ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味 作:むこ(連載継続頑張ります)
一挙投稿三段目です。60話、61話を読まずにここに来られた方は、そちらの方からお読みくださいませ。
さて、日常編序盤もクライマックスです。木綿季は今後どのように生きていくのか、桐ヶ谷と紺野、どちらの姓を名乗るのか、今回で決着です。木綿季がまた強く歩いていく様を、どうか見守ってあげてください。
西暦2026年11月2日 月曜日 午後 14:35 神奈川県横浜市保土ヶ谷区 星川駅前
「……はい、それじゃあ今からそっちに行きますので……よろしくお願いします」
『わかりました、お待ちしてますね』
「はい、ではまた後で……」
和人はスマホで倉橋に連絡を取っていた。木綿季と一緒に過去とのけじめをつけるために、気持ちの整理をつけるために、彼女の実家へと足を運んだのだった。家族が亡くなり、悲しみに暮れていた木綿季であったが、和人が傍で支えてくれたことにより、どうにかその壁を乗り越えられたようだった。まだ心残りがないわけではないが、和人と新たな約束事を交わしたこともあり、自分の未来に光が差し込んでいることを感じていた。
「よし、先生に連絡はついたぞ、今から出よう」
「うん、先生に会うの……楽しみだなぁ……」
「こっからだと道混んでなければ30分ぐらいで着くな、流石にうちよりは近いか……」
「そりゃあ市内なんだから当たり前だよ……」
「あははは、そりゃそうか!」
なんてことのない冗談の混じえた会話を交わしつつ、和人たちは慣れた動作でバイクに跨っていた。木綿季はちゃっかり和人から渡される前にシートから自分のメットを取り出し、バイクの後部座席にも一人で座れるようになっていた。一足先にシートに座りながら木綿季が笑顔を見せると、和人も嬉しそうにニコっと笑顔を返した。
ここ横浜市保土ヶ谷区から、木綿季の入院していた病院のある金沢区までは距離にして20km、有料道路を経由して走行時間30分ほどで到着する計算だ。和人はタンクをぽんぽんと叩き、また頼むぞと想いを注入し、バイクを病院に向かって走らせていった。二人を乗せたバイクはブルルンという音を立てて星川駅を後にした。
――――――
星川駅を出た二人は、まず有料道路である横浜新道に向かい、北東へと進路をとっていた。病院へは横浜新道、横浜横須賀道路という二つの有料道路を経由して向かうのが最短ルートだ。市内での移動ということもあり、休憩なしで一気に目的地まで走りぬくつもりだ。
しばらくして横浜新道に入ると、次は南へ南へとバイクを走らせた。保土ヶ谷区内で一番大きい県立の公共球技施設「保土ヶ谷公園」の真横を通り、東海道本線の線路の上を通り、南東へと向かっていった。道中で市営地下鉄ブルーラインの真上を通り、更にJR根岸線の真下を通過し、南下を続けていった。
そして星川駅を発ってから20分ほどが経過し、和人たちは横浜市内の南区、港南区、磯子区を通過し、病院のある金沢区へと入っていた。京急本線の真上を通り過ぎ、横浜横須賀道路の終点である並木ICで一般道に降りると、幸浦二丁目の丁字路を南に曲がり、私鉄横浜シーサイドラインの路線のすぐ横を走りながら、目的地を目指した。ここまでくれば横浜港北総合病院は目と鼻の先だ。
一般道に入り、走る速度が落ちてくると話をする余裕も出てきたのか、二人は何故倉橋が自分たちを呼び出したのかということを話し合っていた。
「うーん、先生はボクたちに何の用なんだろう……」
「さあ……それはわからないけど……血液検査でもするんじゃないか? 通院予定日よりかなり早いけど」
「でもそれなら検査しますーって電話で言ってくれたと思うんだけどなあ……」
「うぬぅ……それもそうか……」
会話を交わしつつも、走行中の身である事を忘れぬように和人は周りの交通状況を気にしながらハンドルを握り、木綿季は和人の体に回している手の力を緩めないように注意していた。
「あ、そういえば先生……来てくれれば姉ちゃんが喜ぶだとか言ってたな……」
「お姉さん……藍子さんか、うーん妙だな……それなら尚更検査の線は薄まっていくな……」
「何だろうね……」
「実は藍子さんが莫大な遺産を残していた! とかか?」
「何でそうなるのさ、ボクも姉ちゃんも働いたことなんてないってばっ」
「じょ、冗談だって、ほら……病院が見えてきたぞ」
「あ……」
和人がそう促すと、左手前方に見慣れた白い建物が見えてきた。木綿季にとってはAIDSを発症する前に何度も見ており、和人はお見舞いに来るたびに何度も目にしていた。前までは命を長らえるため、病気を治すために足を運んでいたが、今回はそのどちらでもない。倉橋が二人に用があるとのことでここまで足を運んだ。しかし肝心の当人が用事の内容まで詳しく話そうとはしなかったのだ。
知らない中ではないのだから思い切って教えてくれればいいのにと思っていた和人達であった。それとも直接顔を見なければ話せないような内容なのだろうか、だとすると一体何だろう、もしかすると木綿季の身体にまた何か異変が!?
