ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味   作:むこ(連載継続頑張ります)

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 こんにちは、お久しぶりです。
 小さな春編も、いよいよ後半に差し掛かっております。小さな二人の恋物語はここにきてようやくスタートに立とうとしています。




第82話〜小さな二人の出会い〜

 

 

 西暦2026年12月19日(土) 午後16:00

 愛知県名古屋市昭和区鶴舞町 名古屋大学医学部付属病院

 

 

「……着いたよ、シリカ」

 

「え、つ……着いたって……」

 

 愛知県の名古屋市西区幅下から徒歩で約一時間。木綿季たちは市内でも特に大きい規模の医療施設、「名古屋大学医学部付属病院」に足を運んでいた。

 この病院は彼女らの宿泊している京屋旅館からはアクセス方法が微妙な距離で、電車とバスを使っても到着時間がほぼ変わらない。

 なので、どうせ時間が変わらないのなら節約も兼ねて自らの足で行こうと、木綿季が提案したのだ。

 いくつものビル街、商店街、住宅地等を渡り歩きながら、名古屋の街中を通り過ぎ、ここへと辿り着いた。

 

「木綿季さん、ここって……」

 

「……見て分かるとおり、病院……だよ」

 

「は、はい……」

 

 木綿季は真剣な眼差しで目の前の病棟を見つめる。彼女の入院していた横浜港北総合病院と同じか、それ以上の規模の病院のようだ。

 

「ここの病院……ね? 癌の治療に特化してる病院なんだ」

 

「が、ガン……ですか」

 

 (がん)

 

 誰もが絶対に耳にしてるであろう病気。

 子供から大人まで発症し、発見が遅ければ助かる確率はゼロに近く、世界中の人々が恐れている難病だ。

 発症する確率は誰にでもあり、予防法はあるにはあるが、完全に予防しきれる術はない。

 

 癌発症のメカニズムは非常にわかりやすい。何かのきっかけで細胞に傷などがつくと、その細胞が異常細胞となることがある。

 その細胞がそのまま増殖してしまうと、癌化してしまう、というものだ。

 そして、その癌細胞は血管に侵入し、全身へと転移、広がっていく。

 

 人間の病気には色々なものがあるが、この癌こそが、病気で亡くなった場合の原因の頂点に君臨しているという。

 発見が早ければ早期治療で何事も無く治せるが、もし遅れてしまった場合は、全身に細胞が行き渡ってしまい、手遅れとなる。

 

 そんな癌の治療に力を入れている、この名古屋大学医学部付属病院に、木綿季は用があるという。

 そして、ここには珪子も来なくてはならない理由がある。

 

「木綿季、さん……」

 

「……ついてきて、シリカ」

 

「えっ……あ、は、はい!」

 

 木綿季は少ない口数で、珪子の手を引き

病院の敷地内へと歩を進める。

 この病棟を目にした時、珪子はどうして木綿季が自分をここまで連れてきたか。

 いや、今回の突発的な名古屋旅行の真の目的を理解してしまった。

 

 そうでなければ、今回の旅の理由に説明がつかない。ひょっとしたら彼女自身が純粋に旅を楽しみたかった、という理由も僅かにあったかもしれない。

 

 しかし木綿季の真の目的は、今この目の前にある病院へ足を運ぶことだった。

 ここにきて、とある人物に会うために。いや、正確には……彼女を彼に会わせるために。

 

「……木綿季さん……」

 

「……こっち、シリカ」

 

 植木と木々が生い茂っている入口前のロータリーを抜け、完全な左右対称の造りとなっている病棟を正面に捉え、木綿季たちは自動ドアへと近付く。

 センサーが反応し、彼女らを迎え入れると横浜港北総合病院よりも広く、開放感のあるエントランスが視界に入る。

 主な面会時間を過ぎているためか、受付周りには数人の看護師と面会人の姿しか見えない。

 

 ほどほどに人の話し声と、足音が聞こえる中、木綿季は珪子に近くのベンチに座って待つように伝え、一人受付へと向かう。

 

