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夏、本番――
所謂“夏の甲子園”に向け、暁大付属は西東京大会準々決勝まで鎧袖一触。標榜する“常勝無敗・完全勝利”を実践し、押し並べて5回コールド勝ちを収めていた。
2年連続代表選出を目指して意気軒昂なる母校とは相反し、私は意気阻喪としてその過程を見守っていた。理由は実に単純である。
「10番、猪狩!11番‥‥‥16番、十!」
初めてのデートから一夜明け、どこか祈るような気持ちで臨んだレギュラー発表。
1番から9番までは誰しもが想定した通りのメンバーで固定され、猪狩守もベンチ入りを果たしている。残り6枠は全て3年生が選出されるものと思い込んでいた矢先、あと1人と言うところで発生したインターセプト。
これでまた月イチで恥辱を味わうのかと思うと、私はアノ日を迎える直前の頃より悄然となった。
幸いにも十升には代打の機会すら無かったけれど、監督が導入したプロ仕様のバッティングマシーン“球仙人”相手に採点記録を更新し続けていて、流石の猪狩守も迂闊に挑発し兼ねてたわ。
「隣り、宜しいかねお嬢さん?」
ギラギラと照り付ける日差しを遮るのには、些か疑問符を投げ掛けざるを得ないニット帽の中年男性が、私に声を掛ける。ヒートアップし過ぎたのか、脱水症状を起こして救護室へ運ばれた2軍部員によって、隣が空席となっていたからだ。
「どうぞ」
影山秀路。自らの審美眼を頼りに12球団を渡り歩き、野球と名の付く組織なら、その全てにパイプを持つと称される名スカウトマン。
その時はまだ私的な会話を交わしたことは無かったけれど、関係者以外立入禁止の1軍専用グラウンドにもフリーパスの人物。いつも通り軽く会釈をして、自分の座っていた通路側の席を譲る。
「ホゥ、今日は花丸だな。これなら完全試合だって充分有り得るんじゃないのか?」
時折独り言なのかどうか、判別し難いボリュームで喋る影山スカウト。
とりあえず私に話し掛けているのが確定的になるまでは、声援にかき消され、スコアブックに集中しているフリを通すことにした。ベンチでは3年生の男子マネージャーがワセダ式で記している筈なので、私はKO式だ。
彼の言葉通り、明治神宮第2球場ではエース・一之瀬塔哉による快刀乱麻のピッチングショーが演じられている真っ最中。四球はおろか、エラーによる出塁すら無い。
「いやぁ参った、コリャ争奪戦は必至だ‥‥‥そよ工の阿畑君も悪くない、悪くはないが」
今時珍しい鍵付の手帳を横目にボソリ、ボソリと呟きながら、チョコチョコとペンを走らせる。ピッチングの善し悪しだけじゃなく、打たれたり、エラーが出た時の反応。感情の表現、仕草、細部まで観察しているのが判る。
どれだけの範囲を担当しているのか定かでは無いが、球児達だけでは無く、大学・社会人を含めれば幾千もの選手の中から、毎年十指にも満たないプロ候補生を探し出す、途方も無い仕事。
入団テストの挑戦を除けば、彼の目に止まらないだけでNPBプレイヤーになる可能性が、最大で約8.34%も失われる。
逆に言えば、彼へのアピールと所属球団のニーズのマッチングにより、1/840のエリートとなる夢が、グッと近付いて来るのだ。
「おやおや、随分と気前の良いこった」
二宮瑞穂のタイムリーにより更に1点を加え、7回を終えた時点で6点差。パーフェクトゲーム達成まで、残すところ後2イニングス。
2ケタ11奪三振、打っても2ホーマーのオマケ付きで、今大会、台風の目とも言われた阿畑やすし-石原泰三の自称・そよ工黄金バッテリーも、調整相手にしかならなかった。
『デッドボール!』
『そよ風工業、選手交代のお知らせをします。バッターランナーの永瀬くんに代わりまして、ピンチランナー阿畑(きよし)くん――』
続く8回表。プレッシャーに圧されて手元が狂ったのか、大記録を前にして初めて犯した失投は、高校球児には不似合いな長髪選手のユニフォームを僅かに掠めた。
相手打者は上手く避けようとして却ってバランスを崩したらしく、転んだ拍子に自身のバットで怪我をした為、1塁まで歩くことも出来ずに代走が送られている。
『続きまして、暁大付属の選手交代をお知らせします。ピッチャー、一ノ瀬くんに代わりまして、猪狩くん』
