ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味   作:むこ(連載継続頑張ります)

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 こんにちは、この物語もいよいよ佳境に入ってまいりました。
 今回の72話、ちょっと文字数詰め込みすぎてしまいまして、20.000文字をオーバーしております。こんなに長文化するのは久しぶりですね。
 それぐらい気合を込めました。

 それでは、彼らの闘いをご覧下さいませ。
 


第72話~死闘、死銃対死銃~

 

 

 私は人を殺した。この手で、人を殺した。大切なものを守るため、引き金を引いた。

 ちょっとだけ怖かったけど、勇気を振り絞った。

 いや違う、勇気とかどうとかじゃない。なりふり構っていられなかっただけだ。そうしないと母さんを守ることが出来なかった。

 

 なんとか、守ることが出来た。脅威は消え去った。でも、それは一件落着とは程遠い結末だった。

 

 母さんの見る目が、私を見る目がその日から変わってしまった。

 この世のものとは思えないような、恐ろしいものを見たような目で、私を見ていた。

 

 私は血まみれだった。私が殺したあの男の流れ出た紅い血で、真紅に染まっていた。

 

 自分が何をしてしまったか理解した時、私の意識は途切れた。

 

 

 

――――――

 

 

 

 西暦2026年 11月17日(火)午後12:13 東京都文京区湯島 詩乃のアパート

 

 

「…………ッ」

 

 複雑な表情をしながら、朝田詩乃は目を覚ました。

 今日は平日、学生は勉学の為学校に、社会人は働きに会社に行かなくてはならない日だ。

 

 高校生である詩乃も、当然学校にいてしかるべきなのだが今のこのお昼時に、彼女は自宅のベッドで目を覚ました。

 

「また……あの夢……ッ」

 

 折角忘れかけてたのに、あの男の顔を、忌々しい記憶をまた思い出してしまった。

 母さんを守るためとはいえ、私は一人の人間の命を奪った。

 

 ああするしかなかった。あの状況で何か(・・)出来るのは私しかいなかった。私がやらなかったら、誰が母さんを守ったというの?

 

 誰も守ってくれないなら、私がやるしかない。

 例えそれがどんな結果になろうとも、私がやるしかなかった。

 今生きてるこの瞬間に抱いてるこの胸の苦しさも、その代償なのだから。

 

「…………」

 

 まるで覇気が見られない詩乃は、ゆっくりと上体をベッドから起こし、枕元に置いておいた自分のスマートフォンに手を伸ばし、現在の時刻を確認する。

 

「……大遅刻……ね」

 

 正午を過ぎた時刻表示に、詩乃はやれやれといった顔つきで目線を送っていた。

 そして傍らへとスマホを置き、下半身に力を入れてゆっくりと立ち上がる。

 

 徐に自分の勉強机の引き出しを開けて、中に仕舞ってあるモデルガンに手をかけた。恭二と一緒に組み立てたモデルガン。

 女の子の詩乃でも、グリップ部分にすっぽりと掌が収まるサイズだ。

 

 手に持つだけでなく、あの時(・・・)と同じよう、両手で持ち、構えてみせる。

 

「……大丈夫みたいね……」

 

 あんな酷い夢を見た後でも、銃の形をしたものは触れるようだ。これも彼の協力のたまもの……なのだろう。

 彼がいたから、今の私は私でいられる。

 朝田詩乃として、シノンとして生きていられる。

 

「……恭二……くん……」

 

 私は彼が好きだ。いつも傍にいてくれて、優しく微笑んでくれる。

 私が素っ気ない態度をとった時でも、ドライな反応をした時も、思いっきり機嫌を損ねた時でも、いつも愛想よくニコニコ笑ってくれていた。

 

 ……そういえば、彼はどうして人殺しの私にずっとこんなに優しくしてくれているのだろう?

 思い返してみれば、私が自分の犯した罪を自分から明かしたのも彼が初めてだ。

 

 どうして彼に話したかはわからない。でも不思議と彼になら話してもいいかなって思った。

 だから話したんだ。

 

 秘密を明かしても、彼は私への態度を変えなかった。むしろより一層優しくしてくれた。

 それが哀れみや同情といった感情から来ているものなのかはわからない。

 そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 でも、私は彼といる時間が心地いい、そして安心出来る。彼は私に安心をもたらしてくれる。

 

 仮に、仮に恭二君にどんな秘密があったとしても、私は彼を受け入れる。

 だって、彼は私を受け入れてくれたから。こんな犯罪者の私を、優しく受け入れてくれたから……。

 

「……今日は学校、休もうかな……」

 

 今朝見てしまった夢のせいで、学校なんかどうでもよくなった。どうせ一日くらい休んだところでそこまで成績に影響が出る訳じゃあない。

 

 埋め合わせは効くし、こんな気分で授業に出ても、内容が頭に入ってこないだろう。

 それに、彼の……彼のことが気になってしょうがない。

 

「……恭二君……ッ」

 

 昨晩何回、何十回と彼の携帯に電話をかけた。しかし、彼は一向に電話には出なかった。

 ただ単に気まずくて話せないだけなのか、はたまたそれとは、別の要因で電話に出ることが出来ないからなのか。

 

「…………」

 

 そうだ、腐ってる場合じゃない。私にも何か出来ることがあるはずだ。

 こんな私を支えてくれたのは他でもない、恭二君じゃないか。

 それなら今が、彼に恩返しをする時だ。今が……その時だ。

 

「……ん、あら……?」

 

 ポロロンというサウンドとバイブレーションと共に、詩乃のスマホのディスプレイに新しい通知が表示されていた。

 どうやらLINEメッセージの通知欄のようだ。

 

「キリトから……、何の用かしら……」

 

 詩乃が通知をタップし、メッセージに目を通すと、そこには驚くべき内容が書かれていた。

 彼らしく、長ったるくもわかりやすい文言で、緑色のウィンドウに白い文字がズラーッと並んでいる。

 

「……え、こ、これは……」

 

【シノン、全部わかった。今世間を震撼させている、この死銃(デスガン)事件のことが、何もかもがわかった】

 

「……何ですって……?」

 

【まず、新川昌一は今回の真犯人と見て間違いない。今日、セブンから知恵を借りて、菊岡さんに裏を取ってもらったんだ。ヤツが自分の病院から盗み出したと思われるマスターキーのIDログが、被害者宅のセキュリティに記録されていたんだ】

 

「…………ッ」

 

【そして病院側に問い合せた結果、保管されてるはずの特注の注射器と、劇薬がなくなってる事がわかった。恐らくはこれも昌一が盗み出したんだと思う】

 

「注射器……劇薬……?」

 

【この死銃(デスガン)事件は、アミュスフィアに細工をしたとか、神の力だとかそんなもんじゃない。ちゃんと仕組みが……トリックがあったんだ】

 

「トリック……?」

 

 次から次へと目に入ってくる新しい情報に、詩乃は正直困惑の表情を隠せなかった。

 確かに昌一が真犯人で恭二が脅されているという仮説を立てたのは彼女だ。

 

