平和の使者   作:おゆ

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第三十五話488年 4月 アルテナ星域、疾風を叩け!

 

 

 メックリンガーがゼッフル粒子を上手く使い、ミッターマイヤー艦隊の動きを大いに妨害をする間に、貴族の艦隊は続々と逃げだしていった。

 威勢良く戦いに向かった貴族の連合艦隊は、逃げる時には恥の掻き捨てとも言わんばかりだ。矜持もなく、自分ばかりが逃げようと脱出路で押し合いへし合い、醜態を晒す。メックリンガーもやれやれと言うばかりだがこの救助も伯爵令嬢の命である。

 

 そしてミッターマイヤーの側では早めに諦め、対処に移っているのはさすがである。

 

「まずいな。もっと貴族どもを撃ち減らしておくのだった。理屈倒れのシュターデンに再び合流されても始末に困る。バイエルライン、分艦隊を率いて先にシュターデンのところに行き、後背から奇襲をかけろ。こちらも後から行く」

 

 数が少ない方が艦隊行動は俊敏になる。これを分かっているミッターマイヤーは最も信頼する部下、バイエルラインを先行させたのだ。そのバイエルラインはミッターマイヤーの見るところ未熟ではあるが、攻守にバランスよく、理性と勇気のどちらも備えている有望な若者だ。

 

 さすがにメックリンガーの持つ戦力では躱して逃げたのが精一杯、バイエルラインの分艦隊を阻止することができるはずもない。

 

 その分艦隊三千五百隻が進み、貴族側の本隊であるシュターデンのところに姿を現した。

 それはあまりに間が悪い!!

 わたしはちょうどその時、シュターデンと面談するために向かう途中、つまり自分のカロリーナ艦隊からシャトルで既に出てしまっていた。

 戻ろうにも戦闘が開始されたら戻れない。

 万が一でも流れ弾が当たったりしたら防御のないシャトルは粉微塵だ。

 距離的にはシュターデンの艦の方が近く、そこに行くしかない。

 

 わたしはシャトル内からカロリーナ艦隊旗艦に連絡をとった。

 

「ビューロー様、どうぞ指揮をとって敵艦隊に当たって下さいませ。信頼しています。わたしはやむをえずこのままシュターデン提督のところにおります」

 

 ビューローが全く予期しないことで艦隊指揮をとることになった。

 

 アルテナ星域会戦の主役は誰しもが思いもつかない形になったのだ。

 フォルカー・アクセル・フォン・ビューローとカール・エドワルド・バイエルラインがここに対峙する。どちらも優秀な指揮官、しかも艦数はほぼ互角とは。

 

 バイエルラインの側の不幸はてっきり奇襲をかけたと誤解していたところだ。

 うまく迂回し、後背をとったはずなのに。

 

 しかしちょうどそれはカロリーナ艦隊があらかじめ奇襲を予期して艦首を向けている方向だった。

 バイエルライン分艦隊の急速接近を知ると間髪入れずビューローの指令が飛ぶ。奇襲をかけたと思っていたバイエルラインの方がむしろ機先を制されるとは皮肉だ。

 

「直ちに砲撃開始! 同期は要らない。とにかく手数を増やすのが優先だ。そして敵艦隊の陣形の左右の端を狙え!」

 

 ビューローがそういう指示を出した理由がある。

 艦影密度の高い中央部を狙って火線を集中するのが常道である。その方が威力が大きい。

 しかしビューローは敵が進路を変更し、このカロリーナ艦隊ではなくシュターデンの艦隊の方を襲うのを危惧していた。

 シュターデンは士官学校の教官だ。その戦術思考の硬直さはミッターマイヤー、バイエルラインならずともビューローもよく知っていた。急速かつ柔軟な対処など期待できるはずもない。

 

 ビューローの策が当たりバイエルラインは下手に進路変更できなくなった。

 そうしてしまえば、砲撃を受けて航行不能になっている味方艦が左右両翼どちらにも存在する以上、どちらかを敵中に見捨てる形となってしまう。

 その迷いのせいもありビューローの側が次第に有利になった。

 そしてビューローは更に火線を両翼からゆっくりと中央に寄せ、いっそう大きな打撃を与えていく。

 

 

 バイエルラインは第一幕で負けた。

 砲撃戦で不利になったことを悟り、無理押しはせずいったん後退して陣の再編に取りかかる。バイエルラインもこの辺りは決して無能ではない。

 その後再び接近に転じる。このまま引き下がればがっちり守備隊形を取られ、後からやってくるミッターマイヤー本隊に苦労させてしまう。ここはちょっかいを出し続けることが大事なのだ。

 

 またもビューローの側では同じことを繰り返した。

 

