平和の使者   作:おゆ

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第四十六話488年10月 生贄の少女

 

 

 ラインハルトがオーベルシュタインに向かって言葉を続ける。

 

「おまけにブラウンシュバイクは取り逃がしたぞ。これで貴族どもの命脈は断たれず、仕事は先延ばしだ。オーベルシュタイン」

「全く問題ありません。今回は元帥閣下が私めの策の通りにしていただき感謝します」

 

 そう、実は以前ラインハルトがオーベルシュタインの進言に従わないことがあった。

 レンテンベルク要塞でのことだ。

 オーベルシュタインがオフレッサーの生け捕りを主張したときである。

 ラインハルトも最初は同じ意見であった。意味は全く違えど。

 ところがオフレサーが捕縛されても戦う意志を捨てず、なお暴れていたためやむを得ずラインハルトは射殺を命じた。

 オーベルシュタインは手足をなくしても使い道があると言っていたのだが。ガイエスブルク要塞の貴族の間に相互不信の種をまく用途を想定していたのにこれで不可能になってしまう。

 

「元帥閣下、この件については昨日お話しした通りです。貴族どもとの戦いはブラウンシュバイク公などが相手ではありません。カロリーナ・フォン・ランズベルクです。これを倒した時にこそ戦いは勝ったと言えます」

 

 

 

 

 この第一次ガイエスブルクの戦いの前日、戦略についての建議をオーベルシュタインからラインハルトは聞いていた。

 

「この時期に進言とは何だ、オーベルシュタイン」

「是非お聞き頂きたい策がございます。今回の戦い方の本筋において異議はなく、隊列を崩しての各個撃破そのものは正しいと存じあげます。ただしその締めくくりが重要かと」

「勝って貴族どもを根こそぎにすればいいのだろう。そして盟主のブラウンシュバイクを叩けば」

「閣下、それの話です」

 

 オーベルシュタイン、この知謀の将は現在の事態を正確に喝破している。

 

「ブラウンシュバイクなどこの際どうでもいいのです」

「何? なぜだ。ブラウンシュバイクは帝国一の名家であり、貴族どもの盟主になっている。馬鹿でも貴族どもの頂点、これを除かねば何も成せない」

「いいえ、それが誤解だと申し上げます。ブラウンシュバイク公はただの飾りです。殺さなくとも問題ありません。貴族どもの精神的な支柱は今や別の者にあります」

 

「…… なるほどオーベルシュタイン、言いたいことは分かる気がする。しかし、今一度確認しておこうか」

「カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢です。閣下。お分かりでしょう。無敵の女提督、辺境解放の英雄です。かの者は貴族どもにとって大きな希望になっています。ブラウンシュバイクを倒しても伯爵令嬢がいる限り貴族は希望を捨てず、戦いは終結しません」

「それは厄介なものだ。かの者は、強いぞ」

 

 そう、ただし強いだけではない。

 ラインハルトは伯爵令嬢の小さな顔を思い浮かべる。

 あの茶会の席、そこで伯爵令嬢は宣言したのだ。貴族だろうと罪のない者を守ること、あくまで人を大事にすることを。有言実行、今もそのために比類ない才能を振るい、知謀を尽くして戦っている。ラインハルトにとって尊敬するに足る敵手だ。

 

 

 そこへオーベルシュタインの声が続く。実はオーベルシュタインもまた伯爵令嬢を軽視せずその価値を正確に捉えている。ただしその結論はどこまでも辛辣なものであった。

 

「だからこそ良いのです。これは非常なる好機が手に入ったのです、閣下。希望の拠り所を打ち砕かれた時、貴族どもはもはや抵抗する気力も残らないでしょう。こちらの戦略上伯爵令嬢の存在は願ってもない切り札なのです」

 

 そういう意味の利用とは!

 何とオーベルシュタインはカロリーナをも戦略に組み込んでいるのだ。

 貴族の希望を砕くための、ただの装置として。

 オーベルシュタインにとって伯爵令嬢はヴェスターラントの政治宣伝を妨害された経緯があるが、しかし今考えるのはそれを補って余りある。

 

 ラインハルトは考える。恐ろしい戦略だ。

 伯爵令嬢は彼女なりの思いがあって戦っているのだ。人を守るために力を尽くす。その思いを分かっているのか、オーベルシュタイン。

 