……いや、ないだろう、これまでの厳しい血液検査を何回何十回と繰り返してきたが、完治の診断を下されてからはただの一度としてHIVウィルスが検出されたことはなかった。たとえ外部から再びウィルスや細菌が侵入し、身体が侵されたとしても、復活した免疫細胞と木綿季の血管を流れるHIV耐性を持った血液がそれを絶対に許さない。
つまり木綿季の身体のことではないことがうかがえる、万一そうだとしても倉橋がのんびりこちらからの電話を待っているはずがない、絶対に病院から何かしらの連絡がくるはずなのだ。だとすると、木綿季個人への私的な用事か、木綿季の身の回りに関する大事なことのどちらかという可能性が高い。あくまで可能性の話だが。
――――――
西暦2026年11月2日 月曜日 午後 15:05 神奈川県横浜市金沢区 横浜港北総合病院
和人は病院敷地内へと二輪を入れると、慣れた手つきでいつもの駐輪場へバイクを走らせ、スタンドを立ててエンジンを切り、メットを脱いだ。木綿季も独りでピョンとシートから飛び降り、両手でメットを外すと、首をフルフルと左右に振り「ふぅ」と息を漏らしながら黒のロングの髪を左右になびかせていた。
「こういう気持ちで病院に来るのは初めてか?」
「そうだねえ、今まではAIDSを発症しないために薬をもらいに来てたから、今こうやって病気が治って訪れるのは……初めてかな……」
「そうだよな、本当に良かったよ……」
「……うん、これも和人のおかげだよ」
「……俺は自分のやりたいことをやっただけだよ……」
「あ、久しぶりに聞いたよ? そのセリフ!」
「そ、そうか?」
「うん! ボクがメディキュボイドの中にいたときは耳にタコが出来るぐらい聞いたもん!」
そんなに回数を数えられるほど言った覚えはないけどなと思った和人であったが、本人が自覚していないだけで結構キザで歯の浮つくようなセリフを常日頃から口にしていた。その度に周りのいる人たちを恥ずかしがらせていることに気づいていないだけだった。
二人は何のことのない会話を交わしながら、駐輪場を出て病院の正面入口へと向かっていった。金沢区も本日は快晴で気持ちのいい秋空となっていた。軽い足取りで病院の自動ドアをくぐると、綺麗なエントランスが広がっていた。
平日のお昼過ぎともあってさほど混雑はしておらず、中には看護師や医療スタッフ、自主リハビリをしている患者や白衣を着ている先生方の姿があった。入口右手側には木綿季がALOでやったときに映し出された100インチはある巨大モニターが置かれていた。普段はニュース番組が中継され、奇数月になると大相撲中継が映し出されているらしい。中年やお年寄りの患者に大人気だそうだ。
「こんにちは」
「こんにちはー!」
和人と木綿季は受付に顔を出し、事務仕事をしているお姉さん方に声を掛けた。ファイルを棚に仕舞っているお姉さんが和人たちに気付くと本来の仕事をするために向きを180度変えてこちらに近付き、慣れた様子で受付の仕事へと移っていった。
「はい、ご面会で……あら、桐ヶ谷君に紺野さん!」
「お久しぶりです」
「また来ました! お姉さん!」
「お元気そうで良かったです、生活の方はどうですか?」
「はい、毎日がすっごくすっごく楽しいんです!」
木綿季が笑顔で返事を返すと、受付のお姉さんの顔にも笑顔が浮かんでいた。患者さんが笑顔で退院するときも嬉しいが、こうやって病院を訪れてくれると、また格別嬉しいものがある。木綿季のように元気な子供が訪ねて来てくれると尚更だ。
「本当に良かったです……それで、今日はどのようなご用件で?」
「ええ、今日は倉橋先生に呼ばれて来たんですよ。何の用かは教えてくれなくて……」
「病院に来てくれって言われたんだよねー」
「あら、そうだったんですか……。でも生憎今日先生はお休みをしてまして……、患者さんも他の先生に引き継いで長期休暇を取られてるんですよ」
「え……そうなんですか?」
和人達は聞いていた話が違うと首をかしげていた。てっきり病院にいると思ってた倉橋は不在だという。病院にいないのだとするとどこにいるのだろうか、自宅かどこかだろうか? 居場所に皆目見当もつかない和人たちは困り果てていた。
「あ、そうだ……栄養士の高橋香里さんはいらっしゃらないんですか?」
「あ……はい、高橋も休暇を取っておりまして、今週一杯病院にはおりませんで……」
「えぇ……参ったな……」
「どうしよう和人、電話してみる?」
受付のお姉さんも含め、三人が困り果てていると、病院の自動ドアが開き、男性と女性が一人ずつ院内へと入ってきた。その二人は受付に近付きながら和人たちに少し慌てた様子で声を掛けてきた。その二人の人物は和人のよく知った顔だった。
「すみませんお二人ともっ、集合場所を伝え忘れてしまってました」
「ご、ごめんねー! 待たせちゃったかな……!」
「く、倉橋先生に香里さん!」
「倉橋先生!」
珍しく息を切らしながら現れたのは木綿季の元主治医の倉橋と、リハビリと食事を担当してくれた栄養士であり、作業療法士でもある高橋香里だった。二人ともオフだということもあり、いつもの白衣ではなく私服で姿を現していた。
倉橋はいつもの髪型にいつもの眼鏡。水色のワイシャツに黒のネクタイ。黒に近い紺色のズボンにグレーのトレンチコートと、普段の仕事着の色が変わっただけの様なコーディネートだった。
香里は背中まで伸びたウェーブのかかった茶髪に赤と茶色のチェックのマフラー、クリーム色のセーターに薄ブラウンのパンツ。上着は薄ピンクのステンカラーコートで決めていた。二人のコーディネートセンスを見比べてみると、倉橋がいかにファッションに興味がないのか一目瞭然であった。
「倉橋せんせーい!」
木綿季は倉橋の姿を見つけるなり病院の中だというにもかかわらず駆け足で倉橋に走り寄り、彼の胸倉に飛び込んでいた。倉橋は木綿季のあまりの勢いに大きくぐらついたが、成人済みの男性なだけあって、危なっかしくもしっかり木綿季を受け止めていた。その微笑ましいやり取りを、和人と香里は笑顔で見守っていた。
「おお、げ、元気ですね……木綿季君」
「はい! ボクはいつでも元気ですよー!」
「それは何よりです。ご実家の方には……もう行ってきたんですか?」
「あ、はい……和人と一緒に行ってきました」
「ということは……もう決めたんですか?」
倉橋の言う決めたことというのは、勿論養子縁組の苗字のことだ。どちらの姓を名乗るか決心するために実家に足を運んだのだが、木綿季は倉橋に聞かれると困ったような表情を浮かべていた。確かに家族との死とはある程度向かい合えたが、どちらの姓を名乗るかとなるとまた別であり、未だ迷いを抱えていたのだ。
木綿季の迷いを吹っ切る為には、まだ彼女の背中を押すための「何か」が一つ足りないようであった。悩める木綿季の表情を見るなり、倉橋は何か考えがあるのか優しい笑顔を見せながら、木綿季に語り掛けた。
「そうですね、今はとりあえずそのことは一先ず置いておきまして、本題に入りましょうか」
「そうだ……倉橋先生何なんです? 俺らに用って……」
「はい、実は木綿季君にとって、とても大切な用事なのです」