 しかし、今度はバイエルラインにも考えていることがあった。相手のやり方の弱点を突き、逆に利用することを。

 

「今だ、敵中央部に集中砲火! 一気に突入して分断する!」

 

 タイミングを見てバイエルラインがそう叫ぶ。

 分艦隊はいっせいにビューローのカロリーナ艦隊に突入してきた。ビューローは左右に砲撃を振り分けさせていたため、バイエルライン分艦隊の中央部に照準を合わせるのが遅くなる。突進のスピードに間に合わない。

 バイエルライン分艦隊の突入はうまくいった。そのままカロリーナ艦隊を突破し、分断に成功したのだ。このまま後背をとれば勝ち、続けて背面展開をしようとした矢先のことである。

 

 爆散する艦が相次いだ。

 

「な、何ごとだ! 何が起こっている!」

「機雷です! これは、わが軍が最初に撒いた機雷です! それに接触しているものかと」

「なぜ、そんなことが!」

 

 それはなぜか。

 ビューローはバイエルラインに気取られないままゆっくりとカロリーナ艦隊を後退させ、もともとあった機雷原ぎりぎりまで寄せていたのである。本来ならばかえって行動を制約される背水の陣であったろう。

 

 だが今、突入戦術を取ったバイエルラインの分艦隊がそれのために進路を取れなくなってしまった。背面展開に移行もできないまま逆に地雷原の間に挟まれたバイエルラインをカロリーナ艦隊が袋のネズミにして押し包む。

 辛くも強行突破して脱出はできたが、これで千五百隻を失い、分艦隊は傷ついた艦二千隻足らずに減らされた。もう戦いを挑める態勢ではない。

 

 第二幕もまたビューローの勝利に終わった。

 ビューローはバイエルラインが退いたのを見ると、艦隊へ伯爵令嬢の帰還を待った。

 

 

 

 しかし還ってこなかった。

 

 この戦場についにミッターマイヤーの本隊一万隻余りが到着している。それはやはり機雷原とは反対側の後背から、恐るべきスピードで迫りつつある。その迫力はバイエルライン分艦隊とは雲泥の差があるものだ。

 

 戦うべきシュターデン中将は緊張の中にあった。

 

 そしてついにシュターデンの心の糸が切れてしまった。これまで軍事を知らない貴族にさんざん叩かれて叩かれて叩かれ続け、心労の極みにあり、ついには作戦行動中に勝手に別れて進撃されてしまった。帝国軍であれば有り得ないことだ。

 シュターデンはメルカッツとは違う。教官を務めていただけあって理論派であり、メルカッツのような、トラブルがむしろ当たり前、という諦観など持ち合わせてはいなかったのである。

 そこへ予期せぬ後背からの敵襲である。

 

「ありえない、敵は前方なのだ。これは、ありえない、現実であるはずがない」

 

 そんなことをうわ言のように繰り返し、シュターデンはついに倒れた。艦橋から担架で運び出される。指揮官が戦闘中に失神するなどむしろその方が非現実なのは皮肉だ。

 

 

 そこにわたしが居合わせた。

 シャトルを接舷させ、この旗艦に移り、今やっと艦橋に上がってきたばかりのわたしもどうしたらいいかわからない。

 こういった場合、帝国軍規定では臨時指揮官が指名されるが、その指名すら不可能だった場合は階級序列で次の者が指揮を引き継ぐ。その者は戦闘中であれば、作戦がよほど順調の場合に限って続行、それ以外は撤退を指示するのが慣例である。

 

 この艦における次席将官ノルデン少将は狼狽するしかなかった。

 元々が臆病な人間である。ノルデン少将がかつてラインハルトの幕僚であった頃は臆病な進言を一喝されたこともあるほどだ。

 

「後背に現れた敵艦隊の詳細出ました。総数一万隻、旗艦はベイオウルフ、ミッターマイヤー艦隊の本隊です! 」

「て、撤退はできないか」

「それが、通常ではない速度で接近しつつあり! イエローゾーンまであと推定10分しかありません」

 

 ノルデン少将は蒼白になり何もできない。

 相手はあの有名な疾風ウォルフだ。ローエングラム元帥の最も信頼するといわれる将である。

 先手をとられ、既に振り切れないところにいる。

 しかも今、当初とは違ってシュターデン艦隊は貴族艦が勝手に進発したため数が半分以下の七千隻しかない。

 カロリーナ艦隊四千隻を合わせてみたところで、あの獰猛なミッターマイヤー艦隊に戦力で勝るとも思えず、状況は絶体絶命だ。

 

 

 わたしの方もいかんともしがたい。

 貴族側の立場で戦っているシュターデン艦隊であってもそれは貴族所有の艦隊ではないのだ。わたしとノルデン少将が個人的に話し合って指揮権をどうこうするわけにはいかない。