「そのために閣下、明日の戦いでは伯爵令嬢が出てくるのを待つのです。手を抜いて戦うわけではありません。しかし、戦いに際してある程度の予備兵力を残しておく必要があり、それには速さのあるミッターマイヤー提督が適任かと存じます。おそらく貴族どもの艦隊を守るために伯爵令嬢の艦隊が出てくるでしょう。その艦隊の中で最も強い部分を探って令嬢の所在を明らかにし、何としても包み込んで叩くのです。そのための予備兵力です。ブラウンシュバイク公など捨て置いてかまいません」

 

 伯爵令嬢を殺すのが優先かつ必須だと言ってのける。そして必殺の策を用意している。

 

 実際、ラインハルト陣営はそれぞれの戦いをよく観察していたのだ。そこでファーレンハイトの艦隊が最も強いのではないかと見て取っていた。

 それを押し包んで叩くべく、オーベルシュタインは優勢な戦いをしていたロイエンタールまでもわざわざ移動を命じたのである。かつてアルテナ星域で伯爵令嬢に手玉に取られたミッターマイヤーといえど、ロイエンタールと組み、両将で戦えば伯爵令嬢といえどヴァルハラ行きは免れないだろう。

 

 しかしその艦隊は伯爵令嬢が指揮をするものではなかった。

 

 それがわかった時点でこの作戦は意味がない。ミッターマイヤーもロイエンタールもそのまま待機を続けさせるしかない。

 他の艦隊を探ってみても伯爵令嬢はいない。

 それもそのはず、今回の戦いには最初から参加していなかったのだから。イゼルローンから戻るのが間に合わなかったのである。そのあたりの事情をラインハルトやオーベルシュタインの側で知るはずはない。

 

 

 

 オーベルシュタインの第一の手は空振りに終わった。

 

 しかしさして残念がる様子はなく、淡々と第二の手を打った。

 オーベルシュタインは当代随一の策謀家、その知謀は状況に合わせいくつもの罠を編み出す。それに対抗できるものはいない。

 

 ただしオーベルシュタインによる第二の手はラインハルトとキルヒアイスにとって非常に苦いものだった。

 

 伯爵令嬢をそのような手で葬るとは!

 

 人を守るために一生懸命戦ってきた令嬢なのに。その令嬢を絶望のうちに葬るのだから。

 あのかわいい令嬢が苦悩に沈みながら死んでいくことになるのだろうか。

 自分が守った人間に裏切られ、最後は人を呪う言葉を吐いて。

 この手はやってはならない。

 しかしオーベルシュタインの言うことはあまりに冷酷だが合理的でもあり、内乱を早期終結させ犠牲を減らせるのも確かなことである。

 

 

 

 わたしはカロリーナ艦隊と共に、ようやくイゼルローン回廊から長い旅路を経てガイエスブルク要塞に到着したのだ。それは第一次ガイエスブルクの戦いが終わった直後のことである。もちろん直ぐにガイエスブルク要塞に入り、ファーレンハイトなどから報告を聞き、充分に労う。

 

 

 偵察によってそれが分かったラインハルト陣営はガイエスブルクに向け通信を送る。

 このたった一つの通信だけでカロリーナ・フォン・ランズベルクの命を絶つ。

 

「貴族連合の勇戦に敬意を表する。

 あなたがたの帝国に対する強き思いがここに至ってようやく理解できた。

 帝国を真に支えてきたのは貴族であった。帝国に貴族は必要である。藩屏たる貴族がなければ成り立たない。

 不幸にも誤解によりお互いに深く傷つき、慙愧に耐えない。

 今はそれを癒し、互いを称え、共に帝国のために尽くすべきである。

 我らは和解を望む。共に歩もう。

 しかし和解の象徴として望むことがある。

 これまで互いの誤解を解く機会を失わせた犯人の処罰が不可欠だと断ずる。

 すなわち、犯人とはカロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢のことである。

 罪状はいたずらに戦いを長引かせ犠牲を増やしてきたことである。

 要塞にいるカロリーナ・フォン・ランズベルクを生死にかかわらず引き渡すことを要求する。

 もう一つ、ガイエスブルク要塞の主砲ガイエスハーケンの破壊と封鎖を求める。もって和解と平和の証しとなす。

 これらが実行されれば、貴族には生命の安全及び領地の安堵を約束する。

 これからは手を取り合って帝国のため進もうではないか。     

                  ラインハルト・フォン・ローエングラム 」

 

 

 

 わたしはガイエスブルクに着くやいなや、突如死地に追い込まれた。

 

 今、味方であるはずの貴族連合から生贄にされようとしている。

 

 

 


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