 しかし、こうも次々に考えていたことが的中すると、逆に気味の悪いものがある。

 冷や汗を垂らしながら、起きたばかりで顔も歯も磨いていないことを忘れて、詩乃は和人からのメッセージをスクロールし続けた。

 

「…………」

 

【仕組みはバカバカしいくらいに単純だ。まず恭二がGGOに昌一のアカウント、死銃(デスガン)のアバターでログインする。昌一はその間、マスターキーを使用してターゲットの自宅に侵入。そして時間とタイミングを合わせ、仮想世界と現実世界、同時にトリガーを引く。これだけだ】

 

「……何よこれ、こんな……、こんなことが……?」

 

【何も知らない人間が傍から見たら、死銃(デスガン)の力で殺されたと思うだろう。でもフタを開けてみたらなんてことない。そう見せかけていただけだったんだ】

 

「…………」

 

【そして決定的だったのは、被害者候補として挙げられていたGGOプレイヤーの家で張ってた網に、ヤツがまんまと引っかかったことだ。ターゲットの自宅に侵入しようとしていたヤツは張り込みしていた私服警官に見つかり、職務質問され、逃走を試みた】

 

「…………」

 

【しかし一般人が警官を振り切れるはずもなく、身体検査で出てきた注射器とマスターキーが仇となり、窃盗罪、及び不法侵入未遂で現行犯逮捕されたよ】

 

「逮捕……された?」

 

 犯人が逮捕された? こんなにもあっさりと?

 さっき……つい今さっき彼の助けになると誓ったばかりなのに。

 私は……何をした? 何もしてないじゃないか。結局私は何も出来ない、無力でちっぽけな存在ってことなの……?

 

「……私は……」

 

 いや、何を残念がってるんだ。事件は解決したんだ、彼も助かったんだ。なら……それで良かったじゃないか。

 もうあの人殺しの言う事を聞く必要なんてない。ビクビクしながら暮らす必要も無い。

 

 また彼と一緒に笑うことが出来る、色んなところに出掛けることも出来る。

 彼は奥手な所があるから、私がしっかりしないと、うん。

 

「……私が、しっかりしないと……」

 

 釈然としないまま、詩乃はモヤモヤを心の奥底に無理やり仕舞い込んで、詩乃は洗面所へと足を運ぶ。

 物凄い夢を見た時、人は朝から脱力感に見舞われ、その日一日は、別にどうでもいいかなという感覚に陥る。

 今の詩乃も、正にその状態なのだが、彼女には一つだけやらなくてはならないことがあった。

 今から学校にいくわけでもない、買い出しにいくわけでもない。もっともっと大切な用事だ。

 

「ン……ッ」

 

 顔に石鹸をつけ、ゴシゴシと手で擦る。覇気のなくなった顔に気合を入れるかの如く、一生懸命洗っていく。

 切り替えるために、自分の腐った部分を洗い流すかのように、泡立った顔に水をかける。

 

 一通り流し終え、脇に下げてあるタオルで顔を拭う。毎日毎日やっていることだ。

 しかし今日はどうも、サッパリしない。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……酷い顔ね……」

 

 鏡越しで見ると、覇気の無さが目に見えてわかる。目の下にはクマがあるし、疲労感が滲み出ている。さらにはダボダボの白いワイシャツが、だらしなさに拍車をかけている。

 試しに笑顔を作ってみたが、とても素敵と言えるものじゃあない。どことなく引き攣っている。

 

 自分は何をやっているんだという気持ちに苛まれながら、詩乃は洗面所に背を向けて再び部屋へと戻る。

 

 さて、これからどうしたものか。和人のメッセージの意味をそのまま受け取るとするならば、死銃(デスガン)事件は解決したようだ。

 私の心配をよそに、赤眼のザザは無事に御用。

 

 これ以上人が死ぬこともない、仮想世界で変な噂が立つこともない。また安心して毎日を過ごせる。楽しい時間の中にいられる。

 

「…………ッ」

 

 そう思っていたはずだった。

 しかし何故かはわからないが、この心の中のモヤモヤがすっと晴れない。

 全てが丸く収まったって言うのなら、何でこんなにスッキリしないのだろう?

 

 いやそうじゃない、きっと私は……何もやれなかった自分自身にやきもきしているだけだ。

 自分の無力さに納得いっていないだけなんだ。

 

 そうだ、きっとそうに違いない。きっとそうだ、そうに……違いないんだ。

 

「……そうだ、彼に……会いに行かないと……」

 

 私の問題なんてどうでもいい。彼が……彼のことが気になる。

 会いたい、彼に会いたい。恭二君に……、恭二君に会いたい……ッ。

 

「恭二……くん……ッ」

 

 彼のことを考えると、胸が締め付けられる思いがする。体の調子が……気分が悪いこともあるが、何だか良くない胸騒ぎがする。

 

 もう大丈夫なはずなのに、全部終わったはずなのに、不吉な感じがする。

 

「……会わなきゃ……ッ」

 

 重い体を無理やり動かして、外出するために支度をする。いつもならば学生服に身を包んでいる時間帯だ。

 別に学校をサボタージュするのはこれが初めてではないが……、自分の意思でサボるのは初めてかもしれない。

 

 別に、そんなことは今はどうでもいい。

 私は……ただ彼に会いたいだけ。ここから十分ばかり歩くだけ、あってその顔を見て安心したいだけだ。

 恭二くん……、恭二くん、恭二くん……ッ!

 

(今からそっち行くね、恭二くん)

 

 詩乃は私服に着替えると、財布と携帯だけを持って家を出た。彼に会うために、また以前と同じように一緒に笑うために。

 

 そして何より、今度こそ彼に、この気持ちを伝える為に……。

 

 

 

――――――

 

 

 

 同日同時刻 東京都文京区湯島 東京メトロ湯島駅前

 

 

「……最近どうも何かと東京に用があるな……」

 

「えへへ、そうだね」

 

 自身の後頭部をポリポリとかきながら、和人は湯島駅の入口の外へ出た。

 本当は和人一人で来るはずだったのだが、死銃(デスガン)が捕まったという事実を聞き、恭二の様子を見るだけならと、木綿季も付いてきたのである。

 

 平日のこのお昼時、文京区の駅前は通学する学生の姿はなく、外回りのサラリーマンや駅前の店へ買い物客がよく目立つ。

 しかし東京二十三区の一つの駅前とだけあって、川越駅前とは人口密度が全然違う。

 

 和人たちの目の前を通り過ぎる人だけを見ても、二倍三倍、もしくはそれ以上に人が行き交っている。

 

「さてと、恭二の家は確か……シノンの家の近くだったよな」

 

「事情聴取を取るために任意同行を求められるかもって言ってたから、その前にお話できたらいいね」

 

「ああ、そうだな」

 

 死銃(デスガン)は逮捕され、騒がれていたこの一件はとりあえず幕を閉じる。

 今回、ヤツに殺害された被害者は公には二人となっているが、明るみになっていないだけで、他にももしかしたら殺されているかもしれない。

 

