ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味 作:むこ(連載継続頑張ります)
なんか気が付いたら17000文字いってました。
あれー…おっかしいなあ…。
前回の木綿季完治回での感想コメント、本当にありがとうございます。
若干乞食めいた行動だったかなとも思ったんですけど…木綿季の一番の山場だったのでどうしても皆様の声が直接聞きたかったのです。
我儘に付き合ってくれて本当にありがとうございます。
さて、闘病編の山は越えましたが、闘病編自体はまだまだ続きます。
引き続き木綿季の頑張りをご覧ください。
西暦2026年5月26日火曜日 午前9:15 横浜港北総合病院 無菌室
この日、木綿季の寝ている無菌室に桐ヶ谷家と明日奈が集まっていた。
今日は木綿季を知るものにとって待ちに待った日だ。
十日程前に木綿季の体に流れる新しい血液が体内のHIVを全て駆逐した可能性が浮上してきた。
その日からの時間はほぼ全て木綿季の体の検査に費やされ、体の隅々までチェックされた。
何度血液検査をしてもHIVの残党は検出されず、99%以上の高い確率で完全寛解したという結論に至ったのだ。
即ち…今日は無菌室からついに出られる日であった。
メディキュボイドの出力を完全に落とし、体感キャンセル機能を解除。
そしてメディキュボイドがシャットダウンされると、木綿季は三年ぶりに現実世界に完全帰還した。
和人たちが懸念していた後遺症の心配もなく、手も動き、耳も聞こえ、目も光を感じていた。
そして目覚めてからの初めて放った言葉は、これまで木綿季を誰よりも近くで支えてくれた、一緒に頑張り共に生死を乗り越えてくれた、愛する和人の名前であった。
それは言葉と呼ぶのにはあまりにも途切れ途切れであったが、一声一声を繋ぐように必死に声を出し、和人に伝えた。
和人はその行動を一番木綿季に近いところで見ることが出来た、感じることが出来た。
木綿季が生きてる、仮想世界じゃなく現実の世界でしっかり生きている。
これからたくさん一緒に思い出を作っていける、そう思うと…目から涙が止まらなかった。
そして木綿季は勝負事に勝った時に必ずやっていたあのポーズを現実世界でも再現した。
震える左手を頑張って動かしながら、和人の目の前まで持っていき、勝利のVサインをやってみせたのだ。
ボク…勝ったよ。15年もかかっちゃったけど…病気に勝ったよ。
和人は思わず木綿季の手を握りしめた。
せっかく作ったVサインを崩さないように、人差し指と中指だけ避けて木綿季の左手を握りしめた。
「木綿季…木綿季…ッ!」
和人は木綿季の名前を何度も呼びながら涙を流した。心の底からこみ上げてくるものが多すぎた。
木綿季になんと声をかけてやったらいいかわからなかった。
とにかく嬉しい、木綿季が戻ってきてくれたこと、病気が治ったこと、
そして自分の名前を最初に呼んでくれたのが何より嬉しかった。
涙を流していたのは和人だけではなかった、母親の翠、妹の直葉、親友の明日奈。
そして木綿季を幼いころから見てきた主治医の倉橋も大粒の涙を流していた。
「木綿季ちゃん…頑張ったわね…」
翠もそう言いながら木綿季の右手を優しく握り、木綿季の頑張りを祝福した。自分の三人目の子供の命が助かったことに、心から安堵していた。
そしてこれから桐ヶ谷家に新しい風が吹くことに、これから忙しくなるなと大変ながらも嬉しい生活を期待していた。
「お……か…あ…さ…ん…」
木綿季は声を振り絞りながら翠を呼んだ。その声を聴いて翠は更に涙を流した。
翠は左手で口元を押さえ、右手で木綿季の手を握りながら泣いていた。
妹の直葉も木綿季の傍に寄り自分の顔を木綿季の顔に近付け、優しく話しかけた。
「木綿季…分かる…? 直葉だよ…?」
直葉は瞳に涙を浮かべながら、優しく笑顔を作りながら木綿季に声を掛ける。
仮想空間で自分の名前を呼んでくれたように、現実世界でも呼んでほしいと思いながら。
「……す……ぐ…は……」
その言葉を聞いて、直葉にさらに笑顔がこぼれる。
「うん…直葉だよ…! 木綿季の…お姉ちゃんだよ!」
「お…ね…ちゃ……ん……」
自分のことをお姉ちゃんと呼ばれた瞬間、直葉の瞳にも涙が浮かんできたが、直葉は涙を片っ端から拭った。
これからお姉ちゃんとして、立派な姿を妹に見せていかなければならないと思っていた直葉は、こんな姿を決して木綿季には見せたくないと思っていた。
木綿季の前では、強くて頼もしいお姉ちゃんでいようと決めていたからだ。
そして、最後に明日奈が木綿季の傍に近寄った。
数ヶ月前、初めてメディキュボイドを身に纏っていた木綿季と会った時、その残酷な現実に打ちひしがれた。
逆に木綿季から泣かないでと言われたぐらいだった。
でも…今は…その病気を治した木綿季と…現実で顔を合わせられていた。
色々なものがこみ上げてくる、木綿季になんて声を掛けよう…、明日奈は気の利いた言葉が思い浮かばなかった。
明日奈も和人と同じぐらい木綿季と思い出がある。和人が恋人になるまでは木綿季と一番近い距離にいたのは明日奈だった。
