平和の使者   作:おゆ

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第四十ニ話488年 7月 ろうそくの灯

 

 

 バルバロッサはヴェスターラントから帰還し、ガルミッシュ要塞に戻った。

 わたしとキルヒアイスはいったん停戦し、それが終わったことになる。そしてもちろんわたしは捕らえられることなくそのまま丁重に出されてカロリーナ艦隊に戻ることができた。

 一連のことは口約束だったが、やはりキルヒアイスは予想通り紳士だったのだ。

 

 

 キルヒアイスは間もなくガルミッシュ要塞から進発し、辺境星系を抜け、ラインハルトの本隊に赴く。

 そしてラインハルトと他の諸提督たちの前で報告を行う。

 

「辺境星域の平定が終わりました。残念なことに、その途中レンネンカンプ中将が亡くなりました。次にキフォイザー星域においてリッテンハイム侯爵及びランズベルク伯爵令嬢の連合軍と交戦し、ワーレン中将が重傷を負いました。リッテンハイム侯の死亡は確認しましたが、その艦隊の半数以上は取り逃しました。せっかく辺境星系攻略を命じられましたのに充分な戦果を上げることができず、まことに申し訳ありません。ラインハルト様」

 

 どのみち詳しいことは既に報告書にして届けてあった。

 その報告書でもそうだが、今も自らの功を誇らず客観に徹したものであった。

 

「うむ、ご苦労であったキルヒアイス。艦隊戦で貴族どもの副盟主リッテンハイムを破り、敗死せしめたのだ。辺境星系の平定と併せ、充分過ぎるほどの戦果だ。誰もそれをそしることなどできはしない。ゆっくり休め。ワーレンもしばらく養生しているがいい」

 

 ラインハルトは本心からキルヒアイスをねぎらう。戦果が充分でない? キルヒアイス以上のことをできる者が他にいるものか。優勢な敵を相手にきっちりリッテンハイム侯を斃したのだ。貴族の艦艇が思ったより残ったといえど後でまとめて討ち果たせばいいだけのことである。

 

 

 しかし、ここで傍に控えていたオーベルシュタインが言葉を遮る。

 キルヒアイスよりも一歩前に出てラインハルトに向く。

 

「お待ち下さい元帥閣下。キルヒアイス上級大将には重大な軍規違反の疑いがあります」

 

 オーベルシュタインは何を言い出すのか!

 軍規違反の告発とは穏やかな話ではない。しかもいきなりこの場でそれを成すとは。

 しかし表情はいつものままで変わらず読み取れない。

 

「キルヒアイス上級大将は目下の敵であるカロリーナ・フォン・ランズベルクと何かしらの取引をし、あまつさえ旗艦バルバロッサに同乗までさせていたこと。そして更には命令もされていない軍事作戦を共同で行っていたという事実があります」

 

 諸将も思わぬことに動揺する。どうにも理解できないのは内容とあのキルヒアイス上級大将がやったということの両方だ。

 

「告発は憶測で行っているのではありません。はっきりした証拠としてバルバロッサの映った映像も残されています。これ以上なく重大な軍規違反、正に利敵行為以外のなにものでもありません。弁明なさらないのは大変結構。ではローエングラム元帥閣下、全軍の軍規を正す意味で、公正なる判断をなさいますよう」

 

 オーベルシュタインの冷徹な弾劾がラインハルトの決断を待つ。

 それを聞くキルヒアイスもまた表情を変えず、しかもオーベルシュタインの言う通り弁明を一切しないとはそれが事実であることを意味する。これでは降格で済めばまだいい方で、最悪逮捕と軍事法廷が待っているではないか。

 

 

「無用である」

 

 一切の反論を許さないラインハルトの言葉であった。

 キルヒアイスに対し、それが事実かなどと問いただすことさえしない。そんな必要は欠片も存在しない。

 

「キルヒアイス上級大将の行うことは一切がこの私のために行うことである。利敵行為など最初から存在することはない。不可解に見える行動であっても、全て何らかの理由が存在する。疑うべきことは微塵もない。あらかじめ言っておくが、今後同様のことがあったところで進言にすら及ばん」

 

 これ以上きっぱりした言葉はない。

 だが、普通の人間なら怯むようなラインハルトの気迫を受けてもオーベルシュタインは動じることはなく、あくまで述べる。

 

「元帥閣下、それでは秩序が成り立ちません。元帥閣下の元に全ての配下は正しく律せられなければなりません」

 

「オーベルシュタイン、この際だから卿に言う。他の者も聞いておけ。キルヒアイスは他の者と等しい配下などでは決してない。将来もしも私が至尊の座についた時には副帝になる。これは決まっていることだ」

 

 そう、遠い昔から決まっている!