 余罪の追求、事件の裏側、それらを全て聞き出すために、取り調べはすぐに始められるだろう。

 その際には、今回の事件の関係者として恭二やその家族も、署まで同行を求められることになる。

 

 当然、情報提供をした俺やセブン、菊岡さんも話をするために行くことになる。

 かなり長い拘束時間になるだろうが……、致し方ない。そんな事よりも、恭二の無事をまず喜ばなくてはいけない。

 

「恭二……大丈夫、じゃあないよな……」

 

 青空を見上げながら、スマホのナビに従い、和人はボソッと呟いた。

 木綿季もトコトコと足踏みよく、彼の後について行っている。

 

「んー、仲が良くなかったって言ってたけど、それでも家族が逮捕されるってのは、結構くるんじゃあないかな……」

 

「……やっぱり、そうだよな……、親父さんもこれから大変だろうな……」

 

 これから、新川家は大変な大騒ぎに見舞われるだろう。

 自身が運営している病院で、実の息子が備品を盗み出した。しかもそれは厳重に管理されている劇薬だ。

 更にそれらを用いて人を殺めてしまっている。会見や辞職だけでは済まない。下手したら病院そのものがなくなるかもしれない。

 

 そうしたら恭二はどうなるんだろうか? 普通の生活を続けていられるのだろうか?

 それからも医者を目指すのだろうか? それとも違う道を探すのだろうか?

 

 ……考えても仕方が無いことだ。何せ俺は恭二じゃない。彼の人生のことは彼にしかわからないから。

 これから先の道を彼がどう歩いていこうとも、それは彼が決めることだ。俺はそれを見守ることしか出来ない。

 

「……だけど、背中を押すことくらいは出来るよ……な?」

 

「ん……、そうだね。ボクたちが……恭二の力になってあげられれば……いいよね」

 

「……そうだな、そうだよな……」

 

 右手にスマホを、左手で木綿季の手を握りながら、和人は一緒に恭二の自宅へと向かう。

 恐らく彼は何も知らない、知らされていない。

 実の兄が逮捕され、事情聴取や病院にガサ入れが入るであろうことも。

 

 だから、俺が全て話してあげなくては。

 もしかしたら、彼も知っているかもしれない。だとしても、誰かが彼のそばにいてあげなくちゃ。傍にいて、安心させてあげなくては。

 

「…………」

 

「和人何してるの? 行こっ」

 

「……え? あ……、ああ……そうだな」

 

「くすっ、変な和人……♪」

 

 色々思うところはあるが、それは恭二に会ってからでも遅くはない。

 そう思いながら足を数歩動かした、その時だった。

 

「……ん? メッセージだ、……菊岡さん?」

 

 ナビに従って歩を進めると、見慣れた名前からメッセージが届いている。

 和人がすぐにタップして内容を確かめてみると、のんびりしていた和人の表情が、穏やかではなくなっていった。

 

「どうしたの? 和人?」

 

 木綿季に声をかけられるも、和人は慌ててどこかへ通話をかけようとしていた。

 彼をここまで急がせるようなことが、そのメッセージには書かれていたようだ。

 

 歩いていた足の動きを止め、スピーカーから聞こえる呼び出し音に耳を傾ける。

 早く出ろ、早く出ろと急く気持ちを胸に抱き、相手方に通信が届くのを待つ。

 幸いにも、向こうからメッセージを送ってきたこともあり、ワンコールで相手方は通話に応答してくれた。

 

「も……もしもし、菊岡さんか!?」

 

『キリト君かい!? まずい事になった……』

 

「おい菊岡さん、これ……一体どういうことなんだよ!?」

 

『済まないキリト君……、これは想定外だった……』

 

「想定外って……、そ、そんなことよりも、俺はこれからどうしたらいい!」

 

 和人は完全に焦っていた。嫌な汗が吹き出し、呼吸が荒くなっていくのを感じていた。

 

 目の前の現実が信じられない。馬鹿な、こんな、こんなことがあってたまるか。こんなこと信じられるかと、事実を受け入れられないでいた。

 

『君は今どこにいるんだい?』

 

「文京区の湯島駅前だよ、今から恭二の家に行くところだったんだ!」

 

『……近いな……、キリト君、彼の自宅にこちらから直ちに警官を向かわせる』

 

「警察を……?」

 

『ああ! 先に突入するなんてバカな真似はよしてくれよ? 決して無茶はせずに、警官の到着を待ってくれ!』

 

「なっ……間に合わなかったらどうするんだよ!」

 

「間に合わせる! だからそれまで決してそこを動かないでくれ!」

 

「ご……護衛はどうしたんだよ! 一人つけていたはずだろ!?」

 

「す……すまない、死銃(デスガン)を逮捕したときに連絡を回し、もう大丈夫だと判断して、今は護衛の任を解いてしまったんだ……」

 

「な……なんだって……」

 

「だがもう警察は動いている! だから決して早まらないでくれよ!」

 

「……くッ、わ、わかったよ……ッ」

 

 必要な話だけ済ませると、和人は迅速に通話を終了させ、ナビアプリに従って恭二の自宅へと急ぎ、足を動かした。

 

 馬鹿な真似はよせだと? 早まるなだと? ふざけるな、今から警察に通報して到着を待っていたらそれこそ手遅れだ。

 それに何より警察は目立ちすぎる。用心深い奴がそれに気付かないはずがない。

 

「急ぐぞ、木綿季!」

 

「え……? わっ!」

 

 左手で木綿季を引っ張りながら、人混みを避けながら彼の住んでいるアパートを目指す。

 

 事件は解決したはずなのに、死銃(デスガン)は逮捕されたはずなのに、何故彼はここまで焦りの表情を見せているのか。

 

 全ては全員の認識の違いから起こってしまったことだ。

 和人も詩乃も、木綿季も菊岡も、全員が全員、大きな思い違いをしていたのだ。

 

 都内からの電車圏内だけとはいえ、死銃(デスガン)は何故短期間で広範囲にわたり、GGOプレイヤーを殺害することが出来たのだろうか?

 

 恭二という協力者がいたとはいえ、そうやすやすと上手くいくはずがない。

 GGO最大のイベント、BoB(バレット・オブ・バレッツ)のような大きな大会では、より多くのプレイヤーが同じフィールドに集まる。

 

 強豪プレイヤーも湯水のように集まる。当然プレイヤーは皆が皆違うところに住んでいる。関東に住居を置いていないプレイヤーも多い。

 

 そんな中、全員を死銃(デスガン)がアバター撃ち殺し、それに合わせて現実世界でもプレイヤー本人を殺すなんてことは、流石に限界がある。

 

 綿密に計画を立て、首尾よく行ったとしても、同日に殺害出来るのはせいぜい一人か二人といった所だろう。

 

 その弱点を考えれば、発送を逆転させれば、もっと効果的に動くにはどうすればいいか? その答えは実に簡単なことだ。

 

 

 死銃(デスガン)は、もう一人いたのだ(・・・・・・・・)

 

 

 やむを得ず協力している恭二、今回の黒幕である昌一、そしてその他にももう一人、第三の死銃(デスガン)なる人物がいる。

 

 つい先刻逮捕された死銃(デスガン)というのは、この第三の死銃(デスガン)だったのだ。

 昌一と同じくSAOサバイバーで、同じギルド笑う棺桶(ラフィン・コフィン)に所属していた幹部の一人、ジョニー・ブラックこと金本淳。

 

 この人物こそが、昌一とエリアを分かち、ターゲットを殺害していた第三の死銃(デスガン)、というわけなのであった。

 

 この事実を昌一が知ってしまったら、一体どうなるか?

