平和の使者   作:おゆ

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第三十三話488年 2月 選択の時

 

 

 この捕虜交換式に先立ち、やっておいたことが一つあった。

 それはミュッケンベルガー元帥に会って、ひたすらお願いしたことだ。

 

「聞いて頂きたいお願いがあります! 今、帝国の捕虜になっている叛徒のアーサー・リンチ少将ですが、この方を向こうに返さないで済むようにしてほしいのです」

「何と! カロリーナ嬢、それはいったいどうしたわけだ」

 

 それはミュッケンベルガーにとって思いもよらないものだ。

 お願いの種類もとんでもないことだが、更に驚くことがある。令嬢がピンポイントで指定してきた人物、そのアーサー・リンチとは何者だ。

 

 

「元帥、理由があるのです。その人物が帝国軍の関知しない陰謀の密命を帯びているからです」

「な、なぜそんなことが言えるのか」

「え、ええと、それはあの叛徒と接した時にそんな名が出たような気が……」

 

 うわあ、そこは慌ててごまかすしかない。

 

「いやそれはともかく、どうしたものだろう。さすがに捕虜交換で叛徒の将官を返さないというわけにはいかんな」

「方法はあります! 今度の捕虜交換では、どうせ情報工作員を何名か身代わりに仕立てて向こうに潜入させるのでしょう? その一人として含めてしまえばよいのでは?」

 

 ひたすらわたしは入れ知恵をする。ここは要らぬ工作を始めるアーサー・リンチを同盟に帰してはならない。あの同盟クーデターの悲劇を未然に防ぐためには。ラインハルトには悪いがその陰謀は妨害しなくてはいけない。

 

「よく知っているな。カロリーナ嬢。それで今、帝国軍に捕虜の情報照会がひっきりなしに来ている。能力や経歴などの。数人はこちらの工作員にすりかえるが、どの人物にするか選ぶのは人選自体は帝国軍ではない。軍事だけではなく、諜報活動には政治や経済の諜報も入るのでな。内務省が選ぶはずだ」

「ではリンチ少将のことを内務省にこうお伝え下さい。叛徒の方では裏切り者として扱われ孤独なので工作員が身代わりになるのに都合がいいこと、それを強調してすりかえには適任だと」

「わかった。やってみよう。カロリーナ嬢がそれほど言うならば」

「是非お願いします。重要なことなんです」

 

 結局それは通った。捕虜交換寸前でアーサー・リンチには身代わり工作員が入ることになり、本人は捕虜のまま帝国に止めおかれた。これは内務省管轄なので帝国軍にさえも問い合わせがなければ教えられることはない。それでラインハルトには伝えられなかった。

 よかった! これで同盟の軍事クーデターが当面は回避できる。

 ただし、ラインハルトが考えてリンチに持ち込ませるはずだった計画案がなくとも、同盟軍内部にはどうしようもない政治不信が渦巻いている。この先クーデターが起こらない保証はないのだが。

 

 

 

 

 

 そしてこの年、銀河のほぼ全ての人間の運命に影響を与える大ニュースが駆け巡った。

 

「皇帝崩御」である。

 

 ついに、ついに銀河を揺るがす激動の時代が幕を開ける。

 ああ、それに比べれば今までがまるで春のように平和だった。

 そして今からが本番だ。

 激動をくぐり抜け、大切なものを守り、幸せな明日へとつなげたい。

 ラインハルトも、ヤンも、サビーネも、大事な人々なのだ。もちろんわたしも、兄も、ファーレンハイトやルッツたちも。

 

 

 これからは一歩間違えば即座に終わる。

 最初の気がかりは、リヒテンラーデ侯とラインハルトの意外な協調が生んだエルウィン・ヨーゼフ二世幼帝の後継者としての擁立についてである。

 これが成功したためにラインハルトは帝国軍を完全に掌握し、大義名分を得て貴族連合を逆賊扱いにできたのだ。

 この事実は大きい。

 何といっても皇帝が治めてこその帝国なのだ。

 帝国を動かす巨大な官僚・行政機構は皇帝を要とした組織である。

 

 反対にもしも逆賊にされてしまえば公式には全てを失う。軍事的なことを抜きにしても信用を失う。これはただちに通商、経済に破滅的な影響を及ぼす。誰が逆賊の汚名を着たものと取り引きしたり、先行きのわからない者に投資したりするだろうか。要するに立ち行かなくなるのである。

 

 

 わたしは、ある決意をもってリヒテンラーデ侯に面会を申し込んだ。

 

