リッテンハイム侯艦隊とそれに従う貴族の艦隊は、カロリーナ艦隊の奮戦によってキフォイザー星域から三万隻以上は逃げだすことができた。最後の掃討戦は避けられたからだ。
しかし当初は五万隻以上あった艦隊なのだから大幅に撃ち減らされたのは事実である。その上リップシュタットの副盟主、リッテンハイム侯自身を失ってしまった。
しずしずと退き、ガイエスブルク要塞への帰途につく。全ての星系を放棄してガイエスブルクへ兵力を集中させるのが肝要になる。負けて失われた戦力は貴重な授業料である。
わたしはそれらの敗残艦隊を一万隻ずつ三つの編成に分けた。
それぞれを暫定的にファーレンハイト、ルッツ、メックリンガーの指揮下に置く。
反発は驚くほど少なかった。
リッテンハイム侯の遺命によりランズベルク家が指揮することは通信を漏れ聞いて全艦が知っている。そのため問題なく受け入れた。
というよりも茫然自失、思わぬ敗戦に、今度は逆に生存本能が出る。ならば優れた指揮能力のある方へ委ねる方が生き残る確率が高くなる。
ガイエスブルクまでの帰途の時間を活かして連携の取り方、艦隊運動、一から訓練し直す。
再びさっきのような戦いをすれば今度こそ本当に生き残れない。各艦とも必死に訓練についてきた。
一方、わたしと元のカロリーナ艦隊は途中でそれらと離れ、ゆっくりとガルミッシュ要塞の方へ向かった。このガルミッシュ要塞はレンテンベルク要塞と違い、完全人工要塞である。規模も大きく、艦艇のドックや工廠を備えている。
キフォイザー会戦の前までは貴族側がそこを押さえていたが、そこにいた艦艇や人員は既に逃げ出している。わたしがそうなるよう戦いの結果を教えたのである。
そのため、わたしより早く要塞に辿り着くはずのキルヒアイスはそのまま無血占領しているだろう。
ガルミッシュ要塞にわたしが向かっているのは戦うためではない。
要塞が見えるところまで近づくと、キルヒアイスに連絡をとった。
「キルヒアイス様、先の戦いはお見事でございました。あれほどの少数で大艦隊をあっさり瓦解させるとはさすがですね」
「伯爵令嬢こそお見事でした。おかげでワーレン中将はしばらく療養が必要です」
この突然の連絡にキルヒアイスが驚くのは当たり前だが、しかし穏やかに、フランクに接してくる。
そしてお互いに相手を殺せる態勢に一度はついたことは言葉に出さない。
出す必要もない。
「ところで、単刀直入に言います。キルヒアイス様、このスイッチが何かおわかりになりますでしょうか」
わたしは恐ろしい意味の言葉を口に出す。右手には細いコード付きの押しボタンスイッチが握られている。そして手の平の側をスクリーンに向け、キルヒアイスにもスイッチが見えるようにする。
「!」
「そう、これはガルミッシュ要塞を爆破できるスイッチです。これで低周波爆弾を起動できます」
「…… 伯爵令嬢、いつの間に…… 要塞はよほど精査したつもりなのですが」
わたしの方が青ざめ、鼓動が早くなる。これから賭けに出るためだ。
「こちらには有能な方がおりますの。普通、どこかの部屋に爆弾を仕掛けてあると思うでしょう。そうではありません。あらかじめ部屋ごと一つ作り足したのです。壁に爆弾を仕込んで。これなら探しても部屋には何も見つかりっこありません」
そう、わたしは事前にケスラーに二つのことをお願いし、遣わしているのだが、このガルミッシュ要塞への爆弾工作がその一つだ。
本当にしっかりやってくれた。
「それで令嬢、わざわざ通信とは、何でしょう」
キルヒアイスは声のトーンを少しも変えず、自然体を保っている。わたしが爆破するつもりなら最初から通信をしてこないと分かっている。いや、そうでなくともキルヒアイスは優しい微笑みを崩すような人間ではない。
緊張の瞬間が過ぎる。