「ここで待ってて? ボクが受付済ませてくるから……」

 

「は、はい……」

 

 いつもは面会される立場にいた木綿季が、今回は面会する側にいる。

 彼女にとっては、これも初めてのことだ。

 

 しかし、いずれ来ることだと分かっていた。自分の病気が治った時から、治してもらった時から理解していた。

 これから、そういう立場になることを、悟っていた。

 だから自分は今ここにいるのだ。

 

「お待たせシリカ」

 

 ロビーで面会の受付を完了させた木綿季が、クリップがついたタイプの面会許可証を右手に持ちながら、珪子の元へと戻ってくる。

 珪子はそれを両手で受け取ると木綿季を見上げ「あ、ありがとうございます」と小声で囁き、それを胸ポケットに挟んだ。

 

「303号室だって、行こ?」

 

「は、はいっ」

 

 これから起こることへの緊張のせいか、慣れない土地の建物に足を踏み入れているためか、どことなくぎこちない様子になってしまっている。

 ゆっくり立ち上がるつもりが、一昔のSF映画に出てくるロボットが、バッテリー切れ寸前のギクシャクとした動きをしてるかのように、カクカクな動作で腰を上げる。

 額からは汗が吹きでて、彼女の頬を伝って重力に引っ張られて、床へと落ちる。真冬だと言うのに体温が上昇しているのを感じた。

 別に体調が悪いという訳では無い。仮に悪いとしても、ここはおあつらえ向きに病院だ。すぐに診てもらえるだろう。

 

「もう……ほら、こっちだよ?」

 

 仕方ないなと思いながら、木綿季は珪子の手を引く。彼女をこのままにしておいては、まともに歩くことすら困難になりそうだ。

 それに、他の患者にでもぶつかったりして怪我でもさせたらそれこそ大変だ。

 

 長年病院暮らしを経験してたこともあり、院内での立ち回り方はよくわかっている。

 向かい側からくる患者や、薬や書類を所持している看護師、医師の邪魔にならないよう出来るだけ廊下の端を歩く。

 

 もちろん、曲がり角は出会い頭にぶつからないように一旦足を止める。

 そして安全を確認しながら再び歩き始める。

 

 ロビーから五十メートルほど進んだところで階段に差し掛かり、それに足を掛けて上階へと登る。

 病院の階段というものは実に静かだ。足音がコツンコツンとよく響き渡る。

 手すりを掴みながら三階フロアへと進入する。左右を見渡すと病室が並んでいるのが確認出来た。

 左側が数字が若く、右側に行くに従い病室の数字は大きくなっていく。

 ちなみに、縁起をかついでいるので基本的に病院には4号室は存在しない。

 

「あっちだね」

 

 木綿季が場所を確認し、その方向へと進む。珪子も彼女に引っ張られながら、その後についていく。

 病室の扉の脇に取り付けられている号室の数字とネームプレートを逐一確認しながら、二人は奥へと進んでいった。

 

 そして、数メートル進んだところで、二人の足音がピタッと鳴り止んだ。

 とある病室の扉の前で立ち止まり、その視線をネームプレートへと移す。

 

「……間違いない、ここだね」

 

「…………ッ」

 

 二人が真っ直ぐ見つめる先のネームプレートには、一人だけ患者の名前が書かれていた。

 木綿季は、その名前を知っている。ここの病室に誰がいるかを知っている。

 しかし、珪子は知らない。いや、知らなかった(・・・・・・)

 

 ここの病院も、この病室に誰が世話になっているかというのを。

 ついさっきまでは知らなかった。いや、知らなかったフリをしていただけなのかもしれない。

 

 しかし、ネームプレートに書かれた名前を見て、彼女の中の「もしかして」という気持ちは、確信に変わっていった。

 

 ここに、彼がいる。

 

 自分の会いたかった、彼がいる。

 

 会って、気持ちを伝えたかった、彼がいるのだ。

 

「ゆ、木綿季さん……」

 

