ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味   作:むこ(連載継続頑張ります)

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 こんばんは「ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオif ボクの生きる意味」UA数が20000を突破しました。変わらぬご贔屓、誠にありがとうございます。お気に入りも240件を突破いたしました。衰えが全く見えません。
 っていうかただ単にマシンガン投稿しているだけだからかな…。ともかく……支えていただいた全ての方々に改めて感謝の気持ちを申し上げます。

 さて、本題ですが……今回30.000文字をオーバーしています。理由は最後まで読んでいただくと分かると思います。そしてこの話に関してだけは……感想をいただければと思います。感想乞食だと思われればそれまでですが……この話だけは、皆様のお声が聞きとうございます。
 よろしければで結構です。それではご覧ください。この話でこの物語は一つの節目を迎えます。
 
 


第36話〜闘い、そして〜

 

 

 西暦2026年3月7日土曜日 午前6:25 横浜港北総合病院

 

 

 

「とうとう見つけました……木綿季君のHLAに合う……骨髄ドナーを!!」

 

 

 やった、ついにやった。倉橋は一ヶ月もの間ほぼ不眠不休で木綿季の細胞と合うHLAの骨髄ドナーを探し続けた。ここまで辿り着くのに調べたドナーの数は、ゆうに100.000に届こうとしていた。

 単純計算で一日あたり3.300人分、1分で3人分、1時間で180人分、そのほとんどを倉橋が照合を続けていたのだ。とてつもない集中力と気力体力、そして木綿季を治すということへの……何よりも"執念"であった。

 

「本当にお疲れ様です、倉橋先生……」

 

「…………」

 

「あれ? 先生……?」

 

「すぅ……すぅ……」

 

「……くすっ」

 

 倉橋はすっかり寝てしまっていた。一ヶ月分の疲れが一気に降り注いだのだ。しかしそんな倉橋の寝顔は徒労感というよりも、達成感が感じられる非常にいい表情であった。

 途中でやめないで良かった、諦めずにここまで走ってきて良かった。そんな気持ちが倉橋の寝顔から見て取れた。

 

「ドナーの提供申請は私がやっておきますから……ゆっくり休んでくださいね、先生」

 

 部下は仮眠室から毛布を持ってくると、倉橋の体が冷えないようにふわっと広げて背中にかけてあげた。そして倉橋のパソコンのマウスを操作してこのドナーの持ち主へ、骨髄提供の申請を出した。

 今回の骨髄ドナーの提供者はイギリスはロンドン在住の20代前半の健康なイギリス人女性だった。

 

 部下が申請を送ると約8時間後に向こうから返事が返ってきた。ドナー提供者のイギリス人女性は快くOKを出してくれたそうで、今日にでも最終検査と骨髄液の採取を行い、準備が出来次第日本に送ってくれるとのことだった。

 つまり、最速で二日か若しくは三日以内で木綿季の手術の準備が出来る可能性が出てきた。

 

 この女性もインターネット配信でユウキのライブを英語翻訳で観ていたと言う。ALO英国サーバーにてインプの剣士として活躍しているプレイヤーだった。ユウキと同じインプの女の子として……何か運命的なものを感じてくれていたのかもしれない。

 

 女性は英語でPlease use my marrow for the girl of that imp.(私の骨髄をあのインプの女の子の役に立てて)

 そしてPlease get well by all means.(絶対に元気になってね)と木綿季へ暖かいメッセージを残し、骨髄採取の手術を受けた。

 

 倉橋はデスクに突っ伏し、ひたすらに寝息を立て続けた。娘の一生を左右する一世一代の大勝負は倉橋が勝ち取ったのだ。

 いつも周りから冴えない顔をしていると言われている倉橋であったが、この時ばかりは部下からは今までで一番かっこいい倉橋先生の顔だったと言われたそうだ。

 

 

 

 

 

――――――――

 

 

 

 

 

 同日午後15:15 横浜港北総合病院 メディキュボイド仮想空間 木綿季の部屋

 

 

「木綿季、今日もまた新しいニュースが入ってきてる……見てみろここ」

 

「ん、見せて見せて!」

 

 和人は以前と同じようにインターネットで医療関係のニュースの記事を読んでいた。HIVに関するニュースのようだった。

 木綿季が覗き込んだ記事には先日HIVウィルスの数が減少したというアメリカ人患者の続報だ。術後一ヶ月が経過し、経過観察のための検査をしたところ、HIVウィルスの反応がほとんど消えており、免疫機能も徐々に戻りつつあり、尚且つ患っていた感染症も薬の投与で回復傾向にあるという非常に喜ばしい報告であった。

 事後検査や退院後の定期通院は続けなければならなくなるが、このままいけば完治も夢ではない。そう記事には記されていた。

 

「この人、あの時の記事の人だよね? よかった……治りそうなんだ……」

 

「ああ、すごいな……まさに奇跡だ。次は……次こそは、木綿季の番なんじゃないかな……」

 

「う〜ん、どうだろ……。まだボクにあう骨髄が見つかってないからいつになるかは分からないかな……」

 

 和人は木綿季を元気付けるような言葉を掛け続けていたが、心配していることが一つだけあった。それは木綿季のドナーが見つかるまでに木綿季の残りの命が持つかどうか、ということであった。

 二ヶ月前、HIVウィルスの活動が控えめになり、以前に比べて体の調子もよくなってきたものの、木綿季の余命が圧倒的に延びたというわけではない。

 現在も崖っぷちであるということには変わりはなかったのである。今もこうして調子は良好に見えるが、いつ容態が急変しても何ら不思議ではない状態であった。

 

 だから和人は一刻も早くドナーが欲しかった、一日でも一秒でも早く、木綿季にドナーを届けてやりたかったのだ。だから考えられる中で最速の方法で、世界全国へ骨髄ドナー提供の協力を呼びかけた。早くしないと時間がなくなる。

 時間、そうすべては時間なのだ。そんな悪い可能性を懸念していた和人の様子に気付いた木綿季はそっと声を掛けた。

 

 

「和人……どうしたの?」

 

「ん、ああ……別に、何でもない」

 

「……嘘だね」

 

「……はぁ、木綿季に隠し事は出来ないな……」

 

「当り前だよ、ボクたちずっと一緒にいるんだもん」

 

 和人は詰め寄る木綿季の顔を至近距離で視界に捉えると、観念したのか深く溜息を吐き、正直に考えていたことを木綿季に話し出した。

 

「木綿季、今俺は一番心配していることがあるんだ。それは……ドナーが届くまでにお前の、お前の寿命が来てしまうんじゃないかってこと……なんだ」

 

「ボクの、寿命が……?」

 

「確かにお前の体はAIDSの末期に入ってるわりには……元気な方にあると思う。でもいつかその終わりが来るかって考えたら……木綿季が消えちまうって考えたら、怖くて……怖くて……!」

 

 

 和人はあまりにも恐ろしい想像をしてしまい、体が震えだしていた。首から上もすっかり震えてしまっており、変な汗が滴り落ち、きちんと言葉を喋れていなかった。木綿季はそんな震えきっている和人を安心させようと、そっと優しく抱きしめた。

 

 

「和人……ボクはここにいるよ?」

 

「ゆう、き……?」

 

「ボクは死んでない、ここに……和人のすぐ傍にいるよ? だから安心して?」

 

「木綿季……木綿季……ッ!」

 

「もう……また泣いて抱きしめて、ワンパターンだなあ……和人は」

 

「……ッ……しょうが……ないだろ、不器用なんだから……」

 

「自分で言ってちゃ世話ないよ……和人」

 

 和人を優しく元気付けた木綿季であったが、そんな彼女も不安を抱いてないといえば嘘になる。

 自分の体は自分が一番よく知っている。すぐに死ぬことはないだろうが、本当にドナーの発見がぎりぎりになってしまったら、それまでボクの命は持つのだろうか? という考えに辿り着いてしまっていたのだ。

 

 実際、ここ最近は倉橋先生が会いに来てくれていない。看護師や医療スタッフが様子を見に来ている。恐らくだが倉橋先生はドナーの照合に追われているのではないだろうか? それも身を削ってまで。つまりドナー探しはまだいい答えが聞けそうにない。かなり追い詰められている状態にあるのだろうと悟っていた。

 

(ボクだって死にたくない。出来ることなら死にたくない。でも……もしも……、もしも本当にダメだった場合……)

 

 和人とお別れする覚悟を決めなくてはいけない時がいつか来てしまうかもしれない。 木綿季は心の中でその考えを巡らせてしまっていた。いやだ、和人とお別れなんて絶対に……嫌だ! でも……現実は現実だ、受け入れなくてはいけない……。

 

「あのね和人、和人のコト元気付けておいてこんなこと言うのは……あれなんだけど……聞いてもらえる?」

 

「……なんだ? 木綿季……」

 

「あの……もしも……もしもね? もしもボクに合うドナーが見つからなくてね、ボクが遠くないうちに死んでしまってもね、和人には幸せな未来を生きてほしいんだ」

 

 和人は再び震えだした、またもや息が詰まる想いがした。何を言い出すんだ……木綿季は……? つまりそれは……俺に木綿季のいない未来を生きろって……言ってるのか……?

 

「ボクね、和人と出会えて……すっごく幸せだった。ボクにとって……最初で最後の恋人で、大好きな……世界一大好きな男の子とずっと一緒にいれて、最高に幸せだった。本当に……本当にたくさんの思い出を……ありがとね、和人……」

 

「やめろ……やめてくれ! 何言ってるんだ……そんなのいやだ……。お前がいなくなっちまうなんて……俺は絶対に嫌だ! まだドナーは調べられてないものが山ほどある! だから諦めないでくれ! 俺と……俺と一緒に生きてくれ!」

 

「……うん、ボクもね……出来ることなら和人と一緒にずっと生きていきたいよ。だけどね、自分の体のことは……やっぱり自分がよくわかるからさ……、今回のドナーの件が駄目だったら……多分、今年いっぱい生きられないと思うんだ」

 

「そん……な……、そんな……ことって……」

 

 和人は大粒の涙を流しながら、力の限りを込めて木綿季を抱きしめた。仮想空間とはいえ木綿季の体が壊れてしまうのではないかと思うぐらいの力を込めた。

 何と声を掛けたらいいのかわからない。今まで木綿季を助けるために走ってきたのに、その助かる可能性を木綿季自身の口から否定されてしまったかのような感覚を覚えてしまった。

 

「ごめんね、これまで色んなことしてくれてきたのに……こんなこと言っちゃって……」

 

「木綿季……俺は……、俺は……!」

 

 和人は何も言えなかった、木綿季の話していることは半分以上が事実であることを悟っていたからだ。本当にドナーが見つからなかったら……木綿季と永遠にお別れしてしまうことになるだろうと。

 愛しい彼女と、二度と一緒に笑うことが出来なくなってしまうのだろうと。その悲しい現実に涙を流し続けた。

 

「泣かないで……和人……」

 

 木綿季は息を殺して泣き続けている和人を支え続けた。和人の大事な人はいつも和人の側を離れていってしまった。

 サチ、月夜の黒猫団の皆、そして明日奈。和人が関わってきた人の大半は、気が付いたら和人の傍からいなくなってしまっていた。 もしも木綿季までいなくなってしまったら……俺はどうすればいいのだろうか? 果たして生きていられるのだろうか?