「え、ボク……ですか?」
倉橋が大切な用事と口走った瞬間に、木綿季の顔に少しだけ緊張が走った。今まで倉橋から大事な話を持ち込まれたときは、必ずといっていいほど自分の余命に関することばっかりだったからだ。病気が治った今でも、木綿季はついつい条件反射で少しだけ身構えてしまっていた。
「ちょっとお手間を取らせるのですが、君たちに来てほしいところがありまして。いや、少なくとも木綿季君、君は来なくてはならない……」
「え……?」
「……何処へ行くんですか? 先生」
「外に、車を用意してあります。私が運転しますので乗ってください」
倉橋はそう言うと一足先にエントランスの出口に向かって足を動かし、自分の車へと歩いていった。その後を香里、和人、木綿季の順番に追いかけていった。木綿季は院内を出る前に一度振り返り、受付のお姉さん方に両手で大きく手を振ってバイバイの挨拶をした。するとお姉さんも笑顔を見せながら片手で木綿季に向かってバイバイと挨拶を返していた。
――――――
和人たちが外に出ると、目の前には白いボディのワンボックスカーが彼らを待ち構えていた。倉橋は既に運転席に座り、エンジンを掛けて和人たちが乗り込むのを待っており、香里もさも自然に助手席に乗り込んでいた。和人は何が始まるんだと頭をポリポリとかきながら後部座席のドアを開け、木綿季を先に車に乗り込ませた。二人は解せない様子を見せながら、は終始頭のてっぺんに?マークを浮かべ続けていた。
和人と木綿季は後部座席で車に揺られながら、窓の外の風景を眺めていた。やがて見ているだけでは退屈なのか、木綿季は窓を開けて外の風を車内に入れた。少し肌寒かったが、場所が海に近いせいか少しだけ潮の香りがした。そういえばここは横浜市内では有名な水族館がある地域じゃないか、思い出した。今度和人に連れてきてもらいたいな、水族館に連れてってくれるって仮想世界で約束したし。落ち着いたら遊びに来たいな……。
――――――
西暦2026年11月2日 月曜日 午後 15:20 神奈川県横浜市内某所
暫く和人たちを乗せたワンボックスは、シーサイドラインの高架下を添うように、南西へと走り続けた。横須賀街道をひたすら進んでいくと、京急本線の踏切を通り過ぎ、県道23号線を西に進んでいった。少しずつ内陸に移動し、磯の香がしなくなると、今度は更に県道205号線を南へ向かって車を走らせていった。
しばし南進を続けると、JR京急逗子線の線路に沿うように南西に進路をとり、さらに走行を続けていく。しばらく進むと、先ほど通った横浜横須賀道路の高架下をくぐり、六浦バイパスをさらに南進していった。すると突然今までと街の雰囲気ががらりと変わり、一気に田舎の風景へと変わっていった。
地方によくある狭く短いトンネルに差し掛かった。そのトンネルの手前には「六浦霊園」と書かれた看板が立っていた。そう、倉橋達は霊園へと車を走らせていたのだ。霊園、すなわち墓地を管理している場所である。案内看板の文字を目にした瞬間に、木綿季は倉橋たちが何のために自分たちをここまで連れてきたかわかってしまった。トンネルを抜けると、道中に墓石らしきものがちらちらと見え隠れし、ここが霊園だということを物語っていた。
「着きました……」
「ここは……霊園、だよな……?」
「お墓……」
倉橋は霊園敷地内の100台ほど停めれる駐車スペースに、慣れた手つきで後ろ向きで車を駐車し、サイドブレーキを掛けてギアをパーキングに合わせ、ハンドルの横のツマミを手前に回してエンジンを切った。車は途端に静かになり、倉橋達は前部座席のドアを開けて表に出た。和人達も置いていかれないように後部座席のドアレバーに手をかけ、少し駆け足気味にドアを開けて車から降りた。
車から降りて周りを見渡すと、先ほどまで海沿いにいたとは思えないほど、森と木々に囲まれていた。既にそこからは宗教宗派問わず、様々な形をした墓石がずらりと並んでいる光景も目に飛び込んできた。ここ、六浦霊園はキリスト教や仏教といった宗教宗派関係なく、寺と違いどんな人でも受け入れている霊園だ。
「それでは、私は受付で手続きをしてきますね」
「え? あ……は、はいっ」
倉橋はそう言うと、霊園の中で唯一の建物がある受付へと足を運んでいった。お墓参りに必要な桶や柄杓、花なども中で拵えてくるのだろう。木綿季たちは倉橋の背中をただじーっと見つめており、香里はそんな二人の肩に手をぽんとあて、二人の間に顔を覗かせていた。
「香里さん……」
「二人とも、何でここに連れてこられたか……もうわかっちゃったよね……?」
「……ええ、まあ……」
「…………」
木綿季は香里に声を掛けられると、そこから見えるキリスト教の墓が建っている場所に目をやっていた。恐らくその視線の先のどこかに、木綿季の予感しているものがあるのだろう。辺りは風が吹き始めており、霊園にある森や、あちらこちらに生えている木々の葉っぱをゆらしていた。風に煽られた葉っぱは互いにこすれあい、自然音を奏でていた。
「香里さん、ここに……パパやママ、姉ちゃんたちが……眠ってるんですね……?」
「……ええ、そうよ……」
「……木綿季の……家族が……」
木綿季の予感は当たっていた。そして、何故自分の家族が親の実家ではなく、この霊園に眠っているかもわかっていた。元々紺野家は木綿季の父親の田舎に墓を持っている、しかし木綿季の父方の祖父母夫婦が亡くなると、叔母夫婦をはじめとした親類の者たちが、断固うちの血族の墓には入れないと一点張りを決め込んだのだ。当人たちがつらい思いをして死して尚、血が繋がっているのにもかかわらず差別を決め込んでいたのだ。
本来、親類からお骨を拒否された場合、通常は火葬時に焼き切って完全に灰にしてしまうか、通常火葬後、総合埋葬所に引き取られることになっている。倉橋は親類の心ない選択に大変激怒し、自分がお骨を引き取ると言い出し、ここ六浦霊園に紺野家の墓を作りお骨を収めていたのだ。勿論お墓の作成費、維持費などの費用は倉橋が実費でまかなっていた。倉橋にとって紺野家とは、それほど特別な家族だったのだ。
「ボク全然知らなかった……、倉橋先生、姉ちゃんたちが死んじゃった後のコトは何一つ話してくれなかったから……」
「……そうだったんだな」
「先生は……木綿季ちゃんたちのことを誰よりも考えてらしたのよ。本当の家族のように接して……」
「……先生……」
木綿季は改めて、倉橋が入っていった建物を見つめていた。自分たちへ思っていた以上の想いを持ってくれてた倉橋に、感謝以上の気持ちを抱いていた。先生のことを家族だと思ってたのは自分だけじゃなかった。パパやママ、姉ちゃんも、先生と家族だったんだと……。
それからしばらくして倉橋が右手に白い花、左手に清めの水が入った手桶と柄杓を持ち、建物の自動ドアから姿を現した。その姿を確認すると、木綿季は倉橋の元に小走りで駆け付け、倉橋を出迎えた。
「先生……」
「……香里君から聞きましたか?」
「……はい……」
「そうですか……」
「あの、倉橋先生……ありがとうございます」
