平和の使者   作:おゆ

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第三章 峻風の秋
第三十四話488年 4月 さよなら


 

 

 わたしは初めにラインハルトに通信を申し込んだ。

 

「ラインハルト様。ご機嫌はよろしゅうございますか? 甘いものでも食べてお考えはお変わりになりました? 人間に甘い菓子は必需品ですのよ。心が安らかになります」

 

 わざと軽口のように話し出す。

 そうでもしなければ余りに重い話に押し潰されそうなのだ。

 もちろんラインハルトの方も充分わかっている。何を意味しての言葉なのか、何のためにわたしが通信してきたのか。

 伯爵令嬢はもったいぶって態度保留にしたのではない。自分の価値を高く売りつけるようなこすからしい性格ではない。純粋に迷っていたのだろう。

 

「伯爵令嬢、挨拶は抜きにして本題だけ話そう。変わらない。変わりようがない。リップシュタットにいた貴族らを帝国の逆賊にしてしまった。割りかけた卵はもう割ってオムレツにするしかない」

「…… やはり戦いは避けられないのですか。奢った貴族たちをまとめて叩き潰すと。わたしの大切なお友達もそうなるのですね」

「そうだ。仕方がないことだ。そこに罪のない者も幼子もいるに違いない。それでもやらざるを得ないのだ。一掃し、帝国を全く新しくする」

 

 少しばかりラインハルトは動揺している。それは続く言葉で明らかになる。

 

「しかし伯爵令嬢、そちらは同じではない。邪魔さえしなければそれでいいのだ」

 

 わたしを助けたいと願っている!

 

 ラインハルトにとってわたしは凡百の貴族ではなく、むしろ助けるべき側の人間なのである。それはアンネローゼ様の菓子の友としてだけのことではなく、親愛を感じる。

 

 わたしは素直に嬉しいと思う。その誠実さも嬉しい。

 

 おまけにラインハルトはカロリーナ艦隊を味方につけて得をしようという計算で語っているのではない。逆にいえば自分が勝つことを何も疑っていない。

 

「そうですか。しかしわたしはお茶会の時と変わらず、もう一度言います。罪のない者を大事にしてください。そして、ラインハルト様もご無事でありますよう。それもまた本心です。それでは」

 

「待て!伯爵令嬢!! 」

 

 このときのラインハルトの顔は忘れない。思わず立ち上がっているその様子も。

 

「考え直せ!」

 

 あ、言い忘れてたわ。

 

「ラインハルト様、マリーンドルフ家のヒルデガルト嬢は良き方ですわ。それと逆にオーベルシュタイン大将の策謀はあまりに人の血が通わないものです。ラインハルトさまの正義と相反するときには、ぜひとも自分の道を貫いて下さいませ。」

 

 これで通信を切った。未練は…… 無いと信じたい。

 

 

 

 次にサビーネに連絡を取った。

 

「おう、カロリーナ、この丸い基地も狭いかと思うたら入れば意外と広いものじゃな。カロリーナの菓子工房の十個くらい作れそうじゃ」

 

 いつもの声だ。ふふ、と笑みがこぼれてしまった。

 わたしはダメね。ほんと、ダメダメだわ。感情で動いてしまう。

 わたしというのは、元々そういう人間なのだ。

 

「サビーネ様、貴族が貴族らしくないよう変わることって、できると思われます? いやそうしなければならないとしたら?」

「…… 正直に言うてやろう。わからぬ。考えることもできんというのがほんとじゃ。しかしカロリーナの言うことはたぶん正しいのじゃ。だから、できる」

「できますでしょうか」

「それは妾がカロリーナを信じているからではない。カロリーナが妾を信じているゆえじゃ。わかるな」

 

 ああ、大人になったわ、サビーネ様。

 え、でも正直言うけど、よくわかんなかったよ。意味。

 

 

 わたしはカロリーナ艦隊の皆を招集した。

 そして話すことを、全員が驚きをもって聞いていた。

 

 戦いに臨むこと、その相手がラインハルト・フォン・ローエングラム元帥だからではない。

 指示内容からしてわたしの戦略的なセンスの一環を垣間見たためである。

 

「長らくお待たせしてしました。本当にこの決断は重いものでした。たくさんの人の運命を巻き込むものですから。わたしと皆様は戦いに出ます。引っ込んでやりすごすということはありません。戦う相手はラインハルト・フォン・ローエングラム元帥です。この時代最高の軍事的天才を相手にします。本心を言います。この戦い、絶対に勝てません」

 

「令嬢、あのラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が相手、しかし戦う前から絶対に勝てないとは…… 」

 

