ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味 作:むこ(連載継続頑張ります)
ただ、文の量は減りましたね。
前は後半平気で20000文字とか行ってたんですけど日常編は大体10000文字ぐらいで収まってます。
まあ平和な日常を描いていくとなるとこのぐらいで丁度いいのかもしれませんね。
ごく普通の日常をごく普通に描くって結構難しいです。
それでは43話、ご覧くださいっ。
西暦2026年10月27日火曜日午前5:05
「ん…」
木綿季は早朝から目を覚ましていた。
昨日の神田事件から早くも一夜が明けた。幸いにも被害は和人の左腕の打撲という軽傷だけで事なきを得た。
木綿季は自分の所為だと塞ぎこむが、和人のもっと周りを頼れという支えの言葉によって、その心に再び温かさを取り戻せた。
和人のお陰で木綿季はある程度過去の悪夢を取り除くことが出来た。
そうしてくるとやはり「自分だけがやってもらいっぱなしはいやだ」と考えるようになってくる。
いや、既に以前から思っていた。以前はHIV末期とそれが治ってからも体のリハビリに追われてお礼どころの騒ぎではなかった。
しかし今現在木綿季は病気も克服し、リハビリのお陰で五体満足で日常を過ごせている。
今までと違い、何かしらの形でみんなに恩返しが出来るのだ。
だが、今度はどうやってみんなにお返しをしようかと考えていた。
何か買ってプレゼントでもするか?
一応木綿季に預金はある。倉橋経由で政府から受け取った報奨金がある。
その額およそ5500万円。正確に言うと5505万3098円だ。
政府からのまるまるの収入から所得税やらなんやらで引かれたこの数値が、木綿季の受け取り分となっていた。
これとは別に更に木綿季には両親からの財産も流れ込んでくる。
こちらは木綿季のメディキュボイドの被験者になる前の入院費と横浜月見台にある実家の維持費管理費にあてられてほとんど残っていないが、実家の一軒家の権利は事実上木綿季が所有しているので、家という財産がある。
砕いて言うと、木綿季にみんなにお返しのプレゼントか何かを買うだけの余裕はある。
しかし、木綿季は買い物なぞ満足にこなしたことはない。両親の生前に一緒に夕食の買い物などにいっただけであった。
こんな大金は勿論のこと、月にもらう予定のお小遣いの使い方すらままならない状態であった。
お金の使い方もわからない、何をプレゼントしたらいいかもわからない、そもそもどうやってお返しをしたらいいかというアイデアもない。八方塞がりであった。
そんな新たな悩みを抱えた木綿季はなかなか寝付けず、こんな早朝に就寝から目を覚ましてしまっていたというわけだ。
「ん…ね…むい…」
木綿季はいつも通り和人より先に起きた。しかし昨夜は恩返しのことを夜遅くまで考えていた為なかなか寝付けず、今朝も寝付きが悪かったのか熟睡できぬまま、陽も昇ってないこの早朝を向かえていた。
「今…なんじ…だろ…」
木綿季は枕元に置いてある和人の目覚まし時計で現在の時刻を確認した。
壁掛け時計の一つでもあれば体を起こさずとも確認出来るのに、と思いながら。
「ん…5時…、ちょっと早かったかな…」
このまま二度寝してもいいが、それは流石に今後の生活習慣のことを考えたらだらしがない。
木綿季は今、復学するための勉強をしている。
小学6年生から中学3年生までの勉強をあと半年で頭に叩き込まなければならない。
その為には生活習慣がしっかりされている毎日を送っていくのが望ましい。
いくら和人達の通っている学校が普通の高校と比べてゆるいとはいえ、勉学だけはしっかりやっておかないと授業についていけないのは変わらない。その為シリカ辺りは、実際に復学してからは随分と苦労をしたようである。