そのこともあり、明日奈は木綿季に和人と同じぐらい思い入れが…情があったのだ。
「木綿季…よかった…よかったよ…」
明日奈は優しく木綿季の肩を抱いた。木綿季の体を壊してしまわないように優しく包み込むように手をかけた。
どうしよう、いっぱい言いたいことが…伝えたいことが…話したいことがありすぎて…何て言ったらわからないよ…。
「…あ……すな…」
木綿季は先ほどとまでと違って、はっきりとした声で明日奈の声を呼んだ。
まだ弱々しいが…先ほどより全然声が出せていた。
「木綿季…ッ」
「あ…り…がと…きて…く…れ…て…うれ…し…い…な…」
明日奈はその言葉を聞くと、顔をめいっぱい木綿季に近付けた。鼻と鼻の先がくっつきそうなぐらいな距離まで。
親友の体温を肌で感じながら一番近い場所で語り掛けた。
「当り前じゃない…! 私たち…親友でしょ…!」
「う…ん…しん…ゆう…だ…よ…」
木綿季の目にも涙が浮かんでいた。
やっと現実に帰れたんだ、みんなと一緒になれるんだ、今まで出来なかったことがたくさん出来るんだ。
そう思うと…木綿季からも胸からこみ上げてくるものがあった。
「…ボ…ク…かっ…たん…だ…ね…?」
木綿季の問には和人が答えた。明日奈に負けないぐらい木綿季に顔を近づけて。
その関係で三人の顔が非常に近くなっていて直葉、翠、倉橋からは木綿季の顔が見えなくなってしまっていた。
「ああ…木綿季はAIDSに…HIVに勝ったんだ…! もう…苦しい思いをしなくて済むんだ…!」
その言葉を聞いて、ようやく自分の病気が治ったんだという現実味を感じてきた木綿季は、心から安心したのか目を閉じてしまった。その様子を見た和人は驚き焦り、慌てて木綿季の手を取り声を掛けた。
「…木綿季!? どうした! 大丈夫か!?」
木綿季は和人に声を掛けられると再びゆっくりと瞳を開いて、自分のペースで言葉を発していった。
「う…ん…へい…き…だよ…。…た…だ…あん…し…ん…した…ら、ねむ…く…なっ…て…きちゃ…った…」
その言葉を聞いてその場にいる全員が、ほっと胸をなでおろした。何せ状況が状況だ、病気が治ったとはいえ木綿季の体は貧弱そのもの。何かの拍子にどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかという錯覚に見舞われてしまっていた。
「…なんだ…そんなことか…驚かせやがって…」
和人は大きく息を吐いて安堵の表情を浮かべた。それと同時にコイツめ、といった感情も顔に表れていた。
「ごめ…んね…、ちょ…っと…だけ…やすん……でも…いい…か…な…?」
木綿季の休んでもいいかな?という問いに、和人は柔らかい表情を見せ、手を取りながら優しく答えた。
「ああ…15年も闘ってきたんだ…今日ぐらい休んでもいいさ。…ゆっくりお休み…木綿季…」
その答えを聞いた木綿季に少しだけ笑顔が浮かんだ、現実世界に戻ってから木綿季が二度目の笑顔を見せた。
よく見てみないと分からないが口元が少しだけUの字になっており、笑っているとは言えないかもしれないが木綿季にとっては今出来る精一杯の笑顔だった。
リハビリを重ね体力をつければ、仮想世界で見せてくれた満面の笑みを現実世界でも見せてくれることだろう。
「あり…がと……それ…じゃあ…すこ…し…やすむ…ね…。おや…す…み…かず……と…」
木綿季はそう言って、ゆっくりと瞳を閉じてやがて寝息を立て始めた。
すぅ…すぅ…と女の子らしい可愛い寝息を立てていた。
和人はそんな木綿季の寝顔を見つめながら、頭に手を当て優しく撫でた。
「ああ…お休みな…木綿季…」
他の四人もその光景を微笑ましく見守っていた。
今までは横たわる木綿季に対し、心配や不安といった気持ちしか浮かばなかったが今は違う。
心の底から安心出来る。むしろこれからたくさん木綿季と過ごしていけると思うと、胸が高鳴る想いがしてきた。
無菌室がほんわかした空気に包まれていると、倉橋がオホンッとわざとらしくせき込み、今後のことを話し出した。
「みなさん…改めて一人の医師として…そして長年傍で木綿季君を見てきた一人の人間として…お礼を言わせてください。本当に…本当に木綿季君を支えてくださって…ありがとうございます…!」
倉橋は様々な思いを巡らせながら、和人たちに深々と頭を下げ感謝の言葉を口にした。
「いえ…お礼を言いたいのは…俺たちの方ですよ…、先生がいなかったら…木綿季は助からなかった…。本当に…ありがとうございます」
和人が倉橋に頭を下げると残りの三人も和人に続くように倉橋に対して頭を下げた。
本当に木綿季の周りにはいい人が集まる。これも木綿季の人柄ゆえなのか。
木綿季の持ち前の明るさは自然と周りの人間も幸せにさせる力があったのだ。
「それで…これからのことなのですが、木綿季君はもう無菌室にいる必要がなくなりました。従って今日から普通の病棟に移り、少しずつリハビリを重ねて体を以前の元気な状態に戻してもらいます。食事も最初は流動食か半流動食から再開し、やがては普通の食事を重ね、体力を回復していってもらいます」
食事…、三年間点滴だけで栄養を取り入れていた木綿季が…食事が出来る…!
