散々アバターの性別を悩んだ結果、結局のところ男は性別を変えずプレイすることにした。
最初から女性体なら抵抗も少なかっただろうが、以前のプレイ時に性別の分からないアバターだったとはいえ中身は男性だと知られている。
そこに女性体で会いに行ったら、ロリコンバードマンや腐れゴーレムクラフターにからかわれるだろう。それを思えば腹が立つし、ギルドの軍師やギルド随一の魔法詠唱者には生暖かい目で見られそうで気恥ずかしい。
卑猥な肉塊等の女性陣には歓迎されそうな気がしないでもないが着せ替え人形になるのが目に見えている。ギルドマスターや最強の聖騎士だけが救いになりそうな状況だ。
男はそんな気疲れしそうな状況を想像し、自分の嗜好を(断腸の思いで)引っ込めた。それに有料の情報サイトを見ていたら性別を書き換えるワールドアイテムが発見された、との情報があったのも大きいだろう。
ワールドアイテム、それはワールドと言う言葉に並々ならぬこだわりを持つ制作と運営の狂気の沙汰とも言える総数200個しかない壊れ性能なアイテム。
そんなワールドアイテムの『メビウスの帯』
擬装や一時的な変化ではなく対象になった相手の設定から書き換える。それはモンスターやNPCだろうが敵対プレイヤーだろうがお構い無し。
防ぐにはワールドアイテムを所持しているか、最高峰職業であるワールドチャンピオンのスキルを使用するしかない。
性別に依存する装備や魔法・スキルがある上に、戦闘職でなくてもユグドラシルは外装で人気に火が点いたと言っても過言ではないゲームであるため、当然外装に拘りを持つ者は多く、そんなプレイヤーに与える精神的なダメージは計り知れない。
極一部には女の子に男装させたり男の子にスカートを履かせたりするプレイヤーもいたりはするが……
ともあれ、それらを考慮するとワールドアイテムの名に恥じない?恐ろしさである。
もちろん書き換えられてしまえば元に戻すには再度メビウスの帯か、二十と呼ばれるより強力なワールドアイテム群の中で運営に願い事を叶えて貰える、ウロボロスを使うしかない。
しかし、もしウロボロスを入手してもそんな事――そう断言するには人の嗜好は多岐に渡るが――ソレに使うならそのままプレイするか、どうしても直したいならアバターを作り直した方がマシだと考えるプレイヤーが大半だろう。ともするとゲーム自体を辞めてしまうプレイヤーも出そうだが、使用者と対象者のユグドラシルでのデータ、つまり存在を抹消するワールドアイテムもあるのでまだマシとも言えなくはない。
メビウスの帯は使いきりではないので使った相手から奪い取るという手段もあったりもするが、次の使用までには90日のクールタイムが設定されているので結局暫くはそのままだ。
まぁ、クールタイムが設定されてなかったとして腐れゴーレムクラフトの様な人物の手に渡った場合、ゲームが阿鼻叫喚な事になるので妥当とも言える。
残り少ない期間で入手出来るとも思わないが、そんなアイテムがあると知っていれば心の慰めにもなる。そう考えつつ男は、少し前ならこんな馬鹿な事で悩める状態では無かった事を思い苦笑する。
種族クラスの構成も決まり、家族に会う時間と睡眠や食事等の生活時間、仮想空間にダイブする上で必須と義務付けられている休息時間を除きひたすらLv上げに勤しんでいた。休息時間にユグドラシルのオークションを閲覧するのは勿論忘れない。
開始した当初こそ久しぶりの仮想空間に入る事でのダイブ酔いと、以前のアバターがアバターだった事もあり四肢を動かすのに四苦八苦していた男だったが、今では自分の手足の様に動かせていた。
それはさて置き、仕事はどうしたのか?と白い目で見られそうな生活だ。
男は無職、と言う訳ではないが働いているかと聞かれたら否、と答えるだろう。
以前は普通のサラリーマンをしながら父親の仕事を年の離れた中学生の妹と共に手伝っていたが、ユグドラシルを辞める少し前に父親を病で亡くし母親も妹が小学生になってすぐに病死していた。
小学校を卒業して直ぐに働く事も増えてきたご時世に、せっかく中学校に通えている妹、その大事な家族が、望めば高校にすら通えるだけの学力は本人の努力と受け継いだ両親の資質も有り、学費も何とか捻出できる。
そんな将来を断たせる訳にはいかず、サラリーマンを辞め父親の仕事を引き継いだ男は天手古舞いとなっていた。
父親の仕事は今となっては珍しくなった農業、とは言っても昔の様に外で土を耕し陽の光を浴び雨という自然の恵みを受けて育てる、といった事は常に陽を遮るスモッグで覆われた空と汚染された土壌では無理だ。
だが、男の祖父は汚染が進み始めたタイミングで田畑の殆どを売り払い、その資金と更に借金をしてまで外気を遮断するビルを建て、その中での野菜の育成に取り組んだ。
国や大企業による大規模室内プラントは既に稼働していたが、男の祖父は残していた僅かな畑の土を掘り出し態々運び込み、それを敷き詰めその土で野菜を育てる、といった手間もお金も掛かる方法を選んだのだった。
周囲の人間からは馬鹿にされ呆れられたが、時が進み男の父親が農業を手伝う頃になると外はすっかり人が生きていけない程に環境汚染が進み、農業なんて以っての外に。