つまるところ、来年度から高校に入学することを考えたら、思っているほど木綿季にのんびりしている余裕はないということになる。
幸いにも木綿季の周りには、各教科の勉学に対してスペシャリストがいるので、教えてもらう環境については苦労しないだろう。数学科学物理などの理系は和人が、英語国語社会などの文系は明日奈、誌乃が教えてくれるという。
本人がちゃんと覚えられるかどうかはまた別の話であるが。
だがしかし…、木綿季はつい一昨日に退院したばかりなのだ。
少しぐらいはのんびりとした毎日を過ごしてもいいと思う。
何せ16年間も病気で苦しみ、長い病院生活を送っていたのだから。ちょっとぐらいこの何気ない毎日に身を浸しても、罰は当たらないだろう。
「ふあぁ…、ん…かずとは…寝てるよねそりゃ…」
木綿季は昨日自分を助けてくれたヒーローの寝顔を見つめていた。
こんな細身の女の子みたいな顔をした男の子が、いつもボクのピンチにかけつけて助けてくれる。
病気も治してくれたし、片時も傍を離れないでいてくれた。手術中も声を掛け続けてくれたし、病気が治ってからも側で支えてくれた。階段から落ちて命を落としかけたときも間一髪で助けてくれた。
そして昨日の神田事件でも…身を挺してボクを守ってくれた。
ボクは和人からいっぱいもらってばっかりだ。
和人はボクが傍にいてくれるだけで元気をもらっているっていうけど…それじゃあボクが納得いかない。
何かお返ししないとな…、和人だけじゃない。
お母さんにも…直葉にも…明日奈や倉橋先生、ALOの皆にも…感謝の気持ちを表さないと…。
「ん…ゆう…き…すき…だ…」
和人は寝言でも木綿季のことを好きと口走っていた。
その様子に一瞬驚いた木綿季は顔が赤くなるが、寝言だと知るとすぐに冷静さを取り戻した。
そしてゆっくりと和人の顔に自分の顔を近づけて、和人の頬に接吻をした。
「ありがと…かずと…、ボクも…好きだよ…」
いつもなら寝起きの悪い和人を、揺さぶってでもたたき起こしていた木綿季だったが、今日だけはそっとしておいた。
いつも助けてもらってるしたまにはゆっくり自分の寝たい時間まで寝かせてあげてもいいんじゃないかなと思っていた。
いつもより早く目を覚ましてしまったということもあって、木綿季は和人をそのままにしておいた。
「んしょ…っと…」
木綿季は自分たちに掛けてあるタオルケットを捲ると、和人を起こさないようにベッドから体を動かした。
捲ったタオルケットをそっと元の位置に戻すと、ぐぐーっと伸びをしてこれからどうしようと考えていた。
「うーん…今日は…どうしよっかな…」
木綿季はこれからどうしようかと考えていた。
基本的に復学するまでは勉強と家事の手伝い以外にやることがないのだ。
物置部屋を先に片付けるという手もあるが、物置部屋は大半が峰嵩の私物で占められているため、和人や翠でさえも迂闊に手を出せないのであった。
峰嵩の趣味は多彩でスポーツ観戦、釣り、ゴルフ、登山、模型、カメラ、落語等様々にわたっていた。
それらに関わったであろうものが大量に物置部屋に仕舞い込まれていたのだ。
全部売り捌いたら…いくらになるのだろうか?
木綿季はそんな物置部屋のことを考えながらあることを思い浮かべていた。
「ボク…別にずっと和人と一緒の部屋でも…いいんだけどな…」
自分の部屋が出来るのは大変に嬉しい。しかし和人と離れてしまうことになる。
たかが数メートルの距離と言えど、木綿季は和人から離れたくなかった。
ならいっそ…和人が許してくれるのなら…ずっと和人の部屋で暮らしたい。そう考えていた。
そんなことを考えていると、木綿季は窓の外から何か聞こえていることに気が付いた。
犬の遠吠え? カラスの鳴き声? ランニングをしている運動部…?
