平和の使者   作:おゆ

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第三十八話488年 4月 レンテンベルクの英雄

 

 

「最大戦速、突撃!」

 

 わたしはそう命じたが、言うまでもなく横のビューローがすでにそう動いている。

 唇を引き絞って言葉は何も発さないが、抑えた巨大な感情の片鱗を感じる。すさまじい気迫だ。

 

 わたしは少しばかり我に返る。今、兵を率いてここにいる以上、兵の命も守らねばならない。令嬢たちのことばかり考えるのでなくその責任を忘れてはならない

 冷静になれ。冷静になれ、わたし。

 

 先ずはグリルパルツァー艦隊の動きを見極め、それをかいくぐる。死角からの一斉射撃で先ずは突き崩す。

 そこを補充するようにグリルパルツァーが艦列を動かすのは、決して無能ではない証左なのだがそこを利用させてもらう。下手に動きが読める分だけ戦いはしやすい。逆に艦の移動のために混乱しているところを狙い、急進突撃の構えを見せる。

 頃合いだ。この擬態でグリルパルツァーは慌てて立て直しにかかるだろう。

 六千隻という数を相手にしてはこれが精一杯ともいえる。

 

 その隙に逃げよう。

 ラインハルトの本隊がそこまで近付いている。

 このときレンテンベルク要塞から通信が届いた。

 

「令嬢たちは無事だったぞ! ちょうど皆で手荷物を選びに倉庫に行っていたらしいのだ。今、やっと宇宙港についた」

 

 ああ、少し遅かった。

 それでもわたしはレンテンベルクの宇宙港へ急ぐ。何とかして助けたいのだ。あんなグリルパルツァーなどの手に陥らせるわけにいかない。

 

 レンテンベルク要塞に急速突入すると、宇宙港には八十人余りの令嬢とその従者達が待っていた。その中を素早く探すとレムシャイド家のドルテとミーネもいた。泣き顔だが足取りはしっかりしている。

 

 急げ! 令嬢と従者たちを手早く艦に乗り込ませる。

 その後直ちに脱出にかかるが、宇宙港から出る直前、敵ミサイルが至近に着弾する。

 艦に振動はない。要塞の大きな破片が当たるとき以外は。

 しかし振動していると錯覚してしまうのは、スクリーンに見えるレンテンベルク要塞の方が振動しているためだ。

 これは危ない。要塞を震わすほどの遠距離大型ミサイルが当たれば艦などそれで粉微塵になる。

 やむを得ずいったん宇宙港内部に後退したが、しかし攻撃は激しくなる一方だった。

 おそらくラインハルトの本隊からの攻撃も始まったに違いない。これでは待っていても攻撃に間断などなく、要塞から出ることができない。

 

 わたしは初めて絶体絶命の危機にさらされる。どうにもならない。脱出は不可能だ。

 みんな、ごめん。わたしが悪い。

 

 今回救出に来たというのになんにもならず、全員がここで死ぬことになる。

 手を握り締め立ち尽くす。いずれ訪れる爆散という運命を待つほかない。

 

 

 その時、レンテンベルク要塞からラインハルトの乗る旗艦ブリュンヒルトへ通信が飛ぶ。

 

「金髪の孺子! 怖くて飛び道具しか使えんとは笑わせてくれる。そんなもので儂を殺せるものか! 儂は逃げも隠れもせん。この第六通路で待っている」

「オフレッサーか。相変わらず無駄な蛮勇だな」

 

 ラインハルトには何の感慨もない。むろん、ラインハルトにも戦いに対する矜持はあるが、それには白兵戦での勝負など含まれない。

 ただし、平然としていたのは次のセリフを聞くまでの短い間だった。

 

「儂が怖いか孺子。ふん、姉共々陛下をたぶらかし奉りおって!」

「姉上に何を言うか! 攻撃を止めさせろ! 白兵戦だ! ミッターマイヤー、ロイエンタール、あの原始人をここまでひきずって来い!」

 

 姉アンネローゼのことを言われたのだ。ラインハルトがこれで激高しないはずがない。特に今は落ち着かせるキルヒアイスを辺境星系の討伐に行かせているので抑える者がいない。命令を聞いたミッターマイヤーとロイエンタールがやれやれ困ったと言うばかりである。

 

 

 ミサイルでの攻撃が止んだ。

 今だわ! 今しかない!