そのことを考えた和人は、以前から思っていたとある提案を倉橋に持ち掛けた。
「先生…一ついいですか?」
「何でしょう? 和人君」
「木綿季の食事の件なんですが…俺に作らせてもらうことは…可能ですか…?」
倉橋は顔をキョトンとさせて和人を見ていた、他の三人も和人に作れるのか?という表情で見つめていた。
「え…と…それは難しいですね…、基本的に病院の食事は栄養士の指示のもと作られてますから…私の判断だけでは決めかねますね…」
流石にこればかりは倉橋の独断で決めることは出来なかった。しかしどうしてもと和人はしつこく倉橋に食い下がった。
「先生、お願いします! 俺は…木綿季に食事を作ってやるって約束したんです…お願いします!!」
和人は頑なに方向を曲げず、倉橋に深々と頭を下げ続けた。
その様子を見ていた倉橋は困り果てていたが、和人の真剣な態度と木綿季への想いに折れ、仕方ないなといった表情を見せた。
「わかりました…、ただし私だけの判断で決められないのには変わりありません。栄養士の方に相談を持ち掛けてみます。ただし…断られる可能性もあるのでそのつもりでいてくださいね?」
その言葉を聞いた和人に思わず笑顔がこぼれた。やった…木綿季に俺の食事を食べてもらえる…。
まだ可能性の話でしかないが和人は嬉しかった。
「あ…ありがとうございます! 倉橋先生…!」
倉橋は笑顔で「いえいえ」と答えた。そして木綿季を通常の病室に移すためにその場にいる全員に一旦の退室をお願いした。
全員が無菌室から退室すると、倉橋は看護師とともに木綿季の寝ているベッドのキャスターのロックを外し、数人がかりで木綿季のベッドを動かした。
やがて無菌室から木綿季のベッドが外に出された。三年ぶりに…木綿季が無菌室の外へと出たのだ。
寝ている本人にわかるだろうか…、わかるとしたら…寝ながらも感じることが出来る空気の感触…ぐらいだろうか…。
ベッドが運ばれていくと、残った何人かの医療スタッフが無菌室の後処理を始めていた。
無菌室は無菌でなければ意味がない、俺たち一般人が入り込んでしまったのだから何らかの菌も侵入しているのだろう。
再び無菌にするための処理が既に始められていた。和人はその光景を見ながら三年間木綿季を守ってくれてありがとう。
そんな気持ちを込めて目の前の無菌室とメディキュボイドに対して無言で礼をした。
メディキュボイドに対して礼をするということは、茅場昌彦に対して頭を下げているみたいで少し引っかかる部分もあったが、和人はこの際気にしないことにした。
長い時間頭を下げていると直葉が和人に声を掛けた。
「お兄ちゃんおいてくよー!」
その言葉でハッとなった和人は直葉の方を振り向き「いまいくよー」と言い放ち、すぐさま直葉のあとを追いかけた。
その途中で振り返り、少しだけメディキュボイドのあった部屋を名残惜しそうにしながら…。
――――――
「……ん…? ここら辺…見覚えがあるぞ…?」
和人は直葉達から一歩遅れて木綿季のベッドを追いかけた。以前倉橋に病棟では走ってはいけないと注意されたことがあったため、急いで追いかけていたが走ってはいなかった。
「あれ…? あの部屋…もしかして…」
見覚えがあった、先々月…俺はこの部屋に世話になったことがある…。
…そうだ…俺が過労で倒れて入院していた部屋だ…。
木綿季の病室はここに移るのか…なんだか…不思議な気分だな…。
和人が妙な運命だなと思いながらベッドについていくとやがて病室の入り口に吸い込まれていった。
少し小走りになって追いかけ、部屋の中に入ると和人が寝ていた場所と同じ位置関係で、木綿季のベッドが設置された。
この部屋は大変に窓からの景色がいい部屋であった。
病院の駐車場の下や中庭を見渡せる絶景ポイントでもあった。屋上に登ればさらにいい景色が見られることだろう。
「ここって…お兄ちゃんが入院してた部屋…だよね?」
直葉が部屋の中を見渡しながら和人に聞いていた。なんという偶然なのだろうと直葉もきっと思ってるのだろう。
「まあ…そうだな…ちょっと妙な気分だ」
程なくして入室のための準備が全て終わった。木綿季の腕には引き続き点滴が刺されていた。
看護師たちは先に退室し、倉橋から今後の木綿季の入院生活について説明された。
「さて…もう一度今後のことについてご説明します。結論だけ言いますと…木綿季君が社会復帰することは十分に可能です。まずは適切な食事を取り、栄養を摂取して体中にエネルギーを巡らせます。そして運動能力を取り戻すためにリハビリも勿論行なっていきます」
和人達は真剣に倉橋の話を聞いていた、
今後の頑張りによって木綿季の日常への復帰が早いかどうか決まる。木綿季本人は勿論早く退院したいだろうし俺たちだってそうだ。あの時はこっぱずかしくて言えなかったが…、俺は木綿季と暮らしたい。
何なら…一緒の部屋だって構わない。木綿季が傍にいてくれさえすれば…。
「リハビリは段階をふんで少しずつ内容を増やしていきます。最初は作業療法士のスタッフに付き添ってもらい、簡単な動作から始めます。木綿季君は若いですから…筋力などが戻るのにそこまで長期的な時間はかからないと思います」
そうか…俺は直接手伝うことは出来ないのか…そりゃあそうか。素人にまかせて怪我でもさせたら…たまったもんじゃないからな。第一木綿季に怪我をさせるとか死んでも嫌だ。
「分かりました。結構入院生活の内容はシンプルなんですね」
「ええ、あとは木綿季君がどれだけ頑張るかってことだけですからね。病気も再発の危険性がゼロだとは言い切れませんが…長いスパンで見ても再発の可能性は極めて低いと言えます。勿論退院後も通院はしてもらいますが…いずれその必要もなくなるでしょう」
その言葉を聞いて安堵した。何かの間違いでも起きない限り…木綿季の今後は安心していいみたいだ…。
…しかし…一方で気になることがあるのも事実だった。
和人はその心に引っかかってたことを倉橋に問いただした。
「先生…一番喜んでた俺が言うのもなんですが…何故木綿季は…"見えていた"のでしょうか…?」
倉橋の表情が曇った。なんだ…何か言いたくない理由でもあるのか…それとも本当にわからなかったのか…?