「停戦です。キルヒアイス様、しばらく停戦しましょう。要塞の爆破などしたくはありません」
わたしの本心だ。キルヒアイスを殺すなどしたくない。
それに、もしもキルヒアイスを殺したらラインハルトに千回殺される。おそらくラインハルトの気迫だけでわたしは自殺してしまう。
「貴族側との停戦などについてはラインハルト様にしかお決めになることはできません」
自分の命がかかっていても全くブレることがない。
さすがにキルヒアイスだ。帝国貴族打倒のラインハルトの夢を損じるくらいなら進んで犠牲になって悔いはない、それがよく分かる。
「いえ、お考えになっているようなことではございません。停戦はわずか数日のことだけなのです」
わたしの方がしだいに涙目になってきた。お願いよ、キルヒアイス。
「その数日に何の意味があると仰るのです?」
「意味があります! キルヒアイス様、これはラインハルト様のためになる重大なことなのです」
「ラインハルト様に……」
その言い方でキルヒアイスも思慮し、態度を軟化させるが停戦に合意はしなかった。
ならばわたしの方が折れるしかない。
「わかりました。スイッチは押しません。爆弾を見つけて処理して下さい。しかし、事の次第がはっきりしましたら数日でも停戦とわたしへの協力をして下さい。お願いします」
最後はキルヒアイスの誠実さに賭けるのだ。
その日のうちにはっきりした。
ケスラーに与えた二つ目の任務はガイエスブルクで貴族の言動や様子を見張ることである。
それで驚くべきニュースが手に入った!
ブラウンシュバイク公領地惑星の一つ、ヴェスターラントの住民への核攻撃である。反乱を起こし、ブラウンシュバイク公の親類縁者を追放した惑星の住民への報復としてブラウンシュバイク公がそう決める。
ヴェスターラントは開拓途中の惑星で、領民二百万人という取るに足りない規模である。ブラウンシュバイク公にとってすればどうでもいいようなもの、怒りに任せて壊滅させても惜しくはない。蚊を潰すようなものである。
ただし報復される住民側にとってはあり得るべからざることだ。
その攻撃が本当に行われるのか、その日付がいつかをカロリーナは知りたかった。
もちろん暴挙を止めるためである。二百万人が核の火で焼かれるのを防がないといけない。
また、これはラインハルトとキルヒアイスに深刻な亀裂をもたらすのだ。そしてラインハルトに終生苦しむ心の傷を与える。断じてそうさせてはならない。
しかし知った日付まであまりに時間がなかった。わたしは再びキルヒアイスに連絡する。
「キルヒアイス様、今通信が届きました。ヴェスターラント住民への攻撃が行われます。惑星表面への核攻撃です。貴族が平民へのみせしめのために行うのです。こんなことはあってはいけません! なんとしても阻止いたしましょう!」
「そんな、そんなことがありえるのですか。禁忌である核攻撃を、無力な惑星住民に…… もちろん絶対に阻止しなくてはいけません!」
予期した通りだ。どんな事情があろうとキルヒアイスがそんな暴挙を許すはずがない。
「しかし伯爵令嬢、ヴェスターラントならばラインハルト様の本隊の方がここより近いのでは。そこに通信した方が確実と思います」
「そうではありません! そうではないのです。もうラインハルト様にも伝わっているはずです」
「安心いたしました。それなら問題はありません。」
「キルヒアイス様、それは違います。ラインハルト様は阻止に動かないのです」
「! なぜです。ラインハルト様が動かないはずがありません」
「オーベルシュタイン大将が邪魔をするからです。おそらくニセの攻撃日を伝えるか何かで。オーベルシュタイン大将は貴族の非道な行いを政治宣伝に使いたいのです。このままではヴェスターラント住民が焼かれ、そしてラインハルト様が深く傷つきます」