そうなると野菜は、いや野菜に限らず精肉や鮮魚等、昔は当たり前に食べていた物が贅沢品となる。
一般市民の食事が化学調味料で様々な味付けをされた液体食料と栄養サプリメントで済ませるのも珍しくない中、野菜は中々手が出ない高級な嗜好品、その中でも水耕栽培が当たり前の中で敢えて土耕栽培(正確には養液土耕栽培だが省略)で育てた野菜がアーコロジーの住人である富裕層にウケた。
いつの世も希少性というのは人を魅了し、富裕層の贅沢が行き着く先は食である
作っている者自身が驚くような値段で野菜は売れ、男の父親は富裕層の中でも上位の権力者の顧客を獲得し、更に信頼を得て(身辺と身元は調べられたが)特別にアーコロジーへの入場許可を貰い直接客に配達するまでになる。
男も父親を手伝い、配達に付いていった事で顧客と面識があり父親が亡くなった後も引き続き直接客の元に赴いていたが、その配達の途中で事故に巻き込まれた。
その事故で男は左手首と両脚の膝から下、そして、たった一人の家族の時間を失った。
富裕層のドラ息子が、買ったばかりのクラシックカーを運転中に男の車を猛スピードで追い抜き前に出た瞬間、ドラ息子がハンドル操作を誤りクラシックカーはスピン、それを避ける為に咄嗟にハンドルを切った男の車は避けきれずに弾かれる形で塀を突き破り陸橋から落ち、大破する。
一命は取りとめた男だったが、潰れた車に挟まれた両脚と妹を庇おうと差し出したらしい左手も原形を留めておらず切断する事に。
助手席に座っていた妹は奇跡的に大きな怪我こそ無かったが、頭部を強打し事故から一度も意識を取り戻していない。医師は、「男の左手がクッションになっていなければ死んでいたかもしれない」と語ったが妹がその様な形で助かった事に男は複雑な感情を抱いていた。
男が無理をすれば仕事を続ける事は可能だろう。だが妹の面倒はどうする?国が形骸化して久しく、医療費や介護費は全額自己負担になり男の治療費だけで貯えは消える。
事故の責任がドラ息子にあるのは明白なのだが、外の住人がアーコロジーの住人に賠償を求めるのは、昔で言うなら国家賠償を求める以上の困難を極まる事で当てには出来ない。
以前通りの稼ぎがあれば妹の入院費だけはギリギリ賄えるかも知れないが、それにも男が仕事が出来るまでに回復するには時間がかかり、回復して働いたとしても入院費を払えば男の生活が立ち行かない。男が倒れる時は妹の生も閉ざされる時だ。
だが、その逆なら……
ほの暗い考えが男の頭で浮き沈みしていた時に、想定外の吉報が以外な相手から告げられた。
「事故を起こした相手が賠償金を払うそうですよ。それと貴方の仕事を引き継ぎたいと言う方からも連絡を取りたいとの伝言を受けてます」
そう告げたのは事故以前から顔を知っている、正義感に溢れた警察官だった。
あり得ない話とあり得ない申し出に男は驚嘆したが、この警察官が嘘や悪い冗談を言う様な人ではない事を男はよく知っている。
警察官へ共通の友人達への言付けを頼むと、相手の気が変わる前に急ぎ、先ずは仕事を引き継ぎたいとの相手に連絡する事にした。
あらましと結果だけを書けば、男が約束の時間を過ぎても来ない事を不信に思ったアーコロジーの権力者が男の携帯端末に連絡するも不通、遅刻すら男の父親の代から一度も無かった故に気になった権力者は、ふと思い立ち知人の警察幹部へ連絡し軽い調子で訪ねる。「野菜を積んだ外の車が警察の世話になってないか?」と、そして権力者は激怒する事となる。
げに恐ろしきは人間のそして日本人の食への執着か、若しくはお気に入りの玩具を壊された子供の癇癪と同じようなものだったのか、権力者は事故を起こしたドラ息子の親が自分の経営する企業の社員と知り、楽しみを奪われた自身の為の憂さ晴らしか、男とその妹を憐れに思ったのか…あるいは両方か、男への賠償とその息子へ男の仕事を引き継ぐ事を命じた。
アーコロジーでも有数の権力者の命に逆らう事は外への転落に終わらず、謎の死へ直結する可能性もある。大き過ぎる格差はアーコロジー内部にも横たわっており、ドラ息子とその親に断るとの選択肢は無かった。
こうして男は、祖父の代から引き継いできた仕事を、事故を起こした憎い相手へ引き継ぐ事に思う所が無かった訳ではないが、任せる事にした。
実際の経営権は権力者へと移ったが、男は代表として名前だけは残す事になり細々とだが収入が約束され妹の入院費までも国から、実際には子会社化された農場の親会社からだが、補助を受けほぼ金銭的負担が無くなるという破格の待遇を受ける。多額の賠償金も一括で男の口座に振り込まれていた。
男は大きな決断をした祖父と大きな伝手を作った父親に感謝したが、目を覚まさない妹とその将来を思うと気が晴れる事は無かった。
そんな鬱々とした日々を過ごし、妹の見舞い以外に何をするでも無く年月を過ごしていた男が目にしたのが事故を切っ掛けに引退したゲーム、ユグドラシル終了の告知。
事故の前から忙しくなりログインする機会と時間が減ってはいたが、仕事を除くと日常でまともに会話していたのは妹だけだった男の数少ない絆がある場所……それが、ユグドラシルだった。
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