 姉上、キルヒアイス、手に入れる宇宙、ラインハルトにとって全ては決まっていることだ。

 

 明言しようがするまいが諸提督にも既に分かっていることだった。

 キルヒアイスが特別扱いされることについても不満はなく、第一キルヒアイスはそれに相応しい能力も持ち合わせている。

 

 キルヒアイスにとってはどうか。

 

 昔のまま。

 

 ラインハルト様はちっともお変わりになられない。それが一番なのだ。いつまでも自分は柔らかな微笑みを絶やすことはなく、ラインハルトと共に歩いて行けるだろう。

 

 一方、オーベルシュタインはそれで引き下がった。

 キルヒアイスを弾劾しようとして逆にキルヒアイスが特別であることがはっきりしてしまうといういわば逆効果に終わったが、気に留めている風でもない。むしろ分かっていることを確認する作業をしたという風情で、悔しがる様子はなく、その胸中は誰にも分からない。

 

 

 

 

 それと時を同じくして、変わりゆくことに対して抗う者たちがいた。

 首都オーディンの帝国宰相府にそれらの者が集っていた。

 

「儂も長年苦労してきたが、最後の最後に誤ったかの。帝国を傾けるのはブラウンシュバイクでもリッテンハイムでもなかった。貴族でもない。若者だった。あのラインハルトという若者だったわい」

「リヒテンラーデ、確かにそうだ。フリードリッヒ四世陛下からの代替わりが通常のようにはいかず、帝国がこれほどの危機に直面するとはな。この時代に居合わせたのは不幸だったのか、当事者の一端だった責任を免れる気はないが少しは嘆いてもよかろう」

 

 この部屋にはリヒテンラーデ銀河帝国宰相、そして長年軍務尚書の職にあったエーレンベルク退役元帥がいた。リヒテンラーデとエーレンベルクはライバルでもあり盟友でもある。他にも年のいった要人が数人いる。

 

「そうじゃの、エーレンベルク。この戦いは若者が勝つだろうの。若者が全ての敵を滅ぼした後、エルウィン陛下がどうなることか。ゴールデンバウム王朝も」

「そこまで言うなリヒテンラーデ、まだ終わったわけではないぞ。まだ王朝が終わったと決まったわけではない」

「エーレンベルク、確かにそうじゃの。だから今日は集まった」

 

 ここで別の者が会話に入る。

 

「そうです閣下。行く末はまだわかりません。あの若者に敵対する貴族たちは惰弱と言えど、勝負はこれからです。貴族たちの側にカロリーナ・フォン・ランズベルクが付いたと聞いています。あの者が立ちはだかる限り易々と下せはせんでしょう」

 

 ここでミュッケンベルガー退役元帥がそのことを指摘したのである。

 その通り、戦いはまだまだこれからだ。

 

「あの伯爵令嬢か…… そうじゃな。確かにこれまで儂の目にかなった働きをしてくれた。こうなることも予期していたのか、せっかく進言してくれたというに儂は聞かなんだ。後悔はいくらもするがそれでは何も解決せぬ。それで、今更じゃがやり直しをしよう。年寄りの最後のあがきじゃ。帝室のため生きている限り最後まで働かねばならん」

 

 リヒテンラーデは何事かを成そうとしている。

 それに合力するためにこの部屋へ皆が集まったのだ。その作戦とは何か。

 

 

「リヒテンラーデ、それで必要なのはエルウィン陛下の御自筆のサインと国璽だな」

「そうじゃ、エーレンベルク。その二つがあれば形は整う」

 

 老人たちは手早く行動した。

 目指すは国璽を厳重に保管している皇帝書記室保管庫である。

 その保管庫の前まで行くと、衛兵に向けリヒテンラーデが言う。

 

「ここにある国璽に用事がある。帝国全土に向け法改正を行うにあたり、皇帝の印璽が必要なのじゃ」

 

 リヒテンラーデの前に衛兵たちは下がり、ここは素直に通れた。

 国璽を使って何かの文書に印を記すフリをしながら、衛兵の目を盗んで素早く国璽を偽物と入れ替える。

 

 

 次は皇帝に謁見しなくてはならない。

 一行は皇帝の居室に向かい、またもやそこの衛兵に言う。

 

「帝国宰相リヒテンラーデである。皇帝陛下にお目通り願おう」

 

 だが、今度は簡単にいかなかった! 衛兵はリヒテンラーデに対して思わぬことを言ってくる。

 

「宰相閣下、申し訳ございません。ここはいかなる者であれお通しするわけには参りません」

「な、何と! 帝国宰相が皇帝陛下に会えぬとは、いったい何ということを申すか」

「申し訳なきことながら帝国軍務尚書ローエングラム元帥のご命令でございます」

「思い違いをするでない。帝国宰相は皇帝陛下にのみ従う臣下であるぞ!」

「恐れながらローエングラム元帥の同席なしには陛下に何者の謁見もかなわぬとの命令を受けておりますれば。ご容赦のほどを。ローエングラム元帥のオーディンご帰還までお待ち頂きたく存じ上げます」