「ボクはここにいるから……頑張って、シリカ……?」

 

「え……」

 

 自分の役目はここまで、後は君の番だよと、扉のすぐ横にある白い壁に背中を預けながら、ほんのり微笑み、木綿季が珪子に促す。

 

「多分ね、あの子に初めに会うのは、ボクより……シリカ、君であるべきなんだと思う」

 

「え……わ、私が……ですか?」

 

「本当はボクが会ってみたいけど、今は……そうであるべきではないと思うから」

 

「……木綿季さん……」

 

 彼女からそう言われると、珪子は改めて正面に映る扉をじっと見つめる。

 右手を自身の胸の位置まで持っていき、ギュッと握った。

 

「ここに誰がいるかは、もうわかるよね……」

 

「……はい……」

 

 ここまで来たのだ。もう多くを語る必要は無い。何も言わなくでいいのだ。

 後は行動で示せば良い。難しいことは考えるな、自分の気持ちに素直に従え。今はただ……それだけでいいのだから。

 

「ここだと話し声……聞こえちゃうかもだね。ボク……ちょっとその辺歩いてくる」

 

「え……えっ!? ゆ、木綿季さん!?」

 

「邪魔する訳にも……いかないからさっ」

 

「じゃ、邪魔って……っ」

 

 そう言うと、木綿季はくるりと珪子のいる方向とは反対を向き、ゆっくりと歩き始める。

 あの子に会うのは、彼女が会った後でも構わない。そう心に思いながら、その背中は段々と小さくなり、その足音も少しずつ聞こえなくなっていった。

 

(頑張れ……シリカ。ボクに出来るのはここまでだよ)

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 同日 午後16:18

 愛知県名古屋市昭和区鶴舞町 名古屋大学医学部付属病院 303号室前

 

 

(あ、あ、あ……開けられないっ)

 

 木綿季が病室前から立ち去ってから実に約十五分程が経過していた。

 だと言うのに、珪子は先程から扉の前から一向に中に入ろうとしなかった。

 いや、入れなかった。

 

 この扉の向こう側には、心の底から会いたかったあの人がいる。

 会って、隣で支えたかった、想いを伝えたかったあの子がいる。

 

 こんなに気持ちは高ぶっているのに、いや、高ぶっているからこそ、この扉に手をかけることが出来なかった。

 

 意気地がないと思う。勇気がないと思う。あれだけ会いたいと豪語しておいて、いざ本番となったら足が全く動かない。

 

 心底情けないと思う。この扉を、板切れ一枚横にスライドさせるだけで、あの子に会えるというのに。手が震えて動かない。

 

(……どうしよう……)

 

 途中途中、看護師や入院患者が通り過ぎ際に、ずっと立ち尽くしたまま動かない珪子に向かって不思議そうな視線を向けている。

 彼女は一体何なんだろう、面会者かな? 何故棒立ちなのだろうと、疑問を思いながら。

 

 しかし、ここで立っているだけでは埒が明かない。待っているだけで事が解決するだろうか? 否、しない。

 高鳴る心臓の鼓動を抑え、呼吸を整え、気持ちを落ち着かせ、心静かに踏み入れば良いだけのこと。

 

 悩むな、考えるな。自分の気持ちに従え。信念を貫け、想いを伝えろ。勇気を振り絞れ。

 

 自分自身の心に暗示をかけながら、珪子は扉の取手に手を掛ける。

 しかし、ここでスライドさせるのに、また一つ勇気がいる。

 

 ほんの少し、あとほんの少しだけ、肩と腕、そして手首に力を込めるだけなのに。その力が出てこない。

 あれだけ心を強く持とうと誓って歩を進めたのに、またここで見えない何かが立ちはだかった。

 

「……君、何してるの?」

 

「ひぇ!?」

 

 突然の声掛けに肩を縮こませ、背中を少しだけくの字に曲げて身体をびくつかせる。

 慌てて体の角度を声のした方に向けると、そこには銀色のパイプで組み立てられた歩行器に体重を預けて立っている、細い体つきの少年の姿があった。

 

