃げないように! よろしくて!? それとそこの貴方! 貴方もですわよ!?」
忌々しそうに俺たちを睨むとオルコットはノッシノッシと自分の席へと戻っていった。
ダブルクロス設定
☆ハヌマーン
13のカテゴリーで構成されるシンドロームの内の一つ。
発症者の反射神経や筋肉を強化して常人には到達不能の速さを与える。一説には体感時間の変化なども兆候として現れるという。
同時に《波》、振動を生み出しその波長を増幅、調節することで様々な効果を生み出すことも可能とする。
名称の由来はインドの叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する猿面の神獣から来ている。