 

 衛兵は元から帝室付きの者たちではなかった。帝国軍から新たに派遣されてきている者たちであり、その命令を守ろうとする。

 話は堂々巡り、衛兵も折れることはなく、これではらちがあかない。

 ここでエーレンベルクが助け船を出す。

 

「前任の軍務尚書エーレンベルク元帥である。帝国軍の軍人なら分を弁えよ。帝国宰相に対して礼を持って従わぬか」

 

 これまで口を出さなかったのには理由がある。

 リヒテンラーデとエーレンベルクが共にいれば必ず目を引く。エーレンベルクは特にローエングラム公から危険分子とされ、近々捕縛の予定にされていた。

 

 衛兵たちは幸いにしてローエングラム公直下の部下ではなく、古参の帝国兵であり昔からの価値観を持つ兵であった。

 やっとここを通ることができた。。

 居室というよりも乱雑な遊び部屋に行ってみると、幼児である皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世はおもちゃが気に入らないと侍女に八つ当たりしていた。わがまま過ぎる幼児、とにかく困難であったが、なんとかなだめすかして用意してあった文書にサインをさせる。

 ここで大騒ぎになればなにもかも終わりである。雑でも何でも字を書かせ、この際なんでもいい。皇帝自筆であれば。

 終わるやいなやすばやく退出した。ここからは時間の問題である。

 

 侍女の定期報告があるだろう。それはどうにも抑えることはできず、リヒテンラーデらが妙な動きをしたことはすぐに伝わる。

 間が悪いことにその定期報告の時間は退出の直後であった。

 事態を察したローエングラム公直属の部隊がリヒテンラーデの屋敷に向かっていく。むろん詰問と捕縛のためだ。

 

 こうなればリヒテンラーデの側では時間を稼がなくてはならない。

 屋敷の入口に簡単なバリケードを設け、数人が守りに入った。

 

 何としたことか。

 銀河帝国中枢部であるリヒテンラーデ侯の屋敷が、軍事制圧の舞台になってしまうとは!

 

 意外なことに銃撃戦では片がつかなかった。もちろん守るリヒテンラーデ側は少人数であるが軍事というものを知っていたからだ。

 しかし、焦った捕縛側の部隊が重火器を持ち出せばそれに対抗できるものではない。数十人にもなる部隊側が本気で作戦を展開し、屋敷を爆発の煙と轟音で満たし始める。豪奢な屋敷は要塞ではない以上、もう耐えられるはずがない。

 

 ついにバリケードが突破される瞬間、そこを守っていた者の一人が言う。

 

「あのときもう少し名を惜しんでいたらな。変わっていたのだろうか。今にしてあのゼークトと同じ言葉を言うとは皮肉なものだ」

 

 それはシュトックハウゼン元帝国軍大将だった。

 ヤン・ウェンリーにイゼルローン要塞を陥とされ、そのとき要塞司令部でシェーンコップの人質になり、捕虜交換で戻ってきている。今の後悔は自分の無様な行動のせいで最重要のイゼルローン要塞が陥ちたからだ。もしもあの時違う選択をしていれば。

 今、バリケードから悠然と姿を現し、あちこちに仕掛けた爆弾のスイッチを押す。

 

「帝国、万歳!」

 

 その犠牲により貴重な数分を稼ぐことができた。

 

 ミュッケンベルガーが国璽と文書を持って屋敷の隠れ通路から無事に逃走できた。

 もう足止めは必要ない。

 屋敷の私室にいるリヒテンラーデとエーレンベルクにもそれが分かる。

 間もなく兵がやってくるが、もう心配なく、やるべきことは終わった。

 

 この二人は盃を交わす。

 互いにかけがえのない旧友だった。

 ここで二人になるのは何の因果だろうか、しかし悪くない。

 

「ほっほ、これでやることは全て終わったの」

「老人の宴もここまででいい」

「エーレンベルク、儂らは帝国を支えてきた。思えば長いようで短いものじゃ」

 

 

 忠臣リヒテンラーデは陰になり日向になり、ここまで半世紀もの間帝国を支えてきた。私心などかけらもない。文字通り身命を賭してきたのだ。帝国のために。

 瞼には前皇帝フリードリヒ四世と共にあった日々を思い浮かべる。

 そしてこれからの銀河帝国を託す者たち、サビーネやカロリーナのことを思う。

 

「帝国を頼むの、ガイエスブルクの娘たち。良き国を作るのじゃ。必ずできると思うておるぞ」

 

 リヒテンラーデとその友エーレンベルクは毒酒を入れて最後のグラスを交わした。

 

 ここに至り、ろうそくの灯のように消える前に輝き、成すべきことを成した。

 思い残すことはない。

 

 

 

 

 


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