木綿季は倉橋に駆け寄るなり、深々と感謝の気持ちを込めて頭を下げていた。ボクらの面倒をここまで親身になってみてくれて、医師と患者としての間柄を越える気持ちを込めてくれて、本当にありがとうと。倉橋はそんな木綿季の姿を見ると、ニコッと爽やかで暖かな笑顔を見せていた。
「そんなに畏まらなくてもいいですよ、もう貴方たちは……私にとって家族そのものなんですから……、これぐらいのことはさせてください」
「……先生……」
「……ほら、藍子君たちの元へ行きましょう、こちらです」
倉橋は和人と香里にも声を掛けると、紺野家の人達が眠っている墓前へと案内した。木綿季の家族が眠っているのは、先ほど木綿季が見つめていたキリスト教宗派の墓石が集まっているエリアの、一番奥の方に建っていた。芝生の上に敷かれた石畳の上を歩きながら、色んなキリスト教信者が眠っている墓の前を通り過ぎ、木綿季たちは紺野家の人達が眠っている墓前まで足を運んでいた。
「ここです」
「……ここに……」
「木綿季のお姉さんたちが……眠っているのか……」
紺野家の墓は畳四畳ほどのスペースの中に建っており、どこにでもある白と灰色をしたごく普通の墓石の形となっていた。出来たばかりなのかどこも汚れてなければ雑草も生えておらず、土台の部分も大変にキレイなままだった。墓石の中央上部に白い十字架のマークが彫られおり、それでキリスト教信者の墓だということが伺える。その下には「紺野家之墓」と文字が彫られており、墓石の裏側には木綿季の両親と、姉の藍子の没した年月日が彫られていた。紛れもなく、木綿季の家族はここに眠っていた。
「木綿季君、和人君」
「あ、は……はい!」
木綿季と和人は倉橋にハンドサインで促されると、柄杓を手渡され、清めの水を掛けるように指示をされた。倉橋が墓前に手桶を置くと、そこから木綿季が水を救い上げ、慣れない手つきで墓石に水を掛けていった。木綿季が三回ほど水を掛けると、それに続き和人、倉橋、香里の順に水を掛け墓を清めていき、一通りかけ終わると今度は受付で購入してきた白いカーネーションの花を、花立てに深く差し込んで、それにも水をかけて全ての水を使い切った。そしてキリスト教の墓参りの作法に従い、線香も上げずに胸に両手を当てて、礼拝するように神にお祈りした。
本来キリスト教の墓参りは故人に対してお祈りを捧げたり一礼をしたり、お線香を上げたりもしない。偶像礼拝と呼ばれる大きな罪に当たる行為となるからだ。日本の仏教の様に、死んだら仏になるという考えが存在しないのだ。しかし、木綿季は敢えてそれを承知で亡くなった家族に対して祈りを捧げていた。それがどのような行為かどうかはキリシタンである木綿季自身がよくわかっている。
だが、家族の死に目にもあうことが出来なかった木綿季は、せめてこの場だけでも、自分の想いが姉ちゃんたちに届きますようにと、敢えて教えに背いて祈りを捧げていた。ごめんなさい神様、でも今回だけ、今回だけ罪を犯してしまうことをお許しください。無力で何も出来なかったボクに、今出来ることをさせてくださいと、神に謝罪をしながら祈り続けていた。
「…………」
「…………」
一行は一分ほど祈りを捧げると胸から手を降ろし、目を開けて墓石を見つめていた。水で濡れた墓石が、日光を反射してキラキラと光り輝いていた。まるで木綿季たちがここに来てくれたことに喜びを表しているかのようだった。木綿季が切なそうに墓石を見つめていると、倉橋が木綿季に歩み寄り、深く頭を下げて慰めの言葉を掛けていた。遺族に対し慰めの言葉を掛けるのも、キリスト教の墓参りに作法にそったやりかたである。
「木綿季君、君の家族を助けてあげられなかった私が言ってしまうのも気が引けるのですが……、君はどうか……強く生きてください」
「……倉橋先生……」
「ご両親も藍子君も、君の幸せをいつも第一に考えていました。長く生きられないかもしれないが、それでも幸せに生きてほしいと、そう毎日祈っていました」
「…………」
「そう思って旅立っていった彼女たちの想いを、無駄にしないでください。少なくとも木綿季君、君には幸せになる権利が……いえ、
「え……、ぎ、義務……ですか?」
倉橋はそう言うと自分の上着の懐から、少し厚めの明るい藍色の封筒を取り出して、木綿季にそれを手渡した。木綿季はそれを両手で受け取るとまじまじといろんな角度でその封筒をみつめていた。そして封筒の裏側の下の部分に書かれた差出人の名前を見ると、木綿季の表情が一変した。
「え……、う……うそ……、な……何で……?」
「木綿季? どうしたんだ……?」
「…………」
木綿季は目を見開き、手を震わせて手渡された封筒を見つめていた。和人が木綿季の横から顔を覗かせると、同じように和人の顔に緊張感が走った。二人が驚くのも無理はなかった、何故なら木綿季宛ての手紙の差出人の名は、木綿季の実の姉である「紺野藍子」から宛てられたものであったからだ。二人が言葉を失っていると、倉橋が傍まで歩み寄り、事の事情を詳しく説明した。
「その手紙は……生前に藍子君本人から君に渡すよう、私に託されたものなのですよ……」
「……姉ちゃん……が?」
「ええ、ご両親が亡くなり、自分ももうすぐだと死期を悟った藍子君は、実の妹である木綿季君だけが心残りでした」
「…………」
「藍子君は、メディキュボイドで終末期医療を続けている君の病気が将来、僅かにでも治る可能性があるのならと思い、私にこの手紙を託したのです」
「僅かな……可能性……」
生前、藍子は死ぬ寸前まで妹の木綿季の幸せをずっと祈っていた。私達は先に逝ってしまうけど、メディキュボイドを使用している木綿季になら僅かにでも可能性が残されている。このまま終末期医療を重ねて延命していくうちに、奇跡的に病気を治す技術が生まれるかもしれない。そしてもしも病気が治って木綿季が元気になることが来た時の為にと、最後にこの手紙を残したのだ。
「もしも木綿季君の病気が治り、普段通りの生活を送っていても尚、迷いや悩みを抱えているようだったら渡してほしいと、藍子君から託されました。内容は……私も知りません」
「……開けて……みます……」
木綿季は封筒の封を丁寧に指先で解いていき、中に入っている四つに折りたたまれた手紙を取り出すと、それを広げて書かれている文に上から目を通していった。字はボールペンで女の子らしく、綺麗で丁寧な書体で書かれており、誠実に生きた藍子の人生そのものを表現しているかのようだった。木綿季は見慣れている筆跡で書かれた自分へと宛てられた文章を、様々な思いを胸に抱きながらゆっくりと口に出して読んでいった。
「……木綿季へ……」
”木綿季へ、あなたがこれを読んでいるということは、私は病気に負けてしまい、死んでしまったのでしょう。そして、きっと木綿季は病気に打ち勝って「今」をしっかり生きているんだよね。まずはおめでとう、治って良かったね、木綿季。
毎日の生活は楽しいですか? 無菌室の外はどんな世界が広がっていますか? 倉橋先生とはうまくやっていますか? 木綿季はそそっかしいところがあるから、お姉ちゃんは少しだけ心配です。あんまり周りの人達に迷惑をかけないようにね?