 ダメかと思っていたら、その日のうちに面会できた。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、そなたには借りがあるでの。儂には断れなんだ。朝から面会申し込みが何十家となくあったのじゃが」

「本当にありがとうございます。国務尚書様のお時間を取らせませんよう、単刀直入に申し上げます。国務尚書様は幼な子を皇帝にしようとしておいでです。それはかえって帝国を危うくします」

 

 本当に単刀直入に述べた。言葉にすればわずか数文字、だが意味するところは帝国にどれほど重要なことか。

 

「…… たぶん、伯爵令嬢はサビーネ嬢を皇帝にしたいのじゃろうな。今、皇帝になれるのは三人しかおらぬ。アマーリエ様とクリスティーネ様は降嫁されておられるので、エルウィン公の他にはエリザベート様とサビーネ様しかおらぬ」

「……」

 

「聡明なそちならわかると思うが、ブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を争わせればどのような大乱にならんとも限らん。帝国の存続が危ういどころか吹き飛ぶ。さすれば、残りのエルウィン公を立てる他あるまい。軍事的実力をもつ後ろ楯をつければ正面だって文句は言われまい。儂は今までブラウンシュバイク家とリッテンハイム家、どちらかが強くなり過ぎんよう長年努力しておった」

 

 リヒテンラーデも率直に返した。秘中の秘である構想、自分とラインハルト・フォン・ローエングラムでエルウィン・ヨーゼフを立てることを。

 

「よくわかりますわ。今までのリヒテンラーデ侯の努力も。ですが、ブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を併せたよりももっと強い者が現れたらどうなりますか。国務尚書様が手を組もうとしておられるローエングラム公とか」

「そこまでお見通しか。賢いの。まあ考えたらわかるじゃろう? 儂は帝国宰相となって位は高いが軍事力はない。帝国軍で最も力のあるローエングラムと手を組み、エルウィン公が成人するまで貴族を抑えねばならぬ。残念じゃが伯爵令嬢に親しいミュッケンベルガーでは力が足りぬ。イゼルローンを喪った時にエーレンベルクが引退したのが惜しまれるの」

「ローエングラム公は貴族を抑えるのではなく丸ごと焼き払ってしまわれる、と思いますわ。その後のことは推して知るべしでございます」

 

「ふむ、では令嬢はどうすればよいと思うか」

「サビーネ様を擁立しなくても結構でございます。皇帝位はしばらく空位でもよろしいのではございませんか。もちろん貴族が騒ぎ立てるのは当たり前ですが、謀反までは起こしますまい。それこそ粛清される大義名分になります」

「それはいかん。必ずや継承者候補の暗殺がおきる。消去法が確実だからの。それに行政機構も完全には回らん」

「それでも、でございます。丸ごと失われるよりは」

 

 

 結局、わたしの説得は効をなさず、次の皇帝はエルウィン・ヨーゼフ二世が立てられた。

 国務尚書リヒテンラーデ侯と帝国軍元帥ラインハルト・フォン・ローエングラムが後ろ盾となり、強引にブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を抑えて。

 もちろん何千という貴族家が不服の大合唱だ。

 しかし、行政機構をリヒテンラーデ侯が味方につけ、帝国軍をラインハルトが掌握した以上、簡略でも帝位継承は妨げられない。

 

 

「なにもかもうまくいくわけはないわ。でも、どうしよう」

 

 いや、ここでめげていてはならない。

 わたしはまだやっておきたいことがあった。

 次の手、妨害といえば聞こえが悪いが、ラインハルトの麾下に加わる将を減らしておきたい。

 確かヘルムート・レンネンカンプなどはリップシュタット前には麾下に加わっていないはずだ。

 ところが調べるとおかしなことに既にラインハルトの元に呼ばれていた。

 ラインハルトの方でも熱心に人材を求めていたせいだ。

 なぜ? と思う。

 たぶんメックリンガーやルッツ、ケスラーがわたしのところにいるから、ラインハルトも有能な将が足りていないのかもしれないわ。更に調べると、クナップシュタインやグリルパルツァーまでもが将として、半個艦隊ほどを与えられている様子だった。

 

 

 事態はどんどん加速していく。

 歴史に大きな文字で残されるであろう出来事の瞬間がやってきた。

 リップシュタットの盟約、である。

 

 このとき帝国門閥貴族のほとんどが、オーディン郊外にあるブラウンシュバイク家のリップシュタットの館に集まり盟約を結んだ。

 幼帝を擁立し、思うがままに扱い、専横をきわめるラインハルト・フォン・ローエングラムを弾劾すべし、と。そこに集まった貴族の数は三千七百家にも上る。

 逆にラインハルトの側にもごくわずかの貴族が付いた。

 ヒルデガルトのいるマリーンドルフ伯爵家ははっきりとラインハルトの側に立つことを表明した。

 