「勝てません。しかし戦うのは講和のテーブルに持ち込むのが目的なのです、ファーレンハイト様。そのためにわたしどもは善戦しなくてはなりませんが、むろんそれさえも難しいのです。今貴族連合軍は十九万隻の艦艇をガイエスブルク要塞周辺に集めております。ローエングラム元帥は十万隻を超える程度でしょう。しかし兵の錬度、士気、艦の編成、性能、作戦能力、どれをとっても雲泥の差があります。特に指揮をとる将帥の才に決定的な差があります。まともに戦えば貴族の艦隊は鷹に襲われた鶏の群れのように戦いにすらなりますまい」

 

「令嬢も捨てたものではないのではないか。そして貴族の側にはあのメルカッツ提督がいるとも聞く。その実力は知っている。メルカッツ提督ならばむざむざ大敗するとは考えにくい」

 

「いいえ、それでもダメ、善戦するにはよほど戦略的に優位な状況を作り上げるか、ローエングラム元帥に匹敵する才幹で対抗するしかありません。そこで指示を出します。最初にすべきなのは、ベルゲングリューン様、艦隊五百隻を率いてフェザーン方面へ赴いて下さい。具体的なことはあとで指示します」

「は、カロリーナ様。しかしフェザーン方向とは……」

 

「そして高性能艦五千隻を選び、わたしとファーレンハイト様、メックリンガー様、ビューロー様でガイエスブルク方面に向けゆっくりと航行します。残った四千隻はルッツ様、ケスラー様が率いて辺境星系へ向かって下さい」

 

 アムリッツァの戦いのあと領地を切り売りしてまでも艦艇を買い集めた。ヘルクスハイマー領の工廠から急ぎ新造艦を回送させた。そして先の焦土作戦でカロリーナに感謝する辺境貴族から私領艦隊を委託されたのも若干ある。

 それらを全てまとめてこの数字だ。

 九千五百隻、この艦隊がカロリーナ艦隊の全戦力である。

 

 帝国軍ならこの数字は半個艦隊程度のものであろうか。

 ラインハルトの艦隊に対してなんと無力だろう。

 

 

 今、そこから更に分け、わたしは五千隻と共に行軍を開始した。

 ゆっくりと行軍したのにはもちろん理由がある。

 

「ガイエスブルクにはそんなに早く到着したくありません。当家は皆様のおかげで戦上手と思われていますが、艦艇とすればわずか数千に過ぎません。ひとからげで他の貴族の艦隊と合流させられて扱われれば滅びるのを待つばかりです。貴族軍総司令のメルカッツ提督には申しわけないのですが、カロリーナ艦隊はできるだけ独立して行動します」

 

 これには皆も大賛成である。

 何より心配だったのがその点だ。

 他の貴族と一緒にされて、その指揮下に入ったのでは何の良さも発揮できぬうち消滅するだけだ。

 しかしそれで具体的にはどうする?

 

「ゆっくり行軍すれば前哨戦に遭遇することもあるでしょう。その規模でこそ当艦隊が最も生きてきます」

 

 果たして貴族側とラインハルト側の前哨戦が行われる様相がしだいに形をなしてきた。

 ガイエスブルクの貴族側から艦艇数一万六千隻、一個艦隊規模で進発している。目的は不明だがおそらく航路からしてオーディンに向かっている。ラインハルト側の本拠地を直撃し、かつ大義名分を得るためだろう。

 それに対してラインハルト陣営から一万四千隻の艦隊が迎撃に出動した。それはミッターマイヤー大将が率いると公言されている。

 

 

 途中でこれだけの情報が手に入った。

 わたしは進路を変更し、想定される戦闘宙域、アルテナ星系へ向かった。

 

 どうやら間に合ったらしい。

 貴族陣営艦隊の旗艦に連絡を取ると司令官シュターデン中将が出た。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、そちらの艦隊は今になって行軍していましたか。この宙域で間もなく戦闘が始まるはずです。早くガイエスブルクに向かわれたらよろしいでしょう」

「シュターデン提督、今の情勢はどうなっているのでしょう」

 

「こちらは、リップシュタット陣営のオーディン攻略軍としてこの宙域までやってきました。そして、オーディンから迎撃にやってきたローエングラム公のミッターマイヤー艦隊と対峙し、もう三日になります。敵は機雷原を分厚く展開してわが方の進路を抑えています。それはローエングラム公の本隊の到着を待つためだという情報がたった今手に入りました。その前に仕掛けると決め、部隊編成をしているところです」

 

 なんだか事務的な人だ。

 しかしそんなに嫌味ではない。

 今頃あわてて尻尾を振りにきたのか、くらいに言われるかと思った。それに戦闘開始を間近に控えて追加戦力が欲しいはず。このまま麾下に加われと言われたらどうしようかと思ってたので一安心だ。

 

 しかしこれは状況としてはまずい。

 ラインハルトの本隊が来るというのは偽情報なのだ。

 焦った貴族どもがシュターデンの手から離れて勝手に進撃して滅んでしまう。

 しかし貴族をシュターデンの指揮に従うよう説得するなら率先してカロリーナがシュターデン指揮下に入らねばならない。それもできない。

 