それはそうと、この手紙を木綿季に託したのには理由があります。私の単なる思い過ごしだったら気にしないでください、だけどもしそうだったら、今から言うことをよく聞いてください。
今、木綿季がどのような生活を送っているのかは、私にはわかりません。施設に引き取られているのか、倉橋先生のところでお世話になっているのか、はたまたそれらとは違うところで暮らしているのか。ただ、いずれにせよこれから毎日を生きてくのにあたって、一つだけ木綿季にお願いがあります。お姉ちゃんからの木綿季への最後のお願いです。
未来を見て、強く生きてください。私たちのことを忘れろとは言いません。ただ、私たちのことを想うばかりに、木綿季の足かせになってしまうことを、木綿季自身が立ち止まってしまうことを、私たちは望んでいません。なので、どうか未来に向かって歩いていってほしいのです。
ずっと傍にいてあげられなくてごめんなさい。でもどうか強く生きてほしい、強く生きて、木綿季の幸せを見つけてください。お姉ちゃんたちは天国から木綿季を見守っています。倉橋先生たちに、よろしくお願いね。それじゃあ元気で……。
大好きな木綿季へ、紺野 藍子”
「ねえ……ちゃ……ん……」
手紙には木綿季に強く生きてほしいという想いが込められた文章が書き綴られていた。キリスト教の教えに従うことではなく、あくまでも木綿季自身の意思で前に向かって歩いていってほしいという、姉のとしての最後の想いが込められていた。
藍子は見透かしていたのだ、自分ら家族と倉橋先生としか交流がない木綿季が、一人で生き残ってこの先普通に暮らしていけるのかどうかと。迷いや悩みを抱えて生きているのではないかと。自分らのことを引きずってしまっているのではないかと。
この手紙は木綿季の心を動かすには充分な力を持っていた。養子縁組の姓の悩みを消すために月見台の家に足を運び、家族の死と向き合いながらも、未だほんのわずかだけ未練を残し、あと少しだけ背中を押されることが必要な木綿季とって、姉から宛てられた手紙の力は充分すぎるほどだった。
「ねえちゃん……ねえちゃあん……」
木綿季は再び、両目から大粒の涙を溢れさせていた。瞼から溢れ出た涙が頬を伝い滴り落ちて、手紙と封筒を濡らしてしまっていた。姉からの最後のメッセージに様々な想いが頭の中をよぎり、 手紙を持つ両手に力が入ってしまい、手紙の端っこの部分を封筒ごとくしゃくしゃにしてしまっていた。
だがこの時、手紙と封筒を力強く握った際に、木綿季は封筒から違和感を感じ取っていた。この手紙の他にまだ封筒の中に何かが入っているようだった。木綿季は右手で両目の涙を拭うと、左手で握っている封筒に右手を突っ込み、中で何かを掴むとそれを外に取り出した。
「それは……?」
「これ……もしかして、姉ちゃんの……?」
木綿季が封筒から取り出したものは、藍子が生前ずっとつけていた白いリボンの様な形をしたシュシュであった。シルクのように透き通っており、可愛らしいフリルがついた女の子らしいデザインだった。藍子が手紙と共に、木綿季に最後に残した形見であった。
「間違いありません、それは藍子君がつけていたものですね……」
「……お姉さんのものなのか……」
「…………」
木綿季はシュシュを掌の上に置き、じっとそれをみつめていた。そのシュシュは、木綿季にこの先強く生きろと、私が見守っているから大丈夫と、まるで木綿季に語り掛けているようだった。そんな気がした木綿季は、姉の形見をぎゅっと握り締め、胸にぐっと当て、かすかに残った姉の温もりを感じ取っていた。
「ありがとう……、ありがとう姉ちゃん……」
木綿季は再び、藍子が眠っている墓石を見つめていた。生まれたときからずっと一緒にいた藍子に、心から感謝の気持ちを込めていた。ボクは強く生きなきゃいけない、もっともっと強くなって、この世界で生きていかないといけない。死んじゃったパパやママ、姉ちゃんの分まで強く生きていかないといけない、そうじゃないと……姉ちゃんたちに笑われちゃうし、何よりボクらしくないや。
「木綿季……」
「木綿季君……」
「木綿季ちゃん……」
三人に声をかけられた木綿季はゆっくりと目を開け、声のした方へと顔を向きなおした。涙は流れ続けていたが、その表情は実に晴れ晴れとしたものだった。顔を真っ赤に染めながらも、実に木綿季らしい可愛い笑顔を見せていた。それを見た和人は一瞬だけ驚いたが、嬉し泣きからの笑顔なのだなと気持ちを察すると、木綿季に歩み寄り彼女に優しく声を掛けた。
「木綿季、もう大丈夫……なんだな」
「……うん、姉ちゃんがね、いっぱい元気をくれたからもう大丈夫。それに……」
「それに?」
木綿季は手紙を和人に一方的に手渡すと、藍子の形見であるシュシュを、自分の長いロングの髪の毛の先端から10センチほどの位置にくくりつけ、ヘアアレンジを加えていた。風でばらばらになびいていた髪の毛が一つにまとめられ、木綿季の特徴であるロングヘアと、藍子の髪型のポニーテールの両方が合わさったようなヘアスタイルとなっていた。
「ボクには姉ちゃんがついてくれてるから、いつも見守ってくれてるから、大丈夫!」
「……そうか、良かったな……」
「……うん!」
木綿季は自分の髪の毛にくくりつけたシュシュをじっと眺めていた。これをつけているだけで藍子がすぐ傍で、いつまでも守ってくれているような気がした。今までどことなく感じていた寂しさも、不思議と感じなくなっていた。木綿季は今度こそ、自分の家族と向き合えたのだ。
「倉橋先生、ありがとうございます。ここまで連れて来てくれて、それに……姉ちゃんたちのお墓も用意してくれて……」
「……いえ、いいんですよ。和人君の言葉を借りるなら、私がやりたくてやったのですから……」
「……先生のくせに格好いいじゃないですか」
「む、失礼なことを言いますね、君は……」
香里が口をとがらせてそんなの先生らしくないと言わんばかりに冗談をかますと、倉橋は少しだけ不機嫌になり、眉をひそめていた。その二人のやり取りを見て木綿季も「ホントですね!」と言葉を並べて笑い声を響かせていた。この笑顔こそが、藍子がずっと見ていきたかった、木綿季の顔だった。
――――――
一しきり気持ちの整理と、お墓参りを済ませた木綿季たちは、桶などの借りていた道具を霊園に返却し、墓参りを終えると倉橋の運転で再び病院へと戻っていった。色々あったが、木綿季は今まで生きていた中で、非常にすっきりとした心持ちで人生を歩いていけそうだと感じていた。