 和人が絶望の淵に叩き落されてると、突如として外から声が聞こえてきた。二人にとってとても聞き覚えがある声だった。はて、この声はと思いながら、二人は目線をスクリーの方にやる。

 

『おはようございます……和人君、木綿季君。……随分ご無沙汰にしてしまいましたね、申し訳ありません……』

 

 声の正体は倉橋だった。その顔は以前まで知っていた二人の知る倉橋の顔ではなかった。目の下はクマだらけ、肌もガサガサに荒れ果てており、髪の毛はボサボサ、顔にも張りがない。

 しかし、その優しい声だけは……二人の知っている倉橋だった。いきなり声を掛けられた二人は、何でここに突然現れたんだろうと考えていた。

 

「倉橋先生……どうしたんですか……その恰好は……、凄いことになってますよ……?」

 

『いいえ……大丈夫ですよ。ちょっとばかし頑張り過ぎただけですから……、先ほどきちんと休息も取りました』

 

 右腕をプルプルさせながらガッツポーズを取った倉橋を見た二人は小声で「絶対嘘だ……」と呟いていた。あまりにも小さい呟きだったので恐らく倉橋には聞こえてはいないだろう。

 聞いてもいないのに何をしたらそうなるんだという問いに返答までしてきた。しかし、聞こえていてもいなくても……そんなことは今の倉橋にとってどうでもいいことだった。それより二人に伝えなくてはいけない大事なことがある。

 

『お二人とも、今日は私から……大切なお話があります……』

 

 大切な話、倉橋はそう話しかけてきた。二人はその言葉を聞いた瞬間に同時に「まさか」という考えに至った。あの倉橋の見た目、かなり無茶な方法で何か()・・を成し遂げてきたのだろう。

 そしてその結果が出たからこそ、本人が直接二人の前に姿を現した。そして、その答えが意味することとは……? 二人は息をのみながら倉橋の話の続きを聞いた。

 

『落ち着いて聞いてくださいね……、ドナーが……木綿季君の体に合う骨髄ドナーが……見つかったんです……」

 

 倉橋の言葉を耳にした瞬間、二人の時間が止まった。先ほどまで絶望的な考えを巡らせてしまっていただけに、いざ倉橋の口から聞かされた吉報が、正直にわかには信じられなかった。聞き間違いじゃないかということを確かめるために、和人は恐る恐るもう一度今の話を聞いてみた。

 

「先生、今……なんて言いました……?」

 

『ですから、木綿季君の細胞に合う、HLAに合う、遺伝子を持ちHIV耐性を持った骨髄が見つかったんです……!!』

 

「……それは……本当なんですか……?」

 

『ええ……』

 

「木綿季は助かるんですか…て?」

 

『ええ……ッ』

 

「AIDSが……治るんですか…?』

 

『ええ……! HIVの活動が控えめになっている今なら、かなり早いスパンでウィルスを駆逐できるかもしれません……!』

 

 倉橋と和人が嬉しい会話を続けている一方で、木綿季はまだ少しばかり混乱していて二人の話していることにいまいち理解が追い付いていなかった。

 

「えと……和人、つまりどうゆうこと……?」

 

 和人は声を震わせて、木綿季を安心させるための言葉を口にした。今度は恐怖からくる震えではない、安堵感からくる体の震えであった。漸く木綿季に希望の光が差し込んだことを、愛する彼女に……優しく伝えた。

 

「お前の病気が……治るんだ。見込みとかじゃなくて、本当に治るんだ……!!」

 

「…………」

 

 木綿季は茫然としていた、さっきまで死んだときのことを考えていた矢先に、自分が生きられるという事実を聞かされて戸惑っていた。突拍子もないことを言われてまだ頭は混乱していたが、時間が経過するにつれて、やがて少しずつ今の状況を把握していった。

 

「あの……ボク、助かる……の……?」

 

「ああ……」

 

「現実の世界に……帰れるの……?」

 

「ああ……ッ」

 

「和人と一緒に……?」

 

「ああ……!」

 

「ずっと一緒に……?」

 

「ああ! 木綿季とずっと一緒だ! お前は死なない! 俺と生き続けるんだ……!」

 

 木綿季が聞きたいことを全て和人にぶつけると、和人は安心する答えという形で木綿季の質問に全て答えた。その答えを聞いた木綿季は心の底から安心感が、これまで溜め込んでいた感情と共に一気に外へと溢れ出てきた。

 

「……ッ……ッ、ボク……あ……かず…と……ッ」

 

「いいぞ、こい……木綿季」

 

 色々な思いが脳裏をよぎっていた。木綿季は15年間心に溜め込んでいたものを全て表に吐き出すかのように、声を荒げて、時に声を殺して、ひたすらに泣いた。

 HIVキャリアであることが暴露され、迫害された子供時代。そんな自分を育ててくれた両親が死んでしまった時。AIDSを発症し無菌室から一歩も外へと出られなくなった時。唯一の肉親で最愛の姉……藍子が死んでしまった時。

 そして次は自分の番かと諦めた時。そんな死んでしまいそうな自分に手を差し伸べてくれた人が現れた時。その過去の想いを全部一つにまとめ、ぶつけるかのように木綿季は和人の胸へと飛び込んだ。

 

 

「う……うああああああぁぁぁぁッ!! えぅっ……ひぐっ……かずとっかずと……っボク……ああ……あぁぁ……ッ」

 

「木綿季……頑張ったな。十五年間、長い間本当によく頑張った。木綿季は偉い……本当に強い子だ……」

 

「ぐっ……あ……う……かずと……かずと……」

 

「ゆっくり行こうこれからは、なんたって……時間はいっくらでも出来たんだからな……」

 

「うん……うん……! かずとを……しんじてよかった……。ボク……ほんとによかった……」

 

 和人も木綿季が助かるという事実を受け止めると、目から涙が溢れ出てきた。木綿季を安心させるために自分は泣かないようにしていたが、この仮想空間内では感情のコントロールは出来ない。

 泣きたいとき悲しいとき嬉しいときは勝手に涙が出てしまうのだ。メディキュボイドの外では、倉橋も膝をついて泣き崩れていた。

 

 昼から出勤する看護師がたまたま通りかかってその光景を目撃し何事かと思ったが、倉橋から状況を伝えられると共に安堵の表情をし、共に木綿季を祝福し、涙を流した。

 やがて少しばかり時間が経過し全員落ち着きを取り戻すと、倉橋が畏まったように改めて今後のことを話しだした。

 

 

『和人君……木綿季君、ドナーはこちらの時間で朝方に提供申請を出していて、あちらの時間の朝方に、提供者の方もOKを出してくれました。今頃は最終検査と骨髄液の採取をしていると思います。そのあとは恐らく最速で日本まで届けてくれるはずです』

 

「あちら側って……ドナー提供者のことは教えてもらえないんですか……?」

 

『……すみません、骨髄移植推進財団の取り決めにより少なくとも日本国内では、残念ながら認められません。ただ……相手がどこの国の人とかまでは……お教えすることが出来ます』

 

「差し支えなければ……是非教えてください……!」

 

『いいでしょう、木綿季君の骨髄移植に協力してくれた方は、イギリスのロンドン在住の20代前半の健康なイギリス人女性の方です。木綿季君と……私たち宛にメッセージも送ってくれています。聞きますか?』

 

 

 二人は一呼吸置くと互いに視線を交わし、一緒のタイミングで「ハイ」と答えを返した。その返事を聞くと倉橋はそのメッセージをプリントしたであろう紙切れをポケットから取り出し、淡々とかすれた声でゆっくりと読み上げ始めた。

 

 

『分かりました、では読み上げますね。

Please use my marrow for the girl of that imp.(私の骨髄をあのインプの女の子の役に立てて)そして Please get well by all means.(絶対に元気になってね)以上二つのメッセージをいただきました……』

 

「ユウキの種族を知っているってことはその人……ALOプレイヤーだったんだな……英国サーバーの」

 

『そのようですね。ちなみに提供者に手紙を送ることも出来ます。骨髄移植推進財団を通して二回まで手紙のやり取りが可能です。もし今後感謝の気持ちを送りたいとのことであれば、私を通して手紙を出してみてはいかがでしょうか?』

 

 

 木綿季は大きくうなずくと力を込めて言葉を放った。ボクの命を救おうと自分の体の一部を提供してくれたイギリス人の女性に感謝の気持ちを込めながら。

 

 

「ハイッ! 体が動くようになったらボク、手紙を書こうと思います!」

 

 

 その返事を聞いた倉橋はニコッと笑顔を作った。心の底から嬉しい安心しきったという笑顔だった。

 

 

『わかりました。一応財団がチェックはしますが、個人の特定出来ない範囲での文面でお願いしますね?』

 

「ハイ! ……倉橋先生、本当に……ありがとうございます……!」

 

『……いえ、むしろここまで木綿季君を助けることが出来ず、苦しい思いをさせ続けてしまった私たちの無力さのことを謝罪させてください。本当に申し訳ありませんでした……木綿季君……』

 

「そ……そんな、顔を上げてください先生! ボク……先生に謝られなければいけないようなこと、されてないですから……」

 

『……そうですか……、そう言ってくれると……私も少しばかり救われたような気がします……』

 

 

 そのような譲り合いのやりとりが5分ほど続き、やがて話の内容はいよいよ具体的にこれからどうするのかという話になっていった。木綿季を治す為に、本格的に治療そのものへと段階が移された。

 

 

