俺の名前はスコーピウス・ヒュペリオン・マルフォイ。
聖28一族の一つ、マルフォイ系の現当主ドラコ・マルフォイの息子であり、アステリア・グリーングラスの息子でもある。
俺には所謂『前世の記憶』というやつがあった。
俺が昔住んでいた世界では、俺が今いる世界は本の世界だった。
──ハリー・ポッター
それが俺の前世での、この世界の呼び名。
『ハリー・ポッターシリーズ』は王道なファンタジーモノだ。
ラスボスであるヴォルデモートを、主人公であるハリーが倒し、めでたしめでたしハッピー・エンド。
そうなるはずだった。少なくとも、本の中ではそうなっていた。少し過程は違うが、映画版でもそうなっていた。
……そうなるはずだった。
「表を上げよ、スコーピウス」
「はい、卿」
骨に皮を張り付けたような、凡そ人の手とは思えない手。その人差し指に嵌めてある、大きな黒い石が嵌め込まれた趣味の悪い指輪に口づけをする。
ヘビを無理矢理人の形に押し留めたようなその男は、タダでさえ細い目を更に細めて笑った。
「お前のような尊い血を持つ者が元気よく成長する事は、実に素晴らしい。そうだろう、皆の者」
正にその通りかと、仰る通りです──全員が賛同する。
この場にいる大の大人全員が、目の前のガリガリの男に平伏している。恐れている。
──ヴォルデモート卿、あるいはトム・マールヴォロ・リドル。
この世界は、こいつに支配されている。
どういうわけか、ハリー・ポッターはヴォルデモートに敗北してしまったらしい。
ロナルド・ウィーズリーやハーマイオニー・グレンジャー、ネビル・ロングボトム──逆らった者はみな殺されてしまった。
そして暗黒の時代が訪れた。
イギリスだけではない。
スコットランド、アイルランド、フランス、ノルウェー──周辺諸国も全て支配された。
マグル産まれは全員奴隷階級へ。屋敷しもべ妖精と大して変わりのない扱いを受けている。
「──喝采を」
割れんばかりの拍手が鳴った。
今日は俺の11歳の誕生日。
前世でも誕生日会を開いてもらった事はあったが……こんなに息苦しくはなかった。
誕生日会だけじゃない。
この世界は、息苦しい。
◇◇◇◇◇
「立つのだ、スコーピウス。それとも11歳にもなってもまだ、お昼寝の時間が必要なのかな?」
「いいえ、卿。それには及びません。続きをお願いします」
「良い返事だ。では最初から始めよう」
いちいちカンに触る野郎だ。
痛む身体に鞭を打ち、立ち上がって背筋を正す。例え僅かな間だって、俺はこいつに弱いところを見せたくなかった。
「お辞儀をするのだ」
ヴォルデモートはお辞儀をした後、変な形の杖を俺に向けた。俺も父上に買ってもらった、純白の杖を構える。
俺は幼い頃から、死喰い人になるための訓練を受けさせられていた。
原作で、ヴォルデモートはホグワーツの教師になりたがっていた、という描写がある。
こいつは就職に失敗したストレスをぶつけるように、毎日毎日俺に闇の魔術を叩き込んだ。
認めたくはないが、こいつは優秀だ。教え方は荒っぽいが、言うことは的確。説明もわかりやすい。そして──こっちの“弱点”を明確に補強してくる。
「さて、スコーピウス。やるのだ。呪文は教えただろう」
「はい、卿」
「お許しを、どうか、お許しを! スコーピウス様、8年です。わたくしは8年もの間、おぼっちゃまにお仕えしてきました。覚えておいででしょうか、おぼっちゃまが9歳になられた時の事です。わたくしが──」
「──『アバダ・ケダブラ 息絶えよ』」
俺の杖から緑色の閃光が走った。
彼女はそれに当たると、体を一瞬大きく仰け反らせた後、動かなくなった。
死ぬ瞬間まで、俺を見ていた。
「ふむ。呪文の出来は良いが……甘いぞ、スコーピウス。次からはもっと話を聞いてやるのだ。全てを聞き、望みをチラつかせてから、ゆっくりと喉元に手をかけ、少しずつ少しずつ生命を奪うのだ。次からはそうせよ」
「はい、卿」
「聞き分けが良いな、スコーピウス。俺様はお前に期待している。お前は後少しで、良き死喰い人になれる。そう確信している」
「ありがとうございます。ご期待に沿える様、全力を尽くします」
「うむ。お前ならそう言ってくれると信じていたぞ。では次だ、この女の死体を焼け」
「はい、卿。『インセンディオ 火よ』」
俺の魔法はまだ弱く、人間の死体を一瞬で焼けるほどの火は出せない。
人の焼ける臭いが鼻の中に入って来た。昨日まで親しかった人が焼ける臭い。俺が殺した人間が焼ける臭い。気がおかしくなりそうだ。
最初はネズミのような小動物だった。
次は犬や猫と言った、ハッキリ意志の分かる動物。
その次は人語をしゃべる、例えば屋敷しもべ妖精の様な奴ら。
次は人。死喰い人が攫ってきた人間。ヴォルデモートが俺の耳元で、その人物の親しい友人とのエピソードや、恋人との甘い生活を囁いた。そして俺がその人間に十分に感情移入したところで、殺させた。
今日はずっと俺に親しくしてくれた、使用人の一人。