一行は来た道を20分かけて戻り、再び横浜港北総合病院へと辿り着いていた。入り口前のロータリーに車を停め、バイクでここまできた和人と木綿季を車から降ろし、別れの挨拶を交わしていた。
「それでは私たちは失礼しますね、また明日、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」
「木綿季君も、今日は夜更かししちゃだめですよ?」
「明日はお寝坊厳禁だからね? 木綿季ちゃん」
「わ、わかってますよ~! 今日は早く寝るから大丈夫です!」
「あはは! それなら大丈夫かな!」
「ふふっ、そうですね、ではよろしくお願いします。また明日」
「はい、また……明日!」
倉橋は最後に右手でさよならの仕草をすると、サイドブレーキを解除し、ギアをドライブに入れ、アクセルを少しずつ踏んで車を走らせて敷地外に出ていき、木綿季たちからどんどん離れていった。木綿季は倉橋達の乗っている車が見えなくなるまで手を振り続けていた。完全に車が視界から消えると手の動作を止めて、その場に佇んていた。
「……さて、俺らも帰ろうぜ」
「……そうだね……帰ろ、和人」
和人と木綿季は倉橋たちを見送ると互いの手を繋ぎながらバイクを停めてある駐輪場まで足を運び、慣れた手つきで荷物を仕舞ってメットをかぶり、シートに跨ってエンジンを起動させて、60km離れた川越へと進路を取り、アクセルを蒸してバイクを走らせていった。
帰路についている間、二人は終始無言であった。今日一日で起こったことを頭の中でもう一度思い返していた。中でも木綿季が感じたことは、到底短い時間で整理できるものではなかっただろう。長年ずっと一緒に過ごしてきた家族をいっぺんに失うことは並大抵の悲しさではない。
しかし、そんな木綿季の悲しさを拭い去ったのも、木綿季の家族だった。実の姉が残した最後のメッセージにより、木綿季は本当の意味で救われたのだ。心身ともに壁を乗り越えて、新たにスタートを切れる状態となっていた。あとは、木綿季本人次第であった。
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西暦2026年11月2日 月曜日 午後 18:10 埼玉県川越市 桐ヶ谷邸
和人と木綿季は途中一度休憩を挟み、片道二時間半を掛けて埼玉県川越市の自宅へと戻ってきた。たった一日で往復合わせて180kmもの距離を走り抜けてきた。木綿季の退院前に何回も繰り返していたこととはいえ、二輪での長距離移動はやはり体力的にかなり負担がかかる行為だった。見慣れた街並みを通り過ぎ、自宅敷地内へ二輪を停め、いつものようにエンジンを切って後始末をし、よれよれの足取りで家の扉に手を掛けた。
「た、ただいまあ……」
「ただいまー……」
二人の声が桐ヶ谷邸の玄関に響き渡ると、その声に反応したのか二階から階段を降りて直葉が軽快な足取りで玄関に姿を現した。その直葉に続くように、晩御飯の支度をしていた翠が手拭いで手を拭きながら、新聞を読んでいた峰嵩も新聞を片手にリビングから姿を現し、無事に帰ってきた和人たちを迎え入れていた。
「お帰り、お兄ちゃん、木綿季」
「お帰りなさい、二人とも」
「お帰り、無事に帰ってきてくれてよかった」
「ただいま、流石に慣れたとはいえ一都二県を往復するのは疲れたよ……」
「ボ、ボクもだよ……、バイクって捕まってるだけでも物凄い体力使うんだねー……」
木綿季と和人はヘトヘトになりながら、上がり框に腰を下ろして履いていた靴を脱いでいた。長距離移動もさながら、この短時間で木綿季に関して色々なことがありすぎた。そのおかげで心身共に疲れ切っている和人たちは、とりあえずはベッドに横になりたいという気分だった。
「和人、もうすぐ晩御飯出来るけど……すぐに食べる?」
「あ……いや、ちょっと俺も木綿季も疲れちゃってるから、少し休んでからいただくよ……」
「あら……そうなの、わかったわ。それじゃあゆっくりおやすみなさい」
「お兄ちゃんも木綿季も、顔に疲れてるって書いてあるよ?」
「うん、でも……姉ちゃんたちとはしっかり向き合えたよ」
木綿季はそう言いながら、姉の形見の髪留めのシュシュをくくり付けたロングの髪をなびかせてみせた。いつものようで少し違う木綿季の髪型に翠たちは少しだけ驚いていた。黒いロングの木綿季の髪に、真っ白なシュシュは大変に色合い良く映えていた。
「木綿季、それは……?」
「……これはね、姉ちゃんの形見なんだ」
「お姉さん……、藍子さん?」
「……うん、立ち止まってないで前に進みなさいって、これと一緒に手紙を残してくれてたの」
「……そうだったんだ」
「おかげで迷いはなくなったよ。姉ちゃんが背中を押してくれたから、もうボクは迷わない。もっと強く生きていこうと思うの」
姉の形見を見つめる木綿季の表情は真剣そのものだった。一切迷いはなく、まるでALOの絶剣のユウキとしてそこに立ち振る舞っているかのようだった。家族から託された想いの分まで精一杯生きると、胸に固く誓いを立てていた。
「そうか、それなら明日は……役所に?」
「うん……、突然今日の予定を狂わせちゃってごめんなさい、お願い出来ますか……?」
「私は構わないわよ、お父さんも今週はお仕事お休みだし、直葉も大丈夫よね?」
「うん、午前中だけなら大丈夫だよ!」
「OK、決まりだな。先生もまた明日こっちに来るって言ってくれたし、明日提出しようぜ」
「うん……!」
木綿季の養子縁組届は、明日の三日に改めて川越市役所に提出しに行くことで話がまとまった。準備はすべて整い、漸くことが動き出そうとしていた。過去とのけじめもつけることができ、木綿季の決意もしっかりと固まっていた。あとはもう、当日を待つばかりであった。この時は翠も峰高も直葉も、木綿季がどちらの姓を名乗るか敢えて聞こうとはしなかった。
それから和人たちは一休みしてから晩御飯を食べ、風呂も済ませ、あとは寝るだけという状態になっていた。しかし変に緊張しているせいか、部屋を暗くしてベッドに入っていても、中々寝付くことが出来なかった。和人にとっては木綿季が妹になり、木綿季にとっては和人が兄になるのだ。以前に告白した時にはこんなことになろうとは思いもよらなかっただろう。
「和人、起きてる?」
「……起きてるぞ」
「……そっか」
「眠れないのか?」
「……うん、何かね? 緊張しちゃって……」
「……俺もだ」
「……そうなんだ」
短い会話を交わすと、二人はまた無言になっていた。いくら寝よう寝ようと思って目を閉じても、全く眠気はやってこなかった。ただひたすらに夜の静寂が二人のいる部屋を包んでいた。