 疑り深く、用心深い昌一は内通者、つまりは裏切り者がいると考えるだろう。

 

 つまりは、その疑いの目は弟である恭二に向かう。兄弟仲は良くなく、友達を見えない人質に取り、脅迫まがいのことまでして無理矢理協力させている。

 いつ謀反が起きても不思議ではない状況下に置かれた恭二を疑うのは、極自然と言える。

 

 湯島駅から恭二のアパートまでは走って首尾よく行っても凡そ十五分。死銃(デスガン)が逮捕されたのは今から約一時間前。

 

 用心深い奴にとっては、異変に気付かれてもおかしくないほど時間が経過している。

 事は一刻を争う。一秒でも早く、警察よりも早く彼の元へと辿り着かなくては。

 

 少年は少女の手を引き、最悪の事態を避けるために、走り続けた。

 

 

 

――――――

 

 

 

「はァ……はァ……ッ」

 

「はッ……、はッ……」

 

 呼吸を乱しながら、汗をかきながら、二人は走り続ける。早く行かなくては、彼が危ない。

 そんな気持ちだけを抱いて、和人は目的地に向かい、地面を蹴り続けた。

 その度に二人の衣服が風になびき、木綿季の長い黒い髪の毛が大きく揺れる。

 

「か……和人、まって……ッ」

 

 和人の手をパッと離し、木綿季は項垂れて激しく息を乱し、ガックリと項垂れてしまっている。

 地元横浜の、急な坂を平然と登る持続力があっても、激しい運動を継続してやるだけのスタミナが、彼女にはまだなかったのだ。

 

 心臓の鼓動が早くなっている。肺も締め付けられているみたいに苦しい。

 昔クラスで一番運動出来たボクが、たった五分間走り続けただけで、こんなにも音をあげてしまっている。

 

 やっぱり今のボクは退院出来たというだけで、基礎体力はこれっぽっちしかないんだ。

 もっと……もっと運動していかないと、これから先苦労しちゃいそうだな……。

 直葉に、今度本格的に剣道教えてもらおうかな……。

 

「ゆ、木綿季!?」

 

 下を向いて肩で息をしている木綿季に、和人が心配そうに近寄り、かがみ込んで彼女を気遣う。

 

「だ、大丈夫……、ちょっと疲れただけだから……ッ」

 

 木綿季も大したことないと、逆に和人を気遣い、心配させまいとニコッと微笑む。

 しかし、木綿季の性格をよく知ってる和人は、それが強がりだということがわかっていた。

 

(し、しまった……、木綿季の身体のこと、すっかり忘れてた……)

 

 三年間寝たきりだった木綿季の体は、日常生活を送る程度ならば問題ないくらいの体力はある。

 しかし、激しい運動を継続させるには、まだまだ無理があったのだ。

 

 半年間リハビリをこなしただけでは、その域までには至らない。

 もっと本格的なトレーニングを重ねていかなくては、とてもじゃないが昔通りとまではいかないだろう。

 

「……ごめんね和人、足……引っ張っちゃって……」

 

「いや……俺の方こそ悪かった……、お前の身体のこと、全然考えてなくて、突っ走っちまって……ッ」

 

「大丈夫……だよ……ッ」

 

 こんな状態の木綿季をまたおいそれと連れ回すわけにはいかない。

 かと言って、今は急がなければならない理由がある。どうすればいい、一体どうすれば……。

 

「和人、先に行って……? 急がないといけない理由があるんでしょ……?」

 

「え……」

 

「ボクなら大丈夫だから、そこの公園でちょっと休んだら……和人の後に続くから……」

 

「で、でもお前を置いてなんて行かれるかよ!」

 

 木綿季の気遣いに、和人がそんなこと出来ないと心配そうな表情を見せると、木綿季はまたニコッと笑顔を見せ、彼の手をそっと片手で握り締めた。

 

「大丈夫だよ、本当にちょっと疲れちゃっただけだから。それに……スマホもあるんだし、後からでも辿り着けるよ?」

 

「……で、でも……」

 

「行って和人、じゃないとボク、和人のこと嫌いになるよ?」

 

「え……っ」

 

 優柔不断な和人の態度に、木綿季は眉をひそめて厳しい剣幕ではやし立てた。

 今はボクのことよりも、恭二の方を考えて。今、和人の助けを一番必要としてるのはボクじゃない。恭二なんだよと、目で和人に訴える。

 

 曲がったことが大嫌いで、真っ直ぐぶつかりにくる木綿季の性格を、和人は知っている。

 こうなってしまうとテコでも動かないことも、よく知っている。

 

「……和人!」

 

 行って和人、行って……恭二を助けてきて。それが出来るのは、君しかいない。和人しかいないんだ!

 

 行って、行って和人! 行け……、行け! 和人ッ!!

 

「…………すまないッ、すまない木綿季ッ! ありがとう……ッ!」

 

 心の引っかかりを無理矢理引き剥がし、和人は木綿季を置き、一人先に走り出す。

 腕を前後に振り、懸命にアスファルトを蹴り、ひたすら前へ前へと進んでいく。

 

 急げ、急げ、急がないと手遅れになる。もっと早く走れないのか、脚がぶち折れてもいい。

 もっと早く! もっと早くッ! 一秒でも早く恭二のところに、走れ、走れッ、走れッ!!

 

(間に合ってくれ……、恭二ッ!!)

 

 

 

――――――

 

 

 

 同日 午後12:25 東京都文京区湯島 新川恭二のアパート

 

 

 都内のあちらこちらに点在する、どこにでもあるような少し古ぼけた小さなアパート。

 その中の一室が新川恭二の自宅となっている。

 廊下にはエアコンの室外機と、ちょっと塗装が剥がれた洗濯機が置かれている。いずれもここのアパートの備え付けのものだ。

 

 そんなアパートの恭二の部屋に、十代後半の男子が一人、成人男性が一人いる。一人は椅子に腰掛け、ベッドに横たわっているもう一人の男に視線を送っている。

 

 椅子に腰を下ろしている男は新川恭二、この部屋の家主である。そしてベッドで横になり、アミュスフィアを被っている男は、彼の実の兄、新川昌一だ。

 

 そのアミュスフィアにはガンゲイル・オンライン、通称GGOのカートリッジが差し込まれており、彼はそれをプレイしているようだ。

 

 それからしばらくして、ゲームを終了し、ログアウトしたのか、昌一はむくりと上体を起こし、瞼をあげ、両手でアミュスフィアを自身の頭から取り外し、無言のまま佇んでいた。