その直後。未だノーヒットノーランの可能性を残したまま、突如告げられた選手交代の報に、球場全体が騒然となった。
「なんでぇ?どーして一ノ瀬きゅん代えちゃうのよバ監督!」
「とうや出せー!出さなきゃ帰っちゃうんだからぁ~」
「サンを付けろよこのデコ助野郎!ですわッッ」
マウンド上に集まるナインが動揺を隠し切れないでいる中、指揮官の伝令を携えた猪狩守がバッテリーに何やら告げると、二宮瑞穂がベンチの方を睨んだ。
そしてソレを気にも留める風でも無く“投球練習をするから早くキャッチャーボックスに戻れ”と促すようなジャスチャーを見せた後輩の態度に激昂し、それを一ノ瀬塔哉がようやく宥める。
「なにあのコ?チョー可愛い!」
「あ~~~ん、なんか萌えーっ」
「ムアッハー‥‥‥ベネ b」
ノーアウトランナー1塁。バッター石原は、その大きな身体を窮屈そうに折り曲げ、この点差でもややセーフティ気味にバントの構えを見せている。
更に代わり端の初球、サイン違いの影響で二宮瑞穂がボールを後ろへ逸らしている間に走者が進塁し、ノーアウトランナー2塁。状況が変わり、送りバントの構えは無し。
カウント1-1からの3球目。バッターが1-2塁間への進塁打を放つも、セカンド四条の堅守に阻まれ、3塁タッチアウト。
間一髪のところで併殺だけは免れ、場面が1アウトランナー1塁に切り替わると、一矢報いんとする気力も失せたらしく、次の打席には3年生の控え選手が代打として登場。
球児生活最後の思い出作りなのだろう、代打の切り札として投入したようには全く見えない。僅か2球で簡単に追い詰めると、三球三振を狙ったストレートが、気持ち甘く入った。
打ち取ったかに見える打球はフラフラと二遊間の頭上を越え、センター前へ。所謂ポテンヒットと呼ばれる当たりになる。
だが、ショート六本木は背走しながらこれに追い縋り、ボールは彼の差し出したグラブの中に、スッと収まった。そして目前にまで猛追していたセンター八嶋に絶妙なグラブトスを繰り出すと、彼はそれに呼応して1塁へ好返球。
一か八か、一気に本塁まで駆け抜けるつもりだったランナーは、帰塁動作に入る事すら許されずに6-8-3のダブルプレーが完成。スタンドからは悲鳴と歓声が沸き起こる。
『ゲームセット!』
そして8回裏、コールド成立となる猪狩守のサヨナラホームランが、彼らの夏に終わりを告げた。
全国高校野球選手権西東京大会・準決勝第1試合
そよ風工 000 000 00 0
暁大付属 040 010 11X 7
(規定により8回コールドゲーム)
~フーテンスカウト回顧録~
私は平成8年度もゲムズボックス神戸との契約を更新し、関東地方でのスカウト活動を継続していた。今思えばチームは最絶頂期にあり、私の羽振りも中々良かった。
彼に惚れ込んだ時の事は、今でもよぉ~く覚えている。
あの日は準決勝の視察後に、お目当ての暁大付属に敗れ、一足先に引退しているパワ高の谷田球一君と、その親御さんに内内定のご挨拶をするアポが入っていた。
面談後には、同席する予定の大波監督と一献傾けるだろう。そう踏んで私にしちゃあ珍しく、電車で移動したのだ。
せっかくだからと新調したサマータイプの快適さに気を良くしていたのも束の間、人身事故に巻き込まれて立ち往生。職業柄ゲンは担ぐ方なので、下ろし立て早々2軍行きかと帽子の網目に手を当てる。
親会社のリース車を乗り回してガソリン代を請求してる手前、タクシーを使うと全額自腹になってしまう。熟考の末、遅刻覚悟で振替輸送を選択したっけな。
どうにかこうにか辿り着いた神宮の杜には、どちらの応援と言うワケでも無い高校野球ファンも多数集まり、2階席も開放される程の賑いを見せていた。私はアマの為に有る、この第2球場の狭っ苦しさが実に好きだ。
当然、今年の有力ドラフト候補である特A左腕詣でに、御同業もお偉方同伴で大集結。
中には“いっちのせさ~~ん、キャー☆”だの“塔哉くんコッチむいてェ!”だのと黄色い声援を送る追っかけも目に付き、対戦相手の中にも今日活躍すれば注目されるでは?などと淡い期待を膨らませている若者は、1人や2人じゃないだろう。
別にそれが悪いなんて話じゃない、是非そうあって欲しいモノだ。何しろ、私はその為に足を運んでいるのだからね?
