平和の使者   作:おゆ

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第十九話483年 9月 烈将と堅将

 

 

 舞踏会の終了にはまだ少し間がある。

 この日あった盛りだくさんの出会いの最後の一つがやってきた。

 

 ゆったりしたピアノ伴奏のもと歓談の時間が過ぎていく。そして舞踏の時間に変わる。舞踏場付きの合奏団の華やかな演奏が始まり、あちこちでペアが優雅な踊りを披露していく。

 これが舞踏会のネックだわ。わたしは何年たってもダンスが上手くなっていないのだから。尤も、それは運動が苦手なくせにダンスの練習を熱心にしていないわたしの自業自得だ。

 ゆっくりと部屋の端に移動していくのはいつもの戦略的撤退、ダンスは苦手、私は空気、と唱える。

 そんなところへ斜め後ろから話かけられてしまう。

 

「ランズベルク伯爵令嬢とお見受けいたします」

 

 ん? なに? ダンスのナンパ? と険しい顔で振り返る。

 そこにいた人物は帝国軍人の軍服をぴったりに着こなし、黒髪をすらっと真ん中で分けて、口元には品のいいヒゲ……

 うわ、エルネスト・メックリンガー本人だ!!

 わたしは大急ぎで険しい表情を消してできるだけ柔和に見えるような表情を作りあげた。間に合ったか。

 

「は、はい、そうです。お初にお目にかかります」

「私はエルネスト・メックリンガーと申します。平民出の軍人で、大尉の身分ですから本来このような舞踏会に出られるものではないのですが」

 

 いやいや、そこは謙遜しなくていいよ。参謀によし、艦隊を指揮してよし、群を抜いた有能な提督ではないですか。

 

「それがこの度芸術の秋コンクールにて賞を頂き、友人たち共々このような華やかな場所にお招きに預かった次第です」

 

 うんうんそれは事前にチェックしてた。実はこの舞踏会で会えればって思ってたくらいなのだから。

 

「アルフレット様の詩は、今回とても残念でした。次回こそ入賞を信じております」

「いいえ、そこは全っ然お気になさらず。メックリンガー様の詩のほうが遥かに上でした。むしろ、メックリンガー様の詩が入賞するのは当然、そして油絵の優勝、ピアノも三位とか。おめでとうございます!」

「…… そう言って頂けるとは。ピアノについては、先ほど、小官のつたない演奏でお耳汚しをさせてしまいました」

 

 ああ、さっきもピアノ弾いてたのね。

 さすがは芸術家提督、凄いとしか言いようがない。たぶんヴェストパーレ男爵夫人の気の利いた趣向なのだ。

 

 

 しかしメックリンガーは単なる挨拶をしに来たわけではなかった。

 

「絵のことでお礼申し上げたく思います。半年ほど前に伯爵令嬢が小官の絵を買っていただいたと聞きまして。しかも4枚も一度に」

「いい絵だったからですわ。一目で気に入りました」

「ありがとうございます。あれは正直売れるとは思っていませんでした。自分で言うのもなんですが、少し題材が地味すぎて貴族の方のお目に止まるとはとても思わなかったので」

「いいえ、本当にいい絵でしたわ。他の絵は派手な肖像画や豪華な風景画ばかりで、メックリンガー様の絵のような、人の暮らしの一コマといった素朴なものはありませんでした。その方がよほど人に近いものなのに」

 

 この言葉は下心を持ってのことではない。わたしは本心からそう思っている。

 本当に貴族趣味の豪奢な絵ばかりが多い中、メックリンガーの絵はほっとする。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、過分な褒め言葉恐れ入ります」

「いい絵ですもの。人柄が見て取れる感じがしますし。お礼を申し上げるのはこちらです。もっと絵を書いてほしいですわ。しかし絵に音楽に詩まで、たくさんの才能のある方は何でも上手ですから絵を書く時間は少ないのでしょうね」

「それならば時間は作れるものですよ。帝国軍でも後方勤務であればそう忙しくはありません」

 

 わたしの目は光った。

 ここは勝機なのか? 今話さないでどうする。

 

「軍において後方勤務が決して重要でないとは言いません。むしろ一般で思われているより大事なことは承知しているつもりです。しかしあえて言いますわ。勿体ないことです。艦隊の指揮をしてよし、参謀としてもよし、きっとそのほうが向いてるとわたしは思います」

 