『それでは和人君、木綿季君、これからのことを話し合おうと思います。私もアミュスフィアを使ってそちら側にいかせてもらいますね』

 

「あ……はっハイ! 待ってます!』

 

 

 そう言うと倉橋は自身のタブレットに入っている必要なデータを、メディキュボイドの外部ストレージにデータを送信し、奥のアミュスフィアがある部屋へと姿を消していった。そして10分ほどするとキャリブレーションを終えた倉橋が、仮想空間の木綿季の部屋に姿を現した。

 

 

「やあ木綿季君、こちらで会うのは……随分時久しぶりですね」

 

「倉橋先生……! ちょっと以前に比べてふけましたね……?」

 

「む、失礼な……これでも私はまだ30代です。君たちにはまだ負けてないつもりですよ?」

 

 

 和人が「十分おっさんじゃん……」と聞こえるか聞こえないかぐらいのボリュームで呟いた。 しかし倉橋はしっかり聞こえていたようで表情を曇らせ、話題をそらそうとしたのかそそくさと本題を切り出してきた。どうやら倉橋にとって年齢のことは少しばかりタブーだったようだ。

 

 

「ではこれからのことについて本題に入りますね? まず、木綿季君の手術ですがドナーが届き次第、前準備にとりかかります」

 

「そうなんですか……。骨髄移植手術ってすぐに始められるわけじゃないんですか?」

 

「はい。届いた骨髄液は点滴によって木綿季君の体に注入していきます。手術そのものはそこまで木綿季君の体に負担はかかりません。しかしその前に前準備が必要になります。ただ……その前準備の段階でつらい思いをするかもしれません」

 

「え……前準備で……?」

 

「……説明しますね。まず骨髄には『赤色骨髄』と『黄色骨髄』と呼ばれるものが存在します。赤色骨髄というのは造血機能が盛んな骨髄のことです。成人するまで活発に血液を作り続けるのです」

 

「せ、せきしょく……おうしょく?」

 

「はい、そしてやがて成人になるに従って立派な体が出来上がってくると、赤色骨髄はその役目を徐々に終えていき、黄色骨髄へと変わっていきます。ここまでは……いいですか?」

 

「は、はい、大丈夫です。続けてください」

 

「では話を続けますね。木綿季君は血液がHIVに侵されています。そこでこの赤色骨髄に点滴を刺し、イギリスから送られてくるHIV耐性を持った骨髄液を注入します。やがて拒絶反応がないと、徐々に徐々に木綿季君の体に生着し、健康な血液を、HIVを駆逐する機能を持った血液を作り続け、全身に行きわたりながらHIVを駆逐する……というわけです」

 

 

 木綿季は話の半分しか理解できていなかったが、とにかくその骨髄液を木綿季の骨に注入すればHIVが治るということだけはなんとか理解できた。一方和人は食い入るような姿勢で倉橋の話に耳を傾けていた。

 

 

「点滴を注入すれば移植手術は完了です。あとは経過を見ながらHIVの様子などを観察していきます。そこでウィルスの数が減っていれば、手術は……大成功と言えるでしょう……!」

 

 

 "大成功" この言葉を聞いた瞬間に木綿季と和人の顔が明るくなった。漸く病気が治るということが現実味を帯びてきたからだ。治る見込みがない不治の病だと言われ続けていたAIDSが、漸く治ろうとしていた。

 

 

「しかし、そこにいきつくまでにちょっとした壁があります」

 

「壁って……一体何なんですか? ここまできたなら勿体ぶらずに教えてください」

 

「大丈夫です、隠す気はありませんよ。えっとですね、骨髄液を注入するためには、一度木綿季君の骨髄を空にする必要があるのです。放射線治療や、抗がん剤投与などで今の木綿季君の骨髄を一度完全に破壊するのです」

 

「え……」

 

 

 放射線治療、抗がん剤、この二つの単語を聞いた瞬間に木綿季の顔が引きつった。この治療法と言えば……主にガンを患った人が行う治療法だ。それがどれだけ苦しいか……つらいか知っている。死んだ方がましだと思えるほどの苦痛に襲われる、恐ろしい副作用もある。果たしてボクはそれに耐えられるのだろうか……と考えていた。

 

 

「木綿季君、そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。君はメディキュボイドを使っているのですから」

 

「あ……!」

 

「メディキュボイドの体感キャンセル機能を使ったまま、前処置と手術は決行します。どちらにせよ無菌室にいる必要があるので好都合というわけですね。なので痛みや吐き気などと言った、一般のガン患者の方が抱えている苦痛はないと思っていただいて大丈夫です。何より今の抗がん剤はかなり進歩しています。過去の事例のような副作用もそこまで深刻なものではありません」

 

「と言うことは、ボクは治療中も手術中も……一応意識はあるってことなんですね……?」

 

「ええ、仮想空間の中でですが下手な全身麻酔よりは圧倒的に安全です。本当に……これを設計した茅場昌彦さんには感謝の言葉しかありませんね……」

 

「茅場……昌彦……!」

 

 

 ここにきてアイツの名前を耳にするとは思わなかった。SAO事件の黒幕にて……プレイヤー4000人余を殺した日本歴史上最悪の殺人犯であると同時に、仮想空間開発の第一人者であった。このメディキュボイドも、基本設計は茅場昌彦がしたものであったのだ。和人はこんなときでも茅場昌彦の掌の上で踊らされていると思うと、心底あいつと俺は切っても切れない腐った縁が付きまとっているんだなと感じていた。

 

 

「一般的な骨髄移植での前処置の死亡確率は……30~40%ほどと言われています。治療そのもののリスクのことよりも、治療中の苦痛やストレス、不安などからくる影響で身体も精神も耐えきれなってしまうのです。しかしメディキュボイドを使っている木綿季君なら、そのリスクを極限にまで下げることが可能なんです」

 

「そう……なんですか……」

 

 

 低いとはいえ、死亡する確率があると言われた木綿季は恐怖を紛らわすため和人の手をぎゅっと強く握りしめていた。和人はその気持ちを汲み取り、木綿季の手を同じように握り返し安心させた。

 

 

「木綿季、大丈夫だ。俺がついている」

 

「和人……うん……」

 

「そうですね、和人君には前処置中も、手術中も木綿季君の側にいてあげてほしいと思ってます。精神面からくる不安を取り除いてあげれば、それだけで木綿季君が助かる確率は上がるでしょう」

 

「……分かりました、木綿季は……絶対に俺が守ります」

 

「かずと……」

 

 

 和人はそういうと片手で自分の胸に、木綿季を力強く抱き寄せた。もう片方の手で頭に手を当て、安心させてあげた。木綿季はそんな和人の胸にすがり続けていた。和人なら、ボクがどんな目にあっても必ず守ってくれる。だからボクも……和人を信じる。

 

 

「話は以上です。何か質問はありますか……?」

 

「……いえ、大丈夫です……」

 

 

 木綿季は全てを覚悟したという表情で、倉橋に返事を返した。ここまできてやっぱりやめますなんて口が裂けても言えない。そんなことしてしまっては皆に、明日奈に、セブンに、倉橋先生に、そして何より一番ボクを支えてくれた和人に合わせる顔がなくなってしまう。

 

 

「倉橋先生、ボクの体……よろしくお願いします……」

 

「先生……俺からも……お願いします……」

 

 

 和人と木綿季は揃って頭を下げた、もうあとは倉橋先生と……運にすべてをゆだねるしかなかった。倉橋は力強く頷くと、真剣な眼差しを見せ二人に言葉を返した。

 

 

「はい、わかりました。全力で取り掛からせていただきます。絶対に木綿季君は死なせません。私にまかせてください……!」

 

 

 

――――――

 

 

 

 西暦2026年3月9日月曜日 午前9:05 横浜港北総合病院

 

 

 ほどなくしてニ日が経過し、無事に横浜港北総合病院にイギリスからHIV耐性を持った骨髄が届けられた。届いたことを確認した倉橋はそれを和人と木綿季に伝えると、すぐさま木綿季の放射線治療と抗がん剤投与を始めた。この前処置は早ければ1週間、通常なら2週間程度で終わるものらしい。本来なら死んだ方がマシと思えるほどの苦痛に襲われるこの治療。和人はこの時唯一、木綿季がメディキュボイドを使っていてよかったと心から感じた。大切な人がすぐ傍で悲鳴を上げ、狂い悶える姿など……見たくはなかっただろう。

 

 和人はこの時、不服ながら茅場昌彦に二度目の感謝の気持ちを抱いた。木綿季の痛みや苦しみを消してくれてありがとうと、皮肉の感情を込めて、あの世にいるであろうヤツに念を送っていた。

 

 木綿季の治療が進む中、この時ばかりは和人は食事も睡眠も取らずにひたすら木綿季の傍で彼女を支えていた。傍らで震えている木綿季をひたすらに元気づけていた。頑張れ……頑張れ木綿季……お前は死なない……俺が付いている。俺が傍にいる、そう声を掛け続けた。木綿季は怯えた表情で和人の側を片時も離れなかった。

 

 

 

―――――――

 

 

 

 西暦2026年3月19日木曜日 午前10:00 メディキュボイド仮想空間 木綿季の部屋

 

 

 木綿季が抗がん剤と放射線による治療を始めてから10日ほどが経過した。倉橋はあれから毎日木綿季の経過を観察し、骨髄の様子を常に監視していた。そして今日、木綿季の骨髄の完全破壊が完了した。それを機械で確認した倉橋は和人と木綿季に伝えると、すぐに移植手術の為の準備を進めた。医療スタッフを集め、必要な器具を揃え、最後にドナーの骨髄液が入った容器を看護師に持ってこさせた。

 

 看護師はしゅるしゅると手際よく透明な点滴の管をほどき、その管を骨髄が入っている容器に接続した。そして管の先に繋がっている針を、木綿季の現実の肉体の上腕にあたる部分の骨に注射した。中に何も入っていないからっぽの状態の木綿季の骨に、少しずつ……少しずつ……イギリスから渡ってきた骨髄液が入り込んでいった。

 

 無菌室の中にはかつてないほどの緊張感が漂っていた。今までは命を長らえる為の終末期医療を繰り返していただけに過ぎなかった無菌室。しかし今は木綿季の生死を左右する直接的な処置が取り行われている。確率は非常に低いと言えども、木綿季がそのまま死んでしまう可能性もある。

 