「んん~好調好調。結構ケッコーこけこっこーっと。隣り、宜しいかねお嬢さん?」
制服からして学園の生徒に相違ないが、一般生徒は授業中の筈。つまり、野球部関係者。
プレイボールに間に合わないと言う失態を犯したが、運良く座席を確保出来たのでトントンにしても差し支え有るまいと、おニューの評価を改める。
そう言えば確か、セカンドの四条君には妹が居て云々と聞いていたのを思い出す。風貌も、どことなく似ているしな。
確かこの年から女子も記録員としてベンチ入りが可能となった筈だが、流石に先輩を立てて、他の部員と一緒に応援席に回っている訳か。
親族が出場中の割には淡々とし過ぎている気がしなくも無いが、マネージャーとして公平無私の立場を貫いているとすれば、実に健気な娘さんだ。
「今日の調子なら完全試合も有り得るぞ‥‥‥コールドにならなければ、な」
別に話し掛けているつもりは無いが、ついつい声に出してしまう。が、無反応。
まぁこのクソ暑い中、ヨレヨレのジャケットを羽織った中年オヤジの相手をするのなんて、迷惑千万。世の中には平日休みの企業だって数多く存在するが、普通のサラリーマンじゃないのは一目瞭然だろうしな。
露骨に席を立たれたり、不審者扱いをされないだけ有難い。独り言は寛大なお心を以ってご勘弁願おう。
ユニフォーム姿の補欠組や吹奏楽部とは違い、懸命に声援を送ったりはしないが、一心不乱にグラウンドを見詰めつつデータ集計に勤しむ横顔は、中々に美しい。ウム、これは将来有望と感心したものさ。
時折、額に貼り付いた髪を掻き上げる度に汗とシャンプーの匂いが混ざり合う、何とも形容し難い色香が漂って来る。
イイ歳こいたオッサンが催すには、余りにも犯罪的な劣情で申し訳無い。縮こまった背筋を伸ばしつつ、ブラウスから透けて見えるブラジャーについつい目が行ってしまうのは男の性なのだ。
「こりゃ争奪戦は必至だな。後はもう怪我さえなければ‥‥‥本人には悪いが、いっそ甲子園に行かないでくれた方が助かる」
彼ほどの知名度を得てしまった選手では最早手遅れだろうが、思わず本音が出てしまう。高額な契約金で有望選手を買い叩くご時世にあって、私みたいな昔気質のスカウトもめっきりと減った。
セ界屈指の大砲、と呼ばれるまでに成長した福家花男や今シーズンの新人王当確左腕、神童裕二郎の如き逸材を下位指名で確保出来れば、向こう3年は枕を高くして寝れる。
あの千石君がやや誇らしげに自ら見出だしたんだと紹介されて以来、ずぅーっと見守っていた逸材の成長は、実に喜ばしい。
だが、野に埋もれたダイヤの原石を掘り起こすのに至上の喜びを憶える私にとって、既に誰の目にも活躍を約束されたかに見える一ノ瀬塔哉には、些か興を削がれた感が有ったのもまた事実。
そんな独り善がりな苦笑とは裏腹に、試合は周囲の期待を裏切らない大立ち回りが繰り広げられる。
「相手の‥‥‥阿畑君も悪くない。悪くはないが、もう限界だろうな」
そよ工の項目をチラリと確認し、再びグラウンドに目をやる。彼の力投に対する援護も無いまま、味方のエラー絡みで失点を重ねる悪い流れ。
苛立ちから制球を乱しており、自滅寸前。いや、そう断言しても差し支えあるまい。仮にこの回を乗り切っても大勢は決しているしな。
それでも彼に替わるピッチャーを送り込めないのが、そよ工の苦しい台所事情を如実に現していた。カキーンと言う乾いた金属音と、それに少し遅れて沸き上がる歓声は、本日2本目となる一ノ瀬君のホームランに対する称賛で。
チームメイトの信望も厚く、エースで4番の爽やか好青年。まったく、私の出る幕なんざありゃしない。
「おやおや、随分と気前の良いこった‥‥‥しかし誰の為のサービスかね?」