こいつはこうして、俺に人を殺させるのを慣れさせているのだ。俺の人を殺す事への躊躇いを感じ取ってのことだろう。
確かにこれは、死喰い人になるための的確な指導だった。
◇◇◇◇◇
ヴォルデモートとのお勉強会を終えて、部屋で精神を落ち着かせていると、母上が入って来た。手には救急箱が握られている。
屋敷しもべ妖精に任せたり、魔法で治せばいいのに、母上はいつもこうして俺を直接手当してくれた。
「……何か辛い事が有ったら、すぐに私に言うのよ」
「大丈夫です、母上。僕は何の苦労も感じていませんよ」
「それなら良いのだけれど……」
傷を一つ一つ丁寧に手当してくれるこの人を、俺は深く愛している。
前世での母親とあまり折り合いが上手くついていなかった事もあるかもしれないが、それを差し引いても母上が俺に注いでくれる愛情は心地の良いものだった。
だからこそ、余計に思うのだ。
この世界は、息苦しい。
母上はいつも泣いている。
父上が死喰い人としての任務で危ない目に会うたび、俺がヴォルデモートとの訓練で傷つくたび、本人は気がつかれてないと思っているが、自室で泣いているのを俺は何度も目にしていた。
「さ、そろそろご飯にしましょうね」
「手伝いますよ、母上」
「別に良いのに……。でも、そうね。せっかくですし、手伝ってもらおうかしら」
普段はシモベ達が食事の用意をするが、週に二、三度こうして母上自らが手料理を振る舞う。
俺に家庭の味を知ってほしいからだそうだ。
今日は特別な日。母上がいつもより丁寧に料理を盛り付けた皿を、豪華なテーブルに運んでいると、物凄い勢いで玄関のドアが開く音が聞こえた。
慌てて部屋を出て玄関ホールに行くと、父上が血みどろになって立っていた。
「貴方!」
「父上!」
母上が金切り声を上げた。
屋敷しもべ妖精達が包帯やハナハッカを持って駆け寄る。
「アメリカの魔法省と戦いになった。安心してくれ、呪いの傷は受けてない。全部元通りに治る」
「父上、僕が治療魔法を」
「スコーピウス、そんな事をする必要はない。お前くらいの歳の子が、戦いの傷なんか見るものじゃあない。アステリア、スコーピウスと一緒に食事を始めていてくれ。着替えたら直ぐに行く」
俺は母上に連れられ、部屋に戻された。
俺は自分が物凄く非力になった様な気がした。
ヴォルデモートは全世界を支配する気だ。それができるだけの力も持っている。しかし、世界は広いし、各国の抵抗も激しい。いかにやつと言えど、一筋縄ではいかない。
だが、ヴォルデモートは不死身だ。
父上の代で成されなかったとしても、俺の代で成せばいい。俺の代で成されなかったとしても、俺の子の代で成せばいい。
この戦いは、少なくとも俺の代では終わらないだろう。つまりは、死ぬまで戦いの日々だ。
結局俺と母上は、父上が来るまで料理に手をつけなかった。
魔法というのは便利なもので、いつまでも料理を温かいままでとっておけたり、埃が入らない様に保護したり出来る。
やがて部屋に入って来た父上は、まだ手がつけられていない料理にちょっと驚いた後で、柔らかい笑みを浮かべて席に着いた。
「なんだ、待っていたのか」
「今日は特別な日ですもの。家族揃って、ね」
「ああ、そうだな。改めて、スコーピウス。ホグワーツ魔法魔術学校入学おめでとう」
「本当におめでとう、スコーピウス! 貴方は私とドラコの誇りよ」
「ありがとうございます、父上、母上」
優しげに微笑む父上と母上。
今日は八月三十一日。明日からホグワーツ魔法魔術学校が始まる。
教師は全員変わってしまったが──設備や外観は原作と変わらない。
貴族というのは面倒なもので、節目節目にお茶会やパーティーを開かなくてはならない。そこで俺は、既に同世代──あるいは近い年の子供──と交流を持っている。
彼らと共に過ごす学校生活は、中々楽しみだった。
「父上と母上は、どの様な学校生活を送ってらしたんですか?」
「そうねえ。あの頃は姉様にべったりだったわ。あの頃は楽しかったわねえ、何も考えずに良くて……」
目を細めて宙を見つめる母上。
母上の姉様──ダフネ・グリーングラス。昔はこの家に一緒に住んでいたのだとか。
詳しい事は知らないが、俺が2歳の頃に戦死したらしい。
「あの頃は楽しかった」、今は楽しくないのだろうか。
「私は──そうだな──いつも威張り散らしていたよ。今にして思えば、恥ずかしい限りだ。クラップとゴイルの二人を連れ回していてな」
クラップとゴイル。
この二人も既に故人だ。
クラップはハリー・ポッターとヴォルデモートのホグワーツでの決戦の最中死に、ゴイルはヴォルデモートの反感をかって殺された。
「それで、ポッターといつも喧嘩していたよ。ハリー・ポッターとね……」
「ハリー・ポッター……」
「そうだ。あのハリー・ポッターだよ。私が殺してしまった、ハリー・ポッター……。本当なら、あいつは闇の帝王に勝っていたはずだったんだ。僕さえ、そう、僕さえいなければ、暗黒の時代になる事も、お前とアステリアを危険な目に合わせる事もなかった!」
──!?