 木綿季は震えていた、怖くないわけがない。何かの間違いで自分は今すぐ死んでしまうかもしれないのだ。手術中も意識があるという感覚は、15歳の少女には酷なものであった。

 

 

「和人……」

 

 

 和人は木綿季に自分の名前を呼ばれると、当たり前のように木綿季を安心させる為に力強く抱きしめた。仮想空間内の巨大ディスプレイには現実の木綿季のオペの模様が映し出されていた。ショッキングな光景になるかもしれないので倉橋は映さないつもりだったのだが、木綿季の強い要望によりモニタリングすることになったのだ。

 

 

「木綿季……大丈夫だ、俺が傍にいる……お前を支えてやる……」

 

「うん……うん……でもボク……怖いよ……」

 

 

 木綿季は和人に密着し、これ以上ないぐらいすがり寄っていた。体を小刻みに震え本当に怖いと言うことが見て窺えた。

 

 

「怖いよ……怖いよ和人……、こんなに和人が傍にいるのに……ボクの意識が一瞬で途切れてしまって、二度と戻らないって思うと……怖くておかしくなりそう……」

 

 

 和人はより一層力を込めて木綿季を抱きしめた。そして元気づけるために励ましの言葉をひたすらかけ続けた。

 

 

「大丈夫だ木綿季、大丈夫だ! お前は助かる! 絶対に助かる!! 何度も言っているが俺が傍にいる!!」

 

「かずと……もっと……もっと強く抱いて……抱きしめて。ボクがどこかに……手の届かない場所に行ってしまわないように……ぎゅっとしてて……」

 

「ああ……俺はここにいる。だから安心しろ……ずっと抱いててやる、だから……安心しろ……!!」

 

「もっと……もっと強く抱いて……怖いよ……怖いよ……!!」

 

 

 和人は手術中ひたすら木綿季を抱きしめ、元気づけ続けた。木綿季が望むものはなんでもしてやった。抱きしめてと言われれば抱きしめ、頭を撫でてと言われれば暖かく撫で回した。しかしそれでも木綿季の体の震えと恐怖が止まることはなかった。

 

 

「かずと……こわい……こわいよ……もっとそばにいて……もっとそばに……」

 

「木綿季…? しっかりしろ! 大丈夫だから! 俺はここにいるから……!!」

 

 

(まずい……そろそろ木綿季の精神が限界かもしれない、移植手術は……まだ終わらないのか……!?)

 

 

 和人がそう言いながらディスプレイを見ると、骨髄液が入った容器は、最初の三分の一ほどの量まで減っていた。

 

 

(あと三分の一……まだもう少し時間がかかるか……!!)

 

「木綿季! あと少しだ! 頑張れ!! もう少しで手術が終わる!」

 

「はあ……はあ……和人……和人、いやだ……死ぬのはやだ……ボク……生きたい……」

 

 

 木綿季の瞳からは光が失われていた、呼吸が荒く、顔にも覇気がなく、今すぐにも消えてしまいそうな感じであった。

 

 

「ゆ……木綿季!? しっかりしろ! 大丈夫か!?」

 

(まずい……本当にまずい……!! このままでは木綿季の精神がおかしくなっちまう! どうしたらいいんだ……!?)

 

 

 その時だった、無菌室の前を誰かが横切ったような気がした。一瞬のことだったので和人はその姿を確認できなかったが。……しかし今はそれどころではない、木綿季の精神が崩壊しそうなところまで来てしまっていた。

 

 

「やだ……やだやだやだやだ!! 死ぬのはやだ!! やだやだやだやだやだやだ!! 死にたくない!! 死にたくない!! 死ぬのはいやだああああああ!!」

 

 

 度重なる恐怖で精神の限界を超えたのか、突如木綿季はヒステリーを起こしたかのように声を荒げて泣き叫んだ。和人は必死に暴れる木綿季に声を掛けて力強く抱き締め、励まし続けた。

 

 

「……やだ……やだ……よ……かずと……あすな……ねえちゃん……たすけて……ボクを……おいてかないで……」

 

「木綿季大丈夫だ!! お前は死なない!! 絶対に生きる!! 生きて……俺と学校に行くんだろ!? 俺と一緒に現実世界で暮らすんだろ!? だったら……頑張れ!! 俺がずっと傍にいる!! だから……頑張ってくれ!!」

 

「……がっ……こう……?」

 

 

 "学校"という言葉に木綿季は反応を示した。明日奈に連れて行ってもらってから、すっかり憧れていた学校のことを思い出した。そうだ……ボクは和人と……学校に行くって約束したんだ。明日奈もいる……新しいお家もある……お母さんもお姉ちゃんも……家族がいるんだ……、ならここで負けちゃ……だめ……なんだ……。

 

 

「ああそうだ、一緒に行くって約束したろ!! 一緒に登校して、授業も受けて、お昼ご飯だって一緒に食べれる! そして一緒に下校して……寄り道とかもして、学校生活を送るんだろ!?」

 

「……そう……だ……。うん……ボク、学校行きたい……みんなのいる……学校に行きたい…」

 

「ああそうだ……行きたいだろ…! なら……あと少しだから、頑張れ……頑張るんだ!! 俺が傍にいてやるから……!」

 

 

 和人の必死の励ましにより木綿季の体の震えは少しだけ小さくなった。心の負担がわずかながら減ったようだ。顔つきも先ほどより幾分かよくなっており、瞳にも光が戻っていた。

 

 

「うん……ボク……、もう少しだけ頑張る……」

 

「ああ……木綿季は強い子だ。絶対に乗り越えられる……なんてたってお前は"絶剣"なんだからな……!!」

 

 

 何とか崖っぷちで和人は木綿季の精神崩壊を防ぐことが出来た。必死のやり取りをしている中、骨髄液の容器の残量は残り五分の一ほどまでになっていた。そしてその残り五分の一が減っていくというのが……ものすごく長く感じてしまっていた。

 

 

「はぁ……はぁ……かずと……て……にぎって……」

 

 

 和人はそう言われるとすぐさま木綿季の手を握りしめた。自分の手のあたたかさを、木綿季に必死に伝えていった。

 

 

「あったかい……かずとのて、あったかくて……うれしい……」

 

「ああ、木綿季の手もあったかいぞ……。生きてる、木綿季は生きてるんだ……!」

 

「うん……ボク……生きてる……」

 

 

 その時だった、メディキュボイドの仮想空間内で和人の声ではない別の声が……木綿季の名前を呼んだのである。木綿季と和人は声の聞こえた方向に振り向いた。そこには……二人のよく知る人物が……立っていた。木綿季にとっては、和人と同じくらい大切な親友が、木綿季のもとへと駆けつけていた。

 

 

「木綿季!!」

 

「あ……あす……な……?」

 

 

 木綿季のもとに駆けつけたのは一番の親友の明日奈であった。名前を呼ばれた明日奈はすぐに木綿季のもとに駆け寄ると、和人と一緒に木綿季を力いっぱい抱きしめた。木綿季にはどうして明日奈がここにいるかわからなかった。授業を受けている筈なのにどうして……?

 

 

「あすな……どうして……ここに……?」

 

「遅くなってゴメンね……でも間に合った、間に合ったよ……木綿季……!」

 

「来てくれたのか明日奈…サンキュな……」

 

 

 和人は何とか間に合ったなと言った安堵の表情を浮かべていた。明日奈には予め手術が始まると知らされた時に、仮想空間内からメールを飛ばしていたのだ。明日奈は本来通常授業の日であったが授業を途中で抜け出し、超特急でここまで来てくれたという。

 

 

「木綿季……!!」

 

「あすな……あすな……! あすなあ……!!」

 

 

 明日奈と木綿季は力いっぱい抱擁を交わした。明日奈が来てくれた……和人だけじゃない、ボクを支えてくれようと明日奈が来てくれた……嬉しい……すっごく嬉しい……。やっぱり明日奈……姉ちゃんのにおいがする……お日様の……暖かいにおい……。

 

 明日奈が駆けつけてしばらくすると、無菌室の前が騒がしくなっていた。その様子に気付き、何事かと思い二人は部屋の中のサブディスプレイで外の状況を確認してみた、するとそこには更に二人を驚かす光景が映り込んでいた。

 

 

『木綿季! 来てあげたわよ! 生きてるわよね!?』

 

 

 無菌室のガラスの前にいたのはリズだった。リズも明日奈同様に授業を抜け出し、木綿季のいる病院へと来てくれたのである。

 

 

「りず……も……きてくれたの……?」

 

『私たち友達でしょ!? 当たり前じゃない!! それにあたしだけじゃないわ!……みんな来て!』

 

 

 リズが廊下の方に視線をやり、片手を振ると、ぞろぞろと木綿季たちの知っている顔が歩いてきて、無菌室のガラスの前に勢ぞろいしていた。木綿季はその光景を、信じられないような目で見つめていた。

 

 

「え……うそ……なんで……?」

 

『木綿季ちゃん……! 絶対に負けちゃだめよ……! お母さんがついているわ!』

 

 

 最初に木綿季に声を掛けたのは和人と直葉、そしてやがて木綿季の母親になるであろう翠だった。

 

 

『木綿季! 負けないで! そんな病気なんかに負けないで!!』

 

 

 続いて声を掛けたのは姉になる直葉だった。妹を元気付ける為、彼女もまた木綿季のもとへとやってきてくれていた。

 

 

『木綿季さん! 頑張ってください! 私とピナも応援しています! 』

 

 

 シリカ。

 

 

『木綿季! ここまで来て……死んでしまいましたなんてことになったら……絶対に許さないんだから!』

 

 

 シノン。

 

 

『木綿季ちゃん! ファイトだよ! あと少しで終わるから……頑張って!!』

 

 

 フィリア。

 

 

『木綿季ちゃんよう! この俺様が駆け付けたからにはもう安心だ!! だから負けんじゃねえ!!』

 

 

 クライン。

 

 

『木綿季!お前の強さは……絶剣はこんなもんじゃねえはずだろ!? 見せてみろ! 絶剣の強さを!! 根性を!!』

 

 

 エギル。

 

 

『木綿季ちゃん! ジェラーユ・ウダーチ!! 負けないで……HIVなんかに負けないで!!』

 

 

 セブン。

 

 

『見て木綿季ちゃん! みんな来てくれたよ……! 木綿季ちゃんを応援するために……みんなが来てくれたよ!』

 

 

 レイン。

 

 

『……貴様に死なれたとあっては、俺としても後味が悪いものがある。……絶対に死ぬことは許さん、生きろ』

 