7回裏。2アウトながら1・3塁にランナーを置いた場面で、クリーンアップの一角を担う二宮君がタイムリーを放って6点目を奪うも、明らかな、いや、あからさまなボーンヘッドを仕出かし3アウトチェンジ。
あと1点入ればその場で試合は終了。次のバッターはここまで2本塁打の4番に回る展開で、だ。
『――続きまして、暁大付属の選手交代をお知らせします』
7回と0/3を投げて被安打ゼロ、四死球1。投球数は百球にも満たない。
バッターも打てないのならせめて、とその身を挺する姿勢は評価するが、死球のダメージとは直接関係無いところで大怪我されても困る。
確か暁のセレクション帰りに交通事故で入院した挙げ句、院内感染に遭って長期療養を余儀なくされ、一時保留となった合格通知を取り消された子だったな。可哀想だがツキの無い奴は、チャンスが指先に触れたって掴めないモンさ。
「どうしたんだ一ノ瀬は‥‥‥何があったんだクソッ!オイ、あの猪狩ってのは何年生だ?リストに無いぞっ」
「こ、交代の理由は?誰か医務室を確認して来い!彼の故障歴は?どこかに古傷でも抱えてたのか?!」
まさかまさかの交代劇に、故障発生かと慌てふためく未熟者共。上役の質問攻めに右往左往し、ドラフトの目玉投手を相手にその程度の情報量なのか?と、思わず鼻が鳴った。
この連中が私の部下だったとしたら“馬鹿モン、勉強不足だ!”と拳骨を喰らわせるトコロだが、商売敵なので大歓迎だ。
「しかし、こんな場面でワザワザ秘蔵っ子を送り出すなんて一体‥‥‥あぁ、なるほど」
登板の為にマウンドに登った猪狩君と会話を交わした後、怒り狂う二宮君を、降板する一ノ瀬君が宥めていた。役割が逆だろうにと思わず笑ったが、大方はエースを降ろす事で完全試合達成の為に、みすみすコールド勝ちをフイにした恋女房に対しての制裁だろう。
彼は一ノ瀬君を実兄同然に慕っている様子だし、猪狩君とは犬猿の仲と言った感じで、当て付けには正に打って付けだろう。小さなアメと恐ろしいムチを巧みに使い分け、時には冷酷なまでに信賞必罰を徹底する千石采配の真骨頂だ。
後で聞いた話じゃバッテリーの2人には懲罰として、次に控える決勝戦で無四球完封勝利の達成を厳命。結果的にソレを上回る完全試合を成し遂げ、見事にリベンジを果たしている。
「おお、アレが猪狩コンツェルンの御曹司か!リトルシニアの天才児が、どう成長したかねぇ」
「そうですな、まぁ彼にはゾッコン惚れた意中の球団があるとか。失礼ですが、貴社にはセ界がひっくり返っても靡かんと思いますぞ?」
しかしハイエナの群れにわざわざご馳走を投げ込むとは、千石君も人が悪い。これで面倒な仕事が増えるのは確定的だと溜息混じりに頭を振る。
私が渡り歩くのは大抵球団名を出すとガッカリされるBクラスどころが基本。だから、担当エリア内に花形選手が存在しても上からの命令が無い限り、極力接触は持たない事にしている。
特に逆指名権も無い甲子園のアイドル達は経験上、個人的に思い入れのある地元出身選手でもない限り、徒労に終わるからだ。
その時間を他の逸材探しに充てた方がどれほど有益か?理解のある上司に恵まれない宮仕えとは、全くもって辛いモノだな。
『チェンジ!』
痺れたね。前々から良い素材だとは思っちゃいたが、此程迄とは畏れ入った。線が細くナヨッとした体つきで敬遠してたものの、先の谷田君と2~3年ばかり下で育て上げりゃ、10年先まで二遊間は補強要らずと青写真を思い描いたよ。
ん?あぁマウンドの貴公子ね。公式戦初マウンドは先輩方の好守に護られる形で終わったが、名刺代わりに打った瞬間ソレと判る一発を、防護ネットに叩き付けてたな。