父上が──ドラコ・マルフォイがハリー・ポッターを殺した……?
どういうことだ。
俺は今まで、どうしてハリー・ポッターが原作と違って闇の帝王に負けたのか、散々調べてきた。
だがどの本にも「闇の帝王が真に偉大であったから」のような、ヴォルデモートを褒める内容しか書いていなかった!
「父上、昔に何があったんですか!?」
「スコーピウス、私は──」
父上の言葉は、巨大な破壊音に遮られた。
次の瞬間、ドタドタと目が血走った男達が入って来た。父上と母上が直ぐに杖を取り出し、構える。
「アメリカ魔法省! つけられていたのか……アステリア、スコーピウス! 私のうし──」
「『アバダ・ケダブラ 死よ』」
男の一人が母上に向かって死の呪文を放った。父上は母上を庇った。
ヴォルデモートとの訓練で培った経験が告げる。父上は死んだのだと、もう帰っては来ないのだと。
ドラコ・マルフォイは、死んだのだと。
「ドラコ! 返事をして、ドラコ! いやああああ!!!」
母上の悲鳴が、遥か遠くから聞こえた。その声は段々と、更に遠くなっていき、やがて何も聞こえなくなった。
代わりに、俺の物凄く近くで、耳元で蛇の声がした。
──呪文は知っているだろう?
俺は自分でも驚くほどの速さで、杖を抜き呪文を放った。
父上を殺した男が、悲鳴をあげる事もなく死んだ。
そのまま一人、また一人と殺していく。
何を感じない。昨日まで人を殺す度にあれほど罪悪感を感じていたのに、今日は何も感じなかった。
──パチパチパチ。
場違いなほど平和な拍手が聞こえてきた。
そちらを見れば、一体いつからいたのか、闇の帝王が満足げな顔をして立っていた。
ここは姿現しの類が出来ないようになってるはずだ、どうやって現れた。
「良くやった、スコーピウス。これでお前は死喰い人として完成した」
それがどういう意味なのか、俺には直ぐに理解出来た。
これは闇の帝王が俺に課した、最後の試練だったのだ。最愛の人──父上を殺した者に対する復讐をする事で、俺の中の人は死んだ。死を喰らったのだ。もう死に躊躇する事はない。
そんな事のために……?
ふつふつとマグマよりも熱いものが、俺の中に込み上げるのを感じた。
だがあいつは、母上の後ろに立っている。俺が今ここで攻撃すれば、あいつは容赦なく母上を盾にするだろう! なんて卑劣なヤツなんだ!
「スコーピウス!」
母上が叫んだ。
両手で動かなくなった父上を抱き締めている。
「お姉様の部屋にある、大きな姿鏡の前に行きなさい! 最後の一つが、そこに隠してある! こんな未来は間違っている、全てをやり直すの!」
次の瞬間、俺は走り出した。
迷いはなかった。何故かは分からない。ただ、それが正しい事だと直感した。
「貴様! 『アバダ・ケダブラ 息絶えよ』!」
聞き慣れた呪文の音と、女性の悲鳴が背後で聞こえた。
それでも俺は、振り返る事なく、走り続けた。
背後からは、何かが追ってきている気配がした。
だから俺は、走り続けた。
ダフネ・グリーングラスの部屋の中央には、大きな姿鏡が置いてあった。
そこに映る俺は、にっこりと笑いながら、ポケットを指差した。
──こんな未来は間違っている、全てをやり直すの!
いつの間にか、ポケットの中に何か入っていた。
──私が殺してしまった、ハリー・ポッター……。
中には金色に光る、懐中時計が入っていた。
──この世界は、息苦しい。
俺はそれを
──力の限り回した!
「飛べよおおおお!!!」
辺りの景色がグルグルと回り始めた。
──ハリー・ポッターを忘れるな。
誰かの声が聞こえた。