気になってしょうがない木綿季は、寝ている和人を起こさないようにして、部屋の窓から外を覗いてみた。
「ん…何の音だろ…?」
温度差で曇っている窓ガラスを手でキュッキュッという音を立ててふき取り、その音を正体を確かめるべく、木綿季は窓からその音の発信源を探していた。
家の外ではない、だとしたらどこからだろう? 視界を家の敷地内に移し、隅々まで探してみるとその音の正体が判明した。
「あれ…直葉? 何やってるんだろ…こんな朝早くから」
木綿季は直葉が庭で何かやっていることに気が付いた。顔以外が一階の屋根で隠れてしまっていたのでここからでは何をやっているかまで分からない。
気になった木綿季は和人の部屋を出て階段を下って一階に降りた。
「お母さんにおはようの挨拶しないと…」
一階に降りると既に朝ごはんの美味しい匂いが立ち込めていた。
この匂いは…魚かな? 昨日はパン食だったから今日はきっとご飯食なのだろう、ということは和食だ。
木綿季は洋食も好きだが当然和食も大好きだ。それどころか中華などのエスニック系の食事も勿論大好きだ。
嫌いなものはあるのだろうかというぐらい食に対しては貪欲だった。
木綿季は一階に降りた後、リビングへと続く扉を開けてキッチンで調理をしている翠に朝の挨拶をした。
「お母さん…おはよう」
「あら木綿季、おはよう。今日は随分といつもよりお早いお目覚めなのね?」
可愛いパジャマを着て、寝ぼけ眼をごしごししながら挨拶をした娘に、翠は優しい笑顔で挨拶を返した。
この時間桐ヶ谷家の人間は直葉以外寝ていることが大概なのでまさかの訪問という嬉しい不意打ちに翠は自然と笑顔を零していた。
「うん…ちょっと…早く目が覚めちゃって…」
「だから眠そうなのね、まだ寝ててもいいのよ?」
「んと…二度寝すると…多分お昼ぐらいになっちゃいそうだから…あはは…」
「あらそう、それはいけないわ。そうなるのはもう和人だけで十分だもの」
他愛のない親子の会話を交わしている二人だった。
翠にとってはいつもの通りの、直葉や和人たちと交わしているやり取りだが、木綿季にとってはこの些細なやりとりもとても楽しかった。
ボク…お母さんとお話ししてる、どこの家庭でもやっている…普通の会話が出来ている…。
そう考えると心からその当たり前が嬉しくなり、木綿季にも笑顔が零れだしていた。
「あら? ご機嫌なのね、木綿季は」
「うん…お母さんとお話しできるのが…嬉しくて」
木綿季のその言葉を聞いた翠の顔付きが少しだけ変わった。
そうだ、この子は…長い間こんな些細な挨拶も出来ない環境にいたのだった…と。
そう考えた翠はコンロの火を一時的に止め、左手からフライパン、右手からターナーを離すと、ゆっくりと木綿季の方へ歩を進めて木綿季を抱き締めた。
「わっ…おかあ…さん…?」
「木綿季…、これから…たくさんお話し出来るのよ…。お話だけじゃないわ、一緒にどこかお出掛けも出来るし、木綿季に私の料理も覚えてほしい。いくらでもこれからたくさんのことが…出来るんだからね…」
木綿季は翠の温かさを体いっぱいに感じ取っていた。
お母さんの匂い…お母さんの肌の柔らかさ…お母さんの優しさ…、そして…お母さんの…ボクへの…愛…。
「う…ん…うん…、ありがと…おかあさん…」
翠から温かいものを受け取ると、木綿季の目には自然と涙が浮かんでいた。
翠は木綿季が泣き止むまで抱擁を続けた。世話のかかる娘だなと思っていたが、面倒の見甲斐がありそうだとも思っていた。
やがて心を落ち着かせた木綿季は、涙で真っ赤になった自分の目をゴシゴシと擦りながら、翠から距離を置いた。
「なんかね…毎日が幸せすぎて…毎回…泣いちゃうの…」
「幸せでいいじゃない…、木綿季が幸せになれるのなら…私たちはなんだってやってあげるわ」
「うん…ありが…とう…」
翠から母親の愛をいっぱいに受け止めると心から安心したのか、木綿季は先ほど聞こえていた直葉の掛け声を思い出していた。直葉は一体朝から庭で何をしているのだろうか、ボクはそれを確かめに一階に降りてきたのだ…と。