「先生…?」
「和人君…木綿季君は半年前に一度…検査のために現実世界に帰還してた時があったんですよ」
「ええ…本人から聞きました…。その時に…自分の目が光を失っていたことも…」
「…そうでしたか…当時の木綿季君は…サイトメガロウィルス感染症の症状が出ていました。視力の減少…或いは失明…。本人が真っ暗といっていたので…当時は認めたくありませんでしたが…私は失明したと思っていたのでしょう。しかし実際はそうではなかった…」
倉橋と和人は顎に指を当てて考え込んだ。その様はまるで難事件を解決しようとしている名探偵のような出で立ちを見せていた。
「…サイトメガロウィルスに感染していたのは事実なんですか?」
「ええ…間違いありません。発見と薬の投与が早かったので…すぐに症状を抑えたと思ってたのですが…木綿季君が見えないと言ってたので…手遅れだと思ってたのです」
「んじゃあ…何で今になって木綿季の視覚は…回復したんでしょうか…」
二人は考え込んだ、視力が戻った可能性を片っ端から思い浮かべていた。
すると和人にはピンと閃いたことがあったようでそのことを倉橋に伝えてみた。
「……先生、もしかして…木綿季の視力は回復したんじゃなくて…"失っていなかった"というのは考えられませんか?」
「…偶然ですね…私もその可能性を思い浮かべてました」
考えが一致した二人はお互いの視線を合わせると、木綿季の寝顔を一度見て、再び視線を合わせた。
「…サイトメガロウィルスによる症状が出ていなかった場合…その時木綿季の視界に影響したのは…別の要素だったのかもしれませんよ?」
「…そうですね…私もそう考えています。実際サイトメガロウィルスに感染した発見の早かった患者さんは、薬の投与で視力の低下こそあっても失明したという報告はあがってませんでしたから…」
「他の人は大丈夫だったんですか…。すると…木綿季だけに起こったとして…その場合…もしかして…」
和人の疑念が確信に変わった。木綿季だけに影響を及ぼした要素と言ったら…もうあれしかないじゃないか。
「メディキュボイド…!」
「メディキュボイド…ッ」
二人は同時に言葉を発した。あまりのシンクロっぷりに直葉と翠は目を丸くしていた。
「恐らく…ナーヴギアやアミュスフィアと比べて何倍も強い高出力電磁パルスが…木綿季の脳波を通じて五感に何らかの影響を与えていたのではないでしょうか…?」
「…私もそう考えました。実際…高出力電磁パルスが人体に及ぼす影響は…未知数でしたから…」
メディキュボイドの所為だったという確たる証拠はない…、しかし木綿季の視力を奪った可能性と挙げられるのはサイトメガロウィルスを除くともうメディキュボイドしか考えられなかった。
…思い返せば今回木綿季が現実に帰還した後、周囲の様子がしっかり見えていたのは…メディキュボイドの出力を日に日に弱くしていったからなんだと思う。
というか思い浮かぶのかもうそうとしか考えられない。
「…お手柄だと言ってしまえば嫌な言い方になりますが…木綿季君はこの医学界に大きな貢献をしてくれたと言っても過言ではないと思います。私は…医学界に関わる人間の代表として、木綿季君が一日でも早く社会復帰出来るよう全力で協力させていただきます」
「はい…よろしくお願いします。俺も…可能な限り木綿季の近くで彼女を支えます」
「そうしてあげてください、それでは私はそろそろ失礼しますね…」
長い考察が終わると書類をまとめ、倉橋は部屋の扉に手を賭けた。
「今日、木綿季君が食事をとるかどうかは…本人の体調を考慮して栄養士と話し合って決めようと思います。出来ればすぐに食事を取ってほしいところですが…こればかりはその時になってみないと…ね?」
倉橋は扉をスライドさせ、部屋の外に自分の体を出すと再びこちらを振り向き「木綿季君のことよろしくお願いしますね」と言い残し、仕事に戻っていった。
部屋には桐ヶ谷家と明日奈の四人が残り、みんなで木綿季の寝顔を眺めていた。
「可愛いわね…木綿季ちゃん」
「ホントにね…大きくなったら美人さんになるんじゃないかな?」
木綿季の体は三年間寝たきりの状態にあった。
そのお陰で体中がやせ細っており、肌から骨の形がはっきりとわかる部分もあった。
…よくこんな体で…今まで頑張ってこれたもんだ…。
「っていうか…キリト君…さっきのキリト君…なんだかキリト君じゃなかったみたいだったよ?」
和人が「え?」と聞き返すと直葉も同じ意見を言ってきた。
「ホントだよ! 倉橋先生と一緒に難しいコトずーっと考えてて…はたから見たらマンガとかでよく見る名探偵とその助手みたいに見えたよ!」
「さしずめ…シャーロック・ホームズとワトソン君…と言ったところかしらね?」
「私には何を話してるんだか半分も理解できなかったよ…キリト君…かなり木綿季の病気のこと…勉強したんだね…」
「人並みには…な、それとメディキュボイドの影響って言ったって…証拠がない。でも…証拠がなくても…あれしか考えられなかった、だからそう結論づけただけだよ」
和人の長ったらしいセリフを聞いてた直葉は頭を抱えだした。
「ごめんお兄ちゃん…あたし頭痛くなってきたよ…もっと難しくない話にしてよ…」
「え…んじゃあ…そうだな…木綿季の食事の事とか…考えるか…?」
そう、木綿季はこれから食事で栄養を賄っていかなければならない。
今現在も点滴のお世話になっているがいずれこれも卒業する時が来る。
点滴でも栄養は摂取できるが…食事の方がメリットは大きい。食べる動作をすることによって脳や体が刺激されて体の活動も活発になるのだ。
だから木綿季には出来るだけ早い段階で食事が出来るようになってもらいたいのだが…。
「…胃とか腸とかの内臓も…弱ってるんだろうな…何作ってあげたらいいんだろうか…」
「そればかりは…栄養士さんの言うことを聞くしかないんじゃないかな…」
「…だよなあ…激辛カレーとか…食べさせてやりたいんだけど…」
「絶対ダメ!!」
「絶対ダメ!!」
「絶対ダメ!!」
三人の総ツッコミを喰らった和人は目を丸くして驚いた。辛い物のどこが悪いんだ、辛い物はいいぞう。体中に刺激を与えてくれる。真っ赤にしてくれる。熱くしてくれる。あんな素晴らしい味はそうそうないぞう。