 若干ボサボサだが和人と似たようなヘアスタイル。しかしその髪の毛はどこか少し赤みがかかっている。そして、彼女を見つめるその瞳も、どこか燃える紅のような色味。

 

 薄緑の患者着に身を包んだ身長百六十センチほどの少年は、挙動不審な珪子に対し、少し不信感を抱きながら疑いの眼差しを向ける。

 

「ここで、何してるの?」

 

「え、えっと……そ、その……」

 

「オレに、何か用でもあるの?」

 

「あ、あの……」

 

 予想以上だ。予想以上によく似ている。

 SAOでのアバターが、現実世界での自分自身と同じであるように、目の前の男の子は仮想世界で一緒に遊んだあのサラマンダーの少年にそっくりだったのだ。

 

 あの世界と同じく、凛々しくも可愛らしい顔立ち、ほぼ変わらぬ身長。そして、何より聞き覚えのある声と燃えるような真っ赤な瞳。

 

 見間違えるはずがない、いや、姿は少し違うかもしれないが、間違いなく目の前のこの少年は……。

 

「あの……えと……」

 

「……用がないなら、そこをどいてもらえるかな……? 部屋に戻りたいんだ」

 

 淡々と、サバサバした性格の彼からの受け答えに、珪子は完全に飲まれていた。

 彼は彼女がシリカだということに気付いているのだろうか?

 いくらケットシーのアバターが現実世界の珪子そっくりでも、そうと知らない人間にはわかるはずがない。

 当の彼自身も、どこかで見たことがあるような顔だな。何か既視感を感じるぞと、その様な捉え方であった。

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 つい条件反射で謝った珪子は、慌てて道を彼に譲る。一体何なんだ? と疑問に思いながらも、少年は自分の部屋へ戻るために歩行器を頼りに足を動かす。

 

 五歩ほど歩くと、自室の扉に手をかけてゆっくりと左にスライドさせる。

 すると開かれたスペースから、中の内装を少しだけ見ることが出来た。

 

 整頓されたベッド回りに、少年の私物だろうか? 中学生が使っていそうな鞄や、スポーツバッグが丁寧に置かれている。

 備え付けのシェルフには小型の電気スタンドが置かれており、その隣には彼女がよくしっているマシンの形も確認できた。

 

(あ、あれは……アミュスフィア……!)

 

 確信は確固たるものへと変わった。早く、早く声をかけないと、彼は扉の向こう側へと行ってしまう。

 今話しかけないと、もうチャンスは二度と現れない。そんな気がする。

 

 もう彼と二度と会う機会が失われてしまう。そんな恐怖感にも似た感覚を覚えていた。

 

「あ……あの!」

 

 必死に喉から声を絞り出し、彼に問掛ける。

 こんな所で終われない、終わっちゃいけない。

 ここまできて、諦める訳にはいかない。声を掛けろ、勇気を振り絞れ!

 

「…………何?」

 

「は、初めまして。あの……私、綾野珪子って言います……」

 

「……え?」

 

 突然の自己紹介に、赤髪の少年は首を傾げる。当然だろう。いきなり見知らぬ女の子から声を掛けられたら、こうなる。

 

 病室の向こう側で固まってしまっている少年の目をまっすぐ見つめながら、珪子は必死に声を掛け続ける。自分の想いとともに。

 

「突然ごめんなさい、えっと……ジュンくん、ですよね……?」

 

「……そ、そうだけど……き、君は……」

 

「やっと……やっと会えました、ジュンくん……」

 

 確認が取れた途端に、彼女の頬を雫が流れ落ちる。ほっとしたのか、願いがかなって満足したのか。とにかく嬉し涙を流し続けた。

 彼からしてみたら、いきなり目の前で泣かれて、どうしたらいいのだろうという気持ちでいっぱいだ。

 自分に現実世界で女の子の友達はいない。昔通ってた小学校でも、男の友達とばかり付き合ってた。

 しかし、この目の前の女の子は一体誰なんだろう。この自分に会いに来たというではないか。それも、こんなに涙まで流して。

 自分はなにかまずいことをしてしまったのだろうか。知らず知らずのうちに、女の子を泣かせてしまうようなことをしでかしたのだろうか。

 