「あの…お母さん、直葉は…何をしてるの?」
「ああ…あれね、もう…毎日の日課になってるのよ。見てきたら?」
頭の上に?マークを浮かべた木綿季は玄関に足を運び、ホームセンターで買ってきた自分用のサンダルを履き庭へと歩を進めた。
数歩進んだ先には、袴に身を包み、竹刀を両手で持ち、ひたすらに剣道の面を繰り返し振り下ろしている直葉の姿が見えた。
「せいっ! せいっ!」
木綿季が部屋で聞いた声の正体は直葉の掛け声だった。自主的に始めた朝稽古はもうすっかり直葉の生活の一部となっていたのだ。
ひたすら真剣な表情で竹刀を振り続ける直葉の姿に、木綿季は目を奪われていた。
やがてキリがいい数字に到達したのか、木綿季が来てから何十回か素振りをした直葉は一呼吸を入れた。
呼吸を整えると周囲を見渡せる余裕が出来たのか、直葉は木綿季が見に来ていることに気が付いた。
「ふぅ…、…あれ? 木綿季?」
「あ…おはよう…直葉…」
「やだなあ…見てたんだ…、いつから?」
「えっと…5分ぐらい前…かな」
「あはは…ごめんね、気付かなかったよ…。おはよう、木綿季」
直葉はちょっと遅れて朝の挨拶を交わした。
挨拶を済ますと家の縁側に腰を落ち着けて、そこに置いてある「あろはすみかん味」が入った500mlペットボトルに手を伸ばし、ゴキュゴキュといい音を立てながら飲み始めた。
「ぷはーっ!」
一気にボトルの半分近くを飲み干した直葉がたまらず息をこぼす。
喉が潤った! 生き返った! この運動後の一杯がたまらん!といった満足の行った表情を浮かべていた。
「お疲れ様直葉、毎日…やってるの?」
木綿季も直葉の隣に腰を落ち着ける。
「うん、お兄ちゃんが…剣道やめちゃってからは毎日やってるよ。あたし…お兄ちゃんの分まで頑張って強くなるからって約束したの。それから少しでも強くなるために…これを始めたの。そして気が付いたら日課になっちゃってた」
「そう…なんだ」
直葉は自分の飲んでいたボトルを木綿季にも差し出した。その額には汗がにじみ出ていた。
首には手拭いを掛けて、長年この稽古を積み重ねてきたといった貫禄を感じさせていた。
「あ…、ありがと。いただくね」
木綿季は直葉からボトルを受け取ると直葉ほどではないが残りの三分の一ほどの量の水を飲んだ。
「ぷはっ…」
「美味しいでしょ、それ」
「うん…ただの水かと思ったら…みかんの味がするんだね。でも…みかんジュースとはまた違った感じ」
「あたしのお気に入りなんだ、冷蔵庫にまだいっぱい入ってるから、飲みたかったら飲んでもいいよ?」
「いいの…? ありがとう直葉!」
眩しい笑顔を浮かべた木綿季のお礼に対して、直葉も無邪気な笑顔で返す。
木綿季はやがて直葉に向けてた視線を、直葉が持っていた竹刀に移していた。
「それが…竹刀なんだね、ボク…実物は初めて見るなあ」
「あ、そうだったんだ」
「うん…ボクの学校生活は小学校6年生の途中までで終わっちゃって、クラブ活動とかでもボクの学校では剣道とかなかったから、竹刀とかは初めて見るんだ」
「あ…そう…なんだ…。……ねえ木綿季、持ってみる?」
「え…いいの?」
そう言って直葉は右手で木綿季に対して竹刀を差し出した。
随分と使い古されている竹刀なのか、表面には細かい傷などが見てとれた。
「大丈夫だよ、ただ…真竹だから…木綿季だとちょっと重たいかも…?」
「ん…んじゃあちょっと…頑張ってみる…」
「あ…んじゃ持ち方教えるね」
直葉は立ち上がり自分の竹刀を手に持つと、木綿季を立ち上がらせて背後に回った。
木綿季と直葉が前後に密着しているといった状態になっていた。
「んとね…木綿季は利き手どっち?」
「えと…右手だね」
「OK、んじゃちょっと後ろから失礼するね」
直葉は木綿季の背後から竹刀の持ち方の指南をした。どこをどうやって握ったらいいのか?