 メックリンガーの身分では艦隊の指揮などもちろん一度もしたことはない。

 これからもあろうはずが無い。

 平民出が将官になるのはよっぽどのこと、非現実的に過ぎる。

 

「そんなことになればとは思っていますが」

 

 わたしの戦意は高い。もう一言、中央突破だ。

 

「これも機会ですから申し上げます。我がランズベルク領の艦隊に来ては頂けませんでしょうか。正直に申しますが、有能な指揮官が不足して困っています。返事は今すぐでなくて構いません。メックリンガー様、考えて下さい」

 

 ここでインパクトを加えておけ。

 知っている顔が見える今。

 

「後ろにおられる何人かの軍服の方はお友達ですのね。さすがはメックリンガー様、良い友人をお持ちですわ。その中のアウグスト・ザムエル・ワーレン大尉とナイトハルト・ミュラー中尉もランズベルクに来て下されば嬉しいですわ。とっても」

 

 わざと名指しで言った。

 メックリンガー、ワーレン、ミュラーはなぜ名前が分かられていたのか大いに謎を残す。

 こうしていくつかの出会いを運んで来ながら舞踏会が終わった。

 

 

 

 数日後、ようやく待ちに待った日が訪れた。

 軍監として今までランズベルク領艦隊にいたファーレンハイトとルッツが帝国軍から正式に移籍した。これで晴れてランズベルク領艦隊の軍人になったのだ。階級は1つ上げて共に中佐である。

 そして代わりの帝国軍軍監はまだ決まってはいないがそのうち赴任することになっていた。

 ランズベルク私領艦隊へのファーレンハイトとルッツの移籍自体は多くの者に歓迎されたが、しかし職については多くの人を驚かせることになる。

 わたしはヒルデスハイム伯から思い切り分捕った艦隊総数八百隻を三分割して編成したのだが、なんと二人をそれぞれ三百隻の艦隊の司令官に任命したのだ。残りの二百隻だけをわたしの直衛艦隊とした。

 

 もともとのランズベルク艦隊にはもっと階級が上の者もいる。

 もっと言えば三百隻を指揮するのは帝国軍であっても准将クラスが妥当なところである。中佐がそれだけの規模の艦隊指揮官とは前代未聞のことだ。

 わたしの決断なので皆は反対しないが、幾ばくかの疑問は残る。ここは火消しに回っておくべきだろう。

 

「ファーレンハイト中佐とルッツ中佐はもっと大きな艦隊を指揮する方です。むしろ申し訳ないくらいですよ」

 

 これが元々のランズベルク艦隊の指揮をさせたのであれば反乱とはいわずとも不協和音は生じたであろう。

 幸いにも貰い受けたヒルデスハイム艦隊であればこそ可能であった。ヒルデスハイム艦隊はファーレンハイトとルッツの切れ味の鋭い攻勢を受けた側であり、その有能さを嫌というほど知っている。

 

 ここで艦隊を与えられた二人の方はどう言っていたのだろう。

 

「元々食うために軍人になったのだ。与えられた場所でやるだけだ。そして旗艦で参謀という名の子守をするよりよほどいい」

「身に余る光栄に存じます。カロリーナ様のシートがいろいろな色で汚れることのないよう、鋭意努力し信頼にお応えする所存にございます」

 

 ぎゃふん。もうそんな話はいいって。

 

 

 

 それと同じ時、ここからはるか遠い場所で二カ月の間同じことをぐるぐる考えている人間がいた。

 その人、ヘルクスハイマー伯爵は大貴族リッテンハイム侯の腰巾着と言われ事実その通り振る舞ってきている。長いことリッテンハイム侯の情報収集や陰謀工作の数々をこなして厚い信任を得ていた。

 しかし、決して矜持を失ったわけではない。

 リッテンハイム侯のことを身に合わない大言ばかりの小心者と看破して忠誠心など欠片も持ち合わせていなかった。そして近頃ではヘルクスハイマーの矜持を傷つけるようなことが立て続けに起こった。

 ハイドロメタル鉱山の利権をシャフハウゼン子爵からうまく奪い取る策を練ったのに、結果として利権の半分を得るにとどまった。皇帝の寵姫の弟であるラインハルト・フォン・ミューゼルとかいう若者一人に邪魔されたのだ。利権の半分となったこと自体は皇帝の勅命によるものである以上いくら悔しがっても覆すことなど絶対に出来ない。

 