 もちろんわたしや兄のランズベルク家はそのどちらにも加わらなかった。

 兄アルフレットはまたしてもわたしの言うことに唯々諾々として従った。どうせ他の貴族に義理を感じるほどの付き合いはなく、それにアルフレットには政治的なことなどわからない。ただ妹の言う通りにしてやりたい、それだけの話である。

 

 

 今、帝国の多くの目がランズベルク家に注がれている。

 

 帝国貴族にとって直接軍事力が必要になる時代が来るとは露ほども思わなかった。今まで着々と私領艦隊を増やし続けているランズベルク家のことを馬鹿にしていた。しかし今やその軍事力は、貴族家の中でも辺境貴族の枠を越え、上級貴族に迫るものである。

 

 しかも艦隊の規模だけのことではない。

 これまでの実績は誰も無視できないものだ。

 カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢は敗北を知らず、無敵の女提督の名を馳せている。そのカロリーナ艦隊といわれる艦隊にも有能な者がそろっているらしい。

 

 さあ、ランズベルク家はいったいどうするのか。

 態度保留とは何をもったいぶっているのだ。煮え切らない態度は何だ。

 高く売りつけようとでも考えているのか。共倒れで漁夫の利でも狙っているのか。

 

 

 

 その一方、わたしは悩みに悩んでいた。

 正確にいえば感情と理性で折り合いが付かないのだ。

 

 理性は叫んでいる。

 

 ラインハルトが勝つのだ。何を迷うことがある? 考えるべきはそこしかないではないか。勝つ方に付かなければ破滅に決まっている。

 もう一つ、大きな目でみれば帝国の民衆にとって門閥貴族よりラインハルトの方がいいに決まっている。門閥貴族の旧態依然の治世は変えられるべきだ。

 ここでラインハルトの側に付いて協力すれば、ランズベルク家も大きな権力を持てるかもしれない。その力を使って善政を敷けば、それまで何があったとしても贖罪には充分ではないか。

 とにかく、大局を見誤ってはならない!

 

 感情もまた叫ぶ。

 

 サビーネは待っている。おそらくわたしが来るのが当たり前だと思っている。

 それを裏切るのか。

 あまたの貴族、令嬢も幼子さえも裁かれるのだ。ただそこに生まれたというだけで。罪が無いのに。

 その悲劇を黙って見過ごして、それで人間と言えるのか。

 たった一つの命を散らしていく人たちに、あとで善政を敷くから償いになるなど言えるものか。その言葉がどれほどむなしくて、自分可愛さの欺瞞であることか。

 

 

 やるべきことは両陣営に対して説得することだ。激突しないように。

 それが無理だと知っていても。

 わたしの気を休めるためのただのごまかしであり、それを自分で知るだけによけい自分が嫌いになった。

 

 カロリーナ艦隊にいる者たちはもっと単純で気楽だった。

 何がどうであろうと令嬢に付いていき、全力を尽くすだけのことだ。

 ファーレンハイトもルッツも、ビューロー、ベルゲングリューン、メックリンガーも、カロリーナ艦隊に来て日は浅いがケスラーも同じくそう思っていた。

 

 生きるも死ぬも関係ない。

 

 ファーレンハイトは考える。

 なに、自分のことに限っていえば、どんな最悪でもたかが死ぬだけだ。

 それだけではないか。

 

 その考えはファーレンハイトの半生に大いに関わりがある。人生あんまり楽しい時期は少なかった。自分は長く貧乏貴族の家で過ごしてきた。

 他の貴族はそんな家に冷たかった。

 平民はもっと冷たかった。貴族に対するやっかみが無力な貴族に八つ当たりとしてぶつけられたのだ。

 食うために軍人になっても無能で意地の悪い上司から散々な目にあった。

 それでますます依怙地になり、更に風当たりが強くなった。

 しかしその運命は大きく変わった。伯爵令嬢の元に来てからはもうそんな悩みがもう思い出せないくらいだ。

 ここに仕えてよかった。あの舞踏会は自分にとって本当に幸運だったと思える。

 

 これからおそらく大きな戦いに向かうことになる。

 

 よろしい、本懐である。

 今自分は仕えるべき主君に仕えているのだ。

 面白くて、一生懸命で、ファーレンハイトの中ではまだ12歳の可愛い娘に。

 

 

 迷うことなど、何もありはしない!

 

 

 

 


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