ALOで装備しているユウキの愛剣マクアフィテルとはまた全然勝手が違っていた。
「んと、まず利き手…、今回は右手の場合ね。右手は鍔のすぐ後ろ、左手は柄の端っこを握るの。こんな具合にね…、やってみて?」
「ん…こう…かな」
木綿季は直葉に少しずつ握り手をずらしてもらいながら、両手に竹刀を収めていた。
「そうそう、その位置を忘れないでね。強い人になると竹刀の握り方だけで実力を判断する人もいるから。昇段試験とか見られる場合は握り方一つで落とされたりするんだ」
「えぇ…厳しい世界なんだね…」
「厳しいのは剣道だけじゃないけどね。柔道、空手、弓道、薙刀、相撲とか、武道はみんな厳しい世界ばっかりだよ」
直葉は遠い目でこの世界の厳しさを語っていた。全国中学大会ベスト8の成績を残した直葉だからこそ、この厳しい世界のことを理解していた。
「すごいんだね…直葉は」
「別にそんなことないよ、あたしはがむしゃらにやってきただけだから…」
「そんなことなくないよ、自信を持っていいと思うな、ボクは」
「ええっと…そうやって褒められると…照れくさいな…あはは…」
剣道だけにあらず、武道の世界は実力が全て。強いものだけが上に行ける世界。
弱いものはムシケラ以下といった精神がまかり通っているのだ。
時代の進みと共にそのような考えは廃れていったが直葉と和人の祖父のように、古い考えを持っている人間は少なくない。
時代が移っているといっても昔からのならわしというものは現代もその形を残しているのだ。
慢心して稽古がおろそかになればすぐに周りの人間に抜かされていく。
この世界は才能も大事だが何より毎日の地道な稽古が実を結ぶのだ。
勿論直葉もこの厳しい世界に身を投じてる一人として、厳しく指導されてきた。
祖父から褒められたことなど数えるほどしかなかった。そもそもそれも褒めるというには言えないような言葉だった。
だから木綿季から言われたこの言葉が、なんだかくすぐったかった。
「えっと…それで…これからどうすればいいんだろ…?」
「ああ…ごめんね、ぼーっとしちゃって。んとね、握り加減なんだけど、左手は竹刀を支えて、右手でコントロールするイメージで持つのね。左手は小指、薬指、中指の力は緩めずにしっかりと握る」
「左手の小指、薬指、中指はしっかり力をいれて支える…、右手でもってコントロールする…」
「うんうん、右手はおちょこを持つような形で添える程度の力で握ってね。強く力が入り過ぎると手首が硬くなってぎこちなくなっちゃうから。それと右の一の腕は親指の位置から真っすぐにしてね」
「え…えっと…おちょこ…、腕は真っすぐ…、こ…これぐらいかな…」
直葉は木綿季の握っている手の力加減を目視で確かめていた。
木綿季の今の腕力、握力、体力、身長、腕の長さからどれぐらいの力で握れているのかを観察していた。
「そうだね…あたし用の重さに調整した竹刀だけど…多分大丈夫だと思う。それじゃあ…手を離すよ?」
「う…うん」
直葉はそう言うと、ゆっくりと一緒に握っている竹刀から両手を離し、木綿季からも距離を置いた。
木綿季は一瞬体が重心ごとぐらついたが、なんとか体勢を崩さず踏ん張っていた。
「わわ…、結構…重いんだね…竹刀って…」
「うん、その竹刀は高校生の男の子用、480g以上の重さにしてるから…木綿季じゃ重たいかも?」
「ううん…持てなくはないけど…振るとなると…ちょっと…」
「まあねえ、480gってだけだと軽く聞こえるけどね。理科の授業とかで使う重しとかがそのまま長さだけ伸びたらそうなる感じかな。物って長くなると結構バランスとるの大変になるからさ」
木綿季は両手をぷるぷるとさせながら竹刀を握っていた。ただ持つだけならここまで苦労はしないだろうが、剣道は竹刀の握り方が基本だ。この基本の姿勢を欠いてしまったら剣道は成り立たなくなる。
木綿季は竹刀の重さもそうだったがこの握り方を維持するのに精いっぱいになってしまい、大きく息を吐くと同時に、その姿勢を崩してしまった。