「わかりました、令嬢。それで停戦と」
「停戦だけではダメです。核攻撃まで日がありません。そこで戦艦バルバロッサを使って一緒に止めに行くのです。先の戦いでもわかっていますが、その戦艦は特別製でとても疾いのでしょう」
そう、キルヒアイスの旗艦バルバロッサは特別製である。
あのラインハルトがキルヒアイスのために作らせた艦なのだから並みの戦艦であるはずもない。ラインハルトの乗るブリュンヒルトに勝るとも劣らず、帝国軍の技術、材質、労力の粋を極めて作られている。
この宇宙で掛け値なしの最強戦艦、何よりも高速性能に優れている。
もちろん戦果を上げるためには、指揮官の的確な能力が不可欠で、単に高速なだけでは意味がない。先の戦いではキルヒアイスの常人離れした能力とバルバロッサの性能があいまって戦果を上げたのだ。
「今からわたしがシャトルで向かいます」
キルヒアイスの承諾など聞いてはいないが、否はないと知っている。
並みの将ならば自分だけの功とするためにカロリーナを同乗させなどしないだろう。しかしキルヒアイスなら絶対にヴェスターラントの住民とラインハルトのことしか考えないはずである。
カロリーナ艦隊はビューローに預け、ガルミッシュ要塞から遠ざけて置いている。それは何かあってもわたしを助けには来れない距離であり、まさしくキルヒアイスの懐に飛び込んでいる形になる。
「伯爵令嬢、無茶をなさる方ですね」
「ふふ、しかしこれに乗じてわたしを捕まえることなど欠片も考えておられなかったでしょう。違います?」
キルヒアイスはいつもの柔らかい微笑みを絶やさなかった。
わたしの賭けは、完全なまでに勝ったのだ。
そして準備ができれば、バルバロッサがわたしとキルヒアイスを乗せて最高速で進発した。
エンジンからの音が最初は蜂の飛ぶ音のような鈍い音だった。それがみるみるうちに高い音に変わっていく。ぶうん、からひィーん、と。滑らかな分だけ音量はかすかにしか聞こえないが、宇宙艦で聞いたことがないほど高い音程に達する。
急げ! バルバロッサ。
航路の途中で出会うラインハルト陣営の艦艇に対しては、ヴェスターラントに行くことだけ伝えては置き去りにして飛び去る。
そして間に合った!
核攻撃に向かっていると思われるブラウンシュバイク公の艦艇をヴェスターラント直前で捉えた。
降伏勧告をしても応じてこない。しかし直後、爆散した。おそらく家族の命でも人質にして、やりたくもない核攻撃をさせられていたのかもしれない。それなら降伏もせず核攻撃もしない道を選んだのだろう。それもまたひっそりと咲いて散っていった勇者たちといえるのだ。誰にも知られず、誰からも賞賛されない勇者たち。
わたしとキルヒアイスはどちらも同じ表情をしているに違いない。
暴虐な貴族はいなくなった方がいい! ただし、わたしは血を見ずに改革したいのだ。
バルバロッサとその自爆した艦艇のことをオーベルシュタインの遣わした監視船が空しく撮影していた。
「…… とにかく間に合いました。核攻撃を防ぐことができて良かったですわ」
「伯爵令嬢、情報は確かでしたね。お礼申し上げます」
「人が守られるのはいいことですわ、本当に」
守護者<シルマー>
キルヒアイスは、ふとそんな単語が頭に浮かんだ。
伯爵令嬢、全ての人を守ろうとする守護者。
「それにしてもオーベルシュタイン大将の計算は、その、クソですわクソ。ゲロ以下です」
わたしは大元の原因であるオーベルシュタインについてなんともいえない下品な批判をした。
「令嬢、それはそれで考え方というものがあるのでしょう。しかし、令嬢と私とラインハルト様だけはそういう考え方をしません。それでよろしいではありませんか」
キルヒアイスの言葉にわたしはかすかな不安を感じざるを得ない。
ああ、優しすぎる。優しすぎるのよ。あなたは。