それは雪の降る夜のこと。その男は白い息を吐き出しながら暗い夜道を歩いていた。気温は氷点下まで至っているだろうか。体を縮こまらせながら歩く男は外に出たことをやや後悔していた。
大学生の長期休暇にありがちな崩れに崩れた生活により深夜の二時だというのに腹が減って仕方がなくなり、コンビニで何かを買おうと家を出たのが五分ほど前。コンビニまではあと二分ほど。自転車はあったが雪が積もっているということも考え歩いて行こうかなんて思って歩いてみれば、こたつでぬくぬく温まった体が冷えるのにさほどの時間はいらなかった。
「ィらっしゃーせぇ」
コンビニ店員のどこか眠たげな声を聞きつつ入店し、彼はチルドの弁当と菓子パンをいくつかと紙パックのコーヒーを購入して外に出た。おでんも置いてあったが、夜ということもあり好きな具がなかったので買わなかった。
店から出ると雪は勢いを増しているように思えた。都内でこんなに降るってやばいよななんて考えて歩いているうちに、今日はもう帰ったら寝て、このコンビニ弁当は朝起きてから食べようかななんて考えなおしているその時だった。
モノが擦れる甲高い音。それだけじゃない。クラクションの音だ。彼には光が迫ってきているように感じた。
硬直する体とは裏腹に高速で回転する頭の中では冷静に状況が整理されていく。大型トラックがスリップしながら自分に突っ込んできている。ガードレールはない。避けれない。つまり?
答えを彼が知ることはないだろう。時速八十キロで二十トン以上の物体がぶち当たり、電柱とサンドイッチされた男はもはや原形をとどめることもなく、そこにはひしゃげた肉塊と粉々になった骨がある。積もった雪の上に赤い暖かな液体がしみてゆく。
同じく雪の降る夜のことである。夏が終わりようやく暑さも落ち着いてきた季節のことで、暦の上ではまだ秋。この時期には珍しく雪が降っていた。冬まではあと二か月ほどある。それなのにこれほどの豪雪というのはおかしなものだと立ち寄ったフキヨセシティの住民もそう言っていた。
アララギは研究の一環で、イーブイが特殊な進化をする場所を訪れていた。そこは冬になるとフキヨセシティ並びにセッカシティ側からは入れなくなるようで、この雪ではもしかすると春まで待たなくてはならないということで雪をかき分けて進んでいった。
こんなことならタワーオブヘブンに行くのを後回しにすればよかったなんていう後悔は後の祭りである。タワーオブヘブンの一番上の鐘を鳴らすといい出会いがあるというのはイッシュ地方のあらゆる女性の知るところである。このうわさを聞きつけてほかの地方からも人が来るほどのスポットであるが、今日は悪天候もあり自分ともう一人くらいしか人はいなかった。
その時は運気が集中して今いい風が吹いてるなんて鐘を鳴らしながら思ったものだが、今吹きすさぶ風は冷たく身を刺すようである。暖かい服装に身を包んでいるとはいえ顔や手は今にも凍りつきそうだ。
7番道路を途中の休憩所で休みながらも歩いていくと、ようやくネジ山の入り口が見えてくる。
「私の専門は頭脳労働だっていうのにまったくもう」
悪態を吐いても雪の重さは変わらない。最近座りっぱなしで鈍った肉体は今にも悲鳴を上げそうだった。フィールドワークをもっとするようにしようなんて頭の片隅で考え、ようやく洞窟の中に入ることができた。
中は外より暖かかった。腰を落ち着け一息つき、体力もおおよそ回復したので洞窟の奥を目指すことにする。
飛び出てくる野生のポケモンにうまく対処しながら進むこと数時間。地図の通りに来ているとすればそろそろ目的地に着きそうである。歩いていると少し先にタワーオブヘブンで一緒になった女性がいた。
「あ……どうも」
「え……? あ、はい、どうも」
なんとなく気まずい。タワーオブヘブンにいたということは彼女もきっと自分と同じ目的であの塔の鐘を鳴らしたのだろう。こんな雪の中わざわざ。なんて必死なんだろう。そう思うがそれはブーメランで自分に返ってきたように思えた。
アララギは自分を正当化し始める。自分は今まで研究一筋で男性と関わることがなかったからそういう機会に恵まれなかっただけでちゃんと出会えれば男なんてイチコロだけどたまたま偶然このネジ山の近くにタワーオブヘブンがあったから寄っただけなんだそうなんだと考える。