二人は手を繋ぎながら布団をかぶり、一緒に部屋の天井を眺めていた。ここまで緊張したのはいつぶりだろうか? ライブでHIVキャリアだということを告白した時? 骨髄移植手術を決行したとき? それからの木綿季の容態を聞いたとき? それぐらいに二人は気が張りつめているのを感じていた。
「眠くなるまで……何か話すか?」
「……うん、そうだね」
二人は意見を一致させると、互いに向き合う形になり、眠気がやってくるまで語り合うことにした。体勢を変えたことによって二人の顔の距離が近くなり、互いの体温が伝わってきていた。
「……いよいよ明日、なんだな」
「……うん」
「木綿季は、俺の妹になるんだな……」
「ふふっ、何か変だよね。恋人なのに兄妹なんてさ……」
「そうだよな……、なんだか不思議だ」
「和人がお兄ちゃんか……、なんだか考えられないや」
「それはお互い様だろ?」
「えへへ、まあね♪」
和人は布団の中で、木綿季を抱き寄せた。少々窮屈だったが、今夜の木綿季は今までどの時よりも愛おしく、尊い存在のように見えてしまい、思わず抱き締めずにはいられなかった。
「……あったかい」
「木綿季も温かい、ちゃんと生きてるんだな……」
「……うん、ボク、生きてる……」
「……なあ、俺たちの関係って……変わらないよな?」
「勿論だよ。兄妹だけど血は繋がってないんだし。ボクたちが恋人同士ってのは絶対変わらないよ……」
「……そうか、そうだよな……」
「……うん♪」
木綿季はそう言うと、大好きな和人の胸板に額をこすり宛て、顔を埋めこんでいた。和人の身体に両手を回し、小さい体で精一杯包み込むようにして和人を感じていた。
「ね、寝れるまでこうさせて……?」
「いいぞ、全く……相変わらず甘えん坊だな」
「甘えん坊でもいいもん、ボクは……和人がいてくれれば、それだけで幸せだから……」
「……ありがとな」
「ねえ和人、ずっと一緒にいてね? ボク、和人がいなくなっちゃったら……多分生きていけない……」
「何言ってんだ、当り前だろう? 俺はずっと木綿季の傍にいる、何回も言ってるだろ?」
「……うん、でも和人ってほっといたら勝手にどこか行っちゃいそうな感じがするんだもん……」
「……う、それは今までの行いからも否定出来ないっていうか……」
「ほらー!」
「あはは、悪い悪い」
それからも二人は他愛のない会話を繰り返した。この先何をしていこうか、将来の夢は何か、どうやって学校生活を送っていこうかなど、明るい未来の話に花を咲かせていた。1時間ほど話し込み、時刻は現在夜中の23時になろうとしていた。養子縁組届を提出する川越市役所の業務開始時間は朝の午前8:30から夕方17:15までとなっている。
慌てる必要はないが期末試験を控え、大事な時期を抱えている直葉もいるため、なるべく早い時間にいって届け出をしてあげた方がよさそうだ。夢中になって話していた和人たちにも漸く眠気がやってきたようだった。大きなあくびをし、瞼をゴシゴシと擦り、目を閉じれば今すぐにでも夢の世界へ旅立てそうだった。
「ふわぁ……いい感じに眠くなってきたな」
「うん……、寝よっか……」
「そうだな……そうしよう」
「……おやすみ、かずと……」
「おやすみ、木綿季……」
この日、桐ヶ谷家の人間は各々様々な想いを胸に床についていた。明日書類を一枚提出し、受理されれば木綿季は正式な桐ヶ谷家の一員となる。峰嵩と翠は木綿季の親に、直葉は姉に、そして和人は兄になる。元々は三人家族だった家庭に和人、そして木綿季と次々に養子が舞い込んでくるこの家族は、他所よりも複雑な事情を抱えた家庭と言えるだろう。
しかし、その家族の絆だけはかけがえのないものだった。大事なのは血のつながりではない。お互いを感じあう心だ。これからもこの五人の家族は互いを信じあい、心を通じ合わせ、苦楽を共にして生きていく。困ったときは助け合い、嬉しいときは喜び合い、そんな家族になっていくだろう。
やがて時刻は深夜の0時を過ぎ、日付が変わっていた。各々様々な思いを胸に抱きながら、静かに眠りについていった。
そして、夜が明けた――。
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翌朝 西暦2026年11月3日 火曜日 午前 8:35 埼玉県川越市 川越市役所 市民課
「おーい木綿季、こっちだぞ」
「あ、ま、待ってよ……!」
上着のズボンに手を突っ込みながら歩いている和人を、木綿季はぎこちない足取りで追いかけていた。家族全員でこの市役所に足を運んだはずなのに、木綿季だけが緊張してしまっており、翠たちに少し出遅れてしまっていたのだ。心臓をドキドキさせながら和人たちを追いかけた木綿季が辿り着いたのは、川越市役所内にある市民課の窓口であった。そこには既に翠、峰嵩、直葉と、今回証人を名乗り出てくれた倉橋と香里の姿があった。
川越市役所は1972年に本庁舎が完成した古い建物だ。全体的に白を基調とした昭和らしい建物となっていた。壁や天井、床も煤けており、場所によってはヒビが入り込んでいて、建物の年季を感じさせるほどだった。大きな地震が来たら耐えられないのではないだろうか? 市民課の窓口から見える内部には、役員たちが朝から忙しそうに書類の整理等の公務をこなしていた。その他にも生活福祉課、障がい者福祉課、福祉推進課に勤める役員たちが、それほど広くない市庁舎内で忙しそうに動き回っていた。
「初めまして、倉橋先生。和人達の父親をやっております、桐ヶ谷峰嵩と申します。本日はわざわざこんなところまでお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ初めまして……、木綿季君の主治医の倉橋です。こちらは彼女の栄養士でもあり、作業療法士でもある高橋香里君です」
「……初めまして」
「初めまして、本当にここまでよく来てくださいました」
倉橋と峰嵩、そして香里は挨拶を交わすと、固い握手を交わしていた。木綿季ただ一人の為に、ここ川越まで足を運んでくれたのだ。独りぼっちだった木綿季が、再び手に入れた家族という温かいものを、より輝かせようと前に進むのを応援するために、その瞬間を目に焼き付けるためにやってきてくれたのだ。
「倉橋先生、ありがとうございます」
「いえ、長年君を診てきた身としては……、今回の件について見届ける義務がありますから……」
「気難しいこと言っちゃって―、正直に言えばいいじゃないですかー。娘の新たな門出を祝いたいってー」
「か、香里君……!」
