3年生の引退により、多数の2軍部員達が繰り上げ昇格をして間もなくの頃。その日の私は九十九宇宙に言い付かり、彼らが頻繁にサボタージュに使っている、小高い丘へと足を運んでいた。
チームは主将が投打無双の完璧超人から、調整型の兄へと引き継がれる、世代交代の真っ只中。
新たに背番号1を担う猪狩守は、バッテリーを組む二宮瑞穂と互いの投球論をぶつけ合い、最終的には実戦形式で決着を付けていた。
面と向かえば余計なプライドが邪魔をして、剣呑な会話の応酬になってしまう2人。だけど、反目しつつもその努力と実力を認め合う不器用な信頼関係は、この積み重ねで構築されたとしか思えない。
一方、打線の主軸を担う4番の座は空位。
一ノ瀬塔哉に代わってから禅譲を受けた七井アレフトが、肝心の甲子園で無安打0打点に終わったのを恥として返上した為で、そのライバルである三本松一と鬼気迫る形相でバットを振り込んでいる。
戦力の底上げは着実に進んでいたけれど、明るいニュースと言えば六本木優希の復帰ぐらいね。残念だけど当人をおいて、流石は猪狩世代!と唸らせる程の人材は、我が校には皆無だったから。
「…見つけた」
行き着いた先は“なるべく他人には教えたくないベストプレイス”と大言するだけあって、その眺望は絵心の無い私にも筆を取らせたくなる程の絶景。
あの頃の携帯電話にカメラ機能が付いて無かったのが、本当に悔やまれるわね。
「‥‥‥。」
「そろそろオシマイにしときなさい、師匠が邪念が籠もってるってオカンムリなんだから」
まるで町並みを見守っているかのように、1本だけポツンと立った大ケヤキの下、十升は静かに座禅を組んでいた。
九十九先輩には“雑念ばっかでコレっぽっちも身が入ってへん!”と酷評されていたが、私には一心不乱に精神統一をしているように見えるのだから、彼らの定義はサッパリ理解出来ない。
「邪念とかヒドスwww 凡庸なる左投げ内野手が巨人にドラフト1位指名される方法、とかクッソ真面目に考えてんのにwww 」
「それ、瞑想って言うのかしら?」
私の呼び掛けに反応してアッサリ修行?を中断すると、十升は“ココに座れ”と言わんばかりにポンポンと自らの太腿を叩いた。
呆れた物言いに思わず溜息が零れる。こんな人のために無駄な時間と労力を費やされるのが業腹なのだけど、これが彼の平常運転なのだから仕方が無い。
「別に悟りなんぞ開かぬモン。ちなみにアガペーよりエロースに興味深々なお年こ…」
「聞いてないわ。それで?名案が浮かんだのなら、後学のためにも是非聞かせて欲しいものね」
当然無視して彼の脇に立ち、ドッシリと構えている大樹に背を預けた。
夏は終わっても、秋と言うにはまだまだ暑い。木陰に入ると、吹き抜ける風が一層心地良く感じられる。私が汗水垂らして雑務をこなしているのに、こんな涼しげな場所で休憩しているなんて。
腹立ち紛れに、差し出された飲みさしのペットボトルを、空っぽにしてから突き返してやった。
「ぅをっ!? マジかょ‥‥‥千葉マリンから福岡ドームに到着するまで打ったホームランの飛距離分だけ移動する球場巡り、とか?」
「凄い。アナタの言ってる意味が全然判らないわ」
「モフフフフフ…」ω・)+
ケラケラ笑いながら、不可解なジョークで煙に巻く十升。マトモになんか付き合っていられない。
現実と部活に連れ戻すべく彼の腕を引っ張ると、その手を掴まれる。彼の掌は暖かい岩なんて表現がピッタリ当て嵌るぐらいにゴツゴツしていて、指先にまで肉刺が出来ていた。
代えの利かない戦力とまでは行かなくても、この男が潤滑油になっている事実は否定出来ない。
ワガママ王子と二宮先輩だけだったら、2人の不和がチームに伝播する可能性は充分にあった。三本松・七井両先輩の競い合いも、双方の特性の違いから終着点は既に見えていた。五十嵐先輩とその他大勢との関係は、軋轢が生じる半歩手前だったと言っても過言では無い。
「おっ、水着の跡すっげぇ白くなってる。ハッキリわかんだね」
「セクハラ禁止!約束したでしょ?」
屈んだ際、少し弛んだ体操着の胸元を覗き込まれた。やはり、どんなに暑くてもジャージを脱ぐべきでは無かったか。
約束。
闖入者のお陰で中断された成功報酬は協議の結果“来春入部する予定の付属校の生徒”と言うこともあって、一時保留となっていた。
彼の弟なら交通事故にでも遭わない限り、間違いなく入学・入部となるだろう、と。
整った顔立ちは瓜二つ。やや小柄で、声のトーンが僅かに高かった。そして何よりも傲慢不遜が服を着て歩いている兄とは対照的に、少し話しただけでも人当たりの良い柔和さが滲み出ていた。
‥‥‥それに、正義感と言うか、責任感も凄く強い。
「――って賭けをしててね、別に付き合ってるとかじゃないから勘違いしないでホスィ」
「わかりました。野球部の為、絶対誰にも、例え兄や父にだって口外しませんのでご安心を」
十升が私のファーストキスを奪うに至った経緯を、掻い摘んで説明する。
そのくだりに一切の誇張や脚色は無く、何ら間違ってはいない。でも、どういう訳か悔しくて、何とも言い表せない気持ちで一杯になる。
「君みたいな物分かりの良い後輩は大歓迎だょ」
「その代わり、僕とも約束して下さいね」
彼は初対面だった私なんかの為に、先輩部員相手に体を張って護ろうと、庇おうとしてくれた。
既に3つ目のハードルを最高条件でクリアした以上、地方大会でのホームランは無効。
正式に付き合わない限り、双方の意思に関係無くデートは月1回を厳守。
もし約束出来ないのなら、自分達兄弟の健全な高校生活に支障を来たす存在として、猪狩コンツェルンを動かす、とも。
その効果もあってか、先日行った夜祭りでも、どんな目に遭わされるのかと不安だったのに‥‥‥意外なほど優しかった。初めて普通にデートをした気がする。
古式ゆかしく浴衣の下には肌襦袢しか身に付けていなかったので、いつもの彼ならお尻のラインや履き慣れない下駄履きのせいで足を挫いてしまった私を背負う、意外と逞しい背中にワイヤーの当たりが無いのに触れないなんて、絶対に考えられないもの。