 

 スメラギ。

 

 

「み……みんな……来て……くれたんだ……」

 

 

 木綿季がみんなに感謝の気持ちを抱いてると、リズが徐にスマホを上着のポケットから取り出した。リズのではなく明日奈のスマホだった。そしてそのスピーカーを、無菌室前に置かれているマイクに向かって差し出した。

 

 

『私たちもいるのです! ユウキさん!』

 

『うん! 外には出られないけど、ここからならユウキに声だけは届けられるよー!』

 

 

 明日奈のスマホから聞こえてきたのは、ユイとストレアの声だった。生身の体を持たない彼女らも、スマホの通信アプリを経由して。わざわざ木綿季を励まそうとやってきてくれたのである。

 

 

「ユイちゃんに……ストレアまで……」

 

「木綿季、それだけじゃないの。ここには来られないけど……スリーピング・ナイツのみんなからメッセージを受け取ってきたわ」

 

 

 明日奈はそう言うと自分のスマホに届けられたメッセージを、リズに読み上げてもらうよう合図を送った。仮想空間にスマホは持ち出せない為、外にいる人間に委ねたのだ。リズは明日奈のスマホのメモ帳アプリを起動し、スリーピング・ナイツから木綿季へ贈られたメッセージを読み上げ始めた。

 

 

『それじゃあ読むわよ……えっと……オホン』

 

 

 "ユウキ、今が一番つらいかもしれないけど……これを乗り越えれば明るい未来が待ってるはずよ……だから頑張って! シウネー"

 

 "ユウキ! 今にも死んじまいそうなお前に活を入れてやる! 死んじまったら……絶対に承知しねーからな!! ジュン"

 

 "リーダーへ、絶対に病気を治して……またみんなで冒険に行きましょう! テッチ"

 

 "リーダー……えっと……その、が……頑張って……ください……!! タルケン"

 

 "ユウキ! 死んだりなんかしたら許さねーぞ! またアタシの酒に付き合ってもらわないと困るんだからな!! ノリ"

 

 

「スリーピング・ナイツの……みんな……」

 

「そうよ……みんな木綿季の病気が治るように応援してくれてるの……! だから……一緒に頑張ろう! 木綿季!」

 

 

 死への恐怖で震えて何も出来なかった木綿季の心が……少しずつ温かくなっていった。ボクは……ボクが思ってる以上に……皆に愛されてたんだ。嬉しいなあ……。ならここで…死ぬわけには……、負けるわけには……いかない…!! 生きなきゃ……ボク……生きなきゃ……!!

 

 

「ありがとうみんな……ボク……頑張る……」

 

『そうよ……頑張って!! 頑張って木綿季!!』

 

『頑張れ!! 頑張れ!! 』

 

『木綿季ちゃん!! 負けないで!!』

 

 

 皆が集まったその日は、横浜港北総合病院で一番熱意のこもった言葉が贈られた日であった。この小さな少女の命を助けるために、再び家族と仲間達が大集結したのだ。明日奈達学生は学校を休んで、エギルとクライン、そして翠は仕事を途中で引き上げてここまで駆け付けた。

 

 そんな、掛け替えのないメンバーからの支えは、手術が終わるまでの時間を稼ぐのには十分すぎるほどであった。皆の声援が飛び交っている中、骨髄液の入った容器は空っぽになり、管を通っている残りの骨髄液も全て木綿季の腕に吸い込まれていった。

 

 骨髄液が吸い込まれるのを確認すると、看護師が針を外し、倉橋がすぐさま機器で様々なデータを確認した。どこにも異常はないか? 移植前の時と比べておかしなところはないか? 看護師と医療スタッフと一緒に様々な機器をチェックしていった。

 

 

「……どう……なったんだ……?」

 

 

 和人が張りつめる空気の中重たい口を開けた。先生たちは今何をしているんだろうと思っていた。和人が一人困惑していると明日奈が口を開いた。

 

 

「た……多分……拒絶反応がないかどうかのチェックとかをしているんじゃないかな…よくわかんないけど……」

 

 

 骨髄に限らず移植手術には必ずリスクが伴う、HLAが一致していると言っても100%GVHD等の拒絶反応がおこらないというわけではないのだ。その時のショックで死んでしまうこともある。しかし拒絶反応は術後すぐに起こるわけではない、多くは術後2~3週間ほどのスパンで起こることもあれば、数ヶ月経過してから現れる可能性もある。

 

 まずは木綿季に移植された骨髄が正常な血液を生成するか……そこからなのである。しかし、とりあえずの手術は終わりといったところだろう。現に倉橋も安堵の表情を見せていた。

 

 

『お疲れ様です木綿季君。手術は……以上でお終いです。あとは……経過を見ながら……観察していきましょう』

 

 

 倉橋がオペの終了を告げた、その瞬間に張り詰めていたその場の緊張が漸く解けた。皆肩を落とし、胸をなでおろし安堵の表情を見せていた。一方でメディキュボイドの中で床に突っ伏すように力なく崩れている木綿季に和人は安心させるべく優しく声をかけた。

 

 

「木綿季……もう大丈夫だ、終わったぞ……」

 

 

 和人から声を掛けられた木綿季はゆっくりと顔を上げて、和人の顔を涙目で見つめていた。体中を震わせて、今一体何がどうなっているのか、ボクはどうなったのかと、恐る恐る聞いてみた。

 

 

「終わった……の……?」

 

「ああ、手術自体は完了だ。あとは拒絶反応がないかどうかの観察をしながら、HIVウィルスの様子も監視するんだってさ」

 

「木綿季……お疲れ様……!」

 

 

 明日奈が木綿季を抱き締めた、その眼には涙が浮かんでいた。木綿季の表情には安堵感というよりは本当に終わったの? といった表情が見て取れた。しかし周りの反応を見る限り、多分終わったのだろうと判断していた。

 

 

「キリト君……ありがとう、手術のこと教えてくれて……」

 

「いや……急な呼び出しに……よく来てくれたよ……サンキュな。キミが来てくれなかったら……正直木綿季の精神がやばかったかもしれない……」

 

 

 和人は明日奈が来てくれたことに嬉しさを感じていたが、それ以上に自分一人だけで木綿季を支えれなかったことの悔しさを心に感じていた。俺にもっと木綿季を支えられる力があればと思っていた。しかし悔しがるのは後だ、今は集まってくれたみんなに礼を言わなくては。

 

 

「リズ達もホントに……サンキュな。わざわざここまできてくれて……」

 

 

 声を掛けられたリズ達元SAO、ALOのプレイヤーの皆は和人から礼を言われると、揃ってスメラギ以外全員笑顔でVサインを作ってみせた。

 

 

『スメラギ君……こうゆう時ぐらい空気読んで息を合わせなさいよ……』

 

 

 セブンは呆れた表情でスメラギにクレームをだした。しかしスメラギは照れくさそうにみんなから見えない角度に顔を隠すだけであった。本人も手術が終わったことに安堵してる筈なのに、である。

 

 

『木綿季君のお友達の皆さん……今日は掛け合ってくれて本当にありがとうございます。移植手術自体のリスクはそれほどでもなかったのですが……、術中の木綿季君の精神が危ないところでした。本当に心から感謝します……』

 

 

 倉橋はそう言うと、集まってくれたメンバーに深々と頭を下げた。そんな倉橋のたまたま近くにいたクラインが駆け寄り、声を掛けた。

 

 

『先生……よしてください、頭を上げてくださいよ……。むしろ先生がいなかったら……木綿季ちゃんは助かっていなかったんだからな……』

 

『……恐縮です……』

 

『ふう、それじゃ私たちは帰りましょうか、これ以上ここにいても邪魔でしょ? こんなに大人数なんだし……』

 

『そうですね……、あとはキリトさんや直葉さんにお任せしましょう!』

 

「え、あ……ちょっと! ログアウトするまでちょっとまってぇー!」

 

 

 仮想空間にいる明日奈を尻目にリズ達は帰り支度を始めた。本当なら木綿季の側にいて支えになってやりたいところなのだが、この大人数がいつまでも病棟をうろうろしているわけにはいかなかった。いくらあまり人が来ない無菌室のあるこの病棟でもだ。メンバーは桐ヶ谷家の面々を残して病院を後にすることにした。

 

 

「明日奈……来てくれてありがとう。ボク……ホントに怖かったから……明日奈が来てくれてすっごく嬉しかった……」

 

 

 木綿季は床にぺたんと女の子座りをしながら駆け付けてくれた明日奈に感謝の気持ちを表した。そんな木綿季に向かい明日奈は優しい笑顔で声をかけてあげた。

 

 

「んーん、私こそ……来るのが遅くなっちゃってごめんね……?」

 

 

 明日奈は前かがみの状態になり、座っている木綿季の頭に手を当てて優しく撫でた。その様子は微笑ましく、端から見れば本当に仲の良い姉妹に見えた。

 

 

「またちょくちょくお見舞いにくるから、元気出していこうね……?」

 

「う……うん……!」

 

「それじゃあ……また来るね、木綿季!」

 

「うん、ホントにありがとう……明日奈……」

 

 

 明日奈は最後に木綿季にニッコリ笑ってスマイルを作ると、左手でメニューを開こうとした、しかし何も出ない。不思議に思いふと今度は右手で指をスライドさせた。今度はちゃんとメニューがでて、SAOと同じように慣れた手つきでログアウトしていった。見舞いに駆け付けてくれたメンバーは、ガラス越しに最後に「木綿季、頑張れ!」と言い残した後桐ヶ谷家以外全員退室していった。慌ただしかった無菌室は急に静かになり、メディキュボイドと医療機器の機械音だけがその場に鳴り響いていた。翠は一歩だけ前に出ると、深々と倉橋に頭を下げた。

 

 

『倉橋先生、木綿季の命を……娘の命を救ってくださって、ありがとうございます……』

 

『いえ……、むしろ今まで助けてあげられなかった分、申し訳なく思ってるぐらいで……』

 

 

 翠が「そんなことは」というと倉橋は「恐縮です」とだけ答えて少し照れくさそうな、申し訳なさそうな表情をしていた。互いに妙な不毛な気持ちの譲り合いを繰り返していた。

 

 

『さて木綿季君、手術が終わったばかりでまた申し訳ないのですが……今後のことを話そうと思います。……大丈夫ですか?』

 

「木綿季……大丈夫か? 何なら俺が代わりに話を聞いておくけど……」

 