 記憶の中から思い当たるであろう節を辿る。微かな記憶を絞り出す。

 しかし、片隅まで探ってみても、そのような覚えはない。

 

「えっと……ごめん、オレ……君とどこかで……?」

 

「あ……あ、ご、ごめんなさいっ」

 

 色々と端折りすぎて、伝えたいことがまったく伝わっていない。まずは自分の心を落ち着かせ、頭の中を整理して、冷静にならなくては。

 

 珪子は大きく口を開け、肺に力を込めて、深呼吸をする。新鮮な空気を吸い込み、一気に吐き出して心身ともにリラックスさせる。

 ゆっくり瞼を開けると全身に入っていた無駄な力が抜けていった。

 今なら、今なら冷静に彼に話しかけられる。

 

現実世界(こっち)では初めまして……ですね」

 

「……ど、どういうこと?」

 

「私です、シリカです……ジュンくん」

 

「え……し、しり……っ」

 

 彼の脳内に、次から次へと知らない情報が飛び込んでくる。今目の前にいるこの少女は、ついこの前仮想世界で一緒に遊んだ、あのケットシーの女の子だという。

 いや、それはよしとしよう。しかし、何故その彼女がここにいるのだろう。

 何故自分の入院先を知っていのだろう。わからないことだらけだ。

 

「……本当に、シリカ……なの?」

 

「は、はい……ジュンくんに会ってみたくて、その……来ちゃいました……」

 

 よくよく聞いてみれば、どことなく仮想世界のアバターに似ている気がする。声も、確かに聞き覚えがある。

 そして自分の呼び方、丁寧語を用いての話し方、紛れもなく彼女は、あのシリカなのだろう。

 

「え、えっと……とりあえず、ここで立ち話もあれだし、一先ずこっちに入ろ?」

 

「あ……は、はいっ」

 

 ドギマギしつつも、珪子は彼のお招きに預かり、病室へと足を踏み入れる。

 ここが、彼が長年闘病生活を続けていた病室。生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよい続けた病室だ。

 壁は白く、あちらこちらに少しヒビが入っている。シミも少し入っていて、年季を感じられる。

 

「よいしょ……さ、かけてよ」

 

「あ、はい……ありがとう……ございます」

 

 ベッドに腰掛けながら、慣れた手つきでパイプ椅子をセットする。

 真っ白な布地のベッドはところどころしわくちゃで、長年彼と付き合って来たのだろうな、というのを物語っていた。

 部屋の外からではよく見えなかったが、窓際には花瓶にお花が添えられている。花は誰もが見た事があるであろう、オレンジツツジの花だ。

 

 花言葉は「向上心」、「情熱」。まさに、燃えるような心を持つ彼にぴったりだろう。

 

「それじゃあ……改めて、オレの名前は……(じゅん)高坂准(こうさかじゅん)。よろしくね、シリカ」

 

「あ……は、はい! し、シリカこと……綾野珪子、です……!」

 

「けいこ……それが、シリカの名前なんだ?」

 

 憧れの彼に自分の下の名前を呼んでもらった。それだけなのに、心臓がドキドキし始めた。

 かつてのキリトへの憧れとは全くベクトルが違う。純粋に、そう純粋に彼を異性として意識してしまっている。

 

「は、はい! ジュンくんは……本名がキャラネームなんですね?」

 

「そ、そうだよ? だって……キャラ作った時はネチケットだとか、タブーだとかあまり知らなかったし……今更直す気もなかったっていうか……」

 

「……くすっ、そうだったんですね」

 

「まあ……それはリーダー……ユウキもそうなんだけどな……」

 

「あははっ、それを言ったらアスナさんもですよ」

 