「誰もがお兄ちゃんみたいにおかしな味覚持ってると思わないで!! 第一そんな刺激的な食べ物を木綿季の胃にぶち込む気なの!?」
「え…俺…味覚…おかしいのか…?」
「え…キリト君今更…?」
「確かに和人がご飯を食べるときはスパイス系の調味料の減りが早いわよねぇ」
「………」
和人は病室の隅っこで蹲って落ち込んでしまった。
「…どうせ俺は味覚音痴ですよ…」
ちょっとかわいそうだと思った三人だったが、断じて和人の味覚による被害をこちら側に出させるわけにはいかない。そう硬い意思が感じられた。
しばらくして時間も経ち、話すこともなくなった明日奈たちは帰り支度を始めた。
「キリト君、私…そろそろ帰るね。木綿季も大丈夫そうだし…そろそろ学校休みすぎると…流石にまずいから…」
「あ…そうだよな…ごめんな、付き合ってもらっちゃって」
「何言ってるの、木綿季は私にとっても大切な友達なんですからね!」
「私にとっては妹だよ!」
「私にとっては大事な三人目の子供だわ!」
何なんだこの女性陣は…まるで各々が木綿季の所有権を主張してるみたいに感じる。
恋人である俺の所有権は無視だというのか、それは断じて許せん。それがたとえ明日奈たちであってもだ。
「木綿季の恋人は俺だぞ!」
和人は木綿季の前に仁王立ちの体制になり負けじと自分が一番の所有権を所持していると主張した。
「じゃあもう結婚しちゃいなさいよ…お兄ちゃん…」
「うっ…そ…それは…だな…」
一番言われたくないワードを言われ、和人は赤面し俯いてしまった。
実際本人は結婚するということに関してはやぶさかではないのだが、どうしてもその先のことが考えられずに意思を決められないでいた。まだ17歳なのだから仕方のないことだが。
「それに関しては…木綿季と相談する! この話はおしまい!! 終了!!」
「相談するってことは…前向きに検討するってことなのね…!? 今日はお赤飯炊かなくちゃ…!」
和人の顔はもう真っ赤で沸騰寸前だ。
何でだ? 何で俺の周りの女性陣は俺をからかうのがこんなに好きなんだ?
いじりやすいのか…? それとも俺に女難の相でも出てるのか…?
「これ以上いじるのもかわいそうだし、私たちも帰りますか」
「そうしましょうか」
和人を思う存分楽しくいじくった三人はパイプ椅子から腰を上げた。
一個ずつ丁寧に並べて片付けて、今にも沸騰しそうな和人と静かに眠る木綿季を尻目に、そそくさと退室していった。
「じゃあ和人…私たちは帰るけど…何かあったら連絡しなさい? 力になるからね」
さんざん人を楽しくからかっても、翠の心の底はちゃんと優しい母親であった。
今後も数えきれないぐらい頼ることになるだろう。絶対にいつか親孝行しないとな…。
「ああ…ありがとう母さん…」
「じゃあね、キリト君。また来るからね」
「またねー、お兄ちゃん」
別れの挨拶を済ませた三人は扉をゆっくりとスライドさせて、カタンという音を立てて病室の扉を閉めた。
部屋には寝ている木綿季と項垂れている和人だけになり、静寂が部屋の中に流れた。
「はぁ…なんか…すげえ疲れた…」
肉体的には疲れてなかったが、精神的に疲れ果ててがっくりと項垂れてしまっていた。
一日のまだ半分も経っていないのに今すぐ横になって眠りたい気分だった。
ふと首を動かし視線を木綿季の見える方へと移す。
木綿季は静かな寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っている。和人はそっと木綿季の頭に手を当てて、優しく撫でた。
「…おめでとう…木綿季…」
和人は優しい声で木綿季の完治を祝福した。そして今後のことを考えた。
今しなくてはならないことは…木綿季が早く普通の生活を送れるように助けてやることだ。
しかし…食事とリハビリは資格を持ったプロの人たちがやってくれるという。
直接的な助けは出来ないのかもしれない。そうしたらどうすればいいんだろう…。
和人は考えた、傍にいる以外に何かやってやれることがあるのかもしれないと。
しかしいくら考えてもすぐにいい案が出てくるはずもなかった。
「だめだ…何も思い浮かばん…、やっぱり何か作って食べさせてやりたいな…」
木綿季の好物って何だろう…? 嫌いなものとかあるのかな…?
よくよく考えたら俺は木綿季の私生活のことをほとんど知らないでいた。
ALO以外にどんなことして遊んでいたのか、家でどんなことをして過ごしていたのか。
和人はふと、木綿季の体を見つめていた。
やせ細ってしまってて健康的とはとても呼べない体つきだ。しかしそれはこれから元気をつけていけばいい。
この小さい体を俺が支えてやればいい。今はいい考えがなくても…いずれ方法は見つかるさ。
「ちと…眠いな…俺も寝るか…」
和人はたまってた眠気を解消するため、少々姿勢が悪いがパイプ椅子に座ったまま眠りについた。
木綿季とは仮想空間で何度も一緒に寝ていたが…現実世界で一緒の場所で寝るのは初めてだな…。
まあ…いいや…今は寝るとしよう…。
――――――
同日15:50 横浜港北総合病院 木綿季の病室
「ん…んん~…ふわ~…今…何時だ…?」
瞼をこすりながら和人は電波の出ない機内モードにしてあるスマホを取り出し時刻を確認した。
「16時前か…結構がっつり寝たんだな…」
和人は思いっきり伸びをすると、肩と腰をくいっくいっと回し関節をぽきぽき鳴らす。
いつものおやじ臭い行動だ。
腰を回したときに、木綿季の寝ている姿が目に入った。先ほどと全く同じ寝相だった。
「木綿季…まだ…寝てるのか…?」
ちょっとだけ嫌な予感がした和人は自分の顔を木綿季に近付け、耳を澄ました。
スゥ…スゥ…と細い寝息が聞こえた。少し安心した。
今までが今までだっただけに…ちょっと想像したくないことを想像してしまった。
もうそんなことはないはずなのに…なかなかなれないものである。
その時だった、病室のドアがコンコンとノックされた。誰かが来たようだ。
ここの病室の主は寝てしまっているので付き添いの俺が代わりに返事をした。
「どうぞー」
「失礼します…」
ガラガラと音を立ててドアをスライドさせ部屋を訪ねてきたのは木綿季の主治医の倉橋だった。
それと…あと一人…いる…誰だ? 初めて見る顔だ…ここの病院の人か…?
