平和の使者   作:おゆ

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第四十七話488年10月 指揮者、登場!

 

 

 オーベルシュタインの策謀の効果はてきめんであった。

 この通信文一つだけでガイエスブルク要塞の雰囲気は一変したのだ。

 要塞に入ったばかりのわたしを剣呑な雰囲気が取り囲む。

 わたしを差し出せば、自分たち貴族はこんな危険な戦いの場から元の領地に帰れる。また昔と同じ生活ができるのだ。それをしない方はない。

 大体にしてあのローエングラム公ラインハルトを敵とみなしたのが間違いであり、自分たちを安楽に暮らさせてくれるのならば誰が上に立とうがどうでもいいではないか。

 

 この嫌な雰囲気、わたしには精神的に堪えるものだった。あんな見え透いた通信文を信じる、いや信じたい人間が多過ぎる。

 そんなわたしをサビーネは暖かく迎えてくれた。

 

「よう来た。カロリーナ。さっそくじゃがこの要塞にある食材で菓子を作ってくれ。アズキは無いが、されどハーブの棚にこれを見つけたぞ」

 

 さすがは食い意地の張ったサビーネ様、よくガイエスブルクの食糧庫に行ってきたものだ。

 そして何と赤シソの葉を持っている。

 サビーネはシソの葉ジュースも飲むのだ。今度プラムの塩漬けにシソの葉を使った物を作ってみようかしら。サビーネはどう言うだろう。その漬けたものはウメボシというのだけれど。

 

「アズキがなくとも、いろいろ作れますわ」

 

 ああ、サビーネは変わらず接してくれる。心暖まるひと時を歓談して過ごした。

 そして最後の最後に、サビーネが何事でもないかのように付け加えた。それはわたしを安心させるための配慮だろう。

 

「明日は皆で会議じゃそうな。安心せい。なに、アホウを黙らせたらことが済む」

 

 

 

 ここガイエスブルク要塞で皆が一同に会する大会議が開かれた。

 人数が多いので会議室ではなく大広間である。椅子がいくつか奥に用意され、大貴族だけそこに座る。

 

 ひときわ大きい二つの椅子はそこに座る貴族の身分を現わしている。

 

 一つはこの貴族連合の盟主オットー・フォン・ブラウンシュバイクのため。もう一つは現在でも名目上副盟主でありリッテンハイム家を継いだばかりのサビーネ・フォン・リッテンハイムのためにある。

 

 貴族以外にも軍部の主だったものが集められている。

 メルカッツ上級大将、アンスバッハ准将、シューマッハ大佐などである。

 もちろんカロリーナに付き従うファーレンハイト、ルッツ、メックリンガー、ケスラー、ビューロー、ベルゲングリューンもいる。

 

 

 異様なざわめきの中で会議が始まる。

 細かなことはみんな上の空だった。食糧の配分なども大事な議題ではあったが、それさえ余り聞いているものはいない。

 大事なことはたった一つしかないのだ。

 今日決定するのは、敵ローエングラム公ラインハルトが提示してきた和解案に乗るのか、突き返すのか。どちらにするのか。

 和解ならばここにいるカロリーナ・フォン・ランズベルクを差し出す。あるいは殺す。

 和解条件にはどちらが処罰するかは決まっておらず、別に生きたまま捕らえて引き渡さなくとも、抵抗すれば要塞の中で殺してしまってもいいのだ。何となればこの会議室で。

 

 会議は進み、ついに本題に入る!