「ううん大丈夫だよ和人……、ボクも……一緒に聞く……」

 

『分かりました、それではお話ししますね。木綿季君の今の体の現状を言いますと、空っぽになった上腕の骨の中に新しい骨髄液が入っている状態にあります。これは早ければ1週間、長くて3、4週間ほどのスパンで木綿季君の体の細胞となじんでいき、生着してHIVに耐性をもった血液を作り出します』

 

 

 木綿季と和人、そして翠と直葉は無言で倉橋の話を聞き続けた。説明を続ける倉橋の顔は、これまでのような深刻な表情ではなく、一つの山を越えた、一先ず安心だといった印象が窺えた。

 

 

『そして、血液がどんどん作り出されるとやがて木綿季君の体全体を循環するようになります。HIVウィルスを駆逐しながら……ですね。わずかばかりの生き残りのHIVウィルスも、残らず駆逐されていくものと思われます』

 

「……はい」

 

『HIVが駆逐されていきますと、だんだんと木綿季君の免疫力が回復していきます。免疫力がついてくるということは、感染症などに耐性が出来てくるということになります。薬の投与は今まで通り継続しているので感染症も少しずつよくなっていくでしょう』

 

「…………」

 

『そして、残りの後遺症に関しましては……やはりメディキュボイドの体感キャンセル機能を解除してみないと、こればかりは……わかりません……』

 

「そうですか……」

 

『免疫力がついてきて薬の量が減ってくるにつれて、メディキュボイドの高出力電磁パルスの出力も徐々に落としていきます。結論だけ言いますと、このまま首尾よくいけば終末期医療は必要なくなります。木綿季君は"助かるんです"』

 

「ボク……助かるの……?」

 

「ああそうだ、やったな……木綿季」

 

 

 和人はそれだけ言うと、安心させるように笑顔を浮かべたまま木綿季を抱き締めた。毎度毎度単純な方法だがらこれが一番木綿季を安心させられるのであった。直接互いの温かさと優しさが伝わる確実なやり方だ。木綿季は和人に抱きしめられると、目を閉じて和人に体を預けた。

 

 

『私はここに残ってモニタリングを続けます。他のスタッフと交代で続けますので、絶対に誰かがここにいる状態にはしておきます。お二人とも……本当にお疲れさまでした……』

 

「は……はいっ、ありがとうございました!」

 

 

 現状の状況を一通り説明し終わると、直葉と翠は倉橋ら医療スタッフに改めてお礼を言い、木綿季に励ましの言葉をかけた後、踵を返して家路についた。翠も仕事を途中で抜け出して病院まで駆け付けてきたのだ。未来の娘の命運を見守る為に、そしてこれから家で一緒に住むことになる娘の力になるために、母親としてやるべきことをやっていたのだ。帰り道に翠は、直葉と二人きりになると、顔に手を当てて涙を流していたという。

 

 

――――――――

 

 

 結果的に木綿季の手術は一応の成功という形で終わりを迎えた。しかしまだ全てが終わったわけではない。拒絶反応があるかどうか? 移植した骨髄は生着して血液をちゃんと作り出すのか? そしてちゃんとHIVウィルスは駆逐されていくのか? 確率は低いものの問題はまだまだあった。

 

 倉橋はああ言ってはいるが心の底では不安を隠せない和人と木綿季であった。メディキュボイドの中で過ごしているため、痛みなどの苦痛はないものの、直接自分の体をいじくられたとあっては、やはり今まで以上に不安が残るだろう。和人は引き続き木綿季の側にい続けた。二人ともとてもALOで遊ぶ気分など出てこない。ひたすら、ただひたすら、時間の経過を静かに待っていた。

 

 和人はたったの1秒として、木綿季の傍を離れなかった。食事もしていないので現実の和人の体が心配だが、木綿季の体に比べると全然マシであった。木綿季は何も考えないようにして和人の胸を借り、ひたすらに静寂を過ごしていた。メディキュボイドの中にいるので、現実の自分の体が今どうなっているのかというのは外にいるスタッフにしか分からない。声をかければ教えてもらえるだろうが、今は怖くてとても話しかけられなかった。

 

 

――――――――――

 

 

 西暦2026年4月2日木曜日 午前7:05 メディキュボイド仮想空間 木綿季の部屋

 

 

 それから時期が経って月が替わり、世間は新年度となっていた。木綿季の手術からまる二週間が経過していた。木綿季の体には特にこれといった変化は見受けられず、かといって拒絶反応が起こっているといった様子も見受けられなかった。無菌室の様子がいつも通りということもあって大事にはなっていないようだ。

 

 

「ねえ和人……」

 

「何だ……?」

 

「ボクの体さ、今……どうなってるのかな……」

 

「……俺は医師じゃないからはっきりとしたことは言えないが、この前の先生の話をそのまま真に受けるんだとすれば……移植した骨髄は恐らく木綿季の体に馴染んできているんじゃないかなって思うんだ」

 

「ボクの……体に……?」

 

「ああ、まだ油断は出来ないが……もしかしたら既に新しい血液が骨髄から作り出されているんじゃないかと俺は思ってる。変化が現れるとしたらそろそろじゃないかなって気がするんだ。……まああくまでも素人目線での意見だから、あてにならないけどさ……」

 

「……うん、そうなのかな……和人が言うなら」

 

「おいおい……俺の言うことを真に受けるなよ? 俺は一般人であって医者じゃないんだからな……?」

 

「うん……それは分かってるけど、和人の言ったことなら……信じられるかなって……」

 

「その言葉は嬉しいけどな、あんま過信するなよ?」

 

「はぁ~い」

 

 

 手術から時間が経ったこともあって、木綿季は以前よりも落ち着いていた。以前のような明るさと元気こそまだないものの、日常的な会話が出来るぐらいまでは精神状態も安定していた。やはり……明日奈達が駆け付けて来てくれたことが大きかったのだろう。

 

 しばらくすると和人達が見ている無菌室の様子がすこし変わってきた。ちょっとだけざわついているような気がする。その様子が気になり和人は外に声を掛けてみた、一体みんな何にざわついているんだろう? 心なしかみんな笑ってる気がする。

 

 

「倉橋先生おはようございます……、あの……何かあったんでしょうか……?」

 

 

 和人がスピーカー越しに倉橋に声を掛けると倉橋は少しだけ意外そうな顔を見せていた。自分から話し掛けるところだったのだろうか? 和人の声掛けに応えるよう、倉橋は紙面らしきものを見ながらいつもの挨拶をカメラのレンズ越しに和人に返した。しかし何だろう、気のせいか明るい表情をしているような……、そんな様子が窺えた。

 

 

『おはようございます和人君、木綿季君。実は……二人にいい知らせがあります」

 

「え……?」

 

 

 和人と木綿季の表情が強張った、このタイミングで先生の口からいい知らせがある……? もしかしてという可能性を思い浮かべて、和人達はゆっくりと聞いてみた。

 

 

「いい知らせって先生……もしかして……もしかして……!」

 

 

 木綿季と和人は身を乗り出した、倉橋の口から出てくる次の言葉を、早く聞きたくてしょうがなかった。今まで散々悲しい宣告ばかりその口から聞いてきた、余命、後遺症のことなど……。しかし、この先に聞く言葉は……二人が待ちに待った言葉であった。

 

 

 

『木綿季君の体の、HIVウィルスの数が……減少しています』

 

 

「なッ……!?」

 

 

 

 和人と木綿季の二人は固まってしまった。今先生は一体なんて言った……? 木綿季の体のHIVが……なんだって……? 和人は答えを確実なものとする為、落ち着いてもう一度倉橋に質問を投げつけた。

 

 

「先生今……なんて言いました……?」

 

 

 倉橋は大きく息を吸い込み、深呼吸をすると改めて先ほど言った言葉を口にした。倉橋もこうなることを長年夢見てきたのだ。自分たちの無力すぎる医学がだらしないばかりに、一人のか弱い少女に実験の被験者という重たいものを背負わせてしまった。しかしそれももうすぐ終わる、勿論いい形でだ。それを意味する告知を出来ることに喜びの気持ちを隠せなかった。しかし医師は冷静でなければならない、喜ぶのもそうだがここはあくまで一人の医師として話を続けなくては。

 

 

『もう一度言いますね、木綿季君の体に潜伏しているHIVウィルスの数が……減少しているんです! 無事に骨髄から血液が作り出されているんですよ! 拒絶反応も……起きていないんです……!』

 

 

 その答えを聞いた瞬間、和人の頭の中を今まで歩んできた様々なことが廻りまわっていた。木綿季を絶対に治すと約束したこと、木綿季の病気のことを調べ、治す方法を見つけ対策を講じたこと、無事にドナーを手に入れ手術までこぎつけたこと……そしてとうとう今日、15年間木綿季の体を蝕んでいたHIVウィルスに打撃を与えることに成功したという達成感に包まれていた。嬉しい知らせを受けた二人は喜び合い、互いを力一杯抱き締めた。

 

 

「木綿季……!!」

 

「かずと……!」

 

 

 よかった……よかった……助かる、木綿季が本当に助かる。崖っぷちだった木綿季の命が、風前の灯火だった木綿季の命が、虫の息だった木綿季の命が……助かる……!!

 

 かずと……ボク助かるんだね……、生きてていいんだね……、普通のことが出来るんだね……、ずっとかずとと一緒に……いられるんだね……!