「木綿季君は寝てしまっていましたか」
「ええ…俺もさっきまで寝てて…今起きたとこです」
「それは…和人君随分お疲れだったのですね…」
「ええ…あれから…明日奈たちにいろいろやらかされてまして…」
倉橋はその話を聞きくすくすと笑うと「難儀でしたね」と短いコメントだけ残した。
まさかあの時おっさんって言ったことを根に持ってるんじゃないだろうな…? ははは、まさかな…。
「紹介が遅れました、こちら…木綿季君の食事を担当してくださる栄養士の方です」
「あ…え…あっハイ! 初めまして! 木綿季の恋人の…桐ヶ谷和人です! よろしくおねがいします!」
和人はパイプ椅子から体を立たせると姿勢を正して、行儀よく挨拶をした。
「初めまして、栄養士の高橋香里です。今後…紺野さんが退院するまで彼女の食事の担当をさせていただきます。よろしくお願いします」
高橋と名乗った女性は清楚な感じのイメージのお姉さんといった栄養士だった。
こちらも行儀よく和人に対して挨拶をした。
しかし妙だな、何で木綿季の食事を担当するだけなのにわざわざここの病室まで来るんだ…?
「あれ…倉橋先生…わざわざここまで高橋さんを連れてきたってことは…もしかして…」
倉橋はニッコリ笑って和人の質問に答えた。
「ええ…毎回…というわけにはいきませんが、忙しくない時には和人君が木綿季君の食事を作ってもよいという許可をいただきました。しかし、必ず毎回彼女の立ち合いのもと調理を行うという条件つきです」
「え…ほ…本当ですか!?」
「はい、あと…必ず私の調理法に従って調理をしてください。守れない場合は…それ以降はお断りさせていただきます。…それでもよろしいですか?」
「はい…こんな俺の我儘を聞いてくれて…ありがとうございます!!」
和人は感謝の気持ちを込めて、高橋に向かい深々と頭を下げた。
「…そんなに彼女が…大事なんですね…」
「ええ…木綿季は…俺の生き甲斐です…」
「くすっ、頑張りなさいよ…? "王子サマ"!」
和人の顔が引きつった、大切な木綿季がいるこの病院でも…この通り名で呼ばれるのだけはいやだった。
可能ならこのまま木綿季を抱きかかえてこの場から逃げ出したいぐらいだった。
「……一つだけ聞きたいんですけど…そのウワサどこまで広まってるんですか…?」
「え、何言ってんの…少なくともここの病院関係者は全員知ってるわよ? 他の患者さんも」
和人はフリーズしてしまった、額から嫌な汗が出て両手は変なポーズをとってプルプル震えていた。
…何が何でも早く木綿季を元通りにして退院してもらおう、そう心に強く思った。
決して俺がここから逃げ出したいからというワケではない、木綿季に早く退院してもらいたいからだ。
断じて俺都合ではない。
「……そ…そう…ですか…」
倉橋は和人に見えない角度で顔を隠してぷるぷる震えながら笑いを堪えていた。
おのれ…やはりおっさんって言ったこと根に持ってるな…。
「まあまあ、んじゃあそうと決まったなら早速今から調理に取り掛かります。病院は他の患者さんたちの食事も作っているから調理室を使える時間は限られてます。なので迅速に行動しましょう」
「え…あ…はい!」
和人は高橋についていった。これから作る食事を木綿季に食べてもらう…そう考えるとより一層気合が入った。
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同日16:30 横浜港北総合病院 調理室
「ハイッでは和人君、今から紺野さんの食事…治療食を作っていこうと思います。準備はいいですか?」
和人は普段来ている服からは想像も出来ない全身真っ白な割烹着に白いマスクにコック帽といった出で立ちになっていた。
常日頃の和人のコーディネートから考えると絶望的に似合っていなかった。
きっとクラインやリズ、シノンたちがその場にいたら一生の爆笑ものだろう。
「これを着て作るんですか…」
「当たり前でしょ、ここは病院なんだから…」
和人は少し元気がなくなっていた、今から木綿季のために食事を作るというのに…出鼻をくじかれた感じがした。そんな和人なぞお構いなしに高橋はすたこらさっさと調理の準備を始めた。
「えっと、今回の紺野さんの場合、三年間も食事を取っていなかったことを考慮するとまずいきなりお肉とか白米とかの形がしっかりしている食べ物はまず無理なことは分かるわよね?」
「はあ…それは勿論…というより俺もお粥とかを作るもんかと思ってたんですけど…」
「正解! そうです! 今日はお粥を作ります! それよりさらに軽い重湯とかもあるんだけど…あんなの食べても嬉しくないしね…」
「はぁ…そう…なんですか…」
「あのね、和人君。食事ってね…人間が普段過ごしている日常で…一番大事な要素だと私は思ってるの」
「え…?」
高橋はそう言うと、自分の過去を話し始めた。
「私ね…妹がいたの、7歳年下のね」
「へぇ…高橋さん、妹さんがいたんですか…」
「うん…人懐っこくて…可愛い妹だったのよ…でもね…、私が中学の時に…病気で死んじゃったの」
「え…」
和人はこんな話を切り出されるとは思っていなくて内心動揺してしまっていた。
何で高橋さんはこんなことを俺に切り出してきているんだろうと思い始めた。
「びっくりしたでしょ…ごめんねいきなりこんなこと言って。でもね…和人君には話しておくべきかなって思ったんだ」
「俺にはって…?」
「妹は…病気だったの。私の家は貧しくて…毎日食べられるものも…少なかったの」
「………」
「私が中学に上がったばかりのころね…お父さんが事故で死んじゃったの。その後はお母さんが女手一人で育ててくれたんだ。当然…まともに収入はなくて…当時幼稚園児だった妹に…ちゃんとした食事を与えてあげられなかったんだ」
高橋は淡々と過去を語り続けた。
「一日一回食べれればいいってぐらいに貧しかった…、それでも必要な栄養が足りない妹はどんどん痩せていってしまったの。自然と抵抗力も弱ってきて…ある日病院に連れて行ったら…」
「病気になっていたってわけですか…」
「うん…」
高橋は浮かんだ涙を拭い、話を続けた。
「病気は…単なる肺炎だったの。でも…十分に体が出来てない妹に…その病気は重すぎたの…」