 議長を務めているフレーゲル男爵が提議する。

 

「さて先日ローエングラムめから出された提案について、どう返答するかここで決めようではありませんか。内容はもう皆さんがご存知のはず。ランズベルク伯爵令嬢を差し出し、要塞の一部を壊し、和解に応ずれば貴族に咎めはなし」

 

 もう話の途中から人々のざわめきはどんどん高まっていった。

 

「そんなの決まっておる! 和解じゃ!」

「我らの大義は示された!」

「今頃向こうは貴族なしでは成り立たんとわかったのだ。それで充分」

「向こうから持ち掛けてきた話。受けてやるのが礼儀だろう」

「全ては帝国のため。ここに籠ってなんとする」

「確かにランズベルクのせいで戦が長引くのは事実ではないか」

「考える必要もない。向こうの気が変わらんうちに早く返事を!」

 

 人々は和解を口々に叫ぶ。人は仲間が多いと自然に声が大きくなる。もはやほとんどがそれに呑み込まれ、大勢は決しようとしていた。

 

 だがしかし、意外にも議長のフレーゲルが反対したのだ。

 

「いや、これは金髪の孺子が我らを恐れた証! 先の戦いでまぐれで勝てたが、実力の差が分かって実は震えていたに違いない。和約など笑止。これまでの行いの数々を償わせて、たっぷり後悔させてくれようぞ!」

 

 このような意見はあまりに少数派、無鉄砲な青年貴族しか同意するものがいない。

 

「今ぞ金髪の孺子を倒す好機! 勝ち逃げなど許すものか。次は貴族の矜持を見せつけて倒してくれる!」

 

 その声は通らない。人々はもっともらしいことを言いながら、実は命拾いしたとほっとしている。フレーゲルの言う貴族の矜持などもう無きに等しい。

 この際命が助かるなら他はどうでもいい。

 この目の前の少女が死んでくれれば自分は助かる。

 早く死んでくれないか。

 

 それは、あまりに自分本位の醜い考えであった。

 

 

 わたしは自分の命がかかったこの場で、何か言おうと努めた。

 そんな和約など絶対嘘だから! 見え透いた罠だから! 

 貴族を赦す? ラインハルトが本心からそう思ってるはずがない! 貴族を一掃し、帝国を作り変えるのがその狙い。絶対に貴族へ領地安堵などするものか。

 

 しかし声は何も出てこない。

 この場の数百数千人の、お前が死ね、という思念を一身に受けている。

 お前が死ねば全ては丸く治まるのだという。

 わたしはうつむき、涙をほろほろとこぼす。

 青ざめて生気を失った頬を伝う。

 

 どうしてこうなったの? わたしは、どうして。

 

 そんなわたしを諸将が気遣う。

 この会議にいても無用だ。

 もし誰かがブラスターを隠し持っていれば公然と射殺できる。そんな雰囲気なのだ。

 これは危ない。ベルゲングリューンがわたしを支えながら広間を退出していく。前をルッツが広く俯瞰しながらカバーして歩く。

 令嬢に何かしてみろ。

 俺がこの広間の全員を射殺してくれる。そうルッツは思っていた。

 

 ファーレンハイト達は広間に残った。

 内心はルッツに負けず劣らず闘志に溢れている。

 会議で伯爵令嬢を殺すことに決めるがいい。

 すぐさま令嬢を艦に乗せて宇宙に脱出し、その後はこの要塞ごと火球に変えてやる。令嬢が守ろうとしてきた貴族ども。裏切りの代償は貴様らの命しかない。

 俺が、必ずそうしてやるからな。

 

 

 

 ブラウンシュバイク公は会議の行く末に満足していた。和解に決まり、命も領地も助かりそうだ。正直甥のフレーゲルには困ったものだ。変な意見は出さず、黙っていればいいものを。

 

「皆の意見はわかった」

 

 自分は意見を言わず、皆の考えを集約したという形にするのが一番いい。それが当り障りなく和解案を決議できる。あのランズベルク伯爵令嬢は皆のため消えてもらう。たった一人の下級貴族、犠牲というほどのものではない。

 

 

「皆の意見はわかった!」

 

 だがここでブラウンシュバイクの次に声を上げてきた者がいたのだ。

 それは隣に座っている副盟主サビーネ・フォン・リッテンハイムである。

 