アララギの正面に立つ女性も同じだった。彼女の名前はシロナ。今年はジムバッチをすべて集め終え、来年か次の年くらいにはチャンピオンになろうと考えるポケモントレーナーであり、新米ではあるが考古学者でもある。
シロナも自分の行動を誰に言うわけでもないのに言い訳していた。私はトレーナー業と学者の生活が忙しかっただけで男を捕まえるのなんてポケモンみたいに出会えればたぶん余裕だけど子供のころから一緒に育ててきたイーブイを進化させるついでに近くにあるタワーオブヘブンに上っただけであってあれメインじゃないからセーフセーフ。
二人の奇妙な沈黙は一分ほど続き、どちらからともなくなんとなく愛想笑いを浮かべながらお互いに牽制球を投げ合うような会話のキャッチボールをすることとなった。
ぼんやりとお互いの事情が明るみになり、じゃあ一緒に行きましょうかとなるのは同じような空気を感じたからだろうか。和やかにお互いの研究分野について話し合いながら歩いていくとなんと行き先は氷で覆われて進めなくなっていた。
「おかしいわね」
アララギのつぶやきにそうなの? とシロナは問い返した。アララギはシロナにここが凍るのはあと二か月以上かかるということを教えると、シロナも口に手を当ててううむと唸って考えてしまった。
「まあ、じゃあこの氷を溶かしても問題はないわね」
少し考え込んだ後にシロナはそう言って腰のモンスターボールから一匹のポケモンを繰り出した。少し寒そうにしながら出てきたポケモン。名前はガブリアスという。
「あの氷に向かって“かえんほうしゃ”よ!」
ガブリアスはその指示に従い口に炎をため込んだ。
「ちょ、ちょっとまって!」
アララギの静止の声は遅く、ガブリアスのかえんほうしゃは見事に氷に直撃した。
「なんなの?」
「もしかしたらこの時期の氷は生態系を構成するうえで重要な要素かもしれないじゃない!」
「でもセッカシティの人たちもおかしいって言ってるんでしょ? じゃあいいんじゃないの?」
アララギは返答に困った。それも一つの事実である。しかしそうではないかもしれない。ここの場所の生態系や一年を通しての記録などを知らないので何とも言えない。結果、ぐぬぬと歯噛みするしかなかった。
「あら? おかしいわね」
そんなアララギを通常の思考に戻したのはシロナのそんなつぶやきだった。よく見るとガブリアスがかえんほうしゃした氷は全くと言っていいほど融けていないようであった。その後何度かかえんほうしゃをうってみても同じである。
「うーん、これは要観察ね」
この解けない氷はもしかするとこの奥にあるという氷で覆われた岩、ひいてはイーブイの進化条件に関わるものかもしれない。
「今日はここで泊まりましょう」
「外は雪だしビバークね」
「元から洞窟の中じゃない」
そういってアララギが寝袋などを敷き始めるとシロナもそれに倣ったように近くに野営の準備を始めるようだった。イーブイを進化させる目的で来ているのだから氷がなくなるのを待つのはまあ当然であるのかもしれない。しかしなんでまた自分の近くで寝ようとしてるんだと思っているとシロナから言葉が発せられた。
「材料は渡すから、料理してくれない?」
「私もできないわよ?」
シロナの寝袋がちょっと遠くになった。
ひとまずの食事を済ませて夜。アララギはカメラを起動して氷を定点撮影し、眠ることとした。野生のポケモンに邪魔されないように虫よけスプレーを周囲に散布してから眠りにつく。それから何時間経ったのだろう。不意に目が覚めた。
頭の中に重い音が響いているような気がする。ゴーンゴーンとまるで鐘を鳴らしているかのようだ。タワーオブヘブンの鐘を思い出すがあれよりも大きく、重い音であるように感じる。
「何よもううるさいわね……」
目をこすりながら寝袋から這い出てきたシロナにもこの音が聞こえているようであった。音は大きくなっていく。もはやうるさいというレベルを超える。バクオングやドゴームが集団で騒いでもこれほどまでにうるさくはならないだろう。意味がない気はしたが耳を抑える。
そして数分。最後にひときわ大きく鐘が鳴ったかと思うと、何かが割れるような音が響いた。それ以降、今度は耳が痛くなるほどの静寂に変わる。
「一体なんだったの……?」
まだゴーンゴーンと音が聞こえるような気さえした。アララギは周囲を見渡すことで一つの事に気が付く。氷がなくなっていた。
「あら? 氷が……これは砕けているのかしら」