 

「…………」

 

「…………?」

 

 兄貴の様子がいつもと違う、と感じた恭二を尻目に、昌一は無言のまま、ズボンのポケットに手を入れ、自分のスマートフォンを取り出した。

 

 その動作一つ一つが、何やら不気味に見えて仕方がない。細身の体が、尚更その不気味さに拍車をかけている。

 

「…………」

 

 昌一はスマホの画面を見ながら、解せない表情を浮かべている。

 考えていたことと違うことが起こったのか、ちょっとした疑問が浮かんだのか、違和感を感じているような顔つきだ。

 

 それもそのはず、今回のターゲットの殺害計画は、昌一がGGOでターゲットのアバターを銃撃し、金本淳が現実世界でプレイヤーを殺害するという流れになっていたのだ。

 

 通常、死銃(デスガン)に撃たれたアバターはフィールドならば銃撃のダメージを受け、市街地エリアのようなPK保護圏内なら、バリアに阻まれる。

 その後、現実世界で体内にサクシニルコリンを注射されたプレイヤーは心臓が停止し、アバターは苦しむような仕草を見せる。

 そして脳から信号を発信することが不可能になり、回線切断に見舞われ、撃たれたプレイヤーは仮想世界、現実世界両方から永久退場となってしまうのだ。

 

 しかし今回は違った。フィールドで奇襲したアバターは死銃(デスガン)に撃たれたにも関わらず、ピンピンしていた。

 それどころか自慢の獲物を取り出され、反撃を許してしまい、返り討ちにされてしまったのだ。

 

 想定外のことが起きたことで焦りを生じさせ、状況の判断が遅れた死銃(デスガン)は、あっさりと殺すはずだったターゲットに逆に殺されてしまったのだ。

 

 そして貴重な装備をばらまいてしまい、市街地エリアへとリスポーン。

 何故こんなことになったのかと考えながら、ログアウトし、現在に至る。

 

「…………」

 

 昌一はスマホの画面を見ながら、位置情報アプリで何やら確認をしている。そしてアプリを終了させると、今度は誰かへと電話をかけた。

 耳にあてがったスピーカーからは、何も聞こえない。相棒の番号にかけても、何も反応がない。

 

 だがしばらく待つと漸く『ガチャ』というサウンドが聞こえた。そしてそこから先、聞こえてくるであろう男の声の反応を待つ。

 

「…………」

 

『おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないため、かかりません』

 

 機械的とも言える音声ガイダンスが聞こえる。いくら待っても、その音声は何回も何回もループし、彼の耳に響き渡った。

 

 おかしい、ヤツはどうしたんだ? 計画をしくじったというのだろうか。

 いや、それは有り得ない。人の出入りが少ないアパートだということは調査済みだし、現場近くの周辺も滅多に人は通らない。

 

 しかし、しくじったからと言って、ヤツから何の連絡もなしというのは有り得るだろうか?

 これまでに計画に支障が出そうな時は、犯行の三十分前までに予め通達は来ていたはずだ。

 

 それがないということは、連絡することが出来ない状況におかれてしまったいうことか?

 それとも今までに遭遇しなかったトラブルに見舞われたというのか?

 

 だとしたらそれはなんだ? 何故ヤツの携帯は繋がらない? 何故ヤツの位置情報が、殺害現場で途切れている?

 

 何故だ? 何故なんだ? 何故――――

 

「…………」

 

 様々な思考を巡らせ、彼は一つの答えに辿り着いた。繋がらない電話、プツリと不自然に途切れている位置情報。

 そしてターゲットはログアウトせずに、生きている。殺害に絶好なこの状況下で、彼がしくじるとは考えにくい。

 となると、外部的要因、つまりは自分たち以外の介入があったに違いない。

 

 つまり、計画がバレた。

 

 今まで決して証拠を残さずに積み重ねてきた。となると、この犯行が外部に漏れる可能性といえば、もう一つしかない。

 

「…………」

 

「……何だよ、兄貴……」

 

 内通者、裏切り者だ。それしか考えられない。

 昌一は視線をスマホから恭二にうつすと、じっと彼を見つめていた。

 

 お前が、お前が教えたのか、この計画を。死銃(デスガン)計画の全てを。

 

 俺が考え、組み立て、育てたこのプロジェクトを。弟のお前が、クソみたいにちっぽけでつまらない男のお前が、この俺の邪魔をしたというのか。

 

「…………ッ」

 

 昌一はスマホをポケットに仕舞うと、ベッドから腰を上げて、ゆっくりと恭二の座っているデスクのある方へとにじり寄っていった。

 

「な……何……ッ」

 

 一瞬、恭二の意識が飛びかける。腹に覚えのない痛みと衝撃を感じ、あまりの圧迫感に呼吸が出来ない。

 何が起こったのかを認識するのに、さほど時間はかからなかった。

 昌一が、恭二の腹部を思いっきり殴りつけたのである。どこからか取り出したのか、その殴った手にはご丁寧にメリケンサックがはめられている。

 金属をグリグリと押し当てられる痛みに、恭二は悶えていた。呼吸もままならず、痛みとともに口から苦しそうな声が漏れている。

 

「ア……ッ、ガ……ッ」

 

「この、裏切り、者が」

 

「う……ら、ぎり……も、の……?」

 

 身に覚えのない疑惑の念に、恭二は困惑していた。何故兄貴は僕を殴ったんだ、何故僕は殴られたんだ。

 それに裏切り者って何なんだ。僕は兄貴の言われた通りにしてきた。僕の大切なものを傷つけさせないために、唇を噛みながら従ってきた。

 

 だのに、何で僕はこんなことになっているんだ……?

 

「ガハッ!」

 

 恭二の腹部にメリケンサックを押し当てていた昌一は、空いているもう片方の手に体重を乗せ、今度は恭二の顔目掛けて拳を放った。

 

 椅子に座っていた恭二はまともにそれをくらってしまい、積み重ねていた本棚や組み立てていないモデルガンのパッケージを派手に巻き込んで、椅子から床に転げ落ちてしまった。

 

「あ……ぐ……」

 

「お前の、ような、クズがッ」

 

 転げ落ちて横たわっている恭二の身体に、今度は足蹴りを浴びせていく。

 鈍い音が部屋に響く度に、恭二の痛さに悶える悲鳴も、部屋中にこだましていた。

 腕、脇、脚、腹、胸、様々な部位を手加減なしで何回も、何十回も蹴り飛ばす。

 

「がッ……、うグッ……」

 

「俺の、足を、引っ張った、裏切り、者がッ」

 

「……ぼ、僕は何も……して、いない……ッ」

 

「……ほう、よく、言うな、この、クズが」

 

 身に覚えがないと弁明する恭二の態度に逆上したのか、昌一は蹴るのをやめ、今度はその脚を、横たわる彼の側頭部に当て、全体重を乗せて圧力をかけ始めた。

 ギリギリと、恭二の頭に圧迫感が襲いかかる。体重の軽い昌一とはいえ、成人男性の足で踏まれてしまっては、ダメージはかなり大きい。

 

