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只の語呂合わせだけど、8月9日は野球の日。チョットだけ特別な日を、私は彼の病室で迎えていた。
その時は既に状態は安定していて、正午にはご家族が到着する予定。それでも過度の興奮を抑えるのと、少しでも疎外感を和らげるのを目的に、私を付き添いに残したのだ。
本当はイケナイコトなのでしょうけれど、見事勝利のあかつきには皆の声を届けてやれ、と千石監督の携帯電話を預かって。
「最近、笑顔が増えたよね」
不意に放たれた一言に、私はただただ困惑するばかりだった。よくよく考察してみれば多分、あの仔のお陰だとは思う。でも、そんな自覚は毛頭無かったから。
そんな私の姿を見て、六本木優希は少しだけ、本当に少しだけ申し訳なさそうな顔をして、はにかんだ。
「えっ‥‥‥そう、ですか?」
「うん――」
誤解無きよう原文ママに書き連ねれば“四条さんは一生懸命頑張っていて、優秀で、マネージャーとして非の打ち所が無いんだけど、もう事務的なのを通り越して機械的ですらあったよ?”と。
それはそうだろう。努めてそう振舞っていたのだから、そういう人材が求められていたのだから、仕方がないではないか?
瞬間的に心がささくれ立つ。だからと言って、病床の先輩相手に噛み付く訳にもいかない。何の反論も出来ずに、彼の言葉を黙って聴き続ける。
甲子園での一ノ瀬塔哉の活躍を契機に、野球部にはマネージャー志望の女子生徒が度々押し掛けたそうだ。
けれども、野球のルールも知らないミーハーな一ノ瀬ファンは完全裏方のハードな雑務について行けず、誰1人としてひと月持ちはしなかった。これが監督の逆鱗に触れ、その後は女子マネの入部は一切禁じられてしまう。
昨年まではそれで何の問題も無かったのだが、幸か不幸か2年生には野球推薦で入学したものの怪我で再起不能となった等、都合の良い脱落者が居ない。つまり、3年生の引退により雑用係に欠員が生じる。
そうなっては当然困るので、窮余の一策として兄が私を推薦したのだ。妹なら野球にも精通しているし、誰かに言い寄ったり逆に言い寄らせるような真似は断じてさせません、と。
実際に先輩マネージャーからの引継ぎもほぼ完了し、1人でも上手くやっていけるだけの自信はあった。
そう、周囲が求めるいつも通りの私。
何事も合理的に優先順位を決め、粛然たる態度を以って正確且つ迅速に対処する、有能な人材。私自身もそう在りたいとは願うけれど、いつの間にか勝手に作り上げられた人物像に、心底辟易していた。
でも、今は女の子らしい柔らかさがあってとっても素敵だ、とも言ってくれた。顔から火が出る程恥ずかしかったけど、お世辞だとしても嬉しかった。
「それにしても良く晴れたね‥‥‥テレビ、点けて貰っても良いかな?」
彼が窓から見上げた空には雲1つ無く、真っ白な病室とは対象的に、何処までも何処までも青く澄み渡っている。
私は紅潮した顔を上げることも出来ず、ハイとだけ答えてスイッチを入れた。
『皆様おはようございます、桐生楓でぇーす!本日のパワフルスポーツは、所謂夏の甲子園こと第78回全国高等学校野球選手権大会1回戦2日目の第1試合、暁大學附属学園対帝王実業の一戦をお送りしまぁ~す!』
つい最近まで関東ローカル局の看板番組に過ぎなかったパワスポが、遠く離れた関西の地でも視聴可能なっているのに驚かされたつつ、チャンネルをNOKに切り替えるのも癪なので視聴を続ける。
『さぁ、今日はこのコーナーから行ってみましょう―…響子の、イっチ押シのコーナ~~!!』
もはやお馴染みとなりつつある名物シャウト。
内容はごくありふれた新人女子アナウンサーによる取材リポートなのだが、担当しているのが見るからに冷静沈着・容姿端麗のインテリ美女。失礼な例えになるが、私をホーミング娘のメンバーに放り込むのと同じくらいミスキャストに思えた。
そんな彼女が何かに代わってオシオキしたり、要望に応えて過剰気味なサービスをしたりと、バラエティ色の強い突撃企画にも全力でぶつかって行く姿勢が予想以上の好評を博し、希保田響子の魅力を存分に引き出す事に成功。
局の顔である桐生アナは某野球選手との熱愛が囁かれており、寿退社が秒読み段階であるとの観測が専ら。彼女は早くもその後釜と目されていた。
『ハイ、私は今まもなく試合開始を迎えようとしている西東京地区代表の暁大學附属学園に来ています!』
希保田アナの後方では現地入りしなかった生徒達が、我も我もとカメラの前に群がる姿が映し出される。
中にはTVクルーの目を引こうと、鳴り物片手に応援団モドキの出で立ちで乱痴気騒ぎをする、恥曝しな連中も複数見受けられた。
確かに祭りの一種であるかもしれないが、私には崇高な祭事に等しい。
彼らへの侮蔑の思いが自然と高まる中、希保田アナが関係者以外に知る由も無い極秘情報を透っ破抜いた。
『なんと、暁大付属は昨日の練習中にレギュラーの六本木優希君が倒れ、緊急入院するという大アクシデントに見舞われてしまいました!既に容態は安定しているそうですが、タダでさえ苦戦を強いられそうな王者・帝王実業相手にこの危機をどう乗り切るのかが――』
彼女のもたらした悲報に、女子生徒達から悲鳴が上がる。その場に居た私は、一体何が起こったのか全く理解出来ず、声も出なかった。
『部員の皆さんには夢の舞台を前に無念の涙をのむ形になった彼の分まで、精一杯頑張って欲しいと思います。現場からは以上です!』
『はい、ありがとうございましたぁ~ココで番組スポンサーよりお知らせとプレゼントがあります。間もなくプレイボールです』
担架で運ばれたのは球場関係者、マスコミ、順番待ちで待機していた他校の部員達と、幾人かの熱心な高校野球ファンに目撃者されている。
でも救護室素通りして、そのまま救急車で搬送され、緊急入院となった事実を知っている人間がどれだけ居たと言うのか?