 

 抱き合っている二人はひたすら感謝した。協力してくれた仲間たちに、ドナー登録を志願して支持してくれた世界中の人たちに、長い間木綿季を支えてくれていた倉橋先生に、そして……木綿季を見捨てなかった神に……深く感謝をしていた。

 

 

『木綿季君……おめでとうと言うのにはまだ少し早いかもしれませんが、おめでとうございます。このままいけば完全寛解も夢ではありません……いや、もう目前と見てもいいでしょう……!!』

 

「先生……、倉橋……先生……ッ!」

 

 

 自分の病気が治ると聞かされた途端に木綿季の目からは大粒の涙が零れ落ちた。心の底から溢れ出てくる嬉し涙であった。木綿季は今の気持ちを言葉で表したかったが、色々な想いが複雑にこみ上げ過ぎてしまい、どうしたらいいかわからなかった。和人はそんな木綿季を力強く抱き続け、病状の回復を祝福した。

 

 

「よかったな……よかったな木綿季……。本当に……よかった……、俺……諦めないで……よかったよ……」

 

「うん……うん、和人ありがと……ずっと傍で応援してくれて……ホントにありがと……」

 

「いいんだよ……、でもあとちょっとだ、それまで……もうひと踏ん張り……頑張ろうな……!」

 

「う……うん! 和人が一緒にいてくれるなら……ボク……どこまでだって頑張れる……!」

 

『木綿季君の免疫細胞もHIVの減少に従って……少しずつ増えてきています。このままいけばこの無菌室を出られる日も……近いかもしれませんよ……! この日をどんなに待ち望んだことか……!』

 

 

 木綿季、和人、倉橋の三人は大いに喜びあった。15年間続いた病気との戦いにピリオドが打たれようとしていたのである。まだ油断は出来ないが、確実に良い方向へと向かっていた。それからも経過の観察は続き、順調に木綿季のHIVは消えていった、それに反比例するように免疫細胞の活動も活発になり、感染症も免疫細胞の働きと薬の投与のお陰で、確実に回復の傾向にあった。

 

 メディキュボイドの出力も日に日に弱くなっていき、木綿季の体への負担も徐々に減っていった。現実の木綿季の体への変化も目に見えて見受けられた、灰色気味だった肌色が健康なピンク色へと変わっていったのだ。いまだに手足は細いままだが……、それ以外ではちょっと痩せてる細身の女の子に見えた。

 

 少しずつよくなっていく自分の体を見ていくうちに、木綿季は少しずつ明るくなり、活発な木綿季へと戻りつつあった。和人もそんな木綿季の姿を見ていると嬉しくなり、気持ちが舞い上がり過ぎて既に退院後のことを考え出していた。元気になったらどこへ行こうか、何をしようか等、現実世界で遊ぶ事の話に花を咲かせていた。

 

 

――――――

 

 

 

 西暦2026年5月26日火曜日 午前9:05 横浜港北総合病院 無菌室

 

 

 

「………」

 

 

 木綿季の体からHIVが減少の傾向を見せてから、2ヶ月近くが経っていた。ここ最近に差し掛かり、木綿季の体のHIV反応はもう完全に確認できないぐらいにまで駆逐されていた。免疫細胞も活発に活動を続け、患っていた感染症もほぼすべて克服していた。肌も少しずつではあるが以前より張りが出てきて、色合いも非常に健康的なピンク色となっていた。

 

 和人はというと最近になってちょくちょく現実世界に帰還していた。この日のために、少しずつなまった体を和人も鍛えていたのだ。そう、何を隠そう今日は木綿季がメディキュボイドの臨床試験を終える日。つまり……無菌室から外に出られる日だったのだ。

 

 無菌室には和人、直葉、翠、明日奈が面会に来ていた。事前に知らされていたため、学校と仕事を休んでここまで駆け付けたのだ。ちなみに直葉は高校2年になり、兄の学年を超えてしまっていた。一行はガラス張りの外ではなく、無菌室の中で木綿季の目覚めを待っていた。

 

 普段なら菌の侵入を防ぐためにこんなことは出来ない。感染症を防ぐためにこの中にいるのに菌を持ち込まれては本末転倒、とんでもないことだ。しかし、それでも和人たちが無菌室の中にいるということは、木綿季が回復していることを示していた。

 

 

「お兄ちゃん……木綿季、大丈夫なの……?」

 

 

 直葉は心配そうな声を上げながら、和人に木綿季の容態を聞いた。経過は今までも和人から定期的に聞いていたものの、やはりメディキュボイドに包まれた痩せ細った木綿季の姿を見ると不安感に襲われる。

 

 以前より体付きが良くなり、色合いがピンクになっていったといっても、まだまだ木綿季の体は貧弱そのもの、これから栄養をもっと摂取して、リハビリなどを通して体を鍛えていかなければならない。病気が治ったとて、課題はまだまだ山積みだった。

 

 

「大丈夫だ、多分な……」

 

「多分て……」

 

「大丈夫ですよ、確かに木綿季君の体は痩せ細ってしまっていますが、HIVの反応はもう確認出来ません。免疫細胞も活発になってきています。つまり、今の木綿季君は痩せ細った女の子という認識でいてもらって結構です」

 

 

 倉橋が医師として木綿季の体について説明を行うと、漸く直葉に安堵の表情が浮かんだ。それに釣られる様に翠と明日奈の表情も明るくなっていった。何しろ今までが今までだ、15年も病気に侵されていて今日元気になりましたと言われても中々信憑性を感じられないのも無理はない。毎日付き添っていた和人だけは別にしてもだ。

 

 

「木綿季君、聞こえますか?」

 

『はーい! 先生! 聞こえてまーす!』

 

 

 倉橋がマイク越しに声を掛けると、スピーカーから木綿季の明るい声が聞こえてきた。手術後は暗くなってしまっていたが、体が回復に向かっていくことに比例して、木綿季自身もどんどん元気になっていったのだ。空元気などではない、希望に満ち溢れている元気一杯の良い声だ。

 

 

「わかりました、それでは始めようと思います。まずこれからメディキュボイドの体感キャンセル機能を解除します。解除しますとそれまで感じていなかった痛みなどが戻ってくる可能性がありますので、心の準備をお願いします」

 

『は……はい! 了解です!!』

 

『それと、今の木綿季君の身体機能がどうなっているかは……キャンセル機能を解除してみないとわかりません。従って、現実世界に戻ったらなんとか頑張って……体を動かすことを意識してください。こちら側で無理だと判断したり、危険と判断した場合はすぐさまメディキュボイドを再起動します。……それでよろしいですね?」

 

 

 倉橋が最後の確認を木綿季に伺うと、木綿季は一瞬固唾をのむ動作をしたあと覚悟を決めて、倉橋にOKのサインを出した。もうここまできて引き下がれない……大丈夫だ、ボクの体は和人と倉橋先生がずっと診てくれてた。大丈夫、心配ない。あとはボクが……精一杯体を……動かすだけ……!!

 

 

『大丈夫です、始めてください……倉橋先生』

 

「分かりました、それでは始めます」

 

 

 倉橋は和人たちと視線を合わせた後、軽く頷いて無菌室に入り、メディキュボイドを直接操作し始めた。カチャカチャ、ピピピというキーボードと電子パネルの機械音とウィンウィンとコンピュータが処理をしている電子音が無菌室内にこだましていた。それを見守っている四人は緊張していた。本来ならこの無菌室のドアが解除される時、それは無菌室の必要性がなくなったときのみだ。病気が治ってただ単に退室するときか、あるいは患者が死ぬときだけである。喜ばしいことに木綿季は無事前者での退室を実現しようとしていたのだ。

 

 

「……よし……メディキュボイド、シャットダウン。木綿季君、現実世界に帰還します」

 

 

 倉橋が最後の操作を終えたことを伝えると四人に、よりかつてない程の緊張が走った。いよいよ現実世界で木綿季と対面するときがやってきたのだ。嬉しい気持ちもあったが同時に不安な点もあった、以前から懸念されていた後遺症のことだ。目は見えるのか? 耳は聞こえるのか? 手足は動かせるのか? そして喋れるのか?

 

 様々なケースを想像しているとやがてブシュー、ガコンッという音を立てて、メディキュボイドのヘッドギア部分が木綿季から外された。それを確認した倉橋は木綿季の寝ているベッドに駆け寄り、ハキハキとした声で木綿季に声を掛けた。

 

 

「木綿季君、聞こえますか? 聞こえていたらゆっくりでかまいません。何処か……体を動かしてみせてください」

 

「…………」

 

「木綿季……」

 

 

 和人はみんなから一歩乗り出したところで、木綿季のすぐ傍で木綿季を見守っていた。何しろ三年間も寝たきりだったのだ。もしかしたら動かせないかもしれない、でもそれでも今は構わない。いまはとにかく、現実世界での木綿季の反応が欲しい。和人を含む一行が無言で木綿季を見守っていると、現実の木綿季の肉体に僅かながらの変化が見られた。

 

 

(倉橋先生の声が聞こえる……、どこか……どこか体を動かさなきゃ……、どこでもいい……どこか……!)

 

「……ッ……ッ」

 

 聴覚が無事機能していた木綿季は、必死にまず唇を動かした。まだ手足には思った様に力が入らない、ならばと思い、負荷が少ない口へと、筋肉に脳から指令を与え、必死に動かし続けた。その動きの変化に真っ先に気付いたのは明日奈であった。

 

 

「!! ……キリト君! 今木綿季の……!!」

 

「あ、ああ……唇が動いた……! 木綿季に意識はあるぞ! 耳も聞こえている……!!」

 

(……和人と明日奈が喜んでる、ボクが唇を動かしたことに気付いてくれたんだ、やった……嬉しいな……)

 

 

 和人たちは木綿季に意識があることにまずは安堵の気持ちを抱いていた。よかった、聴覚は生きている! 声こそ細すぎて聞こえないが必死に唇を動かしている様子が見て取れた。まずは第一段階通過と言ったところで少しだけ前に進めた事を感じていた。

 

 

「木綿季、俺だ! 和人だ! わかるか……!?」

 

 

 和人は優しく声を掛けながら木綿季の左手を握った。木綿季の細い体が壊れないように、優しい力を込めて、何より木綿季が和人の温かさを感じてくれるように。頼む木綿季、仮想世界でやってくれたように、俺の手を握り返してくれ……!

 

 

(あ……和人だ……、この手の温かさは……和人だ! 和人がボクの手を握ってくれてる! 嬉しい……、う……動かさなくちゃ、手を……なんとか動かさなくちゃ……! かずと……かずと……!)

 

 

 ……ピク……。

 

 

「!! 木綿季…今指が……! 俺の手がわかるんだな!? 力が入れられてるんだな……!!」

 

(うん……わかるよかずと……! かずとの温かさと……優しさが……ボクの手に伝わってきてるよ……! )

 

 

 木綿季の手は震えていたが少しだけ、ほんの少しだけ、和人の手を握り返すことに成功した。手は生きていた。確認はしていないが多分足も動くだろう。しかし問題はいよいよ次だ、次に確認するものが……今までで最も重要となる。

 

 和人は深呼吸をした、自身の体を震わせながらも緊張しないようにリラックスしようとしていた。少しだけ落ち着きを取り戻すと、和人は再び木綿季の隣でしゃがみこみ、木綿季に優しく語りかけた。

 

 

「木綿季……ゆっくりでいい……、目を……開けてみせてくれ…」

 

(目……、今のボクに……見えるのかな……、いや……やってみなきゃわからない。ボク……和人の顔が見たい……、一番最初に……大好きな和人の顔が……見たい!!)