「あ……ッ! う゛……あ゛あ゛……ッ!!」

 

「いい、鳴き声だ、もっと、わめけ」

 

 かつてSAOでプレイヤーを殺害した時も、こんな感じでいたぶっていたのか。実の弟であるのにも関わらず、昌一は恭二への攻撃の手を緩めるようなことはしなかった。

 

 身内だからというのはもう関係ない。お前は俺の目の上のたんこぶだ。

 これ以上兄である俺の邪魔をするのなら、このまま死んでしまえと、弟をいたぶり続ける。

 

 しかし、元々体が弱かったことと、日頃ろくな運動をしていないことがたたったせいか、昌一は段々とスタミナがなくなり、息をあげ始めていた。

 だが、攻撃の手を引っ込めた頃には、もう恭二は虫の息も同然なほどに弱っており、立ち上がるのさえ困難な状態となっていた。

 

 不意打ちで腹を殴られ、顔を殴られ、その後も無抵抗のまま執拗に全身を蹴られ、おまけに頭を圧迫されている。

 

 身に覚えのない仕打ちに混乱しつつも、恭二はどうしてこんなことになったのかを考えていた。

 兄貴はどうして突然に冷静さを失ったんだ? それに僕が裏切り者ってどういうことなんだ?

 

「はァ……はァ……ッ」

 

 呼吸を乱している昌一をよそに、どうしてこうなったかという理由を恭二は考える。

 

(裏切り者って言ってたよな……、ということは、あの人が捕まったのか? 理由は定かではないが、恐らく尻尾を掴まれたっていうのか?)

 

 兄が狂った理由は大体すぐに察しがついていたようだ。そしてその狂った兄が、これから自分に対して何をしようとしているかも、予想がついていた。

 多分、兄貴はアレ(・・)を取り出す気だ。そして、僕のことを殺す気なんだろう……。

 

「……裏切り者は、殺す……ッ、それが、例え、弟、でもだ……ッ」

 

「ぐッ……」

 

 激しく息を乱しながら、昌一は自分の父親が経営している病院から盗み出した劇薬、サクシニルコリンが入れられた無針注射器を、懐からスッと取り出した。

 安全装置を解除し、恭二を馬乗りの体制で動きを封じ、トリガーに手をかけてその針先を恭二の胸へと当てがう。

 恭二は目をうっすらと開けながら、自身の胸部を見つめている。

 

「……死ぬのが、怖いか?」

 

 不気味な声で、昌一が恭二に尋ねる。別に怖いと答えたからと言って、彼は見逃すような奴じゃない。意味の無い質問だ。

 

「……別に、こうなるかもしれないってことは、想像がついてたからね」

 

「……どういう、意味だ?」

 

「こんな計画、遅かれ早かれ公に晒されるって言ってるんだよ。兄貴はもう……昔の兄貴じゃないッ」

 

「…………」

 

「兄貴は……いや、お前は……ただの人殺しだッ」

 

「威勢が、随分と、よくなったな?」

 

「……クッ……」

 

 圧倒的不利な体勢であるのにも関わらず、恭二は昌一に悪態を吐き続けた。それが彼の逆鱗に触れて、注射器のトリガーを引かれることになるかもしれないのに。

 

「それも、黒の剣士の、影響、なのか?」

 

「……ッ、か、彼は……関係ないだろッ」

 

「……ククク、はたして、そうなのかな?」

 

 そういうと昌一は、自身のポケットからスマートフォンを取り出すと、とある画像データをタップし、それを恭二の目の前にチラつかせた。

 

「……そ、それ……は……ッ」

 

 それを見せられた瞬間、恭二の顔が青ざめる。

 彼が見たのは、以前に和人とメッセージをやりとりしていた時のスクリーンショットの画像だったのだ。

 恐らく通話記録も盗聴されて、データ化されていることだろう。

 つまりは、恐ろしいことにここ最近の彼の動向は、昌一に全て筒抜けだったというわけだ。

 

 勉強しているときも、仮想世界で遊んでいる時も、友達と出掛けている時も、全てこの男に把握されていたのだ。

 

「まあ、そう、落ち込むな。お前を、殺したら、奴らも、殺す。あの世で、一緒に、なれるぞ、ククク……」

 

「な……、なん……だって……?」

 

 もう、新川昌一は人間ではない。人の心を完全に失っている。

 あまりにも仮想世界というものに囚われすぎて、善悪の区別、現実の区別がつかなくなってしまっている。

 

「それが、俺に対する、裏切りの、代償だ。当然、だろう?」

 

「……キサ、マ……ッ」

 

 目の前の男は自分を殺した後は、和人や詩乃を手にかけるという。

 そのことを耳にした瞬間、彼は腸が煮えくり返る思いがした。身内の僕はまだしも、大切な友人にまで手を出そうとしている。

 

 許せない、この男が、新川昌一という男が。何よりも許せない。この卑怯な男が、この世の何よりも、決して許すことが出来ないッ。

 

「悔しい、か? 何も出来ずに、死ぬのが、悔しい、か?」

 

「……う、グ……ッ」

 

 抵抗しようにも、恭二は体を動かすことが出来なかった。散々体を痛めつけられた上に、サクシニルコリンの入った注射器の針先を当てがられていては、抵抗のしようがない。

 ちょっとでもその素振りを見せれば、昌一は何の躊躇もなく、その引き金を引くことだろう。

 

「お前を、殺すのは、簡単だ。しかし、お前には、死すらも、生ぬるい」

 

「……だからって、彼らに手を出すってのかッ、……そんなこと、許されるはずがないッ」

 

「……許す? 関係ない。それは、俺が、決めることだ」

 

「…………ッ」

 

 もう、この男は何を言っても無駄だ。この男の言う通り、僕は昔から無力で、何の力も持っちゃいなかった。

 医者を目指して勉強してるって言ったって、親からそう言われていたからだ。敷かれたレールの上を走っていたに過ぎないんだ。

 

 僕は所詮、その程度の器の男なんだ。和人みたいに誰かを助けるために命懸けで戦ったり、木綿季ちゃんみたく自分の信念に対して正直に生きることもなければ、詩乃みたいに自分の罪を背負っていく度胸もない。

 

 今だってほら、兄貴に対して何の抵抗も出来ないだろ? これが答えさ。

 僕は何も出来ない、成し遂げられない。誰も守れない、守ることが出来ない。

 何も背負えない、逃げることしか出来ない。

 もういいよ、殺すなら殺せよ。僕も自分の人生に……疲れたよ……。

 

「殺すなら、さっさと殺せ……」

 

「おや? 命乞いも、しないのか?」

 

「……うるさいよ、いいから殺せよ……」

 

 そう言い残すと、恭二はゆっくりと瞼を閉じた。若干十七歳のこの男の子が、何もかもを悟ったように、目の前の死を受け入れようとしている。

 その姿を見るなり、昌一は口元を不気味に歪ませ、右手に持っている無針注射器を握る手に、再度力を込めようと、握り直す。

 

「死ね、恭二」

 