「もう無理! 難しいねー…これ…」
「あはは! 最初から出来る人はあまりいないよ、あたしもその体勢をキープするのに結構時間かかったもん」
「へえー…そうなんだ…。ねね直葉! もっかい素振り見せて!」
「え…いいけど…どれにしようか?」
「えっと…どれにって、確か面、胴、小手…の3つだっけ…」
「あと突きだね、基本的に剣道の決まり手はその4つだよ」
「それじゃあ…全部みたい!」
「え…全部?」
直葉はちょっとだけ困り顔を浮かべていたが、木綿季が満面の笑顔で目をキラキラさせて見つめていたため、断ることが出来なかった。
直葉は改めて可愛い妹が出来たという実感と、この顔は反則だろうという衝動に駆られていた。
「んじゃ…リクエストにお応えしますか…!」
「わーい! 楽しみ!」
直葉は手拭いで額の顔を拭うとそれを縁側に置いて、木綿季から竹刀を返してもらうといつも素振りをしている位置に戻った。
右手でゆっくりと竹刀の鍔の近くを握り、左手を柄の端で握らせる。右手は親指から一の腕までピンと真っすぐ伸ばしており、基本を忘れない剣道の構えを見せていた。
「…………」
「………ッ」
直葉は少しだけ緊張していた。
いつもやる日課の素振りとはちょっとだけ違う張りつめた空気を感じていた。
木綿季のリクエストで決まり手4つを一気に全部見せる。普段と違った朝の稽古と可愛い妹にカッコ悪いところは見せられないといった思いからその顔はいつも以上に真剣な眼差しを見せていた。
直葉はその姿勢のまま目を瞑り、コンセントレーションを高めていた。
いつでも打ち込むことは出来るが、打ち込むためのそのきっかけを待っていた。
桐ヶ谷邸にある池には落ち葉がいくつも落ちていた。
池のすぐ傍にある木々からも葉っぱが舞い落ちていた。少しずつ、秋から冬の模様になろうとしている。
早朝の冷えた空気から段々と温かくなると木々についている葉っぱに水気が出てきていた。
その水気は段々と水の塊になり、葉っぱの先に溜まっていった。
そして葉っぱがその水の重さに耐えきれなくなり、重力に負けて下へと落ちていった。
その滴が池に落ちてピチョンという音を立てた。その音が直葉の素振りの合図となった。
「―――ッ!!」
直葉は合図とともに目を見開き、剣道の基本の構えから竹刀を上に振り上げた。
振り上げと同時に右足を前方に踏み出し、そのまま振り上げた竹刀を一気に前へと振り下ろした。
直葉の鋭い面に空気が切り裂かれたように見えた。
「面ッ!!」
直葉は面を放ち終わるとすぐに次の胴を打つための体勢に入った。
振り下ろした竹刀を素早く戻し、左斜め上から前方に対して鋭く胴を放つ。
面から胴への打ち込みはあまりの一瞬であったため、木綿季は目の前で何が起こっているか理解出来なかった。
「胴ッ!!」
胴を放った直葉はすぐさま次の小手の体勢に入る。
先ほどの面の踏み込みよりも深く右足を前方に踏み込み、やや斜め上から面を打つよりも低い位置に素早く竹刀を振り下ろした。
「小手ッ!!」
小手を打った直葉はそのまま姿勢を低くし、大きく前へ踏み込んだ。
そこに対戦相手がいるかのように眼光鋭く、試合に勝つつもりの動きで次の決まり手に移る。
右足で踏み込みの速度を殺し、身体を反転させ、右手に必要最低限の力を込め鋭い突きを放った。
体全体で右手に体重を、力を乗せるかのように、直葉にだけ見えてるであろう対戦相手に対して突きを放つ。
「突きィーッ!!」
踏み込みだけで2メートルほど素早く前進して突きを放った直葉は、慣性の法則を無視するかのように右足で踏み込みの速度を殺し、すぐさま一歩分後方に体を戻した。
「はぁ…はぁ…」
全ての決まり手を披露した直葉は、最初に素振りをしていた位置に体を戻し、そんきょをして腰に竹刀を落ち着けて、数歩後方に下がり、礼をしてその場を締めた。
木綿季は直葉の速すぎる動きに目を丸くして驚いていた。
今のは本当に人間の動きなの? あれが直葉なの? 今目の前で一体何が起こっていたの?