「あらあら、先生ったら、そうなんですの?」
「う……ううむ……、は、はい……」
畏まったように話していた倉橋であったが、香里に横やりを入れられると、珍しく慌てふためき、右手で頭を抱えていた。そんな滅多に見られない倉橋の姿を見た一行はくすくすと笑い、そのお陰で緊張していた木綿季にも笑みが浮かんでいた。木綿季に負けず劣らず明るい性格をしている香里のおかげで場の空気が柔らかいものへとなっていた。
「さてと、あまり役所内で騒ぎ立てるわけにもいかないし、早いとこ済ませてしまおうか……」
「そうですね……」
峰嵩がそう言うと翠は予め用意しておいた川越市民用の養子縁組届の書類を鞄から取り出し、記入漏れがないかどうかチェックを施した。既に木綿季を除く桐ヶ谷家の人間が書き込む項目は既に埋まっており、残るは木綿季本人の記入欄と、証人である倉橋と香里の記入欄だけであった。倉橋達は先に翠から書類を預かると、そこから一番近い用紙記入台まで足を運び、備え付けのボールペンで自分の氏名、生年月日、現住所、本籍を書き記し、持ってきた認め印を朱肉につけ、しっかりと判子を押した。これで証人覧の書き込みは完了となる。
「さ、木綿季……」
「う、うん……!」
和人が次は木綿季の番だと促すと、木綿季も用紙記入台まで歩み寄り、倉橋からペンを受け取り、自分の書かなければならない項目を見つめ、確認しながら一つ一つ空白を埋めていった。自分の氏名や生年月日の他に、実の両親の氏名、紺野家の本籍などなど、自分に関係する所全てに書き記していった。
3分ほどの時間をかけて一つ一つ注意深く確認しながらペンを動かしていくと、残る項目はいよいよ、これから木綿季が名乗る姓を決める箇所だけとなっていた。一昨日までの木綿季ならここで迷いを抱えていただろうが、今は違う。実の姉から勇気をもらい、背中を押してくれたこともあり、どちらの姓を名乗るかはもう心に固く決めていたのだ。
最後に残った項目を書き込んでいる木綿季を、和人たちは数歩離れたところから見守っていた。一生付き合うことになる姓、それを決めるために書類にペンを走らせている姿に、今度は和人たちが緊張の渦に包まれていた。木綿季は書き間違いがないよう慎重に筆を進めていた、一文字一文字確実に書いていき、全て書き終わると最後に自分自身で間違いがないか、再び隅々までチェックした。
やがて間違いがないことを確認すると「よし……」と小声で呟き、向きを180度変えて、桐ヶ谷家の大黒柱である峰嵩に両手で差し出した。峰嵩は差し出された書類を同じく両手で受け取ると、木綿季の入籍する戸籍の箇所に視線をやっていた。その峰嵩の顔の横から翠、直葉、和人が覗き込むようにして峰嵩と同じところを見ていた。
「ゆ、木綿季……」
「木綿季……!」
「……本当に、いいんだね?」
「……嬉しいわ……」
「えへへ、よろしくお願いします……!」
木綿季が入籍する戸籍に書き込んだ名前、そこには「桐ヶ谷 木綿季」と書き記されていた。和人たちは木綿季が自分達と同じ姓を名乗ってくれることに嬉しくなり、直葉は涙まで流して喜んでいた。木綿季はそんな予想以上の桐ヶ谷家の歓迎ムードに照れくさくなり、顔を赤らめてほっぺを人差し指でぽりぽりとかいていた。
峰嵩と翠はその場にいる全員とアイコンタクトを交わし、全員の心の準備が整ったところで、夫婦足並みを揃えて市民課の窓口まで足を運び、近くにいる役員に「すみません」と声を掛けた。役員は還暦を越えているような年配の人で、もうすぐ定年退職を向かえそうな風貌をしていた。
役員は峰嵩から書類を手渡されると、項目の一つ一つを入念にチェックしていき、どこにも間違いがないことを確認すると、卓上に置いてある役所印を朱肉につけ、ポンとじっくり書類に判子をぐりぐりと押し当てた。役員が判子を離すとそこにはしっかりと、木綿季の養子縁組が認められた証が記されており、無事に木綿季の養子縁組は受理された。
木綿季はこの瞬間、晴れて「紺野 木綿季」改め「桐ヶ谷 木綿季」となり、正式に桐ヶ谷家の一員となった。受理されるやいなや、木綿季は満面の笑顔を浮かべ、家族に迎えられたことを喜んでいた。和人達も、木綿季が新たな門出を迎えられたことを、心から祝福していた。
「わあ……」
「……やったな、木綿季」
「今日から正式な家族だよ! 木綿季!」
「……今晩は、お赤飯でも炊こうかしら……」
「改めてよろしく頼むよ、木綿季」
「おめでとう、木綿季君……」
「木綿季ちゃん、おめでとう!」
「うん……うん、お父さん……お母さん、和人に直葉。それに……倉橋先生と香里さんも、ありがとう……、本当にありがとう……」
木綿季は自分の養子縁組に力を貸してくれた人たち全員に感謝の言葉を送っていた。身内を全て亡くし、絶望の淵に叩き落とされていた木綿季だったが、今ここに再び温かい家族を手に入れることが出来た。どんなものにも代えられない、かけがえのない一生の宝物を手にすることが出来たのだ。
木綿季はあまりの嬉しさに、連日また嬉し涙を流していた。顔を赤らめ、頬を濡らし、拭っても拭っても止まらない涙を、木綿季は笑顔を見せながら両手で拭っていた。やがて彼女が少しずつ落ち着いてくると、和人は一歩木綿季の前に出て右手を伸ばして、優しく声を掛けた。
「木綿季」
「……?」
ここまでのご愛読、誠にありがとうございます。木綿季は「紺野木綿季」を卒業し「桐ヶ谷木綿季」として生きていくことを選びました。姉の藍子さんの妹である木綿季への幸せを願う気持ちが、木綿季の背中を押した結果だと思います。やはり藍子さんは木綿季にとって和人と同じぐらい特別な存在だったのでしょう。
さて、物語は終わりませんが日常編の序盤はひと段落致しました。新たな感覚と心持で、木綿季はこれからを過ごしていけることでしょう。これからは本当に木綿季にやりたいことをやらせてあげて、毎日を幸せに過ごさせてあげたいです。
と言いつつも、日常編は新たな局面を迎えます。と言いますのも、物語のスポットが和人と木綿季から恭二君と詩乃へと移ります。
そうです、ボク意味がファントム・バレット編へと突入いたします。GGOへはログインしないので現実世界での戦いがメインとなります。恭二君は兄とどう距離を取っていくのか? 和人達はどう関与していくのか? 詩乃はどうなるのか?
そして過去話の文章修正と挿絵追加もちょいと本腰入れて取り組むことにします。Twitterや活動報告でも状況をお伝えしてまいりますのでチェックしていただければと思います。
それでは、次回からのボク意味にもご期待ください!