「高橋さん…」
「ほどなくして…妹は死んでしまったわ…、その時思ったの…もっと妹にちゃんと食事をさせられてあげれば…もっと美味しいものを作ってあげられてれば…死なずに済んだのに…って」
「…まさか…高橋さんが栄養士になったのって…」
「うん…和人君の想像通りかな? 自分の知識と経験で…食事に関して困ってる人たちがいたら…助けられないかなって思ったからなんだ…。妹みたいな人を…二度と出さないために」
「そう…だったんですか…」
重い空気が流れた、楽しく食事を作るはずの時間は…どんよりとした雰囲気に包まれてしまった。
「なんか…ごめんね…変な空気にしちゃって…」
「あ…いえ…別にそんなことは…」
「そうゆうことがあったから…私は…食事という行動に…特別な想いを持ってるんだ…。これから作る紺野さんの食事…栄養管理もそうなんだけど…ちゃんと気持ちを込めて作ってあげないとって…私は思うの」
「…俺もそう思います…」
「うん…、だから…紺野さんのために…美味しい食事を作りましょう!」
「はい…ご指導よろしくお願いします! 高橋さん!」
「よろしくお願いされました! あと…私のことは香里でいいわよ?」
「あ…はい…分かりました…香里さん」
「うむ!…さーてと…時間が無くなってきちゃったから…ちょっぱやで作るわよー!」
「ちょ…ちょっぱやって…確実にいいものを作れるようにお願いしますよ…」
――――――
同日17:15 横浜港北総合病院 木綿季の病室
和人は香里の指導の下、木綿季の食事を完成させた。
完成させたと言えば聞こえはいいが、実際の調理現場はほとんどが煮込むだけであった。
火加減を調整しながらであったが今の木綿季に食べられるといったら恐らくこれだろう。
そんな和人が作ったものは食べやすさ、胃への優しさ、味の調整のしやすさを考えての五割粥だった。
タンパク質を取って筋力をつけてもらいたいところだが…お肉とかの重たいものなどいきなり食べられるはずもないので、それ以外に胃に優しいタンパク質を取れるものということでお粥が選ばれた。
ぶっちゃけ和人が考えていたことと同じであった。
わざわざ栄養士が考える必要があったのか?と思う和人であったが向こうはプロなので逆らわないことにした。
和人が押すカートには直径15cmほどの小さい土鍋が置かれている。
お盆の上には蓮華と取り皿が別に備え付けられていた。それを木綿季のいる病室へと自ら運んでいた。
病み上がりの木綿季には少し量が多い気もしたが…足りないよりは余った方がいいので少し多めに作った。
木綿季は…食べてくれるだろうか…? 何しろ三年ぶりの食事だ、胃が拒否する可能性も高い。
本当は温かいスープか何かから始めた方がよかったんじゃないか?とも思う和人であった。
だがもう既に作ってしまったものはしょうがない。
何しろ栄養士の指示で作ったのだ、俺が悪いわけではない。断じて俺が悪いわけでは…。
そんなことを考えてるうちに木綿季の病室に辿り着いた。和人はカートを扉の脇に止めてコンコンとノックをした。
木綿季の反応はない、まだ寝ているのだろうか? ゆっくりと扉をスライドさせて、カートを押して中に入る。
「木綿季…入るぞ…?」
和人が中に入ると、窓の外を眺めている木綿季の姿があった。
「なんだ…起きてたのか…返事ぐらいしてくれよな」
和人に気付いた木綿季はゆっくりと首を和人の方に向けると嬉しそうな表情をした。
「かずと…いな…かった…から…びっくり…した…」
木綿季は途切れ途切れに声を出し、和人に言葉を伝えた。
しかし今朝方に現実世界に帰還したばかりの頃と比べると、声もハキハキとしてきていた。
まだおぼつかないが随分と会話らしい会話が出来るまでになっていた。喜ばしいことだ。
「声が…今朝より出るようになってるじゃないか…よかったな」
「う…ん…まだ…ちゃんと…はなせ…ないけど…」
「なに…少しずつゆっくりやっていこうぜ、時間はあるんだ…」
「そう…だね…」
何気ない会話を交わしていると、木綿季が何かを感じ取っていた。
ゆっくりとした動作だが首をあちらこちらに動かしてその何かの正体を探していた。
「いい…に…おい…なん…の…におい…だろ…」
「木綿季…嗅覚も大丈夫なんだな…、ああ…いい匂いだろ。さっき栄養士さんに指導してもらって作ってきたんだ」
和人は木綿季のベッドに備え付けられている簡易テーブルを木綿季の前に起こした。
次にカートに乗っかってるお盆をそのテーブルに置き、木綿季の目の前で土鍋の蓋を開けた。
蓋が開けられた土鍋からは白色のお粥がつやつやと光り輝きながら湯気を登らせていた。真ん中には梅干しも乗っかっていた。
「わあ…ご…はん…だ…」
木綿季の目はキラキラしていた、仮想世界ではない現実世界の食事にその眼を輝かせていた。
決して仮想世界ほど豪華ではないかもしれないが…和人が精一杯木綿季のために作った食事を見つめていた。
「これ…かず…とが…つく…ったの…?」
「ああ…ちゃんとお前の体のこと考えて作ってきた、最初はこういった軽いものから始めようってことでな」
和人は木綿季に返事をしながら取り皿に木綿季が食べきれそうなぐらいの量を勘で盛りつけた。
「おいし…そう…」
「ああ…お上がりよ!」
「…え…?」
「あ…いや…何でもない、試してみてくれ」
和人は蓮華に木綿季の口に入り切りそうなぐらいの量の粥をすくって、フゥーフゥーと息を吹き掛けてある程度冷まし、木綿季の口に近付けた。
「いた…だき…ます…」
「召し上がれ、木綿季」
和人は木綿季に無理をさせないように蓮華を傾け、木綿季の吸引力だけで食べられるように角度を調整していた。下手に傾けすぎて木綿季がむせてしまわないように気を使っていた。
木綿季は少しずつ…少しずつだが舌と顎を使い、蓮華に乗っかっているお粥を口に吸い込んでいった。
蓮華のお粥が全部なくなるとゆっくりと口をもごもごとさせて十分に噛んだところでゴクリと飲み込んだ。
「どう…だ…? 味の方は…」
和人が感想を求めると突然、木綿季が涙を流し始めた。
あまりにも突然の事だったので和人は内心かなり焦った。泣くほど不味かったのか?