そんな考えが頭の中を巡っていた。
「…とまあ…こんな感じかな…、ちょっとだけ緊張しちゃって動き硬くなってたけど…アハハ…」
「…………」
「…木綿季?」
直葉はぼーっとしている木綿季に数歩進み、目の前まで顔を近づけると声を掛けた。
急に目の前で声を掛けられた木綿季は肩をビクつかせて驚いて声を上げた。
「うわあ!?」
「うわ!? びっくりした! どうしたの木綿季? 体…どっか悪い?」
「ううん、大丈夫。ただ…直葉の動きがすごかったから…」
「そ…そうかな…、あたしより速くて強い人はいっぱいいるから…別に大したことはしてないけど…」
「ほえー…そうなんだ…。でも…でも直葉、すっごくかっこよかった!」
素直にかっこよかったと褒められた直葉は照れくさいのか、顔を赤くして目線をそらして顔をぽりぽりとかいていた。
「あ…う…ありがと…」
木綿季は直葉の身のこなしに大興奮だった。
ついさっきまで眠たくて頭は起きていなかったが、今の直葉の見せた剣道の動きで完全に目が覚めていた。
「ねね、明日も見に来ていい?」
「あ…うん、いいよ! でも…あたし朝早いよ? いつも4時に起きてこれやってるし」
木綿季は直葉に起床時間を聞かされると表情を曇らさせた。ボクはその時間にちゃんと起きられるのだろうか…。
起きられてもちゃんと直葉の稽古を見続けていられるだろうか…と。
「えっと…が…、がんばる…」
「あははは! 頑張ってね! 木綿季!」
二人の間には笑顔が零れていた。
他愛のない、ごく普通の仲睦まじい姉妹のやり取りのように見えた。養子縁組が組まれれば正式にこの二人は姉妹となる。今までやってきたことも生い立ちも違う二人だが、固い絆で結ばれた姉妹となるのだ。
今はまだ女の子の友達同士といった付き合い方かもしれないが、やがて喧嘩もするし恋の悩みの相談や、将来のことでの悩みなどもぶつけ合うだろう。
しかしそのやり取りも、家族ならではのやり取りと言えよう。
木綿季は少しずつではあるが、自分がだんだんと日常に戻ってきていることを実感していった。
新しい経験をする度にボクは感動して泣いてしまうかもしれないが、少しずつ慣れていこう。
皆がいる…ボクを好きでいてくれているこの桐ヶ谷邸で…少しずつ毎日を歩いていこう。
そして…ボクに出来る形で恩返ししていこう。何をしてあげたら皆喜んでくれるかな…?
どう思う? パパ、ママ、姉ちゃん。みんなの意見も…聞いてみたいかな…。
ううん大丈夫! やっぱり自分で考えるよ! 自分で考えて…皆に精一杯お返しをしていくよ!
だから見ててね、ボクの…生きているところ…。
ご愛読ありがとうございます。朝の桐ヶ谷家の日常でしたね。
翠は朝早くからご飯の支度と自分の出勤の支度。直葉は剣道の朝稽古、和人は夢の中(笑)
この桐ヶ谷家に少しずつ木綿季が馴染んでいって、自分の道を見つけることが出来ると思うと今からわくわくしますね。
しかし…デートやらでどこに向かわせるかとか何をやらせるかっていうので悩んでます。
感想を書いていただいてる方は是非その際にご意見をいただければと思います。
それでは以下次回!