 ヘルクスハイマーにとって更に腹立たしいことがある。

 ヒルデスハイム伯爵という強欲者に加担してランズベルク伯爵家の乗っ取りをはかった。これは以前もランズベルク家の相続問題が発生した折にも企んだことだが、その時は根回しが不足して上手くいかなかった。

 それを教訓にして、今回は円滑に進むよう後ろ盾に徹するつもりであった。

 だが、ヒルデスハイム伯は思いの他浅慮であった。あれよあれよという間に力勝負を挑む構図になり、ヒルデスハイム艦隊とランズベルク艦隊との全面対決が不可避となってしまうとは。

 

 予想外のことだ。だが、ヒルデスハイムを負けさせるわけにもいかないではないか。

 むろん自分は表に出たくはない。なぜだかリッテンハイム侯の令嬢サビーネ様が当のランズベルク家の令嬢と強い友諠を交わしている以上、下手な動きでリッテンハイム侯の不興を買ったらかなわない。

 

 そこで巧妙に偽装を施し、三百隻もの艦艇をヒルデスハイム艦隊の支援にあたらせた。

 それで勝利を確実にさせるはずだった。だが結果は驚くべき惨敗に終わってしまう。

 コストや艦艇を奪われたことは問題ではない! 艦隊戦で敗北したこと自体がヘルクスハイマー家にとって屈辱の極みだ。

 ヘルクスハイマー家は代々、工学を旨とする家柄として通っている。領内に良質の鉱山をいくつも抱えている。そのため工業が発展、技術も優れている。

 もちろん、軍用艦艇も生産しているのだ。

 それら帝国軍に供給している軍艦は何と帝国軍技術工廠製のものより質が良い。帝国軍将兵はヘルクスハイマー領で作られた艦艇に乗り込む時は涙にむせぶ者すらいたという。生き残る確率が数段高いからだ。ヘルクスハイマー伯自身も工学技術、特に軍事技術には多大な関心があった。

 矜持を傷つけたランズベルク伯爵家、いつかこの借りは返してくれる。

 

 

 

 しかしながら、ヘルクスハイマー伯にとってそれどころではない情勢になってきたのだ。

 なぜか急にリッテンハイム侯が冷たくなった。

 いや、はっきり疎んじられているといっていい。理由は不明だ。

 リッテンハイム侯絡みといえば、侯のためにブラウンシュバイク公爵家の息女エリザベートに遺伝病の疑いあり、との情報を得たことがある。

 これはリッテンハイム侯の政敵ブラウンシュバイクに痛撃をくらわせるまたとない情報ではないか。褒められこそすれ冷たくされるいわれなどない。

 

 オーディンではもはやヘルクスハイマー家の主人たるリッテンハイム侯に切り捨てられたという噂が立っているらしい。

 尻尾を振る先を失ってもまだ尻尾を振っているうすのろの犬だと。

 泡吹いて無様に狼狽しているというものだ。どこから立った噂か。

 

 しかも、先のヒルデスハイム家の惨敗もヘルクスハイマーの応援艦隊が役立たずだったからだという噂まである。おかしい。なぜ応援艦隊を向けたことがそんなに早く噂になってしまったのか。

 腹立たしいことに事実ではない!

 敗けたこと自体はこっちに関係なく、ヒルデスハイム艦隊のせいではないか。 

 

 

 よし、ここらでヘルクスハイマー家の力を周囲に見せておくのも悪いことではない。

 

 狙うは因縁のランズベルク家。

 なに、別に伯爵令嬢を殺そうというのではないのだ。むしろ勝った後で寛大な処置をすればいいように転がるかもしれん。

 

 ヘルクスハイマー領の艦隊は総数七千隻にも及ぶ。ヒルデスハイム家のような軟弱な貴族家ではなく、もちろん基礎となる財力もある。

 それだけではなく高い技術力で作られた高性能艦揃いである。兵の錬度も高い。

 その力を見せつける戦いをすることでリッテンハイム侯にも見直してもらえるかもしれない。

 

 

 そのころ、オーディンの帝国行政府ではまたもや老人が執務机から窓の外の雨を見ていた。

 

「噂とは、流す相手がいるからじゃ。流す必要があるということは悪い方向に誘導したいがためじゃ。ヘルクスハイマー伯、自分が策を練るときには熱心でも策に落とされると弱いのう。釣り上げられたのも分からぬか」

 

 帝国の深淵から出る声のようだ。老人はいくつこうした経験をしてきたのか。

 

「伯は余計なことを知り過ぎた。いずれ消えるにせよ早い方がよかろうて」

 

 

 

 


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