 

 

 木綿季は和人の手を弱々しく握り返しながら、瞼に力を入れて、必死に眼輪筋を動かそうとしていた。瞼が上下に少しピクピク震えながらも、一生懸命に瞼を開けようと頑張っていた。そんな頑張りを見せる木綿季に、和人と明日奈が声援を送り続けた。

 

 

「そうだ! ゆっくりでいい! 頑張れ……! 木綿季!」

 

「頑張って! 木綿季……!!」

 

(うん……ありがとう和人、明日奈……、ボク……頑張るよ、がん……ばる……!!)

 

 

 木綿季の瞳は非常にゆっくり、ゆっくりだが確実に少しずつ上に上昇していった。そして全体の四分の一ほど開いたところで勢いに乗ったのか、そのままぱっちり目を開けることに成功した。しかし全開まで開いたと思ったら、すぐ木綿季は目を閉じてしまった。

 

 

(うっ……)

 

「ゆ、木綿季……どうしたんだ? やっぱり……つらいのか……?」

 

「ま、まさかやっぱり……後遺症で見えていないんじゃ……」

 

「そ、そんな……」

 

 

 和人、直葉、明日奈の三人はこの現状に動揺していたが、翠だけは落ち着いて木綿季を観察していた。そしてじっくりと木綿季を見つめていた翠は気付いた。木綿季は見えてなかったから瞳を閉じたんじゃないということに。

 

 

「いいえ……見えてるわ……木綿季ちゃんは……」

 

「えっ……?」

 

 

 その発言を聞いた全員が翠の方を見た、一行の顔には「どういうこと?」と言いたげな表情をうかべていた。何故翠は見えていると判断したのだろう、自分たちが気付けなかったところに気付いたとでも言うのだろうか?

 

 

「和人、このアプリを使って木綿季ちゃんの顔にディスプレイを向けてみなさい」

 

 

 翠はそういうと、和人に自身のスマホを手渡し、とあるアプリを起動するように指示した。和人は頭に?マークを浮かべ、訳が分からないまま翠の指示に従い、言われるがままそのアプリのアイコンをタップして起動した。翠は木綿季のベッドにかけより、屈みこんで木綿季に優しく声を掛けた。

 

 

「木綿季ちゃんお願い、もう一度……もう一度だけ……目を開けてくれないかしら……?」

 

(この声は……お母さんだ、ボクに家族の温もりを思い出させてくれたお母さんだ……! ……でも正直もう一回目を開けるのが怖い……、さっきは……真っ暗じゃなかったけど何も見えなかった。真っ白で何も……)

 

「木綿季……、頼む……もう少しだけ……頑張ってくれないか?」

 

(……和人……わかった、ボク……もうちょっとだけ頑張る! 和人の顔を……見るために……!)

 

 

 木綿季は見えるか見えないかぐらいの反応で頷き、翠と和人に対して返事をした。そしてもう一回頑張っておそるおそる瞼を開いた。瞼を開いた木綿季の目の前には先ほど翠から指示されたアプリを起動させたスマホの画面が迫っていた。災害時に暗闇などで役に立つ、画面が真っ白に光り輝く機能を持ったアプリだった。

 

 そして木綿季は目を開いた瞬間、思わず目を閉じ視線を逸らすような仕草をした。

 

 

(わっ!? な……何今の……!? さっきよりも白くて……目が……ちょっと痛い、……あれ? 痛いって……何で痛いんだろ……)

 

「!!」

 

「木綿季今……もしかして……?」

 

「木綿季……君……?」

 

「今、ひょっとして眩しがった……?」

 

 

 倉橋を含む全員が木綿季の仕草に動揺すると、木綿季はもう一度目を開こうと眼輪筋に力を込めた。ほぼ三年間も閉じっぱなしだった瞳を、ゆっくりとまた、開こうとしていた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 木綿季は瞳をとうとう完全に開いた、瞼はプルプル震えているが今度ははっきりと閉じずに、ゆっくりではあるが瞬きも出来ていた。そして少しずつ首から上を動かし、無菌室のあちらこちらに視線を泳がせた。壁の模様、点滴、自身の寝ているベッド、灯りなど、様々なものをその視界にとらえているようだった。そして…震える体で首を和人の方に向け、視線を和人に合わせた。

 

 

(……あれ……なんだろ、白いけど……今度は形がぼんやりとだけどわかる……)

 

「木綿季、俺が分かるか? 俺が見えるか……? 和人だ、桐ヶ谷和人だ! お前の恋人の……和人だ!!」

 

(あ……れ……かずと? この目の前に……浮かび上がってるのは……かずとなの……? ボク……見えているの……?)

 

 

 和人は木綿季の手を握りしめながら大切な人の名前を呼んだ。木綿季の視線は完璧に和人の視線と重なっていた。まだ瞼がプルプルと震えているが、一生懸命に和人を視界に捉えようとしていた。

 

 

(あ……、かずと……? かずとだ……、ボクの大好きな……かずとだ……! 見える……見えるよかずと! まだぼんやりとだけど……かずとの顔が見えるよ……!)

 

 

 木綿季の視力は生きていた、サイトメガロウィルスに感染して失明したかと思われたが、無事に恋人の和人を視界に捉えることに成功していた。しかし和人たちはこのままでは本当に見えているかがわからない。木綿季はそれを伝えるために、また必死に唇を動かそうとした。

 

 

「ッ……ッ……ッ……」

(か……ず……と……)

 

 

 木綿季は何かを言葉で伝えようとしていた。三年ぶりに現実世界で声を出そうとしていた。自分の意思を伝えるにはやはり言葉で直接伝えるのが一番だ。しかし、木綿季の声帯が生きているかどうかはまだわからない。それでも木綿季は唇に、喉に、胸に肺に力を込めて、愛する人に声を聞かせようと頑張った。

 

 

「木綿季……何だ……? 何か……言いたいんだな……? ならゆっくりでいい、言ってごらん……」

 

 

 木綿季は必死に体を震わせながら、喉に力を込めた。ただ一言、あの言葉を言いたい。一番最初に大好きな君の名前を口ずさみたい、掛け替えのない……和人の名前を……!

 

 

「ぁ……ぅ……ぉ……」

(かずと……伝わって……!)

 

「!!」

 

 

 耳を澄ませないとよく聞こえないぐらい小さい声だったが、木綿季の口から少しだけ声が出ていた。木綿季の声帯は……生きていた。およそこちらも三年ぶりに声を出すことに成功したのだ。

 

 

「木綿季……喋れるんだな! ならゆっくりでいい! 俺はここで待ってる……、だから……伝えたいことがあるなら……言ってくれ…!」

 

(うん……、まっててね……かずと、もうちょっとだけがんばるから……!)

 

 

 和人は木綿季の手を握りしめながら、木綿季の喉から声が出るのを待った、待ち続けた。木綿季は和人に手を握られながら、もう一度力を振り絞って、大好きな人の名前を呼ぼうとしていた。その様子をすぐ後ろで明日奈、直葉、翠、倉橋の四人が固唾を飲んで見守り続けていた。

 

 

「か……ぅ……ぉ……」

(とどいて……)

 

「――ッ!!」

 

「か…ぅ…と…」

(おねがい……とどいて……!)

 

「頑張れ…!! 木綿季…頑張れ!!」

 

 

 和人は涙を流しながら木綿季の手を握りしめ、ひたすらに木綿季の言葉に耳を傾けていた。そうだ、ゆっくりでいい……言ってごらん……木綿季……。

 

 

「か…ず…」

(あと……すこし……)

 

「か……ず……ぉ……」

(かずと……! かずと……!)

 

「か……、か……ず……ッ」

(届いて……ボクの……気持ち……!)

 

 

 

 

 

「か……ず……と……」

 

 

 

 

 

 その声を聴いた瞬間、和人はこみ上げてくる感情を抑えられずに、大粒の涙を流した。現実世界で初めて聞く木綿季の声だ……。木綿季が俺の名前を……呼んでくれた……。

 

 

「木綿季……!ああ……俺だ! 和人だ!!」

 

「かず……と……、ボク……ね、見えて……るよ……」

 

「木綿季……、見えるのか? 見えてるんだな……!?」

 

「う……ん、かずとの……かおが……みえ……てる……よ……」

 

 

 木綿季は途切れ途切れで弱々しいながらも、一声一声を繋ぐようにして、言葉にして一生懸命に和人に伝えた。

 

 

「木綿季……ああ……木綿季……ッ!!」

 

 

 和人は感情の高ぶりを抑えることが出来ず、ひたすらに涙を流した。本当なら力の限り木綿季を抱き締めたかったが、筋力が弱り切ってしまった木綿季にそんなことをしてしまったら、怪我をさせてしまいかねない。なので和人はただひたすらに、木綿季の手を優しく両手で包み込んでいた。

 

 和人が木綿季の手を握っていると、震える手を一生懸命動かして何故か木綿季の方から和人から手を離した。するりと自分の手から離れていった木綿季の手を見ながら、和人は心配そうな表情で木綿季を見つめていた。あまり無茶出来ない体なのに何をしようというのだろうか?

 

 

「木綿季……何を……?」

 

 

 木綿季は和人から手を離すと、左腕を必死に動かし、体全体を震わせながら自身の前方に手を伸ばした。腕が重力に負けないようにその姿勢をキープし続け、指にも一生懸命に力を込めた。そして、いつもALOで自身が決めているあのポーズを……取ってみせた。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……ぶい……っ……!」

 

 

 

 

 




 
 連続の長文回のご愛読、ありがとうございました。お陰様を持ちまして、木綿季のHIV及びAIDSは完治、現実世界での後遺症もほぼなく。今後は正常に生活できるようになるものと思われます。

 自分自身、木綿季を助けると言っておきながら、なかなかストーリーが進まず、本人にも非常に申し訳ないことをしたなと思っています。でも……最後に笑顔になれてよかったと思います。

 さて、病気は治りましたが、このストーリーはまだ終わりません。多分思い描いている話が完結するまで多分まだ少し使うんじゃないかなと思います。とことん長い物語ですが、終末まで見守っていただければと思います。これからも作品、作者、木綿季ともども、よろしくお願いします!それでは以下次回!
 
 
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