 矛盾に悩んだが、次善の策として情報は伝えた。

 

「シュターデン提督、ローエングラム公が来るというのは敵の謀略です。ここに来る途中そんな情報はありませんでした。それを貴族の人たちに周知させて下さい」

 

 まあ、それだけでは貴族を抑えられないだろう。彼らは戦いの何たるかも知らずに無謀にも戦いたがっているのだ。無駄な戦意は戦いを欲してやまず、それが消えるのは彼らの命が絶たれるときだ。

 

 わたしがしばらく静観しているとおよそ八千隻ほどがシュターデンの元から別れて発進するのが見えた。

 これは貴族の私領艦隊の方なのだろう。

 残されたのが一万隻が元々シュターデンの指揮下にあった帝国軍らしい。

 

「こちらも動きます。メックリンガー様、五百隻を率いてあの動き始めた方の艦隊を追尾して下さい。必ず敵の大部隊と遭遇するはずですで、どのみちあの艦隊は何をしても負けるでしょう。ただし、敵を攪乱し逃げるすきを与えてやるのです。それが終わればメックリンガー様は素早く安全な位置に退避して下さい」

 

 始めにメックリンガーを進発させた。

 そしてファーレンハイトにもまた五百隻を与え、戦場からやや離れた位置に布陣させた。

 

「ミッターマイヤー提督は強いです。索敵にも手抜かりはないでしょう。ですから索敵で探知されないぎりぎり遠くの距離にいて下さい。ただし戦闘が始まれば相手が高速で動く分、こちらは索敵しやすくなり、逆に向こうはこちらを見つけにくくなります。戦闘開始が分かればこちらへ近づき、ファーレンハイト様の思うような攻撃を仕掛けて下さい」

 

 

 これらの仕込みを終え、またスクリーンに映るシュターデンの艦隊と機雷原を見やる。

 

 それにしても、と思う。

 どうしてシュターデン提督は律義にも機雷原に向かって艦首を並べているのか。こんな分厚い機雷原から来るはずがないではないか。

 

 わたしは逆に自分の四千隻の艦隊をことさら機雷原に背を向けるように布陣させた。

 その形でシュターデン側に加わっても、それでもシュターデンの方はかたくなに変える様子がなかった。

 このままでは何もできないうちに負けるだけだ。その間抜けさにわたしは呆れ、シャトルに移乗して艦を出た。シュターデンの旗艦に向かい、面と向かって意見を言いたかった。今の艦隊の布陣もそうだが、戦って劣勢になった場合の撤退方法を進言しなくてはならない。

 

 まさかそのタイミングで敵艦隊が現れるとは!

 それは予想もしなかった。わたしの完全な油断だった。

 

 

 時は少し遡る。

 わたしの危惧した通り、貴族の私領艦隊はミッターマイヤーの暴風にもてあそばれていた。

 ミッターマイヤーの疾くて美しい艦隊運動に貴族艦隊の対応など一拍遅れ、いや三拍は優に遅れている。完全に一方的な戦いとなった。このままでは全滅だ。

 それをメックリンガーはしばらく見ていたが暴風に手を出しかねていた。下手に暴風に手を出せば腕ごと持っていかれる。

 

 しかし伯爵令嬢の命である。せいぜい嫌がらせくらいはしよう。

 そこでメックリンガーは艦からゼッフル粒子を垂れ流しつつ適当に戦場を往復した。もちろんそこにうまくミッターマイヤー艦隊が差し掛かるとは限らないが、細い線状の行動制約線が引かれる。

 これが意外なほどミッターマイヤーを悩ませた。艦隊ごと高速運動をさせるミッターマイヤーにとっていちいち進路のゼッフル粒子を爆砕するのは手間がかかり過ぎる。

 

「くそっ! やるな、あの部隊は。艦隊運動の効果的な邪魔とは、味な真似をしてくれる。しかしたかだか小部隊だ。ジンツァー! ドロイゼン! あの敵部隊を挟み撃ちにして消してしまえ!」

 

 ミッターマイヤー麾下の有能な中級指揮官が出てくる。その数はメックリンガーの部隊より多く、しかも戦意が高くて危険だ。

 しかしメックリンガーはまともに戦う気などなかった。

 逃げるだけだ。その間にもしつこくゼッフル粒子を流しながら。

 

 

「ふむ、油絵を主にやるようになったら久しく線画は描いていなかった。宇宙にゼッフル粒子で線画を描くのも趣があるものだ。惜しむらくは美術館に入れるのが難しいことか」

 

 語るのがメックリンガーだけに100%の冗談とも言い難い。

 おそらく、それを聞いたらジンツァーたちはさぞ悔しがったろう。

 

 

 

 

 


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