 それはつまり、正規の帝国軍というものはしっかりと規定があり、守らなくてはいけない。

 あくまでシュターデンが指揮し、倒れた今はノルデンが指揮をとる。その命令系統は絶対である。

 

「どちらに移動しますか? 攻撃目標は? 防御に専念ですか?」

 

 オペレーターは困惑し、周囲の誰もが焦れて不安がる。命令を促されて窮地に立たされたノルデン少将はしだいに幼児的退行を示す。シュターデンと似たり寄ったり、修羅場をどうにかする胆力などない。

 

「た、頼む…… 誰か、どうしたらいいのかわかる者はいるか?」

 

 ついにそこまで言った。

 

「誰でもいい! 代わって指揮を取れる者はいないのか……」

 

 

 

「この文書をもって、わたしがこの艦隊の指揮を引き継ぎます!」

 

 ここでわたしは宣言してのけた。この非常時、出しゃばりはいけないなどと淑女ぶってはいられない。わたしだって負けて死にたくなどない。

 

 艦橋の全員がわたしを見てきょとんとするしかなかった。

 帝国軍の艦隊である。わたしはただの部外者、しかも今来たばかりだ。誰でもカロリーナ・フォン・ランズベルクの名を知っていて、艦隊指揮をとった経験が幾度もあることは分かっている。だが貴族令嬢に過ぎないこともまた確かで、帝国軍における何の士官でもない。

 それともう一つ、何と言った。文書とは何のことか。

 

「皆様は訝しく思っておられることでしょう。中身を簡潔に読み上げます。『カロリーナ・フォン・ランズベルクは帝国軍将兵に属してはいないが、当該艦隊指揮官の移譲の意があれば指揮権を一時行使することができると定める。帝国軍元帥 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー』」

 

 どういうことなのか。艦橋がざわめく。

 

「ミュッケンベルガー元帥はこの内乱の開始直前に軍務を退いています。ですが、それ以前の日付をもって帝国元帥として正式にこの命令書を交付されています。この根拠をもって今わたしが指揮を取ることが可能なのです」

 

 そう、ミュッケンベルガーは帝国の内乱をたいそう憂えて軍務から身を引いた。

 叛徒だったら存分に戦ったろう。しかし、帝国軍同士で争うことはできない。

 

 かつて一度行ったように、わたしはミュッケンベルガー元帥と一緒に戦いたかった。その力量もそうだが、人格面においてたいそう惹かれるものがある。

 内乱に関与しないことを決めたのは残念であるが、いかにもミュッケンベルガーらしい。ここでミュッケンベルガーを強引に貴族の側に引き入れたら賊軍とされる。それは長きにわたって帝国のために粉骨砕身忠義を尽くしてきたミュッケンベルガーにあまりに酷である。ならば無理に引っ張り出すことはしないでおこう、寂しいがそう決めた。

 

 ただし、ミュッケンベルガーはミュッケンベルガーの方で、貴族に与するわたしのことを案じていた。敵となるラインハルトの力量を理解する数少ない者の一人だからである。それでせめてできる支援をしてあげようと考え、そんな命令書を交付したのである。

 せめてものたむけであった。

 

 

 しかしよく考えたらただの屁理屈でもある。

 書面の交付時点ではどんな奇天烈な内容でも有効かもしれないが、現にミュッケンベルガー元帥は退役しているのだ。その効力には疑問符がつく。

 

 しかし緊急事態を目前にしてそこを指摘するものはいなかった。

 

 誰も積極的に動いて全将兵の命の責任など取りたくはない。それならば一応書面を持っている伯爵令嬢でいいではないか。

 

 わたしは皆が賛成するのを待って艦橋に立つ。

 

「直ちに全艦隊に通信を開いて下さい」

 

 今は慣れ親しんだカロリーナ艦隊ではないどころか貴族私領艦隊ですらない。帝国軍の艦橋から帝国軍正規艦隊へ申し伝える。

 わたしは大きく息を吸ってから語った。

 

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルクです。今からわたしが艦隊指揮をとります」

「!!!」

 

 全艦隊に声なき声が満ちる。誰だ、何が起きた、本当か。あらゆる意味で信じられない。

 そう思われるのはあまりに当然、わたしも理解するが、今は細かいことを説明する時間はない。さっさと指示を伝えなくては生き残れない。

 

「本艦隊はミッターマイヤー艦隊を前にして不利な状況にありますが、これを破って撤退をしなくてはいけません。わたしの言う通りに行動して下さい。そうすれば犠牲は出ません。全艦落ち着いて指示に従って下さい」

 

 

 


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