「皆が暗愚で恥知らずなこともようくわかったぞ。貴族? 貴族の誇りがどこにある! カロリーナ・フォン・ランズベルクに何の罪がある! 罪のないものを引き渡すとは、盗賊にも劣る畜生の所業じゃ! カロリーナに罪を見つけてみい。カロリーナは皆を助けようと頑張ってきたのじゃ。その者に恩を返さねばとは思わんのか」

 

 サビーネが静かに立ち上がる。その身は炎に包まれているようだ。声はこの場の隅々まで強く届く。

 

「和解が何ほどのものだというのじゃ。誇りを捨てて拾う命などいらん! 妾はカロリーナを断固として引き渡したりなどせぬ。サビーネ・フォン・リッテンハイムである妾の誇りにかけてじゃ! 今こそ妾はリッテンハイム家に生まれたことを幸せに思う。このような時に正しきを尊ぶ貴族の誇りを持てたからじゃ!」

 

 サビーネ・フォン・リッテンハイムはどうしたことか。

 まるでそこだけ輝くようなオーラを発散している。

 選ばれた者だけが持てるカリスマを身にまとった少女は話を続ける。

 

「ラインハルトなる者、底が透けてみえるわ。要塞の者を使送してカロリーナを葬ろうとは、ただの匹夫の考えること。さればこの者の和解を信じるなどたわけじゃ。和解の二つ目をようく見てみよ。この要塞の武器を封ずるとは、後で攻めてくるために決まっていよう。当たり前じゃ。その時に武器が使えなかったらどのようなことになるか。ここにメルカッツはおるか、はっきり申してみよ!」

 

 声に動かされ、メルカッツが進み出て静かに言う。

 内心は感動していた。

 サビーネ嬢はただの令嬢ではない。友情に厚く、正しきを尊び、誇り高い。それに物事を正確に見ているではないか!

 

「サビーネお嬢様、まことに慧眼でございます。武器を和解案で潰すとは計略以外の何物でもないと心得ます」

「その通りじゃ」

「ガイエスハーケンが使えないガイエスブルク要塞など、攻略するのに造作もないでしょう。その時点として要塞は終わりです。要塞からただの家に成り下がり、我らの負けが決まります。もし向こうが手の平を返せばなすすべもなく滅びるばかりになるでしょう。小官もこの計略の見える和解案に乗ってはならないと断じます」

 

 

 するとこの和解案はあのラインハルトの計略なのか。貴族を一挙に葬るための。

 皆は戸惑い、サビーネの言うことももっともだと言いつつある。

 

「皆の者、安心せい。我らはカロリーナを信じていればいい。あの者は信じてやれば必ず期待に応えるのじゃ。相手がローエングラム帝国元帥? ふん、カロリーナが負けることなどないわ!」

 

 会議は急転直下、和解案を受けないことで決まった。

 皆はサビーネ嬢のカリスマに驚くばかり、あの広間の雰囲気をたった一人でひっくり返したのだ。

 あたかも、皆の意思を導き一つにする者、指揮をする者のごとくに。

 

 

 

 要塞の会議の結果を聞いたラインハルトは言う。

 

「貴族どもは和解案に乗ってはこなかったな。オーベルシュタイン。そこまで馬鹿揃いではなかったということだ。尤もあんな見え透いた策に乗ってこられては興覚めもいいところだった。伯爵令嬢の首は届けられなかった。さて、ここからどうする」

 

 それを聞くオーベルシュタインは思う。

 ローエングラム元帥はこの策がうまくいかなくて内心喜んでいる。言葉の端々に安堵したような調子が漏れている。

 伯爵令嬢と華々しく戦うのはまだしも、謀殺は決して好きではないのだ。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 同じ死ぬのに、名誉の戦死も惨めな謀殺も区別などないではないか。

 

「今回の策は次の下準備に過ぎません。打つ手を打っていくだけです、元帥閣下」

「そうか。卿の謀りごとは底が知れんからな」

 

 そう、オーベルシュタインは底が知れない。

 敵として謀られることになった時点で、伯爵令嬢の命脈は尽きているのか。

 

 オーベルシュタインの第三の手はすでに伸ばされていた。

 

 

 

 


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