 その言葉を聞き、恭二は無意識に歯を食いしばり、拳と眼輪筋に力を込めた。

 いよいよ、僕の人生が終わる。今までさんざんつまらないことばっかりだったな。

 

 あ、でも最近はそうじゃなかったかもしれない……。詩乃と出会えて、和人や木綿季ちゃんと出会えて。

 数える程しか遊んでなかったけど、あの時間だけは、心の底から楽しかったって断言出来る。

 出来ればもう一度、みんなと一緒に遊びたかった……な、僕も普通の男の子として、みんなと……遊びたかったな……。

 

「ごめんね詩乃、さよなら……」

 

 その時だった。突如として、彼の家のドアが、ガチャッという音とともに不意に開かれた。

 鍵をかけ忘れていたかどうかはわからないが、何者かが表から開けたようだった。

 

 不意に、それを確認するために昌一も恭二も首を玄関の方へと無意識に向ける。

 するとそこには、今恭二がここに現れて欲しくない一番の人物が、目の前で何が行われているかわからずに、呆然と立ち尽くしていた。

 

「……恭二……くん……?」

 

「なっ……し、詩……乃?」

 

 最悪だ、最悪のタイミングだ。よりにも寄って人殺しが家にいる時に限って、君が現れてしまった。

 まずい、どうする? このままじゃ詩乃が襲われる。兄貴は絶対に目撃者を作らない。こうなってしまった以上、すぐに彼女に手をかけるだろう。

 

「……見られて、しまった、な……」

 

 そう呟くと、昌一は馬乗りになっていた恭二から離れ、真正面から詩乃と対峙する形で彼女と向き合った。

 その手には、未だしっかりと無針注射器が握られている。

 

「あ……あなた、恭二君に何して……ッ」

 

「何でも、ない、ただの、兄弟喧嘩、だ……、ククク……」

 

「きょ、兄弟喧嘩って……、そ、それじゃあ……あなたが恭二君の……!?」

 

「そうだ、俺は、こいつの、兄弟だ」

 

 聞かれた問いに答えながら、昌一は詩乃に少しずつ、にじり寄っていった。

 その姿は、仕草も手伝って大変に不気味であり、右手に注射器を握っていることも相まって、詩乃を恐怖させるには十分すぎるものだった。

 

「し……詩乃! 逃げてッ!!」

 

「あ……あ……ッ」

 

 詩乃は、目の前のこの男に完全に萎縮してしまっていた。

 ゆらりゆらりと少しずつ近付いてくるその様子に恐怖さえ覚える。

 

 やがて詩乃は腰が抜けて、ぺたんと床に座り込んでしまった。

 目の前の男が不気味で恐ろしいというのもそうであったが、詩乃にとっては、昌一の顔が、あの男(・・・)とダブって見えてしまっていたのだ。

 

「な……ん、で……ッ」

 

「し……詩乃ッ!!」

 

 何で? 何であの男がここにいるの? だってあの男は、私がこの手で……、確かにこの手で殺してしまったはず……。

 

 で、でもこの男の狂ったような表情、あまりにも似すぎている……ッ、い、いや……死にたくない、死にたく……ないッ!

 

「目撃者は、消す」

 

 一歩、また一歩と、昌一は詩乃を殺すためにその足を動かしていく。

 恭二はその様を、ただただ見ているだけしか出来なかった。

 目の前で自分の好きな娘が、命の危機に面しているというのに、体が全くいうことを聞かない。

 

「逃げて……し、の……ッ」

 

 昌一は、詩乃の所まで残り二メートルというところまで迫っていた。

 一気に距離を詰めてすぐに殺すのではなく、わざとゆっくり動き、恐怖感を煽っていく。

 

「い……、いや……」

 

(だ……だめだ、詩乃は、動けない……ッ)

 

 状況的に考えて、詩乃を助けることが出来るのは僕だけだ。

 で、でも体が動かない……、全身が軋むように痛い、骨が……折れてるのかもしれない。

 上体を起こすだけで精一杯だ、こんな状態で……何も出来るわけがない……。

 

「そこで、見ていろ、この娘が、死ぬところを」

 

「……し……の……ッ」

 

 また、逃げるのか? また、言い訳をして、逃げるのか?

 本当は出来るのに、やらないだけなんじゃないのか?

 これまでの人生も、全部目を背けて来たから、そうなったんじゃあないか?

 その方が楽だから、逃げてたんじゃあないのか?

 

「……グッ……」

 

 もう、逃げるのはやめにしろよ。一生に一回くらい、立ちはだかる壁にぶつかってみせろよ。

 

 男なら……、自分の好きな娘くらい、自分の手で……守って見せろよ!

 

「……僕……は……ッ」

 

 彼女を守れるのは僕しかいないんだ。立て、立ち向かえ! 今が、今がその時なんだ!

 

「………………」

 

 

 今が――その時だ――

 

 

【挿絵表示】

 

 

「う……うあぁぁぁぁぁッ!!」

 

 部屋中、いや……家の外にまで彼の雄叫びが響き渡った。

 瞬間、恭二は全身を走る痛みに耐えながら、無理矢理体を起こし、昌一の背後から彼を止めようと飛びついた。

 昌一は予期していなかった弟の反撃に、一瞬判断が遅れ、彼に羽交い締めされる形でもがいている。

 

「きょ……恭二ィィィッ!!」

 

 五体満足の昌一、全身ボロボロで満身創痍の恭二。誰がどう見ても有利不利は分かりきっていた。

 しかし、恭二はそれでも兄を、昌一を放そうとはしなかった。

 恭二の身体は、右の上腕と、左足の太ももの骨にヒビが入っており、肋骨が二本完全に折れている状態だ。

 今まで感じたことのない痛みに耐えながら、恭二は詩乃を逃がすために、実の兄に立ち向かっている。

 

「逃げろ詩乃ッ!!」

 

「きょ……恭二……くんッ」

 

「今のうちに……早く逃げろッ!!」

 

「で……でも、恭二くんが……ッ!」

 

「僕のことはいい! だから、早く……早く逃げろッ!!」

 

「……あ……あ、で、でも……」

 

 恭二が必死に叫んでも、詩乃は目の前の光景に動揺し、完全に『逃げる』という選択肢が消えてしまっていた。

 

 しかし時間というものは待ってくれない。一秒、また一秒と経っていくだけでも、恭二の身体は限界に近付いていく。

 もう、あと一分も昌一を足止めしておくことは出来ないだろう。

 このままでは埒が明かない。そう判断した恭二は、一向に逃げようとしない詩乃に向かって、もう一度、肋骨の痛みに耐えながら、腹から声を出して叫ぶ。

 

「グッ……、逃げろって言ってるだろッ!! 早く行けよッ!!」

 

「……ッ!!」

 

 すっかり腰が抜けて立ち上がれない詩乃だったが、恭二の必死の叫びでハッと我に帰り、四つん這いになりながらも、必死で玄関の外に出ようとした。

 惨めでもいい、無様でもいい、今は逃げて、生き延びるのだ。彼の、彼の気持ちを無駄にしてはならない。

 