 この隙を逃さず、わたしは宇宙港から艦を出させ、要塞を脱出できた。

 

 そしてわたしの艦隊に対して何も攻撃はなかった。

 なぜなら、ラインハルトはオフレッサーがあんなことを言っておいて要塞から逃げるとは考えてもいなかったからである。ならばこんな小艦隊などどうでもいい。

 

 わたしがこうしてレンテンベルク要塞から離れる途中、一瞬だけ要塞から通信があった。

 

「良かったな。伯爵令嬢。あとは無事に着くよう願っている」

「オフレッサー上級大将、わたしのために、わざとあんな通信を敵に送ったのですね」

 

 わたしには分かっている。いったんラインハルトの遠距離攻撃を止めさせるため、そんな手を打ってくれたのだ。白兵戦に移るのならミサイルは使わない。

 ただし、ただしだ。

 ラインハルトを怒らせた以上、どんなことがあってもオフレッサー上級大将が命をつなぐ道はない。自分で死刑執行のサインをしたようなものだ。それもこれもわたしと貴族令嬢たちが脱出する隙を作る、ただそのために。

 

「伯爵令嬢が命をかけて飛び込んできたのだ。儂がなんとかせねば名がすたる。令嬢に対して言うのもなんだが、そなたは立派な武人だからな」

「わたしが自分の思いばかりで無茶をしたために、オフレッサー閣下は…… どうお詫びしてよいか」

「詫び? 無用だ。それより人生の最期に意味を持たせてくれた令嬢に儂の方こそ礼を言う。ん、金髪の孺子の部下が来たようだな。蜂蜜色の方か。では」

 

 わたしが最後に見たのは、漢の顔だった。

 それはまさに英雄というのにふさわしい。

 

 

 

 何とか脱出が成功し、戦闘態勢を解いた。そこでわたしは艦に乗り込んだ貴族令嬢たちを見舞う気になった。

 

 もう少しで令嬢たちのいる大部屋に着くところまで歩いて行ったのだが、ふいに通路の引っ込んだ暗がりに人がいる気配を感じた。

 そして見てはいけないものを見てしまう。

 

 あのビューローとドルテがしっかり抱きしめあっていた。

 

「来ては下さらないかと思いましたわ。心の隅にでもビューロー様を疑ったことお許し下さい」

「何を言う! こっちが遅くなったのだ。怖い思いをさせてしまって済まない」

「しかしあの舞踏会の時と同じ、ビューロー様は必ず助けてくれます。ドルテは幸せです」

「もう危ない目には合わせない。でもそんな時には、必ず助ける。何度でも」

 

 ええっ、うひゃあああ!!

 なによそれ。本格的ってやつ? ビューローの奴め、隅に置けない。やけに救出作戦に感情が入っていたのはこのためだったのか。いや、もちろんそれなら当然のことだ。

 

 こちらが気を遣うのもなんだけど、ここはお邪魔しちゃいけない。

 すすすっと音を立てないように後退する。

 続き、もうちょっと見たかったわ。

 言ってたわ。舞踏会? 助ける? そうだ、きっとクロプシュトックのテロ事件の時だ。

 確かあの場にビューローもドルテもいたんだわ。

 ああ、よかった。

 このレンテンベルクの救出戦は危ないことだらけだったが、やってよかったのだ。

 

 

 その後、レンテンベルク要塞での白兵戦後の様子を聞いて知ったわたしはそっとつぶやく。

 

「オフレッサー上級大将、安らかにお眠り下さい。武人の魂と一緒に」

 

 

 

 一方、ラインハルトの方である。

 激烈な白兵戦を終結させ、レンテンベルク要塞を陥とし、やっと一息入れる。

 そこへ先の伯爵令嬢とグリルパルツァーとの交信内容が届けられた。

 

 ラインハルトは長い溜息をつくと、グリルパルツァーを呼び出した。

 

「グリルパルツァー。今回の卿の行動は、軍規において特に失態というべきものはない。艦隊戦で手玉に取られたのも不問に付す」

 

 ラインハルトの表情は複雑なものだが、決して良いものではない。

 

「ただし、ただし言っておく。その性根を直しておけグリルパルツァー。我が艦隊にふさわしくないどころか、いずれ卿は晩節を汚すことになる。肝に銘じることだ」

 

 

 

 


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