 不思議と、自然に会話が出来た。話しかけるまでは物凄い緊張で、心臓が口からとび出てしまいそうだったが、蓋を開けてみたらなんてことは無い。

 いつも通り、仮想世界と同じように、なんてことの無い会話が出来てる。普通に笑って、普通にからかいあって、驚いたりして。

 それがきっと居心地がいいということなのだろう。彼のそばは居心地がいい。ほっと安心できる。そんな気持ちになれるのだ。

 

「そうだったんだ? って……そんなこと言っちゃっていいの?」

 

「え? あ……えぇっと……た、多分大丈夫……ですよ?」

 

 苦笑いを浮かべ、頬を人差し指でぽりぽりかきながら、その場を取り繕うとする。

 彼女もまた、和人や木綿季と同じように、リアルとゲームの情報をごっちゃにしがちな面があったのだ。

 

「まあ、オレは気にしないけど……でもさ、どうしてオレの入院先がわかったの?」

 

「それについては……木綿季さんに教えてもらいました」

 

「……リーダー(あいつ)かあ……全く。確かにいつか見舞いにくるみたいなこと言ってたけどさあ……」

 

「えっと……ごめんなさいジュンくん、迷惑……でしたか?」

 

 アポ無しで急にお仕掛けてしまって、心の準備が出来てない状態で、迷惑を掛けていないだろうかと、心配を抱えながら気まずそうに視線を泳がす。

 

「あ、いや……そうじゃないんだ。会いに来てくれて嬉しいよ? でも……気になることが山ほどあって……」

 

「あぁ……そ、そうですよね……」

 

 女の子からのお見舞いは初めてなせいか、准もどことなく緊張しているようだ。

 先日のALOのこともあり、彼もどことなく珪子のことを意識している節がある。

 

 明日奈のような端麗さ、里香や木綿季のような前向きな明るさとはまた違う、珪子らしい可愛さが彼女にはある。

 年齢でいえば思春期真っ盛りの彼にとって、年も身長も近い彼女の存在は、それはそれは大いに気になることだろう。

 

「どうして、君が来てくれたのかとかさ。わざわざオレなんかに会いに……」

 

「そ、それは……」

 

 わかりやすいくらいに赤くなり、(こうべ)を垂れてしまい、左右の人差し指をいじいじといじくり合う。

 先程まで自然に話せていたのに、色のつく話になると途端に奥手になってしまう。

 

「まあ、いっか」

 

「……あ、あのジュンくん……身体は、大丈夫なんですか……?」

 

「……ん? 病気のこと?」

 

「は……はい……」

 

 答えづらいことだっただろうか、聞いては行けないことだったろうか。

 しかし、以前木綿季経由でスリーピング・ナイツのメンバーの病状は回復傾向にあるということは聞いている。

 でも、本人の口から聞くのが一番安心できるし、納得ができるというものだ。

 

「病気は……治ったよ。悪性リンパ腫って言ってさ……難病だったんだ」

 

「あ、あくせい……りんぱ……」

 

「治る見込みはゼロ、って言われてたんだけどね……最後の最後にチャンスがあってさ」

 

 今までの闘病生活、その断片を語らいながら、准はシェルフの上に置いてある参考書と筆記用具を手に取り、自身の膝上に乗っける。

 

「もちろん、この先副作用があるかもしれないし、病気だって再発するかもしれない……」

 

「……ひょっとして、新薬ですか……」

 

 珪子にそう聞かれると、准はそっと首を縦に振り、参考書を開き付箋の貼ってあるページに目を通し始める。

 

「うん。実験も兼ねて、だったから……一か八かの賭けみたいなものだったんだけどね」

 

「……でも、勝ったんですよね……?」

 

 視線を窓の外に移し、遠くに見える青空と雲の動きを目で追う。以前の憂鬱な気持ちの時とは違い、可能性に満ちた目で追う。

 

「うん……オレは勝った。そして……そのおかげで今、生きていられるんだ……」

 