シロナもそれに気が付いて様子で、砕け散ったと思しき氷を手に取って確認してみる。
一つ一つ確認してみると、それはすべて同じ大きさに砕けているようだった。縦長のひし形に割れていて、その中には虹色に光る球体が入り込んでいる様子である。虹の球体には何かの模様のようなものが描かれていて、アララギにはそれが葉っぱのようであるとしか感じることができなかった。
破片を踏まないように奥に進んでみる。そこには氷で覆われた岩が鎮座している。それは特に変ではないかのように思えた。
しかしその下にいるポケモンは特異であった。
「あれは……? なぜウルガモスがこんなところに?」
イッシュ地方では古来から太陽の化身という扱いもされているポケモンである。ネジ山での発見報告は聞いたことがない。
その時、隣にいたシロナが息をのむ。アララギにもその理由はすぐに分かった。
ウルガモスがはばたく。行動は威嚇のようでこんな強大なポケモンに暴れられたらひとたまりもないと思ったアララギだったが、その体に抱えているものにすぐ目が行った。
人であった。小柄であるのは子供であるからだろうか。全裸である。そして、それはすなわち性差が歴然としているということであった。
「お、おと、男ぉ!?」
「あ、あぁ、あ!?」
言葉を発することのできたアララギと、意味のある音を発することのできなかったシロナ。彼女たち二人はそこの差はあれど心の中は一緒であった。パニックである。
男とは伝説のポケモンみたいなものであるといったのは誰だったか。どこかの地方のチャンピオンであったかもしれない。
男女比1:511というデータがある。これは出生率を表したものだ。そして生まれた男児は丁重に扱われる。蝶よ花よと温室で育てられ、彼らは結婚し子を育てる。
男は基本的に外に出ないのだ。普通の家庭や暮らしをするうえで男に出会う機会は0に等しい。シロナやアララギもそうであった。妄想の中では百戦錬磨の恋愛マスターであった彼女たちだったが実際目の当たりにしたとき行動をとることはできなかった。
ウルガモスはそんな二人をはじめこそ警戒するように威嚇していたが、やがて彼女たち二人が危害を加えることがなさそうだと判断したのかウルガモスはぷぃーとどこか気の抜けた鳴き声を上げて、抱えていた少年をゆっくりと地面に下ろしてから少し下がった。
ゆっくりと近づく。じりじりと近づくアララギとシロナは恐る恐るといった様子で、未知の恐怖のようなものを感じていた。しかし同時に、興味と、好感があった。
男性である。出会えない、見れない、話せない。関わりもなく、今後出会える可能性もごくごく低い。そんな存在。出会えたとしても彼らと自分が結婚できるかどうかといわれれば可能性は限りなく低い。それが男性だ。そんな低確率の中の低確率を潜り抜けてようやく会えるような存在が今目の前にいる。
張り付いたように喉から声は出なかった。口が何度ともなくパクパクとコイキングのように開閉を繰り返すが漏れるのは浅い吐息だけだ。
そっと、指先が肩にふれた。
アララギは生涯その瞬間を忘れないことだろう。温かかった。それがウルガモスの熱なのか、彼自身の体温なのかは定かではなかったが熱と同時に感じたビリッとした感覚は錯覚ではないはずだ。この甘い快感を求めるのが女性なのだろう。男は、甘かった。
「だ、大丈夫……?」
声をそう発していたかはわからない。アララギの中ではそう言っていたはずである。しかし隣のシロナが
「ひょっとあにゃららいひょうふれひゅか」
とかそんな感じの意味の分からない言葉を発していたことから考えるともしかすると自分もそうであったのかもしれない。いくらか揺すっても彼が起きる気配はなかった。いつまでも全裸のままに洞窟に寝かせておくというのも良くない。恐る恐る触れながら毛布で包み、彼を寝袋の中に押し込んだ。
「私のルカリオが運ぶわ」
シロナの言葉にアララギは了承せざるを得なかった。アララギが連れているポケモンでは人を抱えて運ぶことができるようなものはいなかったのだ。アララギはあたりに散らばっていた砕けた氷や、落ちていた彼のものと思われるリュックサックを持って移動を始めた。
外に出ると雪は止んでいた。今までの天候がなかったかのような快晴は暖かく、足元が雪でなければ季節相応といえるだろう。
雪が融けて足元がぐちゃぐちゃにならないうちに何とかフキヨセシティまで着こうと二人は強行軍をとった。
続くか未定