異物が混入でもしてしまっていたのか?とマイナスの方向にばかり考えが向かっていた。
「あ…木綿季すまん! 口に合わなかったか?やっぱり俺が作るより…香里さんが作った方がよかったのかな…、ごめんな木綿季…変なもん食べさせちまって…」
「……がう…」
「え…?」
木綿季が口を手で押さえて何かを和人に訴えていた。
「ち…がう…」
「木綿季…?」
「まず…くなん…か…ない…よ…」
「え…」
「おい…しい…よ…かず…と…」
木綿季の口から「おいしい」という言葉を聞いた瞬間、和人は胸がいっぱいになった。
作ってよかった…木綿季の口にあってよかった…思いが届いてよかった…、そんなことが頭を巡っていた。
うっかり出てしまった涙を拭きながら和人は嬉しそうな表情を見せた。
「ほ…ホントか!? よかった…失敗したものかと思って焦っちまったよ…アハハ…」
「んーん…あた…たかく…て…すごく…おい…しいよ…」
「ああ…ありがとな…作ってきて良かった…」
「ね…もっと…たべ…させて…」
和人は「ああ」と頷くと今度は乗っかっていた梅干しを砕き、とろとろになるまでほぐすとそれを混ぜて、先ほどと同じぐらいの量を蓮華によそって木綿季の口へと運んだ。
「…どうだ…? 美味いか…?」
「う…ん…すっ…ぱいけど…おい…しい…」
「良かった…足りなかったらまだいっぱいあるからな。足りなくなるよりはいいやって思っていっぱい作ってきちまったからさ」
「だい…じょ…ぶ…ボク…むかし…から…けっ…こう…たべる…から…」
「へぇ~意外だな…。それなら案外早く体力が戻ってくるかもな」
和人は木綿季のペースに合わせ、お粥をよそって口に運ぶといった行動を繰り返した。
木綿季は和人の愛情のこもったお粥を一口一口噛みしめて食べ続けた。
現実世界に帰還して初めての食事は和人が作ってくれた食べ物がいい。
木綿季の夢が早速一つ、叶ったのだ。
30分ほどの時間をかけて、木綿季はしっかり和人が作った分を完食した。
お粥の入っていた土鍋には梅干しの種だけが残されていた。
「ごち…そう…さ…ま…かず…と」
「ああ…お粗末様」
「おいし…かった…また…たべ…たいな…」
「そう言ってくれると俺も嬉しいな…香里さんに相談して出来るだけ俺が作れるように頼んでみるよ」
「やっ…たぁ…」
木綿季は満腹だった、三年間食事をしていなかった胃は意外にも和人が作ったお粥を全て受け止めていた。
和人の愛情のこもったお粥にお腹も心もいっぱいになった木綿季は幸せそうな表情をしていた。
「ボク…しあ…わせ…」
「ああ…俺も木綿季の傍にいれて…幸せだ」
「あり…がとね…かずと…だい…すき…」
「俺も…木綿季のことが大好きだ」
食器をお盆の上に綺麗に片付けた和人は、木綿季に近付くと木綿季の体に負担が来ない程度の力で優しく抱き締めた。
「かず…と…?」
「本当に良かった…木綿季が…こっちに帰ってこれて…病気が治って…本当に良かった…ッ」
「また…ないて…る…」
「…俺が泣き虫なのは…今に始まったことじゃないだろ…」
「しっ…てる…」
その後もしばらく二人は抱き合った。
現実世界で一緒にいれることの幸せを踏みしめながらひたすらにお互いを感じあった。
木綿季はこれから長い時間を掛けて日常への復帰を果たすために頑張るだろう。
和人はそれをすぐ傍で全力で支えていくだろう。
小さな一歩だが…確実に二人は前へ前へと歩んでいった。
二人の本当の闘いは、まだ始まったばかりであった。
はい、なんか…木綿季の食事をしているシーンはちょっと書いてて自分まで心が温かくなってきた気がしました。
やっぱりなんかなあ…キリユウいいなあ…って感じました。
いいですよね…この二人…。
しばらくは木綿季のリハビリやらが続きます。
退院に向けて頑張ります。
私よりも木綿季の応援をよろしくお願いします!
それでは以下次回!