 生きていられることの幸福、そして普通でいられることが奇跡の連続だということが、今になってわかる。

 病気にも事故にも合わず、不幸な事件にも巻き込まれず平和に過ごせていけることが、どれだけの幸運の上にあるかということが、今更になって身に染みる。

 

「……ジュン……くん」

 

「……なに? シリカ」

 

「私と、友達に……なって、くれませんか……?」

 

「え……?」

 

「わ、私……ジュンくんのこと、もっと知りたいです。もっとお互いのこと知って……仲良く、なりたい……です」

 

「……し、シリカ……」

 

 今日は色々と忙しい日だなと、准は心に思っていた。

 いつも通り病院食を食べて、いつもの様にリハビリをこなして、毎日繰り返してる勉強に身を投じる一日が、今日も変わらずくるものだと思っていた。

 

 しかし、今日は目の前の女の子が思わぬ訪問をしてきた。

 嬉しい、正直嬉しい。わざわざ遠く……かどうかはわからないが、こんな所までお見舞いに来てくれたのだ。

 どうしてここまでしてくれるかはわからないけど、彼女のそんな健気な気持ちを無下に出来るほど、准は淡白な男ではなかった。

 

「そう、だね……現実世界でも、よろしくお願い出来るかな……?」

 

「……は、はい! 喜んで……!」

 

「シリカが迷惑じゃなければ、だけど……」

 

「そ、そ、そんなことないですよ! むしろ……う、嬉しいです!」

 

 告白した訳ではない。大した進歩でもないかもしれない。でも、今伝えたこの気持ちは本物だ。嘘偽りの気持ちではない。

 

 彼の純粋で真っ直ぐで、情熱的で燃えるような男気は、彼女を拒むことは決してしなかった。

 

「あはは。それじゃあ……よろしく、シリカ」

 

「は……はい! よろしくお願いします! ジュンくん!」

 

 進展が少しだけでもあって嬉しかったのか、珪子は思わず感情の昂りを抑えられずに、准の左手を自身の両手で包むようにてがっしりと握りしめていた。

 するといきなり接近された准は、急に至近距離でスキンシップをされたせいもあり、仮想世界のアバターのように顔を赤らめ、目線を泳がせてしまった。

 

「えへへ……」

 

「そ、それじゃあ……さ、シリカ?」

 

「? なんですか?」

 

 右手をそっと離し、膝上に置いてある参考書を手に取り、ベッドテーブルにそれらを筆記用具と一緒に置くと、彼女に視線を向ける。

 

「……勉強、教えてくれる? オレ……中学の内容全然わかんなくてさ……」

 

「……くすっ、いいですよ」

 

「あ……今、笑ったでしょ」

 

「えっ、そ……そ、そんなことないですよ!?」

 

 少しだけ頬をふくらませてムスッとした表情の准を見て、心の中で可愛いと思ってしまった珪子が、慌てて笑ってしまったことを否定する。

 そして、SAOから帰還したばかりのころ、苦労して猛勉強をした経験が役に立てばと、珪子はパイプ椅子から腰を上げて、彼の寝ているベッドの脇に位置を移す。

 

「それで……どこがわからないんですか?」

 

「えっと、ここ……なんだけど……」

 

「なるほど、これですか! これはですねぇ……」

 

 想いを寄せ合うこの二人は、まだ恋人同士とは言える間柄ではないと思う。

 今やってるやり取りも、クラスメイト同士、もしくは姉弟間で行われているようなものだ。

 

 でも、これも小さいながらも確かな一歩には違いない。今は互いに出来ることを少しずつやっていけばそれでいい。

 

 何せ、二人の出会い(・・・)はたった今、始まったばかりなのだから。

 

 




 
 ご閲覧、ありがとうございます。
 遠路はるばる、東京から足を運んだ小さな少女は、ようやく愛しの彼に会うことが出来ました。
 初めてふれあえた彼と、これからどんな恋物語が始まっていくのでしょうか?
 これから、珪子の本気の想いは、本格的に彼の背中を押し始めます。

 それでは、また次話でお会い致しましょう。
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