(そうだ……それでいい、逃げてくれ……詩乃……)

 

「恭二ィッ、お前は……お前はァッ!!」

 

 背後で行われている死闘から、藁をも掴む思いで逃げるように、詩乃はアパートの廊下に出た。

 コンクリート製の床を這いずりながら、鉄で出来た少し錆のある手すりにしがみつき、何とか下半身に力を入れて、立ち上がる。

 

 後はこのまま階段を下り、走って逃げればいい。人通りの多いところに出れば、死銃(デスガン)は追ってこれないだろう。

 

 しかしそんな中でも、詩乃は恭二のことが気がかりで、再度彼が争っている部屋の方向を、開かれた扉越しに視線を送る。

 

 その時だった。とうとう恭二の身体に限界が訪れた。

 打撲、骨折、もしかしたら内蔵にまでダメージがいっているかもしれない彼の身体は、これ以上昌一を制止させておくことが困難になっていた。

 

「がっ……はッ!」

 

「この、クズがッ、やはり、お前から……、死ねッ!」

 

 力が緩んでしまった恭二を肘打ちで払い除けると、昌一は彼の首元を左手で締め付けながら、部屋の壁に叩きつけ、右手に握られた無針注射器の先端を、彼の心臓のある位置に、強く押し当てた。

 

「…………ッ」

 

 すると、何かの液体が外に噴出されるような音が鳴り、途端恭二の上着の部分が、その液体で濡らされているのがわかった。

 その正体は筋弛緩剤、サクシニルコリンの劇薬だった。

 

「…………」

 

「……フフフ……ッ」

 

 信じられない光景を目の当たりにしている。注射器に打たれた恭二は、まるで抵抗する力か無くなってしまったのか、がっくりと項垂れてしまっている。

 昌一が恭二から手を離すと、彼は壁からずり落ち、尻餅をつく形で床に崩れ落ちた。その目からは、完全に光が失われている。

 

「きょ……キョウジィィィィッ!!」

 

 恐ろしい光景を目の当たりにした詩乃が悲痛の叫びをあげると、昌一は左手を自身の顔に当て、不敵な声を発しながら、ゲラゲラと笑いだした。

 

 その顔はもう人間らしさは微塵もなく、完全な悪魔の形相をしている。

 あの時、強盗目的で郵便局を襲ったあの男なぞ比較にならない。人を殺すことが快感だという、悪魔の笑い顔だった。

 

「何で……? 何でこんなことするのよ……ッ」

 

「……何でか、だと?」

 

「アナタ……彼の、恭二君のお兄さんなんでしょ……? どうしてこんな酷いことが出来るのよッ! アナタの家族なんでしょうッ!?」

 

 先程まで恐怖していた詩乃が、涙を交えながら昌一に必死の想いを伝える。

 その感情には、どこか怒りのようなものも含まれていた。

 

「……関係、ない」

 

「……え……?」

 

「関係ないと、言った。俺の邪魔を、するなら、例え、弟でも、容赦は、しない」

 

「あ……アナタは……ッ」

 

 もう、この男には何を言っても無駄だ。赤眼のザザ、新川昌一。

 この男が手にかけた被害者は、SAO時代から遡ると、数え切れない。

 

 アインクラッドでのレッドプレイヤーとして活動してきた彼の人格は、もう更生のしようがないほど、歪み、真っ黒になってしまっていた。

 実の弟を手にかけたことで、とうとう引き返すことの出来ない地点にまで、彼は来てしまったのだ。

 

「後は、お前だけ、だな」

 

 そう詩乃に呟くと、昌一は懐のポケットから、小さな木箱を手に取り、小瓶のようなものを取り出した。

 小瓶のラベルには『塩化スキサメトニウム注射液 サキシン』と書かれている。この薬品こそが、筋弛緩剤サクシニルコリンそのものだ。

 

 昌一は無針注射器の外蓋を外すと、小瓶から筋弛緩剤を中に注ぎ込んだ。注射器の中が薬品で満たされると小瓶を投げ捨て、注射器の蓋を閉めて、再び部屋の外にいる詩乃ににじり寄る。

 GGOに例えるならば、自分の装備している獲物の弾を装填する、リロードと言ったところか。

 

(逃げ……なきゃッ、逃げなきゃ……ッ!)

 

 一瞬、呆気に取られていた詩乃だったが、恭二の想いを無駄にしないためにも、ガクガクになっている脚に必死に力を込めて、アパートの敷地外へと走り出した。

 

 手すりを頼りにしながら、恐怖心を必死に押さえ込み、外へと続く階段を目指す。こんな状態で降れるかはわからないが、必死で逃げ続ける。

 

 しかし、現実は非常だった。

 

 身体が弱いとはいえ、昌一は男性。女の子の上、腰が抜けてしまっている詩乃に追いつくのは、そう難しいことではなかった。

 

 昌一は必死で逃げている詩乃の左手を乱暴に掴み、自分の方へと強引に引っ張った。

 「きゃあっ!?」という悲鳴と共に、引っ張られた詩乃は前のめりに昌一の足元に膝から崩れ落ちる。

 

「……つッ、うぅ……ッ」

 

 脚の痛みに悶えながら、顔を恐る恐る上げてみると、目の前には人殺しの顔が見えた。

 男は彼女を見下げながら、ニタリと笑い、注射器をチラつかせている。

 

 絶体絶命。

 

 もう、逃げ場がない。階段もまだ遠い。

 目の前に階段があれば、そこから転げ落ちて、外にいる人に助けを求めることも出来たかもしれない。

 しかし、それもままならない。これだけ物音を立てて争えば、お隣さんや一階に住んでる人が駆けつけてもおかしくはないが、そうならない所を見ると、住んでいないか出掛けているのだろう。

 

 

 もう、ダメだ。男が注射器を私に向けようとしている。恭二くんに打ったものと同じものを、私に打とうとしている。

 

 まだ、彼に私の想いを伝えていないのに、ちゃんと『好きだ』って伝えられていないのに、こんなことで死んじゃうなんて……。

 

 恭二くん……折角助けてもらった命なのに、無駄にしちゃってゴメンね……。

 

 大好きだったよ……、今まで……ありがとう……。

 

 

 生きるのを諦め、目の前の死を受け入れようとしたその刹那、詩乃にかけられていた圧力が『ごきゃっ』という衝撃音とともに突然なくなった。

 

 目を瞑っていた詩乃は、一体何が起きたの? と恐る恐る瞼を上に上げる。

 そこには、自分だけでなく、仲間のピンチを何回も救ってきた、頼れる黒いヒーローの姿があった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「逃げろシノンッ!!」

 

 ……え? キリ……ト……?

 

 




 
 やっぱり、和人君はイケメンすぎますね。
 しかし、新川君も頑張ったと思います。これでもう二度とアサダサンアサダサンとは言わせません(笑)
 そしてこの幻の銃弾編もいよいよ終末へと近付いてきました。
 全くGGOにログインすることなく描いてきたファントム・バレットがどのような未来につながるのか、是非その時までお待ちくださいませ。
 
 
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