試合直前の放送なので情報戦に与える影響は少ないものの、誰がリークしたのかなんて、考えたくもない。
「テレビって凄いなぁ‥‥‥ごめんね四条さん、僕なんかのせいでみんなの応援が出来なくなっちゃって」
「いえ、気にしないで下さい。もしそれが無理でしたら、来年はベンチに入らせてくれると嬉しいです。どの道、今年は入れませんでしたから」
病室の空気が一気に重苦しくなる中、マネージャーである私が、重篤な状態を脱したばかりの先輩部員に気を使わせてしまった。
物憂げな表情も“頑張ってみるよ”と苦笑いしながら口元に手をやる仕草も、私なんかより遥かに女らしく見える。
悪ノリしたチームメイトに強要され、文化祭で催されたミスコンに飛び入り参加した結果、当時在学中だった現役アイドルの“浅田キャピ子”先輩を差し置き、満場一致でグランプリを獲得してしまったのも納得である。
学園内では既に全国区の知名度を誇る一ノ瀬主将を凌ぐ人気で、どっかの莫迦も“オトコノコは別腹!”なんて世迷言を吐き、引退するまで彼を追い掛け回していた。
悲願の緒戦突破を目指す兄と母校の仲間達へ、私はブラウン管越しにソッと声援を送った。
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『さぁ試合は終盤7回表を終え、暁大付属の攻撃に移ります。この回の先頭打者は西東京大会では4番を務めていたキャプテン――』
試合は千石監督の作戦により8番に据えられた一ノ瀬主将と、相手先発の山口賢の両エースによる白熱の投手戦が続き、隅一状態のゼロ行進。
暁大付属が初回に先頭打者の内野安打からバント絡みの野選、犠牲フライによる進塁の後、2アウト目の三振と同時にディレードスチールを敢行され、先制を許している。
『2塁フォースアウト!1塁はセーフ!山口、とても1年生とは思えぬ貫禄でここまで3塁を踏ませぬ好投が光ります』
一ノ瀬主将が粘りに粘り、10球を超えフルカウントから四球を選んで出塁するも、ラストバッターの兄が痛恨のスリーバット失敗。
トップに戻り、進塁打のサインの出た八嶋中も得点圏にランナーを送れずに迎えた、十升の第3打席。2アウトランナー1塁。
自慢の強力打線が鳴りを潜める中、降って湧いたようなチャンスを掴み取り、ここまで着実にチャンスメークを果たすも後続が凡退。初めてランナーを置いた場面。
『2球続けて牽制、ランナーを警戒します。往年の名投手・田村超治を彷彿とさせるマサカリから―…初球打ちィ!』
1塁ランナーは俊足の八嶋先輩に入れ替わっており、バッターボックスには西東京大会未出場でデータの無い2番打者。過去2打席は、どちらも見せ球のカーブを巧く捉えた単打。
長打を警戒するより、盗塁の警戒と、如何に進塁を押し留めるかに主眼が置かれていたのだろう。
山口投手の第1投は内角低め、ストライクゾーンをギリギリ掠めるフォークボール。彼はソレを狙い澄ましたかの如く掬い上げると、打球は浜風に乗って、ゆるりと左中間の一番深いトコロまで運ばれた。
『長打コース!同点のランナーがホームへ向かうっ、そしてヨコタテがセカンドベースを蹴った!』
クッションボールの処理にモタついた外野が焦ったのか、カットマンを中継せずダイレクトに3塁に返球する。
相手とて同じ高校生、広い甲子園と地方球場では勝手が違う。ましてや大観衆が見守る檜舞台で、普段着野球なんか出来る筈も無いのだ。
『同点タイムリースリー…いや、そのまま最終コーナーを廻って最後の直線っ、残りあと90ふぃぃぃ~とっ!!』
ホームへの返球は間に合わず、十升はダイヤモンドを一気に駆け抜けた。スコアボードには打者の功績を称えるべく刻まれた1の数字が、新たに2へと上書きされる。
私と六本木先輩は互いに手を取り合い、昨年まで競馬番組を担当していた女子アナの意味不明な実況も気にならないくらい、興奮していた。
『逆転!好投イチノセトーヤを援護する伏兵の一撃ぃぃ!ヨコタテノボールのインサイドザパークホームラン!アカツキダイフゾク1-2ッ』
彼の半生において最も光り輝いた瞬間であったと確信させる、価値ある一打。
その活躍が、他人である私にさえ暁大付属の生徒であることを誇りに思わせ、我が身に降り掛かる災難も忘れ、胸を熱くした。
『エースヤマグチケン、動揺する事無くサンキューサンシンで後続を断ち、残すはあと2イニング!差し返すかテイオージツギョー?』
たかが1点。されど全国最強と謳われる帝実打線が2回以降、ノーヒットで封じられている状況。相手側に忍び寄る敗戦の重圧は、相当な物である筈。
『帝王実業は甲子園出場時、ベスト8以下になった事が無い』
帝実信奉者が我が物顔で語るあの忌まわしのジンクスは、今日破られる為に存在していた。そんな風にさえ思えた。